瀋陽日本人教師の会

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第12回弁論大会資料

第12回瀋陽日本語弁論大会

瀋陽

大学生Ⅰ部

第一位

 

山の向こうへ

芸溥

(瀋陽師範大学)

 

 玲ちゃんお変わりありませんか。あの山道を歩いていて、思わず昔のことが思い出されました。あれは小学校の夏休みのことでした。

 夏休みはいつも祖母の家に行きます。その家は山の向こうにあります。祖母は「都会の人はいつもドアをしっかり閉めて、息苦しい感じがして、いやだ」と言って、ずっと農村で暮らしています。私は都会の子だから、祖母の家の周りには誰も知っている子供がいなかったので、いつもひとりで山へ遊びに行きました。

 山道を歩いていると、白いワンピースを着た女の子がしゃがんで何かしていました。彼女は私に気がついて、立ち上がりました。額の汗を拭きながら、私をじっと見ていました。「あのう、私は玲です。ええと、都会から来たでしょう」と言うと、彼女は恥ずかしくて、顔も真っ赤になりました。「ええ」私は小さな声で答えました。「これ、食べてみて、野生のイチゴ」と彼女が手を差し出すと、汚れた手の平にはいくつかイチゴがありました。「あのう」このイチゴきっと洗ってないだろう。大丈夫かな。食べようかどうかと迷って、私はすぐには手を出せませんでした。「おししいよ、食べてみて」と彼女がにこにこして、言いました。その笑顔を見ると突然、自分が嫌になりました。私って、どうしてこんなに冷たくなったの。この女の子の好意を断わってはいけない。絶対!思い切って、イチゴを一つ食べました。わ、本当においしい!私たちは顔を見合わせて、にっこりと微笑みました。山からおりる時は、自然に彼女と手をつないでいました。「もう友達になっちゃった」とても嬉しい気持ちになりました。

 次の日、駅に着いた時、思いがけなく、彼女が私を待っていました。きのうと同じように赤いほっぺをして、にこにこしていました。「これ、持って行ってね。都会には野生のイチゴないでしょう。朝急いでて、あまりたくさんないけど」と彼女は言いました。その新鮮なイチゴを見ると、私は胸がいっぱいになって、「ありがとう」の一言も言えませんでした。バスが発車しました。目の前が急にぼんやりして、その白いワンピースもだんだん消えて行きました。

 半年後祖母の家に行った時、玲ちゃんはもう引越したことを知りました。最近、久し振りにその山道を歩いていると、玲ちゃんの赤いほっぺと白いワンピース姿が私の頭の中に浮かんできました。

 玲ちゃん、お変わりありませんか。

 都会の生活は人を変えて、氷のような心を持っている人が少なくないです。都会では、人のもっとも純粋な感情が見えなくなってきました。知らず知らずの内に人と人の間には山が出来ました。その山のせいで、人間のコミュニケーションがうまくできなくて、心を伝えることもできません。その山のせいで、光が見えなくて、世界も薄暗くなって冷たくなっています。都会の人であろうと、農村の人であろうと、同じ世界で生きているでしょう。冷たい世界はいやでしょう。

 みなさん、心の中の山を乗り越えて、山の向こうへ行こうよ。そこで、みんな心をひらいて、暖かい世界をつくりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

第二位

 

宝物

艳艳

(瀋陽師範大学)

 

 みなさんは山に登ったことがあるでしょう。去年のゴールデンウィーク、両親と一緒に丹東の近郊にある五竜山に登りに行きました。

 朝七時から露に濡れた木の葉が輝いている、目覚めたばかりの山に登り始めました。山登りの経験がなかった私は始めのころは自信満々だったけど、六合目くらいまで行ったら気が弱くなってきました。「もう足が痛くて疲れてたまらないわ。まったく、死んじゃうよ。花なら蕾の私の人生、この青春の始まりで人生終わっちゃったらどうするのよ」と思って母に文句を言いました。「だめよ、ここまで来たんだから、頂上まで頑張ろ」「だって足がもつれて歩けないんだもん。むりむり絶対むりだよ」と私は甘えました。「お前いい加減にしろ。知っているかい、頂上には宝物があるって、早く行くぞ」と父が言いました。「本当、何だろう。古代の遺跡、まさか黄金、ね、父さん、教えてよ」父は何も言わずに笑ってばかりいました。私は想像しながら、いつの間にか胸を躍らせて、精一杯登り続けました。

 周りにはときどき鳥の声がしたり、木の葉がさわさわとしたり、花の香りもしたりして、自然に囲まれていて、疲れも忘れるようになりました。そのうちに、山道は林や岩ばかりの急な上り坂になり、人も少なくなりました。

 やっと頂上に着きました。360度の視野がぱっと広がってきました。青空が限りなく広がっていて、息を呑む程の美しさでした。緑の樹海、くねくねした川、重なり合った山々、まるで天国にいるようでした。涼しい風で汗が引いて、疲れやストレスもさっと吹き飛んでしまいました。何とすっきりした気持ちでしょう。翼があったらいいのに、この空を自由に飛んでみたいな。人間って、大自然の中でどれほど小さなものでしょう。

 まるで神様が作ったような大自然は世の移り変わりの激しいことや人間のわがままを全部包みこんでいて、何と広い心でしょう。自然に向かった私は心が晴れて何も怖くありません。地球は生まれて、数億年も経っていて、もう傷だらけのはずなのに、一体何に支えられて、ずっといきいきしているんでしょう。答えは生命力でなくて何でしょう。森が枯れたらまた茂るようになり、土が沈んだらまた盛り上がり、生命力はいつでも尽きないです。

 大自然に恵まれた私たち人間もこんな生命力を取り入れたら、何とすばらしいことでしょう。どんな困難に出合っても、どんなに苦しくても辛くても、弱音を吐かずに勇気を出して、強い生命力で乗り越えましょう。転んだからこそ、もっともっと強くなれるのです。

 現代、高度成長している中国で人材は国力だと言われます。人材とは何でしょう。賢い頭、優れた技術、人の上に立つ才能だけでなく、強い生命力こそ一番持つべきではないでしょうか。われわれ若者は祖国を世界先進国にするために、こんな人材を目指して、頑張らなければならないと思います。

 山を降りた時、どんどんエネルギーが湧いてきました。「そうなんだ、宝物って、この大自然からもらった生命力じゃないか」父の話がやっとわかりました。振り向くと、今降りてきた山が私たちの後ろに大きくそびえていた。

 

 

 

 

 

 

 

大学Ⅰ部

第三位

 

愛の貢献

张莲

(遼寧大学)

 

 この間、ある文章を読みました。どうして中国では障害者が町で殆ど見えないでしょうかという外国人の疑問についての文章です。つまり、中国では、障害者の殆どが外に出ないという意味です。周囲を見回すと確かにそうです。しかし、苦しいけれども頑張っている人もいます。もっと多くの障害者が社会の一員として活躍するように励ましてあげるのが私たちの責任ではありませんか。

 2006年、全国を感動させた踊り「千手観音」は耳の不自由な娘達の踊りでした。その踊りは本当にすばらしいです。無声の世界でどんなに頑張ったのでしょうか。彼女達の傍らには必ず励ましてくれる親切な人達があるはずです。関心を寄せる人がなかったら勇気を出して踊り始めなかったかも知れません。

 私の住んでいる町では足の不自由なある男性が三輪自動車でお客さんを乗せてお金を稼いだことがありました。彼が「乗らないの」と誘うと客は変な目で車に張っている障害者という証明書を見ながら断りました。それでその男性はとても寂しそうにそこを離れるのです。頑張っているあの人を暖かくしてあげないまでもせめて差別してはいけないと思います。またある御爺さんはいつも駅に立ってバスが来ると乗って元気な声で新聞の内容を言いながら新聞を売ります。よく見ると目の不自由な御爺さんでした。考えて見るともし彼の傍らに無料である程度の距離を乗せてくれる運転手、新聞の内容を教えてくれる家族、励ましてくれる友達がなかったら、今の新聞売りの彼の姿はないと思います。彼に会うたびに私は降りるのを助けたり、新聞を買ったりします。私の力は弱いですけど彼のために何かしたいのです。私達が何事かをするには勇気と励ましが必要です。障害者はもっとそうです。彼達のプライドはもっと傷つきやすいのです。私たちの態度によって彼達の人生が変わると言っても過言ではないと思います。

 20089月、北京で開催されるパラリンピックの趣旨は超越と融合と享受です。これは障害者たちの体は不自由ですけど、精神世界は健康で向上しようとする姿を見せます。4年に1度のパラリンピックを通じて、障害者たちは私達もできることが沢山あるから信じてチャンスをくださいという心をアピールしているのではないでしょうか。実は健常者と障害者は差別がないと思います。オリンピックと同じ場所で開くということで十分説明できると思います。彼達のすべてが生まれながらの障害者ではないかも知れません。きっと健康で楽しかった生活を送ったこともあるでしょう。明日のことは誰も知らないのです。ある日私達が障害者になったら彼達のように元気で堂々と生活することができましょうか。冷たい目にばかり会ったらとても辛いでしょう。だから私達の義務は彼達を励ましてあげて、暖かくしてあげるのです。これはパラリンピックのために辛苦を厭わなくて、無私に貢献する人達が望んでいることでもあるのではないでしょうか。中国でよく知られている「愛の貢献」という歌の歌詞がありありと私の目に浮かんできました。人人がちょっとした愛を貢献したら、世界はもっと美しくなるという意味です。この歌のように私も今後も愛の貢献をして頑張りたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

入選

 

ずっと青い空

班力力

(瀋陽師範大学)

 

 今年の冬休みに、家でテレビを見ていた時、母の「りきちゃん~」という私を呼ぶ声が聞こえました。「何かあったの、お母さん」、母は涙を流しながら私に「あなたのおじさんが亡くなったのよ」と言いました。私はびっくりしました。いつも元気なおじさんは、どうして突然亡くなったのだろうか。

 私の伯父は瀋陽市の下水処理場で働いていました。今年53歳で亡くなりました。死因は癌でした。伯父の働く職場は癌発生率が市の平均と比べて、異常な高さを示していたし、彼と同じような症状で亡くなった同僚が、今まで何人もいました。下水処理に使われる薬剤に発癌性物質が含まれていたのです。伯父の死因はもう明らかです。それは環境汚染のせいです。

 今、環境問題は世界で深刻な問題となっています。一九七二年、スウェーデンのストックホルムで世界で初めて「国際人間環境会議」が開かれ、多くの国が参加して、地球の自然を守るために国際的に協力しようという話し合いが行われました。それ以来、国際会議は定期的に開かれています。しかし、まだ期待された程の成果をあげていません。それはなぜでしょうか。

 日本は環境問題解決にかけてはほかの国より優れていると思います。日本の公害問題は一時期世界のどの国よりも深刻でした。戦後、日本は経済大国になりました。その反面、いろいろ公害も出て来ました。騒音、大気汚染、光化学スモッグ、また工場廃液によっていくつかの河川も海も汚染されました。それは魚を食べることが好きな日本人にとってどんなに困ったことでしょう。問題が深刻化するにつれて、日本のあちこちで公害対策を考えなければならないという意見が強くなってきました。公害は大きな社会問題となり、日本の政府や企業も真剣に公害対策に取り組み始めました。多くの法律を作って、公害対策に乗り出しました。現在、日本は公害対策先進国と称されるようになりました。

 今、中国はめざましい経済発展をしていますが、先進国との格差は厳然と存在しています。一人あたりのGDPもそうであるが、その最大のものは、環境問題に対する意識の立ち遅れであり、政府や企業の環境政策の立ち遅れであると思います。

 今、私たちの地球は深刻な危機に陥っていますが、それではいったいどうしたらいいのでしょうか。私の観点から見れば、やはり人々の努力だと思います。みんなが自然に親しみ、自然の習び、一人一人が環境保護、自然を守ろうという意識を持ち、その心がもっとたくさんの人に広がればいいと思います。「同じ世界、同じ夢」、これは今年の北京オリンピックのスローガンです。未来に続く大切な自然を守り、ずっと青い空という希望を実現するために、みんな一緒に頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

入選

 

急婚族

王莉莎

(瀋陽師範大学)

 

 中国では最近、急婚族が現われてきました。急婚族というのは娘の楽な生活を求めたり、仕事というプレッシャーを受けずに、楽な生活をさせたいと思っている親に早いうちに結婚させられる人のことです。つまり、自分自身が結婚を急ぐわけではなく、ただ、親の気持ちに従って結婚するのです。実は、この前私ももう少しでお見合いにいくところでした。

 冬休みのある夜、母が私の隣に座って「ねね、いいことを教えるよ」「なに」母の顔を見てなんだか絶対いい知らせではないと感じました。「素晴らしい結婚相手が現われたんだよ。IT企業の課長でね。人に思いやりができて、仕事に真面目で一生懸命、そうよ。こんな完璧な男は二度と来ないわよ。もうお会いする約束しておいたから、お見合いに行ってね」「うそ」母の話を聞いて、信じられませんでした。「どうして勝手に決めたんだよ。私、おばさんじゃあるまいし、結婚なんかずっと先のことでしょ。まだ就職もしていないのに、お見合いなんか冗談じゃないわよ」と私がぶつぶつと言いますと「ごちゃごちゃ言うな、仕事ってそんな簡単なもんじゃないよ。お嫁さんになったら生活も楽だし、お金の心配もないし、女の子にとって幸せへの近道よ」「おかあさん」と私がいくら言っても私の言うことをきいてくれませんでした。ついに母に引っ張られてお見合いに出かけました。ここで私は神様にお礼を言いたいと思います。さいわいその日に、相手の人から、私がまだ学生だから遠慮すると言う電話がかかってきたのです。「まったく、こんないい娘なのに、運の悪い男だなあ」と母はがっかりしましたが、私のほうは百パーセント嬉しかったです。

 これこそ親だと思います。親は子供の損得を考えた上で行動しますけど、子供の本当の気持ちをおろそかにしてしまいます。私たち子供は、親の気持ちをちゃんと理解してあげると同時に、自分が若者としてどうしたらいいかと言うことを考えるべきだと思います。

 急速に経済発展している現在では、就職状況は非常に厳しいです。いい仕事を見つけるため、エリートにならなければなりません。エリートになるまでずいぶん苦労しますけどこれこそ人間としての価値を実現する過程ではないでしょうか。仕事もせずに結婚に逃げることなんて、完全な人生と言えるのでしょうか。今、若いうちに大いに力を発揮しておかなかったら、年をとってから、悔しい思いをするのではないでしょうか。女性だから出世するのも難しいというのは確かです。でも、女に生まれたからこそ、この男女不平等の社会にチャレンジして、少しでもこの社会を変える力になりたいと思います。夢の叶う前に子供と家事に振り回される生活はつまらないでしょう。女子学生の皆さん、仕事のプレッシャーを恐がらないでください。逃げないで自信を持って自分の道を進みましょう。

