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下工弁慶号の資料

このページでは、「下工弁慶号」に関する色々な資料を紹介しています。
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概略仕様 生まれとあゆみ 昔の写真 30年ぶりの復活 各所で走る
下松市に寄贈 北勢線で動態復元




概略仕様




平成18年3月
北勢線 阿下喜駅の「下工弁慶号」
 「下工弁慶号」は1934年(昭和9年)まで徳山海軍燃料廠で石炭運搬に使われていたものを、山口県立下松工業高等学校が原動機実習機材として譲り受け、1981年(昭和56年)、生徒と教師の手で修復された後、市内外のイベントで沢山のお客を乗せて公開運転されました。
 1988年(昭和63年)には岡山県の下津井電鉄に貸し出され、現役復帰も果たしました。
 1988年(昭和63年)に、社団法人下松工業会に移管され、各地で公開運転されてきましたが、貴重な文化遺産を末永く保存管理するため平成8年下松市に寄贈され、展示されていました。
 2004年(平成16年)4月、北勢線開業90周年にあたり、下松市より貸し出され、地元の有志によって完全修復され、3年間、当地で大活躍しました。
 2007年(平成19年)7月~9月、「江戸東京博物館」で開催された「大鉄道博覧会」に展示され、誕生100年のミニSLと大きな話題になりました。
 2007年(平成19年)9月からは
再び下松市役所前庭のグリーンプラザ展示格納庫で展示されています。

仕    様
1  製作年  明治40年
 石川島造船所(現 石川島播磨重工業)
2  形   B.サドルタンク方式
 過熱蒸気2シリンダ式
 スチームブレーキ式
3  全    4,050 mm
4  高    2,400 mm
5  幅   1,530 mm
6  軌間    762 mm
7  重量     5.5   t
8  動輪径    584 mm
9  軸間距離   1,016 mm
10  煙管外径
 厚さ
 本数
   38.1 mm
    3.2 mm
    32  本
11  火格子面積     8.0  m2
12  主連棒長さ   1,097 mm
13  連結棒長さ    940 mm
14  ピストン径    158 mm
15  弁装置  ステンファンソン式
16  馬力    約80 HP

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生まれとあゆみ


 ★ 「下工弁慶号」の生まれとあゆみ・・・同窓生(C20) 市川五郎氏 調査資料

「下工弁慶号」の生まれに関する新聞記事
「交 通 新 聞」 昭和37年1月12日付 記事

   米国製三両のうちの一つ、下松の機関車、生まれ故郷判る
                                 C.Sスモールさんが調査

 昨年暮れ国鉄本社外務部を訪れたアメリカのレール、ファンが、部長室にあった本紙所載の機関車の写真を見て「これは下松にある古い機関車だろう」とピタリ言い当て、その機関車に関する記録が全くないということを聞くや「これは多分アメリカ製だ。帰国したら調べよう」と約したことは既報の通りだが、このほどその米人から外務部宛てに調査の結果がもたらされた。
 ・この米人は豪州メルボルンのモービル石油会社に勤務するC.Sモール氏で、山口県下松市の工業高校にあ る機関車の記録が不明だというので、帰国後調査を行なったもので「あの機関車はやっぱりアメリカ製」と次の ような調査結果が報告されている。
 ・帰国後、私の調べた結果、交通新聞掲載の山口県下松市工業高校の小型機関車は元、日本海軍燃料廠に あるものと信じます。同型の機関車は一号より三号までの三両は1908年1月にアメリカ、ペンシルバニア州フ ィデルフィアのボールドウイン機関車工場で製造されたものであって、製作番号は、32600、32601、3295 2番であります。
 ・これらは、それぞれ762ミリゲージ用のものです。従って下松市のものが2フィート6インチ(762ミリゲージ用) だとすれば間違いなく当該機関者は前記三両の中の一両であります。
以上とりあえずご連絡申し上げます。

                      豪州ビクトリヤ州メルボルンにてC.Sモール         


「下工弁慶号」の生まれに関する雑誌記事
鉄道雑誌 「鉄道ファン」 昭和38年1月号 掲載

           校庭のBoldwin
                    鉄道雑誌 「鉄道ファン」 昭和38年1月号掲載 庄田 秀

 下松市の町外れを流れる平田川沿いの下松工業高等学校の垣内に小さなB型サドルタンク機がおかれています。俗に「下工弁慶号」と呼ばれ、この地方では馴染みの深い存在です。昭和の初期に、徳山の海軍燃料廠から教材用として譲り受け、当時下工の創立記念日や運動会などには、子供を乗せて走ったとか。しかし、その頃からは何処の山のものとも判らず今日に至りましたが、米国のモービル石油会社のC.Sモール氏から在日中に見たこのLOCOについて「帰国後調査の結果、当時(年代不明?)Boldwinで三両製造したものの中の一両であることが判った」の通知があった事を37年3月27日付の中国新聞山口版は報じています。私もなにか手掛かりになるものはないか詳細に見てみましたが、お定まり通り銘板は一切なく、また、ロツド頼も防蝕のため厚化粧をしており、なんらの手掛かりをも探り出し得ませんでした。


「下工弁慶号」の生まれに関する資料
(資料)

        ※ 校庭下工弁慶号は国産か?

