入道沢鉱山





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かつて、白根山周辺には数多くの硫黄鉱山が存在した。
朝鮮戦争の際には「黄色いダイヤ」と呼ばれるほど硫黄の価格が高騰し盛況を極めたが、 昭和40年頃からは原油から回収硫黄を得られるようになり、硫黄鉱山は徐々に力を失っていった。
現在では全ての硫黄鉱山が閉山となり、鉱山跡地でその面影を残すだけに過ぎない。

群馬県内の硫黄鉱山と言えば、
・小串鉱山
・白根鉱山
・万座鉱山(湯釜から硫黄をほじくってた)
・吾妻鉱山
・石津鉱山
がよく知られている。

しかし、今まで存在を知らなかったが、もう一つ大きな硫黄鉱山があるらしい。
しかも国道から目視出来る場所に。

その鉱山の名は「入道沢鉱山」(通称)と言う。

「日本地方鉱床誌 関東地方」の記載によると、
戦前は白嶺鉱山(びゃくれい)、1955年からは万座硫黄が草津鉱山として経営し、主として入道沢の硫黄を採掘していた。
1959年に青葉鉱床を発見、ガスの湧出場所を探鉱するも確認には至らなかった、との事。

この鉱山に訪れるにあたり 北信州探検日記様の この記事 を参考にさせて頂いた。
先人の調査に敬意を示しここに記載する。


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入道沢鉱山への道のりは、入道沢を遡行するルートと、山を越えるルートがある。
我々はスキー場に車を置き、山を越えるルートを選択した。
山越えルートは地図上で登山道が敷かれているのを確認できる。
ただ、スキー場関係の道が入り組んでいるため地図を読める人やGPSを備えてないと高確率で道に迷うので注意。

尚、今回は探検仲間の風越龍さんと訪れた。






スキー場を出発して数十分、深い藪をかき分けながら登山道を進むと、目前に索道のワイヤーが見えてきた。






ワイヤーの先には巨大な鉄塔が見えた。
更に先にも小さく二つの鉄塔が確認できた。
資料によると、採掘された鉱石は索道によってスキー場付近まで送られ、トラックで草津町南端の草津鉱業所で製錬されていたと言う。

巨大な鉄塔の周辺には、排水関係と思われる施設が見えた。






更に進むと、遂に鉱山跡地が・・。
予想以上の規模と迫力を前に、自然と歩くスピードが早くなる。






鉄塔はワイヤーが張られた状態で残置され、ワイヤーの先には詰込所と思しきコンクリート施設が見える。






天気予報は曇り。
出発時は曇天模様だったが、鉱山跡地の滞在中は狙ったように青空が広がった。
我々の訪問を歓迎してくれているかのようだった。






入道沢鉱山の鉄塔の方が小串鉱山の鉄塔より年代が古そうだ。
洒落っ気の欠片も無い、機能のみの追及する無骨な産業設備。
最高に渋い。

これ程までに状態が良いのは、谷間に鉱山ゆえに風雨の影響が少ないからだろうか。






一つ、倒れた鉄塔があった。






土台からスッポリと抜けている。






基礎のコンクリートは触ればボロボロ崩れるほど脆い。
石ばかりで随分粗末なコンクリートだったが「長い間ご苦労さま」と一言声を掛けたい。






何気なく鉄塔の滑車に力を入れると、「ギー」と渋い音を立てながら回転した。
動くと思っていなかったので、回転した瞬間、ちょっと感動した。






来た道を振り返る。
現存する鉄塔は確認できたもので8塔。
本当によく残っている。






ワイヤーは吸い込まれるように建物に延びている。
我々もあそこを目指す。






藪を掻き分けたり沢を登ったりして、ようやく本丸近くまでやってきた。






当時の石垣や多くの残骸が転がる。






索道のバケットか・・?






