旅日記!!!!
2005/2/10 (Thu) 宣誓!
2ヶ月間、サークルの仕事も放って旅立っちゃうような俺に、サークルの友達が送別会を開いてくれた。
飲み会の席では一通り全員と言葉を交わし、楽しい一時を過ごす。
バス出発15分前に店をみんなより早めに出る。みんな中々出てこないので、最後の挨拶はあきらめて走り出そうとした時になった携帯。
なんと、みんなは既にバス停に向かってるとのこと!!ぐはっ。
そしてダッシュ!荷物重い!肩に食い込む!息がきれる!
そして着いたバス停にはすでにみんなが・・
「なんでお前が遅れるんだよ!」「くらちゅうらしい。」などど突っ込まれつつ、切符を係に渡す。
もう出発の声は無視して、旅立つ前の記念撮影、男からの歓喜のキスなどをうけつつ(笑)バスの中へ。
うれしかった。席について窓から外を見ると、窓の枠に入りきらない僕を見送ってくれる人達の笑顔。そんなみんなの顔を一つずつ見ては、心の中に刻むように名前をつぶやく。
あったかい。今初めて、このメンバーに2ヶ月あえないことの痛手を感じる。
ありがとう。何度いってもたりない。この恩はみんなの笑顔を力にして、たくさんのものを見て、感じて、考えて、そしてその経験を持って、世界に広く貢献する力をつけてやる!
みんなの笑顔を曇らせるわけにはいかないから、絶対に元気な姿で帰って来ると決めた。いや、むしろ、みんなの笑顔をもっと増やせるような男になって帰ってきてやる!!!

2月11日
PIA、Pakistan International Airlineの略である。
誰が言ったのかPossibly I’ll arrive.という略があるという航空会社。
隣のパキスタンのおじさんは現在車関係の仕事をしているヒトデ、かつてはアジアの国をほとんど旅したことがあるほどの旅人。二ヶ月かけてエジプトに行きます!といっても全く驚いた様子もない。
そして着いたぱパキスタン!ツアー客を除くと日本人の旅行者は僕だけ。入国審査の時になぜか鼻血がでてきて審査の人に怪しまれるも入国!インドの空港を想像していたため、パキスタンの空港の静かさにびびる。。
これから二ヶ月、頑張るぞ!

2005/2/12 (Sat)
朝!よい目覚めと共に、朝飯を食べてぺシャワールへ向かう。途中で出会ったいろんな人達に助けてもらいながら、ペシャワールへ向かうワゴン車に乗っけてもらう。
所要3時間の道を助手席に乗って移動していると、TOYOTA、HONDA、SUZUKI、KAWASAKIの文字の多さに気づきはじめる。もう少し眼をこらせば、町中の車やバイクのための店もTOYOTAやHONDAばかり。郊外には、それらの大きな工場もあった。バイクなんか本当にHONDAだらけ。たまにSUZUKI、KAWASAKI、そしてHONDEY・・
パキスタンにいるほとんどの人達は、本田さんも川崎さんも豊田さんも知らないのに、HONDA,KAWASAKI,TOYOTAはほとんど全員と言っていいくらい知ってるんだろうなぁ。すげー。Japanese
Powerはすげぇよ。
俺が日本人ってだけで集まる人や、Japan is a good countryって言う人達の気持ちが分かる気がするよ。Globalの意味を感じる・・
でも
一泊300円、一回のご飯80円、バス代6円、そういった明らかな(あくまでお金の尺度でいう)貧富の差、そして、その「お金」がないばっかりに生じてしまった「お金」がなくて生きていけない人達。それを作ったであろう、Globalの意味を感じる。
バザールを目的もなくさまよってみる。
色んな屋台やお店や色んな人を見ながら、小腹がすいてるのを感じたので、ここペシャワールで有名といわれるケバブ料理をためしてみようと決めた。そう重いながら店をみていると、笑顔の素敵なおじさんに出会った。お目当てのケバブ料理の店だったんだけど、まだ歩き始めてすぐの時だったので、もっとほかの店も見てみたいという思いから通り過ぎてしまった。けっこう歩いて、ケバブ料理の店も何個か見つけたが、最初に出会ったおじさんの笑顔が忘れられず、結局そのおじさんのところへ戻ってしまった。英語がしゃべれないおじさんとは英語のしゃべれるひとを介して話をする。1本5ルピーの牛つくねみたいなのを作ってもらった。そしてお金を渡そうとすると「お客さん」だから、といってお金をうけとらない。俺は消費者だよー、とかいって、お金を払おうと少しがんばったが、結局ごちそうになってしまった。
旅の途中で出会う、ちょっとした人の優しさにふれた時、人の笑顔ももらった時、
その時が僕にとって、最上の時間だな。
ひきつづき小腹がへってたので、今度はパンに肉?をはさんであるのを食べることにした。店を詳しくみてみようと近づくと、そんな僕にちかづく物乞いの男の子。パキスタンにはインドほどでは無いが、物乞いがいる。(東京や仙台にもいるし、数的には同じかな?と思う。)その男の子を見ていると、さらにもう一人のムスリムの女性の物乞いが現れた。完璧に顔が見えない状態からの攻撃はなかなかの迫力・・・
この店の前で出会ったのも何かの縁と思い、買ったパンを3等分にして2人にあげた。
2人にあげる時、パンがかなり熱かったせいで、指が痛くなった。
何に感じた、痛みなのかなぁ、と思った。

