3月8日

シリアに到着。同じバスにのってたトルコ人の留学生に助けてもらえたおかげで見知らぬ町で宿をGETできた(シリアからガイドブックを持ってなかった。)

何かとニュースで話題にのぼる国シリア。テロ支援国。イラクの次はシリア。レバノンで最近おきたテロの支援もシリア??等等。いたるところにはってある大統領の肖像画は気になるけど、そういった印象は今のところ全く無い。夜10:00でも女性が集まっておしゃべりしてたりする。大学の図書館からでも護衛が必要な国とは大違いだ。街中に警察がやたら多いけど。

夜、ホテルのレセプションでやたら元気なイラク人のおじさんと話をする。イラクと聞いて目を丸くしている僕に向かって、おじさんは銃を撃つ真似をしておどけていた。

テレビが伝えるニュースと実際に僕が見ている世界との違い。日本に帰ってテレビを見ても、僕はニュースを信じられるんだろうか。

真実を伝えるのが報道の役割ならば、彼らの伝える真実って一体なんなんだろう。

3月9日

JICA事務所を訪問した。JICA事務所の活動の説明をうける。わざわざパワポで資料を作ってくれたようで、ほんと、感謝感謝である。シリア事務所のプロジェクトには協力隊の人が多く参加しているので、トルコ事務所では見ることのできなかった、草の根レベルでの援助を見られると聞き、うきうきする。アフガニスタン難民の学校はセキュリティーの関係で見れないのは残念だけど・・障害者への援助や、水資源活用のプロジェクトを見せてもらえることが決まった。

JICA職員の方の話によると、今日は大きなデモがあるらしい。「デモ」と聞いて、すぐに流血や惨事を想像する俺に対して、JICAの人は冷静だ。

今日のシリアのデモは、現在シリアが国際的に批判が厳しいことに対して、大統領を応援しようという趣旨で行われるらしく、政府公館前で行われるようだ。実は政府から動員がかかるような、政府公認のデモであるため、統制がとれてて安全であるとのこと。というか、今までシリアで起きたデモというのは、全て政府公認のものらしい。去年はパレスチナのテロ組織(とアメリカなどが言っている)の構成員を狙った爆弾テロやそれに関係する銃撃戦が3回あったそうだが、シリアの周りの国に比べればたいしたことはないらしく、また去年の事件は、シリアにしては珍しいことのようだ。日本に住んでいる僕らは最近のTVの報道からシリアは危険と思ってるけど(現に僕は日本の家族や友人にけっこう心配された僕もシリアに到着する前はちょっと緊張してた)現地にすんでいるJICAの人によると、その事件に関して、こんな治安のいいシリアで、といった感覚をもったらしい。

宿に帰る途中、バスの中の女性がいっせいに歌を歌いだすから、「何だ、修学旅行か?」と思ったけど、後から考えれば、あれもデモの一種だったんだろう。またワゴンにのった若いシリアの人たちが大統領の写真を持って叫んでるのも見た。別に「やばい!こわい!」とは思わなかった。そういえば前日本にも何か似たようなく黒塗りのバスが走ってたなー、と思い出した。

アラブときいて想像するターバンの人もけして多数派ではない。まぁ目につくけど。今も僕の隣でタバコをふかしてる。「マルハバ(こんにちは)」といえば、元気に「まるはば」と返してくれた。

夜にチャイハネ(喫茶店)で出会った日本人と話をすると、彼は中東マニアらしく、イラクにも大学の国際会議で出席したことがあるらしい。(彼はオスマン帝国の研究をしてたとのこと)イラク戦争をどう思いますか?と聞くと怒りを感じるとのこと。実際にイラクの人たちと接したことがあるから、当然だろう。アラブの人たちはホスピタリティーに満ちてるからなおさらに。

3月10日

昨日の夜は昼ねのしすぎで寝付けなかったので、10時起床。その後なにやら細かいことをした後、ダマスカス大学へ向かった。キャンパスに近づくにつれて、何となく活気を感じる。門に近づくと、いるいる!たくさんの大学生。アジア系はどうしても目だってしまうので少し緊張するも、その気持ちを「ワクワク」にすりかえて、いざ突入。

