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においがけ放浪記 普通じゃない篇 【H29.6.1】 |
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においがけ放浪記 普通じゃない篇 においがけで恐怖を覚える時。やくざのお宅へ訪問したとき。背中に絵が描かれている人が上半身裸で出てこられたとき。すぐに間違えましたと言って退出。当然。真逆の対応をされた場合も恐怖を覚える。ゴキブリの様に扱われているのに、なんかウエルカム的な感じな時。しかし写真のような等身大の人形を作っているところもまた恐怖を覚える。ひっくるめたら、そういうのは非日常的で、普通でないから。普通に訪問して、普通に嫌われて、普通に断られて、そして普通に辞退する。そういう普通のにおいがけなら全然恐怖を覚えない。普通でないから恐怖を覚える。しかし向こうにしたら、天理教ってこちらの方ではマイナーであるし、変なおじさんが門口にたっているのだから。普通でない。だから、向こうも恐怖を覚えるていることであろう。だから、ケンモホロホロに断られる。おたすけする前提の元でにおいがけに出ているのだけれど、恐怖心を与えている。よく考えてみれば、神様も非日常的で、普通ではないから、人皆恐怖心に似た畏れをいだくのである。その畏れの向こうにある神の手を掴むとき人は救われていくのであろうと思う。そして、また、おたすけもそういう普通でない人達や普通でない事の向こう側あんがい大きいおたすけがあるのかもしれない。
旬福亭馬之介
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ひのきしん物語 ぼくは記録係篇 【H29.1.25】 |
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ひのきしん物語 ぼくは記録係篇 僕は記録係。すてきな貴方の笑顔を記録。この素敵な瞬間、この素敵な場所を記録。すべてを記録するのよ。記録係の言うことは絶対なのだ。それは後世に伝えなければならない使命を受けているから。だから誰もこの記録係に逆らってはいけないの。それなのに、記録することを拒否る人がいているの。そう予測されたから、僕は、僕の好きな百円ショップで腕章をかってきて、自分で記録係の腕章を造ったの。それを着けて記録係という大任を全うしようとしたの。拒否る人がいるものなら、この記録係りという腕章見せるのよ。そう水戸黄門の印籠と同じなのよ。そしてこう言うのよ。「これも記録ですから」って。そう水戸黄門の「これが目に入らぬか」っていうのと同じよ。お蔭でだれもこの記録係の言うことを拒否ることはさせなかったよ。ただ、もう一枚っていうのはあったけど。まあ記録は多くあったほうがいいから、何枚もとって上げたよ。
旬福亭馬之介
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おぢばがえり旅行記 あなたに恋している篇 【H29.1.25】 |
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おぢばがえり旅行記 あなたに恋している篇 あなたに恋をしているのかもしれない。片想いなのかも知れない。永遠の片想い。でもあなたは裏切らない。あなたは私の生きる力となり、支えとなって、今日まで私は生き続けてきた。たぶん、あなたが居なければ、今の私はなく、この世に存在していないのかも知れない。だからこそ、いつもあなたのことを思う。朝にあなたを思い、夕べに貴方を思う。これを恋といわず何と言おう。あなたがいけというなら行くし、行くなというなら行かない。これを恋と言わずなんと言おう。自分が苦しくなるのが分かっていても、貴方に尽くす。これを恋といわず何と言おう。そして、この日、あなたの喜んで頂けるならと、貴方をお慕いして天理までの道のりを徒歩で歩いている。これを恋と言わずなんと言おう。今でも私は言う。そしてこれからも私は言うだろう。あなたに恋をしている。と。そして、ふみちゃんごめんなさいと。
旬福亭馬之介
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ひのきしん物語 満足している篇 【H29.1.2】 |