 急婚族にならずに、仕事のプレッシャーに負けないで、将来、自分の仕事をして、かがやいている姿を親に見せましょう。そうすれば、親はきっと喜んでくれるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

入選

 

信用危機の社会

婷婷

(瀋陽航空工業学院)

 

 みなさん、このような体験がありますか。辺りに人が多く集まれば集まるほど、心が落ち着かなくなって、不安な気持ちがどんどん湧いてきて、かえって寂しく感じます。人々は一体どうしてこのようになったのでしょうか。実は、それは信用危機の社会――つまり、人間はお互いに信頼を失いつつあり、これはものすごく危ない現象だと言うことです。

 ここ数年、我が国は経済が著しく伸びた反面、盛んな発展がもたらした社会問題も少なくありません。信用危機の深刻化はその問題の一つだと思います。昔は近所の人はみんな知り合いですから、カギを閉めなくて大丈夫でしたが、今高層ビルの中では、カギを閉めないと、不安や焦燥でたまりません。我が家の玄関を出たとたん、いつも自分のバッグを肌身離さず持ち、自分の意識をずっとはっきりさせ、泥棒を防ぎ、詐欺を防ぎ、自分以外のすべての人を敵と見なすほど警戒心を高めます。そうなると、経済がいくら発展しても国民の幸せはありえないと思います。このようにずっと神経を集中していると、病がなくてもいつか倒れるかもしれません。信用の失った社会では、体には冷たさしか感じられません。

 私の考えでは、人間の間で信用にひびが入ると、何事に対しても「もしだまされたら」と考え、ぐずぐずして判断しにくくなります。先日、私はこのようなことを体験しました。町を歩いていた時に、一人の物ごいが近付いて手を伸ばしました。以前の私だったら、多分「かわいそうね」と思って、何かを出して助けてあげたと思います。しかし、最近テレビで「物ごい詐欺をあばく」というのを見ました。彼らは人々の同情を利用して大儲けしていました。昼間はぼろぼろの服を着ているにもかかわらず、夜になると高級マンションに帰るのです。このような人たちがいると、本当に援助の要る人は援助をもらえなくなります。信用危機のせいでこんな困ることが時々あります。これは何と言う混乱した社会でしょう。もしこのような社会現象に慣れてしまったら、人間関係が冷たくなる一方です。そしていつか爆発する危険があると私は痛感しています。

 今は中国だけでなく、世界全体は失われた信用をもう一度捜し出さないといけない窮地に立っています。私の考えでは、信用危機の状態を変えるとしたら、これから学校教育の重点を調整しなければならないと思います。今までの試験教育の欠点は点数そのものを重視して、道徳などをだんだん形式化してきたからです。道徳意識の希薄さがあるからこそ、泥棒や詐欺はどんどんその隙から出てきます。大人が忘れた誠実などを種として、子供たちの幼い心に埋めておいたら、信用社会の到来はそんなに遠くはないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

入選

 

きれいな心を持とう

莹莹

(瀋陽航空工業学院)

 

 私は海が大好きです。透き通った青い海を眺めると、自分の心も清らかになるような気がします。

 夏休みの時、私は両親と一緒に海に行きました。海へ行くことが決まってから、私は嬉しくて、嬉しくて、その日はほとんど眠れませんでした。もうすぐきれいな海で両親と楽しい一時が過ごせる。なんと素晴らしい夏休みだろう。帰ったら日記にいっぱい素敵な思い出が記されることだろう。

 翌日私は両親と一緒に海へ向かいました。ここ数年間私は大学受験の忙しさに追われ、海を見に出かける機会はありませんでした。

 もう数年ぶりのことです。

 海が近づくにつれ、私は胸がどきどきしてきました。バスの中で体を前に傾け、何度も前を見ました。まだかな、遅いな。私の心はもうすでに海に飛んでいきました。

 やっと海に着いて、走って海辺に近づいた時、私は足が止まってしまいました。私は自分の目を疑いました。

 その海は数年前に見た時とは大きく違っていました。海岸沿いの海の色は濁っていました。遠くに見える青い海の色とあまりにも大きな差がありました。また海のあちこちに発砲スチロールやビニール袋が浮かんでいました。

 「これじゃ魚なんか釣れっこないよ。」お父さんは独り言を言いながら釣具をしまっていました。

 私の夏休みの海への小さな旅は終わりました。がっかりした旅でした。学校に戻ってからもその海のことは私の頭から離れませんでした。なぜそんなに汚れているのだろう。どうすればきれいな海が戻ってくるのだろう。

 つい最近まで私はいつも深い思いに耽っていました。

 ある日、私は教室の前の廊下で掃除係のおばさんが汗だくになって何度も何度もモップで掃除している姿を見かけました。同じところをおばさんは何回も何回も繰り返し拭いていました。やがて廊下はきれいになり、鏡のようにピカピカ輝いていました。そのおばさんの汗によってきらきら光る廊下が私の目にはダイヤモンドのように映りました。

 私の思いはまた夏休みに見た海の方に飛んでいきました。あの汚れている海も私たちひとりひとりが環境意識を持てば、あのようにきたなくはならないでしょう。あの汗だくになっていた掃除係りのおばさんの仕事を見ていた私はやっと前に考えていた問題のヒントを得ることができたのです。

 私たちが毎日生活している環境、自然、それらが美しい姿を保ち続けるには、私たちが環境意識を持って日ごろから努力することが大切なのではないでしょうか。数年後、私たちは社会に出ます。ただ大学で学んだ知識だけ持って社会に出ればいいとは、私は思いません。きれいな心を持つことの方が大事だとつくづく思います。

 常に環境を考える、自然をも考えるというようなきれいな心を持ち続ければ、汚れた海も美しさを取り戻せることでしょう。

 近い将来、祖国の未来を担う私たちが豊富な知識ときれいな心を持って頑張っていけば私の故郷の海もきっと青く、水晶のような美しい輝きを放つのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

入選

 

「五体不満足」を読んで

卜艾儒

(瀋陽大学)

 

 大学に入る前、姉は私に「五体不満足」という本を推薦してくれたことがあります。しかし私は今まで読んだことがなく、最近友達の本棚からこの本を見つけて、読んでみようと思いました。

 この本は、乙武さんが子供の時から、大学のころまでの様子が書かれています。乙武さんが先天性四肢切断という生まれつき手足がない体を持っていました。しかし、彼は積極的に健康な人と共に普通の日常生活を送っています。

 私はこの本を読んで、乙武さんに対する親の愛を感じました。乙武さんの両親は彼にたくさん愛情を注いでいるのです。医者は乙武さんが障害を持った子だということを乙武さんのお母さんに教えませんでした。お母さんが耐えられないだろうと、医者は心配していました。「かわいい。」これはお母さんが生後1ヶ月の乙武さんを抱いた時、最初に言った言葉です。この言葉を聞いて皆、感動しました。子供は、生まれると両親の愛を必要とします。乙武さんの両親が彼を愛しながら育てた方法は彼自身を鍛えさせること―自分でできることはできるだけ彼自身にさせることでした。それは障害を持った子供にとって、大きな励ましになったでしょう。

 小学校の高木先生は乙武さんが自分でできないことなら、他の人に手伝ってもらってもいいと言いました。乙武さんに他の人の助けを待つだけの甘えをもたせないためです。彼に同情する人々からすると、それは残酷かもしれませんが、乙武さんにとって、自分を鍛える機会として、成功に向かう過程なのです。自分でやる方法は乙武さんにとって実は最も役に立つ助けで、それは乙武さんの成長のためにしっかりした基礎を打ち立てました。彼は一つ一つの難関を乗り越えても決して満足しませんでした。

 この本は「何事も、考え方によって、その人の人生を変えることができます。」ということを教えてくれました。

 いつまでも満足しない、これは乙武さんの人格かもしれません。身体障害は体の一つの特徴で、一番重要なのは心です。乙武さんが自分のエネルギーと創造力を生かして自分の行動を通して、障害を持つ人と健康な人に違いがないことを証明しています。

 乙武さんは障害があるにもかかわらず、希望を持って熱心に生きていて、何事も大胆に挑戦しています。彼は不完全な腕と頬を利用して字を書いたり、運動をしたり、自分の生活を多様にさせています。乙武さんの生き方は身体障害者に多くの可能性があることを教えてくれます。

 どんな人にも生きている意味はあります。完璧なものなどありはしません。人間は死ぬほど努力をすれば、克服でいないことがありません。諦めなければ、素晴らしい人生をこの手で摑むことができるのです。私は自分の生きていく道を、これから自らの力で切り開いて行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

入選

 

幸せを伝えたい

諸葛暁宏

(瀋陽大学)

 

 ある朝、友達からのメッセージを読んで、感動しました。「幸せは美しい水晶玉として世間のいたる所に落ち、沢山拾った人もいれば、少しだけ拾った人もいる。しかし、幸せの破片を全部手に入れる人はいない。私は自分の分をあなたに譲って別の人よりもっと幸せになってほしい。」なんとなく、全身が暖かくなった気がしました。

 学校へ行くバスの中で、私はまわりの人に挟まれて左右に揺られていました。通勤時間なので、バスの中は人がいっぱいで缶詰め状態でした。人が多いので、釣り革も足りなくなって、私みたいな小柄な女の子は大変です。そこへ、隣りの背が高い女の人が上のレバーに捕まって、自分の釣り革を私に譲ってくれました。私たちは視線が合った瞬間、お互いに頭を縦に振って微笑みました。「ありがとうね。」私は心の中で感謝の気持ちを込めて言いました。

 午後の授業が終わった後、家へ帰ろうとした時、母に「素麵を買って来なさい。」と頼まれたことを思い出しました。家族は皆素麵が好きですから、沢山買ったほうがいいと思い、素麵を10袋抱えてスーパーのレジで支払いを待っていました。最初、その店員は素麵を一つのビニール袋に入れていましたが、次のお客さんを迎える前に私をすっと見て、眉をひそめ「ちょっと待ってください。」と言うと同時に、てきぱきと二つの袋に分けて入れてくれました。そして、自分の手で持ち上げてみてから、満足そうな笑顔で私に渡してくれました。私はためらって受とり、「ありがとう。」と言いながら、階段の方へ行きました。「なるほど、一つの袋なら重いかもしれない、女の子に対して、優しいね。」と自分で囁きました。

 一人のとき私はよく考えます。「本当の幸せとは一体何のことだろう?」素敵なマンションに住むよりも、高い地位につくよりも、宝くじが当たるよりも、もっと簡単な幸せが存在しています。

 自分の感じ方次第で今日は平凡な一日だったとも、特別な日だったとも言うことができます。今日一日を大切にし、出会った一つ一つの出来事を幸せに感じて生きることができれば、今まで見落としていたことを発見したり、感動したりして、胸に刻まれていくかもしれません。毎日できるだけ多くのことを感じ取ったり、考えたりして、心から暖かく感じられれば、一人一人きっと素晴らしい思い出ができるでしょう。

 隣に困った顔をした男の子がいました。「何があったの?」と私はしゃがんで聞きました。私もやさしい気持ちにさせる温かい人、幸せを伝えられる人になりたいです。しかし、見ず知らずの人間に愛や温かさを伝えることは決して簡単なことではありません。私は穏やかな心を持ち続け、幸せを伝えることを目標にして生きたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

入選

 

子供たちの手を放してほしい

鮑克成

(東北大学)

 

 小さいころ、農民としての親は子供の三人ある家庭を維持していて、貧乏なので、うちは一年に豚肉を1、2回しか食べられませんでした。これは新年のころで、毎年の初めから子供たちの楽しみでした。豚肉をテーブルに置くたびに、親は「よく食べなさい」っていって、俺たちのおいしそうな様子を見て満足に笑いました。成長するにつれて、俺は親があまり豚肉を食べなかったのに気づきました。聞くと、親は「豚肉があまり好きじゃないよ」と説明して、俺は「そうですか」と応答したけど、なかなか理解できませんでした。豚肉のようなご馳走さえ好きじゃない人もいますか。迷ってきました。

 今もう親の心がわかる年になって、苦労を思い出して、妙に心から何か言い出せない感動が湧き出てきます。世の中で親の子供に対する愛情は表現できないほど偉いと思います。親は貧乏でも、余裕でも、悪い人でも、やさしい人でも、自分の子供のことに対してやってあげるのは同じですよ。子供はみんな自分の親が作った甘い環境の中で幸せに育成されています。しかし、その反面、もしその環境は甘すぎになったら、子供にはいいことではないかもしれませんよ。なんでも子供の代わりにやってあげるし、お金を十分に使わせるし、結局、悪い影響をもたらして来るかもしれません。

 冬休みに、弟と彼の高校生活の話をしました。ある寒い夜でした。同じ部屋の張さんのお母さんが来ました。張さんを寒くなくさせるために、お母さんは厚いコートと布団を持って来ました。けれども、ちょっとの間に、張さんの怒った声が部屋で響き回しました。「そんな簡単なこともできない。毎日何をしているの。いったい何のために来たの。俺は寒いって言ったか。すぐそんな無駄のものを持って帰ろ。俺は寒くないよ」。平日おしゃれの張さんは自分の親をそんなに叱っていて、お母さんも自分の過ちであると気付いたらしくずっと黙っていました。それからお母さんは何かやさしく言って、コートと布団を持って帰りました。お母さんは張さんの携帯電話を持ってくることを忘れてしまったから、たいしたことじゃあるまいし、そんな不快な雰囲気をもたらしてしまいました。弟の話を聞いて、俺はそのお母さんに同情しながら、とても気持ち悪い気がしました。ところが、ご来場の皆様、今張さんのことが嫌いになったかもしれないけど、いったいそれがどちらのせいだと思っていますか。張さんのせいですか。お母さんのですか。

 現在の社会で張さんみたいな子供はいっぱいいるんです。なんでも親に満足してもらえる彼らはちょっとした困りがあったら、親に怒ったり、叱ったりして、自分で解決することはぜんぜん考えていませんでした。自分の子供が将来社会の合格的な人材になってほしい親たちは、子供たちの手をつないで前進させていて、結局、子供たちは本当の大人になることがなかなかできません。永遠の子供にするのはいやですよ。もう親たちは子供の教育について反省すべき時になったと思います。天下のお母様、お父様、子供たちの手を放して自由に飛ばせてほしい。もし暴風豪雨にあっても、子供たちは自分の力で勇敢に面対するほうがいいんじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅰ部

