時 事 (爺) 談 義
2008年01月30日 水曜日更新 
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作方言辞典さんの方言辞典 作さんの話し言葉は強烈な蒲原弁なので ここをクイックして意味を知ってください なお方言に興味のある方もどうぞ (新潟県蒲原地方の方言辞典)
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章 かまきり 登場人物二人の老人のプロフイル
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二人の爺さんが庭の俺に腰を下ろしてさっきからぼそぼそと話し込んでいる。" " 俺の正体はこの猫の額ほどの庭に置かれた庭石なのである。" " 庭といっても二十坪ほどの狭い庭であるがが、このベンチ代わりの俺はちょうど庭の築山の上にあり、ツツジの植え込みが背もたれや肘掛けのように取り囲んでいる。" "
この二人は暇さえあれば、いや、暇が無くともここへ来て一服するのが習慣になっている。作じいさんは、習慣というより中毒といった方がよい。" " この二人は、隣近所では、駄洒落の作さんと、妄想先生と綽名が献上されている。 この地方では「もうぞう」とは寝言のことで、訳の分からないことを言う人を 「もうぞう言っている」と言うように使う。妄想先生の綽名には「もうぞう」も懸けられて献上されているのである。 しかし、本人たちは至って当然の事を言っているつもりであるからいつも真顔ではなしている。" " くどくどと説明するより、二人の会話を紹介すれば二人の人柄が瞭然となると思う。"
" 「今年の冬は、大雪みてたてば、」" " 「どうしてそう思う?」" " 「カマキリが、ばかたーけ所に卵生んでるすけのう。」" " 「地球が温暖化しているから、昔のような大雪はないだろうな。」" " 「ほんだかのう。かまきりはその温暖化をしらねんだこてね。」" " 「うーん、待てよ、とするとカマキリは大気の状況から情報を得ているのでなく、 もっと違う情報で産卵の高さを決めている事にならないか?昔はその情報 と大気の気圧配置が符合していたわけだが、人工的な大気の歪みがその符合を狂わしていることにならないか?」" "
「カマキリの情報は何処からくるがんだの。」" " 「それが解ればノーベル賞もんだね。でも、例えば、地磁気から情報を得て判断しているとすれば、地磁気と気象の関係を解明すればよいことになるな」" " 「じきわかるかのう」" " 「???」 "
" " 申し遅れたが、作爺さんはもうすぐ七十になる農業一筋で働き抜いて今は隠居状態である。しかし、好奇心の強いことは類を見ない強者だが、自分で追求しようとしないで、隣りの家の先生に聞いてしまう。だからしょっちゅう先生の庭をのぞいて、先生がいるかいないか伺っている。そんなことをしなくとも、玄関へ訪ねてきたらと思うのだが、先生が家の中にいるときは、勉強していると思いこんでいるらしく、邪魔をしないようにと気を使っているらしい。先生が庭にいるときは暇なときと決め込んでいるところが面白い。" " 先生が家へ上がらないかと言おうものなら、たちまち逃げ帰ってしまう。どうも奥さんの馬鹿丁寧な応対が窮屈らしい。" "
作さんのお気に入りの場所は初めに述べた僕の上なのである。" " 実は、僕はある時から人格(石格?)をこの家の主、先生によって変えられてしまったのである。" " 僕は初めは聳えるように立って庭を眺め回していた。ところが先生がリタイヤして家にいるようになると、作さんの庭のぞきが始まる。初めは庭での立ち話であったが、長話になることもあるので、上がってと言うと前述のとおりそそくさと帰ってしまうことになる。
そこで先生はチェンブロックと長木を持ち出して僕を寝かせてしまった。つまり石ベンチに変身させたのである。庭の主から一変してたかがベンチとなりさがった僕は部長が、リストラされて掃除のアルバイトになったような情けない気持ちになり、このまま消えてしまいたいような日々であったが、ふとこの老人たちの話に耳を傾けるようになってから、人間社会のいろいろな綾に興味を持つようになった。" " 今までは自分の配下の庭の木々や芝などを管理することで満足し、長たる者の対面と、プライドを生き甲斐にしてきた。ところが、石ベンチに変えられてからは、ツツジの下にドクダミが芽を出しているのが見えたり、ナメクジが夜になるとマリーゴールドの葉をせっせと食べているのが見えたりするようになった。" " 隣の雌猫が私の上で昼寝をするようになったのもくすぐったいような驚きであった。" "
なによりも、二人の老人が超とぼけた会話を真顔で話しているのが落語を聞いているようで面白い。" " ところで、僕のことなどどうでも良いことで、二人の会話に戻すことにする。" " 隣の作爺さんは、珍しくこの地方の方言を流暢に未だ使いこなしている数少ない老人である。" " 一方、先生の方は本当に先生だったようで、最後はどこかの校長を勤め上げ、その後、福祉関係に籍を置いたことのあ る老人で、多趣味多芸であるが、一流はひとつもない。 " " 本人は目立ちたいのだが、一流でないと人に見せたくない、だから、どの趣味も今のところはひっそりとやっている。でも、やがては世に問うような物をものにしたいと密かに考えてはいるらしいが、その割には集中して持続をしない。 " " 七十半ばにして、夢ともつかず、妄想ともつかぬ事を暇さえあれば考えている変わり者なのである。" " " "" |
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1節 どう毅然とするか"
" ふたりはさっきから北朝鮮による拉致問題をぼそぼそとはなしている。" " 「毅然としてと、おえらえさんは言うてるが毅然て頑固にとゆうことかね。」" " 「似て非なりだな.。」" " 「なんだいそのニテヒナリてのは。煮物に火がいるくれ俺も解るが、それが毅然とどう関係あるんがんだね。」" " 「似て否なりというのは、煮物の話ではない。似ているけれどちょっと違うと言うことだね。」" " 「どうちごうがんだね。」" " 「頑固というと、意地を張っている様子が含まれるが、毅然となると理論に従って引っ込まないということになるかな。」" " 「そせば拉致問題の理論てなんだね。」" " 「其処なんだよ作さん。」" " 「どこ?どこかね。」" " 「政府は国家の対面とか、拉致した者、つまり犯罪者のところへ、被害者を返すというのは筋でないとか、理屈は色々ある。これらの理屈に沿って解決す る事を指しているのでないかな。 しかし、問題なのは、色々言っているがいずれにしろ拉致された人々の立場や心情に沿って毅然と立ち向かうという色合いはどうも薄いような気がする。」" 「政治なんてものはひとまとめにして物を考える道具だすけ仕方ねえさ。先生みてえに云うてよもんだら(云っていたら)五人いれば五通りのやりかたで 解決するしかねこてね。」 " 「今までの物の考え方で考えればそうなるな。」" " 「そせば、どんげなかんげがあるがんだね。」" " 「例えば、この度の北鮮の拉致された人の扱いなら、本人の意志に任せると両国間で合意すればよいことで、国が帰すの帰さないのと云う筋ではないだ ろう、住めば都で向こうが良いと思う人もあっても良いんじゃないかい。」" " 「そんげこというたって、こっちの親兄弟の気持ちもあるこてね。」" " 「その事は本人の心情で決めればよいことで、他人がわいわい云う事ではないだろう。」 「そんげこというたら、支援する会の人達や、政府がやりにくくてしょうねねかね。」 「そこだて。」" " 「どこかね。」" " 「そこだて。」" " 「おめさんのそこだては正しい日本語の使い方してねんでねかね。」" " 「爺さんの日本語よりは共通語に近いつもりだがね。 ところで話を戻すと、支援団体や政府が自分の考えを表に出して活動すると、本人の意思と食い違う点がどうしてもでてくると思うがね。」" " 「そんげことがあったら、ちごうと言えばいいねかね。」" " 「でも、政府の考えと同じ帰国者の方もいるかもしれないぞ。自分の考えを出したら、足並みが乱れるから我慢する人もいると思うよ。みんながあれだけ云 っているんだから自分勝手な考えは出せないと思う人もでてくんじゃないかい。」" " 「そせば、やっぱおめさんの云うとおり本人のつごうに任せるていう交渉になるしかねかの。」" " 「それが人間尊重と言うものさ。」" " 「そんでも、ちと納得いかねところがあるてば。拉致なんて犯罪だろがね。これをどんげするんだてば。」" " 「それは正論だな。」" " 「だろげ。」" " 「犯罪は個人の場合罰せられるな。」" " 「そせば、北朝鮮を刑務所に入れればいい事になるの。そんげでっけ刑務所ど こにあるがんだね。」" " 「国の犯罪は、戦争裁判に例があるように勝者が敗者の責任を追及して処刑した例はいくらでもあるがね。今の場合は、損害賠償の形で決着するかしか ないだろうね。」" " 「わかったぞ先生。」" " 「いきなり大声をだすな。何が解ったんかね。」" " 「
