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| 心の纏足 | ||||||||||||||||
| 新しい個人主義 | 個人主義 | |||||||||||||||
| 現代社会の誤り | ||||||||||||||||
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現代の社会体制の各種過ち
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| 専制主義・全体主義・社会主義・軍国主義・封建主義、共産主義等々人類は様々な国家体制を試行し、そこから生ずる弊害に人々は苦しんでようやく到達したのが、民主主義を土台にした自由主義である。 | ||||||||||||||||
| しかしこれとて完全ではない。現に様々な弊害が現れている。重大な誤りを次のように絞って | ||||||||||||||||
| 1. 多数決の誤り | ||||||||||||||||
| 2. 競争の原理の誤り | ||||||||||||||||
| 3. 個人主義の誤り | ||||||||||||||||
| 4. 豊かさの認識の誤り | ||||||||||||||||
| ここでその弊害を明らかにし、よりよい人間社会を作る手がかりにしたい | ||||||||||||||||
| 1、民主主義の根幹に多数決原理を乱用している誤り | ||||||||||||||||
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世論とは、きわめて流動的で情緒的で、慣習による表面的判断で形成されている。民主主義を衆愚主義と呼んだのもこの辺を視野にいれて表現しているのであろう。
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| 深い洞察や、鋭い考察から生まれる意見、或いは斬新な意見は常に少数派に属す。しかし、この種の意見には真の道理を示しているものが少なくない。 | ||||||||||||||||
| 真理が常に多数の人々に支持されるために、次のように基本になる提案とそれに到るまでの方法の私案を記してみよう。 | ||||||||||||||||
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1-1 基 本 の 提 案 多数決の質を高めるために
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| (1)提案の主旨内容の十分周知する。 | ||||||||||||||||
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(2)その提案に対する賛否両論を網羅する
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出てきた意見に対する評価を出来るだけ色々な立場の人に(ジャーナリスト・学者・各職域・主婦・老人・学生等々)してもらう
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・ 今やネットの時代だ、KJ法をネットでやれば討議できるように集約するのはそう難しくないと思う
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(3)その評価を世論が評価する
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以上の手続きを経た上で採決をする
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これだけの手続きをするためには従来の手法では多くの時間が必要で事が進まなくなる。
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そこで考え出されたのが代議員制度であろうが、少なくともいまの国会議員は使い物にならない。理由は、彼らは金と票と派閥に縛られ到底真理追究の発言をできるような立場にいないからである。
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国会だけでなく代議員制度を採っている色々な組織には似たような現象が存在することは想像に難くない。
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1-2 代表の選出
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なぜこのようなことが起きるのか。それは選ぶほうの質が悪いからである。選ぶほうの質を低下させているのは多数決の運用の誤りがあるからである。
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その辺を詳しく述べると次のようになる。
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1. どんな状況で在ろうと採決で多数であればその案は成立する。
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これは、数の暴力以外の何物でもない。数さえ多ければ事が通る。 だから、何が何でも数を集める必要がある。そこで金も動くし、利権も絡む。保身や名誉欲も餌となる。
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つまり、真理が・道理が多数になるような手続きが行われていないのである。
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2. 選ぶほうの実態を見ると、本当に国家のために、国民のために物を考える人を選んでいる人は少数派で、自己利益導入に力を貸す人・義理や人情に縛られたり金に釣られたり、もっとも不埒なのは芝居が上手いからとか、毒舌を吐くのが上手いからとかの人気者を選んだりする。こんなのが多いのはお互い実感しているはずである。
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こんな選び方で選出した人々が本当に社会の為に物を考えるられるはずが無い。
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3. 選ばれる人も猫をかぶろうが、化けの皮をかぶろうが、機関銃のように実弾を撃ちまくろうが、パフォーマンスで人気を集めようが、利益導入の空約束をしようが、とにかく票を集めないと事が始まらないので、手段を選ばなくなる。そのためには莫大も無い金が要る。収賄・贈賄の温床にもなるわけだ。
