KNGf001 2006-01-02 (02) Add 開高、 
観鳥事始 (その3)
 
a Beginner's Memo of Birdwatching on the Malaysia.
 観鳥雑感:この一年間を振り返って何か気になることを少し書きとめてみます。

01.鳥と人の出会いは何時からでしょうか?
   始祖鳥(ジュラ紀、二億年前)を別にしても、鳥類が多様化した暁新世(六千万年前)と、
   人類が現れる鮮新世(五百万年前)を比較してみると、100万年を1歳として、
   現在の鳥は60歳・人は未だ5歳の経験しか無い訳です。 

02.鳥は人を天敵と見ているのでしょうか?
   およそ60歳の鳥に5歳の人が石や棍棒で襲いかかってきたのでしょうか? 
   従い、鳥は人を50m位までしか近づけさせませんね。

03.鳥と車の出会い
   おおよそ50−100年位(T型フォード:1908年から)でしょうから、
   5歳の人の5分くらいに相当するのでしょうか?
   未だ鳥にとっては危険物ではないのでしょうか? 象か犀くらいにしか感じないのでしょう。
   5m位ちかづいても特別な危険を感じないようです。

04.鳥と飛行機の出会い

     
         

   浜辺でアジサシを見ていると、数百羽が突然一斉に飛び立つことがあります。
   ハテ?と思って頭上を見るとワシがかなり上空を舞っています。
   一方ヘリコプターがもっと低空で上空を通過してもいっこうに驚く様子を見せません。

05. 自然のなかで人が感じること。
   突然ですが
開高文庫を読んでいると魚との出会いが頻繁に出てきます、
   この魚を鳥に置き換えてもいっこうに差し支えないようです。(取敢えず順不同です)

   "Study to be quiet" 釣人不語。語らざれば愁いなきに似たり。
 
   
   魚は意思を持った生き物だからいつ、どんなところにいるかという法則に従って行動すると同時に、
しばしば、いつ、どんなところにいるか知れたものではないという例外にも従う。 ツキの構造。
 
   
   いったい人間は魚を釣っているのであるか。それとも魚に釣られているのであるか。
ある瞬間、深い朦朧のひろがることがあった。
   
   釣師は”例外”を追って何ヶ月も、ときには何年も、しぶとく悪運ばかりを追いまわす。    
   釣師は魚を追いつつも自身を追っているのだ。 
 
   
   遊びを追っていくと、きっとどこかで、底無しの穴を覗かせられる。    
   遊びで釣をする”芸術家”なら、もっと次元の高い、むつかしい道に愉しみを発見しなければならない。(蛇足:釣はルアーです、餌釣はどん百姓のすること。百姓は一般大衆)    
   芸術は抑圧において芽を出し、拘束において花開く。 
 (蛇足: 抑圧も拘束もない当地では??? 面従腹背:Mr Yesno ) 
 
   
   人類史上、釣は売春より古い職業であり、遊びであった。    
   旅の本質: 生の要諦: 何も事前に語られなかったことが現実では前面にたちはだかってくる。    
   奇妙なことだが厳然とした普遍の事実として、釣師の時称には過去か未来があるだけなのだ。 釣師の時称には現在がない。     
   釣師が釣レナイという恨みをめぐってならべたてる弁解は無限でとらえようがなくとりとめもない。    
   世界中が異常気象でふりまわされている御時世だから。    
   少しあるのは何もないよりはましだ。    
   釣れないときには出かけないというのも名人の資格の一つである。 師傳(シーフー)。  
 
   
   釣の妙諦: 運 勘 根     
   釣師の哲学: こだわらないこと。 確信 Confidence 。 挑戦 Challenge 。    
   釣の鉄則: 旅行者として釣る場合には、その場その場にいる平均大の魚である。    
   別途を講ずるに足る時間は常にあり。    
   釣は現場へいってみるまで何もアテにしてはいけない。 
 
   
   Dauntless: おそれ知らず。 不屈・豪胆。 心はアマ、腕はプロ。     
   Freak: 気違い 気まぐれ。 不借金銭。 軽佻のこころがあって、抑制できかねる。     
   真の悦楽には剛健の気配がどこかになくてはいけない。    
   玩物喪志: 遊ぶために遊ぶのである、志を失うために志に熱中するのである。     
   誇大妄想: すべての心善き釣師の常道である。 
 
   
   迷いも釣道の愉しみ。     
   わが国人は古来、好奇のこころはげしく、うちこめばとめどなくなるところがある。(クニビト)    
   愚行とわかりきっていることでもついつい心身を浸さずにはいられないことがあるのだ、そもそも生そのものが愚行の無限の連環ではないのか?    
   釣師は偶然の子    
   空模様が悪いといってよろこぶのは釣師ぐらいだ。 鳥観は晴れた日が良いですね。    
       
   独楽は回転しはじめた。(コマ) 。 マリキタプルギ(Mari, Kita pergi.)Let's go! バーモス!    
         
   ・・・は ぐったりとよこたわり眼を閉じて、うつらうつら薄暗い体内の弱りつつある物音に耳を傾け、空をわたる大いなる風の音を聞くともなく聞き、もう口をしっかり閉じている力もなくなって、小さな黄ばんだ牙を露出している。 いつ? 明日か? 明後日か? (蛇足: トドのつまり、人間も??)    
   白鳥のまさに死なんとするやその声やよし。    

06. さて、鳥観について、なにか言い足りないことがあったかな? 



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