人生相談

TRANSLATION

回答者は複数です。人間100人おれば、100通りの考
えがあり100の回答があります。したがってこれが正解
ではありません。単なる意見です。


★人生相談の98%は、相談する本人自身の事ではなく、「
自分の考えや価値観に会わない人を、どうしたらいいでし
ょうか?」というものです。他者との人間関係です。その
半数は家族関係です。

答えは、自分自身以外のものを自分の思い通りにする、と
いう考え方を全部やめるということです。この社会は「不
寛容な社会」です。「我の強い社会」です。自分の我エゴ
を減らすことです。

我執を取り去れば、そこにあるのは真実の世界つまり生命
のネットワークだけです。人間は他者の存在がなければ生
きていけません。人間は孤独だけれども、命のつながりで
しっかりと結ばれています。真実の世界は孤独などはない
のです。

★最初に人生問題の解決法を教えます。@第一の解決法は
死ぬことです。死んでしまえばいやでも解決します。A第
二の方法はやりたいことをやることです。良くなったり悪
くなったりして、最後まで迷い悩み苦しみぬきます。B第
三の方法は良き師の教えに従い、自己を直し自己の品性を
向上させ、他者の視点で生きることです。

★ブッダは一切行苦と、一切は自分の思い通りに
ならないと説いています。
○思い通りにいかない→大事にされたければ他者を尊重する
○やりがいを見出せない→未来ではなく、「いま」に専念を
○他人が気になる→「他者の利益」と「自分の損」は無関係
○長続きしない→成功のイメージにとらわれすぎていないか
○満たされない→求めるのではなく自分から好意を差し出す
○もめごとが絶えない→あなたのためという偽善をやめる
○さびしい→仮面の付き合いならいっそ独りのほうがいい

-------------------------------------------------------

質問者   「神は存在しますか」

研究所長  
 私は神を否定しているのではありません。神を信じるこ
とは、神を発見することではありません。つまり神を発
見することは永遠にない。信仰は自己投影にすぎません。
多くの人が神を信じ、慰めを見出しています。

なぜ神を信じるのですか。それは、あなたに満足や慰安や
希望を与えてくれるから信じるのです。
そしてあなたは信じている一方で、差別したり無慈悲に搾
取したり生き物を殺したりしているのです。原爆を投下し
ながら、神は副操縦席で我々と共にいたといいました。

多くの独裁者や大統領や首相は篤い信仰を口を揃えて言い
ながら、世界の半分を悲惨な状態に破壊しています。そし
て宗教的な不寛容のために、非信者と信者とに分割し宗教
差別による戦争をしています。

神への信仰は、あなた方の単調で退屈で愚昧で残酷な日々
の生活からの逃避に過ぎません。つまりキリスト教徒、イ
スラム教徒、ヒンズー教徒や資本主義者、社会主義者、共
産主義者といった具合です。だから信仰は「分離」させる
ものです。決して人間を結びつけるものではありません。
同じ人間として共に幸福に生きようとするならば、「分離」
ではなく全人類のために「共有」することでしょう。信仰
は分裂的、破壊的な作用を持っているのです。世界に不幸
を広げるものです。

信仰は一時的にあなたに慰めを与えるかもしれません。し
かし現実には、より以上の不幸、階級差別、戦争という形
の破壊や個人の非情な行為を生み出しています。それゆえ、
あなたの信仰は少しも正当性がないのです。

もしあなたが本当に神を信じ、その存在を体験したなら、
あなたの顔には常に微笑みが浮かんでいるでしょう。人間
を差別したり、苦しい目にあわしたりはしないでしょう。

-------------------------------------------------------
神という虚構

「人間が思考によってつくりだしたものは全て虚構です」。
キリストは神という言葉を口に出さなかった。後世の聖職
者が体制の手先となり、既得権益のために、神を作ったの
です。架空の神を至上の高みまでまつりあげ、人間を最
も低い位置にまでおとしめた。神という仮説を利用して、
自分たちを神に近い存在とし、最高の頂にまで持ち上げた
のである。聖職者たちは神がいないことを知っていたし、
既得権益をもつ金持ちたちも神の王国が存在しないことを
知っていた。「貧しい者は幸いなり」と彼らは言って、信
者たちの生き血を吸っていた。そして彼らは可能な限りの
この世の快楽を享受していた。人間を奴隷のままにとどめ
ておくために神という虚構を容認したのだ。

永遠の生起・創造・探求

しかし、キリストも釈迦も神性、聖なるもの、霊的なもの、
宇宙のいのちの働き「生成化育と破壊」や大いなるものの
存在というものは認めている。また人を愛することや隣人
愛や慈悲心、単なる親切心であっても、これを神と言うの
であれば、それらは人間や生き物や自然など存在するもの
すべてとつながっている。

神とは宇宙の法則・宇宙の命の働き・法ダルマ・愛・慈悲
などを象徴しているのであって、人や物が神ではない。仏
教では世界は神が創造したものではなく、あなた自身が創
造するものである。この世界そのものが神であるという。
宇宙の中心は心の中にあって、物の中にあるのではない。
だからあなた自身が人間性の絶対的な成就のとき、神なの
だ。

私たちは人間性を全面的に生き、愛の世界に生き、情熱的
に踊ったとき自分自身が神だ。神とは永遠に起こり続ける
ものと言おう。あなたも私も生起している。永遠の生起・
創造・探求こそ神だ。
-------------------------------------------------------
『パスカルの賭け』
ある男が、神を信じるか信じないかを決められないでいる。
真実かもしれないし、嘘かもしれない。可能性は五分五分
である。では、その報いはどうなるだろうか? もし、そ
の男が信じなかったとする。教会が正しければ、彼は現世
でも来世でも限りない苦痛に直面する。一方、その男が信
じたとする。教会が正しければ、彼は天国で永遠の幸福を
得る。同時に彼は来世の天国を夢見て、現世を心安らかに
生きることができる。つまり、教会が正しいことに賭ける
方が現世において有利である。

グレゴリーチャイティンとゲーデルによって
数学的に「神はいない」ことが証明されました。
脳機能学者の苫米地英人氏が簡単に説明しています。
-------------------------------------------------------



悩みごと相談者「@どうして人間は生きているのですか」

「Aわたしたちは生きなくてはいけないのか」「Bわたし

たちは何のために生きるのですか」

研究所長    「@どうしてかというと、これは呼吸し
てモノを食って排泄しているからです。それ以上の理由は
ありません。なぜなら、ただそれだけで生きている人間も
病院などには現におり、そうした肉塊の生存を否定する資
格は誰にもないからです。
Aそもそも「生きる」というのは、しなくてはいけないから
しているといったものではありません。「まだ生きたい」
か「なかなか死ねない」かの理由によって生きているので
す。今生きている人で、これ以外の理由で生きている人は
皆無です。
Bその質問自体がすでに歪んでいます。我々や地球のすべ
てのものは目的のために存在しているのでない。ただ存在
しているのです。ただ生きているのです。ユリの花のよう
に。なぜそのような生きる目的が必要なのですか。人間以
外の生き物はそのようなものなしで生きています。この思
い込みから脱してしまうとき、真の自由と単純な愛があり
ます。単純な愛とは、すべてのものへの接し方が優しくて
本当におだやかで平和なことです。そのとき君は輝き、恐
怖は消失するでしょう。パンのみで寿命つきるまで生きて
いけるのです。」そんなことより「自分は何者か」を観る
ことが大切でしょう。「汝自身を知れ」ということです。
----------------------------------------------------
悩みごと相談者「なぜ死んではいけないのか。」

研究所長 たとえば末期ガンで「死にたいと言っている人
に死ぬなというのは、実は残酷なのだ」という意見があり
ました。これはある意味真実です。あるいは「多数の人を
死なせたから」「借金の返済が出来ないから」という死も
あり、一概に語れない難しい問題です。思想のうえでは死
ぬ尊厳を認めても、自分の命は自分のものではなく、父祖
から神から与えられたものであるというのも正論です。

しかし、この説得が今の現代人にどのくらいの説得力があ
るのでしょうか。「命を粗末にしてはいけない」という考
えが当たり前の時代では「人を生かす力」として助け舟に
もなりました。しかし今はまったく個人の「自由」の時代
です。自由が極端まで進むと、自分で考えて自分で決めな
ければならないのです。今の物質文明の社会は非常に冷た
い社会です。「死にたければ勝手に死ねばいい。けど、迷
惑にならないように死んでよ」というほどの冷たさです。

