<ひとりごち>
くろねこやのメモ帳 ほんとのメモ いつかまとめようっとーしないだろうけど ![]()
☆ 自己肯定感について
絵本『ぼく』(竹田まゆみ作渡辺有一え、教育画劇)を保育園で読ませていただいたとき、先生が喜んでくれた。
先生は「自分をすきっと言えることは大事なんですよね。そう言えない子は、親に愛されていないと思っているんですよ」と、不登校園児の話や,小中の不登校児の話をしてくれた。そうなのです。わたしも、そこを考えていたのです。ですから、園児だけでなく、おかあさんにも(未就園児と父兄にも開放されている時間なので)、聞いて欲しかったのです。
だって、親になった私だって,自分を愛せないでいた。自分を好きと思ったことはなかったのだ。世の中に役立たずの私なんか、価値のない私なんか、美人でない私なんか、と自分への嫌悪感、自己否定感の塊だった。こんな私に育てられる子どもはかわいそうにと思いながら、それだからこそ、神様から預けられた子を、世の中迷惑にならないよう全うに育てなければという責任感義務感が優先して厳しい親だったと思う。子どもといっしょにいると童心に帰れるのは楽しかったが、「子育て」は基本的には労苦だった。
自己否定の連鎖はどこかで断ち切らなければ。それを理解し合える方がいて,私はとてもうれしかった。先生は「なにをやっても、もっともっとと、せかされている子どもはかわいそう。どんな子どもでも、まるごと認めてやって、生きているだけでいい、それでいいと親は待てばいいのですよ」、とは言う。ぐさりと来ました。えらい先生だ。こういう先生をリーダーに持っている園は幸せだ。もう一人の年長組の先生も,いい本ですねえ、と言ってくれた。そう、本がいいのだ。だから今でもこうやって、絵本から勇気と元気をもらいながら生きて・・・・なんてことがベースな私。
この本のことは11月の本紹介でも触れたが、「ぼく」の好きなものを おとうさん、おかあさん、飼い犬、妹、パン、海、夕焼けと並べていって最後に、それを実感できる「ぼく」が一番すきだと言い切る。ぼくがいなかったら、どれにも出会えない、と明るく描いてはいるが,我無くして世界は無し、といっているのだ。「我思う故に我あり」コギトスムスエルゴ?実存哲学の本なのだ。そして、心理学としても、自分を愛せなかったら他の何者も愛せないよ、と語っているのだ。
私が絵本をすごいと思うのは,深い真理(あるいは生きていく意味)を、平明で簡素な言葉で語っているからだ。 私はダメ親だけど,この本はすてきなことを言っているよ、と本を媒介に子育てをしてきたのよねえ。手遅れになって出会った本を,若いおかあさんに勧めてあげられる場があるのは、うれしい。共感がなくたっていい。人それぞれだもの。
前に,絵本の読書会で、この本を紹介したとき、半分の人は自己肯定感が持てずに悩んでいたということに共感していたが、自分をいちばん好きだなんてあたりまえじゃないのと言った人が居て、私は驚いた。大事に育てられたのねえ、と感心したら,親は仕事に忙しくってほったらかしにされていたからそんなことは考えたこともなかったわと言う。あれこれ感じないのも人生の強みだ。運鈍根というものね。
2才児たちは、絵本読みの途中でだらけていたが、この本の最後の文「ところでー きみは なにがすき?」という問いかけには、「みかん!」「 りんご!」とうれしそうに大声を上げた。
5才児に読んだときは、うわあー海だ(うん、ひろいねえと私)、さかながいるよ(そうだねえ)、ぼくんち東港の近くだよ(いつも海を見られるんだね、いいねえ) と声を上げていたが、最後の問いには「・・・・!」「・・・・!」「ドラゴンボール!」「プリキュア!」と私の聞き取れない戦隊ヒーローだか、アニメだかの名前が、競い合って飛びかった。おばちゃんはゴレンジャー,ヤッターマンまでしか知らないのよ、子どもの文化を知らずに子どもの前に出てはいけないわね。ごめんなさいね。
この子どもたちの素直さ,まっすぐさが私は好きです。だから今でもこうやって、絵本から、勇気と元気と、若くて活きのいい子どもたちとのつながりをもらいながら生きて・・・・なんてことが(幸せな部分の)ベースな私です。