入選

 

雁も鳩も食わねば味知れぬ

張永娟

(東北大学)

 

 日常生活の中で、だれでも好きなことわざがあるでしょう。ことわざは人間の生き方を映ったり、人生の道を導いたりすることができます。私の好きなことわざは「雁も鳩も食わねば味知れぬ」というのです。子供の頃から今まで、両親からよくこのことわざを耳にします。

 小学校3年生のとき、お母さんから5元のお金をもらって、すごくうれしかったです。5元って今はただの細かいお金ですが、あの当時あまり余裕がないとき、まだ子供である私にとっては、大金でした。何を買ったらいいかに悩んでいました。あのきれいな文房具を買おうかな、あるいは、おいしいお菓子を買おうかな。こうして、そのお金はずっとポケットの中に入ったままでした。

 外で遊んで家へ帰ったあと、急にお金のことを思い出しました。でも、ポケットの中にお金はなぜかなくなっていました。どんなに探しても見付かりませんでした。悔しくてたまらなかったというのは言うまでもないです。せっかくもらったお金なのに、どうして早く使いませんでしたか。そのとき、幼い心の中に「雁も鳩も食わねば味知れぬ」ということわざが浮かびました。そして、一つの結論が出ました。それはお金はできるだけ早く使ったほうがいいという子供の幼稚な考えでした。

 今、あの時の浅い考えを思うと、まだ笑いを禁じ得ないです。

 しかし、年齢が上がるに連れて、その「雁も鳩も食わねば味知れぬ」ということわざにだんだん深い理解が出てきます。つまり、一度躓けば、利口になります。人生は「雁も鳩も食わねば味知れぬ」という過程の繰り返しだと思います。

 赤ちゃんにしたら、手で取ったものは何でも口に入れたいのですが、いったん苦いものを食べれば、二度とそれを見ても食べたくないようになるでしょう。

 お母さんから「火に触らないでね」と言われても、好奇心でこっそりと火に近づいて、「あっ、熱い」とわかりました。これからは火の用心があるでしょう。

 おっちょこちょいで、携帯を盗まれてしまったあと、自分のものを大切にしなければならないということがわかりました。これからは慎重な人になるでしょう。

 丈夫な体を持っていると、いつも無理してしまいます。病気になってから始めて健康の大切さを感じます。

 以上のように、人間のすべてのことは「雁も鳩も食わねば味知れぬ」ということわざで括ってもいいと思います。いろいろな経験をして、生活の知恵を積み重ねてから、人間は成長できるでしょう。

 「雁も鳩も食わねば味知れぬ」。一度躓けば、利口になります。だから、新しいことに挑戦する勇気を持つべきます。失敗しても、恥ずかしく思わなくてもいいです。その失敗から経験を学んで二度と同じミスをしないようというのもこのことわざの精神でしょう。これからは「雁も鳩も食わねば味知れぬ」という心を持って、勇気を出して進みましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

大学Ⅰ部

入選

 

人間の中に愛の種を蒔く

慧超

(遼寧大学)

 

 春の日の午後、暖かい日ざしが野原一面に広がり、紺碧の空を鳥たちが自由に飛んでいます。春の風がそよそよと私の頬を撫でています。さらさらと流れている小川の岸で私は静かに目を閉じて、自然の美しさを感じています。早く起きなさい。早く・・・という声が突然母の口から発せられて私の耳に入りました。私は夢の中から帰っていやな顔をしながら、暖かい寝床の中から出てきました。

 朝、食事の後、散歩に行ったとき、我先にバスに乗って出勤する人達を見てなんとか言いようのない感じが心から湧いてきました。現実の世界は夢の中のと全然違うということを感じました。この人込みの中に立って、なんとなく寂しい感じが心の隅から湧き上がりました。なぜでしょう。一つのことが思い出されました。

 先日、新聞にある韓国の有名な女優が自殺したということが載っていました。原因は大体、この世界では生活して行く自信を失ってしまったそうです。もし、資料を調べたら、毎年自殺で死んだ人が増える傾向にあるということが分かります。この現象が続けば、将来、どんなことが起こるのか誰にも分からないでしょう。いったい、どうしてこんな悲しいことが多くなったのでしょうか。

 以前、経済がこんなに発達していないとき、みんなお互いに助け合って、幸せな生活を送っていました。現在、経済の発達につれて、人々のプレッシャーも高くなって、競争もずいぶん激しくなってきました。最近、勉強で夜11時まで寝ていない小学生さえいるそうです。それは、数年前まで考えられませんでした。また、科学の進歩につれて、いろいろな機械が作られてきました。それは、時代の進歩進歩だとはいえ、人と人の心の結びつきが機械に妨げられてしまいました。例えば、以前商店で買い物をして支払うときに、店員の親切な微笑みを見て、私達の気分はよくなりました。しかし、現在、店員の代わりにレジです。レジのおかげで、買い物のすべての流れが無声になりました。それだけではなく、今自動販売機もよく見られます。日本では、看護婦まで、ロボットに代わろうとしています。世界中至る所、無声なのです。だから、寂しく感じる人がますます多くなって、この情けない世界を悲しみ、天国へ行くことを選ぶ人さえいます。

 空の中に星があり、地球の上に花があり、人間の中に愛があると誰か外国の詩人が言ったそうです。確かに、星のおかげで、夜の空が暗くなく、花のおかげで、地球が寂しくなく、人間の中に愛があるから世界が素敵になります。だから、みなさん、心を開いて、回りの人に微笑んでください。もし、みんなそうしたら、私に夢の中のような美しい世界がきっとやって来るに違いないと心から信じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学Ⅰ部

入選

 

証明書ブームから考えたこと

爱剑

(遼寧大学)

 

 現代の社会は「深く適応できるものが生き残る」といわれています。今かなりの大学生は将来について明確な目標もなく、具体的な就職計画もなく、就職活動で競争条件を増やすために無目的にどんな証明書でも力を尽くして手に入れることが多いです。だんだん証明書ブームになってきました。現代の大学で一番の流行語は「証明書が一つ増えれば就職が広くなる」という言葉です。なぜなら、今証明書は応募者と求人会社の間の橋だと言えて、求人会社はそれを通して短い時間で表面から応募者の能力が分かるからです。例えばある求人会社は日本語の翻訳者の求人の基本条件として(1)国際日本語能力一級試験にパスした証明書(2)英語六級試験にパスした証明書(3)ソフトウェアー二級技師の証明書を要求します。その他はともかくこの三つの証明書は私達にとってなかなか難しいことです。

 しかし、いわゆる証明書は一体何を証明するのかと考えてみました。私の考えではそれはただある分野で知識をマスターした程度を証明して、人間の性格とか人間関係とかなどの総合能力は証明できないと思います。でも今就職難に迫られてたくさんの学生は興味がないことも我慢していろいろな証明書を取るために多くの時間を費やしているのではないでしょうか。それでは主客転倒になるのではないでしょうか。それらの意見に流されないほうがいいと思います。だから私達は深く自分の特性と興味を分析して、それによって、就職目標を確立して、自分の実際に即した学習計画を立てるべきだと思います。そして主体的に自分を管理する能力を高めて、積極的に目的の仕事の実習に参加したり、その分野の実用能力試験を受けるなどしてそれに合った能力を持つべきだと思います。

 まとめて言えば証明書というものはただ社会に入る前の窓口に過ぎない、就職計画の一面だけなのです。競争力というのは多くの証明書を持っていることではなく、実際の総合実力のことだと思います。もし私達は証明書の数量ばかりを重視したら激しい競争の中に立脚の余地がないに違いありません。今大切なことはこれらのほかに社交性、協調性、独創性などを持たなければならないことです。それで、私達は合理的に回りの条件を利用して勉強の効率を高めて、将来もずっと向上心を持ちながら自分の実力を養成するべきだと思います。私は来年には大学を卒業し、社会人としての第一歩を踏み出します。以前、私も社会に入ってどんな仕事が引き受けられるのかなどと迷っていました。けれども、今はもう不安がなくなりました。私の就職方向は海外旅行についての仕事を選びたいです。ガイドとして専門知識はもちろん、誠実で親切な態度、自信、勇気、責任意識なども持っているべきだと思います。ですから、私は毎日一生懸命に勉強して、いろいろなボランティア活動にも参加して、体験を豊かにして、あと一年の大学生活を通して、総合実践能力を養っていきたいと思います。そして、将来私は国や社会に役立つ人になりたいと思っています。自分の仕事を通じて、中国の歴史、文化などを外国人に紹介し、外国の進歩の思想、技術などを中国人に紹介して、国の間の友好交流を深めるために自分の力を貢献することにしています。以上のことは今度の証明書ブームから考えたことです。

 

 

 

 

 

大学Ⅰ部

入選

 

私の夢

齐红艳

(遼寧大学)

 

 人は誰でも夢を持ちたいものです。夢があってこそ人は世間で生きていく意欲が起こるのです。夢と言うものに関しては、階級身分などで区別することなく、誰でも自分なりの夢を追求する権利があります。大学に入ってから私の心の奥には小さな夢の種が育てられました。それはりっぱな教師になることです。実は、小さい頃にはまったくそんな考えがありませんでした。その時私は音楽が大好きです。時々家で当時流行っている歌を口ずさんでいました。そして、将来は自分で曲でも作ってみたいと思っていました。音楽界で大物であるドイツ生まれのベートーベンは私の人生に大きな影響を与えてくれました。ご周知のように彼は耳が不自由です。しかし、たくさんのすばらしい曲を作って人の心を豊かにし、明るくしました。彼はどんなつらい状況におかれても努力していく強い精神があります。それは私の人生の道の目標となりました。人生には間違いや失敗が必ずあります。もちろん、夢を実現する道には必ず失敗が何度もあります。しかし、失敗もいい、苦しいこともいい、それに負けず頑張ればかえって前よりも強くなったりします。日本語では「七転び八起き」という話があります。何事に対してもこのような精神が必要です。

 中学に進学したばかりのことです。その時私は学費の悩みが続いて勉強したくなくなりました。幸いなことに優しい先生と出会いました。彼は私に最大の励ましをくれました。先生は不幸な私のことを知って、我がことのように心配してくださいました。ある日、先生は私を見つけて「あきらめないでください。自分の夢のためにもいい加減にやらないでください。苦しいこともきっと上手に乗り越えて行け。」と言いました。私は黙って聞くだけです。しかし、心の中では「うん、そうだよ。」と心いっぱいで感激しました。先生は私達の担任教師だけでなく、よく学生の面倒を見てくれる親のような親切さがある良い先生です。3年のとき級友張さんの家が破産するひどい目に遭いました。仕方なく彼女は退学することにしました。先生はこのことを知ってからすぐに全員を立ち上がらせて、張さんの困難の解決に力を尽くしました。その2,3日のうちに先生は急に老けて見えました。私達だけでなく学校の全員も感動してたまりませんでした。その時こそ、私は先生としての偉大さ、また先生としての親切さを分かりました。その時から私は先生のような立派な教師になりたいと決心しました。

 夢を実現する道は非常につらいかもしれません。夢のために一生の時間をかけてきた人がいます。また何度も失敗をした人がいます。しかし、結果はどうなるかは一番重要なものではないと思います。自分の力のギリギリまで頑張って行けばいいのです。

 人生は長い旅行のようです。旅の中、転んだり、道に迷ったりします。しかし、どんな時でもゆるがない意志を持っていけば必ず成功します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学Ⅰ部

入選

 

思想を変えることにしましょう

刘梦珠

(遼寧大学)

小さいとき私の家族は父、母、祖父、祖母そして私を入れて五人です。両親は目の中へ入れても痛くない程私を可愛がっていました。それに対して祖父母と一緒に生活しても彼らの部屋に入ることは殆どありません。従弟が来る度に祖父母は彼を抱きながらにこにこ笑って彼と遊びました。私より彼の方を可愛がることは疑いないと思っていました。しかしそれはどうしてですか?ただ私が女の子に過ぎないからなのですかと幼い心の中で傷痕が残っていました。その後も彼らとは更に親しくありません。大きくなるにつれて祖父母の態度がだんだん変わってきました。いつも近所の人達に俺の孫娘は大学生だよと言ったりします。その時私が彼らの誇りだということが深く感じられました。それで心の中でひっそり彼らを許してあげました。これは私達の所為ばかりでなく社会全体に問題があると思われます。男女差別の思想がこれを引き起こした源ではありませんか?

 企業でも例外ではありません。男女ともレベルが同じ時は勿論ですが、レベルが低いと言っても男性のほうを採用する企業があるそうです。企業はその企業にとって望ましい人材を確保して利潤の最大化によって目標に達します。このままいくと換言すれば自分の企業の利益を減らすことになるのではありませんか?ここで私が言いたいことは女性にチャンスをあげたら彼女たちもすばらしく活躍するに違いありません。男も女も元元それぞれの特徴を持っています。例えば管理職の場合全く違う役割を果たすことができると思っています。男性管理者は果断でリスクをものともせずに企業が活力に溢れてもっとすばらしい発展が遂げられるかも知れません。それに対して女性の方は細心に注意してプロジェクトのどのところでも緻密に実行することを通してきっと企業が堅実にぜんしんできるかも知れません。女性は生来弱者と言う話は良く聞きますが、それは正しいかどうかはともかくとしてそう言われるとどうして弱者を大切にしないで不利な立場に置くのですか?

 男と女はそれぞれの社会分業が違うかも知れません。男は一日中仕事に集中して努力が全部数字で企業の利潤を転換することができるので彼達の価値は社会に認められました。反対に女の方はそのほかまた家事に従事して男と並べて社会への貢献度が低いように見えますが、実は彼女達が家庭のために数字で表せない頑張りそのものが社会に貢献するのではありませんか?可哀相なことに誰も意識しませんでした。ですから心を込めて女性を平等の待遇にするべきです。

 社会から見れば男女差別はいろいろな社会問題を引き起こしてきました。例えば今中国で男の子は女の子より多いです。つまり男性の一部分は独身生活をせざるをえません。それで社会は不安状態に陥ります。一方男女の比率不均衡が続くと子供の数は大幅に減る恐れがあります。その時労力が足りないというような社会問題がたくさん生じます。このような深刻な社会問題が根本から解決できないなら何もならないのです。根本というのは人々の思想即ち魂の深いところです。なぜかと言えば魂は体の中で支配的な地位を占めて行動を控えるからです。勿論法律や政策など通して女性の権利を保障するのはある程度に役に立つと思います。やはり心の中から女性を認めることは何よりも大事なことですから私達は思想を変えることにしましょう。

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

第一位

 

クラブの疑問

王天竹

遼寧大学

 

 私の大学では多くの学生活動倶楽部があります。たとえば、「大学の声」ラジオ放送部、魂楽訪バンドクラブ、新世紀英語倶楽部など、数々種類に分かれたクラブが180個。大学入学後、私も「中日友誼交流倶楽部」と言う倶楽部に参加しました。一年の間私は倶楽部の仲間と一緒に力を合わせ、自分の能力のかぎり頑張りました。「中日」クラブは見る見るうちに拡大して、校内の人気クラブになり、私も優秀な成績で、総会長に選ばれました。

 ところが、新学年が始まったばかりの事です。一週一回の例会で、「中日クラブ一周年のお祝いパーティーの提案」と書いたプリントが私の手もとに届けられました。みんな一年中ご苦労さまのお祝いです。これに対して私は疑問を持たずに考えずにいました。その直ぐあと、次のプリントを見て、私は驚きました。なんと、パーティーの予算が五千元になるのです!

