ミスリード 「true tears」の放送開始前の特番で、監督は視聴者に対してミスリード宣言をした。
それを踏まえて観た第1話は、サブタイトルの台詞の主が実は…、という小手調べ的なミスリード。まあ、この程度で済ませるはずはないんだろうと思いながらそれ以降を観てきたが、第6話はちょっと面白いミスリードかと思える話だった。
比呂美が眞一郎の母の言葉にショックを受けるシーン。このシーンを観た時点ですぐ思い浮かんだのは、“比呂美が実は眞一郎の父の娘、つまり眞一郎とは兄妹の関係にある”というもの。そして、この演出がもしミスリードであるなら、眞一郎と比呂美が兄妹だと思わせておいて実は違う、ということになる。
そうだとすれば、ここまでで最も面白いミスリードだ。この種明かしは少し長く引っ張るだろうと思っていたら、あっさり比呂美がその内容を口にしてしまった。“かも知れない”と含みを持たせたことで、“実は違う”可能性を今後に残しはしたが、内容を明かしてしまった以上、真実がどちらであっても最早ミスリードにはなり得ない。
結局、ここまで、あっと驚かせるようなミスリードが無いままだ。これからもっとすごいものが出てくるのか、それともこのままか。まあ、どちらにしろ物語自体はとても面白いので楽しめることは間違いないが。2008.2.17.
欠損 また一つ評価に困る作品が出てきた。
殺人事件の余波で地上波で最終回が放送されないという波乱の中、シリーズが終了した「School Days」。この作品には「君が望む永遠」や「エルフェンリート」に共通するものを感じた。
決して目を逸らさせない力を持ちながら、何かが欠落した感覚。絶賛したい気分にさせられるのにできない。理論的に物語を構築しつつ、無理矢理にエモーションを引きずり出そうとしているような気持ち悪さ。
完成された名作が持つ最も重要な核が、これらの作品には欠損している。それでも無視できないのが困りものだ。
さて、問題の最終回。終盤壊れ続けた言葉が最終的に物語の幕を引くという結末は、個人的には腑に落ちた。ただ、内容はかなりテレビで放送しづらいもので、放送中止というのはむしろ、放送を回避する口実を得た結果だったのではないかとさえ思いたくなるものだった。9.29.
「らき☆すた」最終回 毎回違うネタを披露してきたエンディング、締めは「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」の主題歌「愛はブーメラン」だった。文化祭の準備を描いた最終回に相応しいエンディングだったが、本編にも一つ気になる所があった。
本番前夜にチアダンスの最後の通し稽古をする場面、体育館の時計が7時2分くらいを指している。
「ビューティフルドリーマー」のラストシーン、あたるがラムの寝顔を眺めている時に朝7時の鐘が鳴る。全編を通じて故障したまま針も無いままだった校舎の時計が、初めて時刻を示したのがこの場面。この場面からエンディングへと続き「愛はブーメラン」が流れ始める。エンドロールの背景に時刻を示す時計を戴いた校舎。遠景ではっきりとは読み取れないが、7時あたりを指していることは分かる。7時を指してから数分経っているので、そのくらいの時刻ということだろう。
体育館の時計の7時2分は、本番前日の夜になってようやくダンスの完成を見たという演出の一部だ。しかし7時2分という時刻を選んだのは、午前と午後の違いはあるものの、エンディングと併せた「ビューティフルドリーマー」へのオマージュという意図が含まれているのではないだろうか?9.19.
八重野撫子 「ななついろドロップス」の第一印象は「カードキャプターさくら」を強く連想させた。結局、物語としては大して似てはいなかったのだが、この印象の最大の要因であるヒロインの親友・撫子の存在は、見れば見るほど大道寺知世そのものだ。
それは物語の中での立ち位置もさることながら、親友に対する感情と精神的な成熟度が。この点において大道寺知世はかなり特異なキャラクターだった。小学生である知世とは年齢に差がある点を差し引いても、八重野撫子は充分精神的に大人だ。
「さくら」から10年、ここまで大道寺知世に肉迫したキャラはいなかった。興味深い。9.7.