結局、生きる推進力になるものを各自が手に入れなければ
ならないのです。それは何か。たぶん、お金や学歴、地位
や成功といったものは、最終的には生きる力になりきれな
いでしょう。究極的には個人の内面の充実、心の問題とな
ります。つまり心の孤独なのです。「人は一人では生きら
れない」のです。やはり他者とのつながりが必要なのです。
他者によって自己の存在が容認されなければ、自己はあり
えないのです。ですから自我の中に閉塞して「城」を作っ
たりしないで「人とのつながり」方を考えてほしいのです。
私のヒントは他者を認めること、他者の幸福に関わること
をあげておきます。
---------------------------------------------------
悩みごと相談者「命は尊いものと教えられましたが」
小学生

研究所長「生命の価値は多くの人に共有される基準である。
それに比べたら真善美も愛も慈悲も平等も霞んでしまう。
ところで人命は最高の価値があるとすると、人命を保護し
存続させていく社会的・政治的・経済的な条件も尊いこと
になる。これは生活保護法や人権法をはじめ、とてつもな
く厄介なことになる。「他人の生命はどうでもよいが、自
分の生命だけは尊いのだ」なんて主張できないからである。

さらにはチンパンジーの命、クジラの命、アリの命と連続
性・整合性が考慮に入れなければならない。動物の生命だ
けではなく植物の生命も生物学的には本質は変わらないと
いう問題にもぶつかる。動植物の命を殺さないためには、
職業としてはジャイナ教徒のように商業しか選べないとい
うことになる。そこで人間が生きていくためには「人命だ
けが大切なのだ。他の生命には泣いてもらおう」と居直っ
てみると、生命尊重の論理は破綻していることになる。人
間と畜生との価値的な落差というのは単なる文化的な観点
に過ぎない。例えば「猿の惑星」なら類人猿の生命が至上
で人間やブタの生命は二束三文となる。幸いなことに、た
またま、地球は今「特殊なサルであるヒトの惑星」だった
というだけなのだ。よかったなあ、君。
---------------------------------------------------

悩みごと相談者「生きているのが苦しいのですが」

研究所長 「この世に生きている本質がわからないから
です。学校では、この世は生きるに値するとても深いも
のであることや、魂をふるわされるような美しいモノや
コトに出会うことを教えません。生きていく不安や、全
存在が与えてくれる豊かさや偉大な生の贈り物を解き明
かせてくれる教育がないからです。苦しみには意味があ
ります。愛や慈悲心を気づかせてくれます。あなたには
苦しみを乗り越える力があります。なぜなら全宇宙はあ
なたの味方だから

自分の苦しみに自分で寄り添うこともできます。不安や
恐怖を「そうか、苦しいんだね」と眼を閉じて慈悲の温
情で抱きとめてやります。すると、とても心がやわらか
くなり、苦に立ち向かう勇気も出てきます。
なぜかというと、人間は苦の源である自我の動物であり、
それによって組み立てた思考の中には、安定や安心は無
いからです。当然、慈悲心や愛は無いのです。思考と、
本来あるがままの純粋で自由で無垢な自分つまり無我と
の間には常に矛盾と葛藤があります。思考に従っている
かぎり、人は常に我執のうちいるから、自己が非常に重
要になってくるのです。
----------------------------------------------------



 
----------------------------------------------------
悩みごと相談者「幸福になりたいのです。」

研究所長    「幸福とはある事柄ではありません。そ
れは成功でもなく、生き甲斐でもなく、健康・長寿・家内
安全・子孫繁栄でもない。幸福ということはただ感じるこ
とです。いま現在、穏やかな心を感じることです。

世間の人は未来における目的や願望が達成されたときが幸
福だと思っています。だから現在は苦労して我慢するのは
仕方がないと考えるのです。未来のために現在を不幸にす
るわけです。しかし、未来の幸福は永遠にやって来ません。
それは次から次へと目的や願望が現れるからです。幸福は
「今」という瞬間的意識の上にしか存在していないのです。
幸福になりたいですか?では、幸福でいなさい。愛がほし
いですか?では愛になりなさい。」

幸福の感じ方は人それぞれです。オカネが手に入る。愛さ
れる。評価される。おいしいものを食べる。この心が満た
された感覚は、脳内でドーパミンが発射されて生じた刺激
に過ぎません。満たされたときに感じるものは快感であっ
て、幸福感ではありません。
人は何か欲しいものが手に入らないときや思いどうりにな
らないとき、つまり満たされていないときに感じるものが
苦です。

本当の幸福とは何か。ブッダは心が穏やかで平静で安らい
でいられる状態が幸せであるといっています。脳内の抗重
力筋を管理するセロトニンが活性化していて、外界からの
激に影響を受けにくくなった状態です。
これを活性化させるには目的意識を持たないことです。い
ま目の前で行っていることに意識を振り向けることです。
一生懸命にです。そして、心が安らかな状態が継続的に維
持できれば「何々だから幸福」ということではなく、何を
やっていても幸福でいられますよ。
---------------------------------------------------
悩みごと相談者「楽しい人生をおくりたいのですが」
「パチンコ、プロ野球、勝負事に熱中します」「ラクし
て金儲けしたい」「公務員になってラクして生きたい」

研究所長    「人生を楽しめと誰もが言う。楽しい思
いは誰もがしたがります。性的な楽しみ、賭博に走ったり、
何かを所有したり、何かに成功したり、何か娯楽をする楽
しみ。そして何かに依存します。ラクして金儲けしたいと
か、公務員になってラクして生きたいと考えると、心が眠
たくなり腐ってしまいます。

ブツダが説いたように一切は皆苦なのです。何かに依存す
ると、強い喜怒哀楽が生まれます。喜と楽は苦が少し減っ
たように感じるだけのバーチャルな状態であって、依然と
して現実は苦なのです。そして楽しみは当然少しでも長く
その中に浸りたいという気持ちを起こします。執着です。
執着は心を腐敗させます。
ですから楽しみは心を駄目にします。そのどれもが逃避な
のです。何からか。空虚、さびしさ、つらさ、悲しさ、苦し
みから。何かをやって逃避しても、その感情は依然として
心から消え去りません。ではこのさびしさを終わらせるこ
とは可能でしょうか。
可能です。それに直面するのです。真正面から見極めるの
です。あるがままに認識するのです。現実と脳内の反応で
ある感情や思考を仕分ける訓練をすれば、平静な心がやっ
てきます。これが真の幸福です。
空虚や悲しみのあるところには愛がない。愛のないところ
には苦しみがあるのです。」

 悩みごと相談者「この社会は利己的で、無慈悲で、お金

が全てで、嫉妬深く、暴力的で、虚栄心が強く、

自我のかたまりで、そのうえ貪欲に思えるのですが」

「なぜ社会にはこんなに冷淡な人が多いのでしょうか」
        
研究所長    「自分自身の姿です。そのとおりのも
のを自分の周囲に生み出しそれが自分の住む社会となる
のです。なぜなら自分の姿が、そのまま社会の姿なので
すから。
ところで人間の自己中心性は生来のものであり、生存本
能でもある。この自己中心性からの脱却と克服のキーワ
ードは愛であり慈悲です。
欧米社会からやってきた自己中心性は日本でもミーイズ
ムとして既に蔓延しています。その結果、日本は親や祖
先や子孫や他人や社会、国のことなど考えないで、自分
さえ楽しければよいという人ばかりになった。自己中心
の性格の親は子供を虐待する。
こうして家庭や社会は利己的に、さらに政治は権力欲に、
官僚は既得権益に、経済界は物欲になり、国家そのもの
が崩壊していくのです」
--------------------------------------------------

悩みごと相談者「妻がすぐに切れるのですが」NHK放映

研究所長 「NHKの放映を見ればわかるように、夫の
ほうに原因があることがわかります。脳科学で男女の脳
感情が異なることも一因です。」

夫婦喧嘩
「両人ともが、本当に聡明で、謙虚で、寛容で、愛の人
であれば、まず夫婦喧嘩などというものとは無縁です。
聡明というのは自我を離れた人です。こういう夫婦は生
涯仲睦まじく暮らすに違いないでしょう。また、夫婦の
いずれか一方が自我の少ない人ならば仮に片方がどんな
に難題をふっかけても、おおらかに受け止めて、まず争
いにはならないでしょう。
このように考えてくると夫婦喧嘩というものは、両方が
相手を思いやる心がなく、互いに理解せず、共感せず、
聡明でなく、謙虚でなく、寛容でなく、慈愛の心のない
者、つまり品性劣悪なバカ者同士が起こすものです。ど
っちもどっちの低レベルの人間同士に起きるのです。」