 びっくりして、「これはなんに使うお金なの」っと私が聞くと、会員の答えはこうです「学校の大理堂に謝金を払うの。残りのお金は豪華な招待状とジュースやおやつを用意して、別のクラブのリーダーへ送ります。やっと一周年だから、派手にやらないと、別のクラブに笑われるから。」

 この答えを聞いて、私はしばらく黙り込みました。五千元、学生、いや大人に対してもなかなか出せない金額です。生活の貧しい学生にとっては一年分の生活費かもしれません。このお金をただ一回のクラブ活動の予算にするには、すこし多すぎるのではないでしょうか?

 私に対して、クラブは「志同道合」に人集まり、新しい友達を作ってお互いに学習し合う場所なのです。この考えは時代遅れな考え方かもしれません。でも、出発点は趣味が趣味である事は、時代がどう変わるにしても変化する可能性はありません。「趣味」こそがクラブの基点なのです。こうすると、お金と言う存在が余計になります。だが、現在の様に、ただ別のクラブにナメられたくない、クラブ聨合会に笑われたくない、会員に「本部は貧乏じゃないぞ」と証明するために大金を使い、背伸びした無理したお祝い会など必要と思いません。「校内スタークラブ」でなくても良い。お金がなくて貧乏でも良い。素直に自分の心に耳をかたむけて、本当にやりたいことをやりたい人と一緒にやる。これで十分です。これこそクラブの真の存在する意味なのです。

 人生は長いと言うけど、穢れのない友誼と安心して物を学ぶ時間はとても少ない。だから、せめて大学のクラブで友達と一緒に過ごすときは、面子を捨てて、誠の心で交流し、豊かな学校生活を過ごしたいと思います。金を稼ぐとか、名前を立つとか、このようなあくせくせず、大学生活はクラブを通して、交流を深め、充実した日々を送りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

第二位

 

小さな環境問題

(中国医科大学)

 

 私は大学に入学して3年になりました。高校時代は大学生活にとても憧れていました。家から離れて何でも自分の好きなようにできて素晴らしい自由の国の生活と想像していました。しかし、入学してからこの好奇心が消えてなくなってしまいました。毎日朝から晩まで授業があって一日の大半は教室で過ごさなければなりません。私は今教室の環境の悪さがとても気になります。私達はゴミを生産する工場みたいです。いつも教室のゴミ箱は山のようなゴミで溢れています。その上机の中も不要品がいっぱいで床の上もゴミだらけです。しかしだれも全然気にする様子もありません。もし自分の家だったらとても気になることです。

 この冬休み私は中学校へ行きました。窓から教室を見ると皆真剣な顔をして先生の話を聞いていました。先生は偶然にも私の恩師でした。先生にお願いして私も授業に参加しました。一番前の席に座った私はタイムマシンに乗って中学時代のことが次々思いだされとても懐かしい気持ちになりました。教室を見回すと机や椅子が整然と並び床にはゴミひとつなくピカピカしていました。

 中学校の生徒たちはきちんと教室の環境を守れるのに、私は大学生として教室をきれいにすることさえ出来ない。そう思うと恥かしくて顔が赤くなりました。

 ゴミが多いのは教室ばかりではありません。冬休みが終って学校に帰るためにバスに乗りました。その日は風がとても強い日でした。私はぼんやり外の風景を眺めていると遠くの木に白い花がさいているように見えましたが近づいてみると驚いたことにそれはビニール袋だったのでした。

 中国では買物をする時かならずビニール袋に入れてくれます。一人にとって一回わずか一枚と思いますが、全国では13億枚とたいへんな量のゴミになってしまいます。

 日本では今「エコバック」を使う人が増えているそうです。エコバックとは買物する人が家から持参する買物袋のことです。お店では使い捨てのビニール袋がもらえますが資源の節約やゴミの削減など環境を考えてビニール袋をもらわないようにしています。私達の日本人の先生も買物する時エコバックを持参するそうです。店の人にビニール袋が要らないといったら、店の人は驚いて「そんなこという人だれもいないよ」と不思議な顔をされたそうです。

 中国人は環境を守ることについてほとんどの人があまり意識していません。自分が実行しなくてもだれかほかの人がやってくれるだろうと安易に考えている人が多いです。だれか一人が努力したからといってすぐに変わることはありません。しかし皆の力が集まると大きな力になります。地球環境を守るのは皆の責任です。皆で一歩一歩前進して地球の環境を守ろうではありませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学Ⅱ部

第三位 

 

          幸福をつかもう

魏 暁峰

(瀋陽薬科大学)

 

 人生は数十年しかありません。この間、理想を追求し、自分の人生の価値を追及するとともに、あるものをさがし続けますーそれは幸福と呼ばれるものです。

 幸福とはいったい何でしょうか?この問いを多くの人々に投げかけても、ひとつの答えは得られません。人によって幸福を感じられる

尺度は違います。貧しい人にとって、衣食が足りることは幸福の一つです。政治家にとって、地位があがることは幸福の一つです。商人にとって、商売が繁盛することも幸福の一つでしょう。この世で、人はどんな役割を演じていても、一つの同じ願望をもっています。それは幸福をつかみたいということです。

 幸福をつかんだら、空はどんなに高く青く、虹がどんなに華やかなものな気づけます。

 幸福をつかんだら、友情はどんなに得がたく、愛情はどんなに満ちたりものであるか実感できるでしょう。

 しかし、私達の耳のそばに去来している声は幸福についての褒美ではなく、ただ自分の不幸についての怨みごとばかりです。幸福は本当にそんなに遠い所にあるのでしょうか。

 ここに幸福についてのある物語があります。昔、ある国の国王はいつも憂え悲しんでいました。ある日彼は国の中でもっとも幸福な人を見てみたいと思いました。探して、探して、ついに一番幸福な人だと自称した人を見つけました。しかし、この人は一枚のまともな服でさえもっていない乞食でした。どうして、この乞食は一番幸せなのでしょうか。考えてみると、たとえ貧乏しても、この乞食は仕事が多忙を極めることもなく、権力争いをする必要もなく、太陽にあたりながら、歌を歌って、のんびりと気楽に暮らしています。これも幸福の一つではないですか。

 実は幸福はいつも私達の身の回りにあります。簡単に捉まえることができます。夕日の下、髪がすっかり白くなった夫婦は道をゆっくりあるいて、いっしょに昔の楽しいことを思い出して、これは幸福です。除夜の晩、家族全員で机を囲んで、餃子を食べて、これも幸福です。でも幸福はいたずらな子どものように、いつも私たちとかくれんぼをしています。よく気をつけなければ、彼女を見つけることができません。

 それではどうすれば幸福をみつけられるのでしょうか。われわれの身の回りに小さな幸福と不幸が存在します。心から回りの人や物のいいところを見つけたい、賛美したいという気持ちを持っていれば、幸福はそこにあります。しかし、いつも回りの人や物の悪いところばかり見て、不満ばかりもっていたら、気がつかない間に、自分は不幸な人になっています。たとえば、人々はお互いにいい所が見えるので、友達になり、友情が生まれます。しかし、時間がたつと、友達の悪い所が見えて来ます。この時、いつもその悪いところを見て、いい所が全然見えなくなってしまうと、しまいに友情を失います。そして友情から得られたはずの幸福も河の水の流れのように流れて行って、二度ともどって来ません。日の下で立つ時、太陽に向かって立てば、光に溢れた世界が見えます。しかし、太陽を背にして立てば、見えるのは暗い自分の影です。

 みなさん、太陽に向かって立ちましょう。生活の光の中で、自分の幸福をつかんでいきましょう。

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

日本のアニメと漫画について

尹立

(瀋陽建築大学)

 

 中国の若者は日本の文化と言えば、どんなイメージを持っているでしょうか。まず、アニメや漫画などだと考える人が多いでしょう。これは外国の友人がわが国の武術を好きなのと同じでしょう。

 私は日本のアニメや漫画などを見て成長してきたので、小さい時に見ていた《セーラームーン》や《ドラえもん》や《ドラゴンボール》などの作品をまだしっかり覚えています。作品の精巧で美しい映像や、面白いストーリーや個性あふれる主人公達はすべて私の心の中に深く残っています。特に《セーラームーン》の中の主人公、月野うさぎは個性がとても強く、よく泣く女子学生です。しかし、月の力で変身して正義の戦士になることができます。そして、月の戦士は悪魔と勇敢に戦います。月野うさぎの変身の動作とせりふは私達の中で流行しました。彼女の勇敢さは善良で、かわいく、私は依然として彼女が大好きです。アニメと漫画は私の少年時代にきらきらと美しい一筆を添えていました。

 私がゆっくりと成長するにつれて、アニメと漫画がますます好きになっていきました。多くの作品を通じて、私は側面から日本の文化や歴史や風俗や人々の生活の習わしなど日本人の積極的に上を向いて、ずっと必死に頑張る精神の世界を知りました。アニメと漫画が趣味になってから知識も広がって、私の生活は豊かになりました。アニメと漫画は私の生活の一部になってきたと言えます。

 今のところ、アニメと漫画はもう子供だけのものではありません。それはすでに一種の芸術の形式として、私達のような20代の若者の中にも流行しているからです。一人の20代の人がアニメと漫画を見ても人々に笑われることはありません。人々は漫画の主人公のおもちゃを持ったり、流行しているアニメと漫画の歌を歌ったり、アニメと漫画のテーマソングを聴いたり、生活の中には至る所にかわいいアニメと漫画の作品のイメージが見られます。私はこれらのことは日本のアニメと漫画の作品が中国人の私達にとっても、大きな影響を与えているのだと思います。これはすでに一種の外来文化として、ファッションとして、広く流行しています。みんなはいっしょに好きな日本の漫画家を討論して、好きな日本のアニメと漫画の作品は私達の生活の一部分になっています。私達の生活にロマンチックな空気が満ちています。

 アニメと漫画を見て、日本の印象は変りました。日本はおもしろい国だと思いました。そして日本人は熱心でまじめだと思いました。日本のアニメと漫画を見ていなかったら日本の印象は違うと思います。アニメを見たから日本へ行きたいと思うようになりました。北海道の雪祭や上野の桜を見たいと思います。日本料理にも興味を持ちました。アニメと漫画で中日の友好がもっと良くなりました。私は中日友好のために努力しています。日本語を勉強して、日本を理解し、中国人に伝えたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

別れの駅

宝琴

(瀋陽農業大学)

 

 明るい星が見える夜、キャンパスの並木道を独りで散歩する度に遠い地方で暮している両親を思い出します。田舎から離れてもう2年になりました。たくさんの時間を学校で過ごしました。寝静まった時、いつも故郷を思い出します。深く懐かしい気持ち、名残惜しい気持ちがします。この記憶の深い所にまだ別れの駅があります。

 2006年6月大学入学試験に通ったという知らせをもらいました。その知らせをもらった日は私の一生で最も忘れ難い時になりました。最も嬉しかったのは両親です。両親のあのような嬉しい顔を長い時間見たことはありませんでした。その日、父がお酒を飲みすぎて、微笑んで涙を流しました。

 入学する日は、いよいよ近づいてきました。

 その前の夜、つまり2006年9月9日午前1時のことです。ご飯を食べた私と父は包みを持って家を出ました。乱れている心は針でさされたようです。全身の力を尽くして、気持ちを変えて祖母に、「行ってきます、おばあさん、どうぞお体を大事に」と言って、ほかに何も言わないで足を踏み出して家を出て行きました。まだ暗い夜は私の顔を覆って、涙がぽろぽろと流れていました。言葉では言うことができない複雑な感情でした。

 駅に着きました。

 荷物を車の後ろに置いて、父と一緒に乗っていました。車の外にいる母は私に対して微笑んで、痛みの心の気持ちは増していました。しかし母の気持ちはよく分かりました。きっと娘の心より更に痛いかもしれないと思いました。このような感情を流し出すことができなくて、娘に見られることを望まなくて、娘を悲しませる姿を見られたくないからです。私は力を尽くして泣き止んで静かに車の中に座ってぼんやり窓の外を見ました。それにわざわざ準備した眼鏡をかけて涙を隠しました。父は私の隣に座って、ずっと話しませんでした。父は私が一番好きで、こんなに遠い所へ行く私が心配でならなかったと思います。しかし仕方がないし、娘はいつか家を離れるものだと思います。

 車は出発しました。ゆっくり、ゆっくり。

 故郷の月はとても明るかったですが、どうしても私の気持ちを引きつけられませんでした。車がゆっくりと走っています。突然車が止まりました。何が発生したのか分かりませんでした。私がはっとした時、車のドアはすでに開きました。弟でした。彼を見ると涙がぐっと流れてきました。彼はただ微笑んで「お姉さん、これをあげよう!大学に到着した時いつか私に手紙を書くことを忘れてはいけません」といいました。弟の前でついに泣くことを我慢できませんでした。私が車の中から母を見た時両手で目をこすっているのが見えました。自分の席に戻って、弟がくれた便箋を開けてみると、「お姉さん、私は涙を流さないのではなくて、私が泣く様子を見られたくないのです。私もお姉さんが行ってしまうのは寂しい。しかし両親は私より更にお姉さんが行ってしまうのを寂しがっているにちがいないから、私は泣かない」と書いてありませいた。涙が止まらない気持ちになりました。

 その便箋を今でも持っています。まだ記憶の深い所の別れの駅も覚えています。忘れ難い心の駅になりました。

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

あることが私を成長させた

瀋陽農業大学

 

 私の親は私のことをずっと子供だと思っていました。私の生活は健やかで楽しく、問題がなくて私の仕事はまじめに勉強して成長するだけです。複雑な社会は私にとってはるかに遠い世界のようです。大きくなったらどんな感じがしますか。大人の世界はどんな感じですか。大人の世界はどんな様子ですか。このような問題を私はかつて考えたことがありません。