            株式会社 交友社(雑誌「鉄道ファン」発行:本社名古屋市千種区宮西町3丁目)
                                         編集部 諸河 久氏からの提供資料

 昭和46年夏休み(8月)のある日、上記交友社の諸河久氏が下工弁慶号を撮影の為に来校されたので、私が面談したところ、意外にもにも下工弁慶号は国産であるとのことで、詳しい資料の提供を求めたところ次のような資料が証拠写真とともに送られてきた。

スモール氏が調査されたアメリカ・ボールドウイン製のものは、この機関車です。下松のものと全く似ていますが、これをそっくり真似てわが国で造ったわけです。

       校庭のBoldwin(1月号サロカー)は国産
               鉄道雑誌 「鉄道ファン」 昭和38年3月号掲載 白 井 茂 信
                        東京大学生産技術研究所教授(蒸気機関車の研究家)

 庄田 秀氏からお知らせのあった下松工業高校に保存のボールドウイン、サドルタンクについては、昭和36年12月19日付交通新聞に「私は誰でしょう・・・生徒に愛される、下工弁慶号」という題で紹介され、さらに37年1月12日付で「米国製三両中の一両、下松の機関車生まれ故郷判る。C.Sモール氏(モービル石油技師)が調査」という見出しで解答が掲載されたことがあり、興味をもたれた方も多いかと思います。 しかし、この機関車はC.Sモール氏の言われるボールドウインではなく、実は国産と推定されます。私はまだ実際に現物に接しておりませんので推定という言葉を使いましたが、色々な点から間違いないと考えます。というのは数年前、小熊米雄さんと石川島重工業株式会社の社史編纂室をお訪ねした際、同社の保存資料の中に、これと同形のものを発見したからで、海軍に納入した記録もありました。この機関車は一見ポーター乃至ボールドウイン風ではありますが、細部の作りが違います。ボールドウイン・(川上幸義氏による)には、確かに徳山海軍燃料廠納入のものにB型タンクが2形式五両がみられますから、C・Sモール氏は単に海軍→下松工業高校という事実と、このリフトから推定され解答を寄せられたものと思われます。石川島の機関車国産化(特に小型機)という問題は、なかなか興味のあることで生産技術史的にみれば雨宮の先生格に当たりましょう。ただ同社が船舶方面にカを入れ、鉄道車両はその後殆ど生産しなかったため一般にはあまり知られず「石川島」の存在に気が付かなかったのではないでしょうか。下松のボールドウインについての交通新聞の記事に対しての修正意見は小熊さんから申し出られましたが、今日までそのままになり、いまだ、ボールドウインと信じている人が多いと思いますので、あえて、本誌を通じ再検討の要あることをお伝えしておきます。


(石川島造船所製 5.5屯機関車)         (下松工業高校における機関車)

「下工弁慶号」のあゆみ・・・同窓生(C20)市川五郎氏 「調査まとめ」

 下工弁慶号のあゆみ

※昭和46年9月11日付、鉄道ファン編集部諸河 久氏から私宛ての文書で「下工弁慶号」は石川島重
 工業株 式会社製の国産車両であることが石川島重工業株式会社で確認された旨の連絡があった。