この本が賞を取ったということは聞かない。いもとようこ同様、すごい内容があっても,マンガ的なキャラクターは、生真面目な児童文学評論家からは無視されているのだろう。芸術性は低いかもしれない。でも、主食もおやつも大事、そして絵本の側から子どもによりそっていくこともとても大事だと私は思っている。
☆2010年11月5日 佐野洋子逝去
朝日新聞には絵本『100万回生きた猫』の表紙絵まで出て追悼記事が書かれていた。
2年前、ガンを公表し、そのエッセイも書いていたから、ああ、いつかは、この報が入るのだろうと覚悟はしていた。癌の末期とわかってからジャガーを買って乗り回し、やりたいことはやりつくしたというが、悔しい。切ない。大好きな作家だった。
小学校の朝のおはなしの時間に、子どもたちには申し訳ないが、追悼の気持ちで、『100万回・・・』の読ませてもらった。だって、これぞ、大人の女の(つまり彼女の)夢、おとぎばなしだもの。下読みのときは泣けて仕方なかったが、子どもの前では泣かずに済んだ。だが、グスンとしている女の子がいて驚いた。
☆ 「H先生、
読み聞かせに行ってたのしかったこと、先々月から予告していたことお話しします。
月に一度、近くの保育園に読み聞かせに行ってます。その2才児のクラスでのこと。
私は『あっちみてこっちみて』と『はーい!』(呼ばれた動物が次々に返事をするだけのシンプルな幼児絵本、長岡出身の松岡達英さん作)を読みました。
そうすると、「つまんなーい!」と大声を出して、
先生に、たしなめられている男の子がいました。
それから相棒のおばさんが片山健の『コッコさんのともだち』を読みました。こちらはストーリーのあるもの。そういう献立の日でした。
コッコさんは保育園に通っていますが、友だちがいません。それが、もう一人、同じように友だちのいない子と、だんだんよりそって、友だちになり、いつもいっしょにいるようになります。
男の子は、この話にひきこまれたように、
じっと絵を見ています。真ん前に座って。
それが、ある日、コッコさんと友だちは、仲たがいしてしまう。
男の子は、このへんから足の裏をかいて、
絵本を見なくなりました。
そして、コッコさんは、また、ひとりぼっちになる。
このへんから男の子は立ち上がりウロウロ歩き回って、
窓辺にいた若い女の先生のひざに座る。
コッコさんは、他の子と遊びはじめます。みんないっしょになって遊ぶ。そして、はじめに友だちになった子とも遊ぶ。みんな いっしょに。
男の子は、先生のほおをなでていました。
とても、その様子が印象的だったので、おわってから園長先生に話しました。すると先生は、
その子がとても頭の良い子だということ、
今、おかあさんが切迫流産で入院していることを話され、
”それで、この絵本の主人公のさびしさ、かなしさ、よろこびが、わがことのように ひびいたのでしょうね。絵本の力はすごいわね”と言いました。
こんなにわかりやすく子どもの気持ちが表されることは、めったにないですが、表に出なくても心で受けとめている子もいる、のだろうな と、うれしくなったのでした。
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先月は3,4才児のクラスで『おじいちゃんの木』(内田麟太郎さく村上康成え)を読みました。
おさるのモンちゃんがキコリンキコリンと自転車に乗って、「おじいちゃんの おじいちゃんの おじいちゃんに 会いに行くんだよ〜♪」と歌っている。イタチやハリネズミが「そんなにながいきせえへんで」とからかう。
子どもたちもどっと笑う。
モンちゃんは平気。「こんにちはー!」と大声で、おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんがうえた木に、あいさつするのです。そして、モンちゃんもこっそり木を植えてきます。「♪ぼくのこどものこどものこどもがね〜♪」と歌う、・・・「いつかあいにくるんだよ」そしたら、モンちゃんは「げんきで なによりだね」と、いってやるんですって。