 しかし、もともと次のようなことがあって成長することを学びたいと思ってはじめました。

 去年の冬休みのある夜、私はコーヒーを味わいながらコンピューターで歌を捜していました。生活はいつも通り静かで素晴らしかったです。親は部屋の中で気楽に話し合っていました。小さいことだけですがいい感じでした。でも雰囲気が悪くなりました。

 最初は親は無造作に言い争っていただけで私はおかしいと思いました。大人も子供のようで、小さい事で突然顔色を変えて怒りだしました。しかし思いがけないことに親が論争すれば論争するほど雰囲気がひどくなりました。とうとう「離婚」ともっとも聞きたくない文字を二人は言ってしまいました。

 その夜、私はどうしても眠れませんでした。心の中では、さまざまな考えでもつれづけていました。まさにこの前の幸せな生活は偽りではありませんか。親が離婚すれば、私はどうしますか。本当に分かりません。

 翌日の朝、私は早く起きました。ドアを通して母の涙をぬぐう姿が見えました。そして、父のはっきりしないため息が聞こえました。私は非常に悲しかったです。

 そして、私はおばの家に行きました。彼女は私にとって仲間のようにごく親しい人です。私は困惑していたことを全ておばに話しました。おばは私の話を聞いて、悲しそうに涙を流しました。私たちは長い時間話し合っていました。自分がもうわがままである子供ではないことを意識して、家庭の一人として、家庭のために全力を尽くすべきだと思いました。

 その日の午後、私は家に帰ってから、親が退勤する前に、晩御飯を準備してしまいました。簡単なおかずでしたが私の一生懸命に作った気持ちが入りました。私は親にはじめて心の中をぶちまけました。私は誰とも離れたくなくて完全無欠で幸せな家庭がほしいと言いました。母は私の話を聞いて、涙ぐんでいました。なんと、両親は論争したことをもう後悔しました。仕事の圧力が大変だから機嫌がまとまらなくなって、互いに傷つけてしまいました。母は喜び安心して、「ぽっちゃんが大きくなったよ」と言いました。

 ほんとうに私は大人になりました。私はもう子供ではなくて両親の大きくなった娘です。私は早く成長して親の圧力を分担したいと思っていました。

 成長した私はまた以前のように明るくなりました。家庭の責任は私を圧倒するわけにはいきません。このようなことが相反して、私はもっと高くて遠い目標に近づけています。

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

愛の道を進みたい

(瀋陽薬科大学)

 

 人で混雑している道の傍らに、ある、服がぼろぼろで苦しそうな人が地面に跪いています。壊れた箱を前に置いて、それに、私に情けをかけようといわんばかりに頭をひっきりなしに地につけておじぎをしています。ものもらいの人です。

 そんな、見るだけで人が憐れを誘われずにいられない情景は、皆さんはよく知っていると思います。それを見た時、皆さんはどう思ったのでしょうか。その苦しそうな人を憐れんでお金を出しましたか。または彼の行為をただの見せ掛けと思ってすぐに立ち去ったのでしょうか。その決定は難しかったのではないでしょうか。

 かつては、私も迷惑に感じました。なぜなら、この賑やかな都市にはその情景に似た場面が何だか多すぎるからです。街に出れば、苦しそうにお金を求めている人がたくさん目につきます。両手とも失った人もいれば、死病を患って高い医療費を払えない人もいます。この大都市に来たばかりの時、私はいつもできるだけお金を出してそれらの苦しそうな人を助けていたものでした。しかし、不可解なことには、それをした後、称賛されるどころか、「ばかな事をするな。」と友達に言われました。私は次第に疑い始めました。自分が騙されやすすぎるのでしょうか、間違ったのでしょうか。いろいろ考えてみると、どうも人の同情を利用して働きもせずにお金を得ようとする人がいっぱいいるらしい。もしそれらの人一人一人にお金を出したら、私の学生としての不充分な生活費も足りなくなる恐れがあります。

 ところが、そんな情景を見ると、心がほんとうに痛いのです。何かをしたいです。いったいどうしたらいいか、と私は何度も考えたのに、いい方法が見つかりませんでした。

 ある日、私は自分の困惑を先生に話しました。「いいじゃないか。お金を出して、困っている人を助けて、唐さんはきっと嬉しく感じるでしょう。それなら、自分が思った道を進めたらいい。騙されても、心が満足でやりがいがありますよ。」と微笑んでおっしゃいました。一瞬、私は何も言えませんでした。心の中に光が見えるようになりました。私は自分の進みたい道が分かりました。

 世界は愛があるからこそ美しいです。私はこの世界がもっと美しくなることを願っています。だから、いつでも、援助を必要とする人を助けたいと思います。自分の努力ではどうにもならない人、たとえば身体が不自由に生まれた人、貧しいために学業が続けられない人などがいつもこの世に存在しています。人の同情を利用してお金を得ようとする人は卑劣ですが、確かに不幸な人を助けるのは一番重要なことです。これから、私はがんばります。倹約したり、ボランティアをしたりして、困っている人を助けたいです。それに、将来はもっとたくさんの困っている人を助ける事ができるように、私はいっしょうけんめいに勉強していくつもりです。

 誰でも少しの愛を捧げさえすれば、世界は必ずもっと美しくなります。私はずっとそう信じています。だから、皆さん、愛の要る所にためらわずに皆さんの余っているお金を少し、余っている時間を少し、余っている力を少し捧げてください。皆さんの愛の手を差し伸べてください。

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

今年最初の雪

刘鑫

(瀋陽薬科大学)

 

 大学一年のあの日の夕方にように、僕は自習室から出て来た時、外の世界はもう真っ白でした。

「ああ、雪」。これは今年最初の雪でしょう。僕は降り積もる雪を踏みながら、頭をすこし仰ぎます。そして、雪が僕の顔に舞い落ちてきます。すべては三年間のあの日にどんなに似ていることでしょうか。これは歴史の再演なのでしょうか。

 この三年間、僕は迷うことがありました。新しい環境におかれた僕にとって、何の頼るものもありません。大学の数年間、僕は何をすればいいのでしょうか、どのようにすればいいのでしょうか。そして、卒業の後、どこに行けばいいのでしょうか。就職するのか、大学院に入るのか。それは僕には分からないことです。僕の前には、先の分からない人生が、茫漠とした時間が、どうしようもなく横たわっています。僕はただこの長い道を辿らなくてはなりません。転がったら、立ち上がります。間もなくまた転がってしまうでしょう。

 この三年間、僕は悲観的な気分でした。社会は多くの不平等問題があります。たとえ自分が一生懸命追求するものがあっても、最後に他の人が何もしないで手に入れることがあります。管理者の道理のない制約のもとで自分の本心と違うことを黙々としてたくさんさせられます。不利な親の階層が自分の学習するチャンスにさしつかえることもあります。僕たちはこのように運命に支配されています。希望はいつの間にかとてももろいものとなります。

 でも今、僕をとらえたその漠然とした気分、その悲観的な気分は顔に舞い落ちた雪の花とともに、やがて緩やかにとけました。あとには一面の静かで純潔な世界だけが残っています。

 人生は雪のようです。最後には消えてしまいます。でも、雪の花は天気が悪ければ悪いほど、そして寒風が身を切るように冷たければ冷たいほど美しいものです。だから、宿命はどんなに残酷でも、行く手はどんなに険しくても、僕は戦い続けなければなりません、そして戦うのみです。勉強は退屈だし、勉強はつらいです。それは当たり前のことです。酷暑の中で机の上に本を開くことや、厳冬の中、氷のように寒い風の中を自習室へ歩くことです。しかし、努力なくして、収穫は絶対にありえません。

 僕は身に付く雪の花を拭い落とします。足取りはしっかりとなります。僕は自分が不可能を可能にする男だと固く信じるからです。

 みなさん、未来のために、きらびやかな人生のために、燃え上がりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

就職しにくい女子大学生

李 昕

(瀋陽薬科大学)

 

 最近、こんなに驚いたことといったらありません。同じ大学のL先輩の話しでした。女子大学生のLさんは去年から何回も製薬会社の採用公募会に参加して、たくさんの就職志望書を手渡しました。待って待って待ちつづけて、会社の方からの返事はありませんでした。それにひきかえ、同期の男子学生は、何人かが採用されました。

 同じ条件のもとでなぜ会社は男性を優先採用するのか、それを聞いた私は戸惑いを受けましたが、「ここ数年、女子大生の就職難はますます深刻な社会問題になっている」という記事をネットのニュースで目にしました。そして世論調査の結果によりますと、「女子大生が仕事を探す時、一番大きなカベは採用会社の性差別だ」という意見を持つ女子大生が65%と半分以上に達しているそうです。製薬会社のみならず、女性の制限を一つの採用基準として提示する会社は少なくないそうです。

 こうした実態の主な原因を考えてみましょう。まず、社会の変化で女性の社会進出が顕著になり、男女共稼ぎの家族形態が形成されていますが、伝統的な考え方の影響で「男は仕事、女は家事と育児」という役割分担を思い込んでいる人はまだ大きな存在です。次に採用会社それぞれの利益心理があります。特に産休が会社の経済利益に対して支障をきたすことです。会社は法律に基づいて、   産休を取る女子社員の福祉待遇を図らなければなりません。会社にとっては経済的負担が重くなります。そしてともすれば、就職の差別につながりがちです。

 こうした古い観念を一気に改めることはいささか無理ではないのでしょうか。女性も古い束縛をのがれ、自由に職業を選べることを望み、女性らしく生きていきたいのは事実です。会社の言い分がわかったといっても、心から納得できるわけでもありません。

 私たち女子大生は今の厳しい現状に直面して、自らの未来の道へいったい何をすべきでしょうか。

 たとえ私たちの周りの社会環境を変えられなくても、女子大生の自分自身の能力を高めるよう精一杯努力し、この競争社会にむき合いましょう。もう一つは、私たち学生は製薬会社など単一の職業にこだわりすぎず、学校には就職のガイドにかかわる授業を設置する必要もあると思います。女子大生がもっと視野を広げれば、もっと幅広い選択ができるかもしれません。世界にはいろいろな道があふれていることを信じ、そしてあっさりとあきらめないようにしましょう。

 要するに、われわれを取り巻く世界は男女の支えあいでなければ成り立たないものなのです。勇気を出して、こらから新しい一歩を踏み出しましょう。私たち学生がみんな自分なりの仕事を探せるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

「阿信」から 見られた平和

曾 妮

(瀋陽薬科大学)

 

 「阿信」という人がよく40代の人の話しに出てきますが、1984年ごろ世界的に人々は「阿信」というドラマに心を打たれたそうです。私は1986年に生まれました。阿信のことはよく知りませんでした。いったい阿信の魅力はどこにあるのでしょうか。その疑問を持って冬休みに「阿信」の本を読みました。

 感想が一杯で、何となく阿信は私たちの傍らにいるような気がしました。子供のころからずっと頑張ってきて、我慢して、どんな目に遭っても落ち込まないで、阿信は立派な女性です。でも、私にもっと強い印象を与えたのは次の点です。

 まずは、阿信は子供のころ、家が貧乏で貧乏で、両親と兄が一生懸命働いても姉たちも家を出て苦労をしなければなりませんでした。7歳の阿信もそうするしかありませんでした。私はおもわず涙を流しました。そして、中国の昔の物語を思い出しました。多分封建社会というのはどこでも同じでしょう。農民が毎日毎日畑で働いても大根めしさえ腹一杯食べることができません。古い中国にも阿信のような家族は少なくありませんでした。だから、40代以上の人は若者より阿信の苦しみを理解できるのだと思います。

 それに、阿信の旦那さんが戦争に責任を感じたために自殺したことに驚きました。戦争のせいで、多くの人が家族を失ったり家もなくしたりして多くの物をなくしました。中国も長年の戦争を経験しました。世界中にも戦争に苦しんだ国は一杯あります。阿信の本の中の戦争に関する場面が目に浮かんできます。まるで阿信は隣にいるような感じがします。

 もう一つは、阿信がえ立派な業績を収めることができたのは正確のおかげだと思います。小さいころから母親、俊作というお兄さん、加賀屋のおばあさんにいろいろ教えてもらって、阿信は感謝の気持ちを持って学んできました。苦労してもどんな目に遭っても自分を信じて生きていきます。中国には「阿信」のドラマを見たのをきっかけとして真剣に暮らしてきた人は少なくないそうです。やっぱり、感動という気持ちには国境がありません。

 私、日本語を習って以来三年が経ちました。いい先生に出会った私は幸せだと思います。いろんなことを教えてもらって、いろんな人に合って、日本の文化に夢中になりました。「文化を架け橋として平和を図る。」ある人はそう言ったことがあります。阿信のように、封建社会とか戦争とかそれらの苦しみを体験した人はきっと現在の平和が羨ましくてたまらないでしょう。だからこそ、私たちは平和を大切にしなければなりません。このように、文化のおけげで、年齢や場所が違うけれども、知らない人が共感を持ってお互いに理解できるというのは素晴らしいことです。同じ苦しみを体験したからこそ、相手の立場に立って考えることができます。

 この間、中国ではまた「阿信」のドラマを放送しました。やはり人気があります。きっと、私と同じように阿信のことが大好きで、阿信を通じて中国の昔を思い出した人も多いと思います。

 私、「阿信」から平和の望みを見ました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

紳士の競争

王中琴

(中国薬科大学)

 

 昔、孔子の孫の孔融は子供の頃自分から他の兄弟に梨を譲りました。でも、今、世の中は譲ること段々少なくなっています。そのかわり、試合や競技などの競争が増えています。私と弟も例外ではありません。

 私は冬休みで家にいた時、昼から夜まで弟と一緒にテレビを見ていました。でも、弟はアニメーションが好きですが、私は好きではありません。しかし、テレビは一つしかありませんでした。幸いに《火影忍者》がありました。アニメーションで、日本語の番組です。二人とも大好きです。でも、これも大きな問題になってしまいました。私は日本語を練習するために、字幕を消したいのです。しかし、そうすると、弟が全然聞きとれません。すると、弟は競争で決定権を争おうと提案しました。弟が中国語で五つの文を言って、もし私が全部通訳できれば、私の勝ち、反対は弟の勝ちだというルールを作りました。私は弟に負けるわけがないと思いましたから、賛成しました。

 競争の最初に、弟は「人外有人、天外有天」と言いました。簡単なので、私はすぐ日本語で「うえにはうえがあると」訳しました。また弟はすぐ「有能使鬼推磨」と言いました。これは難しかったけれど、ちょっと考えたら、日本語のことわざにありました。それは「地獄の沙汰も金次第」このようにして、四回とも勝負がつきませんでした。最後に、弟はこともあろうに、歌を歌い始めました。「在那遥的地方,有位好姑娘」私は歌を歌うことが苦手です。その上、日本語で歌わなければならないので、結局は負けて、決定権を失ってしまいました。