「レ・ミゼラブル 少女コゼット」第27話 アニメーションは作り手が時間を制御し、受け取る側は制御できない。例えば泣ける感動的な場面があっても、そこに向かう感情の流れのタイミングが合わなければ、観ていて気持ち良く泣くことができなかったりする。
今回はある母娘の再会の話。その母親とコゼットが協会で出会う場面、その声がコゼットの亡き母と同じであることから、コゼットがこの女性と自分の母を重ね合わせることが予測できた。そしてその女性がコゼット自身と母の関係に似た状況にあることが分かり予測を追認した時点で、泣く準備ができる。あとは流れに任せるだけ。かなり早くそこに到達した。先走り気味だった気もするが、機を逸するよりは遥かに良い。
古典の底力に加えて、アニメだからできるキャストの演出。帰って来た名作劇場は、昔と変わらず地味ながら確かな力を持つ作品のようだ。7.9.
桃華月憚 えー…、この作品は一体どこに行きたいんですか?
5.8.
ジャベール→ルンゲ 「レ・ミゼラブル 少女コゼット」。原作が有名な名作にも拘らずそのストーリーをちゃんと知らず、いい機会と思って見始めた。1月に始まった本作も2ndクールに入り、物語も序盤を終えて次の段階に入った。
ここまでで気になるキャラがジャベール。ジャン・バルジャンを執拗に追うこの警察官を見ていると、「MONSTER」のルンゲを思い出す。有能にしてその執念深さは、ルンゲの原型がここにあったのではないかと思わせる。ジャベールはまだ常識的な人物だが、彼がルンゲのモデルだと考えれば、ジャベールを土台にしてそこに「MONSTER」の世界に必要な狂気を付け加えることによって、より切れ味鋭いキャラクターを造り上げたと解釈できる。
作品を知る順番が逆になったが、ルンゲを念頭に置いてジャベールを見るという楽しみ方もまた一興。4.29.
趣味:囲碁 「トップをねらえ!」の劇場公開版を観てみた。リニューアルされた音声面で最も印象的だったのはエンディング。もともと名場面だったラストシーンがグレードアップされたのはやはり嬉しいところ。
ところで、久しぶりに観てふと目に留まったシーンが一つ。太田コーチが病院のベッドの上で碁盤を開いていた。キャラクター紹介を見てみると趣味が囲碁となっている。19年前には気にも留めなかった何気ない描写に目が行ったのは、当時は知らなかった碁を知っている今だからと言えばそれまでだが。
自分が碁を覚えた契機は「ヒカルの碁」の存在。19年前には存在しなかったこの作品は、ご存知の通り原作の連載からアニメの放送に至り小学生を中心に人気を得た作品だが、まさにこの時期、太田コーチは小学生だった。となれば太田コーチが碁を知るきっかけになったのも「ヒカルの碁」だったと考えるのが自然だ。
全くつながりが無いはずの2つの作品がこんなところできれいにつながってしまった。4.6.
上二人下二人 「ひだまりスケッチ」の4人組は、1歳違いで年上2人と年下2人という構成。その4人を、先輩後輩という色を出さずに一見、同級生の仲良し4人組に見えるように水平に描く。「苺ましまろ」と全く同じである。
複数の主役級が並立する学園ものの場合、主役級は全員同じ学年にした方が何かと便利。「ひだまりスケッチ」は、舞台を学校に偏らせず日常生活全体を描くことで、学校を離れた場所で学年が異なるキャラを全員同じ舞台に上げている。これも「苺ましまろ」と同じ。
“同年代の仲良し”という水平な視線を基本的にしながら、場合によっては“姉と妹”のような上下の視線も使える。まだ5話しか観ていないが、この配置がうまく生きているように見える。
同い年と一歳違いが混在するこの配置、面白い。2.23.
「ネギま!?」#19 OP 180秒。
アバンタイトルも無く、本編内包型のフォーマット変更でもなく、純粋なオープニングのみで180秒。
通常は、不定形アバンタイトルの後に90秒のオープニング、そして本編A,Bパートとエンディング、最後にミニコーナー付き次回予告。構成自体は「ぱにぽにだっしゅ!」ほど奇抜なことはしていなかった。それがここにきてこんな面白いことを。
最近、90秒の枠内でいろいろ手を加えていたオープニングが、アバンタイトルを取っ払っての冒険。初めて見るケースだ。毎回同じ90秒を観るくらいなら、一度くらいはこういうことがあっていいと思った。いや、このシリーズは毎回同じ90秒ではなかったが。
オープニングを90秒増やした分、アバンを含む本編が減るわけだが、そこは、内容的に尺が余る時に、無理して引き延ばさずにこういう手を使えばいいということだ。
テレビアニメのフォーマットに一つ新手が登場した。2.9.