おじいちゃんの木が出てきたあたりから、
なあんだという顔をするのですが、
そのあとの展開にも、
気持ちはひっぱられる様子で、
さいごのページには、言葉はなくて、
芽を出した双葉の絵だけがあるのですけど、
フーッと息の音がきこえてきます。
終わって解散してから、
「♪おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんに
あいにいくんだよ〜♪」と
廊下で口ずさんでいるのは、男の子なんですよね。
敬老の日にあわせての選本でしたが、見いっている子どもたちに、敬老の対象である私がかえって元気をもらってしまいます。
十月は、五才児クラスが担当です。なにか
昔話でも、と考えていますが、うーん、
何がいいでしょうか、原先生。」 (2010年10月UP)
★『ゲド戦記』VS『ハリー・ポッター』
旧世代と新世代を分けるもの、(間にアラフォー世代の『十二国記』が入る)、と赤木かんこが書いていて、なるほどと納得して、ひさびさに UP(2008,12刊『子どもに本を買ってあげる前に読む本ー現代子どもの本事情ー』)
ゲドは自分で考え努力し乗り越える。ハリーは何もしない、十三才だが精神的には七才だから。ハリーが受けたのは努力しないでいいから!!?
なるほど、合点がいきました。旧世代のわたしのイライラ感の出所はそれ、なにもしないハリー流されっぱなしのハリー。貴種であるだけのハリー。
幼な子ならそれで許される。(そのうちにまた)
☆渡辺茂男が亡くなった。子どもに読んでやった『しょうぼうじどうしゃじぷた』からのおつきあいで、この人の名前があれば安心して読んでやれる作家だった。『かもさんおとおり』などの翻訳も多数。氏は慶応の先生でもあり、日本の良質な児童文学者を育ててきた。文章に品位と暖かさのある、幼い人のための文学の騎手だった。
灰谷健次郎も、亡くなった。『太陽の子』『兎の眼』には泣かされた。が、なにか違和感が残る作家だった。感情の押し付け?かな。
☆斎藤孝は売れすぎよね!といちぶでウンザリされている。けれど、言っていることはまっとうすぎるくらいだ。読書は「人間の器を大きくしてくれる」と『おすすめブックナビ絶対感動本50』という怪しげな題の本のなかで言っている。そうだね、ずばり適格だと感心する。
本は「心をゆさぶり人間の器を大きくする力がみなぎっている。もちろん読書は知識を増やしたり情報を得ることが目的になることもあ」るが、「読書でもっとも重要なのは自分の心を耕すことであり、心を練り上げていくことにあると思う・・」と書いていて、ここちよい癒し本ブームに警鐘を発している。そしてこれは読めないだろうとリストからはずしているドストエフスキーのl『罪と罰』を例示して、登場人物は「みなクセが強く、実生活では受け入れがたい・・・けれどもこの作品を読んでいくうちに登場人物は確実に心の中に近づいてき」て・・「それは心が広がった証拠」・・「読書とは今ある自分とはまったく異なる性質の人間を心のなかに住まわせることであり、その分だけ自分の器を大きくしてくれるもの」と語っている。的を得ている。
☆ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』が映画になった。見に行かねばなるまい。一緒に本を読んでいた昔の仲間と出かけた。読書会のメンバーには受けがわるかったので、たいした入りにはなるまいと思っていたのに、大入り満杯でビックリした。高校生から20代男女が主流だ。ジョニー・ディップ人気かな。
☆自分で自分の書いたものの検索ができない。エクセルでまとめようかアクセスを導入しようかと考えているうちにはや1年。
☆長新太さんが亡くなった。いつまでも死なない仙人のように見えていたのに。絵本作家は長命なのに。3月に出た赤ちゃん絵本『だっこだっこねえだっこ』すてきだったのに。こどものともの『ピカくんめをまわす』からのお付き合いでした。私なんかが言ってもせんないことだが 残念です。