人間は暴力的で無慈悲で自己中心的な生き物である。喧
嘩を愛している。けんかの原因は地位と富と権力です。
相手を支配しようとする自我・自己重要感です。けんか
には生きているという高ぶった感覚がある。私達は生き
ていくには闘いが必要だと考えています。二人の間でも
支配と服従の関係が生じます。
自分が何ものでもない人間であるので、ひとかどの人間
になるとか、財力・知力・権力・暴力などで他者を支配
しようというとき、闘争があらわれる。闘争は破壊的で
消耗するだけで悲しみや苦しみ以外の何も生み出しませ
ん。

しかし闘いのない生き方があります。それはユリの花の
ようなものです。それは闘いません。それはただ「ある」
のです。「ある」ということがその善さです。私達はそ
のような教育をまったく受けていません。私達は競争し
闘う教育を受け、成功をめざしています。成功と幸福と
は別のものです。生の豊かさ、命の尊さ、存在の美しさ
、自我の醜さ、そして愛することを知れば解決します。
本当に内的に「謙虚」な人だけが幸せに生きるのです。
けんかをしないのは彼らです」

                                                               

悩みごと相談者「わたしは孤独でさびしく空虚感、無力感、

挫折感で安住の地が無いという感じなのです」「私は何者か」

研究所長  「誰しも実存の空虚を感じます。そこで空虚
を埋めるため走り回るのです。人間は生まれたときも一人、
死ぬときも一人、結局ひとりぼっちだなあというようなも
のです。これは悟りではありません。たんなる感慨、感傷
です。無常感であって無常観ではありません。

近代文明以前は、人と人とはムラ社会・青年団などの共同
体で宗教、習慣、伝統、文化、地縁血縁などによって、し
っかりと結び合わされていました。
近代文明の本質は合理性と個人主義となります。個々人は
自我を最大限に発揮し、自己実現をめざし七転八倒します。
「私は何者か」「何のために生きているのか」「私にとっ
てこの世界は何なのか」とどうにもならない状態に誰もが
陥ります。そして、孤独がやってきます。自分の城に逃避
します。しかし「自分の城を築こうとするものは必ず破滅
します」。つまり、他者を排除した自己というのはありえ
ないからです。他がなければ自はないのです。
他者から承認してもらうには、他者に対して自分を投げ出
さなければなりません。そのヒントは「まじめとまごころ
」です。「まじめ」はからかいの響きがありますが、人生
の最後に勝利するのは「まじめ」な人です。
一方で、孤独感・空虚・恐怖から逃避して安定したいとい
う群居本能が働きます。そこで、私たちは共同体幻想、国
家の一員としての国家幻想、宗教幻想さらに政治的イデオ
ロギー幻想を信奉しようとします。その中に自己のアイデ
ンティティ(同一化)を求め安定しようとします。

誰もが、そういう実存の空虚の感覚を持っています。そこ
で本を読んだり、指導者に会ったり、映画や礼拝や絵を描
いたり、詩を書いたり、音楽に浸ったり、インターネット
や携帯で交友したり、金や地位を得ようとしたり、奉仕活
動や社会活動、集団活動などをして、猿のように動き回り
ます。孤独による苦痛と存在の空虚から逃避しようとしま
す。そして、逃避のほうが重要になってくるとき、悲惨と
混沌に導かれるのです。
だから、生きていくとき直面するこの空虚さにこそ向かい
合うのです。そして自分だけの人生の深い意味を見いだし、
何かを創造することが大切です。自分の外側に権威を求め
たり依存したりしてはなりません。あなたが進んで(ある
がままの命)に直面したとき、あなたの孤独は終わります」

人生の道のりで、自分より高レベルか同レベルで性格のよ
い人に出会えないなら、いっそのこときっぱりと独り歩む
のがよいでしょう。見分け方としては「一緒に居てリラッ
クスできるかどうか」つまり我が少なく、物事にこだわら
ない人です。生涯の友やパートナーには我の強い人を選ば
ないことです。また苦しみの共有ができるかどうかという
ことがポイントです。自分や相手が困難に陥ったとき互い
に助けてくれる人です。
----------------------------------------------------
悩みごと相談者「内気で内向的なのですが」

研究所長    「ターシャ・テューダーという女性を知
ってますか?。90才の今も森の中に独り住み、広大な庭に
色とりどりの花を咲かせ続けている人で、その庭は世界的
に有名です。とても内向的な人で、若い頃から人と過ごす
より植物と過ごすほうが好きだった。彼女は内向的な自分
を恥じるどころか、それを活かして素晴らしい庭を造り、
絵本を描いてきました。
外向的に生きるか、内向的に生きるか、そんなことはどう
だっていいじゃないですか。自分が自分らしく人間らしく
生きることが最も重要なことです。そして、無名であるこ
とは生においてとてつもなく偉大なことです。内的に謙虚
な人だけが生の豊かさ、存在の美しさ、愛の偉大さに触れ
られるのです。彼らは闘争しません。人間の根源的な問題
を解決できる唯一の人たちです。」
-------------------------------------------------------
悩みごと相談者「わたしは何に対しても興味がもてません。

退屈です。無気力です」

研究所長 「なぜ退屈してはいけないのですか。退屈して
いるということは大変な意味を持っています。あなたがあ
りのままの退屈した自分から逃避して、何か他の利己的な
ことをやることのほうが社会的な面だけでなくあらゆる面
で、はるかに多くの害悪をおよぼすでしょう。
今の日本の社会は、自分探しに躍起になったり、過剰にや
りがいや生きがいを追い求めたりと、安心安定な人生とは
程遠い。そんなものなくても楽しく生きていける。平凡が
いけないことのように言われるけれど、日々是好日と日常
的にほどほどに生きることが、一番価値があることなので
す。
「人は何かを成す為に存在する」という西洋哲学は銅像を
作り、偉業を記録に残そうとしてきた。だけど「鳥のよう
に地上にやってくる時には物音を立てずに静かに降り立ち、
やがて何の痕跡も残さずに空に旅立っていく。つまり、人
は何もしないために存在していてもいいじゃないか」と思
うのです。なぜなら、生命を受け、生きていること自体が
すばらしいことなのですから。」
「次に興味をもてないのは理由と原因があります。自己凝
視して退屈している状態をあるがままに受け入れたとき、
理由と原因がわかり、真実なるものを迎え入れることが可
能になります。
例えば自分の中の良いエネルギーを、プラスのエネルギー
を失くしている人に与えていくということです。エネルギ
ーを交換することで停滞を避けることができます。湖は水
を出し入れしなくなった時、病気になります。ですから生
命の流れの中にいて留まらず、常にエネルギーを受けて与
えることは、私達ができる最も創造的で聡明なことのひと
つです。」
----------------------------------------------------

悩みごと相談者「変わり者と呼ばれるのですが」

研究所長 「頭が良くてしっかりしている」「真面目で、
向上心が強い」「人とはあまりつるまない」「個性的なフ
ァッションをしている」「人とはやることが違う」「群れ
を嫌い」「権威を嫌い」「束縛を嫌う」。それを一言でま
とめると「変わり者」になる。

ユングは『タイプ論』の中で、人間をその機能に応じて思
考型、直観型、感情型、感覚型に分けたが、あなたの行動
は典型的な思考型の傾向を持つ。このタイプの人間は論理
的な思考が得意で、どのように入り組んでいても論理的な
筋さえ通っていればそれをぴったりと追う。一方で論理的
に筋の通らないことは受け入れがたく感じる。また、対立
する能力である感情の機能が弱点となり、しばしば自分の
感情をコントロールすることが難しくなる。

日本が圧倒的な母性社会であることは多くの論者によって
指摘されている。この母性社会では論理的な正しさよりも、
仲間の輪に入ることと、そこで同じ価値観、同じ感情を共
有することが優先される。世間のしがらみやなれあいや助
け合いや上下関係や権威を重要視するコミュニティ仲間の
輪に入ろうとせず、自分の論理的な正当性だけを主張する
者は「変わり者」「偏屈者」「問題児」として排除されて
しまうのである。
「弁は立つ。頭がいい。でも誤解もされやすいし、あなた
の良さは理解されづらいだろう。組織や立場、人間関係の
しがらみを大切にするこの社会によって単なる偏屈者にさ
れてしまうだけです。