「地獄少女」(一) 最初は“ちょっと面白いアイデア”に過ぎなかったものが、シリーズ26話を通じて高みを目指し続け、遂には最初には思いも及ばない所まで行ってしまった。
最終回を観終わってこれほどの満足感を味わえるとは思ってもみなかったが、しかし、既にここまで来てしまうと、このうえ二籠はどこへ行けばいいのかという心配さえしてしまう。
このシリーズよりも高い期待と、若干の不安をもって二籠へと向かうとしよう。1.14.
「あさっての方向。」 物語も絵も、まじめにしっかりと出来ていた。最初から最後まで安心して堪能できた。全12話がこの作品にとって短かったとは思えないが、12話しか観られないというのは正直、残念。それくらい良い作品だった。
2007.1.6.
「Kanon」 「AIR」のテレビシリーズを消化不良気味に感じたのは、サブキャラの中途半端な描写が原因だった。1クールという短いシリーズでは各キャラを一人ずつ丁寧に描く時間がなく、メイン一人に絞ったのは仕方なかった。
今回の「Kanon」は2クールある。「AIR」でできなかったことができる。一人目から、これでもかというほどたっぷり時間をかけて描き切って、10話まで終わった。これなら2クール程度で間延びしている暇は無さそうだ。
中身が詰まった2クールになりそうだ。12.8.
「金色のコルダ」 女性向けの作品のわりに楽しめる。音楽を題材にしていることもあるが、キャラの人物造形が結構良くできている。今後、彼等がどう活きるのか楽しみ。そしてラストのミニコーナーも良いポイント。
ただ、エンディングはもっと本編の題材に相応しい曲が欲しかったところだが、こればかりは仕方ないか。11.19.
「双恋」 初めから名作にはなり得ないという前提のもとに観てみた作品ではあったが、それにしても序盤のあまりのヌルさには閉口しかけた。ところが。
シリーズ後半の想像を越えるしっかりした脚本によって、結果として佳作と呼ぶに十分なものになっていた。一番大事なところをしっかり押さえていれば、その他諸々の欠点は大した問題にはならないということを示してくれた。
ついでに、水橋かおりは少ない出番でしっかりツンデレキャラを完成させている。さすがだ。10.25.
「ネギま!?」 2番目のTVシリーズスタート。
紆余曲折のあった前シリーズとは異なるスタッフで作り直そうということなんだろうか。さすがに前シリーズのようなヌルさは無いようだが、全く別物にはなるべくもないというところか。
しかし、これ「ぱにぽにだっしゅ!」の続きを「ネギま」でやってるように見えるんですが。10.5.
「ハチミツとクローバー」 第1期26話をビデオで追いかけて、放送開始に何とか間に合わせて観始めた第2期12話。
はぐの事故を契機にその質を変容させていったように見えた今期だが、それは変化というより深化と言うべきものだったようだ。実質11本しかない第2期シリーズだが、この中に本作のクライマックスがあり、ここでこの作品の深さが表現されている。
コメディの隙間にその本質を織り込んでいた第1期。そこから笑いをそぎ落として本質だけが残ったような第2期だった。10.5.
「地獄少女」 面白いアイデアながら、あまりにネガティブな発想であり、これをどう料理するのかと思って観てみた。現在、第18話まで観たところでの手応えは。
基本的な構造をストレートになぞってしまうとネガティブな面が強調されるばかりで、序盤は非常に後味の悪いエピソードばかりだった。依頼を受ける時と実行する時の一連の段取りが長過ぎて間延びしてしまうことも手伝って、微妙な印象を受けるものばかり。
転換点が訪れたのは第12話。恨みを晴らすための行為が“恨みを晴らす”という枠を完全に逸脱することによって、驚くほど魅力的な物語に変身した。主人公・依頼者以外の第三者の投入によってストーリーに変化がもたらされたことも加え、求心力が飛躍的に増大した。
たまに定型パターンに立ち戻るとやはり微妙な出来になってしまうが、大半の話からは後味の悪さが払拭された。序盤からは想像できなかった良さが続出、特に「硝子ノ風景」などは名作と言いたいほどの出来。これなら定型手順を11話も守り続ける必要は無かった。
途中で諦めずに観続けてよかった。これなら最後まで期待できそうだ。8.9.
