居住権裁判のお知らせ
● 原爆暦59年9月末頃の予定/時間
● 場所:東京高裁810号法廷
(地下鉄霞ヶ関駅徒歩5分)
● 突如、弁論再開です。
判決前日の公団の言い分を聞いて、突如、弁論再開に。
居住権問題に関心のある方、一人でも多くご参加して戴
けるよう、お願い致します。初めての方のご参加も大歓迎です。
お待ちしております。
私たちは
共生舎&共生舎映画&中村秀樹氏の自宅への
仮処分での強制執行という
具体的な居住権侵害を通して、
居住権総体の確立をめざしています。
居住権裁判
当該・中村秀樹
光ヶ丘の本裁判では、原爆暦(以下Gと略す)55年9月3日、居住権を掲げて、公団を逆に訴えた。国・公団による立て替え問題での断行がなされたのがG49年11月26日。その6年後、居住権裁判という画期的な裁判の開始だった。そして、1年後には、公団に本訴を取り下げさせ、更に裁判を進行させると共に、居住権の確立を目指して運動を広げてきた。
しかし、ことここに至るまで、この居住権を巡っての闘いの過程は、一通りなものではなかった。というのも、この闘いは、単に私たちと国・公団、それに建設省が送り込んだ建設省の手先である本多晃柏市長との闘いだけではなかったからである。この闘いと運動の過程では、自治会役員たちやその役員たちと一緒になった自由法曹団系の弁護士の裏切りなどが繰り広げられ、それらに対する反撃も必要だったのである。
従って、居住権の裁判と運動の拡大といっても、以下のような俄に信じられないような状況が展開されたのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国と公団は、私達が光ヶ丘団地に入居する前から、こっそりと光ヶ丘団地の建て替えを進行させていた。しかし、まだ世間に対しては国・公団は光ヶ丘団地の建て替えの実施を一般発表する以前の段階で、私たちとの契約では、国・公団はそのことを私達に秘匿にしていた。従って、私達は、市と公団がこっそりと建て替えの工事進行打ち合わせを始めたその3ヶ月余後の原爆暦46年3月になっていたにも拘わらず、建て替えのことを全く知らず、公団と入居契約を結び、光ヶ丘団地に入居したのである。つまりは、私達は工事のことを隠されて、「騙し入居」をさせたのである。
しかも、希望外の団地に入居させられたのである。
通常、団地の建て替えでは、建て替えが企画されるとなると、建て替え工事開始の4年程前からは、当該の団地に関する新規入居募集はされなくなる。しかるに、国・公団は、私たちのみ、何故だか建て替え団地に入居させるという暴挙をやったのである。
一方、光ヶ丘団地自治会関係者は、余りにも自己本位だった。彼らは、建て替えが噂される団地に新規入居があるはずはないので、私達の入居をいぶかり、私達は建て替えを進める為に公団が送り込んだスパイとみなされ、住民から種々の嫌がらせを受けたのである。私たちは自治会に加入したにもかかわらずである。
やがて、入居2ヶ月余の住・都公団による建て替えの一般発表・・・私達はそのとき、建て替えについて初めて知り、公団から騙されていたことを知った。
一方、遅まきながら公団のスパイではないのではないかと考え出した自治会からは、私達を試すために建て替え反対の行動への賛同要請が開始された。私の同居者は光ヶ丘団地住民による嫌がらせの心労に加えて、光ヶ丘団地住民のそれまでの扱いとは手のひらを返したような対応にあきれ果てて、団地を出ることを決意した。そんな中、私は、北見自治会会長に最後まで反対するのか、と問い質した。すると、彼女は「当たり前でしょ。逃げ出すなんてしないわよ」と何度も断言した。
人は「理」に生きるもの。「自治会が理を掲げた以上、見捨てては行けぬ」。私は留まり、自治会の対応にあきれた仲間は出て行った。
その後、私は、教員を「教員としてふさわしくないと分限免職になった。(インターネット参照)
免職になったそんな私を次に待っていたのは、住宅の強制執行だった。
