小泉さんに一言 ・国民はどんな思想で構造改革を期待するのか
あなたのおっしゃっている構造改革とやらはどうも分かりにくい。何をどのようにして目指すところは何処なのか国民にはさっぱりわからない.。
例えば明治政府は西欧文明に追いつけ追い越せを標榜し国民も同感して明治の気風を作っていった。明治は政治を担う人も変わり、士農工商から天は
人の上に人を造らず人の下に人を造らずのように偉大な思想家が現れ人々の心を改革もしていった。
小泉内閣は仕組みややり方を変えようとしているのは解るが、人や心をどう変えようとしているのか、あるいはそこまで考えていないのか、国民には
さっぱりみえてこない。
もし、不況を乗り切るために構造改革をするというなら方法はまだ外にもあるだろう。だから反対勢力なるものが蠢いているのである。
経済優先の社会から国民一人一人が価値ある豊かさを得られるような社会作りを目指すための構造改革でなければならない。そのためには、国民
が主人公なのだという事が外見上も実感としても感じることが出来るような改革をしなければならない。
国民が主人公になるためには、為政者が全国民一人一人の情報を的確に把握しておく必要がある。そうすれば陳情合戦や誘致合戦のような汚職
の温床はたちどころになくなる。また役所に許認可の権限を与えておく限り役人にゴマをする国民は無くならない。
国民の基本的願いは何か、目先の願いではなく日本をどうゆう国にしたいのか、その拠り所になる思想・信条はどんなものか。その辺を明確にした上
で構造改革の範囲や手段を示さなければならない。
思想信条の自由を保障しながら国としての方向を示すことは困難であることは解る。しかしそれは従来の頭で考えるから困難なので、全く新しい視点で人間の願いを表現すれば万人が肯けるものがあるはずである。
それを法ではなく憲章の形ではっきりと示すべき時が来ている。明治政府は政府のやりかとして「五箇条のご誓文」を出している。このれいに習ってはどうか。
ソフト面にもバリアフリーを!
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老人や肢体不自由な人達のために、段差をなくしたり手すりをつけたりすることがバリアフリーのすべ
てのように受け取っている向きが多い。
もう少し広く考えている人もハードの面のバリアフリーにしか目が向いていない。
私が提言したいのは、老人のためのソフト面でのバリアフリーも実現してもらいたいということである。
具体例をあげてみよう
1、 健康な人でも年をとると目が老眼になる。老眼鏡をいつも携帯していると限らない。そこで次のよ
うな事が起こる。
○. 農薬の瓶などに書いてある使用法の説明文字の細かさは若者でも目を凝らさないと読めないよ
うな細字で書いてある。農薬などは野外で使 用することが多く老眼鏡を携帯していない場 合が多い。読み違いでもしたら人命にかかわることさえ起きかねない。
○. 市販の薬類の説明も老人にとってはバリアそのものの細字で記してある。
保険の約款や会社の定款と訳が違う。読まなくとも概ね了解ということでは済まされないのであるから 老人に優しい文字の大きさにしてもらいたい。
2、 老人はほとんどの人か大なり小なり老人性難聴になっている。日常生活には何の不自由もない
人でも、次のような場合聞き取れないのである。
○. TV番組のBGMとナレーションが重なっている場合ナレーションは音としては聞こえるが内容が聞
き取れない。BGMが不必要に大きいのは民放に多いようである。
○. 聞き分けができないもうひとつは、対談やバライテイ番組で同時に何人もの人が音を出している
場合(笑い声、相槌等も含め)主な内容を聞き分けられない。
○. 女の人の甲高い声、異常な早口、これらも音としては聞こえるが内容を汲み取れない。この傾向
の激しいのは関西系の漫才やバライテイ番組である。
ついでに言わしてもらうと、早口のあまり一語一語の発音が曖昧になり日本語の辞典に出てい
ない言葉になってしまっていることが多い。
あごの長い某男性タレントなどは典型的な日本語の破壊者である。こんなのは聞き取れなくともど
うせろくなことを言っていないのだから意には解しないが、・・・・・
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現在の風潮は誤りでないか?根本から考えてみる