※「下工弁慶号」は、明治40年に石川島造船所(現在の石川島播磨重工業株式会社)で6両?製造さ
 れた国 産機関車の1両で、現在可動している唯一の機関車である。昭和9年まで徳山海軍練炭製造
 所で石炭の運搬 をしていたものを、下工が当時に60円で譲り受け原動機実習等に使用していた。
 戦前は修理を重ねて一時期 は創立記念校内開放行事等で運転されたこともあったが、その後、約30
 年間も校庭で雨露にさらし展示して いたものを、昭和56年(創立60周年記念事業)に職員、生徒によ
 り修復して運転された。
※石川島重工業株式会社108年史、東京石川島造船所50年史
 明治40年(1907年)大日本軌道株式会社からの注文によって、同形の機関車約20両製作したという
 のと、 同じ年に軽便鉄道(7t蒸気機関車)20両及び5.5t蒸気機関車を製作し、大日本軌道株式会社
 へ納入したとの、二重の記述がある。
 白井教授(東大生産技術研究所)は「ボードウイン」を見本にしたB型サドルタンクで海軍用は3.5t
 (5.5tは誤り)で同じく「ボードウイン」のトラム・ロコを参考に製作し、大日本軌道株式会社の納入した
 ものと解釈されている。
 内訳は、海軍6両、小田原支社3両、熊本支社4両、福島支社7両と考えられているが、が、福島支社
 は、未確認機があり正確は期し難い。
 海軍用の5.5t機?は、横須賀造船所「BLW4-8C」が手本と思われるが、シリンダーは6×10″、
 動輪直径3′8″、軸距離3′4″であった。
 大日本軌道株式会社向は全部(へっけい形)で、製造はどこよりも古く「石川島」が原作といえる。
 最も基本は、熱海鉄道の「BLW4-2C」で、被いを廃し、水タンク様式をサイドに改め、シリンダーは
 4-3/4×10″と一回り大きいものと推定される。
※下松工業への払い下げの年
  昭和9年まで?  徳山海軍燃料廠で使用
  昭和11年頃?  払い下げ後に整備した卒業生の話
※「下工弁慶号」の運搬方法
  徳山海軍燃料廠から大海町沖の浅瀬まで艀を用いて、陸上は丸太を並べ、上に厚い足場板を置き
  転がした。
※蘇った「下工弁慶号」
  昭和54年8月1日  山口線にSLが正式にダイヤに組み込まれたことで話題となった。
  ◎修復作業の開始  昭和54年1月  校内で母校の職員、生徒が作業を担当
                平成14年3月18日  JR小郡機関区でのSLフォーラムにおいて、山口短
                大電子情報科利根川貞夫教授(元下松工業高校電気科教諭)が、昭和54
                年1月から機械科の先生達と「下工弁慶号」大改修(完全分解・組み立て)
                の模様を自作のビデオ(走った下工弁慶号)を上映(分解部品の紹介等)さ
                れ、当時の同僚達との苦労話があった。
  ◎修復の完成    昭和56年10月 (創立60周年記念事業)
  ◎昭和56年10月15日 創立60周年記念式(記念行事として、校内を一般公開運転)
  ◎運転後の管理    記念行事後、前庭の車庫の納入
               昭和58年7月 防錆油充填用として、日本石油精製㈱から防錆油ドラム缶
               3本の寄贈を受け、ボイラーに充填したが、後の整備で大変支障となった。
  ◎下津井電鉄㈱へ出向  昭和62年9月3日~平成3年9月(瀬戸大橋完成記念事業)トラックで、
               下津井電鉄㈱へ出向。下津井電鉄㈱構内で解体、完全修復作業の開始。
               昭和62年12月27日  始運転開始
               3ケ月の日数、350万円の経費
               12月30日  公認許可証を受ける。(年1回汽缶の整備検査:約35万円)
               昭和63年3月12日 下津井電鉄㈱児島駅、駅舎竣工披露
                ・・・当初の予定では、下津井駅ー児島駅間を往復運転することになっていた
                  が、この間は線路に曲がりが多く、運転が困難なために変更。
                  下津井駅構内に円形レールを敷き、フラワーパークにしてイベントを行う。
  ◎平成3年4月1日  「下工弁慶号」の所有権が下松工業高校から下松工業
               会(同窓会)へ移管される。
  ◎平成3年9月    「下工弁慶号」下松工業高校(同窓会所有の車庫)へ帰る。
  ◎平成3年10月15日  創立70周年記念行事として校内を公開運転する。
  ◎運転後の管理  記念行事後、前庭の車庫に格納
  ◎平成4年12月1日~平成8年3月31日
               柳井市、協同組合柳井総合卸センターへ貸し出し
  ◎平成5年10月28日~11月2日
           末武公民館祭りへ貸し出し(イベント:10月30日~10月31日)
  ◎平成6年3月31日~4月6日(4月1日~4月4日)
           下松市市制55周年記念  切戸川桜桜フエスタ ’94へ貸し出し
               (イベント:4月2日~4月3日) 
  ◎平成6年9月4日(日)  (9月2日~9月5日)
           中国電力下松火力発電所 創業30周年記念イベントで公開運転
  ◎平成7年12月22日  「下工弁慶号」を下松市へ寄贈する旨申し出る
  ◎平成8年10月26日  ㈱日立製作所笠戸工場 創立75周年記念イベント
                  (構内で運転、一般公開、試乗)
  ◎平成8年10月30日  下松市へ寄贈、米泉湖湖畔の格納庫に収納予定で、格納(車)庫の設計
           及び、湖畔一周運転の路線計画も完成していたが、移動の経費とそれに伴う「下工
           弁慶号」の損傷及び将来の可動年数(寿命)等に見通しが立たず、観光客、市民、
           特に地元米川地区の方々に大変期待されていたのに、やむを得ず計画を中止した。
  ◎平成8年11月1日  「下工弁慶号」展示格納庫落成式(下松市役所グリーンプラザ)以後、この
           格納庫で展示されている。
  ◎平成16年3月  三重県桑名市 北勢線(「下工弁慶号」と軌道幅が珍しく同じ)の開通90周年
           記念事業に、修理費先方負担を条件に、平成19年3月まで貸し出す。
               同年が、「下工弁慶号」製造100周年記念となる。
  ◎平成19年4月  貸し出し期間満了により、再び下松市役所前庭グリ-ンプラザの展示格納庫で
           展示される。
  ◎平成19年4月  東京都墨田区「江戸東京博物館」で開催された「大鉄道展覧会」(平成19年7月
           10日~9月9日開催)に貸し出す。
  ◎平成19年9月  貸し出し期間満了により、再び下松市役所前庭グリ-ンプラザの展示格納庫で
           展示されている。



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昔の写真


懐かしい一枚(昭和14年の「下工弁慶号」)


校庭に展示されていた当時(昭和46年頃)の「下工弁慶号」の写真

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30年ぶりに復活

1.昭和56年10月9日、山口県立下松工業高校の
      創立60周年記念事業で30年ぶりに走った「下工弁慶号」
2.30年ぶりに走った「下工弁慶号」を紹介した
              当時の新聞記事を抜粋しました

SL「弁慶号」(昭和56年6月28日「毎日新問」より)

下松市の下松工業高技(竹中清校長)は、10月に迎える創立(60周年記念式典で、同校に保存されているSLの“弁慶号”を30年ぶりに走らせようと、解体、整備が着々と進んでいる。このSLは、明治11年の米国製。動輪は、2軸で、高さ2.5メートル長さ4.5メートルのミニ型。徳山市にあった旧海軍の練炭製造所(のち海軍燃料廠)で昭和9年まで石炭運搬用に使われていたのを“退役”の後、下松工業高校が譲り受けて実習に使っていた。
 戦後の昭和26年秋、運動会でマキをたいて走ったのを最後に、スクラップされかかったのを「下工名物の大切なもの」というOBたちの思いを尊重、昭和36年から正門わきに展示されていた。
 「60周年の区切りに、もう一度走らせたい」というOB教職員の声で、この3月から点検作業が始まった。30年間も風雨にさらされ、なくなった部品も多かったが、概械科の先生4人が中心になって解体、約69万円をかけてボイラーの修理や部品づくりもして化粧直しも終わり、22日から組立作業に入った。レール50メートル分はすでに建設業者を通じて確保してあり、10月9日の式典では、弁慶号が走るのをOB、生徒も待ち構えている。

昭和56卑8月15日 「朝日新聞」 青鉛筆欄より)

