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| 各係の代表者には下線が入っています。各係の代表はHP係も兼任します。 |
菊田 悦二(本会顧問) 在瀋陽日本領事館
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池本 千恵 和亜久外国語培訓中心
着任日:2005年3月 出身地: 福岡の日本語学校での教師生活を経て、ここ瀋陽へやって来ました。 実は、中国へ来たのは今回で4度目。しかも、全部“東北地方”。瀋陽も3度目の訪問です。 ですから、生活の面ではあまり驚くことも無く、すんなりと溶け込むことができました。職場の中国人からは「生粋の東北人」と言われています。 現在は、和亜久外国語培訓中心という民間の日本語学校で、主に、日本へ留学したい人や日本企業に就職したい人等に日本語を教えています。学生は熱心ですが、短期間に日本語を身に付けさせなければならないこと、初級の基礎から中級の会話まで、その時の要望に応じて、クラスに入らなければならないこと等は少し大変です。 それから、他にもいくつかの学校に出向しているので、時間的な余裕がないことも予想外でした。 おかげで(?)、半分留学気分で、新境地を開拓しようと思っていたもくろみも破れ、中国語の方も一向に進歩せず、相変わらずダラダラと毎日を過ごしているような気がします。 瀋陽には朝鮮族が多く、私も日々朝鮮族の方に囲まれています。“昔取った杵柄”というか、ハングルの字は読めるので、何かと役に立っています。 中国も「縁」を大切にする国ですが、私が今ここにいることは、時を越えた「縁」の上に成り立っているものだと思っています。 マイペースな私ですが、これからも人とのつながりを大切にしていきたいです。そして、当初の目標であった何か新しい光が見出せればいいなあと思います。 みなさん、よろしくお願いします。 (2006年5月) |
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瀋陽生活2年目になりました こんにちは。いしはら なみもりです。昨年8月、瀋陽にやってきました。遼寧大学日本語学部2年目です。授業にもだいぶ慣れ、多忙ながら、学生を中心に据え、充実した日々をすごしております。 体調が悪いときなど、年齢を考えてしまい、弱気になることもありますが、なるべく、プラス思考でやっていくようにしています。
これから1年、よろしくお願いします。 |
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瀋陽薬科大学の伊藤です。瀋陽に来て2ヶ月。 大学生になりたての1年生に教えています。 希望に満ち溢れた学生達と多くの時間を共有でき、大変嬉しく思っております。 瀋陽でたくさんの楽しい思い出ができますように。 2007年10月 |
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宇野 浩司 瀋陽職業技術計算機学院 沈陽滞在は約一年半ですが、教師会には諸事情がございまして、 2004年5月より参加しております。 授業の方は、現在日本留学希望の学生、3年生8人、>2年生 7人を中心に、かなり厳しく、でも、フォローはしっかり忘れずに行っております。 この一年半を思い起こしてみますと、いろいろな事がありました。 ドイツに約2年いたのでドイツ語はできたのですが、中国語は中国に来てはじめてふれる言語でした。ですので、最初はとても困っていましたが、今はなんとか、時々「怒る」ことができるぐらいの中国語力はつきました。 去年の4月の20日ぐらいから約1ヶ月、中国は「非典型肺炎」、通称「SARS」の猛攻にさらされました。私の学校でもメーデー休みが通常より長くなって、私自身もなにもやる事がなかったので、中国語学習と「中国語と日本語の混合言葉遊び」を考える事に集中しておりました。例えば「『看電視』(中国語の発音は「カンディエンシィー」)で感電死」などです。恐らく、私以外でも同じことを考えた事がある人もいると思いますが…。 春節の頃はじめて体験した、-25℃の寒さ。丁度、寮の暖房も来なくなり、食べ物飲み物も「自然冷却」され、布団に包まって、「蓑虫生活」をおくりました。 他にも、蚊の集中攻撃を受けたことや、よくゴキブリと遊んだ事、今でもありますが、突然襲ってくる「停電」、「停水」の事が思い出されます。あと、一度は、中国に来た人間が経験する下痢もです。 しかし、これで「自分は強くなっている。どんな環境下でも絶対生き抜く」という強い精神力がついたような気がします。 楽しい事もありました。よく行く汚い料理店の、店主の知り合いの人達が、夏に外で宴会をしている時、「おまえも飲んでいけ」といわれてご馳走になったことがありました。このような事はドイツでも3回ぐらい経験したことがありますが、言葉のあまりできない中国で経験するとは思っていませんでした。 このようにいろいろな事が出てきますが、これからも、この中国。まだまだ私に「忘れられない思い出」を与えてくれそうです。良い意味でも、悪い意味でも。 皆様、こんな私ですがよろしくお願いいたします。 |
