景福宮






景福宮



景福宮は朝鮮王朝の王宮でした。歴史の中で翻弄され続け現在再建が進んでおり2025年には終了するのだそうです。その時には朝鮮王朝が君臨していた時代の王宮の姿を観る事が出来る事でしょう。




景福宮 (2012年 9月24日) 
観光客がソウルを訪問して必ず訪問するのがこの景福宮でしょう。ソウルの顔と言えるような存在で歴史的な価値が大きく、数々の事件の舞台であり、人気の韓ドラの主な舞台でもあります。1395年から朝鮮王朝、李氏朝鮮の正宮として使用され、朝鮮王朝の歴史、その後の日本統治時代、朝鮮戦争その後の時代朝鮮の歴史を刻んで来た場所と言えます。以前来た時にはまだ旧朝鮮総督府がこの敷地内にあり、博物館として使用されていたので中に入る事が出来ました。1926年に朝鮮総督府の建物は完成し1995年に解体されるまで70年間この地にあり、現在残っているソウル市庁舎(日本統治時代は京城府庁舎)によく似た建物でした。博物館に何が展示されていたのか全く覚えていませんが、朝鮮総督府の建物の中に入る事が出来た事はよく記憶しています、貴重な体験で中に入っておいて良かったと思っています。

朝鮮王朝が成立してから約200年はここが正宮として使用されていたそうです。1553年に大火によって焼失し、再建されたものの1592年の秀吉による文禄の役において、国王の宣祖が漢城から逃亡し治安が乱れると、先陣争いをする小西行長らの一番隊や加藤清正らの二番隊の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり再び焼失したのだそうです。よく秀吉が焼いたと言われますが正確には進軍して来た秀吉軍では無く朝鮮の民衆が略奪放火してのです。以降270年間正宮として利用される事は無かったのですが、朝鮮王朝末期の1865年に高宗の父興宣大院君が再建しました。朝鮮の経済は疲弊している中での再建で国民の負担は相当のものであり、また建設途中に一度焼失し、これで大院君は建設を断念するかも知れないと国民は期待したにも関わらず再度資材を調達させ完成を急がせたのだそうです。

日本では明治維新の年となる1868年に大院君の息子である国王の住居と政務を昌徳宮から景福宮に移しました。日本が明治維新で欧米文化を取り入れるのに躍起になっていた時に朝鮮では宮殿を建て国民の生活は疲弊してしまったという訳ですね。1894年、朝鮮利権で競い合っていた清国に先駆けてここを日本軍がここを占領し、この事が発端となり日清戦争につながって行きました。更に1895年には乙未事変と呼ばれる事件が勃発し、第26代国王・高宗の王妃であった閔妃が日本軍や日本の大陸浪士等によって殺害されるという事件があり、次の年すっかり嫌気をさした高宗は日本の圧力から逃れるようにロシア公使館へ逃げ込み、そこで政務を執るようになりなりました。このように朝鮮近代史の舞台として日本が関わる形で幾度も登場します。

1910年大韓帝国は日本に併合され、朝鮮王朝は滅び、日本は朝鮮統治に当たり光化門を取り払い、景福宮の正面に総督府を建設しました。1930年当時の写真を見ますと地図には記載されている光化門は実際には無くメインストリートの正面に総督府の建物が在ります。朝鮮の人達は為政者の交代を感じた事でしょう。韓国の時代となり朝鮮戦争では光化門が焼ける等の被害が出ました。1954年の写真がありますがこちらにも確かに光化門がありません。また周囲の建物もほとんど増えておらず殺風景な感じは同じですが出来た当時と比較しますと植物は成長している事が分かります。その後韓国が経済発展を遂げ景福宮を出来るだけ元の形に戻す事を決め、2030年までに1865年当時の建物の75%まで復元するとしてます。朝鮮王朝時代の建物も1865年頃に再建されたものが多く比較的新しいと言えます。ソウルの顔であり、韓国の顔であるこの景福宮は既に王宮としては使用されていませんが、韓国の顔として威信を掛けて再建される事でしょうね、130年前朝鮮王朝末期当時においては国家が傾く程の負担でしたが現在の韓国にとっては微々たるものであり、しっかりとやり遂げる事でしょう。



(地図:景福宮)  



(写真:景福宮・1930年)  



(写真:景福宮・1954年)  



(地図:景福宮・1930年)  



