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[ 001 ]
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富津岬突端の 《明治百年記念展望台》
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富津岬は、千葉県君津市の西に約5kmにわたって突き出した岬です。
岬の突端には「明治百年記念展望台」があり、
6km先の対岸は、京浜急行「追浜駅」あたりで、
住友重機工業・追浜造船所のクレーンが間近に見え、
その先には富士山が仰ぎ見えます。
明治15年(1882)以降、この地は海軍の軍用地となり、
沖合に『第一海堡』と呼ばれる人工島が築かれました。
更には、大正3年(1914)に『第二海堡』が築かれ、
第一・第二海堡ともに千葉県に属しています。
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(1) 第一・第二 海堡
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右手は『第一海堡』で、左手が『第二海堡』です。 真ん中に薄っすらと雪をまとった富士山。
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渡し舟で釣り人が渡航していましたが、2005年以降立ち入りが禁止されました。
両海堡とも強い南風により波の浸食が激しく、このままでは海に戻ってしまう事も考えられます。
ろくに土木機械も無い時代に築かれた「人工島」を、歴史遺産として後世に残していって欲しいものです。
立ち入り禁止の理由は「不発弾の存在の可能性」だそうです。
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『第一海堡』です。
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対岸に見えるのが、住友重機械・追浜造船所のクレーンです。
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(2) 富津元洲砲台跡
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富津元洲砲台跡は富津の砂洲にあり、今は富津公園になっています。
明治18年(1885)、明治政府により約3年の月日を経て完成しました。
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日本陸軍初期の砲台のひとつで、この堡塁砲台は国内の要塞では珍しく海水を引き入れた
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水堀で囲まれています。
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場所は特定できませんでしたが、この中のどこかに
二八センチ榴弾砲六門が東京湾に向けて据えて
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いましたが、日露戦争時にその内の二門が撤去され、かの「旅順攻略戦」に大陸に送られました。
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大正4年(1915)には旧式化に伴い、東京湾要塞砲台としての任を解かれ、除籍となりました。
以降は、陸軍の試射場として使われました。
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試射場として使われたであろう施設が数多く残されています。
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観測壕でしょうか?
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何に使われた小部屋かわかりません。 弾薬庫?
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小部屋の内部です
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この階段を下りると小部屋に(右手)通じています
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煉瓦の小部屋の上にある煙突 2本
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少し離れた所にある少し大きめの観測壕。
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(3) 銃器研究設備 [射入窖放列施設 ( しゃにゅうこう ほうれつ しせつ )]
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文献によると、昭和16年(1941)に建設された 「銃器研究設備」 の一部。
射撃する位置に射撃口の開けられたコンクリート壁があり、打ち込むための射入窖が
数十メートル離れた位置に構築されています。
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射撃する位置のコンクリート壁
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同じものが左右対称で造られています
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射撃口でここから射撃します
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また、この壁の間から砲弾を撃ち込んだのでしょうか?
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射撃口から撃ち込むための射入窖が見えます
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射入窖の入口です
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射入窖の後部
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蒲鉾形で、窖部は、高さ3.2m、幅2.3m、奥行約8.0m
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射入窖の内部
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天井が黒いのが見えますが、当時のものか? 最近のものか? 不明です。
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富津 002 ⇒
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