インド
まさに混沌
野良牛、野良豚、野良犬、野良山羊、野良猿、野良猫、野良リス、罵声、クラクション、リクシャー、物乞い
そこで
たくさんのものを見た
いろんなことを感じた
インドの洗礼
ニューデリーで
嘘をつかれて、インチキ旅行会社に連れていかれ、ボッタクリ旅行を組まされた
インド人に騙された
へこんだ
ボッタクリ旅行の途中で電車にのった
目的地を5時間も寝過ごしてしまった
途方にくれていると、そばにいた人が自分も忙しいのに八方手をつくして、助けてくれた
インド人に助けられた
感謝した
どこにだって「悪い人」がいる
そして
どこにだって「良い人」がいる
国とか人種とか肌の色とかは関係ない
あたりまえのことだ
それが
心底わかった
ボッタクリ旅行会社にも感謝
物乞いに出会った
足が無い人がいた
手が無い人もいた
どうしていいかわからなかった
最初は何もあげなかった
少したってから小銭をあげるようになった
「そんなことしてもきりがない」
「問題の解決にはならない」
こういうのはよく聞く話だと思うし
自分でも、そう思う
だけど
僕は物乞いに出会った時に一つきめたことがあった
彼らを無視しないこと
彼らをちゃんと見ること
現実を、直視すること
それが同じ人間である彼らに対するせめてもの礼儀だと考えたからだ
だから無視しないで
僕の周りに集まる物乞いを見た
その時に、自分の持っている小銭すらもあげないのは僕には無理だった
僕は少しの小銭をあげることで
免罪符がほしかっただけなのかもしれない
でも
自分にとって、たいしたことのないお金が
目の前の人の生活を左右する・・
この現実に直面して
全くお金をあげなかったって人は
いないんじゃあないかなぁ
子供の物乞いにも小銭をあげていた
その時一緒にいたインド人に言われた
「子供にお金をあげるなんて、とんでもない。」
ショックをうけた
そんな当たり前のことに気づかなかったからだ
それから子供の物乞いには
お菓子をあげるようにした
しかし
お菓子をあげるのは
お金をあげるより
健全な気がするのは
なんでだろう
そもそも、お金ってなんだ
タダの紙切れのために束のために
努力をする人がいて
タダの紙切れがないために
命を落とす人がいる
不思議な世界に住んでるなぁ
俺は
物乞いは不幸せなんだろうか?
そんなことは僕は物乞いじゃないので分からない
でも
老人の物乞いに会って、その人の目を見たときに気づいたことがある
その人の目には
活力っていうのか
明日への希望っていうのか
そういうものが全くなかったのだ
心底乞いている目をしていたのだ
人があんな目をしては
いけないと思った
物乞い反対
マザー・ハウスでボランティアをした
カーリーガート
日本語で「死を待つ人の家」に行く
めちゃ緊張して行ったが
中はとってもアットホーム
僕の主な仕事は毎日の洗濯
ひたすら洗う
頭をからっぽにしてなにかをするのはいいもんだ
しかも、それが人の役にたっている
ボランティアはいい
一人でご飯を食べられない人には隣に座ってお手伝い
ぼろぼろこぼす
その日は一般のインド人から差し入れ
それをあげる
たべにくいのか
おいしいのか
よだれがたくさんでる
それは手でキャッチ
不思議と汚いとは思わなかった
「汚い」って何なのかなぁ
マッサージもした
やってるうちに寝てしまう人がいた
お礼もいわれないが、なぜか心があったまる
ぼけちゃったおじいさんにしている時に
おじいさんはなぜか涙ぐんでいた
またまた心があったまる
人を救うことは
救われることだと実感
そして死にも触れた
2日目に女性の遺体を運んだ
3日目に男性が危篤状態になった
目もうつろで素人目にもあぶない
4日目にはベッドは空だった
遺体を近くに感じたとき
「お疲れ様」
という思いが出た
彼らの人生は全く知らないし
どんな幸せや不幸があったのかも知らない
でも
どんな人生だったにしろ
その役目が終わった肉体を見ると
そんな気持ちが出た
生きる
ということもすばらしいし
生きた
っていうこともすばらしい
それが分かった
患者さんに感謝
カーリーガートに感謝
それを作ったマザー・テレサに感謝
マザー・ハウスで
ボランティアをやった後、
ニューデリーの駅で一人に物乞いに出会った
いつものようにやりすごそうと後ろをこっそりと通る
ちらりと見ると
足が壊死していた
その瞬間ボランティア先の患者さんを思い出す
彼らの多くも同じような箇所を壊死していた
足が止まる
目の前の彼を見ると目が虚ろだった
危篤の時の人と同じ
死ぬ前の目だった
5ルピーを渡し逃げるように歩き出す
「5ルピーなんかあげたって、それはただの俺の自己満足だろ」
「俺はボランティアでは、彼と似たようなひとを助けてきたくせに一人になると何もしない」
「だってどうすることもできない。ここにマザーハウスは無いし、俺に彼を助けることはできない」
「そんなのわからない。おれが自分の金で彼を病院にいれればいい。インドの物価なら払えるだろ。」
「そんなこと出来ない。」
「やりもせずに俺はいつも逃げる」
「彼を助けるのは旅行者の俺ではなく、現地の人のすべきことだろう」
「そんなこと死にそうな彼には関係ない」
様々な思いが頭をめぐりつつ、俺はただ歩いた
俺は命を見殺しにした
この現実はうけいれなければならない・・
そうやって人が今も死んでいっているってことを
実感できてよかった
実感できたのは
ボランティアで同じような人と出会ったからだ
ボランティアして
良かった
最後に
「何でインドに行くの?」ってよく聞かれました。そのたびに、笑いながら「修行」とか「視野を広げるため」とか言ってました。結構みんな信じてくれてなかったみたいですけど、本当です。そして実際に僕の旅は修行になり、また僕の視野を広げてくれました。さて、その多少広がった視野で何をするかが問題です。今は自分がこの先何をしていくべきか?とかで少し悩んでます。日進月歩で頑張ります。
ちなみに僕が何故インドに行ったかというと、「流学日記」という本に触発されたからです。この本は1人の大学生が1年間、大学を休学して世界を旅するという内容なのですが、本当におもしろいです。作者の岩本悠さんがインドについて書いているところに惹かれて、インドに行こうと思ったんです。是非たくさんの人に読んでもらいたいです。読んでもらうと分かるんですが、僕の旅行記はかなりその本に影響をうけてます。僕の旅行記なんかより全然おもしろいので、もし僕の旅行記を全て読んでしまった人は、流学日記のほうも見てみてください。
最後は何か本の宣伝になってしまったんですが、僕が言いたいのは、みなさんインドに行ってください!ってことです。本当におもしろいですよ!!インド!!