SLばやりの昨今だが、山口県下松市の県立下松工業高校(竹中清校長)では、明治生まれの軽便蒸気機関車の“再生”めざして、機械科の先生4人が、懸命の修復作業中。
 鉄道史研究家・臼井茂信さん(62)=千葉市在=の調査では、米国・ポールドウィン社製を模した明治7年生まれの国産。ゲージ(軌間)が国鉄の機関車より30センチ狭く、ボイラーの上にある鞍(くら)型のサドルクンクが特徴。同型が7両つくられたが現有するのは、この1両という。同校で昭和9年、徳山の旧海軍燃料廠(しょう)から教材用に譲り受けた。
 26年、運動会で走ったきり“休眠”していたが、生徒、OBの愛着が強く創立60周年の今年1月に“復活決定”・・複清流定”すでにほぼ修復を完了。近く20メートル程度のレールで試運転、10月の同校創立記念日に30年ぶりのお披露目をする。臼井さんは「全国の鉄道ファンにぜひ紹介したい」。

・元祖SL「弁慶号」復活 30年ぶりに下松工で
      
(昭和56年10月2日 「毎日新聞」夕刊より)

 30年ぶりに懐かしの汽笛一山口県下松市の県立下松工業高校(竹中清校長、869人)に保存されていたSL「下工弁慶号」が復活。創立60周年の9日、グランドを走る。整備もすみ、ただ今“本番”目指して、試運転中だが、力強く吐き出す蒸気に、復活に取り組んだ先生、生徒はうれしそう。このSLは明治41年の米国製で762ミリゲージ用。動輪は二紬で、高さ2.5メートル、幅1.5メートル、長さ3.5メートルのミニ型。徳山市の旧海軍練炭製造所(後の海軍燃料廠)で石炭運搬用に使われていたが、昭和9年、“退役“。同校が譲り受けて、生徒の実習用に使われていた。しかし、26年秋の同校運動会でマキをたいて走ったのを最後に、スクラップのピンチにさらされながらも「下工名物の一つ。OBには思い出のものだし、残してほしい」との強い意見で、36年から正門わきに風雨にさらされながら展示されていた。
 今年初め「60周年を機会に、もう一度走らせてみたい」とOBの聞から希望が続出、現役最後の運転の際に同校教諭だった竹中校長や機械糾の藤森友友則教諭ら4人も賛同、点検、整備作業に取りかかった。作業は放課後も行われ、生徒等も自主的に加わった。
 30年間も風雨にさらされていたため車体はさびついてガタガタ、シリンダーやボイラーの破損もあり、約60万円かけて部品づくりから始め、さらにSLがけん引する16人乗りの客車も整摘、9月中旬から組立作業をして見事に完成、1日から試運転に入った。レールは建設業者のトロッコ用約90メートルを借用、試運転では石炭をたき、客を乗せて黒い煙、白い蒸気をはきながら順調に走って大成功だった。9日の記念式典当日は、生徒、OBの見守るなか、午前11時半からグランドを走る。

・「弁慶号」よみがえる下松工高60周年記念に展示物を大修理
           (昭和56年10月9日 「山口新聞」より)

 学校の展示物になっていた蒸気機関車が、先生と生徒とによって修復され、30年ぶりに白い煙をはく。この機関車は、県立下松工高の「下工弁慶号」。弁慶号は明治40年に誕生、徳山の旧海軍燃料廠で石炭運搬用に使われたのち、同校が昭和9年に譲り受け、動かなくなった26年まで、機械実習用とし活躍していた。その後は、校門のそばに展示されていた。
 同校の創立60周年を記念して再び動かすことになったもので、修復作業は今年1月から機械の先生4人が中心になって始め、このほどようやく完成、全長的5メートしかない小型SLだが、サビを落とし、ペンキを塗り替え、昔どおりの堂々たる姿に。
 今日9日の60周年記念式典のあと、グランドに約90メートルのレールを敷き走らせることになっており、竹中校長は「卒業生に喜んでもらおうと思って修復させた。いい記念になるでしょう」と話している。

〈昭和56年10月10日「中国新聞」より〉

 下松市大海町、県立下松工業高校(竹中清校長 860人)のシンボルとして校門わきに保存されていたSL弁慶号が職員や生徒らの手で修復され、創立60周年記念式典が聞かれた9日、同校グランドで30年ぶりに走った。
 この朝6時ごろからボイラーを炊いて晴れの出番を待ったSLは、記念式典が終わった11時から、グランドに敷かれた長さ100メートルのレ-ルの上を、汽笛を鳴らし、白い蒸気を吐きながら威勢よく走った。約350人の来賓も代わる代わる試乗を楽しみ、学校は終日、SL人気にわいた。このSLは米国のポールドウィン機関車をモデルに、明治40年、旧東京石川島造船所で造られた。長さ4.5メートル、幅1.53メートルのサドルタンク式SL。「旧徳山海軍練炭所」で石炭運搬用に使われていたのを昭和9年に同校が教材用として当時の金で60円で買った。26年秋の運動会で走ったのを最後に、校門わきで雨ざらしになっていた。ことし1月から、60周年記念事業としてSLを走らせようと、機械科の中野雅行数論(40)ら先生3人と生徒たちが9カ月の月日と材料費80万円をかけて修復、記念式に花を添えた。

S L30年ぶり黒煙(昭和56年10月10日 「朝日新聞」より)

軽便蒸気機関車の“再生”をすすめていた山口県下松市の県立下松工業高校(竹中清校長)グランドに9日、85メートルのレールが敷かれ、30年ぶりに復活したSLが急造の客車1両を引いて走った。在校生やOBら約300人が小さな旅を楽しんだ。
 横間粛は、米国・ボールドウィン社製を模した東京小石川造船所(現石川島播磨重工)製、昭和9年、徳山市の旧海軍燃料廠から同校が教材用に譲り受けた。26年から運転中止していたが、創立60周年を記念して先生や生徒たちが8カ月がかりで修復した。
 鉄道史研究家の臼井茂信さん(62)=千葉市在住=の調査では、ゲージ(軌問)が76センチしかないところから「軽便」と呼ばれる。

・30年ぶりに下工弁慶号走る
          
(昭和56年10月10日 「毎日新聞」より)
 実習用SLを整備 下松工高創立60周年きっかけにグランドに
  懐かしの汽笛が30年ぶりに。拍手のなか下工弁慶号が走った!

