展覧会見学記
2006/4/9 岡山城天守閣「信長・秀吉と瀬戸内水軍」
瀬戸内水軍をメインテーマに掲げながら、展示品のメインはどう見ても伊勢の九鬼水軍にあるという、ちょっと不思議な展示構成。ただ、九鬼氏は熊野八庄司の一人と言われ、熊野別当家の紋と言われる紋を使ったりしているので、そういう意味では仕事の参考になる展示ではあった。
実はこの展示の企画にあたったマスコミの担当者から少し前に連絡があり、ぼくの勤務する博物館で預かっている資料の借用の申し入れがあったのだが、相当に迷ったあげく、結局お断りした経緯があったので、展示内容に関してはちょっと関心があった。実物の貸出はお断りしたので、代わりに写真フィルムをお貸しし、会場ではそれをもとに写真パネルが展示されていたが、展示の構成上、その資料がどうしても必要とは感じられなかったので、やはりお断りして正解だったなというのが素直な感想。企画されたマスコミの方からすれば意地悪な言い方に聞こえるかも知れないが、やはり資料の保存を第一に考える立場からすれば、どうしても必要ということでなければ写真パネルで十分な場合もある。とくに今回の場合は、別の館で所蔵している同様の資料について写真パネルで展示されていて、その館の方も、おそらく実物の借用を依頼されてお断りしたんだろうなぁということが推測できたので、なおさらうちから実物をお貸ししなくてよかったと思った。うちだけ実物を展示していたら、「なんで和歌山だけ実物を出してるのか」と思う人もあるだろうし、バランスとして片方だけ実物だとどうしてなんだろうと普通は思うだろう。自分の判断にとりあえず一安心した。
瀬戸内海の東南のはずれに位置する紀伊をフィールドにする学芸員として、いずれ瀬戸内と紀伊を結ぶ「水軍」の展示はやってみたいテーマのひとつだ。村上水軍や安宅水軍に関する資料は紀州にも少なくない。図録がなかったので、今回どんな資料を展示していたかよく覚えておかないといけない(笑)が、いずれこのテーマに取り組む時には、今回見た資料も展示の中に組み込んでみたい。
2005/12/17 出光美術館 「平安の仮名 鎌倉の仮名−時代を映す書のかたち−」
タイトル通り、仮名の名品を集めたなかなかに玄人チックな展示だったが、朝一番に入ったにも関わらず、けっこうお客さんが多くてびっくり。今年は、「古今集」成立1100年・「新古今集」成立800年ということで和歌に関わる展覧会が多いが、装飾経のように料紙が美しい作品が多いわけでもなく、ホントに「文字」の美しさのみで勝負という、マニアックな世界。ただ、やはりこうして並べてみると、平安の仮名と鎌倉の仮名の違いはかなりはっきり認識できるのはもちろん、筆者の違いや伝称筆者と実際の筆者との関係もおぼろげながら見えてくる。伝西行といわれる筆跡の多くが藤原俊成周辺で書かれたものであるという説があるなど、個人的には知らなかったことが多くてかなり勉強になった。ある意味で、近年の「書」の研究の到達点が示された展示なのだろう。その意味で、単に名品ばかりを羅列的に集めた展示ではなく、ひとつのテーマを掘り下げた、まさに研究成果の還元としての展示で、見ていて爽快だった。こうした展示が許容され、しかもそれなりにお客さんにも受け入れられる環境がうらやましい。
2005/12/16 山梨県立博物館 常設展「山梨の自然と人」
10月にオープンしたばかりの新しい博物館で、学芸員の方に解説していただきながら見学。この館は中世史担当の学芸員が2人もいらっしゃるという。うらやましい限り。
展示は、展示技術というものは日々進化しているんだなぁ、と思わせる、最新の映像・音声・コンピューター技術をふんだんに取り入れたものだった。博物館というよりは知的なテーマパークといった感じで、子どもも大人も楽しめる作りになっていた。タッチパネルのモニターくらいしかない自分の勤務館の貧弱さを改めて思う。
展示の構成は、古代から近代へという、歴史系博物館にありがちな時系列に沿った展示というよりは、例えば「水に取り組む」「馬」「都市祭礼」など、山梨の風土を象徴するテーマを散りばめつつ、動線も単純な直線動線ではなく、どこからどのように見てもいいように、ジグザグに展示室を配置していた。地中から発掘された遺物をガラス張りにした床下に展示したり、一定の時間になるとスクリーンに見立てた壁面に祭礼の様子を写した映像が映し出されるなど、大がかりな仕掛けの展示が目を引いた一方で、キャプションがものすごく小さくて読みにくいのと、ちょっと全体に詰め込みすぎの感がした。解説してくれた学芸員の方は、実物を多く出している古文書などはなるべく頻繁に展示替えをしたいとおっしゃっていたが、展示ケースは現在展示しているモノの大きさにおおむね合った大きさのケースになっており、展示替えといっても、同じ大きさや形のモノを探して展示するのもなかなかしんどそうだなぁと感じた。