「ハウルの動く城」 ソフィーは十代の少女のような外見をしているが、声を聴く限り50歳くらいのおばさんにしか聴こえない。母親の方が声は若かった。一体、本当の年齢はいくつだったんだろう? 第一声からずっと違和感に苛まれて物語を楽しむどころじゃなかった。外見が老女の時はそれほどでは無かったが。
ハウルがどんな言葉を口にしても何も動かされない。台詞の言い回しに違和感があったせいなのか、声優が下手だったのか、あるいはその両方か。
話は良かったと思う。もし、物語に入り込むことができたら楽しめただろう。ミスキャストのせいでそれは無理な注文だが。7.27.
「ゼーガペイン」の文法 先週死んだヒロインが今週、予想通り復活した。なぜ予想通りなのかと言うと、ヒロインを殺すための手続きを踏んでないように見えたからだ。
ノンフィクションであれば、どんな荒唐無稽な展開もそれが事実に基づいていれば成立する。しかしフィクションの場合、その受け取り手がそれを成立した物語として受け取って初めて成立する。つまり、読者を納得させる手順、文法が必要になる。
特に、重要な登場人物の死という重大なファクターには必ずその目的があり、そこに到る文法はその目的を達成するための準備という意味も帯びる。それは、人の命という概念に特殊な意味合いを持たせているゼーガペインであっても例外ではないはず。
そういう見方をした時、先週の終わり方にはヒロインの死に必要な準備が欠けていた。従ってヒロインは死んでないという結論になった。
とても興味深いテーマを扱った作品ながら、諸手を挙げて歓迎するまでにはなれずに1クールを観てきた。しかし、この作品がちゃんと文法を守って見せてくれることが分かった。この先への期待を気持ち良く膨らますことが、今、できる。7.7.
非メガネ属性を自覚した日 「涼宮ハルヒの憂鬱」の無口キャラ・長門有希。思い起こせばメガネをかけた長門、メガネをかけてない長門、どちらも記憶にある。だが、ただそれだけのことだった。
メガネっ娘萌えな諸兄ならばこのキャラに反応し、そしてメガネをかけている時とかけていない時があることに引っかかり、そこから放送順と物語の順番のからくりに思いを到らせ、最終的に物語のある時期を境にメガネをかけなくなっていることに気付いたことだろう。
その“ある時期”が第4話(放送上の第10話)だったわけだ。その話を観るまで全くこのことを気にしていなかった。自分にはメガネ属性が無いことが今、分かった。6.22.
「ふしぎ星のふたご姫Gyu!」 2年目に入って全く新しい話が始まった。しかし、何かが足りない感じは変わらない。
1年間引っ張るには舞台装置が貧弱。かつて「セーラームーン」が、一つの物語に必要な骨格の間を、あってもなくてもいいエピソードで埋めて1年間に引き延ばしたのに似た感覚だ。
長いシリーズ作品が陥りやすい点であり、何らかの工夫が必要だと思う。このままの状態を続けて間延びした印象を与えてしまうことは避けてほしい。6.13.
「涼宮ハルヒの憂鬱」全14話 第9話「サムデイ イン ザ レイン」。第9話というのは放送された順番で、状況から見て物語上はこれが最後に位置するエピソードとなるようだ。
このテレビシリーズは全14話だが、物語の順番を入れ替えて放送している。例えば第1回目は、インパクト最優先で、最も“最初にこの話を見てもわけが分からない”だろうと思われるエピソードを敢えて持って来た。それだけではなく、よく読めばシリーズ全体のガイドとなる情報を盛り込んでもいる。
そして前半を見てきて、順番を入れ替える目的の一つに、物語前半に位置する最大の山場を最後に持ってくることで、テレビ放送版は派手に締めくくろうということがあると考えている。
そんなわけで最後の話が前倒しで今週の放送となったわけだが、今回がおそらく、最も静かで穏やかな時間の流れを描いた話であろう。破天荒なこの作品の最後としては、祭りの後の寂しさ的な効果が出ていて、実際にこれを最後に持って来たとしても良い最終回になっただろう。
それと同時に、山場を最後に持って来た演出が成功することも予想できる。ハルヒがキョンに抱くことになった感情を先に十分描くことで、そこに至る過程として山場を楽しむことも含めて。6.4.