毅然とするのは、そこだこてのはこだて。北朝鮮におめはわーりことしたんすけ、謝れということだの。」" " 「作さんもだいぶ血の巡りが良くなったの。」" " 「そんだども、犯罪には時効て物があって二十四年もたっているすけどうなるかの。」 「私も法の専門家でないからその辺のことは解らないがね。」" " 「おめさんは、いつも肝心な所へ来るとわからねがんだの。」" " 「だからただの隠居爺でいられるんだ。みんなわかる人物だったら、畏れ多くて爺さんなんかこうして私と庭先でお茶なんか飲んでいられなくなるな。」" " 「そんだてば、やっぱいまの先生でいいがんだの。おらここきてお茶のまんのなるの困るすけの。」" " この周りは大分住宅も増えてきたと言うものの未だ田舎の風情が残っているためか夕霞が二人の老人を包み始め、赤トンボも物陰に潜み、私の上に夜露 が下りはじめた。作爺さんは「どらまんまの時間だの。」といって帰っていった。" "
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2節 集中力"
" 十二月半ばなのに今朝から馬鹿陽気で日射しが暖かい。" " 先生は一週間ほど前にどっと降った初雪がほぼ融けて、躑躅ややぶこうじ等の丈の低い木が顔を出したので、枝折れなどないかぶらぶらと見て回っ ていた。 " 「おめさんお日様がでたら外へでてくるもんだわの。」" " 作爺さんは雪の止んだ昨日から先生の姿が見えないか庭を伺っていたらしい。" " 「だからこうして出てきているだろう。」"
「もっとはよでてくるもんだわの。」" " 「ところで、お茶のみをするにはこの石の上では冷たくて駄目だから、家に上らんかの。」" " 「せっかくのてんとうさまだがんに、おめさんなにゆてるがんだの。」" "
「それもそうだな。」" "
作爺さんは家に上がるのが何より苦手な事は前に述べた理由によるのである。" " 「昔ならこんげとき、ふんまさんばいし持ってくればいいがんだどもの。」" " 「そういえば、さんばいし(さんだらぼっち)も、筵(むしろ)も、菰(こも)も
あまり見なくなったな。薄縁は未だあるかの。ござは未だ健在だがの。」" " 「俵もかますもさがさねとねの。」" " 「冷たい石の上にはかますか空き俵を敷けばいい塩梅なんだがね。」" 私としてもビニルのような通気性の無い冷や冷やする物より、わら細工のぬくもりのある物をのせられた方が気持ちがよいに決まっているが、無い物ね だりはしないことにして、この老人たちは何を持ってくるのかちょっと興味をそそられた。 先生が持ち出してきたのは、三尺幅の日除けに使っていたよしずである。その上にいつものござ座布団
を敷き「これでよし」と場をしつらえた。私もこれ なら通気性があるしぬくもりも感じられるので、満足であった。
「ところで作さん今日は何の話だね。」 「2学期も終わりに近くなったがの、また孫の通信簿に(何にでも興味を持つが、集中力が無いので身に付くことが少ない)と書いてあるにちげねんてば。
小学校の時から同じ事書れているがんだがの。」 「そりゃあ作さんの孫だからね。」 「おめさんまでそんげことゆうがんかの。おらとこの嫁も爺ちゃんの血ひいたんだかのなんてこきゃがるすけ、おらせつねがんたての。」 「なにも作さんがせつながるこはあるまえて。」 「集中力てどうせばつくかのー。」 「心理学的や脳の働きから説明すると随分難しい話になるがね。」 「めんどな話おらわからねことおめさんわかるがの。おらにわかるようにはなせてば。」 「うーん。興味の持続の問題であり、価値観の問題でもあり、驚きや感動の問題でもあるな。」 「おれはおめさんに、どーせばつくかのと聞いたんだがの。こてになってねの。」 「そこだて。」 「またおめさんのそこだてが始まった。新津市そこだてで郵便がつきそげだの。」 「作さんは何でも結論だけを知りたがるが、その結論になるまでの過程や、内訳や、順序など色々な要素があるものでね、その一つひとつに詳しく興味 を持たないとその事を理解しきるまで興味は続かないな。 面白い! 凄い! どうして?とまず初めの興味を持つ。その次に何故? 何処が? どうすれば?など事分けに目を向けて行くと興味は深くなる。 学者は一次把握と本質的把握というふうに説明しているがね。 この過程で没頭状態にまでなれば少々の外部からの刺激では興味は止まらない。それが集中という物でないかね。 それからが大事だ。それを知れば・それが出来れば・きっとこうなるだろうと夢が広がる。夢というものは本人の価値観の上に育っているもので、こ
れがしっ かりしていないと価値ある物に興味を持つこともできないし、胸を張って喜べない。」 「
ありがてこと言われたようだども、ごちゃごちゃいっぺえいわれると ちっともわからねなるの
。」 「たとえばの話で言うとね。」 「おめさんのたとえばは、ありもしねよなことたとえるすけなおさら解らのなるて。」 「今日は大丈夫だ。爺さんは竿の先に止まっているトンボを捕まえたことがあるだろう 。」 「子供の頃の。」 「トンボを捕まえたいという目的のために、トンボとの間合い、近づくスピード、トンボの何処を押さえるかなど色々な経験や情報を総動員して自分の
動 作をコントロールしてトンボに手を伸ばして行く。そんなときには頭の中にはその事だけしか無いね。」 「めーまん丸にしての。」 「欲は、その人の願いや、あこがれ、本能、近頃の流行言葉で言うならDNAなどによって生まれる精神的エネルギーと考えていいのでないか」 「そせば、おらとこの血は欲のね血だかの。」 「そうではないな。爺さまは知識欲の固まり見たいに、知りたがりの欲たかりだと思うがね。」 「そせば家の末孫は突然変位とか言うのだろか。もしかすると種が違うろかの。」 「おいおい、それは穏やかでない発言だぞ。間違っても母ちゃんの前でそんなこというちゃ駄目だで。」 「言って見ただけだて。」 「爺さんの孫が集中力が無いなんて想像もつかないがね。この前なんかも庭先で何か作っていたとき、私が呼んでも聞こえないほど熱中して
やって いたがね。」 「ああ、あんときけ。あれぼっこしでえく(大工)してたときだの。そーやんだてば、あいつは何か作っているときは雷が鳴っても聞こえねんでねかな。」 「それみらっしゃい。もの凄い集中力だがの。」 「せば、なんして勉強の時集中力がでねがんだの。」 「机の上の勉強にあまり価値も興味もないんじゃないかね。第一あのお孫さんは、競争をして負けないなどという価値観はないようだがの。」 「そういえばあの子は10も上の姉が一人いるきりで、あとはずうっと大人の中で育ったけの。競り合うなんてあかんぼの時からねの。」 「おまけに爺さん、せがれが大学行きたいというたとき、なんて言おうたか覚えているかの。(百姓に学問なんてなにする。大学いっても肥やしのくみ かたなんて教えねぞ。そう叫んでいたんじゃなかったかの。」 「あのころは、そういう世の中だったてば。でえがくなんか旦那様のぼっちゃまのいくとこだったがの。」 「二宮近金次郎は江戸の終わりに学問の大切さをしっていがのー。」 「歴史に残るような偉人と俺とどうして比べるがんだの。だすけおめさんと話していると、ごしぇ焼けることがあるがんだてば。」 「そうだな、案外学問軽視の考えがDNAに組み込まれているかも知れないね。 「学問はでいじらこて。だどもおらにはいらねてだけだがの。」 「したがって、爺さんの家では体を動かしていることが最高の価値で、机や本に向かっているのは時間の無駄か、やむを得ずやることと言う価値付け になっているんでないかな。」 「汗水流して働いていればご苦労らのといいたくなるがんだども、本なんか読んでるの見てご苦労なんてゆうたことねの。」 「大昔から人間は群れて暮らしてきたんだね。群れる生き物は自分の群に所属していたいと言う気持ちと、群の中で自分の存在価値を主張したいと いう気持ちが何時も葛藤していて、しかし自分なりにバランスを保って生きている。人間もそう言うもんだな。尤も人間は掟やルールを作ったり、或いは 道徳という概念を作り出したり、宗教という目印を作り出してバランス感覚を標準化してきたがね。
「おらとこの孫の集中力の話はどうなったがだの。」 「昔から朱に交われば紅くなるとか、三つ子の魂百までなどと言われている。また、孟母三遷の教えというのもある。」 「どの話もちょこっとは聞いたことあるども、集中力の話でねと思うがの。」 「どの話も育ちが大事だという話だな。作さんの家では学問するお手本、つまり、勉強している姿と、勉強の喜びをお孫さんに見せる機会がどのくらいあったかと言うことだね。」 「おらとこは、でえでえ(代々)勉強嫌いばっかだがの。」 「そこだて。」 「男伊達(おとこだて)。」 「まぜっかいさないで聞けてば。そんなわけで、お孫さんは本や鉛筆を持った勉強には興味も夢も持てないと言うことだ。そのかわり手足を動かして やる物作りや、作業には人一倍興味を示すんじゃないかい。」 「役にも立たねことらども、がたひつぼっこしでえくは好きだの。」 「そんなときの集中力は、わしが見ても大したもんだと思うがね。学校の先生は教室の中のお孫さんを見て、集中力が無いと評価しているんだと思う な。」 「おめさんの話聞いていると、おらとこの孫は育ちがわりすけどうもならねというこだかの。」 「そうはいわんよ、世の中どうにもならないなんて物は少ないものだと思うよ。」 「そせばどうせばいいがんだの。」 「そうだのー、例えばお前さんがバイオの本でも買ってきて、品種改良の勉強でもするか。」 「またおめさんの出来もしね例え話が始まった。どうして俺がそんげな本読めると思う。」 「そこだて。」 「ドル立て。」 「なんだいそれは?」 「おめさんのそこだては、おらにはわからねていうことだわの。」 「爺さんがバイオの本よんで解らない、困ったもう一寸勉強しておけば良かったと口説けばいいんだよ。そうすると反面教師でお孫さんはこれは勉強 しておかないとこのじさまみたいに格好悪いことになるなと思うかも知れないね。」 「そせば俺、孫に馬鹿にされるこて。」 「でもお孫さんに新しい価値観を芽生えさせることになるかもしれないよ。だいたいお宅は爺様を偉い人にしすぎているよ、だから爺様の価値観を超える事が出来ないんだ。もっと人間くさい爺様の方が躾には良いと思うな。どうあろうと爺様の勤勉さや、探求心には家族は一目も二目も置いている こ の点は変わらないから、ぼけない限り爺さんの権威は家の中では厳然と揺るぎ無いな。」 「おめさんがさべくると、大げさで困るがの。」 「私は作さんの家の雰囲気は立派だと思っているがね。でももう少し勉強に目を向けさせたかったら、口で説教するのでなく、家中の人が活字や映像 から情報を獲得し、喜んでいる姿を見せるようにすればよいということだね。いや作さんは喜んでいる姿よりは苦しんでいる様子の方が演出しやすいかな。」 「そせば、家中でもっと勉強して見せれということかの。」 「そうだよ、そうなんだよ。作さんは察しがいいから好きだなー。」 「誉められたんだか、馬鹿にされたんだかよわからねども、良いこと聞いた。これから毎朝新聞読んで科学欄や経済面の解らねこと大口説きしてみるさ。」