改革には行き過ぎがつきまとう
最近男女の性差別について異常と思われるぐらい神経質になっている。私の身の回りにも「看護婦は止め看護士にする。」「保母は止め保育士に改める。」「求人に女性のみ或いは男性のみと表現できない。」其のほか男女を分けて表現することを禁止する風潮がどんどん増えている。
これらの傾向は、女性の職場進出や、能力に対する偏見を無くするという視点からは歓迎すべき事である。
しかし、何事も新しい考えが出てきた時、行き過ぎや誤った解釈が本来の考えを歪めてしまう事が多い。
私の身近に起きた例を言うと、森林保護の必要が叫ばれ出した初めの頃である。
校庭の一角に間伐材をふんだんに使って遊具や鳥小屋・柵などを作り遊び場を作った。それを見た割り箸を回収して再利用をしようという運動をしている一母親が、気色ばんで「私達が森を大切にしようと運動しているのに学校でどうしてこんなに木を無駄に使っていると思われるような遊び場を作ったのですか。コンクリートや金属でも良いところまで木にした訳を聞かせてください。」という言い分だ。
「では聞きますが、割り箸を使うことは悪いことなのですか。」
「そうです、だからせめて木を大切にするために再利用をと私達は運動しているのです。」
つまり、この人には間伐の重要性や端材の利用による経済効果や資源保護などの知識はまったく無く、木を使うこと即森林破壊と短絡的に思い込んでいるのである。
そこで、国産木材の需要低下が林業を不振にし山村の林業離れが進み結果として山は荒れてきていること、森を育てるには植林、下草刈、雪起こし、間伐、枝打ちなどの多くの人手がいる。その人手を確保するためには間伐材の利用、端材の活用、炭焼きの復活などで収入源を確保する必要がある。森林保護と称して誰も木を使わなかったら林業は滅び日本の山は荒れ放題になる。
割り箸再利用運動は大変良いことで大いにやってもらいたいが、木を使うことを敵視することは誤りであると説いたのを覚えている。
男女差別は良いことではない。しかし、何もかも男女同じでないと気に入らないのは、前述の割り箸女史と同じく少々浅薄でなかろうか。
ここで、少し詳しく考えてみよう。
何故男女均等の考えが強調され始めたのか。それは、次のような誤った考えへの反発からであろう。
1、女性は一段低いものと位置付けていた。
其の理由として ・ 女は家庭で家事育児をしていれば良い。家事育児は当然のことで社会貢献には当た らない。従って収入を生まない
・ 女は企画力や先見性が無く社会的視野が狭い。腕力も無い。
・ 家長は男・氏、家を中心に家族を考える思想が何時の頃からか定着し、女は子供を産むのが最 大の使命という価値観。
・ 男性中心の社会で活躍する亭主を家庭で支えるのを、内助の功と称し女の美徳のように考えていた。
・ 女性の生理的な面を労働のマイナスとしてみていた。伝統的なしきたりや宗教の中には女は不浄なものという見方もした
・ 女には学問は不要という考えがあり、高学歴の絶対数が少なかった。学歴偏重の人事が女性の職場進出を拒んだ
このように列記していくと際限が無い。いずれも誤りと気づいたり、社会情勢が変化したりで、これらの考えは消えつつある。そして、第二次男女同権啓蒙時代とも言うべき流れが起きている。
第1次は終戦後の男女同権啓蒙の時代だ。このときは参政権の男女平等、人権の男女平等、家庭の中の位置付けの男女平等が主な改革視点であった。
今は、社会進出の男女平等、家事育児の男女平等 が問題の焦点になっている。
第1次男女平等啓蒙時代は多少の危惧はあったが全面的に賛成であった。運動を推し進めている人達の論調も根本的な誤りは感じなかった。方法論では過激過ぎるものもあり賛成できないものもあったが、世の中が間違った方向に進んでいるとは思わなかった。
何時の世にも、前掲の森林保護と割り箸のおばさんのような神経質で無知で過激なグループが時代の流れに便乗してしゃしゃり出てくる。
このような人達を単細胞改革家と仮称して以後の話しを進める。
第2次男女平等改革で、この単細胞改革家を潰しておかないと人類の将来にとって重大な事態が起きる可能性が予見される。
それは、男と女の役割分担を全く対象形にしないと気が済まないような叫び声を上げている単細胞改革家がいることだ。
この考えの中でももっとも危惧されるのが育児の問題である。