「妖逆門」ED 「妖逆門」という新番組が始まった。“ばけぎゃもん”と読むそうです。バックギャモンの当て字ですな。内容は今のところどうでもいいんだが(失礼)、エンディング曲がヘン。メチャクチャ気になる。本編観ずにいきなりエンディングをチェックしそうな勢いで気になる。このエンディングが無ければ1話で切ってたところなのに、これが気になってやめられない。
…で、このエンディングを歌ってる“きみどり”ちゃんはいつ本編に登場するの?4.10.
「蟲師」 第16話「暁の蛇」第18話「山抱く衣」と、じわっと滲みる話がきた。
スタート当初から興味深い作品だったが、正直、ここまでのものだとは思ってなかった。シリーズ前半に抱いた緩い期待を遥かに超えて、名作の領域へと足を踏み入れつつある。
最後まで目が離せない。3.11.
「みちしるべ」 「かしまし」のエンディング曲は、もう“地味に良い曲”どころではなくなってきた。早くもアレンジやキャラクターボイス版等、小技を効かせてその力を発揮している。問題は、作品本編をこの好曲で支えるだけの価値があるものにできるかどうか。
さてその本編、第八話。
最初から舞台の上にいた子、舞台に上がる決意を固めた子、舞台に上がる意思のない子。“3人”とは実はこの3人のことだったのか?3.8.
「ふしぎ星のふたご姫」 1年間の締めくくりの時期が近付いている。物語もラストに向かっているのは分かるんだが、なにか迷走気味に見えるのは気のせいだろうか? 最後の収め方が見えるような見えないような微妙な違和感。この番組のスタンスが理解しきれてないだけだろうか?
2.14.
「かしまし」 あの、あかほりさとるが関わる作品だけに、まともに付き合えるモノなのかどうか、その判断が慎重にならざるを得なかったが、難点は担任教師のキャラくらいで、どうやら期待してもよさそうだ。第4話まで観てゴーサインを出すことができた。
さて、エンディングが地味に良い曲。イントロを聴いていて「フルーツバスケット」の挿入歌「セレナーデ」を思い出した。2006.2.8.
「Legend of phoenix」 各所から聞こえてくる絶賛の声に、期待を過剰に膨らませないよう注意しながら発売を待っていたが、どうやら杞憂だった。少なくともカレイドスターを知る者の期待は裏切らない作品だ。
一番大事なところは決して間違わない。カレイドスターが王道を走る作品であることを確認させてくれた。
テレビシリーズのそらがそうであったように、主人公とそれ以外のキャラでは人物像の掘り下げ方が違う。主人公だからここまで掘り下げるという水準がある。シリーズにおいて主人公・そらと双璧と言えるまでに大きな存在になったレイラを、主人公並みの水準まで掘り下げるために作られたエピソード。レイラ・ハミルトンは真の意味でこの作品の主人公だった。12.25.