延長コードをひいてポットで湯を沸かし、作さん手持ちの漬け物をお茶うけで話が弾んだが、ポットも小鉢も空になり、二人は時間の経っていることに同時に気付き、顔を見合わせてどちらからともなく、「お開きにするか。」といって、作さんは小鉢を持って立ち上がった。 先生はポケットから、ぽっきーの小箱を取り出して「から返しは縁起が悪いからの。」と小鉢に入れた。 作さんは「わりいの。」と頂きをして帰っていった。 「作さんたいへんだねー、近頃は親よりも孫爺婆のほうが教育熱心の家もあると聞くがそうかも?」とつぶやいたが石のつぶやきは誰にも聞こえなかった。 |
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3節 バランス
春も過ぎ太陽の光はぽかぽかと言う感じになってはいるが、私の頭の上には3センチほどの雪が残っている。 先生はにやにやしながら私の上の雪を払いはじめた。作爺さんがさっきから何度も庭を覗きそわそわしているのを見つけたからである。つまり、おしゃべりの定位置をメンテナンスしているということだ。終わるのを待ちかねたように作さんはのっそりと現れた。 「おめさん、松の上に未だ雪があるがんにそれおとさねで、なんして石の上の雪おばはろたりしていがんだの。」 「いや、この松はふげ(髭)が植えた松だから、頑固に出来ているから大丈夫だて。そこへいくとこの石は俺の代に据えたもんだから柔に出来ている と思うてね。」
(ふげ)というのは先生の父親のニックネームで、鼻髭を蓄えて何時も世の中を睨め回しているような風貌で、頑固一徹謹厳居士、しかも極端な合理主義者なので普段は誰も近づかないが。問題がこじれると「ふげ」のところへ行って聞いてこいと言うような有名人であった。
「またひとことかもて。おめさんはふげ様と全くはんてえに出来たの。ふげ様はおめさんみてに謎みてなことわいわねかったの。」 「そのかわり当たりまえの事をいうと怒られたの。」 「そうそう、何時だったか俺が(いい天気だの)と挨拶のつもりでいうたら、(朝から解っている)という返事で俺もたまげたて。」 「作さんの親父もよく腹を立てていたの。」 「そうそう、俺も聞いたことあるて。親父が自転車でどこかへ出かけるふげ様を見て(何処へいがしゃるの)と挨拶のつもりでいうたら、ぱたと自転車か ら降りて(聞いてどうする)といわしゃったがの。俺の親は困った顔をしていたが、(わりかったの)というと、ふげ様は(謝る事ではない)というてさっさと いがしゃったがの。」 「それは親父が機嫌のいいときだな。腹を立てると首根っこを捕まえて私が悪うございましたと言うまでやっつける所があったな。」 「曲がったことはでっきれだったの。だすけ村のもんはふげにキセルの雁首見せるな雁首は曲がっているすけ勘弁されねぞと笑い話にしていたの。」 「親父は県の農地部の役人だったので盆暮れになると業者や部下から付け届けが来る。本人がいればもちろん必ず突き返していたな。 昭和一桁の時代だ、儀礼的な物がほとんどで向きになって返すほどの物でなくとも親父には例外は無かったな。」 「その点おめさんは親譲りだの。父兄の付け届けはいっぺんも受け取ったことねがろの。」 「いやそうでもないな。近頃宅急便で送ってくるのがいて返しようもないことがあるのでね。」 「そんげときどしてたの。それはもろておいたがんだかの。」 「いやそう言うわけにもいかないので、同じ程度の物か、いやたいてい倍くらいの値打ちの物を送り返していたな。 だから迷惑この上なしと言うわけ だ。」 「ふげ様はだまっておいていくようなもんはどうしていたがんだの。」 「そこだて、昔は玄関に鍵なんか掛ける習慣がなかったから、寄りつきの上がり框にそっと置いていく人も大分あったな。そんなときは、私が返しに行 かなければならなくなるんだな。」 「ふげ様は家の親父のでえこんだのなすはよもろてくれたどもの。」 「それはお前さんの親父さんは下心で持ってくるのでなく、作品の自慢で持ってくるから、品定めをするという意味で受け取っていたと思うよ、それが 証拠に前さんの分家の婆様がようやられていたの。」 「あの婆さまはあいそがよすぎたすけの。」 「これだっちもねもんだども食べてくんねかのというたもんだ。親父は(つまらないものを人に何でもって来るんだ)ときた。婆様は目を白黒させていたの を今でも覚えているな。」 「そんげ変人だったすけ、立派な技術屋だったども出世はしねかったの。」 「親父はそれを誇りにしていたようだな。こんな事があったのを覚えている。用水の樋管の経をもっと大きくしてほしいと関係者が陳情に家までやって きた。親父は計算上あの経で十分余裕があると応じない。陳情者の一人が計算は断面いっぱいに水が流れるということで計算してあるが、泥もたま るし落ち葉も詰まる計算どおりに行かないと発言した。それまで割と穏やかに話を聞いていた親父がその発言で急に 怒りだした。(ではお前たちは 泥浚や草刈りをのめししようと陳情に来たのか)と大喝し(お前らののめしのためにお上の金を増やしたり、技術を曲げたり出来るはずがないだろう。 帰れ。)それで終わり。」 「ああその話は俺も聞いたこてね。あれには裏話があったこて。あの関係者に議員が居たの。あのしょが課長に圧力を掛けたげだがの。課長はおめさんのふげ様が担当している区域だと解ると呼びつけて設計変更を命令する事は出来ね。変更の根拠がねからの。政治的配慮なんていうものは金輪際通じねすけの。課長も困って地元関係者に私宅陳情させたげだがの。」 「ある時お袋が何とかさんは今度出張所の所長さんになられたそうですね。とぽろっといった。 親父は技術屋で出世しているのは、大事業を成功させた本当に偉い人1割と、自分を曲げ技術を毒してまいすうたれた奴9割からなっている。俺は技術を駆使して立ち向かうような大事業に巡り合わせる運が未だこない。だから下積みに居ることが清廉の証だと胸を張ってい たな。」
「ふげ様は、あまんじゃくや偏屈とはちとちごていたの。それ証拠にあの理屈こきの権七の倅なんかにはばかよしゃべっていたがの。」 「権七の倅は欲も得も無く、筋道をただすのが大好きな若い衆だったな。」 「だっけみんなにけぶたがられていたこての。」 「親父は科学的な合理性が何よりも大切で、自分の仕事つまり技術屋としての誇りを貫くことが生き甲斐だったのでないかなあ。だから曖昧なことや 人のわがままや弱さによる妥協などは許されない事だったと思うな。」 「そんげこというってると相手のしょの気悪することもあるがの。」 「それは爺さんが相手の気を悪くしないことが大事なことで、一寸ぐらいの道理は相手の気を悪くするぐらいなら引っ込めても構わないと言うことでないか。つまり、相手と旨くやっていくことに大きな価値を感じているわけだ。 私の親父は道理や理論が何より大切で、変な妥協は自分の値打ちを下げることだと思っていたのだと思う。 だから、世渡りのための駆け引きや、 長い物には巻かれろ式の考えは罪悪と感じていたのだろうと思うな。」 「なんせおめさんとこのふげ様はきぐれえがたかったすけの。」 「気位が高いと言うよりは、理論や道理を何より優先していたので、自分の理論を覆すだけの理論を言わない限り頭は下げなかったね。」 「この辺にふげ様をやりこめるような理屈こきなんかいねこてね。」 「親父の理論や道理は絶対普遍で、宗教と同じような信じ方だったと思う。」 「おめさんはちごがんだかの。」 「私は、理論も道理も人の認識の中に存在する物で、絶対値では無いと考えているがね。」 「なんのことだえの。」 「たとえば例を挙げると」 「ありもしねたとえ出すなね。」 「たとえばだね、スカートの丈を考えてみよう。」 「女のはくスカートかね。」 「女子高生のスカートは腿の半分ぐらいしかないね。始めの頃はあまりのむき出しで目のやり場に困った物だ。でも今は慣れてしまって気にもならなく なったね。」 「おらまだ承知できねどもの。」 「でも黙って見て居るんじゃないかね。」 「しょねこて、流行裸でもいいていうすけの。」 「爺さんとこの婆様が腿の半分ぐらいのスカートはいたら、爺さんはどうするかね。」 「ふんま精神病院か心療内科へ連れていくこて。」 「どうして女子高生はよくて、婆様は精神病院なのかね。」 「わけもんは仕方ねども、六十過ぎのばばがそんげみじけスカートはいたら狂るたというしかねこての。」 「じゃー聞くが、女子高生が剣道の袴ぐらいのスカートはいていたらどう思うかね。」 「ひところ番長がへえていたんがの。あれも困るこて。」 「爺様はスカートの丈はどのぐらいが良いと思って居るんかね。」 「でえてえだども、わけもんはふざかぶの出るぐれで、いっちょめえになったらふざかぶがかくれるぐれかの。」 