甲州の博物館でありながら、武田信玄に関しては近世期の肖像1幅のみの展示にとどまっており、ちょっと寂しい気もするが、来秋の特別展で信玄をとりあげるということなので、今から楽しみにしていたい。
2005/10/30 太子町立歴史資料館 調べました! お太子さんの荘園
合わせて開催されたシンポジウム「法隆寺領播磨国鵤荘−古代から現代まで生き続けるお太子さんの町−」の後に見学。荘園調査という営みそのものがどう「展示」という形に結びつくのかすごく興味があった。事前に「どんなものを展示してるんですか?」と電話で尋ねてみると、職員の方は「いいものはみんな県博にいってますよ」と笑って答えておられたが、なかなか見応えがあって、地域の博物館ならではの展示だった。鵤荘の調査では、6冊の報告書が刊行されているがそれぞれに地区ごとの2000分の1の地図が付いている。用水や地名、標高などのかなり詳密な情報が盛り込まれている。展示室の中央には、この地図を貼り合わせた大きな地図が置かれ、主要なポイントとなる場所や景観の写真がこの地図の周りに置かれている。これを見た地元の人らしいお客さんが、必死に自分の家を地図上に探したり、写真を見て「こんなものがあったんだなぁ」と目を細めながら言っていたのが印象的だった。
何よりも驚いたのは、調査で使われた聞き取り調査用のカードや、学生さんたちが使った、用水や地名を書き込んでボロボロになった地図などが、聞き取り調査や現地での踏査の様子を写した写真パネルとともに展示してあったことだ。荘園調査を行う者にとってはなじみ深いこれらの
「調査道具」が、すでに「歴史資料」となっていることに思わず笑みがこぼれてしまったが、おそらく調査の最初の頃には、「こんなこと調べて何になるの?」と言われながら調べたことが、最終的に展示室中央の巨大な地図に結実してゆく様がよく分かる仕掛けになっている。不器用なようにもみえるが、よく考えられた展示だなぁと感心した。後で聞くと、展示を担当したのは民俗学が専門の方だという。なるほどなぁ、と妙に納得。
その他、調査成果や絵図との比較を図示したパネルなどにもセンスの良さを感じた。そういえば展覧会のチラシも、荘園絵図と現地の航空写真を左右に配し、絵図の方格地割に現在の条里地割の縮尺を合わせ、まさに鎌倉時代の地割が現在もはっきりと残っている様子を分かりやすく見せたデザインだった。今年の展覧会チラシの中では、まちがいなくナンバー1グッドデザイン賞である。
2005/10/30 兵庫県立歴史博物館 聖徳太子と国宝法隆寺
この日、太子町で播磨国鵤荘のシンポジウムが開かれていたので、午前中、関連資料が展示されている兵庫県博を訪問。著名な鵤荘絵図、鵤荘引付などをじっくりと堪能した。
前半は、文字通り、法隆寺の至宝の数々を惜しげもなく展示。夢違観音も、たぶん、中学校の修学旅行以来、久しぶりに見た。これはさすがにケースに入っていたが、いくつかの仏像が露出展示。台の上で目線からはかなり高い位置に展示してあったとは言え、ちょっとコワい。基本的に大きな彫刻が多く、ケースに入っている仏像の多くがケースの大きさに比べて大きめで、やや窮屈な印象。仏画も上の方は光が当たっていない感じがした。
さて鵤荘絵図は、この日は嘉暦図を展示。後期から展示替えで、至徳図を出すという。壁面での展示だったので、あまり近寄って見ることができず残念。山並みの樹木表現や、「行道岡」の異様な松の表現をじっくり、しっかり目に焼き付けた。また、用水がこれだけはっきり描かれている絵図も珍しいが、紀州の井上荘の絵図の観念的な表現とは違って、カーブを多用してリアリティに富んでいる点も特徴。逆に、用水相論も作成契機のひとつと考えられている井上荘絵図の観念的ぶりは、その作成契機を疑わせるほどにも思える。
法隆寺・斑鳩寺の鵤荘関係の文献史料が多く展示されているのは担当者のおかげだろう。シンポジウムまでの時間があまりなかったので、文書は逐一読まなかったけれど、斑鳩寺僧の筆まめぶりは明らか。法隆寺文書は近代以前に寺外に流出し、近代に入ってから再度法隆寺に戻ってきたものであることは初めて知った。
手刷りの子ども向けパンフレット、主要作品の解説シートなど、学芸員の涙ぐましい努力もあちこちに。どこの館もこうした普及的な作業にそれなりの労力を割かねばならないのは同じだ。
2005/10/9 京都国立博物館 最澄と天台の国宝
学会へ出席したついでに見学。連休ということもあってか会場はけっこう混んでいた。天台宗の開宗1200年を記念して、比叡山だけでなく、近畿圏以外の天台宗寺院からもけっこう名品を集めていた。展示件数236件のうち、国宝が24件、重文が103件という圧倒ぶりは、いつものことながら脱帽させられる。