具体的に例を挙げると、男性が育児休暇をとってもよいという制度が出来た。これは乳児の成長発達を全く無視した大人の欲望本位の身勝手な考えで、乳児の権利を無視するものである。
乳児は、母親の柔らかい肌に触れながらふくよかなおっぱいを吸い優しい母の笑顔を見ながら人間らしく成長する権利を持っている。
男が育児をした場合この乳児の権利をどうするつもりなのだろう。
男がいくら猫なで声を出しても、抱きしめても、木目細かく世話しても乳児の権利は守ることは出来ないのである。
かりに男が授乳している姿を想像してみて欲しい。哺乳瓶を赤ちゃんの口にあてがい、本人はTVの野球に見入っていたり、新聞を横に広げ覗きこんいたりで、赤ちゃんの顔を見つめて声かけなどする感性は男には求めがたい。赤ちゃんから見れば餌を与えられている状態で心の通い合いは無い。授乳には栄養補給と同時に人間らしく成長する種まきと言う重要な営みが有る。それを出来るのは母親の天性しかないのである
。
もしこのようなことが一般化したら、人間形成の第一歩で欠陥人間を作ってしまうことは確かである。男性が乳児の育児を分担するなんて、人類滅亡を企てた悪魔のたくらみに乗せられているとしか考えられない。
悪魔は、男女対象形の社会を作り、生活水準の向上を物に頼らせ,高収入を迫りその結果共稼ぎを止むを得なくした。
この状況を作り出すのに 悪魔のたくらみは深慮遠謀用意周到である。
悪魔のたくらみの幾つかを暴いて単細胞改革家に警鐘を鳴らしたい。その企みの幾つかを挙げて見よう。
そのT 拝物主義の見せ掛けの豊かさ崇拝
そのU 速く・大量にを中心価値にした資本主義社会
そのB 汗する労働の軽視と電気・電子・自家用車に頼る生活スタイル
そのC これらを満たすための高収入の必要
そのX 高収入を目指した高学歴
そのY 支出を抑えるための少子化
そのF 世代間交流の難しさや、家族のイゴイズムの調整者不在、などからの逃避のため、もちろん経済的理 由もあるだろうが、核家族の急増
すでに核家族を超えて個人が銘々個室に立てこもり食事さえも一緒に取らない個人家族とも言うべき形態の家庭が現れている。
そのG 民主主義の多数決が陥りやすい欠陥にすっぽりはめられている。
これらが何故悪魔の企みなのかの説明は別項目で説明する。
かくして悪魔は、誤りの男女平等論の蔓延、家族崩壊に成功しつつある。
これらの悪魔の設定にまんまと乗せられた日本人は共稼ぎという生活を選び、母親を肌で感じていなければならない乳児、親の見えるところに暮らしたい幼児、家という基地(巣)に何時でも誰かいて腹減ったといって帰ればおやつを出してもらえ、怪我して帰れば手当てをしてもらえる安心感の必要な少年期などの人間作りの大切な状況を無視しだした。つまり満足な人間が育つ環境が失われていると言うことである。
単細胞改革家は、悪魔の企みを有意の価値として疑わず男女平等を叫んでいるのである。
確かに女を低く見るような考えは良くない。しかし男女を同じようにすることが平等という考えはとてつもない間違いである。
神様は男と女を別な形に作りホルモンをはじめ色々な機能を別々に与えた。これは相互補完と相互監察によりバランスをとるための妙である。
従って男女それぞれ長所を生かし適正な分担があってしかるべきである。それぞれの分担は価値の軽重無く重要なものと認め合わなければならない。
悪魔の企みがここまで進んできているいじょう、一挙の覆すのは不可能だとすれば、少なくとも人間破滅への育児だけでも食い止める必要がある。
人々が乳幼児の権利を無視し出したのは肥満しきった生活水準を維持するための経済的理由が最も大きいと思われる。これを踏まえて乳幼児の権利を守るために次のような発想の転換を提案する。
乳児の権利を守るために
乳児の育児は母親で無ければならない事は前の述べた。この人間育成の最重要な役割を遂行しようとすると無報酬になるというのは育児軽視、人間無視では無いかと思う。
もちろん育児休暇を取っている人に対し企業や雇い主は自分の仕事に貢献しないのだから報酬を出すいわれは無い。
これはやはり社会が(今のところ国が)育児に対する賃金を支払うべきである。
たとえば乳児を育児中の女性には、国家公務員育児職の身分でも与え報酬を支払ってはどうだろう。
幼児期に成長した育児は父親・母親何れでもよいことにし、育児休暇を取った者にやはり国家公務員育児職の身分を与え給料は支払われるべきである。もちろん育児休暇を終えた時は本人の希望により職場復帰を保証する必要がある。