であるならば、あなた自身を変えていくことよりも、あな
たの個性や、発言のトーン、インテリジェンスの高さがポ
ジティブに映るようなイメージ戦略をとればよい。つまり、
生まれ持った才能に技術をプラスして磨きあげたスキルに
よってこの社会でのし上がっていくのだ。
日本の通常の価値観からすると、社会の秩序を乱すどうし
ようもない人間だが、しかしその成功によって、固まって
しまった制度や価値観が破壊され、その世界に革命的な進
歩がもたらされる場合がある。
例えば日本サッカーで英雄といわれる中田英寿がある。

悩みごと相談者「嫉妬するのですが」

研究所長    「嫉妬とはありのままの自分への不満と
他の人への妬みです。内面が貧しいのです。ありのままの
自分を凝視することと、ものごとをどのように考えるかを
知る洞察と理解が必要です。何を考えるかではなくどのよ
うに考えるかが重要です」
-------------------------------------------------------
悩みごと相談者「比較するのですが」

研究所長  「この世界は比較地獄です。比較は@モノへ
の執着を引き起こします。地位、財産、家、学歴、知識、
車などで、他人との違いによる自己重要感です。屈辱感を
もちたくないからです。モノの差によって自分の存在証明
をするのです。A自我が強まります。議論などで自分を他
者と比較させて存在証明をするため些細なことで反論した
りします。自我の毒ガスをまきちらします。
B比較して自分が上位にくるために、常に自分より不幸な
人をさがすのです。つまり人の幸せを心から喜べなくなっ
てしまい、人の不幸を喜びます。また嫉妬が発生します。
誰かが幸せになると、自分の幸せの取り分が減ってしまう
ように思えるのです。だから、幸せになろうとする人の足
をひっぱろうとします。ですから競争や比較は敵を生み出
し、敵を必要としています。この世界が悲惨での混沌とし
たものになっている理由です」
-------------------------------------------------------
悩みごと相談者「差別するのですが」

研究所長「人間は無意識で差別しています。例えばデパー
トで宝石を買う場合、ボロの服で行った場合とスーツで行
った場合とでは明白に差別されます。人間は外面で無意識
に差別しているのです。いくら差別を批難したとしても、
批難した本人が無意識下で差別しています。人類は皆差別
主義者です。世界中に人権を教えて回っているアメリカ自
身、アジアより激しい差別社会です。いまだに黒人には厳
しく法律を適用し、白人には緩くしています。駐車違反し
ても白人なら捕まらないけど、黒人だったら捕まる。黒人
だというだけで、ちょっとしたことで警官に撃ち殺される。
差別の根深さは並大抵ではありません。地球上から差別は
なくならないと断言できます。社会には愛がありません。
日本の場合、意見を言っただけで人格を否定しているかの
ように誤解されることが多い。それがまさに「2ちゃんね
る」で起きています。
-------------------------------------------------------

悩みごと相談者「お金がほしいのですが」

研究所長 「財産や地位の空しさを論証するのは簡単なこ
とです。あの世まで持っていけないからです。しかし、こ
の指摘は説得力に欠ける。なぜなら数十年という短いスパ
ンで見れば、財産や地位ほど威力を発揮するものは他にな
い。これで多くの人を従わせられる。ただし、周囲のもの
が拝しているのは財産や地位なのであって、その持ち主で
はない。してみると、もし大した努力もせずに財産や地位
が得られるなら、とりあえずそれを確保する。サルが食べ
きれないほどエサを集めた、あるいはサル山での地位を上
げたということです。
金銭というものは、あるほうがしばしば便利です。財産や
地位などは「あるに越したことはない」程度のものですが。
金を貯めるのに意義を見出している利殖家、あるいは爪に
火をともして生活し貯めている守銭奴でも、情熱を燃やし
て打ち込んでいるのであれば他人がとやかくいうのは余計
なことです。
浪費家といわれたアレキサンドルデュマは「俺はパリに来
たとき五フラン金貨ひとつ持ってきたが、その五フランは
そこにある。俺はなんにも浪費していない」と。つまり金
銭自身には何の意味もなく、人間各自の考え方によって決
定するだけです。
世の中、お金のことで悩まない人はないでしょう。お金は
人間関係を壊したり、生活費の問題が夫婦関係を壊したり、
お金を見ると、どんな君子でも悪人になりうる。誰もが「
金次第の世の中は汚いものだ。そうは言っても資本主義の
時代だから仕方がない」と思っている。

問題は「お金に関わって生きている人すべての人間性」が
「お金がすべて」になってしまうことです。「みんな金が
欲しいのだ。金儲けのどこが悪い」と言いたくなるのです。
私のヒントは「たかが金、されど金。出来る範囲でお金を
稼ぎ、出来る範囲でお金を使い、自分の心を失くさないよ
うにモラルをもって生きていく」です。平凡ですかね。

時間は金で買えない。一秒一秒がこぼれるように失われて
いく音が聞こえてきた時、タイムイズマネーではなくタイ
ムイズゴールド黄金だと確信できます。いにしえの聖賢た
ちが、財産や地位を警戒してきたのは、いったん得てしま
うと今度はそれを失わないために汲々とし、更なる欲望に
とらわれ、それによって人生が空費されてしまうからであ
る。短い生涯だから財産や地位を追いかけていると、たち
まち時間は尽きてしまう。
エセ尊師も財産や地位の空しさを説くが、この場合は別で、
「空しいものだから、当方で預かる」ってなもんだから馬
脚が現れる。
-------------------------------------------------------
悩みごと相談者「贅沢に暮らしたいのですが」
     
研究所長  「贅沢は眠たい心を持つということです。も
のごとを洞察する心がなくなり動揺したくないという恐怖
がやって来ます。死の瞬間まで自分の所有しているものか
らの分離という恐怖の中に生きつづけます。」
-----------------------------------------------------

悩みごと相談者「わたしは有名になりたいのですが」

研究所長  「なりたいのは自分自身が何者でもないから
です。内側が空虚カラッポで浅薄な人間だからです。自分
自身の内面が豊かでないからです。心が貧しいからです。
自分は何者か。自分は有名歌手で、二十四才で、東京に住
んでいて、金持ちで、デブでハゲだというのは人間の外側
の情報なのです。卵で例えれば中身のない殻を見ているよ
うなものです。また「あなたは何様のつもりだ」という妬
みの人たちです。あなたが属しているのは、お金がすべて
の物差しになる文化である。あなたはお金を崇拝している。
どんな物を持っているかで人間を測る人です。誰もが年が
ら年中、目の色を変えてお金を稼ぎ、他人に見せびらかす
ものを買っています。」
-----------------------------------------------------
悩みごと相談者「人のことが気になり、他人に干渉
したり、ゴシップやうわさ話が好きなのです」

研究所長    「自分自身の内面に関心をもっていない
からです。自分自身がまったく空虚で、内面が貧困かつ浅
薄なため、そのような自分自身から逃れる手段なのです。
他人の真似をしたいのです。自分の浅はかさや卑劣さを忘
れていたいのです。他人を批判したり、悪口を言うのも空
虚な自分を受容できないためです。では、どうすればやめ
られるか。気づけばよいのです。自分が話している内容を
もう一人の自分が注意深く見つめなさい。あるがままの自
分と向かい合い、受け入れれば終わります。
問題は何をなすべきかということです。必要なのは内面の
輝きなのです。魂の成長です。




悩みごと相談者「わたしは失敗したのですが」

研究所長  「思うようにならないのがのが人の一生です。
仕事に失敗する、人間関係につまずく、病気になる。一つ
失敗したならば、そこで今までの人生を見直し、その失敗
をこれからにどう活かしていけばいいかを考えましょう。
諦めるのではなく、明らかにする@プラス思考です。悲し
み、苦しみを繰り返しながら、それでも生きていくのです。
それには心を常にやわらかくして、新しい価値観を生み出
していかねばなりません。毎日、心を耕し、人生の良き師
をもつことが大切です。そして、つらい悲しい体験をした
なら、それを次の人のために活かしていきましょう。励ま
しや慰めなど形を変えて役立たせましょう。そうすれば、
人生の終わりにあたって「自分は自分なりに生きてきたん
だなあ」と実感し、その時きっと「自分は幸せだった」と
気づくことでしょう」

パラリンピックで金メダル15個を取った成田真由美さんは
横断性脊髄炎で下半身麻痺、心臓病、高血圧症、脊椎損傷、
左手麻痺、体温調節機能不能等、病気のデパートのような
人です。今、障害者への理解を得るために、全国を講演活
動で回っています。いかがでしょうか。人生の半ばで挫折
したり、失意のどん底に陥ることもある。それも生きてい
る証なのです。失意な時には、失意の時の生きがいがある
のです。私たちに与えられたかけがえのない素晴らしい人
生であると思います。
----------------------------------------------------