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こちら間のない3月初め、教室に入ると余りにも汚い。飲料の容器、紙くず等が机上や床に散らばっていました。学生たちは自分の席だけは綺麗にしていました。そこで「日本語を教えるだけが日本語教師ではない」との考えから、3S(整理、整頓、清掃)ということを話しました。 >『日本製品の品質が世界のトップクラスに入れたのは、「QC活動」の一環としての3S運動、更には6S(3S+清潔、躾、習慣)へと進めていったというたゆまぬ努力があったからだということから、綺麗な環境での物造りが高品質の基礎になったのです。 ですから皆さんも教室の環境を良くすることで気持ち良く勉強できる。それが学力増強の基礎になるのです』ということを話したわけです。 すると翌日からはいつも授業の前にゴミを綺麗に片付けていたのです。まさに今は「習慣」化したのです。綺麗な所にはゴミなど棄てにくいものです。 これが全学に広がれば良いなと思っています。 |
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瀋陽薬大で薬学専門用語などを教えている貴志豊和です。今年喜寿でした。 遼寧省撫順市の生まれで、小学校時代東陵付近で野うさぎ狩りをした記憶があります。瀋陽もすっかり変貌しています。最大の変化は城壁のなくなったことでしょう。発展する瀋陽に明るい未来がありますように。
今世有縁、今世無悔。
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瀋陽市朝鮮族第一中学に赴任しました熊倉亜紀子です。 1981年12月31日生まれ 東京都葛飾区出身 趣味はスノーボードとダイビングです。 こちらに来るまで普通の会社員でした。日本語教師経験ゼロ・・・まったくもって手探り状態の今日この頃です。 二年間で中国語を頑張って勉強して、中国をたくさん感じて、帰国するときには中国大好きになっていたいです☆ これから二年間、みなさんどうぞよろしくお願いします。> |
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中国は、旅行でも行ったことがなく、初めてです。 任期の2年、中国を満喫したいと思っています。 特に、2008年の北京オリンピックが楽しみです。 |
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9-10月の2ヶ月間だけ瀋陽薬科大学に講義に来ている坂本と申します。企業の研究所を定年退職後ボランティアとして教育に従事しております。3年前には同じ瀋陽薬科大学で1年間、3年生に日本語を教えておりましたので、今年6月には5年生(日本語コースと英語コースのみ1年間多い)になった卒業生とのお別れにやってきて、クラス全員と植物園に行ったり、一緒に卒業写真を撮りました。 今回は4年生3クラスに分子生物学と関連した日中英3カ国語の専門用語や通常の授業を、大学院生には医薬品の安全性評価研究とGLPについて連続講義をしています。昨年は北京の研究所に1年間おりましたので、中国には延3年余いることになります。私には北京での生活より瀋陽の暮らしの方が好きです。瀋陽は大都会でも、北京や上海と異なる、中国の人達との日常的な接触が多く、学生達や先生方との毎日だけではなく、買い物でもつたない中国語でのやりとりがあり、また住んでいる日本人が少ないせいか、韓国人と間違われることはあっても、日本人として特別に扱われることも少なく、かえって気楽です。この東北地方が生まれ故郷で、7歳で引き揚げるまでいたこともあり、懐かしさを感じているからかもしれません。可能ならしばしば訪れて、純真で努力家の学生達との交流や街の散策を楽しみたいと思います。また、来年は5月から10月まで、瀋陽植物園を中心に、国際園芸博覧会が開かれますので、家族とともに来てみたいと考えています。 皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。 2005.9.19 |