比叡山横川中堂や無動寺などの本尊像には圧倒された。展示空間の作り方にも見る人を圧倒させるぜいたくな演出がなされている。ただ、無動寺のほうは、一瞬圧倒されたものの、やっぱりちょっと窮屈かなという気も。聖衆来迎寺の「六道絵」も十五幅そろってみると、やはり独特の存在感。思っていたよりも傷みが少ないのには感心した。
高さ3メートルはあろうかという葛川明王院の権大僧都成円ら参籠札。大津の博物館で見た時は寝かせて展示されていたが、今回は天井まであるガラスケースに入れて立てて展示してあって、やはりモノは本来の姿で見せられるのがいいと実感。ただ、大津では展示してあった葛川・伊香立相論絵図は展示されていない。参籠札のキャプションに「相論絵図によれば土中に突き刺して立てていた」と解説されてあり、絵図も一緒に展示されていれば分かりやすいのに、とちょっと残念。
恥ずかしながら、最澄の実名が分かる史料があるとは知らなかった。伝教大師度縁案并僧綱牒。教科書などでよく見かける最澄の肖像が11世紀のものであることを考えれば、最澄と同時代のこの史料は必見です。
2005/7/15 和歌山市立博物館 石の記憶−ヒロシマ・ナガサキ
原爆投下直後の広島・長崎を訪れた文部省学術研究会議の調査団のメンバー、渡辺武男が収集した被爆岩石、ネガフィルム、ノートなどを中心に構成した展示。東京大学教授で地質学者であった渡辺は、被爆地で黙々とこうした資料を集め、原爆の爆発時の閃光により岩石などに焼き付いた影などの測定から、上空のどの位置で原爆が爆発したかを割り出した。戦争展・原爆展というと、その悲惨さばかりが強調される傾向があるが、科学者の冷静な目から、原爆を冷静に、客観的に捉える展示は好印象。ただ、全体として展示品は少な目で、「実験的」として各所で高評価を得たという、さまざまなメディアを駆使した展示手法のわりに物足りなさも。玄関ホールで「和歌山大空襲60年展」を併設。やはり、実物のモノがもつ存在感は圧倒的と実感。
2005/7/9 旭川市博物館 アイヌ語地名を歩く 山田秀三氏の地名研究から
久々の更新。この間、展覧会に行かなかったわけではないのだけれど、忙しくて更新をサボってました。今回は夏休みで北海道へ行った際に立ち寄った博物館から。
山田秀三氏は、戦前に農商務省・商工省などに勤めた後、退官直前から関心を持ち始めた東北・アイヌの地名に関する調査を始め、退官後、驚異的なフィールドワークによってアイヌ地名を収集し、地図上に比定するという地道な作業を通じて、アイヌ語地名研究に大きな足跡を残した。展覧会では、山田氏の使ったノートやファイル、書き込みをした地図や当時の風景写真などが、パネルや実物などによって展示されている。全体に実物資料は少なく、パネルが多かった印象があるが、何枚も貼り合わせた五万分の一、二万五千分の一の地形図に細かく地名を書き込んだものなどを見ると、自分が荘園の調査をする時と同じようなやり方をしてるなぁ、と思った。ただ、荘園の調査の時は、もっと大きな二千五百分の一程度の地図を使うが、アイヌ語地名といっても調査の対象は山並みや谷、川や平野など主に地形に関するものが多いような感じがした。
旭川市博物館は、旭川市大雪クリスタルホールという言わば市民ホール(結婚式場やコンサートホールなどがあった)の一角にある博物館で、入館は無料。常設展は自然史・民俗などが中心で、歴史は開拓使時代の展示がごく一部あるのみ。設置形態からみたら指定管理者制度は導入されやすいだろうなぁ、などと余計な心配をしてしまった。もしかしたらもう導入されているのかな。
2005/3/30 国立歴史民俗博物館 東アジア中世海道
歴博らしく、いくつかの共同研究の成果を展示に結びつけた企画。企画展示室へ入る入口のところの屋外には、船の錨の模型が象徴展示されるなど、大きな造作物を使っての空間演出はなかなかにぜいたく。豊後・府内の古絵図と発掘調査現場の航空写真のデジカメ映像を、拡大させたり縮小して全体を見せたりする手法は、金がかかっているだけあって面白い。その他、貧乏県の学芸員としては、金のかかった演出ばかりが気になってしまい、その割には1点1点の作品の展示方法は雑で作品の鳴き声が聞こえてきそうな展示だったような気がする。
紀州関係のものでは、紀淡海峡加太沖の沈没船から引き揚げられた陶磁器などが展示されていたが、陶磁器や出土銭の他、琉球交易や港町の様子を描いた屏風絵などが印象に残る。また、小さいながらも対馬の宗氏が用いた図書と呼ばれる木印や、勘合貿易で倭寇との識別のために用いられたという「日本国王之印」やそれを収めたといわれる朱漆塗りの金印箱などは面白かった。ただこれも、金印箱などは演出次第ではもっと存在感を増すだろうに、何か他のものと同列に扱われすぎていて埋没していたように思う。