自分の子を育てるのに賃金を貰うのは現代社会の感覚に馴染まないのは解っている。しかし、国民の誰もが高水準の生活を維持するために共稼ぎをし、親が自分の子を養育することを放棄し、乳児託児所だの未満児保育だの、乳児を父親が育てるために男の育児休暇を認めるなどと非人間的なことを福祉の如く錯覚する向きが増えている現状を食い止めるために敢えて馴染みにくい国家公務員育児職の提言をする。
親子の肌の温もりを感じ親子見詰め合って絆を深めていく体験を乳幼児期に味合わない人間がまともな人間に成長する訳がない。
まともな人間を育てることは社会的に見ても大きな生産活動でないか。社会の中で働くのと価値の上下はないはずである。それなのに育児だけが無報酬なのはおかしいので無いかと思う。
蛇足であるが、国家公務員になる限り資格試験をを課すべきである。育児という人間育成に携わる仕事?を無資格でやられては困る。つまり、親という職務を遂行する能力が無ければ親になるべきで無い。
もう一つ蛇足を加えるなら、子供が反社会的行動をした場合その親は業務上過失の罪に問われてしかるべきである。
この例は現在の肥満しきった社会や家庭を維持しようとする現代の志向を肯定した場合の意見で、本来の私の考えは別なものであるがここでそれを持ち出すと混乱する恐れがあるので機会を見て別の項目で述べることにする。
男の、女の特権を存在させてはいけない。冥利程度で止める
二番目の例として、単細胞改革家の男女平等論者は女を防具として公平な人間評価を拒否している。
たとえば、或る職場の管理職が男性のみで占められていたとする。ここでは当然女性の管理職をの声が起こる。当然である。若し能力有る女性がいるのに女ゆえに登用の道を塞いでいるのなら早速改善しなければならない。
しかし、3割程度はとか、半数はと数値目標をあげて女性管理職の登用を迫るのは女を防具とした単細胞論である。
男女の区別無く実力に応じた登用をすれば良いのでその結果女性が1割であろうが、8割になろうが問題にする事ではない。ただ女性のほうが適している部門は女性にすれば良いし、男性のほうが合理的な部門は男性にすれば良い。
中には、女性を起用することで人気とりをしたり、これを持て囃すジャーナリストいるとしたらこれこそ女性軽視の種を蒔いているようなものである。
何故ならそのような選択には不相応な人物も起用される可能性が有る。そうすると女はやっぱり駄目だという評価を生む。女を利用することは女性蔑視を生む温床である。
風呂上りにパンツ一丁で縁側で枝豆をつまみにビールを飲むのは男の権利ではなく、冥利である。冥利には感謝の気持ちが有る。男ゆえに、女ゆえに与えられる機会があったらそれは権利でなく冥利と考えるべきである。
ノースリーブの服でも大抵の会合に出られるのは女の権利で無く冥利なのである。
この冥利を特権と考え振りまわす単細胞男女平等論者がいるのは困ったものだ。
前に述べた乳児の育児について言えば、それは母親で無ければならない。これは特権として見とめるべきである。しかし、当の母親は特権を拡大解釈したり振り回したりしてはいけない。当人は冥利として受け止め喜びと感謝の気持ちを持たなければならない。
日本人の持たなければならない本当の勇気
自衛隊を遂に海外に派遣した小泉総理は臆病者である。
日本は海外で戦闘行為はしないと世界に向かって宣言してきた。一部の国から戦闘に協力しないのは臆病な行為のように言われ(思い込み)はね返せなかった。
あくまでも自衛以外では戦わない国という国際信用を崩してしまった。
もし体を持ってイラクの平和に貢献すること示さなければ国際的信用が得られないなら、道路・学校・病院・衛生環境等々の復興が出来る専門家を派遣すべきである。
その人達を護衛するために自衛隊を併せて派遣するなら内外共に納得するであろう。
武器を持った戦闘専門集団だけを送り込んで人道支援とはクイズのようなものである。
小泉さんは、一部の国の圧力に屈することなく、世界の多くの、そしてイラクの国民の期待に応える毅然とした勇気を持ってもらいたい。
あくまでも自衛以外では戦わない日本を示すことで本当の国際的信用が生まれるのでないかと思う。
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乳児の人権を守り人間らしい人間を!