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ひのきしん物語 満足している篇 第三次ひのきしんへと12月中旬に静岡へいってまいりました。神床、旧玄関の下地造りなど、気になっている所がすべてできあがり、後は、他の兄弟がしてくれるだとうと思う。いざなぎ、いざなみの神様が、人間の完成を最後まで見ずに出直された時、ここまでくればいずれ五尺の人間になるであろうと、にっこり笑って身を隠されたと言われているが、まさにその心境。神殿の完成にはまだ程遠かったけれど、木目も新しい神床を見ていずれは、立派な神殿になるであろうと、にっこり笑って、静岡を後にした。もう静岡にくることはないであろう。たぶんもう俺を必要とすることもなかろう。本席様が身を隠される前、わらじのヒモをとかずがんばりますっていう意味のみんなの返答をうけて、「席は満足している」「十分満足している」ってお言葉があったというが、まさにその心境。「マコトは満足している」「十分満足している」って言って、静岡の町を後にした。そう、もう静岡にやり残したことは何もない。あるとしたら、夜の静岡の町をすこし徘徊したが、もっとゆっくりと静岡見物したかった。
旬福亭馬之介
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ひのきしん物語 幸せの黄レンジャー篇 【H28.11.13】 |
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ひのきしん物語 幸せの黄レンジャー篇 においがけに廻っているとにわか雨に見舞われ、雨宿りにという感じで、本当の露天商みたいな感じの衣料服を扱っている店に飛び込んだ。雨が止むまでと店内を物色していると、作業着が上着100円、ズボン100円、上下で200円という格安であった。ただ、深い黄色の作業着で、いったいだれがこの色をチョイスするのだろうかという品物であった。しかし値段に負けて上下2着づつ買ってしまった。もう一つ、数日後に静岡へ長期にわたり神殿のうち作りをする予定だったので買う気になったのだ。これを着て頑張るつもりだった。気合いと根性だともいうけれど、精神は、環境によって形作られる物だ。その場の雰囲気に精神は形造られるのである。だから、格好は大事である。その場に合う服を着るだけでも、それを達成するために一歩近づくのだ。おつとめにもおつとめ着を着、ひのきしんに、ハッピを着るように、なにごとも気合いと根性をだすために、下準備が必要なのだ。だから、僕はこれを着て神殿の内作りひのきしんに、気合いと根性をたたき込むつもりだ。ちょうど、弱きを助け、悪をやっつけるゴレンジャーの黄レンジャーのように僕は静岡へおりたつのだ。幸せの黄色いハンカチのように、幸福を運ぶ天使で、静岡の町に舞い降りるのだ。いざ、ひのきしん。
旬福亭馬之介
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ひのきしん物語 半額男篇 【H28.09.08】 |
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ひのきしん物語 半額おとこ篇 静岡で熱い渦が巻いている。教会移転設立に向け、普請が始まっている。人たすけたら神の館をつくりたのも同じことという意味の言葉がある。では、またその逆もなりたつだろうか。神の館をつくりたら、人をたすけたのも同じことという逆説がなりたつだろうか。たぶん普請とたすけとは、同じぐらい徳がもらえるのだろう。徳にいやしい私の事とて、ハイエナ根性でそのおこぼれに預かろうと静岡へ行きました。セコビッチの私の事とて、若い時に利用した青春18フリー切符でJRの鈍行列車にのって、13時間半かけて行きました。わくわく感が半端ではなく、行く前の晩からそわそわしていた。だから、寝付きが悪く、次の朝、目覚ましが鳴る1時間前ぐらいから起きてしまった。時間をもてあますのはイヤなので、いろんな電子機器をもっていき、手持ちぶさたにならないように準備をしたが、結局移動中の半分は寝ていた。だから、あれもしようこれもしようと思っていた半分の事しかできなかった。ひのきしんのほうも思っている半分も出来なかった。そういえば、何時も賞味期限間近の半額になった商品をよく買ってくる私を称して娘から半額男ってよばれったっけ。なんにしろ、半分男である。しかしながら、全然徳を積まないよりは、半分積む方がいいし、全部徳を減らすよりは、半分減らす方がいい。そう僕、いつも半額男、そして半分男。良い方向の中途半端な男である。