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2007年8月21日に瀋陽へ赴任しました。 中国での生活は上海に続き2年目を迎えます。 赴任してまだ1ヶ月も経っていませんが、皆さんのお蔭で生活にすんなりと解け込むことができました。ここ瀋陽でも素敵な方々と出会うことができ、感謝しています。人とのつながりを大切にしつつ、自分にできることを精一杯頑張っていこうと思っています。どうぞよろしくお願い致します。 |
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![]() 福建師範大学福清分校(福建省福清市)に2年。中国3年目の新学期を瀋陽で迎えました。亜熱帯から一転、初冬の寒さが少々身に応えています。 福清では日本語科の学生を対象に「会話」「応用作文」「報刊」を担当しましたが、瀋陽薬大の授業は日本語能力試験1級合格に主眼がおかれており、2年生での合格は学生にとっても大変ですが、教師も追いたてられるような気がします。合格はしても「話せない」「書けない」ということにならないよう、工夫をしなくてはなりません。 中国東北地方の拠点都市の発展に驚いていますが、初めての地はすべてが興味深く、日本との歴史的関わり深い各地を広く訪ね歩きたいと思っています。 |
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巽 保隆 東北育才外国語学 2007年9月1日に瀋陽へ来ました。 学校では高校1年生と、3年生約120人の日本語を担当しています。こんなにたくさんの学生の相手をすることになるとは思ってもいなかったので、まずは全員の名前を覚えることと、瀋陽の街でタクシーを使わないでバスで移動できるようになることが私の課題です。 瀋陽へ来て1か月、中国の勢いに圧倒されっぱなしです。まだ、中国語が話せないので周りの人のお世話になってばかりです。今は中国の生活に少し慣れ始めてきたので早くこちらの生活を満喫できるようになりたいです。どうぞよろしくおねがいします。 |
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田中 典子 瀋陽薬科大学 |
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土屋 登 瀋陽師範大学
八月末、瀋陽師範大学外国語学院に来ました土屋 登です。前任の佐藤るみ子先生と同じく名古屋出身です。まったく初めての中国での生活ですが、大学の先生方、学生たちはとても親切で、中国語のわからない僕にあれこれ気を配ってくれ、それに甘えて中国語がなかなか覚えられません。町で出会う人達にも今まで個人的に不快に思ったことはありません。瀋陽が外国人も多い、北の大都会だからでしょうか。おかげで快適に瀋陽での暮らしを始めています。ただ、砂埃の多さにはびっくりしています。これは年間降水量が非常に少ない土地で、大きな樹木も少ない、道路の舗装も不十分、などが理由なのでしょうか。日本語科のある先生は一日2回は掃除するとおっしゃっています。瀋陽という町は今再構築中なのでしょうか。確かに師範大の周辺も2,3年後の地下鉄開通計画もあり、新しいマンションや超市など、荒地に新しい街づくりが進んでいるようです。どなたか教えてください。 個人的には健康である限り、日本が15年戦争という大きな過ちの最初の一歩を踏み出してしまったこの街が新しく生まれ変わっていくのを見たい気持ちでいっぱいです。まずは中国語を覚えなくては、と留学生に混じって一緒に勉強しています。 よろしくお願いします。 |
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瀋陽へ来て約2ヶ月。教師経験のない自分が、知らない土地でやっていけるか不安でしたが、優しい先生と、かわいい学生にかこまれて、なんとかやっていけそうな気がしてきました。生活に慣れることと、授業をこなすことに必死でしたが、これからは中国語の勉強をして、行動範囲を広げて、いろいろ面白いことを発見していきたいです。 |