「なかなか見ているの。そうだね、誰からも文句を言われないスカート丈と言えば爺さんの言ったあたりだろうね。」 「常識だこて。」 「そこだて。」 「またおめ様のそこだてがでた。どん底だて。」 「常識とは万人の考える平均、或いは中点をいうのでないかな。それが証拠に、明治時代にスカート丈について爺様の意見を言ったら露出狂と言わ れかねないな。」 「そらかもしれねの。なしてそんげことになるがんだの。」 「そもそも・・・。」 「そもそもておめさま時々言うがかたくるしてば。でえてえそもそもてどういう意味だがいの。」 「すまんすまん、口癖でね。意味と聞かれると深く考えたことがないので解らないが(祖も祖も)あたりかな?(素も素も)でもいいな。」 「あてずっぽいわしゃんな。」 「それより、スカートの丈だがね、ある人は活動性に重きを置いて考えるだろう。ある人は寒さ暑さを考えて決めているかも知れないし、別な人は自分の足の美しさを見せる寸法を意識しているかも知れないし、みんながはいている長さ、つまり流行を考えているかも知れない。でも、多くの人はこのいくつかの考える要素を自分なりに軽重を取って決めているのだと思うな。」 「おらちの孫なんか流行一本だがの。」 「それはお孫さんは流行に後れないことが非常に重要な事だから、他の要因は無視できるんだな。」 「そだかもしれねども、でえてえが考えがねがんだてば。」 「話を元に戻すと、宗教家は神や仏或いは教祖の教えが絶対で物差しの基準は教義と言うことになるし、実業家は利潤が尺度となるだろうし、学者は学問の体系あたりが物差しかな。」 「そせばみんながちご物差持っているがんだかの。」 「そう言うことになるね。」 「だば話がおたげえ通じねこてね。」 「そこは時と場と事によって相手の物差しを尊重したり。常識や慣習の物差を使ったりして適当にやっている。それが大人という物でないか ただ、相手の物差しが自分の物差しと桁外れに違っていたりすると妥協や我慢が出来なくなり、口論になったりするわけだ。」 「物差してのは自分の信念みてなものだかの。そうだとすると、かんげえだの信念なていう上等な物はなんでもねおらみてなのはどうながんだの。」 「そんな人間はそういないな。作さんなんかは信念の固まりみたいなもんじゃないかい。」 「おらの何処が信念だがんだの。」 「作さんは倅さんに(おてんとさまがとっくに起きていらしゃるがんに何時までねてるがんだ)とか(親の顔に泥を塗るようなことをするな)とか お孫さんに(罰当たりが)とかさけんでいるのが時々聞こえているが、あれはみんな爺さんの物差しからでた言葉だね。」 「おらあたりめえのこというてるがんだどもの。」 「そう、その当たり前と言うことがつまり物差しなんだな。」 「でも近頃のわけもんはあたりめえをしらねもんがいるがの。やろめらはものさしなんてねの。」 「いや彼らだって本能的な欲望を満たすための物差しがあるはずだよ。」 「そんげことゆたら、犬猫と同じねかの。」 「そうだね、社会的訓練や教育お受ける機会の無かった若者は犬並の欲望と掟を物差しにしているかも知れないな。」 「そせば、おめさんの親のふげ様の物差しはどんげものさしだったがんだの。」 「いやそれほど変わった物差しでも立派な物差しでもなかったと思うがね。ただ人があまり持たない物差しが一本あったようだな。」 「どんげなものさしだがんだの。」 「それは、科学的合理的な事以外の物差しを持つことは堕落或いは罪悪と考えていたところが人と違っていたね。だから太っ腹とか融通が利くという 考えは大嫌いだったな。清濁合わせのむ等と言うことは、親父に言わせれば(ちゃんぽん師)がすることだ言っていたな。」 「我が儘を聞いてくれる人は人望があるどもの。」 「親父は人にも、自分にも厳しかったな。」 「ちっとばかどがすぎていたこて。」 「つまり、人間というのは、斯く在らねばならないという理想と、その反対の方向でこれ以上は許されないと言う堕落の限度を持っていて、自分はそのどの辺でやっているか。理想に近いのか、真ん中ぐらいなのか、ぎりぎり堕ちているのか、限度を超えてしまっているのかを自己評価して生きて居るんだと思うな。」 「ふげ様は理想だけしかなかったんだけの。」 「そんなことはないと思うな。やはり現実に親父なりに妥協はしていたと思うね。ただ、その許される幅が極めて狭かっただけの話しさ。」 「ふげ様は世の中の最高を物差しの基準にしていたがんだがの。」 「だから何時も武者修行のような人生だったと思うな。」 「まってみた。おめさんの理屈から考げると、人それぞれ最高と思うレベルがみんな違ごがんでねけ。」 「それはみんな違って当たり前だね。」 「したのほうだってみんなちごの。百円拾てこんげぐれもろておけとゆてポケット入れて気にもならねしょと、五円ひろて届けねかったこと気に病むしょ といるがの。」 「世の中は各自の認識の揺れの平均値の平均と、理論あるいは理想または建前の平均値の中で自分なりのバランスをとって生きているわけだ。」
早春の日は西に傾くととたんに力が無くなりあたりは急に冷え込む。作さんはぶるっと身震いをひとつすると 「おめ様の呪文が始まったすけおらけるわの。」 と一言いってそそくさと帰っていった。 先生は、今度込み入った話をするときは黒板を用意する必要があるかなと真剣に考えていた。 この項終わり |
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今年は例年に無く5月に早くも台風が日本に上陸してきた。新潟県は風よりも雨の心配のほうが大きいようだ。 先生は風向きを見に庭に出たついでに植え込みの陰で立ちしょんをしていた。終わると作さんが近づいてきて 「やっぱし男は立ってするこての。」 折りよく?庭に入ってきた作さんは先生の終わるのを待って声を掛けた次第だ。 「藪から棒に何の事かね。」 「いやあ、姪の婿が昨日から家に泊り来ているがんだどもの、一日に何度もあっぱんじゃにへるすけ 腹でも壊したか聞いたてば、ちご、しょんベンしに行くガンだというがの 。」 ここで作さんの家のトイレの構造を説明しておかないと通じが悪いと思うのでちょっと説明させてもらう。作さんの家のトイレは大用小用と別室になっていてそれぞれにドアがある。3年ほど前に大の方だけを洋式の腰掛け式に改造してある。作さんの概念からすれば洋式のほうは、女性と男性が大用を足すとき入る所で、あさがおのあるほうは男性の小を足す所なのである。 「なしてしょんべするガンにあっぱんじゃにへるがだのと聞いたでば、あたりを汚すとわりすけといわしゃるがの。おとこのしょんべんは一本棒で周りへ散らばるもんでねねかの。」 「いやそうでもなんじゃないか。前立腺肥大の老人は勢いが無いから本流と滴るのが二つになることもある。作さんの姪婿は若いから前立腺肥大は無いだろうがひょっとすると包茎かも知れないな。」 「ホウケイてなんだべの。」 「昔皮かぶりといったかな。」 「あんげもの子供だけでねガンだねけ。」 「いや、近頃は親が剥いて洗うことを教えないから、皮の口が広がらないで中身だけ大きくなって皮かむりのままの大人も多いと聞く。」 「皮がかぶっていればしょんべんは散水車みてになるこて。」 「だから朝顔からはみ出るので洋式の便座のほうが汚れないというわけだ。」 「おら親が剥いてあろてくれたんて覚えねどもいつのまにか剥けてたの。」 「それは、作さんが自分でいじって剥いたり被せたりして遊んで皮を伸ばしてからだな。」 「そいえばよせんずりけたすけの。」 「小便が二本棒になるのはこんなこともあるな。」 「どんげことがあるがんだの。」 「尿道の出口が化膿したりして医者にメスを入れられたりして筒先が円形になっていない場合い小便は割れて出るかもしれないな。」 「そえば、じみにしょんべんかけるとちょんぼがはれるすけきつけれて言われたの。あれ本気だけ。」 「いやそれは迷信だと思うが、野しょんは虫に刺されることも多いし、第一外で遊んでいるときはたいてい手が汚れて汚かったと思うな。そんな手でいじればばい菌も入りやすかったんで無いか。それを戒めてそういう話にしたのだと思うがね。」 「科学的にいえばおめさまのいわしゃることみてになるかもしれねども昔のしょはなんでちょんぼがはれたかわからねすけじみにかづけたんでねかの。」 「狐の嫁入りの話しみたいにかの。」 「それにしても洋式のね便所行ったら姪婿は悩むこての。」 「泌尿器科が整形へ行ってちょっと手術してもらえばすぐ解決することだがね。」 「それがしょしで行かれねんだこての。」 「いや恥ずかしいなどと言っていることではないな。あの皮と中身の間には恥垢がたまって大変不潔になる。つまり姪ごさんも迷惑する。」 「???・・・・・ああそだの、こきたねものいれられたら困るがの。」 「婆様から姪に聞かせてそうするように言うこて。」
今日は立ち話で作さんはそそくさと帰っていった。人間は面倒なもんだ。犬の散水なんて見たことも無い、きっちり一本だと思うけどな。 |
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第5節 優しい人 ![]()