朽ちたワイヤーを見ると、心にロープが使われていた。






何か建物の基礎だが、これだけではなんだか分からない。






これだけの木材が散在するという事は大きな木造施設があったのだと思うが、事務所とかか、トロッコ関係か、真相は定かでない。








やっと最後の鉄塔へ辿りついた。
片方のワイヤーは朽ちて垂れ下がっているが、もう一方のワイヤーは今も張力を保って沢の対岸を繋いでいる。






鉄塔から振り返る。






赤錆の良い色をしてます。






積込場(?)内部。
散乱した木材の下には水が流れている。

てっきり通洞抗と繋がっているかと思いきや、奥は完全に塞がり、ホッパーも見当たらない。
側面の開口部から積み込んでいたようだが、構造的に解せない部分もある。






索道の折り返し地点なので、下部には巨大な車輪が見えた。
腐った木材が足場なのであまり近づけない。






保守用部品も当時のまま残されていた。








もちろんダイナマイトは残っていない。








索道のレール(?)はぐにゃぐにゃに曲がっていた。






お外へ。






いたる所にトロッコの台座が転がっている。






索道のバケットか、鉱車か。
鍋トロにも見えるが、自動でバケットがひっくり返る機構がついていた。
グランビー鉱車か?






ズリ山へ。
日本じゃないような風景。






積込場の上部。
ここから軌道が等高線上に延びている。






この場所は積込場とインクラインで繋がっていたようだ。






軌道の先には潰れた坑道がある。
三角の木枠は支保工か。

入道沢鉱山は坑道掘りにより採掘され、資料によると通洞抗、一抗、新盛抗、第一神風抗などがあった。
ネットで『白嶺硫黄鉱山坑内外における電気探査について』で検索すると昭和27年の論文のPDFが見つかり、鉱床の分布や坑内図などが書かれている。






錆で薄くなったスコップ。
ここは遺構や残骸が多く残っていて面白い。






軌道跡。
レールもたくさん残っている。

残っている遺構から、昔の鉱山の様子を頭の中で組み立てる。
また、仲間と「これはなんだ」と議論を交わし、散らばる状況を組み合わせ特定する。
残置物が多いほど当時の様子が明確に再現され、遺跡発掘のような、宝探しのような楽しさがある。
しかし分からないことも多く、当時の写真や資料を見てみたい。






慰霊碑がある。

”1956年1月31日
雪崩のために十四人の尊い生命が永遠に眠ってしまった”


当時、飯場を雪崩が襲い尊い命が失われた。
合掌。






ズリ山に登り、の景色が良い場所で昼飯。
お湯を沸かしカップラーメンを食べた。
荒涼とした大地だが、我々の目には鉱山の灯が灯る在りし日の光景が見えていた。






鉱石かと思ったが、これは製錬カスだよなぁ。
草津の精錬場に索道で鉱石を送り、製錬後のカスは入道沢まで索道で戻していたのか。

製錬カスを砕いて遊んでいたら手が硫黄臭くなった。
硫黄の臭いを嗅ぐと無性に硫黄泉に入りたくなる。
探検後は「日本一硫黄濃度が濃い」と名高い万座温泉でのんびりする予定なので楽しみだ。






探索を終え、名残惜しくも鉱山を後にする事にした。






無事帰るまでが探検。
藪が深かったり、道が一部崩落してたり、山歩きに不慣れな人はちょっと危ないだろう




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実は、鉱山跡地から国道292号(志賀草津道路)が見えた。
という事は国道から入道沢鉱山が見られる筈だが、今まで何十回と国道292号を通って気が付いたことが無い。
万座温泉へ向かう途中、国道から鉱山を探しながら走る事にした。







そして。ある場所からさっきまで歩いた鉱山跡が見えた。

この光景を見た時は驚きだった。
何故ならこの場所は、今まで何度も来た事ある駐車場なのだ。
駐車場からはギリギリ鉱山が見えないが、少し斜面を下りれば眼下に広大な鉱山跡地が現れる。
国道を作る際、鉱山跡地がわざと見えないように道を作ったと思える程、本当にギリギリ見えない位置にある。
こんな近くにあるのにも関わらず、存在を知る者でなければ絶対に気が付かない。






数時間前にはあの場所に居たのだ。






ズリを崩しながら歩いた我々の足跡がはっきりと見えた。
思いがけぬ収穫に感動してしまった。





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