質問者   「生まれた子供が障害児でした。なぜ私に・・・・

将来が・・・」

研究所長 「生まれた子供が障害児だというのは、欠陥商
品だという考え方ですね。たとえば、目が見えない子だっ
たとしましょう。で、目が見えるようになった。しかし勉
強が出来ない子だった。そしたらもっと勉強のできる子に
取り替えてくれと言うでしょうか。更に心が冷たい子だっ
た、という具合にきりがないのです。
「お父さんお母さん、僕は目が見えない。この僕をそのま
ま認めてください」と言っているのです。神はあなたたち
夫婦ならきっとこの子を幸せにしてやってくれるに違いな
いと預けられたのです。世の中には寿命の短い子もいます。
寿命の短い子は短い子としてしっかりお預かりするのが親
の努めです。

私たちは、命を、親を、子をはじめ、数限りなく恵みを与
えられていますが、自分にとって都合の悪いことに遭うこ
ともしばしばです。恵みは喜んで受け取りますが、不都合
や理不尽なものは受け入れたくないのが普通です。しかし、
そのような子供を神があなたに預けられるのは、親が心の
やさしい人であり、この理不尽ささえも目を背けず、真正
面から受けとめることのできる人だからです。私たちが出
会うさまざまな出来事は神からの恩寵的試練であり、すべ
て意味のあるものです。そこから人生の明日を開く一歩が
生まれ、かけがえのない人生に彩を増してくるのです。
悠久の時を超えて親祖先から受け継がれた「いのち」はど
こまでも愛おしくすばらしいものです。命の存在感覚を実
感するとき、神が私たちに何を期待しているかがわかりま
す」(自らの運命を背負うて感謝す。所与を正受せよ)

--------------------------------------------------

悩みごと相談者「子供を誘拐され殺されてしまいました。

プラス思考したのですが乗り越えられません」

研究所長  「例えば、スポーツで試合に負けたこととか
、怪我をするというレベルであれば、
@プラス思考で乗り越えられます。しかし、家族の死や犯
罪、天災に巻き込まれてしまったりするレベルであれば、
プラス思考で乗り越えられる範疇を超えています。そこで、
単なるプラス思考を超えるために、「挫折」や「不運」と
いう概念を用いない「常勝の発想法」が

A「ブレイクスルー思考」です。この思考では、私たちは
決して挫折することなどありません。一見、無価値な挫折
のように見えることも、意味のない不運に感じられること
も、実はすべて、大きな意味をもっており「順調」そのも
のなのです。「プラス」「マイナス」という見方をせずに、
すべての出来事には意味があり、本質的にマイナスなもの
は存在しないと考えるのです。「目の前の壁を解決するこ
とが、乗り越えられることになる」と考えるのではなく
、「目の前の壁そのものに価値があり、価値のない問題な
ど存在しないのだから、その問題に挑戦するだけで、もう
乗り越えたも同然である」と考えます。

神は乗り越えられない試練をあなたに与えない。問題が起
きた場合、予定通りの試練がやってきた。これは神が自分
に課した恩寵的試練だから私に解けないはずはない。この
問題に対して前向きに取り組めば合格だ。私はこれで一歩
成長した」と考えるのがブレイクスルー思考です。
死亡の場合、一時期は悲しみにくれてもいい。しかし「い
つまでも」はいけません。その人が何を残していったのか、
その中身がその人の生きた証になるのです。残された者が
二度とそのようなことが起こらないように行政に働きかけ
たり、運動や研究を推し進める活動をしたりするのもよい
でしょう。
「葉っぱのフレディ」という本では生命の本質に触れてい
ます。「命あるものは必ず滅び、また次の命が生まれてく
る」ことを。

Bあるがままに思考することです。ものごとの本質は善
いも悪いもないのです。つまり物事にはプラスもマイナス
もない、全てが自然な事です。いいとか悪いというのは俗
世間のものさしです。草木が伸びるのがよくて枯れるのが
悪いのではありません。伸びることも枯れることもそれぞ
れがすばらしいのです。
枯れる時には枯れていいのです。枯れないことには他の草
が生えません。そして枯れた花もそれなりにすばらしいの
です。良寛さんは次のように言いました。「災難に遭う時
には災難に遭うことがいい。死ぬ時には死ぬのがいい。そ
れが災難をまぬかれる妙法だ」と。あるがままそのままが
救いで、無理に乗り越えようとせずに、悩む時は悩めばい
いのです。

C心身一如でなければなりません。温かい心の共感者がそ
ばに寄り添うことや、自然に向き合ったり宗教や座禅瞑想
などによって心身を統合的に調整していくことが大切です。
ポジティブ思考はポジティブ体質に宿ることを、しっか
り確認しましょう。



悩みごと相談者「わたしたち夫婦の相方が浮気していて

怒りでいっぱいです」

研究所長 「それは相手を失いたくない、所有していた相
手をなくすという恐怖からです。それはこれまで自分がど
れだけ相手を通じて快感を得てきたかということです。そ
もそも、人は他の人を所有できません。怒りはまた自己重
要感が失墜したからです。結婚とは相手のみとセックスす
る暗黙の約束です。その約束が破られたからです。夫婦、
上司と部下、友達という関係は、安定して生きるための方
便か、社会的秩序にすぎない。夫婦がお互いに対して貞節
を守るということも、生活の平安を保つうえの約束ですが、
人間の本質とは別の問題です。人間は自然に発生する性欲
を持っています。だからその約束は宇宙自然本来の力に逆
行するものです。動物や自分の性欲のあり方を見れば明ら
かな事実です。
例えば人間に近いチンパンジーは完全な乱婚状態です。ゴ
リラは1頭の雄が何頭もの雌を支配するハーレムを形成し
ています。人間の思考が道徳や法律で結婚という社会の枠
をつくりだしました。つまりその約束は反自然的、不健康
的かつ、自由を束縛するものです。イスラムでは四人まで
妻を持てますが、ふつう既婚者の自由恋愛を許していたら
トラブル頻発です。だから一夫一婦制を支持しておくほう
が楽だといえます。とはいえ、思考が作り出した社会制度
というものは、その制度を守らねば社会を支配している既
得権益を持っている側から制裁を受けます。

浮気をするのは一人の人では満足できない過剰な欲望エネ
ルギーのためです。複数の人と同時につきあうことで幸せ
になることは不可能です。一人と会っているときはもう一
人を裏切ることになり、嘘をついたりします。一度嘘をつ
くと、次々と嘘をつきます。こして潜在意識に事実に反す
ることを刷り込み続ける結果、心が混乱してしまい、自己
コントロール力が低下し、集中力や判断力が失われていき
ます。嘘がばれないかときゅうきゅうし、そのやましさが
不快感となり、言い訳のために心の落ち着きが得られませ
ん。さらに、だまされた側は不快になって、その波動が自
分にフィードバックしてきて、新たな打撃となり、まさに
踏んだり蹴ったりのダメージを被ります。浮気は一見する
と快楽を味わっているだけのように見えますが、実は不幸
になる道路をひた走っているのです。

問題はどのような決着・処理方法をとるかということです。
犠牲の無い決着はなく、ものごとは得ると失うとは宇宙平
均法によってワンセットなのです。「良いと悪い」「楽と
苦」も同様です。だから動けば動いたでそのために捨てな
ければならないものがあるわけだし、動かなければ動かな
いで捨てなければならないものがある。たとえば浮気すれ
ば相互不信と家庭崩壊と自分自身の心が苦しみ、悩みにと
らわれ、つらくなり、まわりにもさまざまな波紋が広がり
ます。一方、心がときめいても浮気しないとき、ぬるま湯
のような平穏な生活が続くわけです。

たとえば、妻が浮気した場合、離婚しますか。それは「性」
を商品とみなしているということです。売春は性の商品化
の典型的なものです。つまり肉体の使用権のことです。あ
らゆる商品の価値を決めるのはその新しさと希少性です。
フェミニストや女性崇拝者にとっては簡単に男と寝る女と
滅多に寝ない女とでは、その価値は決定的に違う。その女
の財産や社会的地位や美貌などよりずっと重要なことだ。
つまり女性を商品とみているからです。

