2005年4月19日(オンライン・トロンボーン・ジャーナルより)
ファン・パブロ・トーレス59歳でマイアミでガンで亡くなる。
ファン・パブロ・トーレス、トロンボーン奏者、作曲家、編曲家そして音楽プロデューサーであった彼は脳腫瘍との戦いの後2005年4月17日にマイアミで59才で亡くなりました。
パブロはキューバのプエルト・パルデで1946年に生まれ、17才の時に音楽学校で勉強する為にハバナへ行きました。ファン・パブロは通常卒業に四年間掛かるところを18ヵ月で終了した後に、他の先覚者達(例えばベボ・ヴァルデス、パキート・デリヴェラとアルトゥーロ・サンドヴァル)と一緒に現代のキューバのオーケストラ音楽を作り上げました。
ファン・パブロは1970年代には彼のグループ・アルゴ・ヌエヴォ(サムシング・ニュー)を結成し、エグレム・レーヴェルの最もすばらしいレコーディングの幾つかを制作しました。1979年にレコーディングされた「エステラス・デ・アレイト」はその時代の大くの優秀なキューバの音楽家を再結合させて現在では古典とみなされています。
1992年にファン・パブロはカストロの国家体制の創造的な限界に失望してスペインで亡命し、その後1993年にUSAに着きました。それ以来、彼は録音された音楽の印象的なリストを作りだしました。
彼がUSAでリーダーと出した10枚のアルバムは、"
Together Again"(2000), "Trombone Man (1995), "Pepper Trombone(1997)",'son
Que Chevere" (2000), "AfroCuban Trombone"(2003), "SuperSon" (2002),
and "Identidad "(2004)
知識のあるファンと同様に批評家にも非常に賞賛されました。それに加えて、彼は1ダース以上のプロジェクトをプロデュースし、彼のプロデュースの経歴の中でも"Cuban
Masters" と"Buenavista: The Next Generation"でグラミー賞のラテン部門に2回ノミネートされました。
ファン・パブロの演奏は際だったテクニックと創造力で非常に独創的である。
フランク・ロソリーノとJJジョンソンのハーモニックでリズミカルな影響以の彼の影響はジェネローソ・ジメネゼスのディスカルガの伝統からやって来ています。
音楽界は喜びの素晴らしい解釈者、そして素晴らしい音楽が我々にもたらされる幸福を失いました。
私は時間が経ち彼の貢献が増大する音楽ファンで認められることを強く信じます。 ルイス・A・フローレス