光化門 (2012年 9月24日) 
朝鮮王朝の正宮である景福宮の正門が光化門です。朝鮮王朝末期に大院君によって再建されたものの朝鮮総督府をこの門の後ろに建設する事になり取り壊しも検討されたようですが、写真を見ますと一時的に移築されその後元に近い位置に戻されたようです。1950年、朝鮮戦争によって焼失し1968年にコンクリートで再建されました。その際に扁額は時の大統領である朴正煕氏がハングルで書いたものを掲げてたのだそうです。その後この門の後ろにあった朝鮮総督府の建物を取り壊す事が決まり、景福宮を出来るだけ元の形に戻すことになり、この門の位置は朝鮮王朝時代と比べると北に11.2メートル、東に13.5メートル、景福宮の中心軸から3.75度ずれており、これを戻す事となり再建が行われ2010年に完成しました。げんざいでは光化門通りの正面に堂々とした門を見る事が出来ます。以前来た時には直ぐ後ろにあった朝鮮総督府の建物の方が目立ち何となく、くすんだ印象がありましたが新築となり威風堂々としています。

扁額をどうするのかが議論されたそうですが、まず今までのハングルでは無く朝鮮王朝時代の漢字に戻す事が決まり、字体に関しては色々な議論があったのだそうですが、1900年に撮影された写真から当時の扁額の文字を1965年景福宮再建の際の責任者だった任泰瑛の文字をデジタル処理して再現したそうです。額を掲げて間もなくしてひびが入り、字体が悪いからだという議論が持ち上がりましたがそのまま朝鮮王朝時代の文字を使っているそうです。確かに「光化門」と書かれた額は字を見ますと余り上手とは言えず、力強さも感じられず変更した方が良いと言う意見も分かりますが、とにかく朝鮮王朝への復元を目指している韓国の多くの人にとっては当時の再現の方が良いのでしょうね。



(写真:光化門-01)  



(写真:光化門-02)  



(写真:光化門扁額)  



(写真:光化門-03)  



(写真:光化門-04)  



(写真:光化門-05)  



(写真:光化門-06)  

ヘチは正義を守る想像上の動物なのだそうです。狛犬に似ていますね。



(写真:光化門のヘチ)  



(写真:光化門の前の様子)  



(写真:光化門の横-01)  



(写真:光化門の横-02)  



(写真:光化門の横-03)  



光化門と興礼門の間の広場 (2012年 9月24日) 
この場所の正式な名称は知りませんが光化門から入り驚いたのは当然なのかも知れませんが朝鮮総督府が跡形も無く消えている事です。以前と比較して光化門が南に15メートル程度動かされているのでこの広場の後ろ側から興礼門の辺に総督府の建物があったのでしょう。1995年に総督府の建物が取り壊されてから初めての訪問であったので新鮮でした。新しくなったのでは無く総督府の以前、朝鮮王朝の時代の建物を復元しているので昔に戻ったというのが正しいのでしょう。光化門の向いには興礼門が復元されており、大きな広場では朝鮮王朝の衣装を来た人が衛兵の交代のショーを行なっていました。現在はここは王宮としては使用されていないので観光客相手のものでしょうが最近の韓流ドラマの影響もあり、多くの人が関心を持って見つめていました。ただ周囲の建物が大きく聳えていて光化門の向こうには高層ビル街が見えるので朝鮮王朝時代に戻ったような気にはなりませんでした。このように景福宮をしっかりと復元し、平和の中でソウルの繁栄の中で多くの観光客の前で朝鮮王朝のショーを披露する事が出来る事は韓国の人にとってはある種の達成感があると思います。



(写真:光化門-01)  



(写真:光化門-02)  



(写真:光化門-03)  



(写真:朝鮮王朝時代の衛兵の交代-01)  



(写真:朝鮮王朝時代の衛兵の交代-02)  



(写真:朝鮮王朝時代の衛兵の交代-03)  



(写真:朝鮮王朝時代の衛兵の交代-04)  



(写真:朝鮮王朝時代の衛兵の交代-05)  



(写真:朝鮮王朝時代の衛兵の交代-06)  



(写真:朝鮮王朝時代の衛兵の交代を見物する人達-01)  



(写真:朝鮮王朝時代の衛兵の交代を見物する人達-02)  

興礼門も非常に綺麗ですね。1916年に総督府を建設する事で取り壊され、21世紀になって復元されたものです。新しい事もあり、壮麗で立派です。



(写真:興礼門)  



(写真:衛兵-01)  



(写真:衛兵-02)  



(写真:衛兵-03)  



(写真:入場券販売所)  



勤政門と勤政殿 (2012年 9月24日) 
興礼門を入ると正面に勤政門が見えて来ます。その間は中庭になっていて建物はありません。



(写真:興礼門-01)  



(写真:興礼門-02)  



(写真:興礼門-03)  



(写真:興礼門-04)  



(写真:田成門)  



(写真:維和門)  



(写真:中庭の様子)  

屋根越しに変な塔が見えます。朝鮮王朝の統治理念は仏教国高麗への反発もあり、崇儒排仏政策が取られ仏教は弾圧され、僧侶は漢城には入れなかったはずで、景福宮に仏塔があるのには非常に違和感があります。何でこんな場所にと調べてみますとこれは民族博物館なのですね、これは駄目ですね、せっかく景福宮を出来るだけ元の状態に戻そうとしているのに台無しです。