2月13日
僕は今、ドミトリースタイルのホテルにとまっている。ここのホテルには居心地のいい中庭があって、さらにキッチンもあって、夫婦やカップルできた旅行者が中庭で料理をして、そこでTVを見ながら食べたりしている。
各国からつどったばっくぱっカー達が朝っぱらから全く外に出ず、気持ちの良い葉っぱをくゆらして、一日を満喫しているしているのを見るのは、なんというか、開いた口が塞がらない。

2月14日
今日は念願のNGO見学の日。
バスにのってリクシャーをつかまえて、結構な悪路を通って、大きくてきれいな病院にたどりついた。ごっついおじさんに待合室に案内され待つこと数分。日本人のNGO職員の方がきてくれた。
最初の方は、僕が何も考えてきてないこともあって、話がすすまなかったけど、NGO職員の人の話を聞いていくうちに農が活性化されてきたのか、猛烈な勢いで質問をぶつけまくる。なぜこの広い世界でパキスタンを選んだのか、なんでNGOに入ったのか、今後は、NGOの経営って?etc,etc
その話の中で見えてきた援助の難しさ、NGOの実態、NGOが逆にその地の人を不幸にしていることもあるという現実。
彼は本当にくやしそうにNGOやODAが起こした不正を語っていた。
そして僕に一つの生き方を提示してくれた。
Take partになること。自分のできることをすること。まずは動かなければ、何も始まらないということ。
今までいろんな「人生のマニュアル本」でよんだことのあるような、ありふれた言葉だったかもしれないけど、実体験に基づく彼の言葉は心に響いた。

2月14日
明日ペシャワールを発つことを決めたので、例のおじさんファミリーとは今日の夜でおわかれ。今日で3日連続だなぁ、と感慨にふけりつつ、持ってきた片言の現地語のコピーを見ながらさよならの挨拶を考える。そんなことを考えてたら、切なくなってきて、勝手に色々とおじさんファミリーと自分との感動の別れを考えているうちにおじさんの店についた。一家全員が「おぉ、また来たか!」といった感じで出迎えてくれるのが嬉しかった。一本のケバブをおじさんが焼いている時に、現地語がかいてある紙を出してさよならをいうタイミングを計っていると、隣で料理をしている男の子がそれをよこせといってくる。そこで渡すと、なんと男の子はそれを火の中へ!!焦った・・しかし、すぐに男の子の手品だと気づく。だけど男の子はしらばっくれて返してくれない。隣にいたせいねんと一緒にそれを見て笑ってるうちに料理が出来て、それもすぐ食べ終わっちゃって、そして結局そのまま別れた。京で最後とか伝えて、感動のシーンを作ることもかなわず、なんだかわからない手品を見て笑って・・全然うまくいってないけど、なんだかそれがおもしろくって、、、
あぁ、旅だなぁ・・・
2月14日
国境の町ペシャワール。パキスタンの中でも、女性がなかなか外に出てこない方に入る。街中を見渡すと、男だけ、というのが珍しくない。
そんななか、スーパーマーケットの中を見ていると、何故かスーパーマーケットの中では女の人が顔をかくしてない。
ちょーきれいだった。
いつも隠してるから、その分の相乗効果でそう見えるのかも。
昔の男の人が、その美しさのあまり仕事に集中できなくて、それを見かねた女性が髪や顔を隠すようになった・・なんて牧歌的なことを考えてみた。
2月15日
9時半起床。外は雨。宿の人に傘をかして、と頼むと傘はないからといって、パキスタンの人がよくはおっている大きな布を貸してくれた。それを頭から被ってスーパーマーケットへダッシュ。だけど傘は売り切れてた・・ぐふっ。もうしょうがないので、そのまま銀行へ行って両替して、そのお金でエジプト→パキスタン間の飛行機のチケットを買う。
その後、買ってきたパンにこれまた買ってきた揚げ物をはさんで軽い昼食。
食べ終わったら、ドミトリーで出来た韓国人の友達に見送ってもらいながら、ラワールピンディーへ出発。バスとワゴン車を乗り継いでの移動。途中でワゴン車がパンクしたけどノープロブレム。
ラワールピンディーについてからは、ひたすら宿探し。方向音痴とあいまって1〜2時間彷徨う。ひどいのが、せっかく安そうなホテルを見つけても、日本人というだけでそろって高いホテルへつれていって、僕を安宿にとめてくれないこと!
そしてやっと見つけたホテル。部屋に案内されるとなんとベッドが4つある大部屋。1泊目ここで800円で2日目からシングルに移らしてくれるとのこと。もういいや・・めんどくさいから・・としぶしぶ承諾。その後、壊れかけのコンセントを使おうとしたら停電しちゃったりしたけど、とりあえず一日が終わった。疲れた〜。