春休みということもあって親子連れのお客さんも多かったように見受けられた。子ども向けのクイズなども用意されていたようだが、展示としては子ども向けのキャプションではなく、「かんたん解説」という別キャプションがあって、変に子どもに媚びない展示姿勢には影ながら応援したい気持ちになった。
2005/3/21 東寺 春の特別拝観2005
10万人の人出で賑わうという毎月21日の「御影供」、弘法市の日に、人混みをかき分けかき分け、ようやく一番奥の宝物館に到着。お目当てはもちろん空海の手紙「風信帖」。入口に近いところにあっさりと展示してあってちょっと拍子抜けしたけど、しばし周りの喧噪を忘れ見入る。数ヶ月前に自分の勤務先で展示した「聾瞽指帰」の、みずみずしい清新な印象の字とはうって変わった、早くも老成した味わい深い文字の連なりに、ちょっと感慨深くなる。学芸員の心配りか、手紙の内容を現代語に翻訳したキャプションが置かれていたが、改めて読むと、書かれている内容は大したことのない、今だったらホントに一筆箋にささっと書くような「要用のみで失礼」というほどの内容。心配りはうれしいけれど、幻滅する書の愛好家もいるかもなぁ、と思いつつ、自分だったらやっぱりこういうキャプションを作りたくなるよなぁとも思う。ひとつ大きな収穫は巻末の奥書。もともと5通あった書簡のうち1通はすでに南北朝時代には紛失されており、1通は高野山の木食応其の取り次ぎで豊臣秀次に献上された旨が書かれている。このため現在は3通しか残らない。応其の別の側面を見た気がしておもしろかった。普通は巻末まで展示することはないだろうから、これも学芸員の心配りか。
特別拝観ということで、境内の講堂・金堂、それに観智院なども公開。1500円の共通券で宝物館とともに見られるのはおトク感が高い。とくに、講堂内、五菩薩・五智如来・五大明王、それに四天王像・梵天・帝釈天像の21躯が林立する「立体曼荼羅」は圧巻。五重塔の初層では、花粉症をこらえながら解説してくれた解説員の人の姿が印象的。
仕事で同じ場所に来ていたはずの同僚に、ちょっと後ろめたさを感じつつ、今日は満腹の一日。
2005/3/21 大山崎町歴史資料館 常設展
石清水八幡宮の別宮・離宮八幡宮を中核に、大山崎荘、そして自治都市・大山崎として発展した地の歴史を古代〜近世にわたって概観できる展示となっている。中世のコーナーでは、離宮八幡宮文書を中心に大山崎の油座の発展ぶりを解説、モニターによる、なかなか難しい中世文書をコント風に仕立てた解説にちょっと感動。ぼくなどは、文書の展示は一般の人向けには取っつきにくいから、と最初から諦めてしまうが、学芸員の粘り腰に敬服。油を貯蓄したという備前焼の大甕は根来のものとほぼ同サイズか。やはり、根来同様、首から下を地中に埋めて利用していたとのこと。
最後に山崎合戦のコーナーがあり、近世前期に描かれた個人蔵の軍陣図がマグネットで留めてあったのがちょっと残念。建物自体が、鉄道の高架線沿いにあり、電車が通るたびに振動が展示ケースに伝わっているような気がしてならなかった。実物の展示は考古資料くらいだったけれど、特別展の時などはどうするんだろうとやや心配になる。
2005/2/24 東京国立博物館「唐招提寺展」
教科書などで必ずと言っていいほど見る国宝の鑑真和上像を見られるということで、平日だったにもかかわらずお客さんは多かった。最初の部屋は、端から端まで50メートルはあろうかという巨大な空間に国宝・廬舎那仏像とそれを取り囲むかのような四天王像と梵天・帝釈天像の巨像が林立する様にまずは圧倒される。この空間演出は東博ならでは。相変わらずの露出展示には閉口するが、別の部屋の鑑真和上像はケースに入っていたのでちょっと安心。
東山魁夷が1985年に10年かけて完成させたという御影堂の障壁画は、ぼくにとっては無駄だったかなぁ。唐招提寺の歴史に思いを馳せたいと思って訪れた人にとっては、えんえんと続く現代の障壁画の連続には正直、幻滅だろう。実際、すれ違った見知らぬ若い女性客は「何だか物足りない。あっという間だったね」と友人と話していたのが妙に印象に残る。同感。
ただ、うれしい試みもあって、今回の展覧会は「金堂平成大修理記念」という冠がついているのだが、修理の様子が一コマ一コマ写真で紹介されていて木造寺院建築の建造物修理が実際にはどんなふうに行われるかがよく分かるようになっていた。時代ごとの瓦の展示もよかったと思う。
図録は、展示品が少ないだけに、鑑真和上像や廬舎那仏像などの写真は、正面、右向き、顔のアップなど多くのカットが載せられていて、好きな人にはたまらないだろうが、ちょっとやり過ぎのように思う。旅行ガイドブックと見まごうほど、無意味な風景写真や花の写真が多いのも納得がいかない。これで2300円は高いなぁと思いつつ、やっぱり買ってしまった。職業病。