☆体調を崩して寝ているからじゃんじゃか本は読める。わるいことのなかにいいこともある。ただパソコンが打てない。長時間パソの前に座っているのは苦しい。優先順位が上の他のパソ仕事もあって、本を読んでも読みっぱなし、ここの更新まではできない。いつか・・。
☆柳田邦男、子どもの本に手を出すな、といいたい。そりゃア、子どもが小さいときはどこの親は本を読んでやったさあ。でも だからといって年を取ってから、さも権威のようにウンチクを語ってほしくない。今まで真剣にやってきた人たちを差し置いて のこのこ出てほしくない。(この人の今までの業績も私はあまり評価していない。某病院看護婦長に電話一本入れただけで、さも取材をしたかのような医療現場報告を本にしていた(ことがある。有名人のレポートはえてしてそんなものか。)
児童文学や絵本は今でもいちだん低くみられている。だから大人の本の世界でネームバリューのある人が語ると さも、奥がふかいかのようにとられているが、誤解だ。彼は文学者ではない。子息の自死を免罪符に使うな。
志茂田かげき、ねじめ正一しかり。
☆香月日輪の『妖怪アパートの幽雅な日常』をキチンと評価している対談に出会った、うれしい。(「仮説」の語りかたー石井直人・宮川健郎ー「日本児童文学2004.11-12」)
「妖怪っていうのは、他者性の、自分と違う異質な人間を極端にデフォルメしたみたいな存在・・・こういう実に荒唐無稽な仕掛けを作って読者に対してものすごく敷居を低くして。・・・結構重要な主題を語ろうとする・・相当道徳的・・「人生は長く、世界は果てしなく広い。肩の力を抜いていこう」・・・人生論の基本に返っている・・」
『地獄堂霊界通信』のよさをなかなか人に伝えることばがなかったが、こう表現すればいいのだな。挿絵や表題で、ある児童文学界から嫌悪されてはいるが、いい本なんです。新人賞もとっているんです。
この対談は日ごろ私が感じていることが評論として整理されていて、おもしろかった。
たとえば こんな事も言っている。
『ダイブ!』『バッテリー』は身体性に注目しているから人間関係はあまり優先されない(ここが、どろどろしない爽快感かな)富安洋子、高楼方子が(こどもたちに受け入れられているのは)描写は最低限で切り上げ、昔話のように主人公はどうしたどうしたと話が進んでいく。(枝葉がなくて楽に話についていかれるからか、そこが大人の私には物足りないのかな。おもしろくて文章がうまいんだけど、空ろな気がするんです)
はやみねかおるの『名探偵夢水清志郎事件ノート』と那須正幹『写楽ホーム凸凹探偵団』の違い。『写楽・・』が描写が緻密でトリックが精密、謎解きも本格化、けれどその分、話のスピードが遅くなる。子どもにはスピーディなはやみねの文体のほうが受け入れられる。(なるほどね、そうかスピード感か。書き手の若さ、感性の違いの気もするけど)
児童文学は80年代の「新しい波」の人たちあたりから描写にこだわっていた。情景描写と心理描写はちがうが、内面のモチーフ、心理にこだわり続けて停滞しているとの批判もある。(心の中に入ってきて寄り添うものが多いね。わかっているよ、と共感してくれるものが。壮大な血湧き肉踊る冒険、指針になる先達の人生はみあたらなくなった。も一度ここに戻るのかな)
現代文学はさっさとほかのところへ行っている。あるいはその状態を危惧して「描写をしなくなった小説はもはや小説ではなく物語でしかない。」という批判もある。(というように現代文学論も顔を出しておもしろい)。
『トムは真夜中の庭で』やさとうさとるの情景描写は、その場所の描写だけで幸福を即実現している、と文学の機能の両極があることも示唆している。(求めていることが違うのだから好き嫌いは分かれるところだ)
さいごにでてきた文献が『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』だった。なつかしい。
☆清水真砂子の夫を、わたしは「上笙一郎」だと勘違いしていた。「菅沼純一」と「私の児童文学ノート3」にあった。間違えて教えてしまった方すいません。講演会でもよく 夫の助言で、とか夫が、と「のろけていた」ね。う、うらやましい。