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西岡 豊 東北育才学校 2007年8月25日に、東北育才学校の国際部に赴任しました。育才学校は3人の日本人の先生がいるのですが、国際部は私一人です。職員で日本語の分かる人は誰もいません。生徒が日本語を選択する理由もさまざまです。 38年間、宮崎の高校で英語を教えて来ました。最近の学生の学習意欲のなさにうんざりしていたので、定年になったら二度と教壇には立つまいと心に決めていました。確かに、学校のことを夢に見たことは一度もありません。家族や友人たちとの旅行、海釣り,川釣り、にぎり寿司の修行、竹細工、そばの種蒔きからソバうちのまねごと、庭木の剪定、野菜作りとほとんど屋外で過ごす日々でした。遊びすぎが災いしたのでしょう。稼ぎもしないで、ただ金を使うだけの生活、自分の欲求を満足させるだけの生活に疑問を感じるようになりました。そんな折り、日中技能者交流センターの募集が目にとまったのです。「二度とは教壇にはたつまい。」と定年の固い決意もどこへやら、ずるずると。気がついてみると、沈陽に来てしまっていたというわけです。赴任して2ヶ月、いろいろな方の親切に支えられ、中国に軟着陸できそうです。素晴らしい人との出会いを楽しみにしています。 2007年10月 |
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藤平 徳雄 遼寧大学 神奈川県から派遣されて2006年9月より瀋陽暮らしです。 瀋陽があまりに大きく、立派な街なので驚きました。出身は川崎の北部の街で、里山があり、とても環境の良い所です。瀋陽の方が都会でした。 瀋陽は2年後、オリンピックのサッカー会場になるとのことですが、残念ながらオリンピックの頃は任期が満了しています。 今後ともどうぞよろしくお願いします。 |
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私は和歌山県から来ました、松下 宏、66歳です。東北育才学校で教えています。 二年目の瀋陽 瀋陽での生活も、2年目になった。1年目は同僚の若い二人(山田先生、中田先生)に迷惑をかけないように、という張り詰めた緊張の生活であったような気がする。と言っても、二人には随分、迷惑をかけ、助けられた面が多々あった。まあ、1年目のホップは「よく見て、よく聞いて、失敗から学ぶ」事であった。 2年目の今年、ステップは「独り立ち」をしなければと考えている。できるだけ人の手を借りず、自分で行動することだ。少しゆとりが感じられるのがうれしい。学校の生活も、1年経験すれば大体の流れがつかめたし、徐々に自分のカラーを出して、授業の工夫もできると思う。突然の授業や行事の変更にも驚かなくなり、「あっ、そう」と言える自分の成長に戸惑うことがある。これは成長と言うより、腹を立てても仕方がないし、中国の生活に適応したのだろう。 最近、嬉しいと思うことは、言葉が通じないが、育才の近くの「居酒屋」(自分が勝手にそう呼んでいる)に行くと、一番奥が指定席になり、何も言わないのに、ビールが運ばれてくるようになった。また、この店、お世辞にもきれいと言えないが、結構、旨くて、安い、その上、静か(あまり、夜ははやっていないようだ)なのが嬉しい。時々、注文したものと違ったものが出てくるが、これは俺の発音が悪いからだろう。ある時、辞書を見せて注文したが、俺の思ったものと全く違ったものが、どっさり出てきたことがあった。何も言わないのに残ったものを「お持ち帰り」にしてくれたのが嬉しかった。店のお姉さんもこの頃、ニコッと笑ってくれるようになり、2年目にもなるとこんな余裕もできてきた。このまま行くと、「浦島太郎」になりはしないかと心配しだした。 私的な生活では、日本に居るより、ちょっぴり経済的に余裕があるので、旅行をしようと考えている。中国は名所旧跡が多すぎる。どうしてか、南の方にあまり興味がない、この東北地方が好きだ。内モンゴルの「フフホト」、「満州里」、黒龍江省の「黒河」、「牡丹江」などに行ってみたい。また、「集安」の「好太王碑」も見なければならないものだ。それに「長白山」も必見だ。「ちょっと、何年、中国にいるつもりなの」と家内の声が聞こえてきそうだ。 2年目になって、中国を楽しんでいる松下です。よろしく。 |
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松山 三恵子 瀋陽師範大学 瀋陽にきて早いもので四ヶ月になろうとしています。家族四人で異国の地に住んで、言葉の壁や習慣にとまどい ながら暮らしています。 こちらに来てから学生の親 切に助けられて、だんだん中国のことが好きになっている今日この頃です。 皆さんよろしくお願い致します。 |
