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加藤正宏の瀋陽中国史跡通信

(観光ガイドや観光地図に記載されていない近現代の史跡---元々はここが出発点でしたが、2年間で量が増えたので独立しました---)

加藤 正宏

瀋陽薬科大学日本語専家

2006年10月07日更新
東北育才外国語学校職員旅行 前田 節子 2005年08月01日
鳴海佳恵マダムの「あなた知ってる?」

(芸術写真のお誘い)

鳴海 佳恵 2005年05月20日更新

澤野千恵子の北京通信

(北京郵電大学で中国語の猛勉中)

澤野 千恵子

北京郵電大学学生

2005年04月10日更新
   

竹林和美の中国見てある記

(若い女性の中国旅行記)

   
    竹林 和美 2005年04月08日
学生と山西省を旅する

(この秋はオーストラリアで日本語教師)

 

安藤 知恵  2004年11月18日
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東北育才外国語学校職員旅行

           2005年7月24日(日)、25日(月)

前田 節子

7月22日に高1,2年は夏休みに入った。高3年は一週間余りの休みの後8月1日から最後の補習が19日まで続く。この休みの間、一泊二日の職員旅行があった。目的地は世界遺産に指定されている五女山山城などである。高句麗が初めて都を開いた所で40年間はここで政権が続いた。遼寧省の東の端、吉林省に近いところに位置している。インターネトで調べると高句麗研究家のページがあり五女山の山容の写真があった。ピークのある山ではなく、山上は平坦で勾配の急な台形の形をしている。岩山であり、敵から守るのに適した地形といえるのだろう。

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24日(日)

 朝5時30分、既に40名余りを乗せた大型バスが外国語学校校門に着いた。ここから乗り込むのは5,6名。ここから一路目的地に向う。2時間足らずで本渓に着く。高速道路はここまでで、あとは普通の道路だが思ったより道路が整備されている。車窓からはトウモロコシ畑、水田、その他野菜畑が続いているのが見える。その向こうには木々豊かな山並みが続いている。車内はお子さんも多くにぎやかである。3時間くらい走ったところでトイレのため小休止、といってもトイレがある訳ではない。三々五々畑の緑の蔭で用を足す。前の方から山羊?の群れが向って来ている。あわてて写真を撮った。道路端でかごに盛って香瓜を売っている。降りて買いたいが、我慢する。

 

 10時20分、目的地のホテルに到着。三ツ星で部屋もとてもきれい。部屋から五女山が見える。形に特徴があるのですぐわかった。昼食までの1時間余り部屋でゆっくり過ごす。

 

 昼食後バスで五女山に向う。途中で専用の小型バスに乗り換え、登山口まで運んでくれた。

 直登コース、迂 コースがあるがいずれも階段が頂上まで続いている。直登コースは階段が急で汗だくだ。夏草の生茂るなかに建物の礎石、木々のあいだに石を積み上げて造った門などが残っているのみ。みやげ物の店が何軒かある。歩く途中、大きな木に赤い布を何本も巻いて結んでいるのを何本も見かけた。近寄ってみると願い事を書いている。日本でのおみくじに似ている。日本では小枝に巻くが、ここでは幹に巻いている。山上にいくつか見晴らしのよいところがある。山すそには遼寧省最大という桓龍湖が広がっているのが見える。ダム湖のようである。日本で見る景色と似ている。

 

 下山後バスで桓龍湖の船乗り場まで移動、20分ほどで万樂島に到着。島の周りに周遊路が巡っている。仏教色が濃く、岩にはたくさんの巨大な仏像を配置している。彩色されてにぎやか、ちょっとグロテスク。2時間近くも歩き巨大な観音像を最後に、船で戻った。ホテルに戻ったときは足は棒、6時を過ぎており、お腹もすいて早速食事。

     

 

 

 

 

25日(月)

 9時出発までに時間があるので朝食後、ホテルの前の公園に行って見た。ブランコ、シーソーはもとより20種類くらいの遊び器具、健康器具が設置している。私は金棒に歩行具を取り付けてあるもので足幅を広げる訓練をしてみた。夢中になって続けていると汗だくになり、出発前にシャワーをもう一度。

 バスで東北最大という鍾乳洞、望天洞に向った。洞内は4℃と聞き、入り口で防寒衣を借りて中に入った。どうも14℃と聞き違えたようだ。距離が長いので巡っていると汗が出てくる。“地下迷宮”といわれる洞連洞、洞套洞が続く。外が見えたときはほっとした。出口は結構高いところにある。