2月16日
あきた!このたびのスタイルに飽きた!時間を食いつぶすために生きてる感じ!もう飽きたんだー!
というわけで明日から開発援助団体にのきなみ電話かけまくってやる!と心にきめた。
「ひま」って俺にやる気を与えてくれる一種のスパイスかも。

2月17日
JICAのパキスタン事務所へ行ってきた。応対してくれたのが女性で、そういえば女の人と話すの久しぶりだな〜とか、いらないことを思いつつ話をきかせてもらった。パキスタンのJICA事務所が教育事業において、どのようなことを行っているのか一通り聞いた後、それまでのキャリアやNGOと政府系の活動の違い、そして裏?話なんかを聞くことができた。やっぱり生の言葉を自分との対話の中で引き出せるのはすごいためになると思う。自分の世界が広がった感じ。
あと、JICAの人にいただいた日本食風お弁当、うまかった〜。
シャワーをあびた直後、部屋をノックする音が。開けてみると、男だった。どうやら暇なので話をしようとのこと。「まさか、噂のホモか・・」と思い警戒する。部屋に入ろうとするのを阻止し、彼の部屋への誘いもお断りし、ホテルの食堂で話をすることになった。
話題は、文化の違い→宗教の違い→日本の宗教観について教えて!みたいな流れに。なにかのガイドブックに書いてあった、「宗教の話はこんがらがるので、相手の喋ってもらおう。」という言葉を思い出し、ムスリムについて教えて、と彼にいった。そこから彼の講義が始まった・・イスラムはジャスティスだ、との言葉から始まったその話は、難解だった。英語だったし。あまりにも長いので話題を変えようと提案すると、彼も快く承諾するのだが、回りまわって結局宗教の話にもどってしまう。彼はイスラームを自分の考えの主軸においてるようだから、それも当然だろう。
彼にたっぷりとイスラームの講義をしてもらった後、部屋に帰ると、何だか不安感におそわれてしまった。自分の分からない世界を持っている人がいる。そのことを知ったことによる不安だった。
だけどよく考えてみると、僕は同じ日本人でもあり親しい仲でもある友人や家族について、どれだけのことを知っていようか。何について泣き、何について怒り、何に対して感動するのか。似通った所はあるだろうけど、全部同じなわけでもない彼らと、どうして仲良くしていられんだろうか?と。それはきっと、僕らは共通点を持っているから。そして僕らは違いを楽しむことができるからだということに気づいた。
彼だって、おいしいものを食べればうれしいし、喉がかわけば水を飲みたいし、異性を恋い慕たうこともあれば、素晴らしい景色に感動もするんだ。あたりまえだけど、そんなことも見えなくなっちゃう時がある。