「マリア様がみてる」(TVシリーズ)総括 気が付けばかなり時間が経ってしまったが、放っておくわけにはいかないのでここで書いておく。
「マリア様がみてる」は1クールのTVシリーズが2回作られた。私が放送に気付いて観始めたのは第2シリーズの第2話から。最初のシリーズを観ていれば、いや、観ていなくても、第1話から観ていれば、ある程度は人間関係を把握でき、正当な評価をすることができたはず。それができなかったばかりに不当な評価をしてしまったことは反省点だが、最初のシリーズが福岡で放送されたのかどうかは未だに知らない。
さて、2つのシリーズ合わせて全26話を観た上で改めて感じたことは。
この作品には多くの登場人物とその関係が並立する。そしてそれぞれの人物像・人間関係が並行して少しずつ紡がれていく。一つのエピソードで一つの人間関係にスポットを当てつつも、他の複数の人間関係も少しずつ動かし、エピソードを重ねてそれぞれのラインを作り上げていく。複数の道を一つにまとめて架かる橋のように作品が成り立っている。
この作品の最大の特徴は、そのテンポの遅さ。大袈裟に言えば、他のアニメが1話でやることを2話に分けるくらいにスローペース。複数のラインを同時進行させていることも一因かも知れないが、映像的にも動きの少ない場面が多く、下手をすれば何も起こらない時間が延々と流れるように見えかねない。
しかし、このスローペースが「マリア様」の独特の雰囲気を作っている。この作品がこの作品であるためには、決してペースを上げてはいけないことは観れば分かる。他のアニメがどんどんペースを上げる中で、これだけのスローペースで成功させてしまった希有な作品だ。
“複数の道を一つにまとめた”と書いたが、それぞれが独立した1本の線ではない。登場人物が全て同性であることで、縦・横・斜めに縦横無尽な人間関係を作ることができている。数本の主要ラインを縦軸に、それぞれがそれぞれのレベルで横の繋がりを持ち、異なるレベルの斜めの繋がりも絡めて一体化している。ゆっくりと進行する状況の全体像が把握できた時、初めてその奥行きを知ることができる。
ただ、一つ。この作品は2期26話のテレビシリーズでは完結していない。第2期最後の3話を使ったエピソードも、最終回として作ったものではなく、物語の中の一部に過ぎない。この作品がアニメの形で完結にたどり着けるかどうか、まだ先は見えない。とりあえずは、この先に続く第3シリーズを見届けることとしよう。12.9.
残酷な対比 「エウレカセブン」が、先週、今週と続けて主題歌を本編のBGMに使った。先週は初代を、今週は現在使用中の3代目をOPでは使わずに。
主題歌を本編内で使って効果を発揮するのは、主題歌が主題歌としての役割を果たしている場合だけ。主題歌としての価値を誰にも認められていない3代目を使っても、何の役にも立たないことが実証された。先週、きれいにシーンとシンクロして初代主題歌の価値を再確認させてくれた直後だけに、この2つの主題歌の価値の差が見事に浮き彫りにされてしまった。
今週はOPをカットして本編が90秒拡大された。あのOPを使わなかった判断は正しいが、第3クールの残り1か月はどう処理するんだろうか。12.4.
規制 テレビで放送する番組には当然、映像表現上の規制がある。ただ、それぞれが自主的に基準を設けているので、実際の規制のされ方はまちまち。ところによっては、例えば女の子のパンツは見せちゃだめみたいな具体的なものがあったりして、同じ事がこっちではだめだけどあっちではOKということもある。
さて、このような具体的な規制がある場合、逆にこれに触れさえしなければいいという作り方が出てくる。いかにして規制を躱すかと考えて表現を工夫する。見せていい部分を可能な限り見せながら、同時に見せてはいけない部分をいかに自然に隠すか。そんな工夫の一方で、その規制を受けない場所では当然それを見せている。
一方が工夫をしてるのに、他方は何の工夫も無くそれを見せていたのでは、観ている方からすれば、見せるために見せているようにしか見えなくなる。すると、見せる方も見せ方に工夫が求められるようになってくる。いかにして“見せている”と感じさせずに見せるか。見せる必要の無いところでは見せない潔さも時に必要だろう。
こうして、隠し方も進歩し見せ方も進歩する。どちらがどんな心理的影響を持つのかというのはまた別の話だが、これもまた、映像表現の進歩の一端なのかもなと思ってみたりする。12.1.
「エウレカセブン」新OP 後半がスタートしたエウレカセブン、1クール毎に入れ替えてるOPとEDは3代目に変わった。
OPの絵が壊れてます。「創聖のアクエリオン」の夢話並の顔をしたキャラが飛び交ってます。本編よりOPの方が絵がひどいなんてあり得ません。どうしちゃったんですか。早急に対策を取って下さい。お願いですから。10.24.