梅雨がそこまで来ているというような空模様である。私は水石なのでいくら雨が続いてもそう困らないが、隣の浅間石君は穴だらけなので埃がたまりそこへ勝手に飛んできた雑草の種が落ち湿り気があると芽を出す。羊歯や蘭の芽なら風情になるがぺんぺん草などが芽を吹くと私の品まで落ちるのではなはだ迷惑する。 例によって作爺さんがのっそり現れ私の上に腰を下ろし、しきりに車庫のほうを気にしている。先生の車の帰ってくるのを待っているのだ。この爺さんは、先生のことなら直ぐ帰るか、遠くへ出かけたか判るらしい。どうも服装で判断しているようだ。 先生はホームセンターへ行くときでもきちんと服装を整えてショルダーバッグを肩に出かける。今日は作業着のまま鞄も持たずに運転していったのを見ていたから直に帰ると判断して一服しながら待っているというわけだ。 作さんの推測どおり煙草一本吸い終わらないうちに先生は帰ってきた。 「煙草でもこてきたかの。」 「いや、駅前の佐藤さんに届け物をしてきた。ところで待っているぐらいだから大事な用かね。」 「ごしぇやけて仕方がねすけおめさんにきいてもらおとおもて来たてば。」 「また誰かお前さんの言うこと聞かなかったかの。」 「よわかるの。」 「長年の付き合いだ、作さんの思考パターンぐらいすぐわかるさ。」 「まきけてば、長岡の末娘に長七のおじをせわしよとおもて、写真見せたら見合いしてもいてことになっての。」 長岡のというのは長岡さんのということで無く、この辺では自分の親類は住所の地名で呼ぶ慣わしがある。つまり、長岡市に住んでいる作さんの従兄弟の末娘の話というわけだ 「それは目出度いことだ。」 「はやとちりさっしゃんな。ちっとも目出度くねがんだてば。」 「駄目だったのかね。昇君はしっかりしたいい男だがな。」 「そうだろげ、だども駄目なガンだての。」 「どうして。」 「見合いしたこての、型どおり両親が付き添うて、仕方ね俺が顔出して紹介して20分もしゃべったかの。俺このときわーれ予感がしたんてば。」 「どんな予感がしたのかね。」 「長七のおじやろにこにこはしてたどもちっともしゃべらねがの。それにひきかえ長岡の末っ子はようしゃべるガンたてば。これ話の調子があわねぞとおもたがの」 「ミスマッチの妙ということもあるよ。」 「ミスマッチてどんげマッチだて。でえいちなしてこんげところにマッチの話しがでるがんだの。」 「火をつけるマッチじゃなくて、似つかわしくない組み合わせということかな。」 「似つかわしくねものが、どして妙になるがんだの。ぎくしゃくするばっかでねかの。」 「そこだて、人間の面白さは。人は必ずしも自分と同じような相手を好むとは限らないのだな。自分 に無いものを相手の中に見つけ尊敬したり、憧れたり、好きになったりする場合もあり、外から見る と加えて1になっていたり、相互補完が麗しかったりで、似つかわしくないものの組み合わせも時によってはう まく行くことも案外多いのなだな。」
「そんげ面倒な話しはいいてば。おれがごしぇやけてる話しを聞けてば。」 「見合いが駄目になったのが腹が立つというのでないのかね。」 「見合いなんて本人同士の相性で駄目になることだって有るこての。そうでねがんたてば、長岡の かすばちの言う事がごしぇやけるガンだてば。」 「彼女が、作さんの頭が禿げてるとでも言ったのかね。」 「禿げているものを禿げているて言われてなんで俺が怒らねばならねがんだの。禿なんてあれが つえ証拠の勲章だがの。」 「作さんは人が出来ている。事実を言われて腹を立てるのは小人の証拠だ。」 「おだてたって屁も出ねぜ。どうもおめさんと話してると白虎隊の墓にあるさざえ堂登ってるみてで じれってがの。」 「さざえ堂登るって何だえ?」 「あれ回り階段でぐるぐる回っていって上にいかねがの。」
「それは悪かった、そこでお前さんの腹が立っていることは何かね。」 「聞けてば、どうして相手を断ったか聞いたこての。そーしたば「あの人は優しくね」というがの。お ら優しいなんてあんま用事のね時代に育ったすけあんま優しさについてかんげたことが無かったすけの。」 「形容詞の定義は難しい。形容詞は相対的なものであり、主観的なものだからな。それでどうした。」 「おらきいたこての。 優しい男ってどんげ男をいうがんだか。」 「其の答えは私も聞きたいな。」 「幾つも例を言うたの。 はじめに言うたのが、ちょうはんくことになって、野郎いきなり小千谷のそばやへいこてて言うたら しいがの。 長岡のばち(娘)は、ちと気の利いたレストランで洋食でもくおと思っていたらしいがんだがの。 (私の意見なんてちっとも聞かないで、さっさと車走らせた)がんだての。 長七のおじに後で聞いたがんだども、野郎にせばこの辺でねばかんねもんけーてかったんと。 だっけ、小千谷の小嶋屋の蕎麦こーとおもてそーしたげだがの。自がおごるがんだすけ、自分お 好きなとこいことおもたげだがの。 ばちがこくことには、なんでも相談もしねで勝手に決めるなんて優しくねてこくががの 野郎にせば、女なんて男のかんげについてくればいいもんだ。男は女のためにそれだけ一生懸 命考えているがんだ。結果を見ろ。式だすけの。 あそこ親がそだすけ、野郎のやりかたも同じだこて。時でえ遅れながんだがの。」 「作さんも似たようなもんだがなあ。」 「おらちごて、婆にはそだども、あんにゃやよめにはいっつも伺え立てているこて。婆あは長年の経 験で俺のいうたことに従っていればまちげねこと知っているすけ文句なんていわねがの。」 「昼間からのろけなさんな。」
「二番目に、ばちのゆたことが、やっぱ優しくねて言う話しだったの。 まんまけえながら、いまやりてこと何だと言う話しになって、野郎、農家の農協におんぶにだっこ の体質改善や、丼勘定の農家経営の見直しだの、農家組合の封建制や無力の改善を長々ぶっ たらしいがんだてば。 ばちは、おめさんも知っての通りミーハーだがの。なにゆてるかちんぷんかんぷん、欠伸がでそ ながん我慢して聞いたての。 やっとおめさんはと言われたすけ、ばちめ、意地になってインテリヤこじれたの話し今勉強した ばかりの付け焼き刃をふりまわしたげの。」 「インテリアこじれた???。」 「ほれあのばち、ダサイ専門学校へ通うているがの。」 先生は作さんの外来語誤用にすぐ気づいた。作さんは意味不明の外来語は自分の語彙の中に ある似た音の日本語に置き換える癖がある。 「いいねー。ださい専門学校でインテリアこじれたを勉強しているかあ。 あの娘さんの状況をよく現 しているよ。彼女がインテリアコージネートすれば、八、九割インテリアこじれたになるだろうねー。良い表現だ。」 「何感心しているがんだの。俺そんげいいことゆたかの。」 「作さん、彼女の勉強しているのは、デザイン専門学校のインテリアコージネートって言うんだよ。 私はとても面白いと思うが、ださい専門学校だのインテリアこじれたなどと言われたら当事者は怒るだろうなあ。本人の前では正しく言わなくちゃあ駄目だよ作さん。ところでそれがどうして優しくない話しになるのかね。」
「まきけてば、野郎そんげ話し新潟で商売なるんかと聞いたがんだと。 今はあんまりねども、将来は新潟でも需要がでる。 とこたえたげだの。 そしたてば野郎追い討ちかけて 将来てどのくらい先の話しか。もっと現実味の有る夢を聞かせろとゆたてがんだ。 それを聞いて、ばちは自分が折角夢をしゃべくったがんに誉めもしねでいきなりそんげがん駄目みてな事言うなんて優しねと思たげだがの.。」 「今は優しい男が男の値打ちの時代だからな。」 「だすけ俺優しいてどんげことだと聞いたこて。そしたてば、ばちのこきゃがるには、自分の気持ちを分かってくれて助けてくれる人。だとか、女を大事にしてくれる人。とか、女心が分かる人とか、いろいろ並べたわの。だどもよかんげるとせいいっぺ自分の我侭通してくれる男が優しい男てこになる言い分だがの。そんげんがん優しいていうもんだろかの。先生どう思わっしゃるの。」
「優しいと言う言葉の一つに情がこまやかという意味がある。その意味では、昇る君は情より理念の方だから優しいとは言えないかもしれないね。だけど長岡の娘さんが求めている自分の思いを何もかにも通してくれるのが優しいと言うのにも賛成しかねるね。」 「そせばおめさんのかんげる優しさてどんげもんだの。」 「本来の情が細やかと言う意味に親切心を足して初めて私の考える優しさになるかな。」 「おめさんお言う事はいつでもぼやかして言うたり、枝葉つけて言うたりするすけ、いまいち判りがわりの。もちとハッキリいわれねがんかの。」 「単純でないものを単純に言えと言われると困るがね、たとえば・・・。」 「またおめさんのたとえばかの。ありもしね例えいわしゃんな。」 「大丈夫だ。たとえば、万引きした自分の子供に今度しないようにね。と言って特別叱りもしなかったらどうだろう。」 「そんげがん駄目さ。わーれことしがんだすけ頭の一つもくらすけねば駄目だこて。」 「作さんならそうだろうな。」 「おらだば、拳骨ひとつなんてもんでねがの。思いっきりちょうたくして懲りさせるがの。」 「作さんのやりかたは、賢い子と、臆病な子には手っ取り早くて良いかもしれないね。賢い子は親の怒っている心が分かり、自分を反省するだろうし、臆病な子は怖くて二度としないだろう。でも普通の子は自分なりの言い分があり言い訳できないのを不満に思い反発する場合が多いな。」 「そせば、どせて言うがんだの。」 「この子はどうして万引きなぞしたのだろう。なにがこの子をそうさせたのか良く考え、其の子の立場も踏まえて諄諄と諭す。二度とそんな気を起こさなくても済むように親も一緒に考えてやる。こういうのが優しい親というものでないかい。」 「そんげしれっとした事出来るがんは親でなんかねこて。だっけ先生の子はろくでもねがんが時々出るがんだの。自分の子が万引きなんかせば、くやしてしょしで、ごしぇやけて、情けのてどうもこもならねすけ、男親なら張り飛ばさねば治まらねの。女親だば泣くの。 先生てな情てものがねのかの。親の心を形にしてみせるがんが優しさてもんでねかの。それからだこての、おめさんがいわしゃるような事訳を聞くのは。そでねけ。」 「うーんー・・・・。相手のためを思って時には鬼にもなり、苦言も呈するかあ。それは確かに本当の優しさだね。だけど張り飛ばすのはやっぱりどうかな。」 「親の心底の気持ちを分からせねばどして優しいといえるがんだの。」 「今の若者はアメリカ式に女性に車のドアを開けてやったり、ベンチにハンカチ敷いてどうぞといったり、愛してるよと口にしたりして形にしなければ優しさが解らない。阿吽(あうん)の呼吸とか察するなどという、日本式感覚文化は消えているからね。殴られると殴った奴は敵なので、その心まで思いがいかない。だから、優しさから殴ったなんて思いもよらないのが今の若者でないかい。」 「そせば、うんうんというのがやさして、駄目とゆのは皆やさしねとゆことになるねけ。」 「だから長岡の娘さんみたいな発想が生まれるんだな。」