☆朝読の功罪 朝読書運動のおかげでまったく読まなかった子が本を読むようになった効用はある。しかし、10分間という制約では、選ぶ本も限られる。ともかく出版社は10分で読み切れる朝読用の書籍販売に熱を上げている。何を読んだかの記録をとりたがる学校だと、ほんとうに読みたいばかばかしい本を書かない子も出てくるだろう。時間と本だけたっぷり用意して、ほっといてやってほしいと思う。教育効果よりまずはお楽しみ時間にしてください。
☆音読の効罪 斎藤孝のしかけたブームで長岡での講演会も盛況だったと聞く。テレビで見ていても彼の子どもたちの乗せ方はうまくてたのしい。楽しんでいるうちに身についていくことがあるのだから、言うことはないようにみえる。が漢文の素読や小学校教本のほかは、そもそも読書は黙読が基本なのではないか。目で読んでいくことが目標じゃないか。そしてそのテキストは垂涎の選書なのだが、細切れで本来の教養が伝えられないのではないかという危惧も提示されている。(佐藤宗子「脱・<一様な読み>幻想」)
「声に出して読みたい日本語」を買うのをためらったのはこのせいだろう。買ってしまえば、諳んじていた物を忘れたときの手引き書になっている。やっぱり老人用だね。
☆今『名探偵カッレくん』に はまっています。Tさんが「大好き、子ども達にも読ませたーい」、と言ったときには、こんな古い話は今の子どもはついてくるかしらんと言いはなってしまった。、自分の子ども時代を現代の子に押しつけるなよ。ところが、さいきん『ビーザスといたずらラモーナ』(クリアリー)で、やんちゃな子どものおもしろさ、ていねいに書かれた児童文学のおもしろさに開眼。(一昨年「ラモーナとお母さん」「ラモーナとおとうさん」を読んでいたときには、それほど感慨がなかった。アメリカのふつうの子どもの日常を描いた数少ない作品というジャンルで選書していただけ。)また、『がんばれヘンリーくん』から読み出している。そののりで「カッレくん」に。カッレくんはなんて生き生きしているンでしょう。さいきんの児童文学の出来の悪さ、粗雑さに食傷気味だったので、読んだらサッパリしました。Tさん、ごめんね、恵まれた子ども時代だったのね。私はもっと奇想天外な現実離れしたおもしろさに逃げていたようだ。
☆一昨年から 絵本の読みきかせ、語りの実習講座に連続参加した。講師は厳しい事で名高い先生で、ほめないし、なんでそれを撰んだか、何をあなたは語りたいのか、と鋭く突っこむ。心で泣きながら顔では勉強になりますと笑ってごまかしながら、苦境を耐えた。それが終了して卒業生の自主サークルができた。しかし・・・、
素人どうしだからお互いを誉めることはできてもマイナス評価になることは口にできない。やっぱり一段上の先生がいなくては進歩はないかな。あのとき言われたおこごとはみんな当たっている。
☆ 2004年出版のくろねこや推薦絵本ベスト3 ☆
@ぼくの見た戦争ー2003イラク 高橋邦典 写真・文(ポプラ社)
A海を歩くー海人(うみんちゅう)オジイとシンカの海ー 西野嘉憲 写真・文(ポプラ社)
Bねえ だっこして 竹下文子 作・田中清代子 絵(金の星社)
大向うの評価とはあわないと思います。こどものためというのでなく、私が感動した絵本だからです。@は2003年暮れまさに価値があった本。ライブで戦争を語ってくれた。今も続いているのだが。Aは同じく写真絵本。沖縄の海と人が美しい。思わせぶりたっぷりの絵より写真はすがすがしい。Bは赤ちゃんが生まれていじけた猫の話を聞いたばかりだったから。お兄ちゃんお姉ちゃんのたとえでなく猫も、犬も、生き物はみんな自分を大切に思って愛情をかけてほしいんだろうな。愛がなくなるとハムスターも死ぬ。T市の図書館では購入希望を却下された本。
(古いものでは)
ああいそがしいいそがしい(マイケル・フォアマン)
ちょうちょはやくこないかな(
おかあさんともりへ(ゲオルグ・ハンスレーベン)
☆赤木かんこさんの受け売りだが、女の子読者は主人公の3歳年下。男の子読者は主人公の年齢イコールだって。なるほど、女の子は背のびして早く大人に成りたがっているのだな。恋愛も早いし。納得です。また、はやみねかおるは女の子受け、パスワードは男の子受けだとも言っていてそれも納得。元女の子の私にはパスワードはつまらない。