2月18日
大使館へのりこむ。厳重な警備の中、ドラマに出てくるようなインタビュールームに入れられる。待つこと数分。女性が向こう側のドアから入ってきた。(部屋のつくりは真ん中にガラスがあって下に数cmの隙間が・・)
「大使館に何の御用ですか?」
俺「国際交流に興味がありまして・・」
「??、、しばらくお待ちください。」
・・・
そして入ってきた、新たな大使館の人。
いきなりすんごい不機嫌そう。さっきと同じように国際交流に興味があり、足しカンに来た旨を伝えると、、
始まったのです。怒りのお説教が。。
国際協力とかそういう前に、現実がある。日本人はそこを分かってない・・うんたらかんたら・・そもそも日本人は・・あーだこーだ・・30歳になって海外でパスポートを盗まれた?嘘つけ。2歳の間違いじゃないのか・・etc..etc..
僕の方ではなく、ずっと壁にかかっているカレンダーを見て、そういうことをいい続けているので、「あぁ、この人は目の前にいる僕にじゃなくて、世界中にいる彼のいう『バックパッカー』に対しての意見をいってるんだなぁ。」と気づく。それでも、ここで彼に意見したりして彼を怒らせちゃってもしょうがないので、黙って目を見つめながら話を聞いていると、だんだんと頭がぼーっとしてきて、彼の頭が膨張して見えてくるから不思議だ。「あぁ、だから頭でっかちて言葉が出来たんだ・・」と思っているうちに話は終わった。どうやら僕の要望を汲み取って、大使館の中のNGOとの連携を担当している人をつれてきてくれるらしい。耐えた甲斐があった・・最後には物見遊山で事件にまきこまれないように、と暖かい言葉も頂戴した。(そういえば彼は物見遊山っていう言葉が好きだった)
次に来てくれた人は名刺もくれたし、物腰も柔らかいし、笑もあって、僕に例を尽くしてくれる人だった。あぶなくエリートに対する偏見をもちかけたけど、やっぱり人によることだと再確認できた。NGOとの連携を担当してる人とは前者との死闘の疲れから、15分くらいしか話ができなかったー。残念!
夜、時間が余ってしまったので、昨日町で偶然であった日本語が話せる人に電話して一緒に遊んでもらうことにした。あんまり遊ぶ時間はなかったのに、彼はその短い時間の中で二回おいのりをして、そして移動のワゴンの中では、ひたすらイスラームについて教えてくれた。真剣な目で熱心に語りかけてくるこの情熱。この人は本当にいい人で、そしていい人であるがゆえに自分がすばらしいと思うイスラームを僕に知ってほしいと思い、そしてイスラームを信仰してほしいと願うのだろう。
しかしそれにしても、晩飯におごってもらった魚は、、、臭かった!

2月19日
NGO職員の人に今日クエッタへ行きます、といったら「駄目です」といわれる。なにやら、一年に一度の祭りがあって危ないらしい。去年は銃乱射事件あったとか。
おいおい。一日どうすんだよ。と思いつつ、しょうがないのでクエッタ行きを断念。
そしたら、今まで心の中に張り詰めてたものが切れたらしく、全てがめんどくさくなる。
じろじろ自分を見る現地人にも、よってくる物乞いも無視し、昼間からベッドの上で寝る。
そんな弱い自分。

2月20日
クエッタへいく鉄道へ乗る。目的地まで30時間。どうやって時間をつぶそうか考えてたけど、同じ席に人達がいい人達ばかりで、話もはずみ、その心配も無用になった。
昼ごはんの時間になれば、だれかの追ってきたご飯にみんなで手をつっこんで食べ、そしてまただれかが買ってきたコーラを飲む。なんてフレンドリーなんだ!自分以外はさぞや日頃から仲の良い友達なんだろうと思ってたら、実は違うと後で気づき、焦る。彼ら曰く、初めてあったのに彼らがこんなにフレンドリーなのも彼らがムスリムだかららしい。
彼らの中にいたパキスタン空軍の人から質問の嵐をうける。
「アメリカは好きか?」「パキスタンの核兵器開発についてどう思う?」「どうして日本は核兵器をもたないんだ?なぜそんなに日本はピースフルなんだ?」「ウサマ・ビン・ラディンとタリバーンについてどう思う?」
自分の意見を多少いれつつ、相手の立場も考慮し、さらに英語を使うという状況の下、なんとか話をしていくうえで、相手の言ったことのうち、いくつかが強く印象に残った。一つは、彼らが核兵器を持つことが、パキスタンにとって、自国のディフェンスのために必要なことである、といい、そして手に持っていた雑誌の表紙をかざっていたパキスタンの核兵器の科学者をさして、「Our HERO!」といっていたこと。二つ目は、僕がかれらの問いに対して、ウサマ・ビン・ラディンとタリバーンを「Dangerous?」といったら、彼らがそれをものすごい勢いで否定してきて、そしてかれらをイノセントといい、彼らをたたえたこと。CNNなどの有名なメディアを批判しながら。
それを聞きながら「何いってんだ?」と思いつつも、疑問を感じる。果たして、ステレオタイプ化されてるのはどっちなのかと。日本で、日本の人はもちろん、友達の各国の留学生にも、僕が中東への旅をすると話すととても心配された。中東=危ない、というイメージができてるんだろう。イスラームに対する日本などの国のイメージもはなはだ怪しいものである気がする。タリバーンやウサマ・ビン・ラディンが本当にイノセントかどうかは分からないけど、僕らに彼らをステレオ・タイプ化された人、本当のことをわかってない人、といって一蹴することは果たしてできるのかな。