「今は強さより優しさが男に求められている時代なんだよ。」 「だっけ男が皆んななよなよっとして、髪まで伸ばして肩までたらし、首鎖して(ネックレスのことらしい)あそこさわってみねと男だか女だかわからねのがいっぺになってきたがんだの。」 「服装や装飾品は歴史的に見れば、男もかなりおしゃれな時代もあるので外見だけでは男が弱弱しくなったとは言えないがね。」 「このめえアパートで見たんどもの、布団の商売してるがんがひでしつこく売り込んでいたこて。はじめ男が応対していたども、だんだんしつこなってきたでば、どうだの、かあちゃんほれ布団だてのて言うて逃げたがの。押し売りも追い返せないで、かかの後ろへ隠れるよな男があろべの。」 「それだけ女が強くなったということだね。強くなっていく反面女は優しさや細やかさをどんどん失っているようだがね。」 「そんげなったら、世の中ぎすぎすして困るこての。」 「そこは良くしたもんで、だから女は男に優しさや細やかさを求めるようになってきていると思うがね。そして、男はそれに応えて私ら老人から見れば女っぽい男が増えてきているということだね。男も女も相手の求めるあなた好みなろうと頑張るからね。」 「そせば、男らしいて中身が変わってきたがんだの。昔風の男の優しさなんて通用しねてことかの。」 「今は混乱期で、人権とか男女平等、性差別廃止などのあり方を模索している時代なのでいささか混乱しているところがあるな。神様が男と女という別なものを創った。この別なものが協力して生きていくにはそれぞれにふさわしい分担があるはずだと思うがね。その分担をきちんとこなすことで相互の信頼が成り立ちお互い尊重し合えることになるのが自然だと思うがね。今までは女性の役割分担を社会的に軽く見ていたことは確かだ。出産・育児などは重要な社会貢献で高額な給料を払うに値する仕事であるという認識がない。この発想がない限り男女平等、人権尊重はどんどん誤った方向に行ってしまうような気がするね。」
「そんげこむずかしこと、今度公民館の講演のときでもいわしぇ。 もう一度聞くが男が優しいてことはどう言うことだの。一言できかせれの。」 「一言で言うと、大局的立場で、相手の立場を考えしかも相手に引きずられず、さりげなく何気なく相手を労われる事かな。」 「ちっとも一言でねねけ。」 「私がこれ以上わかりやすく説明出来ないことが解っていて食い下がるのは優しくないというもんでないかい。」 「ほんだの。この辺でばかよわかった顔すれば優しいことになるかの。」 「それは皮肉とゆうもんだ。」 「ごせやけていたのがおめさんのわけわからね話し聞いているうちの治まってきたてば。だっけおら家へけるこて。」 作爺さんは首に巻いた手拭を縛りなおして、生垣を潜って自分の屋敷に帰っていった。
ここで作爺さんの名誉のために一言注釈しておかなければならいのは、会話の中に「ずべ」(あいつ・あの女)、「がき」「がき野郎」(男の子)、「ばち」(末娘・女の子)など多くの口汚いような言葉が出てくるので、作さんが下卑た人間のように聞こえるかもかもしれないが、そうではないのだ。 身内や親しい友人を言うときの謙譲的表現、ないしは、親しみの表現としてこれらの言いまわしをする人が作さん年代の人に多いのである。 なお、作さんの使う方言は後ほどゆっくりと翻訳いたしますのでお待ちください。それまで、適当に推量してお読みください。
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6節 選 挙 |
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3月程皆さんに報告をサボってしまった。 この間も先生と作爺さんのなんでも談義は3日にあげず絶え間無く私の上で交わされていたのであるが、書き込む意欲が沸かなかった。と言うよりはほかに興味が向けられていたためである。その辺のことは後日詳しく報告をすることにして、晩秋の色濃くなった先生の庭にぶつぶつ言いながら作爺さんが入ってきたので、聞き耳を立ててみよう。 どうも選挙の投票の帰りらしい。孫の相手をしていた先生に窓越しから手招きして呼び出した。先生が出てくるといきなり 「あの裁判官の投票て何だの。何でも書かねば信任したことになるがんだの。おらみてに、いいしょだかわりしょだか判断してみよねもんはどうせばいいがんだの。」 「そんな時は投票用紙を受け取り拒否をすればいいんでないかな。」 「そんげしょしなことどおしてできろばの。でいち受け取り拒否したとゆことがはっきりして投票の秘密がのなるねけ。選挙の原則が守れねことだがの。」 「なかなか鋭い意見だと思うな。」 「先生て鋭い意見だとかゆて評価はするども、どしたらいいかはめったにいわねがの。」 「作さんならどうするかね。」 「じょさねこて○と×と印をつけねの3通りにすればふんまいがんでねかの。」 「そうなると印の無いのが9割近くなる可能性があるね。そうなると国民審査をしたことにならないね。」 「そせばわからねもんは賛成しておけのいましきがいいてことなんかの。」 「問題のある裁判官はマスコミなどで騒がれるから国民の判断の対象になるし、問題無い人は偉い人が決めたのだからそれで良いので無いか」 「おめさんらしくね投げやりな言いかだの。」 「その人がどんな人かは、今までの裁判でどんな立場を取ったか公表し皆に知らせなければ分からないな。でも公表してもそんなものを読む人は関係者ぐらいで周知度は今とそう変わらないと思うな。」
「議員のほうはおめさんだれにいれたんだばいの?」 「それこそ秘密だね。でも2大政党化することは政治の安定と言う面で悪いことではないが、少し心配な点もあるね。」 「どんげことだの。」 「どちらの党も政権の座に着くためにあらゆる利害を活用し、国民におもねることに汲々とする。純粋な論理に立って是々非々を明らかにする議員が居なくなる可能性があるね。」 「そんげ党いままでもねがんでねかの。政治なんて仏様や神様とちがうんでの。」 「私は参議院を今の衆議院と同じ色合いの人で構成されているのを止め、政党に属さない有識者の候補から選出する仕組みに変え、党色や属色無い専門家集団が衆議院の議決を評価し状況によって衆議院に差し戻すようにすれば良いと思う。」 「またおめさんは絵にけた餅見てなこというがの。そんげせば参議院議員を買収しようとしたり、恐喝したりでもんでいの種つくるようなもんでねかの。」 「今までは共産党がややその役目を果たしていた面もあるが、偏った世界観で国民的では無いので公平評価をするとは思えないしね。ただ、あの党を買収したり恐喝したりはちょっと出来そうも無いね。」 「どせばいいてがんだの。」 「選挙の制度見直しや、考え方の転換を常に検討する構えが不足しているね。比例代表とか小選挙区とか選出の数の操作程度で質に対する改革論が欠けているんだな。」 「おめさんの話しは靴の底から足の裏けてるみてですきっとしねの。」 「決定的結論が出せるぐらいなら今ごろ総理大臣になっていると思うよ。」 「いや、そんげことできるもんだったら今ごろテロでやられていたこての。」
大笑いになり作爺さんは雪が降ったら何処でしゃべくるか心配しながら帰っていった。先生はベランダを温室化し鉢物と作爺さんを収納する案を持っているらしい。 |
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第7節 女性ドライバー
先生は、私の目と鼻の先にあるベランダをなにやらがたがたと細工し始めた。
この人は器用貧乏で、たいていのものは自分で作ってしまう。それは良いのだがそのために昇降板(電動のこぎり)だの手押し自動かんなだのと素人が持たないような工具や道具を買い集めてくる。
奥さんが思わず貴方が死んだらこの道具どうすればいいのかと口走ってしまい先生の機嫌をを損ねていた。
二日ほどするとベランダは透明エンビ板に囲われ温室化した。いろいろな鉢物を取り込んだので空間は少なくなったが、人二人ぐらいは対座できるスペースは残った。
先生は小型のガラス天板のテーブルに床机様の椅子を持ち込みミニチュア応接コーナをしつらえた。ガラス面のテーブルを使い圧迫感を無くしたあたりなかなかのものである。
翌日珍しく先生の方から作さんを垣根越しに呼んでいた。作さんははじかれたように飛び出してきて
「なんだばえの。なんかおおごとでもおきたけの。」
「いやあ、作さんとお茶飲む場所を作ったから、お茶飲もうて。」
「おらさーめとこやだで。」
「大丈夫だ暖房も効いて汗がでそうな場所に作ったから来てみなさい。」
作さんは半信半疑で後ろについてきたが、玄関を入らずにベランダ温室に直接入られる構造や土足のままは入れることなどおおいに気に入ったらしく、大はしゃぎで作さんらしい一言を発した。
「花があったり蘭の葉があったりでトロロペカルでばかいの。」
「??トロロペカル?それはなにかね。」
「おめさん南の国のはないっぺのことトロロペカルというがんだがの。そんげがんもわからねがかの。」
「それを言うならトロピカルといってもらいたいな。それにしても作さんいいことを言ってくれるね。」
