3月16日

ヨルダン到着!そして両替とか情報収集をちょこっとして、そくJICA事務所へ行く。ぼくのイッパイイッパイのスケジュールに合わせて、プロジェクトを紹介してくれる職員さんに感動。

あれ、ヨルダンにもっといたい・・・しかし、アフリカが俺を呼んでいる!アフリカに行くぞ!

その日の夕方からJICA事務所と同じ建物で行われている日本語の授業にも参加させてもらった。授業はほとんど日本語で行われていて、アラビア語は補足程度。こっちのスタイルの方が外国語を学ぶにはいいのでは?と思った。帰ったら、こんなスタイルの授業をとってみたい。

放課後?は、その日本語の授業に出ていた2人の地元の大学生と留学生に誘われて、大学生の家へ。彼の家は、、凄かった・・家が大きくて、3階建てだったのもたしかにすごかったんだけど、彼の部屋がもっとすごかった。

そこはもはや日本だったのだ。壁には習字もはってあるし、日本茶の種類もありえないくらいそろえてある。。線香がささってたのは気になったが・・(笑)椿の花もあいてあったな。

なんで日本がすきなの?という質問をしたら、「わび、さび」の講義が始まってしまった。

日本が好きな2人をみて、とてもうれしく思うと同時に尊敬した。自分がそんな風に一つの文化を尊重したことがないから。(自国の文化もしかり。

それと思ったことはもう一つ。

「すぐ近くに、こんなにたくさんの貧しい人がいるのに、何でこの人達はこんな暮らしを・・」と発展途上国にある貧富の差を批判的な目で見てた自分。でも、ものさしで図った距離なんて関係ないな、と感じた。途上国のリッチな人と実際に話して、そんなのは関係なく、とても楽しかったし。

大事なのは「心の距離」なんだと思った。自分の世界にその人たちがはいっているかどうか。

3月17日

JICAの専門家と一緒に、今度ヨルダンで作る記念切手に使う写真を撮るために死海へむかう。まだオープンしてない未完の博物館にいれてもらい、死海の絶景ポイントへ。色々とうわさのたえないイスラエルを前に記念撮影なんかをしていると、「今、爆発しましたね。」というカメラマンの声。「えっ??」と思い対岸のイスラエルを見ると、たしかに、はるか遠くに黒い煙があがっているのが見える。しかし、その後も何事もなかったかのように仕事は進でいく。僕も、対岸でおこってるかもしれない大惨事を想像してみるのだが、周りの静寂に流され、たいして危機感を感じることはできない。

まさに「対岸の火事」

きっと世界中がこうやって「対岸の火事」を決め込んでいる限り、イスラエル問題は続くんだろう。実際に対岸で煙を見ても、それほど動じることのない自分とでくわして、大きなイスラエル問題を、僕は感じることができたのかもしれない。

ホテルに帰ると、同じホテルの人と時間があったので、食事をし、その後お酒も飲んだ。4月から就職と聞いていたので、なぜその道を選んだのか、大学生活では何をしてきたのか、これまでの旅について色々と聞いて見る。聞いたからには、とこっちも現在のビジョンや将来の夢なんかを語る。すごい、大学二年でそこまで考えてる奴はそんなにいない。といわれ、さらに、何となく僕が咲きを見据えてる男だと分かっていた、という。僕はそこまで考えてなくて、ただ話したらおもしろそうと思っただけだけど。何か感じるところがあって、そして実際に深い話ができるのは、何か不思議。

3月19日

世界最大級といわれる砂漠へ行く。

砂漠は不思議だ。音も、色も、物も、何もない世界。いつまでも座って、景色をみていたくなる。

しかし、体力の限界は訪れる。あつい、頭いたい。

本日砂漠を20Km歩く。

その夜、変態に出会う。

缶詰とパンという、貧しい晩御飯を食べている時に、奴はやってきた。最初の方から「何かやだな。喋りたくな。」とは思っていたけど、仕方なく話しを合わせていたら、彼の言動がドンドンおかしくなっていくことに気付く。

最初の片鱗は「You are beautiful.

「えっ、単語まちがってるぞ?」と思ったけど、彼は続けたのだ・・

I want to sleep with you」「I’m crazy, you know?