2005/2/4 大倉集古館・泉屋博古館分館「新春アートウォーキング2005 The 能」
2月に入ってもはや「新春」という気分でもなかったのだが、友人の結婚式に出るために東京へ行ったついでに見学。
ともに六本木の霊南坂に沿い、距離にして200メートルくらいしか離れていないふたつの美術館が、同じテーマのもと、お互いの蔵品を展示しあってひとつの展覧会を構成するという、単なる共催というレベルを超えた面白い試み。冒頭の「開催にあたって」によれば、6つのテーマに見合う作品をそれぞれのコレクションの中から選び取り、各館で3テーマずつを展示していた。なるほど、これをひとつの館でやったら、ひとつのテーマの中で「あれが足りない」「これが足りない」ということになるところを、両館でやったことにより各テーマはそれぞれの奥行きを増しただろう。展示を計画していて、自分のところの収蔵品では計画が成り立たないとなれば、普通はどこそこの館の所蔵品を借用して展示計画を練ることになるが、これだけ近距離にあり、しかも同じような傾向のコレクションをもっている両館が、「いっそのことひとつの展覧会を2つの会場で」で発想した経緯は何となく理解できる。そしてその発想を実現までこぎ着けた両館の学芸員の努力もねぎらいたいとは思うのだが、ちょっと「ひとつの展覧会」と銘打つには違和感がないわけでもなかった。
「ひとつの展覧会」と主張する以上、やはり展示空間も均質なものでありたい。片や建物自体が登録文化財で外光のほとんど入らない暗めの展示室、片や現代的でおしゃれな外観の建物に外光こそ入らないものの能装束を展示するには明るすぎるくらいの照明の展示室。同じ展覧会を鑑賞するには、ふたつの空間はあまりにも違いすぎた。また、展示スペースが狭く展示方法に苦労されているのは痛いほどよく分かるのだが、隣り合う装束の袖と袖が重なっていたり、装束を展示している背面の壁の上の方に能面を展示したりするのは、さすがに見にくいのではないかと思う。作品に解説がないのも、門外漢のぼくとしてはやや消化不良だったが、これは美術館ではよくあることなので、その点は諦めて作品を何とか「鑑賞」しようとしたのだけれど、やはり展示空間の違和感は最後までつきまとった。
しかし、ふたつの美術館はうらやましいほどの立地に恵まれている。近くにこれだけの館があれば、お互いに心強いだろう。しかも両館のコレクションは多彩で多様だし、今回のようなテーマでなくても、いろいろなテーマで今回のような企画が可能なんじゃないかと思った。
2004/11/19 東京国立博物館「日本美術の流れ(平常展)」
研究会に出るために東京へ行ったついでに、東京国立博物館で9月にリニューアルオープンした平常展を見学。コンセプトは、これまでの彫刻、絵画、工芸というような部門別の部屋割りから、1階部分でそれを一部残しながら、2階部分では原始から近代までの時代ごとに部屋割りして、その時代ごとの特徴的な作品を展示することで、まさに「日本美術の流れ」が俯瞰できる、というものだ。例えば原始時代なら土器や埴輪、室町時代なら水墨画、江戸時代なら浮世絵といった具合。東博だからできる優品のオンパレードだった。国宝室では『鳥獣戯画』を堪能し、神護寺の文覚上人像が東博の寄託になっていることを初めて知った。一休宗純の奔放で闊達な書に感動。
1階は部門別の展示で、彫刻室は相変わらずの仏像の露出展示。染織の部屋が妙に明るかったのが気になった。それとキャプションについている英語で作品名称を書いた部分は何とかならないものでしょうか。書状は足利尊氏のものであっても徳川家康のものであっても単に「letter」、海北友松の山水人物図は「Landscape」、狩野山雪の猿猴図に至っては「Monkey」とあるから、思わず吹き出してしまった。ここは動物園かと思ったくらい(笑)。
2時間もかからないと思っていたら、全部見終わったところでたっぷり3時間がたっていた。ミュージアムショップで書籍を若干購入。「中国国宝展」も見るつもりにしていたけれど、時間がなくパス。
2004/10/29 佐川美術館「国宝・中尊寺展」
大津市歴史博物館と同じ日に見学。
大津から車で少し北上し、琵琶湖を渡ってすぐの佐川美術館は、外観はまるで琵琶湖に浮かんでいるかのように、周りに人工の池をめぐらしたステキな造り。でも、この前のように台風や大雨の時は大変だろうなぁ。開館してまだ間もない新しい館で、ぼくも初めて行く館だった。
展示は一番奥の特別展示室を仕切って行われていた。中も仮設の壁でさらに小部屋状に仕切ってあったが、ちょっとこの仕切り方が複雑で分かりにくい。ぼくも最初、順路を逆回りしかけたが、他のお客さんも逆回りして監視の人に順路を聞いたりしていた。
