自民党「新憲法草案」について


「自民党新憲法草案」より 自民党「新憲法案」を読んで
 ―「平和国家」から「戦争国家」へー

                    津田道夫(よびかけ人)

 05年11月22日、自民党の50周年大会は、正式に新憲法案を公表しました。一言でいって「平和国家」から「戦争のできる国」への枠組づくりといえます。戦争のための効率が優先されれば、その分、人権が削りとられるのは、歴史の示すところです。とくにも、障害者や老人といった社会的弱者の権利がないがしろにされかねません。それでは、再び差別社会へと逆もどりすることが危惧されます。

戦争の反省を止めた
 自民改憲案の特徴は、前文と第2章第9条に集中しています。まず前文では現行憲法が、「日本国民は……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、云々」と宣言しているのを削り落としているのです。考えてみれば日本国憲法は、満州事変から45年8月至る15年戦争の侵略的性質を反省し、新たな出発を画するに当って、その反省のうえに定められたのですが、それは前文中のこの一句に集中的に現われていました。それを削りとってしまうのが、どういう方向を意味するかは明らかでしょう。
 それとの関連で、次のような文言も削除されました。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全を保持しようと決意した」といったところです。そして前文が約半分に圧縮され、これらの基本理念が消しとばされてしまっているのです。

第2章第9条の改悪
 上記の戦争への反省と、平和の理想の追求を、具体的条文の中に宣明にしたのが、第2章「戦争の放棄」ですが、今次の自民案では、これが「安全保障」という風に化けさせられています。しかし、9条1項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」には、さすがに手をふれられなかったようです。28年のハーグ不戦条約や国連憲章が、この基本理念をうちだし、たとえばイタリア憲法などにも同様の文言がかきこまれているという事情もあったでしょう。
 しかし、この9条1項の精神は、2項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」という戦力不保持・交戦権放棄の規定にバックアップされてこそ、生かしきることができたし、できるのに、これは全く削除され、第9条の2として「自衛軍」―ここでも「自衛隊」は「自衛軍」に化けさせられています―に関する規定が4項新しく設けられることになっているのです。特徴的なことをいくつかひろいだして摘記すれば、まず「内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する」といわれ、「自衛軍」の保持と、首相の軍事統帥権が認められているのが特徴的です(第9条の2の1)。

 では、「自衛軍」の任務としては、どんなことがいわれているのか。引用します。「自衛軍は、……国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」(第9条の2の3、下線は引用者)。
 これは「自衛軍」の役割についてふれているのですが、下線を付したところが曲者です。
 つまり、抽象的な表現の裏を読まなければならぬということです。「自衛軍」の「国際的に協調して行われる活動」とは、たんにPKOというにとどまらず、アメリカがすすめる地球的規模での戦争には、アメリカの下僕としてどこへでも軍隊を派遣することができると、そんな風に読み込むことができます。現に、石破茂元防衛庁長官は「(自民党草案になったら)イラクでの武力行使ができるようになるのではないか」との質問にたいして、「その可能性は否定しない」と答えたといいます(10月30日、民放番組)。それが、現行憲法の平和・非戦・非武装の原理にまっこうから対立してくるのは、どなたにもおわかりでしょう。
 
 それと9条改悪との関連で、ぜひいっておきたいのは、現行憲法第6章「司法」のところに、第76条の3として、「軍事裁判所を設置する」という特別な規定が入り込んで来ていることです。これは戦前でいえば「軍法会議」ということになりましょう。軍規に反した兵士を処罰するための特別の裁判所を設けようということなのですが、「司法の独立」ということからいっても、大いに問題となるところです。
 こういうものが、ひとたびつくられてしまえば、それが独自の運動をはじめて、戦前の“憲兵政治”のようなものが現出しかねないことは、私一人の危惧にとどまらぬものがありそうです。

「公共の福祉」が「公の秩序」に化ける
 9条改憲そのものに戻りましょう。自民「新憲法案」では、「自衛軍」は「国際的に協調して行われる活動」をするのと併せて、「緊急事態における公の秩序を維持」する役割が認められていました。
 これは、どういうことを意味するでしょうか。たとえば、政府の政策に反対して大衆的抗議運動が起こったりした場合、警察機動隊と呼応して“治安出動”が可能になるという風に、これは読めるのです。これは人々の意見表明、デモンストレーションの権利を扼殺し、大衆運動の弾圧法規へとつながりかねぬ恐るべき規定で、戦後私たちが培ってきた基本的人権への侵害にもなりかねぬ代物です。
 しかも、この「公の秩序」ということが、今次自民「新憲法案」には、本当にあちこちにでてくるのです。
 たとえば現行12条は、自由及び権利の保持責任について、こんな風に規定しています。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」。
 これが自民「新憲法案」ではこうなっているのです。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責任を負う」(下線はともに引用者)。
 どうです。「公共の福祉のために」が、「公益及び公の秩序に反しないよう」に化けさせられているのが明らかでしょう。こういう化けは、ここのみにとどまりません。これまで見て来たところから判断して、「公の秩序」は、政府の欲する「秩序」と読み替えられるのです。同様のことは、個人の尊重を規定した第13条にも見てとることが出来ます。
 これを要するに、政府の欲する「秩序」が巾をきかせ、国民の権利が制約される方向が明らかではないでしょうか。

 私たちは、どんなことがあっても、この自民党「新憲法案」について、討論をまきおこし、一人から一人へと現行憲法の貴重なゆえんを伝え、職場から、学園から、地域から、改憲反対の運動を盛り上げて行かねばならぬと考えます。

 日本国憲法は、いまや日本人民の宝であるにとどまらず、私たち日本人民が、あの侵略戦争を反省して、世界人民に公約したところとなっているのと併せて、世界人民の宝にもなっているのです。    
第2章 安全保障

第9条の2 (自衛軍)

 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮者とする自衛軍を保持する。

2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための行動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

第76条 (裁判所と司法権)

(1〜2略)

3 軍事に関する裁判を行うため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する。