・・・下松市の県立下松工高(竹中清校長、869人)は9日、創立60周年の記念式典をあげ、戦後まもないころまで実習用に使われていたSLが、解体、整備されて見事に復活、同窓生や教職員職、生徒らを喜ばせた。
 同校は大正10年開校で、県内では宇部工とともに古い歴史を持つ工業高校の名門。12,500人の卒業生は、各界で活躍している。
 午前10時から体育館で開かれた記念式典には平井知事、井上県教育長、藤田下松市長ら来賓、同窓会下松工業会の藤井軍治会長、元同校教職員、PTA会員ら約300人が全校生徒とともに出席、竹中校長のあいさつ、知事ら来賓の祝辞、在校生代表、重村宏幸君=電気科3年=のあいさつのあと、SL・下工弁慶号の整備、点検作業から試走、成功に至るまでを追った8ミリ映画が上映された。
 午前11時半から、グランドで、弁慶号の試乗会。明治40年、石川島播磨造船所で造られた動輪ニ軸で、高さ2.5メートル、幅1.5メートル、長さ3.5メートルのミニSL.。徳山市の海軍練炭製造所で使われたあと、昭和9年から同校に移り生徒の実習用に使われてきた。26年秋、マキをたいて走ったのを最後に、正門わきに展示されたままになっていた。
 それを「OBの要望もあり、60周年を機会にもう一度走らせよう」と、今年3月から、機械科の中野雅行教諭(38)ら4人が中心となり、整備を進めてきた。風雨にさらされサビついた車体を点検、穴の空いていた煙管や安全弁、それにそれにバルブ、ボルトなどは新たにつくり、12人乗り客車も新造して“本番”に備えた。
 ピカピカに新しくなったSLは、グランドに敷かれた85メートルのレールの上を黒い煙、白い蒸蒸気を吐き、汽笛を鳴らしてOBや生徒達を乗せて何回も走った。
 「まさか、またあの弁慶号が走るなんて・・・。懐かしいです。」OB1人、市川五郎さん(54)=下松市花岡=は感慨探そう。鉄道唱歌が流れるなか、走るSLに隣接の公集小学校1年児童たちも、授業時間に先生と一緒に歓声をあげて見守っていた。
 出席者たちは「これはいい記念になる」とカメラを向けていたが関東方面からの熱心なSLマニアも見られた。前橋市元総社町から、駆けつけた会社員、後閑初夫さん(36)は、8ミリカメラを手に「来てよかった。古い、小さなS Lが走る姿をフィルムに収めることができて」と満足そうだった。
 10日は、全国から卒業生が集まって記念同窓会が開かれ、正午過ぎからこの弁慶号がまた走る。
 SL弁慶号は、このあと正門わきに、風雨をさけるよう工夫して保存されることになっている。

・知事もニッコリ

9日、県立下松工高の運動場で公開運転された軽便蒸気機関車「下工弁慶号」の乗客第1号は平井龍知事だった。機関車につながれた客員12人の“特別客車”の座席は木製。決して座り心地のよいものではなかったが、用意されたススよけの作業衣を着込んで乗り込み「温故知新。いいですね。生きた教育の原点です」と、しごくご満悦だった。
この日、平井知事は同校の創立60周年記念式典にのみ出席の予定だった。が「先生と生後たちが協力して復活させた蒸気機関車」という話を聞き、「協力のたまものを見せてほしい」ということになった。同行の伊東章二秘書も「少々のスケジュールの狂いは目をつぶらねば・・・いい話ですから」。


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各所で走る「下工弁慶号」

★下津井電鉄で走る

昭和62年12月27日:試運転


   下津井電鉄(倉敷市)における 検査・修理・認可等の所見概要






★下松工業高校創立70周年で走る

平成3年10月15日,
     下松工業高校創立70周年で同窓生を乗せて走る「下工弁慶号」









★柳井市総合卸センターで走る

柳井市総合卸センターで走る「下工弁慶号」
        平成4年3月3日~  柳井総合卸センター20周年記念イベント





★末武公民館まつりで走る

   下松市 末武公民館まつりで走った「下工弁慶号」
                       平成5年10月30日~31日




★下松市制55周年特別企画「桜々フェスタ」で走る

下松市制55周年特別企画
        ”桜桜フェスタ”で下工弁慶号桜のトンネルを走る
                               ・・・平成6年4月2日~3日



このとき作られた「テレフォンカード」
 
出発式スケジュール
    (平成6年4月2日:11:00~)

  開式のことば
  桜桜フェスタ実行委員長挨拶
  来賓挨拶(河村市長)
  一番切符贈呈(実行委員長から市長)
  来賓乗車
  下松駅駅長改札
    (市長→来賓
      →しょうせいえん・ゆかたえん)
  下松駅駅長さくら駅出発合図
  乗車
  (行き1分 停車2~3分 
   帰り1分 所要時間5分程度)
  さくら駅帰駅をもって式終了


