8月6日の原爆投下により20万人以上の広島市民とその1割に当たる2万人の韓国人(軍人・軍属・徴用工・学徒動員・一般市民)が犠牲になり、その慰霊碑は平和記念公園の外に建てられていた物が昨年7月にやっと現在の位置に移設できたのだそうです。
有数の繁華街であった中島地区(現在の平和公園一帯)の建物疎開のために徴用学徒と地域や職場から多数の人々が動員されていて、爆心地から近かったため顔の判別も付かぬほど焼けただれ水を求めて川岸に集まり全員が死亡したそうです。20万人以上という犠牲者の多さに改めて原爆の悲惨さを感じます。
原爆症で亡くなった佐々木貞子さんの
「原爆の子の像」を初め平和記念公園にある慰霊碑のそばにもたくさんの折り鶴が添えられています。
アメリカから参加した95才のウィルさん(アメリカでの原爆展のスポンサー)と橋の上で出会いすてきな笑顔にふれ握手していただき、この日私を案内してくれた二階堂さん母娘と写真を撮らせていただきました。
原爆炸裂により傷つきやけどを負った被爆者が水を求め天満川や本川は死体でいっぱいだったそうです。
その供養のためピースメッセージを添えた灯ろうが原爆ドーム対岸から流されます。今年からはピースキャンドル(牛乳パックで作り平和のメッセージが寄せられている)が県内の小中高校の生徒から寄せられ原爆ドームの周りを取り囲みました。「20世紀の過ちを21世紀に繰り返すな」の被爆者叫びが、核兵器の開発・生産・実験の被害者の声となりこだまし、世界の声となっていくことを願っています。