実はそんなことはどっちでもいいのです。私たちを取り巻
く過去や未来の悩みというものは、どちらがいいのかわか
らないのです。既婚者は誰しも根っこのところは浮気はし
たいものだし相手は若い方がよいし、連れ合いには内緒に
しておきたいし、できれば何人でもいや何十人でもあれば、
それに越したことはない。この野望をかなえるには独裁者
の権力、アラビアンナイト風の金力、精力絶倫の体力が必
要です。そんなものは殆どの人は持ってないから、コソコ
ソ浮気をするのです。イスラム圏や東南アジアでは多くの
男が三人か四人の妻を持っています。私がいろいろと聞い
た限りでは、彼ら男たちの心労は想像を絶するものがあり
ます。

まあ無責任な回答になっちゃいましたが、この種の問題は
自分で決めるしかないのでしょうねえ。ギリギリのところ
まで追い詰めてどちらかを選ばせても良いのですが、家庭
や子供より相手がよいと言う場合もありますので覚悟して
ください。自分を照らしてみて、捨てなければならないも
のを、ちゃんと捨てることができる自主の心があるならば、
自分から歩いていくことができるのです。つまり、今ある
がままの自分をじっくり見つめて認識することです。お互
いガンバリましょうね」
----------------------------------------------------
社会学者、フェミニズムの上野千鶴子氏

「人はなぜ不倫するのか」と、先日、取材で聞かれました。
質問の主は不倫ジャーナリズム界の女王・亀山早苗さん。
だから、こう答えました。「人はなぜ不倫せずにいられる
のか」と。私は、不倫しないでいられるということのほう
が理解できない。上野に言わせてもらえば、結婚の定義と
は、以下のとおりです。「自分の身体の性的使用権を、特
定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契
約のこと」。つまり人生100年とするとこれから70か
ら80年間、他の人を愛さないし新しい恋愛をしない、と
相手に誓うことです。自分の自由を制約し、人の手に手渡
すということが私には理解できません。
一瞬が永遠に続くと信じるのを妄想といいます。結婚が一
生続くと思うのは、馬鹿丸出しで血迷ってしまったのか、
ルール違反をすることをわかっていながら大嘘をついたの
か。
----------------------------------------------------
ノルウェイの森 村上春樹氏
結婚しているのに他の人に心を魅かれるというのは、罪で
も何でもありません。この広い世界にはよくあることです
。天気の良い日に美しい湖にボートを浮かべて、空もきれ
いだし湖も美しいと言うのと同じです。
放っておいても物事は流れるべき方向に流れるし、どれだ
けベストを尽くしても人は傷つくときは傷つくのです。人
生の流れに身を委ねなさい。生きるってなんて素晴らしい
んだろうと思いなさい。もっともっと幸せになりなさい。
----------------------------------------------------

丸く収める
ある女性が夫を亡くした後で述懐していた。仕事熱心で経
済的に豊かな生活をさせてくれた夫だったが、唯一つだけ
悪い癖があった。すぐに愛人をこしらえるのである。解決
したかと思うと、またもや次の女性が現れる。その繰り返
しがいやになり、何度も別れようと思った。まず三人いる
子供のことを考えた。離婚すれば自分の気分はすっきりす
るが、片親しかいない子供たちが悲しい思いするのは目に
見えている。子供を抱えての生活の不安もある。子供たち
が将来のあちこちで、この不幸の重荷を知らされる羽目に
なる。親兄弟や親戚に迷惑をかける。子供たちに恨まれる
ことはしたくない。夫は自分と別れる気はない。浮気は浮
気だといい、きっぱりと縁を切っている。自分がいなくな
ったら困ると言っている。

友人に相談しても、人の不幸を喜んでいるのか、面白半分
で無責任に「別れろ、別れろ」というだけである。自分さ
え我慢すれば、子供三人と夫は不幸にならない。客観的に
見れば、自分ひとりが犠牲になれば、丸く収まり、皆が不
幸にならなくてすむ。やがて、年をとるに従って夫の浮気
の虫も活躍しなくなって、結局は幸せな夫婦だったと今は
思っている。もちろん夫婦にとって、不貞とか浮気とかは
夫婦関係の根幹をなすものである。操を守るというのは、
人生を柔軟に生きていく意欲の表れだ。相手の自由を信頼
し尊重しているからこそ自分の自由がある。

しかし、見方を変えて、配偶者という地位と親という地位
とについて、折り合いをつけていくこともしなければなら
ない。我慢することと、しなかったときとで、将来の道が
どうなるかという「計算高さ」は人生の知恵の源泉となり、
「円い」人格を形成していく礎えとなる。



----------------------------------------------------

悩みごと相談者「会社へ行くのが苦しくて行きたくない

のです。」

研究所長  「会社に行って誰かに使われて会社のために
働くというのは、自分の一生の持ち時間を切り売りしてい
くことです。食べてさえいけるのであれば、時間という命
を切り売りしなくてもいい。
たとえば、会社に入ると結婚していない者は半人前とされ、
結婚を勧められる。結婚した途端、生活が出来なくなるか
ら会社からクビにされることを恐れる。さらに子供が出来
たり、家を買ったりするとローンの返済や養育費に追われ、
給料がなくなる恐怖から、ますます会社に忠誠と服従を誓
うようになる。こうして自由は失われ、束縛の牢獄に入る
ことになる。

人は群居本能をもっていて、必然的に集団を求める。集団
には共有する信条があり、個人の精神は自由ではいられま
せん。当然個人の生き生きとした意識活動はできなくなり、
そこに愛はないので苦しくなる。自分の存在証明を組織の
中で同一化し、組織内で自己実現せざるをえない。つまり、
発狂した集団ヒステリー状態になる。そこには、差別、い
じめ、暴動、破壊、強姦、盗み、殺人と何でもある。
「あなたは自分ひとりで、それをやれますか?」「自分ひ
とりだけだったらとてもできません」と責任を回避する。
瞬間的にカッとなって人を殺すということはあるでしょう。
しかし冷静に人を殺すということができる人は少ない。し
かし組織がからむと人間はいともたやすく人を殺す。

集団は自己防衛からくる巨大な闘争エネルギーをもってい
る。外部の人を自己と同一化させようとします。大勢の外
部の人を巻き込んで平和な生活を破壊します。

組織のもつ性格として秩序と階級があります。組織は主従
関係を必要とする。これらは自己重要感(自己の存在証明)
の充足競争に必要なものです。人々はこの競争で競うこと
をイキガイだと思っています。この自己重要感=イキガイ
という自我は、足ることを知らずたえず要求します。それ
は闘争の中でのみ存在しうるため、他者を破壊し尽くし共
生や平和は永遠にこないのです。
----------------------------------------------------
悩みごと相談者「会社をやめたいのです。」

研究所長 「そもそも会社員にならねばならないという考
えは日本人には合っていない。戦前は3万5千種類の職業
があったのが今2千種類に激減している。昔は農業といっ
ても専業ではなく、行商したり獅子舞やったりしめ縄縄つ
くりとかと何種類も復業をやっていた。専業だとニートに
なる可能性がある。

企業に雇われて収入を得るという働き方、つまりサラリー
マンという働き方は今後減少していくのは明らかだろう。
実際、1970年には約50年だった会社の寿命は201
5年には10年を切っていると言われており、経営コンサ
ルタントの神田昌典氏は、著書「2022年これから10
年、活躍できる人の条件」の中で、ロボット化人工知能で
2030年までに会社という組織はなくなるだろう」と述
べている。少なくとも今、20代の人が50代になる頃に
は、今所属している企業は存在していない可能性の方が高
い。

現在は、公務員以外はすでに終身雇用を維持しようにも、
それが事実上困難になっている。公務員の仕事って、大学
でてやる仕事じゃない。それに超おもしろくないし。いの
ちを無駄にしているみたいで定年退職までこんなばかな仕
事やるのは苦しい。

いろいろな理由で会社を辞めたいのでしょう。もともと人
間には生きるという目的以外に目的はない。殆どの人間の
信仰は拝金と自己実現です。日本の学校教育がこれです。
今までは誰もが自己実現はよいことだとか、自分らしくな
ければいけないとか、やりたいことをやらないのは不幸で
あるとか、日本教を信仰させた。

しかしこれからの時代は、殆どの仕事はロボットがします。
ロボットになった人間は、人間になりたい欲求とロボット
になりたい欲求のせめぎあいの中で、自分の中のロボット
の声に向き合う。どこまでがプログラミングされた自分で、
どこから人間かを捉えて、自分で決定する。
ロボットだから仕事の中に自己実現を求める時代は終わっ
た。