奥州に京の都を再現したかのような平泉。「柳の御所」の発掘調査が進み、世界遺産に暫定登録されただけあって、中尊寺のみならず、平泉全体で多くの文化財を伝えている。展示の前半はそうした「黄金文化」とも称される、奥州の豊かな金の産出を背景にした仏教文化を工芸品や金色堂の復元模型、または中尊寺経などから紹介している。
そしてとくに今回は、平泉で最期を遂げた源義経にゆかりの品を展示するというのが展示のもうひとつの大きな軸になっていて、義経所用と伝える籠手や義経自筆として著名な高野山に阿弖河荘を安堵する内容の義経書状(高野山文書)なども展示してあった。国立歴史民俗博物館で所蔵する高山寺聖教紙背(屏風貼付)も見られるかなぁ、と思っていたが展示されていなかった。
伝説に彩られた人物だけに、歴史的に掘り下げてゆくのは難しいとは思ったけれど、それだけに後世の「義経伝説」も視野に入れた展示内容は学芸員の意気込みを感じさせるものがあった。ただやはり、「中尊寺展」という枠組みの中で義経の全体像を展示しようとするのにはやや無理があって、二足の草鞋というか、本来なら別々の展覧会でするべきテーマを一緒にしてしまったというような「欲張り」感があって、逆に消化不良の印象を持ってしまった。最後の展示品も、明らかに展示室をはみ出して次の彫刻家・佐藤忠良の展示室へ続く廊下に追いやられたような印象を受けてしまって、「え、これで終わり??」という感じで、ややもったいないなぁ、と思った。
展示の方法も、キャプションの大きな文字、少ない字数など、一緒に行った妻はとても好感を持ったようだったけれど、平泉からの出土品などは、展示ケースの外でお客さんが手を触れやすい場所にキャプションを置いていたり、ケース内にあってもやや曲がっていたりして、悪く言えば「素人」っぽさが気になった。キャプションをお客さんが持って行ってしまったりしないかなぁ、と変なことを気にしてしまうのはぼくだけだろうか。
ゆっくり見たので、最後は時間ギリギリになってしまった。けれど、5時を過ぎてもチャイムが鳴らず、追い出されるように館を出なくてすむのは、お客さん本位の感じがしてよかった。うちではチャイムだけじゃなく音声も放送されるので、最後までゆっくり見たいお客さんには不快だろうなぁ、などと思いつつ、少し暗くなりかけた空の下、車に乗り込んだ。
2004/10/29 大津市歴史博物館「回峰行と聖地葛川」
平日の休みを利用して、大津市歴史博物館へ企画展「回峰行と聖地葛川」を見学。もう4、5年前になるが、自分の中では一番思い入れのある論文を書いた時に利用した「葛川明王院文書」が展示されているということで、非常に楽しみにしていた展覧会だった。もちろん、展示は文書だけではなく、彫刻や絵画などもあって、とくに目を引いたのは明王院所蔵の膨大な参籠札や懸仏が惜しげもなく展示されていたことだ。まだ大学院生だった頃、明王院を訪れて堂内に入れて頂き、大きな懸仏が壁に懸けられているのを見てその大きさに驚いたことを懐かしく思い出したが、その時は確か、堂内が暗くてあまりはっきり見えなかったように記憶しているが、今回まじまじと見てみるといろいろな像容があって楽しかった。参籠札も当時は見なかったと思うので、頭頂が板碑状のものと、五輪塔状のものがあると分かってこれまた楽しかった。ただ、最古にして最大の参籠札(全長は4メートル弱)が、寝かせた状態で展示ケースに入って展示されていたのは、その迫力が伝わりにくいかな、と思ったりもした。図録では、明王院の堂内で立てかけてある状態で撮影された写真が載っており、他の参籠札は基本的に露出展示してあったので、他の条件がなければやはり立ててあった方が迫力が伝わるように思う。
文書は後半にまとめて展示してあった。門葉記や地元の(?)八所神社に関連史料がこれほど多くあるとは知らなかったし、何より、文書を収めた文保2年の文書櫃を見ることができたのは収穫だった。研究史上有名な伊香立荘との相論は、文保年間の相論が一番激しく、いちおうの決着がついたのもこの時期と言われているが、以前から、文保年間以後も相論は続くし、最終的な決着もこの時にはまだついていないと感じていたのだが、その疑問が今回氷解した。文保年間当時、葛川の常住だった頼玄という人物が、この櫃を作って相論に関係する文書をいったん整理していたのだ。だから文保年間の文書が多いのは当然だし、生々しい記録が多く残っているのもうなづける。
見終わって、学芸員の方と少しの時間、お話しした。和歌山では高野山に未知の資料が多く眠っているのと同様、滋賀では比叡山にまだ手つかずの資料が多いという。同じ悩みを抱えていますねぇとお互いで笑い合った。あまり多くを求めるのは、やがて自分に跳ね返ってくることだと分かっているのだが、明王院のみならず比叡山関係の文書の整理と刊行を待ち望んでいる人は多いと思う。ということで、学芸員さん、がんばってくださ〜い(笑)。
