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やがて東京琴となり今日では山田流、生田流を問わず幅広く採用されるようになったわけです。
「生田流」 八橋検校によって「組歌」形式の箏曲が創られ、その後「段物」といわれる器楽的な箏曲も加わり、元禄時代には京都はもとより江戸、大阪にまで広がりその当時八橋検校の流れをくむ京都の人々が同じ八橋検校の系統で代表的な箏曲家の生田検校の名前にちなんで、「生田流」というようになりました。 □組歌:八橋検校などが作曲、箏だけで演奏 □段物:八橋検校以後に現在の形に完成した器楽曲、三弦でも演奏 □手事物:本来は三弦曲に箏を合奏させたもの
「山田流」 江戸の山田検校の系統の人々が、文化・文政時代に山田検校の名にちなんで、「山田流」というようになりました。「山田流」の人々は、山田検校などが作曲した「山田流箏曲」の曲目を演奏することを得意としました。「生田流」の人々は、原則としては、「山田流箏曲」は演奏しませんが、「山田流」の人々は、八橋検校などの作曲した組歌などを演奏しないというわけではありませんでした。箏と三弦での演奏が主体です。