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 少々、かたはらいたきまで詠じ誦じて、硯こひて、「この座なる人々、何ともみな書け」とて、わが扇に書く。

――隆房の少将は、きまりがわるい程に私の歌を読み上げて、硯をもらい、「この座にいる人々は、なんでもいいから、みな和歌を書きなさい」といって、
 □かたはらいたし=@恥ずかしい・きまりがわるい Aみっともない・気の毒だ □誦(ずん)ず=「誦(ず)す」ともいう。「声に出して読み上げる・口ずさむ」という意味。古文常識としては、☆「他人の歌を読み上げる→歌の賛美」ということを覚えておこう。みんなの前で、隆房が右京の歌を読み上げたということは、隆房が右京(作者)の歌をほめたたえたということになるわけである。右京は隆房に歌をほめられて照れくさかった。それが「かたはらいたし=きまりがわるい」という語で、傍線部eに示されている。以上のことをふまえて、問四の解答は@にしたい。


 かたがたに忘らるまじきこよひをばたれも心にとどめて思へ

――あれこれと忘れることができない今宵のことを誰も皆心にとどめて忘れないでください。

□これは少将の歌。□かたがた=あれこれ・あちこち。□忘らるまじき=忘ら+る(可能の助動詞)+まじき(打消推量の助動詞)。「る」は後ろに打消表現をともなうので「可能」と考える。


 権亮は、「歌もえ詠まぬ者はいかに」と言はれしを、なほ責められて、

――権亮は、「歌も詠むことができない者はどうしましょう」とおっしゃったが、

  え詠まぬ者=「え」は「ぬ(打消の助動詞「ず」連体形)」と呼応。□言はれし=「れ」は尊敬の助動詞「る」連用形。権亮が主語なので受身は変!打消が下にないので、可能は変!自発か尊敬だが、自発だと「自然に言われて」で、皆に問いかけている発言の内容を考えるとしっくりこないので、尊敬にする。□責められて=「責む」は「催促する」。「られ」は受身の助動詞。権亮が歌を詠まずに逃げようと思ったのに、みんなから「お前も詠め」と催促されるのである。


「心とむな」「思ひ出でそ」と言はむだにこよひをいかがやすく忘れむ

――「気にとめるな」「思い出すな」ともし言われたなら、その時でさえ、今宵のことはたやすく忘れられるものではありません。(まして少将殿に「忘れないでください」といわれたのだから、忘れるはずがありません)

「心とむな」「思ひ出でそ」=「な」も「そ」も禁止。□「言はむ」=「む」は仮定の助動詞。□だに=類推の副助詞。類推の「だに」は、軽いものをあげて、後で重いものを類推させる。「犬でさえ、恩を忘れない。(まして)人間は恩を忘れてはならない」という要領。類推の文脈にこの歌をあてはめると、「忘れろと言われても今宵のことは忘れられない。(まして、――13行目で少将に――)忘れるなと言われたのだからなおさら忘れられるはずがない」ということになる。もちろん「まして」以下は和歌中には書かれていない。□「いかが」=反語を表す副詞。


経正の朝臣、


うれしくもこよひの友の数に入りてしのばれしのぶつまとなるべき

――うれしいことに、今宵の遊びの仲間に入ったので、みなさんに思い出され、私もみなさんを思い出す、今宵がそのきっかけになるでしょうね。

しのばれしのぶ=「れ」は受身の助動詞。私が皆に「しのばれ」、私が皆を「しのぶ」という意味。「しのぶ=なつかしく思い出す」は心情動詞なので、自発でとった人がいたかもしれないが、「しのばれ」を自発でとると、次の「しのぶ」が浮いてしまう。ここは漢詩によくあるような対句的表現だから、受身と受身なしの形で「私が皆に思い出され、私も皆を思い出す」ととると、うまくつじつまが合う。センターにはこのようなひっかけが多いので注意したい。□つま=@端 A縁側・軒端 B きっかけ・端緒。ここは、B。□「べき」=係り結びでもないのに推量の助動詞「べし」が連体形になっている。こういうのを連体止めといい、詠嘆の意を加える。


 と申ししを、「我しも分きてしのばるべきことと心やりたる」など、この人々の笑はれしかば、
――と申し上げたので、「自分だけ特別になつかしく思い出されるはずだといい気になっているよ」などと、これらの人々がお笑いになったので、

  我しも=「し」は強意の副助詞。「も」も強意の係助詞。(「しも」を強意の副助詞ととる説もある)。訳さなくてもよいが、ここでは「だけ」という訳語をつけておいた。□分きて=特別に。□しのばるべき=「る」は受身。「べき」は当然でとったが、推量でもよい。□心やりたる=「心やる」は、@気を晴らす。A得意になる・いい気になる。「たる」=存続の助動詞、連体止め。□笑はれ=「れ」は尊敬の助動詞。下に打消がないので、可能はダメ。「この人々」が主語なので、受身は変。自発はいいように見えるが、自発とは無意識の動作である。この部分は、経正をからかおうとして、周りの人々が意識的に経正を笑っているという文脈だ。意図的に経正をからかうのだから、自発はおかしいと見るのである。


 「いつかはさは申したる」と陳ぜしも、をかしかりき。
――「いつそんなことを申しましたか、私はそんなこといいませんよ」と経正の朝臣が弁解したのもおもしろかった。

□「かは」は反語。□陳ぜし=「陳ず」はサ変動詞で、「弁解する・主張する」。「し」は過去の助動詞「き」連体形。