これからのロボットの時代、やらない方がいいことはやめ
る。人のためにもならないし、自分のためにもならないこ
とはやめる。今の仕事がどう全体とつながっていくのか、
全体像がわからないものはやめる。
自分とは他者と社会をつなぐ媒体だから、他者も自分もど
うやって助けていけばいいのかを考える。ヒューマニズム
の時代は終わり、ロボットの時代がやってくる。会社は今、
新しい時代の潮流の中で揺れている。ロボット化する人間
と人間化するロボットとのスリリングなコミニュケーショ
ンの始まりだ。」

今後はカネよりも安定よりも「仕事」は、自分にとって楽
しいもの、共鳴するもの、おもしろいもの、健康に良いも
の、全体像がわかるもの、他者のためになるもの、評価し
てもらえるものをやる方がいい。

悩みごと相談者「わたしは政治的、経済的、社会的に

ひとかどの人物になる志を持っていますが」

研究所長  「志というものは人間関係を破壊し人間同士
を敵対させる性質を持っています。もしあなたが幸福に暮
らしたいなら、この志を完全になくさなければなりません。
出世欲、名誉欲、金銭欲には限度がありません。だから「
もっともっと」と常に不満です。この結果、友人は離れ、
身内からも愛想を尽かされ「孤独地獄」に陥ります。
さらにもっと有害な精神的な志、つまり宗教的、主義的な
野心や教義は、集団となるとファシズムや宗教団など恐ろ
しい抑圧装置となります。自分の宗教を守る、共産主義を
守る、国家主義を守るということのために、どれだけの人
を殺してきたことでしょう。何の罪の意識ももたずに。む
しろ自分がその教えのために死ぬことに喜びを感じるとい
った、転倒した論理へのすり替えが、そこでは行われてい
るのです。」
----------------------------------------------------

悩みごと相談者「安心で安全な社会を望むのですが」
「私は心が安らかで安全で安定していたいのですが」

研究所長  「人間の根源的な欲望です。これが悲惨の原
因です。この安心安全でありたいという欲望から自由でな
ければ、結局、政治的、経済的、社会的、さらに精神的な
信念に束縛され、純粋無垢な人間存在全体の働きである生
命の尊重を理解することができないままに生を終えます。
安心安全でありたいという欲望は、信念という思考で作用
し、拝金主義や利己主義など、さらに組織や集団、民族、
国家がもつ信念という「主義」は破壊者なのです。」

私の直感によれば、安心で安全なものはこの世には
ありません

日本は戦後70年余、平和を享受してきた。しかし世界で
は100ヵ所以上で戦争や内戦が勃発し2700万人が死
んだ。それでも人類は殺戮を続ける。世界は衝突しあう信
念、主義、宗教、制度、差別、分離、利害よって引き裂か
れている。

広島や長崎の人々は一瞬にして、そこの人間が消えうせて
しまうと思っていたでしょうか。600万のユダヤ人たち
は一分もしない内に自分が煙になってしまうと思っていた
だろうか。安心安全などというものはこの世に存在しませ
ん。安心安全とやすらぎを求めて、君たちはそこら中を探
し求めて走り回っている。金を、地位を、名誉、家族、い
きがい・信仰・支配・そして服従など、どこを捜してみて
もそれはない。

人は自分の死との関連性を考えないで生きているので、そ
こには喧嘩・離婚・嫉妬・怒り・憎しみ・暴力・残虐・無
慈悲など、ありとあらゆる不幸が続く。
人間の最後のよりどころを家族や愛する人だとするが、そ
こにも安定はない。そこで今度は共同体の中で外見上おお
きな安心を与えてくれそうな国家、民族、宗教、主義、集
団に身の安全を託す。だがそこには戦争・差別・経済圧迫
・分裂・弾圧・闘争等という狂気が待っている。
「いったい安心・安定などあるのだろうか」と途方にくれ
るでしょう。実は思考によって、ねつ造したものには精神
的な安定などないのです。不安ながらも誰一人その思考に
って作り出されたものを手放さない。

覚醒によって洞察すれば、それらを「放棄」することつま
り無我に気づくのですが。しかし、目覚めない人々は日常
的な生活から結論を出して通風を良くする程度でいぜんと
して無明牢獄に住み続けています。

悩みごと相談者安定した生活、良い地位と
高い給料のため一流大学へ行きたいのですが

研究所長  「もしあなたが有名になりたいため、よい収
入の職業につくため、よい地位につくために教育を受ける
ならば、人生は浅薄で、腐敗した、眠った、空しいものと
なります。人生には、より高いより広い意義があるのに、
それを発見できなければ教育はその意味を失ってしまうの
です。
君たちは何を考えるのではなく、どう考えるかを教えられ
なくてはなりません。教育は君たちを社会の型にはまった
ロボットにすることではないのです。教育は人生の大きな
意義を発見するために、まっさらの「無垢」である自信を
もつように助けることです。
もし、この「無垢」への自信を持たないならば、凡庸性の
中で、さ迷い続けるでしょう。名前に少し肩書きを加えた
り、結婚して子供を持ち、それで君は終わりです。
勉強するのは、すばらしいことですが、それと学校とはま
ったく関係ない。学校なんてナシで済ませられるなら、そ
れが一番いい。どんなにいい大学を出ても無知は無知です。
君自身が<無垢>で生きるならば、大学に行こうが行くまい
が、そんなこととは関係なく、望むように生きられる。「
栄達」は世間の秩序を維持する者、既得権益層が造りだし
たカラクリです。
勝ち負けも肩書きも虚飾に支配されたこだわり執着です。
肩書きなど不要になりつつある時代にそんなこだわりは時
代遅れです。そんなことより、自分に与えられた役割を着
実に果たし、人生に喜びを感じることのほうが大事です。
そうすれば、人がなんと言おうと、自分の尺度で自分と他
人を見ることが出来ます。
-------------------------------------------------------

質問者「あなたは社会体制に腹をたてているのですか」

研究所長  「わたしはこの社会に腹を立てているのでは
ない。むしろ哀れみと慈しみでいっぱいだ。今まで人類が
どれほど苦しみ惨めに生きてきたかを知っている。どうし
て怒ることができよう。ただ共感するのみだ。私はこの醜
い世界が消滅し、新しい叡智の世界の創造を願うだけだ。
そうなれば人間は、もっと人間らしく自由に、他者の命を
尊重し、自然に、もっと美しく優しく、もっと愛に満ち、
もっと平和に生き、全存在が与えてくれる豊かさや偉大な
生の贈り物を楽しみながら生きることができるのです」

悩みごと相談者
「結婚する相手の本性を知りたいのですが」

研究所長  「本性を知るには絶望状況になるか、欲望む
きだし状況になるか、同居してみるしかない。同棲できな
い場合は精神医学か臨床心理学で心理テストや精神分析、
または自白剤の注射をしてもらうことです。かなり酔っ払
わせて本音をしゃべらせるという手もある。それもだめな
場合、弱い立場の人に相手がどうでるか観察すればよい。
人間は自己中心的で暴力的であるから、目上の人に対して
は自己を抑制し隠しつづけるが、年下や部下など目下の者
に対する場合は、遠慮する必要もないし油断もするから本
性は現れやすい。
その人より目上の人、金持、大きな家や肩書きを持ってい
る人、地位や仕事を与えることができる人に対して卑屈に
ペコペコしたり慇懃でへつらう態度、相手によってお辞儀
をする角度を変える人。彼らへの服従は何かを求めるから
か、あるいは恐怖から生まれます。
恐怖がないし求めもしない目下、友人などへの尊敬がない
とき、愛は存在しません。そういう人は戦争のとき女子供
や老人を殺すことができるのです。その人が執着せず、所
有せず、争わず、怒りもなく、嫉妬深くなく、貪欲でなく、
慈悲深く、憐憫で、優しく、寛容なとき、その人は愛の人
です。」

------------------------------------------------------- 
悩みごと相談者「わたしは、つまらないことや
容姿などにこだわるのですが」