(写真:塔)  

勤政門は1968年に再建されたもので国宝なのだそうです。



(写真:勤政門)  

景福宮の正殿である勤政殿があります。これも1968年に再建されたもので国宝です。この中に玉座があり、国事をここで行ったのでしょう。想像していたよりは小さいという印象です。



(写真:勤政殿-01)  



(写真:勤政殿-02)  



(写真:勤政殿-03)  



(写真:勤政殿・玉座)  



(写真:勤政殿天井-01)  



(写真:勤政殿天井-02)  



康寧殿と交泰殿 (2012年 9月24日) 
康寧殿と交泰殿は一部が部屋の作りになっていて当時の様子を見る事が出来ます。王の寝室である康寧殿は9つの部屋に分かれていたそうで、その中央の部屋で王が休まれていたそうです。そしてその後ろには王妃の寝殿である交泰殿があります。当時の王はどこでも自由に行く事が出来たそうですが王妃はこの交泰殿より前にある建物へは行くことが許されていなかったそうで、王妃となって一度王宮に入ると交泰殿から外へ出ることがほとんど無かったでそうです。王が暮らしていたこの場所は韓ドラで出て来る本物の場所という事なのでしょうか、人だかりが出来ていました。



(写真:康寧殿-01) 



(写真:康寧殿-02) 



(写真:康寧殿-03) 



(写真:康寧殿内部-01) 



(写真:康寧殿内部-02) 



(写真:康寧殿内部-03) 



(写真:康寧殿内部-04) 



(写真:康寧殿天井) 



(写真:康寧殿内部-05) 



(写真:交泰殿-01) 



(写真:交泰殿の前) 



(写真:交泰殿内部-01) 



(写真:交泰殿内部-02) 



その他の建物 (2012年 9月24日) 

思政殿は国王が居住し、政治を行う場所。普通の仕事はここで行っていたのでしょう。意外に小さいという印象ですね。王の生活空間で景福宮の中でも非常に重要な場所だと思いますが観光客はほとんど居ません。



(写真:恩政殿) 



(写真:恩政殿と千秋殿-01) 



(写真:恩政殿と千秋殿-02) 

隣には千秋殿があります。ここで世宗大王はよく勉強をしていたそうです。



(写真:千秋殿) 

慶成殿は寝殿である康寧殿の東西両側に置かれた小寝(小寝殿)のうち、西側の方の小寝殿です。「天地の生と成をお手本とし、政治を明るくする」という意味からそれぞれ延生殿と慶成殿とつけられたそうです。



(写真:慶成殿) 



(写真:欽慶閣-01) 



(写真:欽慶閣-02) 



(写真:千秋殿の横側) 

もとは集賢殿(チプヒョンジョン)という建物があり、王室の学問研究機関だったそうで、ここで訓民正音(ハングル)も考え出されたのだそうです。1867年に再建された時に名前が「修政殿」と変えられたとの事です。



(写真:修政殿-01) 



(写真:修政殿-02) 

更に奥に行きますと長い塀があり、両側に建物があります。韓ドラの世界に入り込んだような錯覚になりますが、ドラマはセット、こちらは本物です。ただ多くは最近復元されたものなのでしょう、新しく、ほとんど観光客も居ないので静寂な雰囲気で朝鮮王朝の時代をイメージ出来ます。



(写真:景福宮内部-01) 



(写真:景福宮内部-02) 



(写真:景福宮内部-03) 



(写真:景福宮内部-04) 



(写真:景福宮内部-05) 



(写真:景福宮内部-06) 



(写真:景福宮内部-07) 



(写真:景福宮内部-08) 



(写真:景福宮内部-09) 

慶会楼は国王と臣下が参席する重要な宴会や外国使臣を接待する宴会場要するにパーティー会場なのですね。慶会楼は国王と臣下が出会いを楽しむ場所という意味からつけられた名前なのだそうで看板の字は太宗・李朝第3代目国王の王世子だった譲寧大君が書いたものです。譲寧大君と言えば王世子を廃され代わりに王世子となったのが世宗大王ですね。



(写真:慶会楼) 



(写真:慶会楼前の池) 



復元中 (2012年 9月25日) 
中心部は復元が完成していますがその周りはまだまだで工事中の場所が多くありました。



(写真:復元工事中) 



(写真:復元工事でこの場所がどこに当たるのか説明している看板) 



(写真:復元工事中の看板はチャングム) 



(写真:閑散としたオープンスペース-01) 



(写真:閑散としたオープンスペース-02) 



(写真:工事中のプレハブが見える) 



(写真:工事中のクレーンが見える) 




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