先生もトロピカルという発想はなかったので、大いに気に入り、手作りの床机をトロピカルな色合いに塗り直そうかと考えたりした。
「先生おら、このめえひでめにあったてば。」
「どうしたね、けがでもしたかいね。」
「いやの、知り合いの家へいことおもていったてば、そしたらあそこのこうじばかせーめがの、その入り口に自動車がぺたっととめてあって俺の自転車がへーらねがんたてば。荷台に八珍柿一箱やろにくれよとおもうてつんでおいたがんたてば。しかたねすけだいてすりぬけてあぇんだこて、そしたてば腰ぎくっていわせての、はこほんなげて腰おせたこて。いいあんべにぎっくり腰までいかねかったども箱の中の柿がいくつもへっつぶれたこての。もんでえはその帰りだこての。
ちょうど車の運転手が乗り込むとに会ったすけ、こんげとことめたらへえらんのなるねけ、きつけねばだめだねけ。一言注意したこて。その運転手の女の言いぐさがしんきやけたの。奥様ぶった見てな口の利き方で、(あら小路があったの、ほんの一寸のつもりだったのでうっかりしたわ。ごめんなさいね。)そうゆて、人の顔もよみねでさっさといってしもたがんたてば。図々しいというがんだか、無神経ていうがんだか、人を見下げたみてな口の効き方でわりかったなんてちっともおもていねかったがの。車が行ってしまわねば引きずり出して頭のひとつもくらつけたかったの。」
「私も女性ドライバーには、腹が立ったり、じれったかったりすることが多いね。」
「俺運転しねすけよわからねどもどんげことあるがんだの。」
「一番危ないと思うのは交通量の多い十字路の右折だね。車の切れ目を見極められない。後ろについて見ていると今なら横切れると思う車間距離があってもなかなか横切らない。そのくせじわじわと対向車線に頭をはみ出してくる。
いよいよ黄色信号になると無理しても突っ込んで横切る。」
「それは、女は臆病だすけそうなるがんでねかの。」
「まだある。女は深く考え事をすると目が開いていても認識力が無くなるらしく、信号無視、追突、車線変更不適切の事故も多いそうだ。男は酒気帯運転が判断を無くするが、女は考え事が判断を鈍らせるらしい。」
「そせば、失恋中の女なんていっちゃあぶねの。」
「どんな状況の中でも目の前のことに集中し他を無視できることは、女性の特技ではあるが運転中はいけないね。運転は満遍集中で無くてはね。」
「おらちと違うとおもな。昔はよう新婚のあんにゃとあねが麦畑の中だのはざばの陰でなにしてたもんだがの。」
「何をしていたのかね。」
「しらばくれねばいいて、大人は見てみねふりしていたがの。ほれ、その頃の百姓家は板ふすま一枚、障子一枚で部屋が仕切られているすけ、ちんこい家は何する音が筒抜けになるわけだ。だすけ思うようになにができねがんだて。だっけ野良仕事にでたとき思いっきりするわけだがの。その辺みんなもわかっていたすけしらんぷりしていたこて。」
「作さんは何が言いたいんだね。」
「そうそう、俺がその頃は毎日のこだども、川舟でがにつづ上げに行ったがの、そしたらがつぼのかげでやってたの。男はすぐおれの舟に気がついてとびおきたども女はなんだかわからねでどした?みてなかおしていたがの。」
「まだ作さんの言いたいことがわからないね。」
「だっけ、女は夢中になると他のことを無視して集中するがんでのうて、夢中になると他のことがのうなるがんたてば。」
「場合が違うので運転と同次元では言えないが、その傾向があることは同感だね。」
「おら自転車だすけ運転のことはよわからねども、おんなて友達下ろしたりするとき、もちっとはじっこよっておろせばいのに道の真ん中で平気に車止めて下ろして、挙げ句の果てに車の中のしゃべちょの続きひとくさりしたりしているがの。後ろに車がつっけていても急いだよなふりはするどもしゃべちょはしてしまうがの。」
「ほんの一寸だからという理由が多いようだが、だからといって二重駐車をしたり入り口をふさいだり通行妨害を許せるものではないね。」
「なんして女にそんげがんがおおいがだの。」
「主婦の買い物時の不作法は時間がないためだろう。また女性は簡潔にものをしゃべれないのでつい長話になったりもする。交差点などでは作さんの言うとおり臆病なせいもあるだろう。
しかし根本にはまだまだ社会性の不足な女性が多く自己中心的で自分の都合を優先してしまうのがおおいということかな。女性は社会的にはまだまだ発展途上国だね。」
「男はでいじょうぶだかの。」
「ところが日本の男は社会性を退化させているのが増えてきている。社会性については男女のレベルの差が少なくなってきたね。」
「それはともすると家庭教育がかあちゃんまかせのせいでねえかえ。」
「いやーきょうの作さんは鋭いね。そうなんだよ日本人の質の向上は、男性の家庭教育への復帰と女性の社会性の向上にかかっているんだね。」
「おらあ、人のめいわくもかんげえねで、いばりくさっている女がいる話をしたかったんどもの。おめさんはすぐ大げさな話にしてしもうがの。」
それからしばらく他愛ない話をしていたが、作さんはこのミニチュア温室が気に入ったらしく冬天気の良い日はここでお茶飲みするのは最高だのなどと先生を持ち上げて帰っていった。
第8節 男の育児 
男の育児で乳児の権利が保障できるか
最近先生は、朝食後たばこをくわえながら例のミニ温室で鉢の手入れをするのが日課になったようだ。これには2つの理由がある。一つは孫のゆうちゃんが3歳にもなるとだんだん知恵がついて、先生がたばこをふかし始めると「くさい、くさい、健康によくないよ」と言う。「健康ってなんだ?」と聞くと、「???」つまり誰かの口まねなのだ。しかし、即先生の奥様が「そうだね」とくるので、先生は別室に行くか外に出るほか無いのである。
でも、このミニ温室が出来てから専らここで喫煙することにしている。
もう一つの理由は温室に鉢を入れたら、真冬でも鉢物は結構手入れがいるようになった。たとえば温室の中では雑草が芽を出すのである。そのほかシクラメンの葉組をしないと花芽が巧く伸びない。雨風に当たらないので君子蘭や万年青は霧吹きや葉の埃のふき取りが必要なのだ。斯うして一日に何回か先生はこのミニ温室で時間を過ごすようになった。
そうなると、作さんの訪問は天候に左右されることなく、気が向けば何時でもやってくる。今日も朝食後の一服をねらって早速「いたいた」と挨拶代わりの愛想を言いながら入って来た。
来るやいなや「ろくぞうの婿はこの頃赤子の守子を昼間中からしているが、リストラでもされたんけ」と話し出した。この辺では同姓の家が多く名字で言ってもどこの家か区別が付かない。たとえばこの町内でも布施姓が5軒、坂爪姓が4軒、五十嵐姓が3軒と言う具合だ。だから昔から屋号で呼ぶ習慣がある。「ろくぞう」と言うのは布施六太郎さんの家のことである。六太郎さんの家の初代が六蔵と言う名前だったらしい。このようにたいがいは初代の名前がそのまま屋号になっている家が多いが、中には職業が屋号になっている家もある。例えば、豆腐やとか煙草やと言う具合だ。これは初代の職業で今は別の職業でも屋号はそのまま残っている。もっとも、たいていの人は後に「ろん(どん)」を付けて呼ぶ。この「どん」は「殿」がなまった物と思われる。この辺は江戸中期の新田開発で生まれた集落で当時農民には姓がなかったので個人識別には集落名と個人名を併せて個人識別をしていたようだ。例えば、新田の六蔵ろんと言う具合に。
もっとも最近は名字で呼ぶ人も多くなったようである。例の布施さんのような場合「布施六郎さん」と姓名を言わないと区別がつかない。先生や作さんぐらいの年齢の人は相変わらず昔ながらの屋号を使い、作さんのような率直な人は「ろん」省略が普通なのだ。
「ろくぞうの婿はこの頃赤子の守子を昼間中からしているが、リストラでもされたんけ」の続きの会話に戻そう。
「いやあれはご主人が育児休暇をとったらしいね。」
「そんげことできるがんだかの」
「性差別を無くしようと言う思想から法律がそう改正されたんだな。」
「そえば、あそこのかあちゃんはばかえらさんで親父よりこったもぜんいっぺとってるて話しだがの。しんしょのことかんげるとそなるがんだの。だろもあの婿の守子みてると、おれられば任しておかんねがの。」 「経済的理由がどうあろうと、夫の器用不器用がどうあろうと乳児の育児を男がやることには大反対だね。」
「おめさんにしては珍しくはっきりものいわしゃったの。」 「人間には年齢相応の環境と経験を経て初めて人間らしく成長出来るので、乳児の場合、母親の乳首を吸い、もう片方の手でもう一つの乳房を握り母親の顔や目をみつめ肌の温もりを感じながら育つ。そして、母親は赤子の顔を見返し話しかけたり微笑んだりして愛情を注ぐ。この環境が乳児には保証されなければならない。これが乳児の人権なんだよ。この経験が無くして人間は人間らしく育たないと思うな。」
「母乳のでない母親の赤ん坊はどうなるがんだの。」 「乳房の代わりに哺乳瓶を持っていても母親は見つめたり抱きしめたりと赤ちゃんの要求に応えようと本能的に頑張るね。男にはこの本能的という部分が不足してしまうんだな。」 「そういえば六蔵の婿もこのめえ哺乳瓶ぼぼにくわえさせながらテレビの野球一生懸命見ていたがの。ぼぼがふがふが音出しながらあんにゃの顔いじろとしてたのをうるさがって顔も見ねでテレビ見ながら手押さえていたの。」 「男が育児をすると大抵そう言うことになるね。つまり体の成長に対する育児は出来ても、人間らしくなる精神的な育児は見落としてしまう。今の婿さんの例は赤ちゃんに人間不信を植え付けているようなものだね。」 「ちと大袈裟でねけ。」 「とんでもない。赤ちゃんがふがふがと語りかけたのを無視され、頬に触れ温もりを感じようとしたのを拒否され見向きもされなければどうして人間を好きになり、親を好きになれると思うかね。赤ん坊の時母親の柔らかい胸に抱かれて安心しておっぱいを飲む経験無くして人間らしくなるのはよほど本人や周りの人の努力がないとなれないのだよ。何らかの人間的歪みを作り出してしまう。勿論本人の学習や努力でその歪みは、表面に出さずに成人している人もたくさんいるけれど、潜在的にはなかなかその歪みは無くならないと思われるね。」