  55周年招待客並びに一般客
                乗り合い開始



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下松市に寄贈

平成7年12月22日、「下工弁慶号」を下松市に寄付したことを
                       紹介した当時の新聞記事を抜粋しました



「夕刊周東」 平成7年12月22日

   「下工弁慶号」寄付採納
      市にて永久保存を 
         定期的な運転も 
            米泉湖河畔に展示格納

「下工・弁慶号」として全国に知られる小型蒸気機関車が22日、民俗文化財として市に寄付され、永久保存されることになった。
  寄付採納は、22日(金)11時から市庁舎内の市長応接室で行われた.管理する県立下松工業高等学校同窓会・(社団法人)下松工業会から深町和彦会長、下松工高から石部薫校長が出席して河村憐次市長に手渡された。
  寄付されたのは「下工・弁慶号」の小型蒸気機関車(サドルタンク式、レールゲージ762ミリ)に付属する客車ー両、レール(150メートル)一式、鉄道プラットホームー台であった。この財産・価値は、日本に2台しか現有しておらず、その一台は博物館入りしており、マニアによると1億円とも2億円ともいわれるすばらしいもの。
  この蒸気機関車「下工・弁慶号」は、昭和9年に教材として徳山燃料廠から払い下げを受け長年にわたり学校に保管されていたが、S Lブームに乗って昭和56年に修理され、全国のイベントに貸し出されて「弁慶号」を残すことで地元下松市で保有することを最優先として、下松市と折衝していた。  ようやくにしてまとまり文化財として寄付採納を受け、展示格納して永久保存することになった。市としては、米泉湖河畔の整備計画の一環として民俗資料館の建設が計画されており、これにのせて「下下工・弁慶号」の展示格納庫を設けることで県とも協議して新年度予算に計上することで受け入れ体制を整えることにして急ピッチにすすめられている。
河村憐次市長は、正式に寄付を受けた「下工・弁慶号」について、市民の貴重な財産として永久保存し、要望どおり展示格納したいと、喜びを語っていた。
  また、寄付した深町和彦下松工業会会長は、すばらしい財産が市にて民俗文化財として永久保存されることになり、一安心している、と述べていた。
  この「下工・弁慶号」は現在、柳井市内に貸し出されているが、市にての受け入れ整備が整う予定の来年10月までに納入される。
  要望される展示格納方法としては、市にて構想される米泉湖河畔周辺の整備として民俗資料館などの建設計画があり、その一つとして「下工・弁慶号」を展示格納して、さらにイベントらで定朋的に運転する。
  このため、市では新年度当初予算において必要経費を計上して、納入予定の10月までに受け入れ整備をする。これには末武川タムを管理する県の許可を受けて、米泉湖河畔周辺にマッチした展示格納庫が建設され、その広場を一周するレールを延長450メートルで敷設されることになる。
  さらに市観光協会では、地元の花岡・米川地区と共催で、11月の連休を利用して「下工・弁慶号」を目玉とした大々的なイベントが企画される。


「読売新聞」 平成7年12月23日

   弁慶号を寄付
   社団法人 下松工業会
    明治時代の蒸気機関車「弁慶号」を寄付下松市に申し出る

下松工高の同窓会「社出法人下松工業会」(深町和彦会長)は、22日所蔵する明治時代の蒸気機関車「弁慶号」の寄付を下松市に申し出た.河村憐次市長は「文化財として、有効利用したい」と快く引き受けた。
 弁慶号は1907年に石川島造船所(現・石川島播磨重工業)でアメリカの小型SLをモデルに製造したと言われ、全長4メートル、最大高2.4メートル、重さ5.5トン、1934年に徳山海軍練炭製造所から同校に60円で払い下げられ、81年に同校生徒らが整備して復元、日本で唯一保有され、しかも走行可能なため、財産価格は「数千万円から1億円」(同会)という。
  現在、柳井市の柳井総合卸センターに貸し出され、第二日曜日に約200メートルを走行、子供たちに喜ばれている.ボイラー整備費や燃料代など年間約50万円を同センターが負担しているが、走行用地に道路建設の計画があるため、寄付することにした。来年10月、下松市内の日立製作所笠戸工場の創立75周年で走ったあと、市に引き渡される。
  同会は米泉湖畔の設置、走行を希望している。市は「場所選びや格納庫作りなどの準備を整え、万全の態勢で迎えたい」と、話している。


中国新聞」 平成7年12月24日

   明治生まれの弁慶号 小型
SLを下松市に寄贈

            下松工高同窓会が申し出「貴重な文化遺産活用を」

 下松工業高校(石部薫校長、560人)の同窓会、下松工業会(深町和彦会長)は22日、会の所有する小型蒸気機関車「弁慶号」と客車一両、レール150メートル、プラットホームなど一式の寄付を下松市に申し出た.河村憐次市長は「市民の要望を聞いたうえで、保存、活用法を検討したい」という。
  弁慶号は全長4.05メートル、幅1.53メートル、高さ2.4メートル.規在、柳井市柳井の総合卸センターに貸し出されている.来年10月、日立製作所笠戸工場の創業75周年事業で走らせる計画もあり、市への移管はその後になる見込み。
  弁慶号は1907年(明治40年)、東京の石川島造船所(現・石川島播磨重工業)で製造された国産機関車6両の1つ、徳山海軍練炭製造所で石炭輸送に使われていたのを、1934年に同校の前身、下松工業学校が生徒の教材用として譲り受けた。
  戦後は校庭で風雨にさらされていたが、1981年の学校創立60周年記念事業で教職員、生徒の手で修理、再生.以降、各種のイベントなどで活躍している。
  しかし、ボイラーの修理など維持費が年に40万円も掛かっている。下松工業会は「貴重な文化遺産、市で有効利用してほしい」と寄贈に踏み切った。


