竹内三統流柔術沿革 |
|
| <「肥後武道史」熊本県体育協会編・昭和15年刊>より | |
| 文禄の頃、竹内中務太夫久盛、愛宕神霊より五件の捕手を授かりしと伝へられ、其子竹内常陸助久勝に傳ふ。久勝、竹内流小具足腰廻と名づけ、諸州を修行、廻国数年、忝くも天聴に達し、叡覧あらせられ、日下捕手開山の称号を賜ひ普く天下萬民を教導せよとの綸旨を下し賜ふ。茲に於て愈々志を励まし、更に廻国数年同志を得ること数千人、門人亦其志を継ぎ、一士一夫たりとも兵法に誘導するを以て功とせり。爾後、数十代を経て細川家の臣、戸田孫助英之を同藩、矢野仙右衛門に傳ふ。其子、彦左衛門廣英、作州津山に於る同流宗家を訪れ、研鑽数年にして帰藩、大に門弟を教養し、司馬太廣則を経、廣次に傳ふ。廣次の死後其子官吏として當地に在らざる故を以て、其遺言に依り門弟、黒川秀義師範代見として當地に於る同流を維持し多数の門人を教育し居れり。 |
|
| * | 竹内三統流の沿革について簡潔に記載された文章がありましたので、それを引用しました。この詳細は流祖矢野廣英師範の書付として残っており、それを別項に記載します。 |