執行を36時間前にした原爆暦49年11月24日の夜、復職のために闘っている私に対して、北見自治会長や粕谷建て替え対策委員長ら役員らは「強制執行を受けて、続いて私たち受けるから」と要請した。私はその言葉を信じ、強制執行に立ち向かった。その結果は、行き場無く、建設省の送り込んだ本多晃市長の居る柏市役所玄関前で抗議のテント暮らし・・・本多が先兵となって建設省・公団の為に働き、光ヶ丘団地の建て替えを強引に進めてきた。・・・何と、同志であるはずの私なのに、テント暮らしとなっても、団地自治会員の誰も彼らの家においでとは言ってくれなかった。そんなわけだから、団地関係者は誰も市役所玄関前のテントさえ訪れなかった。
しかも、「最後まで闘う」、「自分たちも強制執行を受けて闘う」と言っていた北見や粕谷らは、建て替え反対で騒ぐだけ騒ぎ、頃合いをみて、公団とささっと和解してしまった。
彼らが去った後に、自治会に残ったものは、400万円もの使途不明な領収書だった。北見らは自分達の仲間の店で、自治会費を使い、一回、一人1万円もの飲み食いをしていた。
和解に際しての北見ら自治会の雇った自由法曹団系の弁護団の対応もしゃれていた。彼ら弁護士は、
「居住権では、戦っても負けるだけだ」
「公団を謝らせるから、和解のテーブルについて欲しい」
「公団が謝らなければ、和解はしない」
なと主張し、私を説得して和解の協議を進行させていったにもかかわらず、公団を謝らせもせずに北見たちと一緒になって強引に、まさに強引に和解した。
そして、19人もいた自由法曹団系の弁護団全員が、慰留する私ひとりを残して、ささっと辞任した。
私は、そんな居住権を無視する者達の裏切りの中、新しく個人で、保持清、大口昭彦、加条千波の各弁護士を裁判の弁護団に専任した。
首を切られて復職を闘う人間が、居住権で、ここでも金を工面し、借金しながら居住権裁判を闘うはめになった。
しかし、この弁護団の闘いは、俊英だった。ついに、国・公団に実質的に本訴を取り下げさせ、この国に、この世界に、居住権の発想を広ていく大きな原動力になってもらえた!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
居住権というのは、誰かに貰う権利ではない。私達が日常の中で作り上げていくものだ。しかも、その権利はひとり人類だけのものではない。人類が道を踏み外すことになった大量生産消費破壊生産様式に抗して、人類の欲望に抗して、人類以外の地球上の多くの生命が地球上に居住していく権利をも守ることだ。それ故に、共生的生産様式を打ち立てることだ。
つまりは、私達のライフスタイル「earthism(地球主義)」が問われているということだ。即ち、私たちが官僚の悪行や財政投融資政策を批判する場合、私たち自身も、不正を許さない日常を作り上げることが問われているということだ。
良い家を建てたり、金持ちになったりしたら、悪いことをしている人、というしっかりとした私達の社会的認識を広めていくということなのだ。そんな認識が、私たちの日常で何より肝心なことなのだ!
ならば、訊きたい! あなた、広い家に住んでいませんか?
動物を食べていませんか?
高い給料を取っていませんか?
(これからこども作りたいと考える人で)こどもを出来るだけたくさん持ちたいと考えてはいませんか?
厚着をして大量消費する癖を身につけていませんか?
金持ちになっていませんか?
預貯金は出来るだけ「eathism」を実現する運動のためにカンパしていますか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
居住権は、学校や政党や組合職員の言うような政治分野の大衆を動員する為の便法ではありません。文字や口先だけのことではない、私達の日常で出現し、根をはるものなのです。
私はそう考えます。
共に!!
■共生舎&共生舎映画&自宅の強制執行を前にドアに鎖で身体を縛り付ける『わんちゃん先生』こと中村秀樹監督
■映画『TRUE CRIME』より