とりあえず自分が経済学部なのでダマスカス大学の経済学部に行くことにした。道を尋ねて、女の子達にキャーキャーいわれたりして、にやつきながらも経済学部に潜入。(中東の女の子とはきれいだ・・ハ○キョンの嵐とたとえておこう。)途中のキャンパス内でも感じたけど、大学はやっぱり華があるな〜。人間ウォッチングをすれば、隣のスカーフをまいた女の子二人組は「まじあの共感まじありえないよね〜テストやばい〜」「あたしもやばい〜、最悪」とか言ってそう。また目をやればノートを二人でみながら勉強してる男もいるし、mあた隣では男女がふざけあってる。

シリアのダマスカス大学ときいて、このキャンパスライフを想像できる人が日本に、いや世界でどれだけいるんだろうか。世界の「事実」と目の前の「事実」の違いは何なんだろう・・・

人間ウォッチングにも飽きたので、食堂でもいってみるかと歩いてると、はなしかけてくれたオクバとムハンマドという2人の学生。2人に腹が減ってると伝えると、近くのレストランまで連れて行ってくれて、さらにご飯までおごってもらってしまった。食事の席では、大学のカリキュラムとか、ガールフレンドを作るのは難しい、とか、いかにも「大学生」という会話を楽しみ、困ったら電話して、と気軽に住所と電話番号まで教えてくれた。帰り際にはホテルまで送ってくれようとしてくれる。自分の授業をさぼってまで・・(シリアの学生もLazyらしい・・笑

ホテルに帰ってTVをつけると、昨日?のデモの様子が流れてる。日本でもこんな漢字で流れてるんだろうか。そして日本の人はシリアについてどのように思うんだろうか。TVという「切り取った」情報を流すものに対する不信感を思う。

けど切り取ってない情報なんてない。僕だって自分で切り取った世界しか知らない。切り取られた情報を理王したり、自分でも切り取った情報を使ったりして、少しづつ「本当」の世界をしっていくしかないのかな。「本当」が存在しなくても、永遠の終わることのない努力かもしれないけど、その過程に意味があると信じて。

3月11日

今日は近くの山へ遠足!(一人で・・

山の道沿いには、やたらと軍人さんがいた。それもそのはず、この山は軍事基地もかねているのだ。でも、いくら見張りが暇だからって、暇つぶしに声をかけるのはやめてほしい・・焦るから。そして迷彩服の効果もよく分かった。藪の中にいると全然わからん!だから声をかけられた時に感じる焦りも倍増するのだ。

もちまえの方向音痴でフラフラしていると、軍人さんに例のごとく声をかけられる。めんどくせぇな・・と思いながら言ってみたら、なんと昼ごはんを分けてもらってしまった。やたら軍人さんたちのテンションが高くておもしろかったし。どうやら日本=ブルース・リー=カンフーみたいな図式があるらしく、カンフーの真似をしながら、「かかってこい!」とジェスチャーしてくる。でも、握手の時のごつい手や、体格なんかを考慮して遠慮しておいた。他にもデジカメを撮ってくれといっときながら、少し発ったら消してくれとおねがいしてきたり(笑 きっと見つかったら怒られるに違いない。そのデジカメを200円で買おうとしてた。とてもおもしろい人たちだった。

思えば僕は、高校に入学した時も「あの高校は進学校だからきっとがり勉ばかり」と決め付けて、実際に入学して考えを改め、大学でも同様に考えを改め、世界に出ても全く同じプロセスを繰り返してる。そろそろこのプロセスにはまるのも、卒業したいもんだ。

3月12日

今日はJICACBRというプロジェクトを見せてもらう。草の根レベルで専門家を派遣して、そこを中心として村々に技術を伝えていき、ゆくゆくは村同士の強力だけでCBRでやってたプロジェクトが運営がされるようにするのが目的だ。実際の活動は障害者に対するケアの指導。日本のお金ではなく、シリア政府からお金を調達するようにしていたり、近隣の村と村の交流の機会を津売ったりと、持続的な発展に、JICAのいなくなった後の継続をすごい念頭において活動をしていた。他にも協力隊員のひとから聞いた、JICAからの指令と現地のニーズの違いや、現地での苦労、協力隊後の進路などの話は興味深かった。そしてプロフェクトを見て何よりも感じたのは、みんな一生懸命だな、ということだった。世界中にこうやって頑張ってる人がいるんだ、って素直にすごいや、って思えた。