田菜 「絶対少年」の前半の舞台である田菜という町。その風景や地理の緻密な描写は、作品世界を支える土台として見事に機能した。
その田菜の場所だが、内陸の盆地ということ等から勝手に長野あたりを想像していた。しかし、今週の放送で“伊豆”という地名が出てきたので調べてみて、全く意外な場所にモデルとなった場所があることを知った。その場所とは丹那。伊豆半島の付け根、JR東海道本線の丹那トンネル(あるいは東海道新幹線の新丹那トンネル)の丹那だ。
丹那は横浜から地理的にそんなに遠い場所ではない。オカカ婆が横浜の逢沢宅にに現れたというのも、猫にとっては途方もなく長い道のりではあるが、そんなに荒唐無稽な話でもないということなる。
そして丹那は、単に地理的なモデルというだけでなく、猫踊り等、そこに暮らす人を含めた町そのものが田菜という架空の土地のリアリティを支えているようだ。10.2.
エルフェンリート とても興味深い物語だし、演出もうまいと思う。しかし若干、サービスを狙い過ぎた部分と、脇役の作画面での演技のアラが目に付いた。
ストーリーに引き込まれて行こうとするところで、少し引かされてしまう。これだけ物語に力があるだけに、もっと細かいところまで丁寧に描いて完成度を高めてくれれば、名作と呼べた作品なのに。
涙を誘うストーリーなのに、実際には涙を流させない不完全さが惜しい。だが、一度観ておいて損は無い作品ではある。知らずに置かずに済んで良かった。9.4.
ココロ図書館 前から気になっていたが、やっと観ることができた。2001年だから、もう4年前の作品になる。
予想外に、あくまでも人畜無害で子供向けの印象がある作品だった。キャラデザインや演出次第で「マリア様がみてる」のような、独特の雰囲気を持った佳作になる可能性があったように見えるのが惜しいが、これはこれで良い作品だった。
週末の午前中に1年くらいのスパンで放送していい作品だったのではないだろうか。少なくとも1クールだけの深夜番組には見えなかった。8.29.
「苺ましまろ」第1話 全体としては前評判通りの良い雰囲気を持った佳作という印象。にも拘らず、いきなり喫煙ネタ。この作品の雰囲気に煙草は極めて似合わないと思えるのだが、それは勘違いだろうか? ひょっとして大甘のデコレーションで猛毒をお見舞いするのがこの作品の趣旨?
8.7.
第3話まで どうやら毒を含んでいることは間違いないようだが、薄めて笑いに昇華させるなど、その使い方は面白いかも知れない。
それにしても、4人のキャラクターが実にきれいに差別化できている。期待してよさそうだ。8.19.
史上最悪 これほどひどいオープニングは初めて見た。
「機動戦士ガンダムSEED Destiny」のオープニング曲が変わった。まるで、全く関係ない音楽をBGMにしてオープニング映像を観ているような感覚。まあ、映像は変わってないわけだからそれも当然なのだが。
作品の主題歌を作ろうという気が無いのは分かっているが、映像と音楽の関係をどう考えているのだろう? 仮に作品を離れてビデオクリップだと考えてみても、どうしようもない駄作と言わざるを得ない。
オープニングを新曲プロモーション枠に使うこと自体は否定しないが、作品と無関係な音楽をオープニングで流す理由などどこにもない。こんなことをするくらいならオープニング自体不要。枠があることを前提にものを考えるのは大きな間違いと知るべし。7.9.
そしてファンは当然のように、ずっと作品を支えてきた音を支持した。
8.14.
「英國戀物語エマ」終了 積極的に新しい道を切り開く終わり方ができるかどうか。最終回はそこが焦点だった。その可能性が低いことは分かっていたが、案の定、時代の中に消えていく結末だった。
正直、物足りなさは残るが、この作品はこの終わり方でなければならなかったとも思える。
良い作品もそれぞれ。7.3.
「まほらば」終了 途中から、ただの安心して笑って楽しめる作品になってしまってたが、最終的にはそれなりに破綻なく統一性障害を描写できていた。最終回は各人格の記憶が繋がって、統合への道筋も示されてめでたしめでたし。
とは言え、全体としては、難しいことを考えずに楽しめる作品として良い作品だった。7.2.
「絶対少年」 新番組2話、依然として謎だらけのまま話は進行中。
しかし、とにかく絵が丁寧。「マ王」と違ってNHKらしい質の高さを持っている。これだけ丁寧に映像を描いてくれると、ずっと付き合って行こうと思える。そしてそこに描かれている世界の構造が非常に堅固。この先に描こうとしている何かがあることを確信させる。
それをこの目で確かめるため、最後までこの作品を見届けよう。最初の2話でそう思わせた作品。5.28.