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2003年秋から瀋陽薬科大学に来ていますので、瀋陽滞在5年目になります。薬科大学との契約はあと2年ありますが、その先はどうするか未定です。 私たちの専門は腫瘍分子生物学・糖鎖生物学という分野です。癌の転移のメカニズム、シグナル伝達の機構、動物細胞の表面分子の役割などを研究しています。興味のある方は、山形研究室のホームページをご覧下さい。 中国の学生は誰もが勉強熱心で、日本の学生がとうの昔に失ってしまった、向上心に燃えています。このような学生に囲まれた毎日は新鮮な刺激と心の張りを与えてくれます。研究のための施設、設備、器具、環境などは日本に及びませんが、その中でも意欲のある学生の向上に少しでも役立ちたいというのが私の願いです。おかげさまでここでの研究の基礎も出来て、やっと論文が出るようになりました。 大学で日本語を教えているわけではないのですが、日本語も使っているのでこの教師の会にも入れて頂いて、日本人教師の会の毎月の定例会に出て会員の皆様方に会うのを楽しみにしています。 瀋陽にこの教師の会がなかったら、瀋陽での生活は全く色を失ったものだったでしょう。この会で多くの特色のある個性的な先生方に会うことが出来て、私たちの人生は本当に豊かなものになりました。 この教師の会は会員一人一人が何らかの役目をすることになっています。私は2003年に入ったとき、ホ−ムペ−ジの係を選びました。これなら日本語教師ではない私でも務まるだろうと思ったのです。 私たちの研究領域で使うPCはWindowsではなくMacが主流です。しかしホームページ作成にはWindowsが必要なので、教師の会に入ってそれまで15年使っていたMacを脇に置いて、初めてWindowsの修行をしました。 悪戦苦闘しているうちに相棒の河野先生に帰国されてしまい、否応なしに独り立ちせざるを得ず、それ以来教師の会のホームページを作ってきました。最初は6項目しかなかったのが、いまではなんと24項目が並んでいます。充実していると自画自賛しています。 ともかく、おかげで覚えたホームページの作り方を「教師の会」のためだけに使っていては勿体ないので、自分の研究室のホームページも立ち上げました。 さらにこのホームページを作ったところ文章を書くことが面白くなって、この個人のホームページに毎週一回ですが、「瀋陽だより」を書いています。 瀋陽滞在二年目の冬は零下2〜30度という日がずっと続きました。あの冬の寒さを思うとぞっとします。もうすぐ冬ですね。元気を出して冬を乗り切りましょう。 写真は初めての教師会の時のものです。この歳になると、近影を出したくなくなりますね。 (2007年9月) |
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渡辺 京子 中国医科大学
瀋陽で暮らし始めて5年目になりました。 町の様子もだんだん分かるようになり気楽に歩けるようになりました。 夏休み日本に帰っていましたが、なんとなく落ち着かずこちらに戻ってほっとしております。瀋陽が第二の故郷になりそうです。 大学生について中国語を勉強していますがさっぱり上達せず日常会話が少しできる程度です。いつになったら自由に話せることやら。 中国の経済発展は進み学生も豊かになりました。3年前は珍しかった携帯電話もいまやほとんどの学生が持っています。私は携帯電話を持っていないので学生から「どうして携帯電話がないのですか。先生はお金がないのですか?」と良く聞かれます。 今年も新1年生の授業が始まりました。彼らの向上心に燃えた真剣な顔、輝くまなざしは素晴らしいものです。 私の担当は1年生、2年生に新日本語の基礎、3年生日本語1級対策、修士、博士に日本事情です。 ほとんどの学生はチャンスがあれば日本に留学したいという夢を持っています。 彼らが日本について知識や理解を深め医療を通じて日中友好の架け橋になってくれることを願っています。 2007年9月27日 |
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渡辺 文江 遼寧大学 外国語学院 中国滞在9年目
遼陽7年目 もうここは私の第2の故郷になってしまった。来たばかりの頃、瀋陽に7年間居られた先生が去られる時、「先生、7年間は長かったでしょうね。すごいことですね」と驚き入っていた自分が、もう7年目に入った。私の学校は小さい。2千人の学生に、3百人の教職員、ほぼみんな町内会のような知り合いだ。小回りが利いて静かで空気もいい、街も近い。ここでは、日本人が一人なので寂しい時もあるが、年4回の帰国で生活のメリハリをつけている。月1,2度、瀋陽へ行くが都会過ぎて落ち着かない。すぐ直行で帰ってくる私である。「住めば都」―中国と日本の自宅で共に自然体で違和感の無い生活が続いている。 2007・9・20 渡辺文江 |
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