2004/8/27 大阪市立美術館「祈りの道」
NHKが番組の前後にスポット広告を流しているだけあって、午後の遅い時間だったにもかかわらず、少し混み気味だった。それでも、見るのにたっぷり2時間はかかってしまって、最後は足が痛くなった。単なる運動不足なのだが。
それにしても、天王寺の駅を降りると、駅の床面に方向指示の矢印とともに「祈りの道」と書いたステッカーが貼ってあって笑えた。知らない人が見たら、何の道があるんだろう?と思うんじゃないかなぁ。
図録によれば展示品の件数は300件を超える(前後期で大幅な展示替えをするというので、1回で見られるのは200件ほどか)。その数だけでも圧倒されるが、国宝・重文がズラリと並ぶので、見応えは十分だ。何度行っても飽きないだろう。高野山・熊野・吉野の世界遺産登録記念と銘打たれているが、これだけのモノを育み、そして伝えたこの三つの「信仰の山」が、確かに世界の文化遺産にふさわしいということが展示を通してよく分かる。会場に若い人たちが多かったのも、ちょっとうれしかった。
ただ、展示を見て残念に思うことも少なくなかった。ひとつはやはり、展示品が多すぎるんじゃないかと思う。いや、単に全体の数が多いというわけじゃなくて、展示ケースの中に作品を詰め込みすぎじゃないかと思う。自戒を込めていうのだが、学芸員としては、展示はやはり研究や調査の成果なので、ひとつでも多くの作品を見てもらいたいという気持ちは分からないではないけれど、壁付きの常設ケースはともかく、移動ケースにいくつもの作品を置いたり、行灯型の移動ケースの前後面に、背中合わせにして彫刻作品を置いたりするのは、さすがに作品がちょっとかわいそうかな、と思ってしまう。
また、それとも関わると思うけれど、作品の配列が、展示番号順でなかったのも気になった。もちろん、展示ケースの大きさや建物の構造上の制約もあるので、必ずしも作品を番号順に並べられないのは、学芸員の世界ではむしろ常識に属するのだけれど、それにしても展示品を順に見ていって違和感を覚えるほど、ストーリー性が感じられない展示だったように思う。いちおう、全体を6つのコーナーに分けてはいるのだが、その分け方もやや分かりにくい。同じような作品が別のコーナーにあったりして、戸惑う人もいるんじゃないかと、逆に心配になる。まぁ、ぼくがする心配じゃないけれど。。。
今回の展示作品の中には、去年、ぼく自身が担当した展覧会で出陳した作品も多く含まれていた。だから自然とその作品には目が向いてしまうのだが、展示ケースの端っこで光が十分に当たらず、本来ならもっと輝いているはずなのに、やや暗く感じられた金工品や、狭いケースのなかで肩をすぼめるように収まっている彫刻をみると、これももう少し何とかならなかったのかなぁ、と思ってしまう。
ただ、それにしても、ひとつひとつの作品のもつ圧倒的な「力」にはやはり感嘆させられた。ここに書いた些細なことも、その作品のもつ「力」で、十分に克服されていたことは確かだ。展示室の中で、仏像の前で手を合わせる人、食い入るように絵の中の細かな描写に見入る人、巨像の前で立ちすくむ人、そんな人たちに何回となく出会った。京博の「神々」展でぼく自身も体験したけれど、信仰によって生み出され、信仰によって守り伝えられてきたものを前にすると、自然と頭が下がるし、手も合わせたくなる。それだけの不思議な力を持っている。何百年という時を超えて、そして幾多の危難を通り抜けて今に伝えられたのも、まちがいなくそうした信仰の力があってのことだと思う。展示された作品を見ることを通じて、そうした信仰の力の大きさを改めて見た感じだ。
2004/8/13 京都国立博物館「神々の美の世界」
京都国立博物館で開催中の特別展『神々の美の世界』を見た。
主催に、産経新聞が入っているのは、「ああなるほど」という感じだが、京都府神道青年会という会は、展覧会の主催者としては珍しいなぁ、と思った。企画自体はこの会から持ち込まれたのだろうか。面白いパターンだと思う。
中味は予想以上によかった。正直、あまり期待していなかったのだが、和歌山の鞆淵八幡神社の神輿が展示されるというので、一度展示したことのある館の人間としては、他の館がどんなふうに展示するのかには興味があった。正直、それだけが目当てだったと言っても過言じゃない。
最初の部屋から、もう圧倒されてしまった。9世紀、10世紀、11世紀の神像彫刻がズラリと並んでいた。仏像を見慣れた目には、神像の素朴さ、そして厳かさは新鮮だ。節のある材をあえて使って彫るのも、それが神木だからという。それを隠さないのも、<見られる>ことを想定して作ってないからだろう。彫刻家がどんな気持ちでこれを彫ったのか。それを想像すると、自然に頭が下がる。
