打ち込んでいたのは水泳。4種目泳げたが、backstroke が一番まともだった。
ピアノを弾く真似事を始める。
修学旅行に父の YASHICA electro 35 を持っていったが、友人達の一眼レフを触らせて貰い−接触感染−
「欲しい欲しい病」に罹る。この頃から父の S3 を勝手に持ち出し始めました。
何を思ったか、コーラスを始めた。夏の NHK コンクールで、県予選を突破する事ができるかもしれないという
ある程度レベルの高い部だったので、練習は結構ハード、日夜腹筋や背筋を鍛えるという運動部ばりのトレーニングを
やっていた。おかげで男子メンバーは、全員1万メートルを40分台前半で(うち2人は30分台だった)走るし、
体育会(運動会)のクラブ対抗 800mリレー(200×4)では、私の年で4連覇を達成。朝練/昼練/夜錬と続き毎日
ヘロヘロで、勉強どころではなかった f(^_^;)。結局最後の年、県一次予選は突破したものの、本選では負けて
県代表校にはなれなかったけれど、楽しい思い出です。
我が家にフルートがやってきたのもこの頃、私は独学でとりあえず2オクターブ出せるようになりました。
魚を飼い始めたのはこの頃、最初は淡水でカラシンを飼い始めました。
バンドでシンセサイザーを弾いていた。最終的にはライブハウスに定期出演してギャラを貰っていたが、
その日貰ったお金は、その店で夕食を食べると消滅するような僅かなものだった。勉強…は、まぁ
この際どうでもイイということで…
シンセサイザーを運ぶのに、車が必要なので、免許を取り、最初の車を買いました。2ストエンジンを乗せた
8年落ちのアルト、わずか5万円の車、勿論マニュアル、エアコン無し、ステレオ無し。今思えば、一番楽しい車でした。
その後、グランドシビック(EF2)に乗り換えて、以後就職後まで9年12万キロを乗りました。
一生のうちで最も勉強したと思う f(^_^;) 有機金属錯体を利用した溶媒抽出による希少金属の精製/濃縮に関して 研究していました。修士論文は「難逆抽出性金属の逆抽出法に関する研究」という、 なんのコッチャ?って感じ。このとき勉強した、水溶液中でのイオンの存在状態に関する知見が、水槽(海水/淡水)の 水質管理に役立っていたりする。
某総合化学メーカー入社後、有機金属錯体型光半導体の合成法に関する研究の仕事をした。その後、 畑違いの医薬品の世界に移動になった。最初の仕事は、コレステロール低減剤の開発。製品になる確率が低く、 しかも研究開発に長い期間を用する医薬品の上市に係われたのは幸運でした。その後、抗ガン剤の開発 プロジェクトに加わり、製造設備関係の技術開発をしました。んで、最近更に異動・・・特許関係の仕事を するようになりました。発明を引き出して、出願&権利化するまではこれまでの理系の頭の範囲なのですが、 訴訟や契約の話になると難しいですね〜法学部の人たちって頭良いのね〜って感じです。
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