 下山後バスでこの旅行の最後、大雅河での“漂流”出発地点に向った。ゴムボートのようなものにのって川を下っていく遊び。二人乗り、それぞれ一本ずつオールを持つ。びしょぬれになると聞き、入り口のところでカッパを買って着込み、その上から救命具をつけた。出発地点はかなり流れが急、ちょっと心配になってきた。乗り込むといきなり流された。水しぶきがどっとボート内に入って来る。オールはどう使ってよいか解からない。流れまかせ、石にぶつかると方向転換。オールでうまく進むよういろいろ試したが簡単ではない。ほかのグループもボートを扱いあぐねている。ボートどうしでぶつかったり。ボートどうし、オールで水の掛けあいが始まったりである。苦闘40分位でようやく終点にたどり着いた。ズボンはびしょぬれ、靴の中も水浸し。

 河の傍のレストランで昼食。ようやく一息ついた。

 15時半、帰路についた。19時40分無事、外国語学校帰着。とても充実した旅行に参加させて頂き感謝でいっぱいである。2005.7.28

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学生と山西省を旅する

安藤 知恵

1. 主な旅行先

〈大同〉 ユネスコの世界遺産。砂岩を切り開いた巨大な『雲こう石窟』。53の洞窟。17メートルからの数センチの51000余箇の彫像は芸術性と遊牧民的なものの融合。東洋のビーナスといわれ安らぎを感じさせる面立ちの菩薩像のある華厳寺。様々な色の瑠璃瓦で装飾され、王府の威容を物語る九龍壁などが有名だ。石炭の町で煤が舞い上がる。

〈五台山〉 膨大な数の寺院が50キロにつらなる高い山頂にある。中国仏教の聖地で巡礼者や旅行者を魅了する。4月に雪解け。9月に雪が降る。木々が茂り、谷間に清水が流れているので、種々の茸が採れる。険しい石段を登り詰めると風光明媚な景色。ロープウェイ、馬も利用できる。

〈平造〉 明代の城壁がほぼ完全に残されている文化遺産。整然と積まれた煉瓦の城壁は6キロの巡り。城内には100年以前の伝統的民間建築が多く有り、今も静かに生活している。将来、電線などが取り払われ住民も移動させられる。金融業が始められた町で、贅を尽くし建てられた商家や大邸宅は、タイムスリップしたような歴史を感じる。

〈太原〉 山西省の省都。乾燥地帯で冬厳寒、夏暑い。歴史が古く、戦いも多かった。交通の要所で各地へのバスの起点になっている。料理は油っこい。

 

2.列車

列車は120キロ位のスピードで広大な大地を走る。

建設中の所があり、時刻通りに運転されない。駅の時刻表にあっても急に取りやめになる。発車時刻があっても到着時刻が明記されないなど、日本では考えられないことが多い。

昨年、北京から成田行きの直行便で帰国するはずだった。驚くよりあきれたことに、「今日は大連経由になる」と言われた。予定より3時間遅れで日本に着き、新幹線最終便に間に合ったこともある。 

本数が極端に少ないので、乗り換えに半日以上待たねばならない。また、往復切符がないので帰りの切符が入手出来ないこともある。学生は硬座席を買い夜行列車で、長時間過ごす。貧しい人や座席切符を買えなかった人は、立ったり床に座ったりで過ごすので、車内は大混雑だ。

彼らは食べ物を持ち込み、おしやべりしながらひっきりなしに食べる。食べかすや残りを捨てるので床はゴミだらけだ。車掌が第で掃くがすぐ汚れる。目に見えない挨が充満している。

私は寝台車を利用した。なぜか、駅で買えないことが多く、唯一男学生が車内で車掌と掛け合い、寝台切符を購入してくれた。硬座から寝台車に移動するのが一仕事だ。人間と荷物をかき分け揺れる車内を移動するのは、至難の業だ。学生と私の席がかなり離れるので、無事に下車出来るか不安がる私のために、学生は車掌や近くの人に、「日本人だから協力して」と頼む。

硬座寝台車は3段からなり、カーテンで覆われている。軟座寝台車は4?5人の個室だ。堅い戸を閉めると密室になる。全員の姿が.見え、落ち着かない。上半身裸で寝ている男性と2人だけの時は、安心できなかった。

日本式、あるいはカナダで利用した寝台車(狭いが一人部屋で洗面トイレ付き)を思い出した。

車内販売でインスタンラーメンが人気ある。お湯はサービスだ。寝台車にはポットにお湯が準備されている。

 

3. お手洗い

寝台車のトイレは各車両に4つあったが、鍵が掛けられ1つしか使用できない。車掌が掃除しなければならないので、施錠するようだ。中国では乗客より自分の都合を優先することがある。