2月21日
鉄道移動日2日目。
アフガニスタンの家族と仲良くなって、ご飯を毎食一緒にたべさせてもらってしまった。まさに同じ釜の飯という感じで。いやむしろ、パンもカレーも同じ皿の上にのってるのをみんなで手づかみで一緒に食べるこちらの方が新密度を感じる。いつも思うことだけど、人にはいい人と悪い人がいて、それに国や人種は関係ないんだなぁと、しみじみ感じた。そのことを曇らせて見えなくさせる何かがあるとしたら、悔しいなぁ。
そして、この家族のセレクトするカレーは旨かった。ほんとに。
2月22日
NGOの人たちと一緒に病院を訪問したり、バザールを見た利、難民の居住区を訪れたり、そのNGOの朝のミーティングに参加してみたり、日本食チックな昼ごはんをたべさせてもらったりした。現に難民の居住する地域で、難民のための仕事をしている人から聞く話はすごい興味深い。自分のもっている『難民』のイメージは「可哀想、大変」といったネガティブなものが点在しているだけといった感じだったが、実際の難民は、もっと色んなものを面を僕に見せてくれた。クエッタには大まかに分けると旧ソ連のアフガン侵攻の時からの旧難民キャンプと最近のアメリカの空爆によって生まれた難民キャンプがあり、昔からの難民はもう20年も前からクエッタにおり、そしてバザールで店をかまえて商売をしていたりする。旧難民キャンプができた時は、今ほど国際援助団体がおらず、彼らは家を自分達で作り、そして自分たちの生活を自分達で作っていったらしい。最近のできた難民キャンプのほうは、僕らの想像するような難民キャンプで、配給されたテントに住み、配給される食糧を食べているとのこと。新しい方の難民キャンプはじょじょに閉められ始めていて、国連からの援助の下、少しずつ難民達はアフガンに帰っているようです。
「ここには帰りたい難民、帰れない難民、帰りたくない難民がいる。」とのNGOの人の言葉が印象的だった。「難民」という言葉のもつイメージと実際に難民を取り巻く現状を見た僕は、なにが『難民』なのか、分からなくなってしまった。
『どこの国でも猫は猫なのに、なんて人間はややこしいんだろうなぁ。』NGOハウスに住み着いている猫とじゃれながら、そう思った。
病院訪問の中では、栄養不良児、やけどの子供、生まれて30分の赤ちゃん、保育器で頑張るとっても小さな赤ちゃん等、今まで見たこともない病院の現状にくわえて、さすがパキスタンと思わせるような他民族の一面も見れ、とても新鮮だった。
バザールを案内してもらえば国連からの援助物資のテントなんかが売られたりなんかしてて、効果的な「支援」とは?なんて考えたりもできた。
盛りだくさんな一日だった。

2月23日
寝坊したため、ヌール小学校というNGOがアフガン難民支援のために建てた学校へ行くのを断念する。
バス時刻まで、猫にちょっかいをかけて時間をつぶしていると、宿のおじさんに電話が来たぞと声をかけられたので行ってみると、先日のNGOスタッフの方だった。どうやらイランのケルマーン州で地震があり、多数の犠牲者がでたとのこと。なにやら俺の行く先々で不吉なことがおこってるな。
バス時刻になったのでバス会社に行くが、時間になってもバスは来ない。大丈夫?と何度バス会社の人に声をかけても「ノープロブレム」しかいってくれないのでどうしようもない。すると一時間後に迎えのバスがくる。それにのってバス停へいくと、やたらと汚いバスにのせられる。バスの上に荷物がたくさんのっかっているのはもちろんのこと、バスの中の足場にまで麻の袋につまった小麦粉みたいなのがつまっている。本当に、つまっている・・・その上に人間もつまっている。麻の袋の上をアスレチックの感覚で渡って、バスの席を案内されると、案の定予約したナンバーとは違う。つまりバスが違う。その後のってきた隣にすわってきたおじさんの英語が少しおかしかったり、そのおじさんが自分のかばんに足をのっけて眠ってたり、3つくらい前の席に座っている人が、深夜にもかかわらずラジオを大音量できいていたりするバス。ちょっと腹がたったりもするけど、あるものをあるがままに受け入れている自分。旅の間は常にそういう気持ちが働くんだけれども、よく考えれば人生も長い「旅」なのだから、旅の間に限らず、そんな風になんでも受け入れることができるようにもなれるかもな、と思った。
今宵は満月。 窓には砂漠。音の無い世界が広がっている。