ステラ 「ガンダムSEED」の話。2か月前に“ステラはその命をシンのために使う”と書いたが、違ってたようだ。どうやら正解は“シンがステラを殺す”か。しかも上の人間の思惑に踊らされて。
二人がそれぞれどんな気持ちでその時を迎えるか。答えは今週。5.24.
「メジャー」終了 テレビシリーズが最終回を迎えた。原作の良さをそのまま生かした佳作だっただけに、NHKでありながらたった半年で終了してしまったのは残念。
原作は野茂英雄がメジャーリーグに渡ったその年に始まり、現在も続く少年サンデー史上最長連載。ようやく主人公がプロ入りし、メジャーリーグの扉を開いたところだ。
これだけの原作をアニメ化するからには、それなりの覚悟を持ってしてほしかったし、期待していた。しかし、半年で小学生編を描いたところで終了。原作では、主人公が福岡で肩を壊した中学時代は描かれず、横浜に戻って高校生編へと続いた。テレビで長期シリーズをやるなら、間を置くのはここしかない。続編があることを期待していいのだろうか?
「いつか必ず帰って来るから」
これは視聴者へのメッセージと受け取っていいんですか?5.23.
「ふしぎ星のふたご姫」 佐藤順一作品の完成度の高さは相変わらず。安心して観られると言った感じ。プロの仕事。
土曜午前と日曜午前に並び立ち、ターゲット層も重なる「マイメロディ」と比べるとその差が歴然。お互いを比べることで「ふたご姫」の良さと「マイメロディ」の悪さが理解できる。キャラクターやシナリオが薄っぺらで、いろんな意味で中途半端な「マイメロディ」は、有名なキャラクターを持っていても成功しない例の一つになるだろう。
物語で人物を描くことは、それを描く人間がその人物をどれだけ深く理解しているかにかかっている。その差が現れているように見える。
しかし総監督、今年1年は「ケロロ軍曹」と掛け持ちですか。ほんと、よく働く人だ。5.15.
「極上生徒会」第4話 作品の質が大したことはなくても、その中のエピソードが作品自体の水準を超えて突出することは可能なのだ。一つの作品に関わっている多くのスタッフの中から、一つのエピソードを突出させる人間が出てくることがある。そんなことを感じた。
そして、その突出したエピソードが作品全体の水準を底上げすることも、場合によってはあるんじゃないだろうか。
観ていて楽しいがそれほど高くは評価できない作品。第一印象はその程度だった。が、この評価は一時保留せざるを得ない。この作品、ひょっとすると化けるかも。5.4.
「英國戀物語エマ」 階級社会が健在だった時代のイギリスを舞台にして、落ち着いた雰囲気を演出しているこの作品、一つ一つの描写まで非常に落ち着いている。
第二章、ふとしたことで暗い気分になった主人公が、彼と二人のひと時で元気を取り戻す。このシーン、気を利かせて二人の時間を作った彼女の主人(夫ではない)が、帰ってきた彼女の声を聴いて、その明るい雰囲気を読み取って微笑むという描写。
この前後の主人公の声のトーンの微妙な差から、気分が晴れたことが伝わってくる。しかし決して大げさな表現をすることなく、微妙な雰囲気の違いが分かる範囲に抑えつつも、しっかりそれを伝えている。そしてそれを受けて、その声を聴いた主人が思惑が上手くいったことを知る表現も、目線を移すことなくこちらも微妙な微笑みだけ。
主人公の抑制の利いた台詞の表現があって初めて、受ける側の抑制された描写が成立する。主役に微妙な表現を要求するこのシーンだが、主人公役の冬馬由美の好演により見事に成立している。
このような抑制された表現を丁寧に積み重ねることによって、この作品の雰囲気が形成されている。これだけのことをしようと思ったら、絵にも音にも手抜きが許されないだろう。よくここまで大変なことをやっている。上質と形容したい作品だ。4.12.
角田信朗→小川直也 「ケロロ軍曹」の2年目がスタート。
1年目のOPの角田信朗に続き、2年目のEDに小川直也が登場した。のはいいけど、インパクトがかなり負けてる。小川直也、薄いなーって言うか、角田信朗ってやっぱり濃かったんだ。2005.4.1.