列車のトイレはポトン式で停車中は使用不可。バケツの水で洗い流したいがそれが無いところもあり、かなり気を遣う。

駅の構内は溝式が多く、時々水が流れるだけで臭い不潔で日のやり場がない。また、戸が無かったり、あっても鍵が壊れ使用に耐えず安心できない。中国人はそれが当たり前で、恥じらいがない。隣同士大声で世間話をしている。それでも、どんなトイレでもあれば有り難い。目を閉じ鼻をつまんでも利用出来るから。バスの道路沿いには殆どない。お腹の調子が悪く、運転手に頼んでもどうにもならない。所変われば品変わる。郷に入っては郷に従え。苦しい旅だ。

 

4.沈陽での宿泊

沈陽では元職員のよしみで大学院生の新しい寮に、無料で5泊させて貰った。衛星放送の海外日本放送を見、ホテル並の生活を楽しんだ。学生が部屋を訪れ、再会を喜んだ。聴講生だった50代と70代の女性と街を散策したり、社宅を訪問し友情を深めた。

研究室に山形教授御夫妻をたずね、「どうして中国の学生は物怖じせずに自己主張できるのか?」など興味深い話に花を咲かせ、トロピカルフルーツをご馳走になった。最終日の夜、音楽に合わせ踊る野外の噴水を堪能した。

 

5. 慧子さんのうちに泊めて貰う

五台山では女子大生の王慧彦(日本名一慧子)さん宅に宿泊した。両親は教師。真夜中に到着した我々のために暖かい手料理でもてなしてくれた。大家族時代に建てられた東西南北の棟の中庭に、花や野菜が植えられている。そこに器が数個置かれ、雨水が溜められてある。断水なのでその水を洗面、洗濯、調理にも使うようだ。中国料理は熱した油を通すので大丈夫だろう。

旧式の大きな竃で石炭を炊き、自家製の新鮮な野菜、放し釦、の鶏の肉や卵を調理する。日本では商品にならない果物も食卓をにぎわす。

「湯水の如く。そのまま飲める水道のみず 無限にある水と温泉」日本は有り難い国だ。ここでは水は貴重品。そして電気も。。。。

夜は部屋が真っ暗。月明かりで段差を踏み外さないようにして、北棟のトイレに行く。手探りで紐を引っ張ると裸電球がともる。1間四方に板が敷いてあり、隙間から用を足すのだ。板がおれはしないか。下を見ると怖い。神経を図太くし慣れると平気に使えるようになる。節電、節水を少しは見習いたい。

汗をかいたので銭湯に行くことにした。幹線道路以外は泥んこ道だ。外灯が無いので学生と腕を組み転ばないように、ソロソロと歩く。銭湯とは名前のみ。シャワーだけだったが、気持ちよかった。弟さんが車で迎えにきてくれた。慧子さんは沈陽薬科大学の5年生を卒業した後、大学院に進む。弟さんは専門学校を出てタクシーの運転手をしている。優しく穏和な彼は観光地まで案内してくれた。中国は最近まで男尊女卑の思想だった。現在は女性も能力を発揮でき、管理職や政治家は日本を超えている。自己主張がしっかりしている。共働きなので、男性も家事を分担している。

中国の一人っ子政策には条件があるし、抜け道もある。先天性の障害、農村の第1子が女の場合、少数民族は第2子がみとめられている。金持ちや知識階級は罰金を払い、数人を産む。山間や辺都な田舎は理解が無く、幽霊人口がかなり存在するとか。

一人っ子は全寮制の大学で、柿妹兄弟のように仲良く生活し、切磋琢磨し自己を磨く。彼らは親を大切にし、老後の面倒をよく見ている。又、老人や教師を敬い大切にしている。

 

慧子さんの母親と私は意気投合した。彼女は記念に一筆書いて欲しいと、紙と筆を持ってきた。すばらしい書の国、中国で書くのはおこがましいことだが、*一期一会*と筆を運んだ。

いよいよ別れの朝、母親は桃とゆで卵、五台山の茸をみやげにくれた。肩を抱き合い涙を流し、必ずまた来ることを約束し、手をつないでバスまで歩いた。 心の琴線に触れた喜びは何事にも代え難い。再見!

平遥では学生が見つけた安宿に宿泊。そして、列車で過ごした夜。

 

6. 男ひとり、女五人の学生と

女子大生の服装は日本とかわらない。緑の黒髪、質素。プレスレッドなどのお洒落心。いざというときの自己主張。中国では買い物、タクシー宿など値段が決まっていないので、事前に交渉しなければならない。彼らは納得出来るまで、延々と交渉する。

一人の男学生は、細やかに誠実に、必要な時はビッシトした言動で私の世話をしてくれた。さわやかでぺ・ヨンジュンより感じの良い青年である。

貧富の格差の激しさで治安悪化、犯罪に染まる姿を目にする。

5年後、眠れる獅子は目覚め大きな力ある国になる。

色々のトラブルに巻き込まれた旅、現実の厳しい生活の庶民、暖かい気持ちの家族、反日抗争など全く私には縁が無く、慕われ敬われ愛された旅だった。

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