旬福亭馬之介
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においがけ放浪記 念ずれば花ひらく篇 【H28.07.01】 |
![]() どこかの公民館前 においがけ放浪記 念ずれば花ひらく篇 俳句の町であるから、あちらこちらに句碑が立っている。においがけに歩いていると、こんなところにも、っていうところに句碑が立っているときがある。文学的音痴な私には本当に無関係無関心で、道に立っているときには、邪魔なものにしかない。この間、句碑ではなく、詩人坂村真民の「念ずれば花ひらく」という碑文を見つけた。昔のイケイケの僕なら、あんまり共感しなかったでしょう。他力的な言葉だから。「自分で花を咲かせるんだ」って思っていたでしょう。織田信長さんもそう思うでしょう。しかし、桝井伊三郎の逸話で、病気で苦しむ親を見てお屋敷へ帰り、教祖にお願いしたけれど、二度助からないって言われたけど、三度目で真実なら受け取るって言われて、助けられた話を思い浮かべて、たぶん神様からいうたら無理な願いだったのだと思う。けど、根負けしたんじゃないかなって思う。仕方ないな助けたるかっていう感じかな。そこに神様の親としての立ち位置があるような気がする。親になって思うには、夢のある子にはその夢をかなえさせて、努力している子には力を貸してあげたいと思うのは当然である。五人のうち一人は大阪にあるお笑いの学校に行きたいという、頂けない子も居てますが、まっとうな考えで、夢に向かって努力している子には、夢をかなえてあげたいと思う。神様も親なら、子供の幸せを願っているだろうし、それがまっとうな道で、そこに真実の努力を加えていけば、無理な願いでも聞いてくださるじゃないかなと思う。神様が、わが子可愛い親であるからこそ、「念ずれは花ひらく」のであろう。
旬福亭馬之介
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セコビッチ工房 製本チキチキマシーン改篇 【H28.06.01】 |
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セコビッチ工房 製本チキチキマシーン改篇 愛町初代関根豊松の一代を書いた「因縁に克つ」が初めてだった。製本に取りかかったのは。パソコンにてその本のすべてを打ち込み、昔で言う写経である。そのデータをネットで製本の方法を調べて製本にした。その時にこれをつくったのだ。名付けて「製本チキチキマシーン」。いまは改造を加えて「製本チキチキマシーン改」という名前に変わったが。こいつのお蔭で結構な本を複製した。絶版したと思って製本した中には、再び、単行本となってでて、無駄な時間を使ったりはした。「理はあざやか」なんかはそうであった。しかし、複製したといっても、その人の足下にも及ばない。時には、あまりにも感銘を受けて涙がでてくるときがある。心が洗われる思いがする。やっぱり、その人の真似はできないが、心はたぶん感化される。希望と勇気を与えてくれる。教祖ひながたの道は、教科書的で、この通りしなければならない。かと言って、自分はそれだけでいけるかというと、頭の悪い子ですから、参考書的なものがいります。それが、先人達の足跡なり、道を通られた思いや、色んなことのとらえ方だったりして、これを介して、教祖ひながたを考えるとよく分かるような気がするのです。だから、もう手に入らない良書を貸して貰った時は、手許においておきたさに、写本をするのです。しかし、たぶん、その写本される偉大な先人達は言うでしょう。そんな時間があれば布教に出なさいと。
旬福亭馬之介
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においがけ放浪記 らくがき篇 【H28.04.15】 |
