現代語訳
第二回『土佐日記』
 一月十一日。未明に舟を出して、室津をめざす。人々はまで寝ている時間なので、海の様子も見えない。ただ月の位置を見て、西東の方角を知った。こうしているうちに、すっかり夜が明けて、手を洗い、(祈りや食事など)いつもの様々なことをして、昼になった。ちょうど今、羽根というところに来た。幼い子供が、この場所の名をきいて、「羽根というところは、鳥の羽根のようなのですか」という。まだ幼い子供のことばなので、人々がそれをきいて笑ったときに、さっきの女の子がこの歌を詠んだ。

 まことにて=幼い子供の言うのがほんとうで、「羽根」と名をきくところが鳥の羽根であるならば、飛ぶように都へ帰りたいものだなあ。

 と詠んだ。私たち一行の男も女も、「なんとかして早く今日へ帰りたいなあ」と思う気持ちがあるので、この歌が上手だというわけではないけれど、「なるほどな」と思って、人々はこの歌を忘れない。この「羽根」という場所についてきいた子供からの連想で、また死んだ子のことを思い出して、いったいいつその子のことを忘れるか、いや忘れる時などないのである。今日はとりわけ、死んだ子の母親がお悲しみになることですよ。土佐に下ったときの家族の人数が足りないので、古歌に、「数は足りなくて雁は北に帰っていくようだ」ということばを思い出して、ある人(=紀貫之)が詠んだ歌。

 世の中に=あれこれ思いやってみるけれども、世の中に、子を恋い慕う物思いにまさる物思いはないものだなあ。

 と詠んでは思い嘆く。