「日刊新周南」 平成7年12月25日

 ”下工弁慶号”を市に 
       下松工業会が寄贈「貴重な
S Lを文化遺産に」

 下松工高の同窓会、下松工業会(深町和彦会長)は長く同校が保存してきた1907年(明治40年)製で今は1台しかない同会所有の小型蒸気機関車「下工弁慶号」を貴重な文化財産にしてもらおうと市に贈ることになり、22日、深町会長が河村市長を訪ね、目録を手渡した。
  下工弁慶号は1992年(平成4年)から柳井市の協同組合柳井総合卸センターに貸し出され、今も毎月第二日曜日に元気に運転されてきており、近く返される。今回は車両のほかに、定員20人の客車と150メートルのレール、プラットホーム1台も贈られた。
  鉄道マニアの間では数千万円から1億円の価値はあるといわれる下工弁慶号はアメリカの名機関車で、日本では”弁慶号”の愛称で親しまれたポールドウイン小型機関車をモデルに、石川島造船所(現・石川島播磨重工)で造られた6台のうちの一つ。動くものではこの一台しか残っていない。
  長さ4.05メートル、高さ2.4メートル、幅1.53メートル、重さ5.5トンで、車体は緑色。小型だが、明治時代の機関車独特の長い煙突、美しい車体に動輪二輪、ボイラー上部にサドルタンクがあるのが特徴。前部中央には同校の校章と「下松工高」のプレートがある。
  1934年(昭和9年)ごろまでは徳山海軍燃料廠で石炭運搬に使われていたが、その後、同校が60円で払い下げを受け、原動機の実習用に使っていた。しかしそのあとは30年間も放置したままだったが、1981年(昭和56年)に職員、生徒が力を合わせて修理し、記念行事でグランドを走った。
  このあとも1987年(昭和62年)からは岡山県倉敷市の下津井電鉄に貸し出され、下津井駅のフラワーパークで運転、同校に帰った1991年(平成3年)に所有が同校から工業会に移り、この年の創立70周年記念式典でも職員と生徒たちが整備、再びグランドを走った。その後は柳井で活躍する間に、末武公民館祭りや切戸川桜フェスタ、中国電力創立30周年まつりなど、たびたび“里帰り“して市民に親しまれていた。
  この日は深町会長が、「弁慶号は市民の貴重な文化遺産.広く市民に親しんでもらい、できれば米泉湖畔に計面されている施設の一つとして有効活用して欲しい」と目録を手渡すと、河村市長は「利用方法は市民と相談してから決めたいが、新しい下松の顔にしたい」と答えていた。


「山口新聞」 平成7年12月25日

 「世界的な文化財”観光資源に活用を」
           明治40年製
S L贈る 
               下松工高
OB会、市に

 県立下松工高の卒業生で組織する下松工業会(深町和彦会長)はこのほど、戦前まで同校で使われていた明治40年製達の小型蒸気機関車を下松市に寄贈した。この機関車は8年前に修理され、今でも走られる状態。「走らせれば世界的文化財」とあって同工業会は「観光資源としても活用して」と要望.河村憐次市長は「必ず走らせます」と約束した。来年以降には90年近く前の勇姿が再現されそうだ。
  この機関車は「下工弁慶号」と呼ばれ、同校のシンボル的存在.明治40年、兵庫県の石川島造船所で製造された6両のうち現存する唯一の車両.全長4.05メートル、高さ2.4メートル、幅1.53メートル、重量5.5トン、ボイラーの上に水タンクを亀の甲のように背負っているため「亀の甲」と呼ばれ、世界的にも価値が高い。
  昭和初期まで旧徳山海軍燃料廠で使用、9年に同校が払い下げを受け、教材として活用した。戦後、校庭に展示されていたのを56年の創立60周年記念事業で修復。62年から4年間、瀬戸大橋開通記念として岡山県の下津井電鉄に、平成5年からは柳井市の卸総合センターなどにも貸し出されて各イベントで活躍している。
  走らせるには整備、維持費が年間約40万円も必要。同工業会は文化財的価値のある「弁慶号」を市に寄贈して、下松の新たなシンボルに活用してもらうことにした。併せて客車ー両、150メートルのレールなども寄贈した。現在、柳井卸センターで月一回、運転している.同工業会は「来年10月ごろ下松に引き取り、米泉湖周辺で活用してほしい」と要望している。
  市は庁内にプロジェクトチームを編成、活用方法を検討する。河村市長は「市民が一番喜ぶ方法で走らせたい」と話している。


「朝日新聞」 平成7年12月26日

          明治時代のSL寄付 
           下松工高同窓会・市が永久保存へ

 県立下松工業高校の同窓会「下松工業会」(深町和彦会長)は先日、明治時代の蒸気機関車「弁慶号」を下松市に寄付した。市は貴重な近代化遺産として、市内で展示、永久保存する予定でいる。
 「弁慶号」は米国ポールドウイン社の設計で、1907年に石川島造船所(現・石川島播磨重工業)で造られた長さ4.0メートル、高さ2.4メートルで重さ5.5トン、徳山市にあった海軍燃料廠で石炭運搬に活躍し、1934年に“引退”、同校の前身下松工業学校にボイラーの実習教材として払い下げられた。
  その後、校庭で放置されていたが、1981年に約300万円をかけて修復し、1987年に岡山県の私鉄に貸し出して現役復帰した。1992年からは協同組合柳井総合卸センターが、中国電力柳井火力発電所前で営業運転 機関車は同会の所有になっていた。
  今回の寄付は線路などが道路工事で取り払われるためで、深町会長(71)らが市役所で河村憐次市長に目録を手渡した。「下松には新幹線の車両を製造している工場もあり、鉄道と縁が深い。有効に活用したい。」と河村市長。「弁慶号」は来年9月まで柳井市で運転された後、下松市に移される予定。