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これらを改善するためにまず選ばれる方について述べてみよう。
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1. 国・地方を問わず政治に参画したい者はしかるべき機関に登録する
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・ 登録者は自分の履歴、業績を詳しく公表する
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・ 最近 1年以上の行動記録を金・物・人について記入して保管する
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これは、立候補したとき開示しなければならない。もちろんプライバシーの面で公表したくないものは記入の必要は無い
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しかし、公表できない事が多すぎる人は選挙民が疑問視することになるだろう。
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2. 登録に際してはしかるべき機関は資格審査をし、過去5年間に違法行為や政治家としてふさわしくない行跡が無いものに限り登録を受理する。
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3. 以上の資料は、自治体に保管し住民は何時でも縦覧出来る様にしておく。
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選ぶほうも最低限の見識を持たなければならない。この見識の有無を見極めるのは非常に困難であるが、一定の教育を義務付ける事である程度解決すると考える。その一定の教育の方法について次のように提案する。
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成人に達する前1年間は特例を除いて、国民すべて公民部隊(仮称)に入隊させる。徴兵制を敷いている国もあるのであるから不可能とは考えない。但し活動内容は兵役とは全く違い次のようなものになる。
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・ ボランテアを体験し社会の現実を知る(職業訓練)
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・ 災害時に対応できる実地訓練をする。実際に災害が起きたときは救助・復興の要員に編入される。(危機対応訓練)
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・ 育児・家事・家族・地域社会について実習を通して学習する。(選挙権行使・公民活動も含む人間社会の学習)
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・ 団体生活を通して基本的な生活習慣と常識を身につける。(遵法精神・自己管理・礼儀・作法の体得)
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この隊は10名程度を単位とし部隊は300名以下で編成する。隊舎は出切るだけ自然の多い場所に作り全国平均に分布させる。
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このような提案をする訳は、家庭、地域の教育力低下を補う目的と、明治以来怠ってきた公民教育の充実を目指すのが急務と考えたからである。
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この中で多数決の正しい有り方も教育できるし、議員選択の視点も体得させられる。
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前記特例を除いてと記したが、その特例に該当するのは障害の有る人の扱いである。
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身体障害者については障害の実態に即して義務免除或いは補助器具・補助施設の貸与、設置をすれば良い。
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問題は知的障害者である。この人達は一般の人と違う文化の持ち主で一般的判断を求めるのは酷である。親は人情から出来るだけ一般人と同じように扱ってもらいたいと願う。人々も人道的立場から出来るだけ一般人として扱うことを建前としている。
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しかし、これらの人々を一般人の座標軸の上に位置づけることの出来ない異文化が有る。もちろん知的障害者の中にも一般人の座標軸の上で特異なだけの人もいる。これは知的障害の研究が未熟の結果で、本来ダウン症や、自閉症と区別しなければならない。
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このことは項を改めて説くことにし、今のところ知的障害者は公民隊入隊免除とし公民権行使は後見人と相談の上行使できることにする
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次に特例に該当するのが精神障害者である。精神障害者は一般人の座標軸の上で病状を呈しているだけであるから、担当医師の判断で免除の可否を決定すれば良い。猶予・試験入隊・条件入隊等のランク付けは有っても良いと思う。
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戦時中の統制に懲り、また、しきたりの重圧からの開放を望む余り、日本人を全く野放しにし理性より野生をの時代を作り出してしまった
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結論は、良識のある人間が多数無ければ多数決は凶器にさえなる。現在の日本では欲盲、快楽盲、競争狂等々良識から外れているのが多数を占めている。
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良識ある人を、良識の有る人達が選んでこそ多数決による政治が正常に行われる。