そして晩飯。実はここ2日ほど、晩飯がきつかった・・ここらへんは市場を歩くと、日本と違って、山羊や鳥の肉が豪快に売られている。首が並んでたり、さばいてる途中で形が容易に想像できたりする。自然に僕が生きるために食べている「命」を考えてしまう。食べるときに「命」を食べてると思いながら食べるのは、しんどい。昨日はチキンの丸焼きのハーフ。今日はぶつ切りを焼いただけの焼き鳥。でも、この意識って、なんだかとても大事なことのような気がする。しんどいけど・・

ずっと思ってたこと。これまで4カ国を旅してきて、日本人であることは、都合が良かった。JAPANGOODといって、とても親切にしてくれた、たくさんの人達。すごい嬉しいんだけど、少し寂しかった。「倉中 翔太朗」っていう名前じゃなくても俺は俺であるように、「日本人」っていうラベルがなくたって、俺は俺なのに、もしそのラベルが違うものたら、あのやさしかった人達がその優しさを見せてくれなかったかもしれないってことが、寂しかった。

3月13日

イスラエルとの国境近く、ゴラン高原のクネイトラという町へいく。この町は30年ほど前にイスラエル軍によって、廃墟とされた。撤退のさいにイスラエル軍は殺戮と略奪の限りを尽くしていったらしい。

町は君の悪い静けさだった。いや、元町というべきか。この町を訪れるのはUNとポリス、そして俺のようなTOURISTだけ。床一面にに瓦礫がおちているモスク。元の形のわからない銀行。今はただの道路になってしまった市場。

昔ここに人がすんでいたことを思うと寂しくなってくる。でも崩れた建物を見ているうちに、自信の復興に頑張るイランのバムの人達を思い出した。崩れた建物はまだたくさんあったけど、そこの人達はたくましく生きていた。でもクネイトラには、人も音すらもない。

この町を廃墟にしたのはまちがいなくイスラエル軍だろう。でもこの町を今でもこんな寂しい状態にしているのは何なんだろう。シリア政府か、イスラエルとの関係で仕方のないことなのか・・その戦争も誰がおこしたのか・・

一日も早くこの町に音が蘇る日がくるのを願った。

3月14日

シリアの水資源情報センターへ行く。従業員の中にパソコンの電源のつけ方も分からない人がいるようなところで、水の量や減少量のデータを作るといっていた。元社会主義国家での仕事の大変さ。工場のラインみたいな感じで、日本のようにタスクあって期限があって、おわらなかったら残業で・・という仕事の概念はシリアの人達にはないようで、8時間だったら8時間、その場にいることが仕事っていう概念らしい。「じゃあみんな、すぐに帰っちゃうんですか?」と聞くと、家から職場までの移動も仕事のうちに入るからはじまるのは一時間後、おわるのもはやい、だそうです。いやはや、海外で働くのは大変そうだ・・

他にも協力隊に関する話や、海外ではいいことばかりじゃなくしんどい目にもあう、といった話。結局、日本で働くのも海外で働くのも同様にメリット、デメリットがあって、そして日本でも海外でも、片方で力を発揮できる人は、もう片方でも力を発揮できるそうだ。人間力は世界共通なのかな?

海外で働くのを考えるなら、博士号も視野にいれてみたら?とのお言葉。博士かぁ・・・

3月15日

今日は協力隊の人と一緒に、知的障害者の職業訓練所へ行った。でも、名前から想像してたのと違って、子供の学校みたいな感じで、そしてそこでの音楽の授業に参加したような感じだった。授業を見ながら、「そういえば幼稚園の時にこんなのやったなー」「あっ、この曲はあれだなー。なつかしいなー。」なんて思い出した。子供達はかわいかったな。でも障害の重い子はイスに座ったまんまで、みんなの輪に入れてなかったので、「かわいそうだなぁ」なんて思ってたけど、俺の視点とその障害者の視点は全然違うから、その「かわいそう」っていうのはあてはまらないんだろうなぁ。他社の幸せに貢献しようと思って動こうとした時に、相手のニーズを知るってことは大切で、かつ難しいことだなぁと思う。

将来、自分の活動を考えては、自己満足か?いや違うって悩み続けそうだな。協力隊の人の話だと、今日のところは協力的だけど、他のところでは、保母さんみたいなひとが活動中にお茶をすすって、他の人としゃべってるなんて話も聞くから、JICAの協力隊はその国のニーズを考えてるのか?と疑問を持つ。

協力隊の人にごちそうになったご飯、おいしかった〜。留学中に友達が訪ねて来たら、一食ぐらいおごっちゃおうかな。

今日はシリア最後の日、いい国だったな。 いや、いい人達だった。