きわめつけはペットボトルの水をさして、「I’m inside it! LookLook!」とか言って、ペットボトルの水を出そうとする始末・・

限界に達し、日本語で威嚇しておっぱらった。

その後が大変だった。砂漠にホテルはなく、テントで泊まっていたんだけど、それはもちろん鍵なんてついてなかった・・そして僕は、彼の影におびえながら朝を迎えたのです。

男に襲われる恐怖を知った。

今日から僕は女性の味方です・・

   

3月20日

2日間の缶詰生活を終え、リゾート地アカバへ。

紅海で泳いだ疲れを癒すべく、食事の出来るところをさがす。レストランは高いだろうから、サンドウィッチ屋をさがしていると、手ごろなのが見つかった。「大きいの?小さいの?」と聞かれ、まよわず大きい方を選ぶ。そして出てきたものの、その大きさに感動。ポテトにマヨネーズにちょっとした野菜まで入ったお弁当のような、サンドウィッチセット!!

二日間ろくなものを食べていなかったのも働いて、うまい!!!そして安い!!!ってなわけで素直に「うれしー」と思う。

さらに今日のうれしさはそこで終わらず、おじさんが僕にサンドウィッチを作ってくれたこと、そしてこの地に店をかまえていてくれたこと、etc,etc….という具合に感謝が広がっていく。「あぁ、おじさん、ここで毎日人のためにサンドウィッチを・・すばらしい・・」とおじさんへの尊敬の念まで沸いてくる。

「お前のために店があるんじゃないよ。」「おじさんは自分の利益を経営のために店を経営してるんだよ。」と理性の声もいつものように聞こえてきたけど、自然と素直に感動できた時は、理屈の声はひとまず無視して、自然に感謝の気持ちを大事にしつづけようと思う。

3月21日

何人もの海外で働く人を見てきて、海外で働く人といっても、たくさんの理由があることを再認識した。

海外が好きな人、理想を求めてきた人、たまたま仕事場が海外の人、何かを求めてきた人。そんな風に色々な理由を見ていくと、「海外で」というのは別に特別じゃない気がしてきた。日本でも、海外でも、自分の求めることをやれればいいんだと思う。

今泊まっている宿の従業員にサーメルというアイドルがいる。彼は親切心の塊で、その噂は中東全域のバックパッカーに語り継がれているほど。

そして今日、彼が宿泊者のために作ってくれた晩御飯をみんなで頂いた。合宿気分で仲良くなり、そのうちの一人の人との会話で共感した部分があった。

その人は昔、海外での貧困をみて、日本での自分の暮らしに疑問をもったことがあるらしい。そんな気持ちのまま就職はできない!と思った彼女は一年間休学をした。そのときに訪れたバンコクで、お金の面からだけ見たら「貧しい」という分類に日本で入る人達が、だけど幸せそうに生きている様子をみて、自分も幸せに、日本で働いていいんだな、という思いにいたったらしい。

僕はこれまでの旅でずっと、心のどっかで、各地に住む人達と日本との給与の差を気にしていた。サーメルさんの給料も、昼も夜も休みなく働いて、月二万円ほどだ。きっと僕はそれを聞いて「かわいそう」に似た気持ちを持ったんだと思う。でもサーメルさんの姿からは「お前ら、楽して稼ぎやがって!」なんて言葉は微塵も感じられなかった。よく考えてみれば、自分も、世にいる大富豪に対して、ひけめなんてこれっぽっちも感じてないし、自家用ヘリなんか持ってなくたって、泣きそうになったことなんてない。それと同じなんだって、今日気付いた。どんなにお金の面で絶対量をもらっていなくたって、その人の人生がいきいきとしていれば、そこは問題にならないんだなと気付いた。

そんなことを気付かせてくれたサーメルさんに感謝だ。彼は一週間ほど経った後に、自分の幸せのためにホテルを移るらしい。グッドラック!サーメル!

3月22日

エジプトへ行くフェリー乗り場行きのバスチケットを棄て、仲良くなった旅の仲間と死海へ遊びに行く。

死海で浮いて、はしゃいで、笑って、さけんで。

やっぱ人生の醍醐味は、人との出会いです。

3月23日

昨日22:00ごろにフェリー乗り場に着くも、船はなく、お金を使いたくなかったので、晩飯はビスケットとクッキーにして、ターミナルのイスにて就寝・・

起床。指や顔をダニに少しやられたみたい。かゆい。

ボートの時間を聞くと7:00と11:00。今7:15だから、まぁ、遅れてきた7:00のフェリーには乗れるだろうと予想。しかし、11:00になってもフェリーはこない。

14:00になっても、フェリーはこない。周りの人に聞けば、18:00だよ、とのこと。ぐふっ、と思いつつ、缶詰の肉とパンを買って空腹を満たす。

18:00になっても、もちろんフェリーは来ず。結局出航は23:00だった。しかも船から離れていく大陸をみるというなにやらかっこよさげの理想も、つかれきって寝てしまい失敗・・

人生でこんなに一つのことだけを待つことはもうないだろう。

もはや記念♪