富 津()

    20091123

 

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富津岬突端の 《明治百年記念展望台》

 

 

富津岬は、千葉県君津市の西に約5kmにわたって突き出した岬です。

岬の突端には「明治百年記念展望台」があり、

km先の対岸は、京浜急行「追浜駅」あたりで、

住友重機工業・追浜造船所のクレーンが間近に見え、

その先には富士山が仰ぎ見えます。

明治15年(1882)以降、この地は海軍の軍用地となり、

沖合に『第一海堡』と呼ばれる人工島が築かれました。

更には、大正3年(1914)に『第二海堡』が築かれ、

第一・第二海堡ともに千葉県に属しています。

 

 

 

 

1) 第一・第二 海堡

 

右手は『第一海堡』で、左手が『第二海堡』です。 真ん中に薄っすらと雪をまとった富士山。

渡し舟で釣り人が渡航していましたが、2005年以降立ち入りが禁止されました。 

両海堡とも強い南風により波の浸食が激しく、このままでは海に戻ってしまう事も考えられます。

ろくに土木機械も無い時代に築かれた「人工島」を、歴史遺産として後世に残していって欲しいものです。

立ち入り禁止の理由は「不発弾の存在の可能性」だそうです。

 

 

『第一海堡』です。

対岸に見えるのが、住友重機械・追浜造船所のクレーンです。

 

 

 

 

(2) 富津元洲砲台跡

         富津元洲砲台跡は富津の砂洲にあり、今は富津公園になっています。

         明治18年(1885)、明治政府により約3年の月日を経て完成しました。

 

         日本陸軍初期の砲台のひとつで、この堡塁砲台は国内の要塞では珍しく海水を引き入れた

         水堀で囲まれています。

 

 

場所は特定できませんでしたが、この中のどこかに 二八センチ榴弾砲六門が東京湾に向けて据えて

いましたが、日露戦争時にその内の二門が撤去され、かの「旅順攻略戦」に大陸に送られました。

 

 

 

大正4年(1915)には旧式化に伴い、東京湾要塞砲台としての任を解かれ、除籍となりました。

以降は、陸軍の試射場として使われました。

 

     試射場として使われたであろう施設が数多く残されています。

 

 

観測壕でしょうか?

 

何に使われた小部屋かわかりません。 弾薬庫?

 

小部屋の内部です

この階段を下りると小部屋に(右手)通じています

煉瓦の小部屋の上にある煙突 2本

 

少し離れた所にある少し大きめの観測壕。

 

 

 

(3) 銃器研究設備 [射入窖放列施設 しゃにゅうこう ほうれつ しせつ

 

文献によると、昭和16年(1941)に建設された 「銃器研究設備」 の一部。

射撃する位置に射撃口の開けられたコンクリート壁があり、打ち込むための射入窖が

数十メートル離れた位置に構築されています。

 

 

射撃する位置のコンクリート壁

 

同じものが左右対称で造られています

射撃口でここから射撃します

 

また、この壁の間から砲弾を撃ち込んだのでしょうか?

 

 

射撃口から撃ち込むための射入窖が見えます

 

 

射入窖の入口です

 

射入窖の後部

蒲鉾形で、窖部は、高さ3.2m、幅2.3m、奥行約8.0m

 

 

射入窖の内部

天井が黒いのが見えますが、当時のものか? 最近のものか? 不明です。

 

 

 

 

 

富津 002