 私は心から弟に降伏したわけではないけれど、紳士の競争だったと思います。なぜなら、始めから終りまで、たとえ負けても、決められたル-ルを守ったからです。今の社会はめざましく発展しています。それにつれて、競争も激しくなりました。だから、私はルールを守ることが一番大切だと思います。

 人々はお金や地位などを手に入れるために競争したりします。そのため、法律が必要となります。もし皆も法律というルールを守らなければ、交通事故や犯罪などを招く恐れがあります。または全世界の国と国は自国の経済発展を進めるために、土地や有限な資源などをますます激しく争うようになります。だから、各国が互いの約束を守って、第二次世界大戦のような情況をおこさないようにしなければなりません。更に、人類と自然の間にもきっとルールがあります。もし人類が自然の規律を破ったなら、発展せず、人類自身も亡びてしまうでしょう。

 ルールとは利益の争いを避けて、すべての人間が幸せになるために、相談して、作ったものということです。あるいは自然と共存するために守らなければならないものということです。もちろん、人間が作るルールは完璧ではありません。だから、もし何かぶつかり合いがあったら、争う前に、先ず作ったルールを守りながら、また相談して、新しいルールを作りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

人生の「テント」

赵帅

瀋陽薬科大学

 

 皆さんは次のような冗談を知っていますか?広漠たる砂漠で、大探偵ホームズは眠りが浅くて目が覚めました。このような名探偵でも算段が狂うときもあるのです。彼はそばに寝ているワトスン助手を呼び起こしました。「どうしたの?何を見たの?」と聞きました。「空いっぱい星なのよ」とワトスンは答えました。そして「一つ、二つ、三つ、四つ、空の星はなんと美しいのだろう」と感嘆しました。ホームズは怒って、「何を言っているの、君!われわれが寝ていたテントが盗まれたんじゃないの!」と言いました。

 これは実に面白い冗談です。私は何回読んでも笑ってしまいます。

 「ホームズさえテントを盗まれてしまうのだから普通の人はテントをなくす事態をどう避けられるのか」と私はいつも思います。もちろんテントは泥棒を防ぐことはできず、狼の群れ防ぐこともできません。風や、星、露の雫などを遮るだけです。一種類の物の存在は必ずしも何の役にも立たないのは当然のことです。「テントをなくしたらどうするのか」これは肝心要のところです。この冗談には二つの考え方が現われています。ホームズは泥棒を逮捕することを第一に考えています。ワトスンはその瞬間にまったくテントのことは忘れてしまって、彼の関心は星だけになってしまったのです。

 一生をかけて自分の「テント」を探す人は多いです。目が覚めて自分の「テント」をなくす人も多いです。人生には永遠にはかり知れないものがあります。

 父はある私営企業に財務の責任者として働く友達がありました。彼は業務に精通するばかりではなく、誠実な人でした。ある日、不法のボスは彼に帳簿を偽造させようとし、彼は拒否しました。あくる日、彼は首になりました。別荘、車、生命保険や定年退職手当てなど、全部は一夜にしてボスに押さえられました。彼はすべてを失ってしまったのです。

 いま顧みると、失ったのは単なる「テント」に過ぎません。彼はその後一層ふさわしい仕事を探したからです。一方あのずるいボスと新しい責任者は帳簿を偽造し、税金をごまかしたあげく、余生を牢屋で過ごさなければなりませんでした。しかし、彼は幸いあの「テント」なくしたために牢屋の中に入らずにすんだのです。

 人間は「テント」のある生活に慣れてしまいます。「テント」があれば安心感があります。これは人間の普通の考え方です。人生の「テント」は財産、職業、固定収入、社交関係など日常生活の自分を守る非常に重要な物です。しかし、なくして初めて、本当にすばらしいものはその「テント」に遮られていて、意外なところにあったことに気付くのです。「テント」をなくして初めて、空いっぱいの輝く星に感嘆したワトスンのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

生きていくこと

楠楠

(中国医科大学)

 

 私は医科大学の学生です。現在病院で臨床実習しています。今までいろいろな患者を見てきました。彼らが生まれること、老いること、病むこと、死ぬことを実際に毎日自分の目で見たり、耳で聞いたりしています。そんな日々の中である日私は一人の十六歳の女の子に心を打たれ、感動させられました。一人の医学生としてだけではなく、一人の人間としても強く感銘を受けました。

 それは、ある日産婦人科の病棟に十六歳の女の子が入院してきました。いろいろな検査の結果、卵巣癌という恐ろしい診断が下されました。彼女の両親は診断を聞いた途端に「うちの娘はまだ高校生なのよ!どうしてこんな病気にかかるの。これからどうすればいいの!」と泣き崩れました。

 彼女は悲しそうな表情をしてだまってうつむいていました。しかし、しばらくすると「お母さん、私は頑張る、きっとよくなる、病気が治ったら学校に戻って勉強したい」とお母さんのことを気づかっていました。それから数日後手術を受けました。

 手術後彼女の体はいくつもの管がとおり、顔には酸素マスクをして苦しそうに呼吸をしていました。こんな状態になった彼女を見ていると私は思わず涙ぐんでしまいました。彼女のベッドの前には一枚の紙が貼ってありました。そこには「面死神,永不放弃!」「死神がすぐ迎えに来ても諦めないでがんばろう。」と書いてありました。

 彼女はその後苦しくて辛い治療を受けていました。私は時間がある時、彼女のベッドに行きました。「気分はどうですか」と私が声をかけると「手術して気分が良くなりました。必ず元気になります。」とはっきりした声で答えました。彼女は十六歳という年齢で、こんなに重い病気にかかっていても前向きに生きているのです。

 病魔にもがき苦しんでいる彼女に比べて健全な肉体を持つ私達は生命を大切にしているでしょうか。勉強、仕事、愛情そしてお金などはすべて生命という土台がある上で初めて成り立つものです。

 中国で最近生命を軽く考えて自殺をする人が増えています。生命は一生にただ一つの重いものです。もっと大切に考えなければなりません。

 私は病院実習をするようになってたくさんの病に苦しむ人がいることに驚きました。十六歳の女の子は癌の発見が遅くすでに手遅れでした。小さな生命は遠からず消えてしまいます。私はそのことを聞いた時女の子のやさしい顔と両親の悲しい顔を思い出し涙が止まりませんでした。この少女との出会いがあって人間の生命の重さについて深く考えるようになりました。私は実習を始めたばかりです。これからずっといろいろな勉強を続けて、将来は病気に苦しむたくさんの人を助ける立派な医者になりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

いい思い出

南海天

中国医科大学

 

 時間というものは一体なんでしょうか。休みの日々はまるで夢か幻のように終わってしまいました。私は今学校へ帰る途中です。汽車の窓から外の風景を見ると、四五人の農夫が夕闇の中に玉蜀○を刈り入れています。過ぎ行く時の経過を押し止めたいと思うと、頭に残るのは、思い出だけです。

 ここ数年いろいろな出来事は、私にとって、子供のころに読んだ孔子の「子曰く」の漢詩と同様ほとんど記憶に残っていません。ただ一つのことだけが、私に心の奥深い所に隠れて、触れられたら、ひっそりと穏やかに咲いた金色の花みたいに、私の心を照り輝やかせ、雑念を追い払い、純粋な幸福に誘い込ませるのです。いい思い出というのは、こういう感じかもしれません。

 二〇〇六年、風薫る四月の下旬、校庭は春たけなわで、サッカーの試合の活気で満ちていました。一年生の私は日本語クラスの先輩と一緒に戦えるので、大喜びでした。チーム全員が集まって相手チームを分析し、詳しい戦術を制定し、朝から晩まで猛練習をしたり、決勝戦の準備をしました。あの頃は私は授業中によく気が散ることがありました。サッカーのことが頭から離れませんでした。

 決勝戦の前夜雨が降りましたが、当日雨も止み、運動場は日差しを受けて、軟らかな土の匂いが漂っていました。新緑の目に染みる運動場、燕は平行棒の上に飛び回っていました。トラックに芽を出したばかりの芝生は、恥ずかしそうな女学生のように、静かに私たちを見つめていました。太陽の輝く青空の下で、決勝戦が始まりました。最初、私たちは相手の強い攻撃に抑えられて、彼らのキックがゴールに飛び込んでしまいました。私たちはショックを受けました。慌てて攻撃しましたが、相手は強すぎて、今まで経験していない防御でした。しかし、決してあきらめないで、みんなで気分を整えて、互いに励まして、戦い続けました。後半には私たち落ち着いて戦略を立て直して、反撃を始めました。相手のゴールキーパーは私たちがキックしたボールをゴールラインの外に打ってしまいました。技術の最もうまい先輩が蹴ったコーナーキックは直接ゴールに入りました!そして全力を尽くして、チャンスを掴み続けて二回ゴールインして、2対1の得点で勝ちました。私たちはチャンピオンでした。

 日本語クラスチームは強い実力を備えていたので、初回戦から決勝戦まで、苦しいときもありましたが、一生懸命に戦いましたので、順調に勝つことができました。チームメンバーは一緒に生活しているうちに互いに助け合い、真の友情が生まれてきました。皆で取り囲んで優勝カップを上げて飛び上がって喜んだとき、私は、青春に与えられた大切なプレゼントは自由自在に走られることだと思いました。運動するのは、勉強のストレスを発散するばかりではありませんし、チームメンバーの友情はなにものにも変えられない大切なものです。私はこの友情を一生大切にしたいと思います。

 汽車はだんだん瀋陽に近付いて、外の景色は夕闇の中に消えてしまいました。このいい思い出だけが、まるで昨日のことのように、鮮やかに思い出され、幸せな時間でした。これからもサッカーに打ち込んで、またいい思い出を作りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

大学生Ⅱ部

入選

 

もっと美しい友好の桜を

秦莉莉

遼寧医学院

 

 私の古里は大連の旅順です。旅順は美しい港の町です。毎年春になると『桜の旅』の活動が行われています。

 春はうれしい季節です。空には明るい太陽が輝き、人々はぽかぽかと暖かいその光に包まれ和やかな気分になり、胸は季節感でいっぱいです。

 ある日、私は友達と一緒に公園へ桜を見に行きました。「桜はきれいだな」と感じました。友達によるとこれらの桜は中国のここだけにあると言いました。日本は中国に贈りました。桜は中国に根をおろしました。これは中日友好のシンボルです。

 公園に桜を見る人が大勢いました。ふと私たちは二人の大学生のような人を見ました。二人は公園のゴミをきちんと整理していました。二人はまじめに掃除して、小さなゴミは全て見逃さないのです。私は近付いて、二人に話し掛けました。「你好」と言ったら彼らはびっくりしたように、すぐに「こんにちは」と言いました。一人の学生は「私たちは日本の大学生です。修学旅行で中国に来ました。ちょうど『桜の旅』の活動に当たって、公園はきれいですが、ゴミがあり、自分の力で公園をもっときれいにし、桜をさらに神聖で純潔にしたのです。桜は中日友好のシンボルだからです。」と言いました。そして私たちは話し合いました。彼らの一人は「学校の歴史の授業で日中戦争について習いました。日本軍は本当にひどいことをしたと思いました。日本人は中国であまりいいイメージを持たれていないのではないかと思っていました。」と言いました。私は「日本軍は中国を侵略したが、日本人民と日本軍国主義者を区別しなければならないと歴史の先生が教えてくれました。」と言いました。彼は「あなたの話を聞いたら、安心しました。私たちは日中両国が平和で友好関係が続くように少しでも力を尽くしたいのです。平和が重要なことです。戦争というのは人間を幸せにすることは何もなく、不幸にするだけです。一度戦争が起きると、その時代に生まれた人もその後に生まれてきた人達もの心まで悲しみや痛みをもたらします。人の命は重要なものです。戦争によって無関係な人達まで犠牲になってしまします。命を大切にしつつ、他人の命も自分の命と同様に大切にしてあげなければならないのです。」と言いました。「そうなのよ。戦争で罪のない人まで被害にあうということです。たとえ生き残れたとしても、家族や友人、大切な人を失うことになるかもしれません。そんなことはかわいそうですね。」と私は言いました。

 この会話を通じて、私の心に深くしみました。戦争のない平和な環境が一番重要です。「今から、私たちは日中両国が平和で友好関係が続くように、自分の力を尽くそうと思っています。全ては今後の努力にかかっています。中日両国人民が子孫まで友好を続けるように祈っています」と私は言いました。

 中日友好の桜がもっとも煌びやかで美しい花を開くように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の部

第一位

 

ホームステイからできた友情

曲芳瑶

(東北育才外国語学校)

 

 2006年の秋、私は中国高校生代表団の一員として日本を訪れました。たった一週間でしたが、ホームステイを2回もしました。本当に楽しかったです。もう一年前のことだったにもかかわらず、今にも心の底に記憶がはっきりとよみがえってきます。

 訪問先は愛媛県でした。愛媛は人がとてもやさしいそうです。幸いなことに私は愛媛県にある上田家という家でホームステイをすることになりました。上田家は家族5人で両親と子供3人で、伝統的な家に住んでいました。短いホームステイで家族のみんなから親切に暖かく迎えられ、民間人同士の真の友情を味わえました。

 上田さんの家に行って始めに目に入ったのは机の上に置いてあったその厚い資料でした。好奇心が強い私は二、三ページめくってびっくりしました。全部中国語の会話や文化紹介などの本です。また紙いっぱいに手書きの小さな字がびっしりと書いてあります。それだけではなく、ひらがなで読み方もつけてありました。私はとても興味深く尋ねると、それは私のために買った本だったのです。〝私のためにそこまで準備してくれたのか。"と心から感動しました。そして、皆のやさしさにも、心から感謝したいです。プリクラが面白かったです。中国のプリクラと違いがありますから、由香ちゃんは細かいことまでも詳しく説明してくれました。そんなやさしい女の子と遊んでいると嬉しかったです。そして、皆で「坊ちゃん」と言う列車の前で写真を撮りました。"中国の姉ちゃん、夏目漱石さんを知っていますか。"とまさきくんは聞きました。"はい、「我輩は猫である」と言う本の作者でしょう。""はい、実は「坊ちゃん」と言う本もありますよ。"そう言った彼の顔を見ると、小学生らしい無邪気でかわいい弟でした。兄のこうじくんも、いろいろ説明してくれました。そのあとで、私たち四人でいろいろ遊んだり、ショッピングもしました。段段優しくなって、私も思わず家族の一員のように"お兄ちゃん、由香ちゃん、まさきちゃん"と呼んで、また彼たちも私のこと"瑶ちゃん"と家族として受け入れてくれました。お父さんとお母さんが心配で玄関で待っていました。お父さんは人情味に溢れながら、感情を顔に出さないやさしい人でした。私に"中国へ行きたい。過去にはいろいろあったが、国民の間では友好的な存在であるべきだ。"と言いました。晩御飯のあとで、私は花火大会にも誘われました。夜空に広がる花火を見て、日中の国民の友情が必ず花火のように輝き広がるものと固く信じました。その私たちは国境をこえて、お互い至れり尽くせりの配慮をする家族になったことは映画ではなく、現実でした。それと同時に、ある強い使命感を感じたのです。それは、周りの人々に日本人の友好を伝えることです。日中関係に自分の微力を尽くすことです。2008年は日中交流の年で、更に相互理解を促進し、友情を深めることは両国の国民の真の願いではありませんか。