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一日でも早く良識有る日本人を育成する手立てを打つ必要がある。
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2 競争の原理の乱用が日本人を狂わせた
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地域社会の連帯意識は失われ、親子の断絶が到るところに見られ、世代間の交流は職場にのみしか存在しなくなり日本人は自分の祖国の文化を認識しなくなった。今の日本人は、糸の切れた風船のようにあてども無く漂っている。
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このような国民を作り出した元凶は何か。私は第一に競争原理の乱用に有ると思う。。
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2-1 競争の乱用に最も毒されたのが教育である。
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本来豊かな人間性を育てるべき義務教育でさえ、あらゆる場面に競争を採り入れ勝つことを至上の価値として疑わない。
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こんな単細胞的価値観で教育された子供達は人間らしくなれるはずが無い。
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現に、隣に座っているのは皆競争相手である。つまり、敵なのだと言いきった生徒がいる。この考えが大人になっても続くのだから恐ろしい。
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ゆっくりであるが正確に学習している子供、優れたアイデアで学習に取り組む子供、卓越した感性で物事を表現できる子供、体力と行動力で自己実現を目指す子供等々子供の個性は多様である。反社会的ない限り個性として評価すべきだ。
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もちろん現代社会生活をしていく上の最低必要知識・技能は身に付けておかなければならないものであるが、良く考えると必要最低の知識・技能などは、小学校6年までの教育内容で十分でないかと思う。それ以上は、個性に合う教育、職業としての教育、等その人間が受ける教育は個性的で差し支えないのでないかと思う。
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したがって、進学予備校化している中学校・高等学校の内容、形態は抜本的に見直す必要がある。受験などと言う不必要な競争をしなくとも良い、教育本来の豊かな人間育成、役立つ職業人としての素地を養うことに時間が使えるような形態にすべきである。
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話しが少々脱線するが、普通高校という呼び方があるが受験生の学ぶ高校が普通で職業を学ぶ高校は普通でないというのか?
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話しが横道に反れたので競争の話しに戻す。
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こんな話しを聞いたことが有る。運動会の徒競走で着順を付けないというのだ。一見競争を止めたように見えるかもしれないが、これこそ競争にこだわった発想で1位2位の順番にこだわるので着順を明らかにしないことになる。走ることが1位なので人間として1位と言う意味ではない。おおらかに走ることはあの子が1位と認めれば良いではないか。
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日本人は人間評価の視点が少なすぎる。また、偉い人、立派な人、良い人、優れた人など人間評価の具体的像が実に曖昧である。
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競争と、威嚇と、規則だけしかない学校教育を一日も早く改善しないと日本人は変になる。
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教育は個人に成立しなければならない。集団教育は方法でしかない。従って個人内比較はあっても競争はありえない。現在の学校は集団の管理を教育の目標の如く錯覚している。
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教育は徹底して個人の目標達成に徹すべきである。
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2-2 競争の原理で人間味を失った経済産業界
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速く、大量に、安くを目標値として効率的な利益追求に明け暮れる産業界は激烈な競争を強いられた。
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その結果人間性など全く無視している事に気づこうともしない状況である。。
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もちろんこの副産物として高速交通網、高速通信網、物資の大量輸送手段の発達等をもたらしたことは否定できない。
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しかし、このような状況が庶民に本当の幸福をもたらしているのか考え直す時が来ているのでないかと思う。
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その1 押入の中が結露でびっしょり濡れる住宅
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最近1坪単価が20万円前後の建て売り住宅が方々に建っている。しかも着工から3ヶ月足らずで出来上がる。
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従来の日本家屋の工法では不可能な単価と工期である。単純に安く早くのニーズに対応したものだ。この工法は外国の工法で建てられたものが多く湿気に対する配慮は0に近い。この工法の発祥の地は梅雨などは全く存在しない、しかも地震も歴史的レベルでしか発生しないところで生み出された工法なのである。