絵画や縁起絵巻も、あまり見ないものが多くておもしろかった。石清水文書では、世尊寺行能の筆になる願文が出ていたが、さすがは世尊寺流の祖、そう言われなければ近世文書の字だよなぁ、と不謹慎な感想。ただ、こうした願文を除けば、古文書の展示品には「神々の美」というテーマにはそぐわないものも多かったような気がする。文献の研究者としては、それはそれで興味深い文書が多かったのだが、京都の神社のものなら何でもいい、というわけではなかろう。
さて、鞆淵八幡の神輿の前にたどり着いた時は、相当に満腹感がただよっていたが、久々の再会にやはり感慨深いものがあった。とはいうものの、自分の館の展覧会のための借り出しに行った際、間近で見てはいるのだが。
神輿はケースに入って、裏側は見えないような展示になっていた。自分の館で展示した時は、館の構造上、裏側が見えないケースに収めるしかなかったので、京博ではもしや裏側へぐるりと回って見られるケースに入っているかなと期待していたのだ。ただ、軒下へライトがあたって、一番見事な、中央にガラス玉を埋め込んだ螺鈿の宝相華文様がよく見えるように工夫していた。欲を言えば、三面にライトがあたっていればよかったのにとは思うけれど。
最近、産経新聞の記者から、この神輿に関連して、その歴史的な背景についての取材を受けたが、そこで知ったかぶっていろいろ喋ったことが恥ずかしくなるくらい、実際の神輿の迫力には何度見ても圧倒される。しばらくは見納めと思い、出る前にもう一度見てきた。
博物館を出てみると、芝生の庭をトンボが乱舞していた。そうそう、最近は夜になるとちょっと涼しさを感じるようになってきた。酷暑も案外と短いのかも知れない。
2004/8/2 兵庫県立歴史博物館「津々浦々をめぐる」
先日、兵庫県立歴史博物館へ、特別展「津々浦々をめぐる」を見に行った。広島・岡山・兵庫の3県合同で3つの県立博物館を秋までの間に巡回するという。マスコミ主催で優品を次々と巡回させるいわゆる巡回展とは違って、企画の段階から3つの博物館が連携しながら進められたところに大きな特徴があって、最近、文化庁が推進する「芸術拠点形成事業」のひとつとして行われたものだという。
実を言うと、ぼくもこの事業を使って、いくつかの館と共同で巡回展をできないかと思いめぐらしていたので、正直、「先を越された〜」という感じなのだけれど、これを参考に次にまた新しいことを考えればいい。実際、今回この特別展を見てみて、新鮮な印象を受けると同時に、担当学芸員の苦労も垣間見えた気がした。
展示の主体は考古遺物で、広島の草戸千軒遺跡出土のものが多かった。担当学芸員の解説では、先頃、この遺跡が重文に指定されたことも、この展覧会を企画するひとつの契機だったという。考古遺物の展示というのは、どうしてもそれを説明するための説明パネルが多くなりがちだ。遺物自体が大きければ、展示空間を大きく占めるのでよいが、小さい遺物が多いと、さらに輪をかけて壁面の寂しさを埋めるためにパネルが多くなる。パネルが多いと、その原稿作成から仕上がりまでの校正作業、仕上がりのチェックから展示ケース内での位置決めまで、学芸員の作業量は飛躍的に増える。複数館での共同開催なら、作業は分担できるだろうが意思疎通もまた大変だろうと思う。
不思議だったのは、レプリカを多用していた点で、はじめは、3館でやるので重文などの国指定文化財の展示日数制限によって展示できないのかな、と思っていたけど、図録などにも「複製」と書いてあるから3館ともレプリカを展示するのだろう(もちろん図録の写真は実物の写真を掲載していたが。念のため。)。うちの館では、特別展でレプリカを展示することはあまりないので、ちょっと聞いてみたいところだ。
ところで、僕が見に行った日は、関連の講演会も行われていたこともあってか、お客さんが多いのはうらやましい限りだった。講演会の聴衆もざっと数えて100人は超えていた。その後の学芸員の展示解説にも大勢の人が聞き入っていて、みな熱心にメモを取ったり、解説に頷いたりしていた。図録を販売していた「友の会」の人らしき人も、今日はよく売れた、と言っていた。だいたい、講演会や展示解説のある日は、熱心なお客さんが多くて図録もよく売れるのだが、今回の図録は、中身の濃さに比べて割安だ。140ページで900円というのは、破格の安さと言ってよい。文化庁の事業ということで、図録の印刷製本費も出るのだろう。これも魅力のひとつかも知れない。
時間があればもっとじっくり見たかったが、残念ながらちょっと駆け足の見学となってしまった。ただ今年の中世史の展示ではまちがいなく随一の、出色の出来映えだったと思う。くやしいが、自分が担当した展覧会よりも成功していると思うし、中世史の関係者の間では、今年の展覧会の話題はこれでもちきりだろう。逆にそれが今後への発奮材料ともなるのだけれど。。。がんばろ〜〜。