「男がいっくら可愛がっても駄目なんけ。」
「駄目とは言い切らないが、自然本来の姿でないので無理があると思うよ。。」
「
たとえばどんげゆがみがでるがんだの。」
「一番多く現れる欠陥は男の場合痴漢症状を持つことになる。限りなく女性の肉体に興味(憧れ)を持ち理性との葛藤が常につきまとう。場合によっては理性を超えて反射的にさえ女性に触れてみたい衝動にさえ駆られる。一種の病状とも言える男がいるがこんな症状のあるのはたいてい乳児期に母親の抱きしめが不足して育った男に多いね。」
「そのほかどんげことになるがんだの。」
「なかなか人に馴染まない子だったり、逆に人の気を引くために反社会的行動が多くなったり、卑屈な態度が多くいじめられっ子になったり、と多様な欠陥が見られるようになる。一番困るのは自他共に人間を大切にする気持ちが希薄であることが多いと言うことだね。」
「そせば子持ちの女は社会で仕事出来ないと言うことになるねけ。」
「少なくとも授乳中は母親が育児に専念してもらいたいね。食事が自分で出来るぐらいになったら男親でも、子守でも、保育園でもよいと思うがね。」
「近頃保育園でも乳児保育を引き受けているところや、初めから乳児を預るところがあるがあれは駄目なんかの。」
「満足な人間を育てたかったら絶対あんなところで子育てしてはいけないね。どんなに優しい勝れた保育者がいても集団保育になる。1対1の温もりの伝え合いはない。最低限許されるとしたら1対1で授乳することの出来る、いわゆる乳母のような人材があればそれでも良いと思うがね。」
「そせば女性の社会進出なんてできねなるねけ。」
「そうは思わないね。まず、子育てが社会的活動でないように考えるのが間違いであることに世の中は気づくべきであるね。人類の後継者をつくる基礎部分を担当している仕事をどうして軽く見るのか。あらゆる仕事の中でも最重要な仕事をやっているのでないかな。だだ、現況では収入に繋がらないので軽くみられる。もっとひどいのは余計仕事のように考えているのがいる。」
「ぜんにならねばどおしてもそうなるの。」
「そこで、提案するが、」
「俺みてなのに提案してどおなるの。」
「まあ聞けてば、老人に年金があるだろう。あれは積み立てを返してもらっているような形式だね。育児休暇の給料補償は前借りの形式で無利子で (運用上国が利子補給の形になる)借りられるようにし本人の希望額を毎月支給する。勿論各種の社会保険的天引きはその額に応じて行われるのは仕方ないことだね。返済期間は定年を限度として本人の申し出期間とすることにしたらよい。この返済は夫婦で当たり、返済分担額は本人たちの申し出によればよい。また、子育てという国家的事業の担当者と考え国費で月々手当を支給する。このことで無職の子育ての母親にも収入が生ずる。1年間母親は子育ての義務を負い育児に従事しなければならない。後2年は任意の期間とし、父親と交代しても、とらなくとも良いことにする。勿論任意期間も借り入れは規定によって認められる。斯うすれば子育てで休むと収入が絶たれるということが無くなるのでないか。」
「そんげややこしい人間くびだこての。」
「それは法律で身分保障はしなければならないね。3年も休むと仕事に疎くなる面もあるので一定期間アイドリング勤務制度もいるかもしれないが、とにかくもとの身分は保障されるよう法で定めなければならないね。もっとも1年ぐらい経過した後で再評価をし身分移動があってもこれは育児休暇と関係ないと考えて良いと思う。」
「なんだかよわからんども、つまるところは乳呑み子は母親が育てねば駄目だてことなんけ。」
「そのとおり、人間が暮らして行くには衣食住が必要だが、人類が生きて行くには衣食住育が必要で夫婦はこれを確保する責務があり、国は万全の支援をするための政治をしなければならない。」
「衣食住が足りて礼節なるではだめで、
衣食住育足りて礼節成ると言う事かのう
「作さんと二人で衣食住育の精神を広めるために全国行脚に出かけたいね。」
「それはやめた方がええで、芭蕉とそらでもないし、弥次喜多でもないし、コンビの体裁が悪いがの。不似合いは間違いの本だて。」
いつの間にか灰皿が山になり、ベランダ温室は煙でもうもうと煙ってしまっていた。「こんげけぶてところ花も大迷惑だこて、はよ戸開けてけぶださっしぇ。おらさーべすけかえるがの。」と一人合点してそそくさと帰っていった。
10節
金 属 製 位
35度を超える炎天が10日以上続いている。
木々はうなだれ、草々は地にひれ伏し、人々は室内で冷房を利かせじっと外の様子を伺っている。
我輩の上はやけどするぐらい熱く、目玉焼きの半熟なら軽く焼けると思う。空は黒い宇宙の底が感じられるような青空。空気はあくまでも乾燥し澄み切っている。こんなときは日が射しているところはぎらぎらとまぶしく、日陰は黒く濃い影になる。鉄漿トンボがゆらゆらと飛んできて、ふっと消えてしまうような錯覚を感じるのはこういうコントラストの強い日差しの日である。
そんな按配だから作さんもしばらくは顔を見せなかった。
ところが先生の誕生日8月8日から急に朝が26、7度ですごし易いくなった。先生の水撒きの時間は肌寒さを感じるぐらいである。
こうなると、作さんはじっとしていられない。いきなり地境の溝をぴょんとまたいで「おらったかの」と水撒きの終わりを催促した。 指定席の私の上は先生が水をたっぷり撒いたあとなので腰をおろせない。「おめさんも気がきかねの、俺がくるガンわかっていたらここ水なんてまかしゃんな。」一くさり述べてからやむを得ず立ち話で切り出した。
「先生盆に温泉でも行ってこねかの。」
敬神嵩祖の念人一倍である作さんが盆をキャンセルしようというのだからただ事ではない。
「作さんお墓参りはどうするんだね。」
「おらめえの日めって、ごいんじょ様によ頼んでおくこて。」
「そうまでしてどうして13日の日皆と一緒に行きたくないのかね。何か都合の悪いことでもあったのかね。」
「大ありだてば。俺が今年もみんなと墓めえりにいこもんだらひと悶着起きるがの。」
「どうしてかの。」
「まきけてば、去年の墓参りで皆で並んでぼん様に墓経読んでもろている最中に長岡のばちの首に下げていた位牌がぶるぶるとへんなおとだしはじめたがの。ばち位牌のふたを開いてちょこちょことわきへどけたかとおもたらなんか位牌に向かってしゃべり始めたがの。」
「作さん一寸待ってくれ。その位牌というのは何かね。」
「ちかごろわけもん皆が持っている携帯電話のことだわの。あれどー見ても金属製位牌に見えるがの。格好がそっくりだがの。」
「その携帯電話がどうかしたのかね。」
「おめー、お寺様がお経読んでる最中にふんまそばでぺちゃくちゃだっちもねことしゃべくりだしていと思うかの。」
「確かに電話がかかってくると相当重要な場面でも中断して電話に出ることが当たり前のようになっている面があるね。」
「そいうがんだてば、やっぱしおととしの盆のとき長岡のいっちゃしたの子が本堂でお参りしてる最中におんなじことしてたがの。ところ嫌わずあのカネ位牌弄繰り回すのおら我慢ならねてば。」
「それで?」
「今年またそんげことあったらおあらがまんならねて怒鳴りつけてしもがの。そんげなると、長岡のおじ、俺のことよ思わんすけ 昔もんがとかなんとかゆてケチつけてくるとどーしてもいさけになるがの」
「長岡の弟さんは短気だからね。おまけに作さんの子供は皆よくできているのでねたみもあるようだしね。」
「だっけおれがいねほがいいがんだてば。」
「それにしても私を逃避行につきあわせる法はないだろうがね。」
「おらおめさんのためにゆてるがんだで。」
「私を墓参りから逃げ出させることがどうして私のためなんかね。」
「かんげーてもみらっしゃえ、おめさんの倅40にちけーがんろの、はかめえーりのときはおめさん当主面してぼんさまに口きいてるがの。」
「仏事だけは私が生きてる間私が仕切ることにしているんだがね。」
「われこといわねすけ、今年はおめさんいのでみた。今年は皆がたのーし墓参りだったといわしゃるわの。」
「どーして私がいないと楽しい墓参りになるんかね。」
「おめさんは墓めえりは儀式だとおもているがんだろの。ところが今のわけもんは儀式でのてレクレーションながんたてば。おめさんのてまえギャフギャフもできねすけ神妙なかおしているども、きゅうくつでしょうがねがんたてば。だっけおめさんがいねば楽々して曾ばあちゃんや曾じいちゃんやご先祖様のこと面白おかしゅう語るがの。
おめさんの親御さんは曲がったことはきれだったども、頓知もあってみんなを笑わせるのも上手だったがの。おめさんお倅もなかなか頓知がいいがの、隔世遺伝だの。」
「だからどうして私がいないことが私のためになるんかな。」
「まだわからねかの。家の中の切り盛りは自分がいなくても倅がやってくれるとおもたことあるかの。」
「そんなこと考えたことも無いな。」
「そんげことで安心して息引き取れるかの。思いを残して死んだしょの顔と、安心大往生の死に顔とはでーぶちごがんだで。お別れのとき皆がおめさんをみて、いい顔していがしゃったとゆてもらえるように、思いが残らねように確かめておかねばならねもんだわの。」
「自分がいなくても墓参は倅がきっちりやれるということを確かめるために湯治に行けというのかね。」
「やっとわかったかの。」
「作さんは侍だなー。」
「????」