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この種の家を購入した人は、前記の結露対策、夏の暑さ対策に頭を悩まさなければならなくなる。結果として、除湿器、クーラー等不必要な電力消費を余儀なくされる。また、直下型地震のように周期の極めて短い揺れに対しての強度は大丈夫なのだろうか。接着剤多用の工法は一度剥離したら釘やほぞによる工法のように修理が簡単ではない。
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こんな家を提供している会社は、飢餓に瀕している人間なら乾パンでも食らいつくのに付け込んでいるようなもので、日本の風土の中で快適な家を提供するという発想より、客の知識不足に付け込んで張りぼてにも近い商品をうりこんでいる。つまり、売れれば何でも良いという発想だ。
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勿論金がない、でも家がいる。何でも良いからまず住むところが早く欲しいという人には工期3ヶ月の糊付けの家はうってつけかもしれない。
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でも、それほど急いではいない、出来ればしっかりした家が欲しいという人の中にも外見のモダンさや宣伝の美辞麗句に乗せられて、坪20万円に手を出している人がいる。
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新建材信仰、新工法信仰、安さ信仰、速さ信仰にとりつかれ自分の住む土地の地形、気候、地盤等との条件を無視しはめられているのだ。 この悲劇も速く、大量に(大量は単価の引き下げに通じる)、安くの結果もたらされたものである。
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その2
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東京まで2時間半。東京までの日帰りは常識になった。
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私は新潟市近郊に住んでいる。かっては上野まで7〜8時間はかかった。夜行列車で行き上野へ未明に着く。駅の食堂で朝粥を食べ、その日に用を足して、夜行で帰ってくる。当時としては驚くほどの早業であった。
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普通の人は、こんな過酷な旅はしなかった。午前中の列車に駅弁を持って乗り込み同席の人と四方山話をし、駅弁を味わい、夕方上野に着き、一泊、翌日用を足して、また一泊。その翌日車窓の風景を楽しみながら車中で弁当を買い(或いは高崎あたりでだるま弁当を買い)ゆっくりと味わいながら車窓の風景を話題にし、夕方新潟に着く。これが普通の東京往復であった。
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時間のある人、年寄りは今でもこの方が良いと思っている人も多いと思う。ところが在来線は、新潟〜東京間の直通列車が無くなり1〜2回は乗り換えしないと東京まで行けなくなった。これでは年寄りは勿論いくら時間のある人でも煩わしい。無理矢理新幹線を利用するように仕向けているとしか思えない。
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つまり、特急券や座席指定の料金を無理矢理払わされるわけだ。おまけに上越新幹線は目隠し付き高架とトンネルの連続で風景など楽しんでいられない。第一2時間半では同席の人とうち解けるゆとりなどまるで無い。
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急ぐ商社マンや役人には理想的かもしれないが。田舎のおじいさんやおばあさんが東京の孫に会いに行くときなどは苦痛の2時間半になる。おじいさんやおばあさんは駅弁を食べ車窓の景色を楽しみ孫に話すネタを仕入れ、ゆっくりと8時間かけて東京に着く方がよっぽど楽しいのである。
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また、風景を眺めながらの帰郷や、5分停車などという時間があればホームに降り立ち石打だの渋川だの普段用のない駅近くの雰囲気も味わえる。このような経験のあるなしでは郷里への認識の濃さが違ってくる。
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高速鉄道にのみ目を向け、ローカル線または在来線を軽視する考え方は採算至上主義で、精神文化の価値を認めることの出来ない経済蛮人の発想である。
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経済蛮人は、人間性の喪失につながろうが、環境を痛めつけようが、儲かればなんだってする。
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やってはならないこと。競争してはならないことがあることを産業・経済に携わる人は弁えなければならない。
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その3
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大量に、速く、安くの先端形態に量販店がある。そのひとつホームセンターを例に考えてみよう。
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ホームセンターに働いている人を見ると若干の社員と多くのパート或いはアルバイトだ。ある時木工工具売り場で溝切り鉋を探したが見当たらない。近くにいた店員に「溝切り鉋はどこにあるか」と聞くと、こちらへどうぞと慇懃に案内した。そこには平鉋の様々なサイズが置いてあるだけだ。「溝切り鉋をさがしているのだ」というと鉋はこれだけだという。そこで図を描いて説明すると、少々お待ちくださいと言って長々待たせていたが、少しは物の分かりそうなのが現れた。再度溝切り鉋は無いか訪ねると、そういう特殊な物は専門店でないと扱っていないという。
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この町にも大工道具を中心に扱っていた金物屋はあった。そこを潰したのはお前のところなんだぞ。今では何十キロも遠くの町まで行かないと大工道具の専門店なぞ無い。本職なら仕方なしにどこまでも出かけていって買ってくるだろうが、私のように日曜大工はそこまでやれない。第一この一寸物のわかりそうな男も溝きり鉋をよく分かっていない形跡がある。