「毎日新聞」 平成8年1月9日 

    「弁慶号」を下松市に寄贈
             下松工高同窓会 客車1両、レールなど一式も

県立下松工高同窓会の下松工業会(深町和彦会長) はこのほど、所有する明治時代の小型義気機関車「弁慶号」など一式の寄贈を下松市に申し出た.市は有効利用する方針.弁慶号は1907年(明治40年)に石川島造船所(現・石川島播磨重工糞)が製造.全長4メートル、高さ2.4メートル、幅1.5メートル、重さ5.5トン。
  1934年(昭和9年)、石炭輸送に使用していた徳山海軍燃料廠から下松工高の前身、下松工業学校が教材として払い下げを受けた.一時は校庭で雨露にさらされていた。しかし、S Lブームのなかの1981年、創立60周年記念として生徒らが修復して運転。1991年に下松工業会に移管され、市内外のイベント等で活躍した。現在は柳井市の柳井総合卸センターに貸し出している。
下松工業会は客車一両、レール(150メートル)、プラットフォームも寄付。年間維持費は約40万円で、時価は合わせて6、7千万円から1億円相当、という。来年度には市に引き渡される予定。下松工業会は「民俗文化財として地域振興に役立てて欲しい。米泉湖畔で運転できるようになれば・・・・」としている。




「下工弁慶号」展示格納庫へ

「下工弁慶号」展示格納庫(下松市役所前庭グリーンプラザ)落成式
     ・・・平成8年11月1日(金)  10:00~  下松市役所グリーンプラザ


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北勢線で動態復元

平成16年3月、三重県桑名市にある北勢線の開通90周年記念事業に、3年間の期限で貸し出されました。
    そして、ここで動態復元を成し遂げ煙を吐いて走る「下工弁慶号」が皆さんに披露されました。


1.動態復元へのあゆみ

                                  
                      下工弁慶号動態復元へのあゆみ

                                
     ASITA(北勢線とまち育みを考える会)まとめ提供

16/3 弁慶号借入れ調印式を、於 下松市役所にて、下松市長様、下松工業会様他、桑員各市町部長 
      ASITA副会長出席の下、下松市と北勢線協議会間でとり行いました。

      この時には、弁慶号再走行に熱い期待が集まり、愛知万博で走行予定との地元紙での報道もありました。


16/4 北勢線開業90周年イベントでその勇姿を披露.JR東海須田会長(現相談役)から弁慶号生誕100周年
      を目標に動態復元を提言されました。

      この日は、超党派の国会議員で構成されるLRT推進議院連盟佐藤副代表も祝典に参加され、この様子は
      428日のユーガッタCBCにて放映されました。

16/5〜16/12までは、行政とASITAとの管理委託契約の遅れにより修復作業ができず、レール敷設や三岐鉄道
     によるターンテーブルの移設に協力する等、副次的な作業に終始致しました。

17/1 北勢線協議会からASITAへ正式に管理委託され、契約調印致しました。

17/2 ASITA副会長が下松市を訪問。市と工業会に動態復元作業の開始と借入れ期間の延長を申し入れ、快諾
      されました。
2月16日中京テレビ「そこが知りたい板東リサーチ」で弁慶復元に向けての活動が紹介されました。

17/3 ASITA結成1年目の総会にて復元スケジュール発表し、承認されました。
      会員には桑名市長、桑名市議会議長、桑名市産業部長などが名を連ねており、市長以外出席頂きました。

17/4 正・副会長が桑名市役所で水谷協議会会長(桑名市長)に動態復元プランを報告し、激励されました。
      
この頃からボイラーに乗せてある水タンクを外して、ボイラーの修復作業を開始しました。

17/5 LRT議員連盟三重担当中川代議士が、復元作業を視察されました。
      この頃より、美しい日本の歩きたくなる道500選に選定された「軽便鉄道と昭和のまちに出逢う道」ウオーキング
      大会が多くなり、北勢線のミニ電車も作成致しました。

17/6 腕木式信号機が梃で作動する様、動態復元を完了致しました。

17/7 この頃から車体整備にとりかかり、ブレーキなど制動装置の分解整備を始めました。

17/9 近鉄OBなどプロの参加が始まり、各部バルブ、パッキン交換、圧力漏れ補修等、本格修理を開始しました。
      又、下松工業会様の総会が湯の山温泉にて行われて正・副会長招待され、翌日、工業会の皆さんが作業
      現場を訪問下さいました。修理中の弁慶と久しぶりに対面され、修復の為のご寄付と激励のお言葉をいただき、
      本当にありがとうございました。

17/10 毎週末作業となり、シリンダ分解、車体下回り整備、各部品を新規制作して交換。年内いっぱい作業を続け、
      圧力検査申請の準備に入りました。
      この頃からTV取材が多くなり、11月18日にはNHK「おはよう東海」、12月25日には中京テレビ「駅長さん
      おすすめ とっておきの穴場」等で紹介されました。

18/1 1月19日、三重労働局による圧力試験に合格、ボイラーの上に水タンクを戻しました。

18/2 2月19日、マスコミに弁慶試走を公開。読売新聞に第1面で報道され、テレビ愛知、中京テレビで放映され
      ました。

18/3 3月5日 動態復元披露式を迎える運びとなりました。 

                                                              以上




 2.地元での新聞報道

(中日新聞  平成17年9月23日)





3.動態復元式


 「ASITA(北勢線とまち育みを考える会)」によって、進められていた下工弁慶号の動態復活を目指した修理が完了し、阿下喜駅前の軽便博物館展示線約80m(ターンテーブル有)にて動態復元披露式が挙行されました。
 (社)下松工業会からも、野田会長と深町名誉会長が出席し、下工弁慶号の復活をお祝いしました。

  日時:平成18年3月5日(日) 11:30…お披露目式  12:00…走行運転開始

  場所:三岐鉄道北勢線・阿下喜駅前 「軽便博物館展示線」
お披露目した「下工弁慶号」
(クリックすると大きな写真でご覧できます)


会長・名誉会長
同窓生と

下工弁慶号の勇姿

下工弁慶号の勇姿

ターンテーブル

紹介図面
下工弁慶号の勇姿





4.北勢線から帰った「下工弁慶号」

3年間の貸し出しを終え、ふるさとに帰ってきた「下工弁慶号」を地元新聞では下のように伝えています。

平成19年4月3日「朝日新聞」



平成19年4月3日「読売新聞」




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