![]() 幹線道路の下、らくがき においがけ放浪記 らくがき篇 歌は世につれ世は歌につれとか申しますが、落書きも又、時代を映すもので、学生の頃社会に昔のらくがきが勉強の資料になってたりして、また、心の闇を映すもので、人に言えないことや、表沙汰にはできないことなど書いております。昔は、公衆便所が落書きの聖地だった。思春期には、書いている卑猥な言葉や絵などを見ては興奮したものでした。僕が通っていた、天理の学校で、夜間の学生と机の落書きを通して、交換日記的なことをしていた学生もいて、落書きもまた懐かしい青春でした。今はネットがその変わりをつとめてますから、壁に落書きをするのも馬鹿らしい時代となりました。この間、においがけに歩いていると、心の闇を映しているとはいうものの、心が温まる落書きもあるのだなぁと知りました。『こんにちわー』って書かれてあって、断れ続けて疲れている布教師には感動そのものでした。夕焼けにオレンジ色がかったその文字もまた暖か味を帯びてました。たぶんこういうのを三才心っていうんだろう。字を習いたての子供が書いたのだろう。本当に無垢である。と思うのと同時ににおいがけも大人の駆け引きでするのではなく、なんにも考えない、ただ教祖ひながたを感じて歩くような三才心が、人の心を動かすのだなと、ちびっ子がかいた『こんにちわー』を見ながらの帰り道、深く反省したのでした。
旬福亭馬之介
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おぢばがえり旅行記 あわじ花さじき公園篇 【H28.03.30】 |
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おぢばがえり旅行記 あわじ花さじき公園篇 今年は、少年会おつとめ総会に参加してくださる子供さんがいなかった。一応団参を組んでみなさんに声をかけたものの残念ながら、家族のみで行くこととなった。それはそれで、よしとして、ではコチラにも考えがあると、26日の御本部月次祭を家族で参拝し、27日春学の集いに上の子を、また、中学練成会に真ん中の子を、そして、残りの子供と妻を大阪の実家へ親孝行させに行かした。自分は旭日の一室にこもり、亡父の会報をパソコンに入力して整理していた。家族で行き帰りしたものの、その行動はまた別々であった。もうすぐ、こういう感じになるのであろう。それぞれ自分の時間と場所を持ち、家族以外の運命の人と行動をともにする事になるのであろう。29日また家族は揃い、少年会総会参加した。30日、その帰り、あわじ花さじき公園で休憩した。家族でこの長閑な風景を見ていた。だれもが過去を持って、未来を見据えて、今を生きている。この家族で見た風景もやがて過去のものとなる。その過去を持って、未来へと引き継がれていくのであろう。少年会総会に参加した自分がまた、過去の記憶をたどる様に自分の子供たちを参加させている。この見ている風景もまた、子供たちが大きくなり、帰省するとき、新しい家族と共に見るかもしれない。私達親ができる事は、未来へと繋いでいける過去を造っていく事なのかもしれない。いろんな意味で。
旬福亭馬之介
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においがけ放浪記 選ばれし社会不適合者篇 【H28.03.01】 |
![]() ねこ ![]() 神木 |
においがけ放浪記 選ばれし社会不適合者篇 においがけに歩き続け、断れ続けられると、人間が破壊されるのか、ランナーズハイなのか、とにかく、いっちゃいます。動物としゃべれるようになります。ていうか、動物の言葉や心が読めるようになります。家に入ろうとすると、その猫が止める。・・・ように思える。「お前みたいな神の使いとしての高等な人間のくる所ではない。立ち去れ!!」って言っているように思えるのだ。結果は案の定であったけど。また、 歩いているとご神木なのか大木にしめ縄の後があり、この木も私に話しかけるのだった。「私はこの地をおさめるもの、お前のくるのをいつも待っていた。存分にこの地を暴れるがいい。お前にこの地をやろう!!」って。これは、ちょっと違ったけど。・・・このままいくと、立派な布教師になる前に社会不適合者になっちゃうだろう。裏の道といわれるこの道だもの、ある意味、社会から逸脱しているのかもしれない。そう誰もは易々とは通らない、獣道で、タイガーマスクの虎の穴でもあるのだ。その中に神を信じ、進むべき道を求め、神の子としての自分を築き上げるのだ。そう、神と人の間(はざま)に立つ、間(はざま)の人間、選ばれし神の用木なのだ。僕は・・・・。・・・・。「選ばれし」って言っているようなやつは、どう考えても、やっぱり社会不適合者である。
旬福亭馬之介
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おぢばがえり旅行記 教祖130年祭雪だるま篇 【H28.01.26】 |
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