かもだより No.76  2000年8月 11日(金)

広島原爆投下から55年

  8月6日は広島に原爆が投下されてから55回周年です。広島市主催の平和記念式には被爆者や市民ら5万人が出席し、学校や職場でも黙とうがおこなわれました。2000年原水爆禁止世界大会(広島県体育館)は7,500人の参加者でいっぱいになったそうです。岡山に住んでいる時から子ども達と平和行進に参加していたけれど、広島、長崎以外に住む人にとって風化しつつあることは事実です。広島県に住んで4回目の夏が来ましたが、8月6日は広島県に住んでいるを実感する日です。

爆心地(島外科)

 爆心地は原爆ドームの上空と思われていますが、実際は少し離れた島外科上空だったそうです。爆心地を示す碑には「テニアン島から飛来したB−29「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約580メートルでさく裂しました。爆心直下となったこの一帯は約3,000度〜4,000度の熱線と爆風や放射能を受けほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました。時に1945年8月6日午前8時15分のことでした」と記されています。瀬戸内海を挟んだ私の故郷松山市からも広島上空のキノコ雲が見えたと言います。

平和記念公園

 
 8月6日の原爆投下により20万人以上の広島市民とその1割に当たる2万人の韓国人(軍人・軍属・徴用工・学徒動員・一般市民)が犠牲になり、その慰霊碑は平和記念公園の外に建てられていた物が昨年7月にやっと現在の位置に移設できたのだそうです。
有数の繁華街であった中島地区(現在の平和公園一帯)の建物疎開のために徴用学徒と地域や職場から多数の人々が動員されていて、爆心地から近かったため顔の判別も付かぬほど焼けただれ水を求めて川岸に集まり全員が死亡したそうです。20万人以上という犠牲者の多さに改めて原爆の悲惨さを感じます。


  原爆症で亡くなった佐々木貞子さんの
「原爆の子の像」を初め平和記念公園にある慰霊碑のそばにもたくさんの折り鶴が添えられています。
 アメリカから参加した95才のウィルさん(アメリカでの原爆展のスポンサー)と橋の上で出会いすてきな笑顔にふれ握手していただき、この日私を案内してくれた二階堂さん母娘と写真を撮らせていただきました。



 灯ろう流し

 原爆炸裂により傷つきやけどを負った被爆者が水を求め天満川や本川は死体でいっぱいだったそうです。
 その供養のためピースメッセージを添えた灯ろうが原爆ドーム対岸から流されます。今年からはピースキャンドル(牛乳パックで作り平和のメッセージが寄せられている)が県内の小中高校の生徒から寄せられ原爆ドームの周りを取り囲みました。「20世紀の過ちを21世紀に繰り返すな」の被爆者叫びが、核兵器の開発・生産・実験の被害者の声となりこだまし、世界の声となっていくことを願っています。