☆二つの旅の終わりに 「ユーモアがない」「重い」「どうしても子どもたちに語りたい 」
弟の戦争 「どういう手法が良いか考え抜いたすえに現代と過去をつなぐために こういう語り口をつかったのよね。」「作者の熱い気持ち」
☆江間章子 「♪夏がくーればおもいだす〜」の江間章子は新潟県出身ですって。
☆ さいきん、複数の図書館司書(若い児童書担当)が、ナルニア国物語を読みきっていなかったことを知って衝撃を受けました。1巻目を読みだしたらおもしろくて最後まで読みきるんじゃないのかな、私は大人になってから出会ったけれど何度も読んでいた。人それぞれでしょうが、好きじゃなくてもプロなら目を通しておく基本書じゃないのかな。さとうさとるもいぬいとみこもね。厳しいので有名な指導者がいる図書館なので、児童文学の頂点のようなこのファンタジー作品を読ませる館内教育が、当然なされているもの、と思い込んでいました。あの先生の元でも読んでいないとは。
あまのじゃくな私は専門家から良書を薦められると、つい、「今の子どもはそこまでついていけないから入りやすいものが必要でしょ」と反抗していましたが、こどもに本を薦める人が本を知らない状況が出てきているのでは、やっぱり いいものはいいから読んでみましょう。というしかないのですね。
☆「赤木かんこはこどもに迎合している」
と、言っていた先生がいたが、そうかな。私はソウは思わないナ。むしろ子どもを置き去りにしていないか、今の児童文学者は。
☆「でも 子供たちには いい本を」とおっしゃいますが、今どきの子どもを見てあげてください。男の子の世界で、ゲームがしめる価値観の高さを無視しないであげたい。(私も最近の動向はよくわからないが)ゲームから読書の三国志ブームも織田信長ブームも始まっている。ゲームは共通の話題。マンガが好きで(一昨年はワンピースがトップ)、アニメが好きで、お笑い系もすきで、こわい話が好きなのも平均的小学生。高学年では塾通いも普通現象。帰りにコンビニでうんこ座りしながらエロ週刊誌を読んでいる男の子も異常児ではない。それからへんなファンタジーブームも一方では盛り上がっている。厚い本を何冊も読み続けている子たちもいる。ことしは岩波書店でさえナルニアの映画化(ディズニーだ)で、イギリス製衣装ダンスなんかを書店に持込んで浮かれる予定。怒らなければいけないのは子どもを商売にしている大人に対してで、今目の前にいる子どもを認めてあげることも必要なのではないでしょうか。本を読めない(力がない、おもしろいと思わない、時間がない)ことから、考え直さなくてはいけないんじゃないでしょうか、先生。
☆以前、赤木かん子はハリポタを読んだ子に次に何を薦めますかといわれて『ダレン・シャン』と『精霊の守り人』をあげていた。(私はラジオでそれを聞いた)ハリポタ同様、私自身は、これらもあまり好きではない。なんか、へん。とくにダレンは 体がうけつけない。赤木かんこも 自身が好きかどうかは言っていなかった。
☆プレ・ファーストブックを提唱します。
赤ちゃんが生まれる前、またはまだ寝ているだけの生後3ヵ月より前のおかあさんのための絵本を、探しています。育児不安におちいる新米ママに、心静める、優しく語る言葉の本を、心安らぐ美しい絵の本をすすめます。声を出して赤ちゃんのそばで読んでみてください。きっとほっとします。脳の柔らかな赤ちゃんにとってもきれいな日本語で語りかけるのは大事です。日常の語彙なんてたかがしれていますからね。あかちゃんが来たから、絵本の世界に再会できたことにきづいて、おかあさんもうれしくなるでしょう。たのしい世界があったのを思い出すでしょう。
ぜひ赤ちゃんが動き出す前に。(実は)余裕のあるいまのうちに。このときにこそ、図書館で自分の波長に会う絵本を探してほしいな。
☆堀内誠一 がすき
でてきておひさま
きこりとおおかみ
いかだはぴしゃぴしゃ 復刊大歓迎
☆酒井駒子は ほんとうにいいのか?