 今度のホームステイからできた友情を大切な思い出として、ずっと、一生大切にしたいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の部

第二位

 

自分にあった目標を立てよう

王洪欣

(東北育才外国語学校)

 

私たちの成長のプロセスに、私は適当な目標を立てることはとても大切だと思います。

低すぎる目標を立てるのはまずよくないと思います。なぜなら、満足感も達成感も感じられないからです。かといって、高すぎる目標を立てるのもよくありません。その目標はあまりにも高すぎるため、時には、空想だということに気づいたりすることもあります。

アメリカの学者は6匹のサルに目標についての実験をしたことがあります。3つの部屋に2匹ずつサルを入れました。食べ物はそれぞれ違う場所に置きました。1号室は床に、2号室は低いところから高いところまで違う高さに、3号室は天井にぶら下げました、数日後、1号室のサルは1匹死に、1匹傷を負っていました。3号室のサルは2匹とも死んでしまいました。しかし、2号室のサルだけは2匹とも生きていました。その原因は1号室のサルは床にあった食べ物を得るために、「争奪戦」をして、3号室のサルは努力しても、食べ物に触れられなかったので、餓死してしまいました。2号室のサルはまず本能で低いところの食べ物を取って、食べ物のある場所が高くなるにつれて、2匹のサルは協力して取ったからです。適当な目標は如何に重要であるかということをこの実験から分かりました。

高校生の私にも同じように高い目標で挫折した経験があります。それはある夏休みのことで、私は英語の教科書の本文を1日1課暗記することにしました。以前私はこのスピードで暗記したことはなかったので、私にとってそれはかなり難しいことでした。1日目は私は何とか暗記できましたが、本当に疲れたので、2日目からの内容はあきらめざるを得ませんでした。目標を完成できなかった要因は高すぎる目標であったからです。それ以来、適当な目標とは何かという問題を考えるようになりました。

去年、私は学校の12月の千五百メートル走に参加するために、3月から毎晩グランドを走って練習することにしました。最初は私のスタミナはそんなによくなかったから、私は毎晩一周走ることにしました。毎日続けることによって、私の体力は強くなりました。12月の千五百メートル走で私は2位を取りました。ゴールに着いたとき、私は本当にうれしかったです。自分にあった練習目標を立てたため、私は続けることができたのです。今も毎日続けています。目標を達成するためには、それなりの苦労や困難もありましたが、でも、そのことで得られるものも多いでしょう。苦労があるから、達成した時の喜びも大きいし、自信を得られるのだと思います。このように、常に自分自身を分析し、目標を修正することは、自分を大きく成長させることにつながると思います。

皆さん、自分にあった目標を立てて、一緒に、夢の実現のためにがんばろうではありませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の部

第三位

 

爆竹から考えたこと

刘通

(東北育才学校)

 

「パンパン」と喧しい爆竹の音を聞いたことがあるでしょう。人々は爆竹をならして、去って行く年の不運を追い払い、来る年の好運を願っているのです。私もこの爆竹の音に対して興奮します。でも、興奮すると同時に、気になったことがありました。

一つの例をあげましょう。朝早く、あるいは真夜中に、爆竹をならす人がいます。多くの人はとても迷惑を受けました。正月1日の朝2時、3時にも爆竹をならしている人がいました。私はぜんぜん眠れませんでした。私でさえよく休まれません、老人や病人、赤ちゃんはどうですか。また、爆竹は他の問題もあります。例えば、狭い歩道でたくさんの爆竹をならして、通行人はまったく通れませんでした。そして、ならしたあとのごみはそのまま放置されました。

だから「爆竹は多くの問題があるから、止めろう」という意見を持っている人もいます。さらに「中国伝統の爆竹は現代社会に適合していない」と思っている人もいます。実は、それは爆竹自身の問題ではなく、また中国伝統の問題でもなく、人々自身の問題だと思います。問題の原因は利己主義です。

ここでいう利己主義とは自分の利益のみを考え、他の人の情況をまったく考えずに、利己的に行動することです。爆竹の例に戻りましょう。朝の2時、3時に爆竹をならす人はただ自分の好みで爆竹をならし、眠っている人のことを考えていません。そして狭い歩道でたくさんの爆竹をならす人はただ自分の好き勝手でならし、通行人を無視しています。爆竹のごみをそのままにした人は掃除もしないで、町の美観をそこなっています。要するに、爆竹の問題を解決するためには、利己主義という問題をまず解決しなければならないと思います。

利己主義という問題を解決しようとすれば、簡単にできます。お金や物などは必要がなく、ただちょっと「考える」だけですみます。例えば、朝2時、3時に爆竹をならす人は「もし自分が朝2時、3時に爆竹のせいで眠れなかったらどうすればいいのか」とか、狭い歩道でたくさんの爆竹をならす人は「もし自分が狭い歩道で爆竹のために通れなかったらどうすればいいのか」とか、ごみをそのままにした人は「もしごみが自分の家にあったらどうすればいいのか」などと考えれば、情況は変わってきます。そしてより適当な時間、より適切な場所、より安全な方法で爆竹をならすようになるでしょう。

最後に、爆竹をならす時には、時間や場所、方法を考え、できるだけ人の迷惑にならないようにならさなければならないと思います。そして、これをきっかけに、相手の立場に立って、互いに譲り合うこことはいいことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の部

入選

 

懐かしいです

王錦玲

瀋陽市朝鮮族第一中学

 

 「天国」とはどのような場所でしょう。ここと何が違うでしょう。

 私が小さいころから、お母さんは病気で父兄会にも参加できませんでした。運動会の時もほとんど来てくれませんでした。そんなお母さんが嫌だった私はお母さんに私の不満なことを話しました。「お母さんはなぜほかの友達のお母さんと違うの。どうしてお母さんは学校に来てくれないの。」非常に怒っていた私を見て、お母さんはその学期の運動会の準備の時、私のクラスに来てくれました。その時は小さかったのでお母さんが来てくれて本当にうれしかったです。お母さんが痛がっていることをすっかり忘れて、紙の花を作らせました。そしてその日の夜、お母さんは大嫌いな病院に娘の私のせいでまた入院することになってしまいました。私は本当に悪い娘でしょう。お母さんの苦しみも理解できなくて。死ぬほど痛くても我慢していたお母さんを思い出すと、私の心も裂けるように痛いです。

 何ヶ月か過ぎてお母さんは退院しました。その後、私は毎日早く家に帰りました。家に着いて、最初に入る部屋はお母さんの部屋でした。お母さんが突然亡くなるかもしれないからとても怖かったのです。

 そしてお母さんは私を産んで13年で天国へ行きました。あそこでは痛みがなくて、とても元気でしょう。お母さんが早く天国を選んだ理由、それはここでの生活が苦しすぎたからかもしれません。

 お母さんが逝く前の夜、不思議なことに、ふだんあまり来ない親戚がたくさん来て、お母さんを見舞いました。家がにぎやかでお母さんの顔色もよかったです。でも。医者は頭を横にふりました。病状が悪くなったのです。私はその時、とてもいやな予感がしました。そして予感どおりにその日の深夜、お母さんは父、姉、そして私を残して離れて行きました。お母さんを止めたかったですが、どんなに大きな声で呼んでも、体を揺すってもお母さんは戻りませんでした。涙が出ました。止まりませんでした。

 お母さんのいない日々は不安でいっぱいでした。それで、毎日泣いていました。お母さんが私の夢に現れる前までは。ある日、夢の中でお母さんが言いました。「玲を残してこんなところに来てごめんね。お母さんは天国に来て本当に幸せだよ。玲はもう大人だよ。何でも自分でやってみて。お母さんが天国で玲を守っているから。ずっと。」お母さんの話は私に勇気を与えました。これからはどんなことも自分でしなければなりません。しかしお母さんはいつも私を守ってくれます。私は早く明るさを取り戻して、大人になった姿をお母さんに見せようと思って悲しみでいっぱいな気持ちを捨てて元気を出しました。

 私はそうして5年間を過ごしてきました。ずっとお母さんが天国で私を見ていると思いながら毎日を過ごしています。高校生になったら必ず父兄会に参加すると私と約束したお母さんが懐かしいです。

 お母さんのいる天国はどうでしょう。だれか天国について知っていますか。お母さんの生活が知りたいです。お母さんに会いたいです。お母さんの顔、声、そして昔話、お母さんの全部を感じたいです。お母さん、懐かしいです。

 

 

 

 

 

 

 

高校生の部

入選

 

戦争、人間の永遠の痛み

(瀋陽市朝鮮族第一中学)

 

 1年ほど前、テレビでよく見たのは、ドラマでもなく、バラエティー番組でもなく、イラクの戦争のことでした。21世紀の今でも戦争が起きているなんて、私は思いもしませんでした。それに私たちからあまり遠くないところで起きていることにもとてもびっくりしました。

 昔から、世界ではさまざまな戦争が起きています。そして、どんな戦争でも、必ず血が流れて人が死にます。そして一つ一つの勝利の裏では数えられないほどの人が死んで、数えられないほどの人が家や家族を失っています。

 人間はだんだん進歩しています。しかし最新技術は普段の生活に使われているのではなくて、新しい兵器のためなどに使われています。そして戦争はその兵器を試すための試験場になっています。人間は自分の作った兵器で自分達の地球を壊しているのです。

 人間今、この地球を支配しています。しかしこの地球にいい未来を与えてはいません。世界の科学者たちも自分の技術が兵器の開発に使われるのを望んではいないと思います。歴史を見て私は気がつきました。人間が進歩するためには必ず戦争がついて来ていました。またいろいろな伝説も戦争の話です。人間は生まれつき戦うのが好きなのでしょうか。人間は前に進むためには仲間の死体をふみ越えなければならないのでしょうか。昔からいろいろな戦争の話を聞いて、私は戦争が起きる理由を考えました。まず人が戦争を始める一番の動機は支配欲だと私は思っています。「もっと広い国が欲しい、もっと豊かな国にしたい。もっと偉くなりたい」という気持ちがだんだん強くなって、周りの人を誘って戦争に発展するのでしょう。最初は戦争に反対していた人もうまい話に惑わされて欲がどんどん大きくなって一時的な衝動で戦争に参加してしまうのかもしれません。ただ気がついたときにはもう止められなくなって後悔しているでしょう。

 「では、どうすれば戦争を止めることができますか」と聞かれたら私はとても困ります。なぜなら人がいるかぎり戦争は消えることがないと思うからです。人から欲は奪えないと思います。欲があるかぎり、人は侵略、支配、圧力を続けるのではないでしょうか。それに戦争が始まったら簡単には止められません。どちらかが負けるまで戦いをやめることはありません。でも戦争が終わった時にはもう取り返しがつかない状況になっているでしょう。だから私達は戦争が起こる前に怒りを治めなければいけません。そしてできるだけ自分の立場に満足することが大切です。欲をなくすことはできませんが、自分を幸せだともう一度思って満足することならできます。自分のために、世界のために。

私は祈ります。戦争で苦しんでいる人たちが早く戦争から逃れられるように。平和を望んでいる人達が平和に暮らせるように。戦争は人間の永遠の痛みです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の部

入選

 

私の大好きな動物

(瀋陽市旅遊学校)

 

 私は13才の誕生日のところに、父は犬をくれました。驚いてしまいました。あの犬はとてもちいさいし、毛がないし、涙をこぼしています。これは「赤ちゃんじゃないの。」と思います。父は私の驚いた表情を見て「このオスはあなたに給げようよ」と言いました。わたしはこの犬を連れて行って部屋に戻ってきました。最初のことはこの犬のために部屋を作るつもりです。あとちょっと考えて彼を「アップル」とさけんでみます。「アップル」を呼んだら彼はさっそくこちらに走れます。このままに3ヶ月を渡ったアップルは今背が高くなるし、毛がびっしりになるし、目が大きくなりました。今の私はそのところの私は違います。今の私はアップルのことがとても大好きでした。私は学校に通っている途中でずっとアップルのことが思っています。暇にアップルと一緒に公園に過ごしています。彼はボールができるようになりました。「アップルはあなたがあたまいい子供だね」と思います。9月27日アップルは私の家族の一員になった日ので、この日は記念日になりました。私はアップルのためにプレゼントを買っておきます。「どんなプレゼントを買うかしら、困りますね」と思います。突然隣の店を見ていて「これは犬の服じゃない」と思いました。よかったです。私は花柄の服を買いました。9月27日夜誕生日パーティー、この日は私とアップルの誕生日です。両親は私たちのために大きいケーキを作ってくれました。私とアップルはとても楽しかったです。今度誕生日プレゼントとしては携帯電話とおもちゃです。私はこのプレゼントを持って気持ちがいいです。次、アップルのプレゼントを給げる時間です。両親はアップルにベッドをやりました。私とアップルは仲よくなるからぜひ特別なプレゼントを給げると思っています。私は犬の服をプレゼントとしてあげます。アップルは服を着てとても楽しかったです。誕生日パーティーが終わった後で私達は一緒に寝ていました。この夜は私が夢を見ました。私とアップル一緒に遊んだ時、ぶつかりそうになりました。「大丈夫?」と言いました。びっくりしました。アップルは話せるようになりました。母は「速く起きろう、今何時?今日は休日じゃないよ」と言いました。私は起きて、アップルを見て彼はずっと寝ています。帰った後宿題を書いてアップルは私のそばにいます。宿題を終わったら、一緒にテレビを見てごはんを食べてゲームを遊んで最後は寝ています。私とアップルは毎日このように過ごします。これから私たちもこんなに立てると思います。ずっとずっとアップルと一緒に暮らします。

 人間として私達は動物に熱心をあげたら、この世界はもっと幸せになるだろうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の部

入選

 