提案のねらい
1. 非人間的人間の低年齢化を防止する
2. 少子化対策として
3. 国政の根幹を正すために
結 論
乳児の人権を守ることで、上記1、2、が大きく改善される。
この施策を実行するには国家の最も重要な仕事は人間育成であることを国民全部が認識しなければならない。この啓蒙の過程で国政の根幹が正されていくことを期待する
説 明
1、乳児の人権とは
人が人として育つためには、胎児期・乳児期・幼児期・少年、少女期・青年期それぞの時期に適切な環境と教育が保証されなければならない。
勿論、政府もその重要性については十分力を入れているつもりであろうが、重要な見落としがある。
それは、乳児期の成長過程を無視して「乳幼児期」とくくって施策している事である。
乳児期は胎内の続きで、母の肌のぬくもりを直に感じ、母の目を見つめ、母親の語りかけの声を聞きながら、人間を信じ自分以外の人を大切にする心の芽生えがあるのである。つまり、母性愛に包まれて養育されてこそ人間らしくなるのである。
母の肌の温もりを直に感じること
母の目を見つめ、母の声や表情に反応する
これが乳児の人権である。幼児は父親が認識され家族が自分を守ってくれている故に母親が唯一無二の存在ではなくなる。
最近の非人間的行為は乳児期の人権が守られなかった人間に多く見られるのでないかとの疑いを持つ。
2、乳児の人権の現状について
・ 生活水準の高度化により共稼ぎを余儀なくされ乳児の養育を他人に任せるケースが増えている。
・ 女性の社会進出男女共同参画などの風潮が女性が育児を他人任せにする
乳児園・未満児保育で肌の温もりや、目を見詰め合って心を通わせるような事がどれだけできるだろうか。不可能に近い。
・ 最近は男性の育児休暇も認められ、パパがTVの野球放送を見ながら哺乳瓶をくわえさせている姿も見られるようになった。乳児の人権侵害も甚だしい姿である。
対 策
1、 授乳期間は母親が育児することを義務化する。授乳期間が終了した場合は現行の育児休暇制度はそのまま適用される。
2、 事情により母親が授乳できない場合は乳母を選定する
3、 乳児休暇・育児休暇終えて復職する場合の身分は保証される。
4、 授乳休暇中の女性には国が給料を払う
説明
育児は国家の重要な責務である。この重要な仕事に携わる母親には国家公務員育児職の地位を与え然るべき給料を払う。
ただし、育児は個人に属する部分も多いので国家公務員の給料表によらず一律一定の額にするのが妥当と思う。
財源の少ない現状では、十分な支給は困難と考えられるので、不足分は奨学資金と同様な制度で本人の借入金とし、利子は国が肩代わりする。
勿論夫婦両方の名前で分担して借りることは差し支えないが、二人の借入額の合計が限度を超えてはならない。
最近は親になる資格の無いような親が増えている。少なくとも国家公務員育児職の身分を与えるのであるから資格審査ぐらいはあってもよい。資格審査に合格しないものは子供を産むことはかまわないが、上記の制度の適用は受けられないこととする
価値観の構造改革
1、 乳児の人権という価値の確立
男女平等の社会大いに結構。炊事洗濯食事つくりも男性も大いにやるべし。
ただし乳児の子育てだけは母親でなければ人間らしい人間を育てられない事を周知すべきである。勿論父親に育てられた立派な人間もたくさんあることは知っている。しかし、そこには大変な努力があり苦労があったはずである。それでも尚、私の知る限りでは異常さが潜んでいることが多い。
2、 衣食住育足りて人は人になる。
経済優先の社会は病み始めている。育児は私的なものでなく国の宝を育てている意識を再認識すべきである。
人つくりを政治の最優先に据えて、国民はそのために働いているのだぐらいの覚悟を持つべきである。
以上を緊急に具体化するようお願いする
経 済 制 裁
庶民を苦しめる政策は人道に反しないか?
最近北朝鮮に対し経済制裁をすべきであると言う声がある。拉致問題に対する北朝鮮の対応を考えると怒りたくなるのは、日本人であれば当然であると思う。
だからといって報復的に経済制裁を叫ぶのは好戦国の考えに近いといえるだらう。ある意味では武力行使よりもっと罪が重いのでなかろうか。
なぜなら、武力行使は少なくとも目標は為政者である。結果として多くの市民がとばちりをくい、また、人命が殺傷されるので許されることではないが。
しかし、目標を庶民に向けてはいない。
ところが、経済制裁は庶民が攻撃の目標である。具体的に言うと、蜆や、衣料品の輸入制限、在日朝鮮人の送金停止などがその手段として考えられるが、これらはいずれも庶民の生きる糧である。おまけに、蜆や、衣料品の輸入制限は日本のこれらに携わる人々の生活も脅かす。
北朝鮮の政治体制の変革を急いで求めるあまり、庶民を苦しめるような手段の行使は、反日感情を庶民にまで植え付け、友好への道をますます遠くするばかりである。
洗脳されている国民は少々の苦しさには耐える。戦時中のわれわれ日本人が体験済みのことである。故に相手を苦しめて降参させる発想は決して上策とはいえない。
拉致家族の方々の苦しみと怒りは察するに余りあるが、皆さんも人道主義の立場に立ちもっと世界に向けて世論を喚起し、世界中がこの問題を解決しようとするような機運を作ることに努力していただきたい。
諸外国ではこの問題は2国間の問題で我々は直接関係ないというような雰囲気が漂っている。
政府も6カ国に限らず、国連に対してもアッピールすべきでないかと思う。