つるたようこ も? 考え込む
中学年むきといわれる、富安陽子、たかどのほうこ、松居スーザンは 本物じゃないという気がするんです。
☆読書歴
なんだかんだと、児童文学者の重鎮の方々に反抗していますが、わたしが、ほんとに好きな本は(子ども版ベスト3は)ナルニア国物語の『さいごの戦い』『ドリトル先生アフリカ行き』『飛ぶ教室』です。
絵本は記憶がありません。人形がポーズをして写真に撮ったきれいな絵本(凸版?)に懐かしさを感じますから見ていたかも。あとは保育園でもらってくるチャイルドブック、キンダーブック。名前に記憶がある。一時代前のコドモノクニが家にあって、初山繁の絵やサトウハチローの詩(お葬式の葬列・・とか夾竹桃が・・とか、トランプのスペードが・・なんていうの)が妙に心に残っています。
小学校時代の読書で、題名を覚えているのはわずか。5年以降の『怪人二十面相』『土星の宇宙船』『地底探検』『コタンの口笛』『ドリトル』と、『点子ちゃんとアントン』などのケストナー。
中学では島崎藤村、坪井栄、坪田譲治の童話や古事記など古典の子ども版、あかっぽい世界児童文学全集を読んでいたような・・記憶は朧ですが。同期生で、芥川龍之介の『河童』の読書感想文で全国一になった子がいました。へえぇと読んでみましたが、気分が悪くなって途中でやめました。
『風とともに去りぬ』に高校の図書室でめぐり合ってテスト中なのに夢中になって化学は28点。いらい青年時代は世界文学全集を次々に読みました。あのころは大人になるにはこれを読んでいかなきゃあと気張っていたように思います。でもドストエフスキーやツルゲーネフは暗くて読めない。チェーホフはわからないし、イプセンはつまらない。好きだったのは『ジャン・クリストフ』『デミアン』『戦争と平和』。外国文学のほうがスケールが大きくおもしろかった。日本の小説は、うじうじしてて、世間が狭くてつまらないと思っていた。それでか、いまだに文章の細部のアヤはあまりわかりません。
いっぽう小学生のころから貸し本屋通い。渡辺まさこの少女漫画やさいとうたかおや水木しげるの劇画、寺田ヒロオや手塚治虫の漫画が中心でしたが、中学からは、松本清張、柴田錬三郎、SFマガジン、ミステリマガジン、「女性自身」、「映画の友」にも、むさぼりついていました。
いまでも本はねころんで読んでます。そんな読書歴なので おおまじめな児童文学愛好家ではありません。「読書は玉石混淆でなければいけない」とか。石の方はまだ実行してます。
☆ハリーポッターの、、、内容はともかく、最近の売り方はケシカラン。あの2冊抱き込み販売は 何様!子どもの本が3千円も4千円もするなんて、常軌を逸している。買えないだろが!!ここまで引っ張ってこられた善良な読者は買わされるだろう。でも頭にくるよね。 私は、いじになって買わない。(買えないヨー)