いとこを鑑に

(東北育才学校)

 

皆さんの中にも、田舎に親戚がいる方が多いと思います。私の親戚も田舎に住んでいます。最近、田舎で生まれ育った二人のいとこに会いました。二人の全く異なる境遇から、私は人生の指針を見出しました。

年末年始に、あるいとこが私の家を訪れました。学者らしい教養がある姿に、大変驚きました。私の中で農村の人のイメージは日に焼けた粗い肌と引き締まった筋肉を持ち、たくましい体をしていたからです。その他いろいろと、農村の事情を祖母から聞いていました。中でも、頭に強く残っているのは深刻な教育問題です。多くの若者が高校へも進まず、出稼ぎに行きます。だからこそ、有名な大学に合格し、何年も生徒会長を務め、優れた成績で卒業した、このいとこに出会い、ある疑問が湧いてきました。「なぜ周囲の人と違うのですか。」返事は簡単でした。「目先のことばかり見ていてはいけないよ。」そのときは、「ありふれた言葉だなあ。」と思いました。

春節を、田舎にある祖母の家で過ごしました。五年ぶりに見た田舎の様子には変化がいろいろとありました。学校も想像通り、ひどい状況でした。施設が古いのはもちろん、数も少ないようです。祖母の家から最も近い中学校でも十キロ以上も離れています。その時、私は「学校が少ないから、学生も少ないのだろう。」と考えました。

この田舎生活でもう一人のいとこに会いました。それで、私の考えは完全に変わりました。先のいとことほぼ同年齢ですが、彼はもう三年間、工場で働いています。大変な労働環境と社会の残酷さに苦しんでいます。この目で見た田舎の現状を元に、学生が学校に残らない原因を確かめました。その結果、この問題の根源は学習環境の悪さではなく、意欲にあるのだと気づきました。学生生活の苦しさと勉強のつまらなさは田舎の学生に、勉強を放棄させがちです。私はさらに聞きました。「進学しないで就職した選択について、今どう感じていますか。」彼は「今となっては、後悔しかない。」と悲しそうに答えました。

大学生のいとこは目先のことだけではなく、将来を見据えて、人生を向上させる決定を下しました。その反面、一時の利益と自由を求め、勉強をやめて仕事に就いたいとこは、より明るい将来を失ってしまいました。将来を見通せるかどうかで、二人は全く異なる人生を歩むことになりました。

二人のいとこと話してみて、私は新たな挑戦に満ちた計画的な人生を送るべきだと結論を出しました。将来の姿を想像し、しっかりした長期計画を立て、実行していきたいです。計画的な人生と言っても新しい挑戦を続けるということです。例えば、突然起こる困難や自分自身のへの挑戦です。私は卒業を来年に控え、来年の今は日本で大学生生活を始めているでしょう。この変化は将来、満足できる生活を送りたい私にとっての、一つの大きな試練です。これから先、このように多くの挑戦があるでしょう。その挑戦で成功するかどうかよりも、立ち向かって行く勇気とそれを乗り越えるための努力が大切です。私はこの勇気と努力を少しでも多く集め、成長して行きたいです。未来への計画を持って、走り続けていけば、明るい未来をつかむことができると信じています。

 

 

 

 

 

 

高校生の部

入選

 

お誕生日

金 蕊

(撫順市朝鮮族第一中学)

 

 だれでも自分の誕生日をはっきり覚えているでしょう。この日は私たちがこのきれいな世界に生まれた日で、母が私たちに命をくれた日です。両親にとって、この日は辛くて、楽しい日です。だから、この日はとても意味があるだろうと思います。

 毎年この日、私たちはいつも楽しく、幸せに過ごしています。でも、皆さんは両親のお誕生日を覚えていますか。

 いつか父が私に電話をかけて「明日は何の日か分かる。」と聞きました。「え、明日は。」私は黙っていました。すると父は「明日はお母さんのお誕生日だよ。」と言いました。私はこんな大切な日を全然覚えていませんでした。夜、私は母への祝う言葉を準備しました。朝起きて見ると、母はもう朝ご飯を作り終わって、それから自分で作った誕生日に食べる面を食べていました。それを見て心がとても痛かったです。私は準備した言葉を一つも話せないし、簡単な祝う言葉も言えなくなりました。ご飯を食べて、私は母の顔にキスをして、すぐ学校へ行きました。家を出る時も母は「道を渡る時、気をつけてね。今日も頑張ってね。」と言いました。学校へ行く途中、私は涙が出てきました。私は母に何もしてあげたことがなく、母に心配ばかりかけています。母はいつも私の誕生日を覚えていますが、私は母の誕生日を覚えていなかったばかりではなく、簡単な言葉さえも言えませんでした。母はきっとがっかりしたでしょう。

 今の世界は子供と両親の交流がだんだん少なくなっています。お互いに理解しようとしていないからかもしれません。それから両親が嫌いな子供、両親の話を聞かない子供がいます。でも両親は私たちが立派な人間になるように毎日毎日苦労していることを私たちはよく考えていますか。自分より、子供のほうをもっと愛している両親の気持ちをよく知っていますか。

 皆さん、自分の両親を大切にしてください。「道を渡る時、気をつけてね。」、「今日も頑張ってね。」というような言葉などは全部心の中からの愛だと思います。

 世界で一番珍しくて、きれいな物は何だと思いますか。モナリザの笑顔、高い宝石、きれいなお城でしょうか。私は両親が子供を愛する心だと思います。両親は私たちに命を与え、苦労しながら、私たちを優れた人間に育てるために全力を尽くしています。どんなに偉大な愛でしょうか。

 中国には「子供が大人になって、両親を養いたい時、両親はすでに亡くなっている」ということわざがあります。私たちの両親はいつも私たちの身近にいるから、大切にしないで、後で気にかければいいと思ってはいけません。毎日感謝の気持で、お互いに理解し合い、両親に叱られても嫌がらないで、いつも真剣に心配してください。私たちは一組の両親しかいないし、両親も一回の命しかないから、失ってしまったら、取り戻すことができません。皆さん、いっしょに両親の気持ちを大切にし、親が生きているうちに親孝行をしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の部

入選

 

私の挑戦

赵华

(撫順市朝鮮族第一中学)

 

 自分を成長させるためには挑戦は不可欠だと思います。勉強と仕事と生活の中で人生の第一歩を踏み出すのは挑戦です。不適切な慣れを変えるのも挑戦です。

 中学生の時、校内スピーチコンテストに参加したことがあります。しかし、あまりに緊張したため、ペラペラだったスピーチの本文も頭がまっ白になり、失敗してしまいました。その時、とても辛い思いをしたので、それ以降スピーチコンテストには参加しませんでした。しかし、去年のスピーチコンテストの出来事が、今回この大会に出るという挑戦のきっかけになりました。

 去年、北京でスピーチコンテストが行われました。この大会に興味を持っている生徒がたくさんいました。中には、日本語が得意でない生徒もいました。私も参加したかったのですが、自信がなかったのであきらめました。

 ある日、友達の趙さんがこの大会に参加するために熱心に文章を書いている姿を見ました。その時、趙さんが私に

「やりたいのに、なんで作文を書かないの。」

と言いました。私は

「私のレベルではちょっと……。」

と答えましたが、心の中では「どうせうまくいくもんか。」とつぶやきました。

 ところが、趙さんははげしい競争の中、努力したおかげで学校の代表として北京のスピーチコンテストに参加する機会を得ました。北京から帰った趙さんは感想を次のように言いました。

「残念ですが、スピーチコンテストでいい成績が取れません

でした。でも、もっと大切なものが分りました。つまり、勇

気を持って挑戦することと練習していく過程です。以前と比

べると日本語が好きになり、私に合う勉強の仕方も分かるよ

うになりました。今度、またこのようなチャンスがあったら

必ず挑戦します。ですから、成功するには勇気を持って挑戦

することが大切だと思います。」

 この発表を聞いて多くのことを考えさせられました。挑戦

の第一歩を踏み出してこそ成功の姿が見えるのです。スピー

チコンテストをきっかけに趙さんの日本語のレベルは急激

に上がりました。日本人教師との交流もうまくなりました。

ある日、授業で日本人教師が

「おばけのお話を聞いたのですか。」

と言いました。すると、趙さんだけすぐに答えました。一方

私はどんな意味か分らなかったばかりでなく、趙さんの答え

さえ聞き取れませんでした。ショックでした。

 このことから勇気の大切さを実感しました。私に勇気が

あったら、スピーチコンテストに挑戦し、多かれ少なかれ学

べることがあったでしょう。しかし、私は勇気がなかったた

め成功の第一歩を踏み出せませんでした。それまで勇気がな

かったのは、心の中から恐れていたからです。しかし、それ

では成功することはできません。こう考えるようになったの

は趙さんの変化のおかげです。

 挑戦は人を成長させてくれます。ですからこれからは、ど

んな困難があっても勇気を持って、いろいろなことに挑戦し

ていきます。

 

 

 

高校生の部

入選

 

親孝行

周施雨

(遼寧省実験中学)

 

 今の中国は、親孝行をすることは少くなりました。子供は両親とけんかし、両親の話も聞きません。親子の関係は、悪くなる一方です。「親から逃げたい。」それは家出した友達の話です。しかし、その子のお母さんは泣きながら私に「あの子、いつも自分を中心に考えて、親の気持ちを全然考えないのよ。」と言いました。いったい、どうして、こんな状況になったのでしょうか。

 昔の中国では、「百行の孝行は重要」と言われていました。だから人々はその教えに従いました。それが倫理の道であり、人は親が様々な苦労をして、自分を独り立ちするまで育ててくれたその思いを忘れるべきではないからです。親が喜ぶように、親が言うことすべてに服従し、親が選んだ人生の道を歩みました。その時の中国は「礼儀の国」と呼ばれていました。では、なぜ、今は変わってしまったのでしょうか。

 「親は、私を理解しないで、ストレスを与えるばかりだ。」私達は常にそう思っています。確かに、それは原因の一つです。現代社会で成長した私達青少年は、親と全く違う人生観と価値観を持っています。私達にとって、当然のことは、親にとって理解できないかもしれません。この時、もし子供はちゃんと親と交流しなかったら、お互いの誤解が次第に深くなります。親子が交流しないと、いずれ子供は両親の愛を感じることができなくなります。ただ、文句ばかり言います。子供が親孝行しにくいのも当然かもしれません。

 もう一つ注意しなければならない問題があります。今の中国の青少年は、「独りっ子政策」で、一番大切なものは「私自身」であり、自分自身だけに忠実に生きることが多いです。兄弟がいない私達は、小さい頃からずっと親に溺愛され、親の苦労を全然考えません。自分が決めた道を歩みます。親の心はどんなに痛んでいるでしょうか。

 様々な問題が出て来ている今、中国の親子は反省しなければなりません。まず親子は心を込めて交流すべきです。私も母とけんかしたことがあります。その後、自分の考え方を全て母に伝えました。私の青少年としての考え方は母の心に衝撃を与えました。母も私を抱き締めて、自分の思いを打ち明けてくれました。お互いにちゃんと相手の話を考えて、相手の感情をよく理解できるようになりました。これは交流の成果です。また、私達子供も、もっと親の気持ちを考えるべきです。

 日本へ留学することを決めたとき、それが両親の負担になることを知っていたので、私は夢と家族を選ぶ人生の岐路に立たされました。しかし、そのことを親に伝えると、両親は二つ返事でした。その時、涙が流れずにはいられませんでした。

 両親とは空気のような存在であり、子供はその大切さを忘れがちですが、それを失ったときにその存在の大切さが分ります。時代が変わった今、必要なのは何でも両親の言うことに服従することではありませんが、時代に合った新しい親孝行をすべきです。

 我々中国の子供は後悔しないように。

 

 

 

 

 

日本語弁論大会

瀋陽日本人教師の会 

 

 

高校生の部

入選

 

青春は人生の扉

若英

(遼寧省実験中学)

 

 私達は理想のために絶えず必死に頑張る情熱の少年です。今持っているただ一つの物は若さという資本です。勇気とほんの少しの高慢さ、時に、自分がこの世界の主人公だと感じることもあるかもしれません。これは青春です。毎日数えられないチャンス、たくさんの選択が目の前に並んでいます。絶えず新しい事に挑戦しています。チャンスがあれば、迷わず、掴み取り、成功することを信じています。自分の努力を通じて勝利を手に入れることは最も格好いいことだと思います。青春は人生の道を決めることができます。つまり、青春は人生の扉だといえるでしょう。色々な結果は扉の奥にあります。自分の選択を尊重して後悔せず、進み続けます。さあ、勇敢に扉を開けて、太陽の光で体を包囲しましょう。人生を更にすばらしくするため、すべてを賭けて、頑張ります。

 三年前に、私は高校生になりました。しかし、高校生活は想像していたように完璧ではありませんでした。すぐに、難しい勉強は私にとって一番大きな問題になりました。毎日、宿題ばかりで、解けない問題は脳波を刺激し続け、他に楽しいことは何もありませんでした。戦闘パイロットのように、「体」と言うロボットを操って「成績」という陣地を守るために戦いました。ある日、「高校生活はまるで地獄見たいだ。青春はつまらない。」と思いながら、校舎を一人で散歩している時、頭の中に一つの映像が映し出されました。私は手に長い刀を持ち、英語と数学二つの悪魔を退治して、笑っていました。「ちょっと、気を付けてね。」ある先輩の声が私の妄想を断ち切りました。知らない内に学校雑誌部の入り口に来ていました。「君、入部したいの。」と突然尋ねられ、びっくりしました。「雑誌を作るのは悪くない。」と思い承諾しました。それで私は撮影記者になりました。「撮影記者」という扉を一つ開けると新しい景色が存在していました。毎日カメラを持って校庭を歩き、美しい事或いは面白い事を探していました。生徒達は相互に助けること、清掃スタッフは掃除をすること、男子生徒は球場で一生懸命球技を練習すること。その一瞬一瞬、彼らの意気込みが私の心に満ち溢れました。これは青春ではありませんか。私にはこの情熱が欠けていました。今でもとった写真を見ると、感動しています。勉強のことも、記者のことも、用意しなければなりません。積極的に回りの事に対応できるようになりました。

 旺盛な情熱で生命のスポットライトを捕え続けます。心を込め、目標を実現します。たとえ難しいことでも挑戦してみたいです。青春はとても短い時間ですが、同時に最も活力がある時代です。若い内に、自分の力を信じて貴重な記憶を永遠に心に留めます。真剣に自分のことを考えて、扉を選びます。心強く生きて行く、輝かしい将来があなたを待っています。青春は人生の扉です。さあ、扉を開け、勇敢に進み続けましょう。