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かっては***金物店に行くと私のような生兵法の客にも親切に説明し適切な物を選んでもらえた。私などはこの主人に教えてもらって日曜大工の腕を上げたと思っている。
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このホームセンターにはそういう人物はいない。客よりも知識を持たないアルバイトと万能にはなれない社員がいるだけで、ゆっくり話し込んで品定めをし、色々教えてもらいながら自分に適した物を選ぶなどと言うことは不可能になってきている。
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結局カタログで探してみましょうかということになったが半端な知識の私が現物を見ないで注文してもぴったりの物を選ぶことは出来ないだろうと諦めるしかなかった。
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こうした量販店は一般的な物を買うにはとても便利であるが一寸した専門的な物や上質な物を買えないのである。
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町の専門店だって一般的な物を売らなければ商売は成り立たない。ところがその一般的な物は量販店に客を取られてしまうので結局は閉店する。少しマニアックな要求に応えてくれる楽しい店はどんどん無くなっている。
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客もまた、物さえ買えれば一言も口を利かなくとも不思議に思わない時代なのだ。人間が機械化してしまっている。
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そういう客は、パッケージやキャッチコピーに誤魔化されていることが多く、売り手の暗示にはめられている事に気づかない。
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例を挙げれば切りがない。今や価値観の変換無くて世の中の荒廃は防げない。つまり「速く」「大量に」「安く」の価値観から「つくり手の顔が見え、自分のニーズを伝え、専門的知識で判断してもらい適切なものを手に入れる。」そうゆう仕組みで流通できることに価値を感じなければならない。そのために少々高価になっても結果的には割安になると考える。
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勿論日用品や、消耗品はそこそこの品揃えさえしてあれば客が自分のニーズに合わせて選択し買えばよいものもある。このような商品は、品質と価格のバランスの問題で、その背景には速く、安く、大量にの原理が働くことはやむをえない。また人間不在でも我慢できる。
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しかし、機械器具・耐久消費材・高額商品などは客の判断を超えた知識が無ければ適切なものは選べない。だから作り手と、売り手の説明が要ることになり、客は相談しながら購入する必要がある。つまり人間が存在しなければならない。
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競争より、信頼と納得に価値を感ずる部分を無くしてはならない。
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もうひとつ競争の原理の仕組みの大きな欠陥は、伝統的な職人技を消滅させ、零細でも高品質なものを作ろうとしている作り手の道をふさいでいる。何しろ客は安くを最優先にしている素人が大部分であるから大企業の組織力には太刀打ちできないのである。
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ドイツのゾリンゲンの刃物工場はすべて小規模工場と聞く。この例のように、小規模でも絶大な信用をえるまでに成長できる余地を産業界は残すべきである。何もかも踏み潰し食い尽くして自分だけが成長しようとする無差別な競争は反社会的でさえある。
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2-3 画一的価値観で競争する日本人
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日本人が人を評価する基準は何か。
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権力の有無、資産の有無、学識の有無、各種の能力の有無などが尺度となっているようだ。信仰の篤さや、徳の高さなどの尺度はもう人々の意に介されない時代である。
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権力の世界は、階級世界であり、官僚を代表とする組織の世界である。そのトップは憧れの的となる。その地位を得るために学歴が必要となり、コネが必要となる。
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大学に学ぶ何割が真理追求のために、あるいは社会貢献の責務感に燃えて学問をしているのだろう。おそらく半分もいないのでないか
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| や金を得るための手段として大学で学んでいるのでなかろうか | ||||||||||||||||
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また、人とのつながりでも信頼関係や、尊敬や友情で繋がっている結びつきは次第に少なくなり、打算による結びつきが目立つ。つまり人間的共感の結びつきが少なくなり、金や、権力にからんで結びついているのが目立っている。特に政治家の結びつきはほとんどがこれであるようにさえ見える。人脈とかコネという言葉の
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意味内容はまさに打算の上に成り立っているやに見える。
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| 要するに日本人は権力と金という尺度しか持ち合わせていないのである | ||||||||||||||||
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