紙芝居されど紙芝居
―久喜市民まつり報告−


 ことの発端は、今年の久喜市民まつりで「九条の会・久喜」は、どんな形で参加するかということで、会員の方の発案で、浦和在住の中平順子さんにお願いすることから始まりました。
 浦和駅前からバスで、15、6 分のさいたま市役所前にあるコーヒー土瑠茶(ドルチェ)が中平さんの仕事場兼お店になっていました。紙芝居グループ「紙ふうせん」代表でもある中平さんが暖かく迎えてくれました。
 その日は、10 月17 日の市民まつりに出演していただけるか、演じ手料などを相談に来たのですが、中平さんから思わぬ提案があり、「久喜でもどなたか紙芝居を演ずる方が一人育ってくれれば…どうですかやってみませんか!」急に振られたので返事に困っていると、「月3 回の指導で1 万円ですが、短期間で見違えるように上手くなりますよ」。と言われ、9 月のみ3 回の指導を受けることになりました。会員のIさん、Kさんも練習見学に参加してくれました。

 9 月7 日の練習初日、また三人で参加しました。中平さんからまず紙芝居の歴史を聞かされました。「まだ80 年くらいの歴史しかない紙芝居は、日本が生んだ文化の一つです。1930 年代、世界大恐慌のころに、アメ売り紙芝居で生きるために、国策紙芝居が生まれ、作家が国から依頼されて制作したのです。戦後、そうした作家が戦犯扱いになったといいます。テレビの普及で、紙芝居が急速になくなってしまいましたが、教育紙芝居の普及を目指す紙芝居サミットが1995 年ころから始まり15 回が終わったばかりです。紙芝居の素晴らしさが評価され、戦後、アメリカ・ヨーロッパで上演されています。なぜ、紙芝居がいいのか?パソコンの時代ですが、インターネットは心が繋がっているとは思えません。人に対する評価、表現、感性を生かすことによって、心を癒す力を紙芝居は持っています。ではどう演ずるか!子どもや大人たちの前で演じる時は、子どもたち一人一人の顔を直視して、向き合うという姿勢が大切で、そこにいる人達をまず認めることから始める」と中平さんに教えていただきました。「そして、愛しく思う。大切な人だと思いながら演ずると、なおそこにいる人達とのコミュニケーションの輪がどんどん広がっていくようになります。私は、生きているうちに、どう生きていくのかを伝えていきたいし、平和の心で社会を作っていく心を養っていきたい。そして、小さい時から、自分で考え行動できる人間になってほしいと願っています。」と語る中平さんの情熱が強く伝わってきました。
 2日目から、本格的な練習です。課題「ご機嫌の悪い、コックさん」(観客参加型)という紙芝居を選んでしまいましたが、実はこちらのほうが難しいということがあとで分かりました。が、後の祭り!まず、目線が自信がないために伏し目がちで、見てくれる人の顔をまともに見られない。様々な、臨機応変な対応が求められる。体全体から多量の汗が流れ落ちる・・・。
 3 日目に、ようやく(物語完結型)を行った「ロボット、ロボの のぼりぼう」、確かにこちらの方がやりやすかったです。

 市民まつり当日、中原商店前には、「ガレージ・紙芝居」ののぼり旗を立て、拍子木を打ち鳴らし、呼び込む事務局員の面々。ちょっとガレージの中で、目立たないという欠点はありましたが、10 時第1 回目の紙芝居が始まりました。親子連れや子どもたちがガレージに集まり始めました。中平さんが自己紹介と紙芝居の脚本家と絵の製作者の名前をいってから始めました。大人10 人、子ども11 人と予想以上のスタートが出来ました。その日の参加者は、大人88 名、子どもたちは121 人と209 名もの人達が参加してくれました。大成功といえるでしょう。
 先生がお帰りになった後に午後1 時からKさんと私が、先生に教わったとおりに紙芝居を行いました。子どもの反応がすぐに伝わってきました。目の前で、小さな女の子が、いちいち反応して話しかけて来るのには閉口しましたが、無視することは出来ないので、「そう」とか「よく分かるね」と合づちを打ちながら終わることが出来ました。が、汗がにじんでいました。初めての紙芝居を経験し、中平さんの初日に語ってくれたことを思い出しました。

 「鉄は熱いうちに鍛えよ」という言葉通り、戦争中に時の政府が子どもたちに国策紙芝居を通して、戦場に駆り立てる思想を植えつける道具の一つであった紙芝居を、今度は平和に通ずる紙芝居として、これからの日本を背負っていく子どもたちに向って、私が演じたい!今は、こう思っています。 (本町6・S)