研究所長  「誰でも私達の精神はとるに足らない些事に
占められています。容姿とか地位・権力・金力への野心、
貪欲さ、嫉妬、うわさ話、残酷さなどです。この凡庸な精
神が「あるべき理想」をつくりだすのでやはりそれも凡庸
です。そして(あるべき理想)と現実の(あるがままの
もの)との間に葛藤が生まれます。(あるべき理想)は、
高尚なもの、無私、寛容、親切、愛、慈悲心、奉仕精神に
我々は関わり生きるべきであると言います。
「あるべき理想」と現実とのそのギヤップが葛藤です。こ
の葛藤を通して変革を期待しているのが宗教や道徳です。
そして、それにかかわる人々は社会活動・奉仕活動によ
って自己を聖別化し、自分は道徳的で健全である、という
のです。しかしいぜんとして精神は凡庸のままです。いか
に立派な(あるべき理想)をつくりだしても、現実は聖職
者でさえ精神は些事、絶え間の無いうわさ話、栄達への追
求、他人の言動に対する好奇心、嫉妬、自分に対する評判
という凡庸さで占められています。精神がその些事を理解
して、静かになったとき、葛藤は消え去ります。」

悩みごと相談者「つぎつぎと新しい自動車が欲しくなるのです」

研究所長 「思考と欲望、思考と快楽の法則をお話しまし
ょう。思考が自分を生み出し、時間が自己中心的な働きを
作るのです。例えば富士山を見てその雄大さに感動する。
そのとき没我の状態で、あるがままに見ています。その美
しさを頭脳が記録した瞬間に記録が思考をはたらかせるの
です。写真に撮ろう。(自分)の出現です。それからその
美しさを追い求めたいという欲求が起こり、それが快楽の
追求となります。思考が快楽の根源です。
ニューモデルの車を見る。流線型またはタフでスピードが
出そうだ。すばらしいなあと、「あるがまま」に見ている。
思考が働き出し、この車に乗ってハンドルを握ってみたい。
誰かを乗せてみたい。さぞ友達が羨むだろう。そして欲し
くなるわけです。思考から開放されない限り、空虚・さび
しさ・苦しさ・つらさ・悲しみに囚われたままです。五感
で見ること、聞くこと、触れること、ここまでは正常で健
全です。そこまでで終わらせなさい。思考に支配されて貪
欲のままに生きるのは醜い。」
-------------------------------------------------------
悩みごと相談者「わたしは軽薄な人間だと言われたが」

研究所長  「 誰もが軽薄なのです。軽薄というのは、外
部からの挑発や刺激に依存すること、他人に頼ること、一
定の価値感や経験や記憶や信念に依存することです。たと
えば教会に通ったり、儀式を行ったり、国家や団体やある
計画に身を委ねることもそうです。それは自分の本当の姿
を知りたくないのです。あるがままの自分を知るというの
は自分が愚かで、浅はかで、心が狭いということを認める
ことなのです。しかしそれを克服するために、動き回って
も、あいかわらずその精神は軽薄です。その軽薄さをじっ
とみつめその働きを観察しなさい」

わたしたちは、人の過失を指摘するのが大好きです。それ
は他人の過失を指摘することで「自分は正しい」と思いた
いからです。「あの人は嘘つきだ」というとき、「自分は
あの人と違って正直者だ」と思うのです。自分を重要視し
て気分よく生きているわけです。人間の心はなかなか進歩
しません。進歩しないのは、他人の過失ばかりを見て、自
分の心を観ようとしないからです。他人の過失を見て、相
手が悪いと言っているあいだは争いが続きます。しかし、
どちらかが、自分の心を観ようとすれば、争いはそこで終
わるのです。
-------------------------------------------------------
悩みごと相談者「もっと認められたいのですが」

研究所長  「一つのところで認められたら次の認知を必
要とします。限りなく認知されることを願ってきりがあり
ません。必要なのは、人から認められることを願う前に、
あなたが自分自身を認めてあげることです。それと同時に
あなたも周りの人を認めてあげてください。」
「妊娠したとき染色体はX染色体がXXと二個ある。最初、
全ての受精卵は女である。X染色体は平和的である。しば
らくすると闘争的なY染色体に変わりほぼ半数の受精卵が
XYとなり男になる。だから男は組織において自己実現や存
在証明を計り闘争する。女は平和的に群れるが、男は闘争
し孤立するが恐怖のため、自分の思考を捨てて組織の論理
に服従する。真の自由と独立はなくなり、自分の船の船長
は組織のボスとなる。自分は組織の論理の代弁者となって、
自己実現をはかる。「組織は絶対に腐敗する」という言葉
どおり、そこには妬み、不満、憎しみ、恨み、悪口、批判、
陥れ、策謀などあらゆる邪悪なものがある。平和に仲良く
楽しく生きることは、組織ではありえない。組織において
は、組織の論理を自己のものとして闘争しつづけて、自己
実現するのみです。自己を捨てて服従する既得権益社会の
牢獄にいる者が、外で一人で自由に遊んでいる者を見て、
君のやり方は変だ、孤立していると言う。究極のところ、
組織とは人間の欲望の集合体なのです。




悩みごと相談者「愛とは何でしょうか」

研究所長「近代文明は「自由」というものを手に入れまし
た。それ以前は愛する自由は制限されていました。誰を愛
するのも自由となると、判断する基準が愛から遠ざかるこ
とになります。仕方なく高収入、高学歴、容姿、住所都会
か、仕事の内容、家族構成で選ぶ。なぜ恋人がほしいのか。
「幸せになりたいから」。私が幸せになるために選ばれた
愛は、いくらでも代替可能な愛です。消耗品の愛となる恐
れがある。「やっぱり違う」「本物の愛はどこにあるの」
となり、愛の不毛の時代となっているわけです。愛とは依
存感、所有欲、ギブアンドテイクではありません。結論か
らいうと、愛とは男女の相互の情熱です。

愛は形がないから、取り出すことが出来るのは唯一セック
スだといえるかもしれません。相手から投げかけられる問
いに、一つ一つ答えていく。そして最後に相手に対して、
もうこれ以上応答を遂行する意欲がなくなったとき、愛は
終わるのです。相手に対して熱烈な愛情を、長期間持ち続
けるのは不可能に近いことで、平均四〜五年の持続といわ
れていますが、その温度が下がったとき、多くの人は寂し
さを感じるでしよう。そして最終的に愛が成就できたかど
うかは、人生が終わってみないとわからないのです」
----------------------------------------------------- 

悩みごと相談者
「わたしは裏切った人に憎くしみでいっぱいです」

研究所長  「いつまでも執着せず、憎しみをありのまま
に見て捨てなさい。大切なことは憎しみを心に根付かせな
いこと、執着しないことです。執着は心を腐敗させます。
時間を与えると、雑草のように根付きます。時間を与えな
いならば、枯れてしまいます。」
-----------------------------------------------------
第二の矢
釈迦は第一の矢が来たとき第二の矢を受けない智慧を教え
た。それは憎しみや恨みを捨てることです。許すことです。
自分には何の罪もないのに、他人や出来事のせいでひどい
目に遭ったと思うのだが、その物事と自分の心の状態とが
類似性をもっていて、互いに類をもって集まるのです。自
分の心の中の不満の心、暗い心、憎む心が災難を引き寄せ
るのです。誰のせいでもない自分自身に原因があったとい
うことです。「一切万事我より出でて我に還る」という真
理があります。誰をも恨んだり、憎んではならないのです。
復讐として、人が人を殺すことは絶対に避けねばなりませ
ん。釈迦は「怨みは怨みによって鎮まらず、怨みは怨みな
きによって鎮まる」と説いている。日常の人間関係でも腹
の立つことがあれば、今一度、自分の心(感情)のなせる業
であることに気づくことが大切です。
------------------------------------------------------- 
事態を動かす
また他人のせいにしたり、他人を悪く思うとき、自分の体
内に毒素ストレスが発生しそれによって心身ともに病んで
いき、運命が悪くなります。何でも自分のせいだと、何も
かもが悪うございましたと思うことです。相手からおま
えは牛のような奴だ、馬のような奴だと言われても、ハイ
ハイ左様でございますか、それで結構でございますよと言
って少しも逆らわないのがよい。これを自我を取り去ると
言います。これはイキイキと生きるコツです。人が悪いと
人のせいにすると、自我が出て、自分は被害者であって、
自分は正しいとなります。そうすると被害者の自分はみじ
めな存在です。事態をどうすることも出来ない自分の無力
感も出てきます。
しかし自分のせいにすると自分が間違っていたのだから、
間違っていない方向へ歩いていくことができます。つまり
事態を自力で動かすことが出来るのです。そうすると元気
が出てきて、イキイキするわけです。人のせいに限ったこ
とではなく、学歴やお金や試験制度のせいにするなども同
じです。それらに権威を与えると、それがある限り何も出
来ないという無力感・絶望感がやってきます。
  

悩みごと相談者 「何のために働くのでしょうか」---「働か

ざる者は食うべからず」と教えられました。働かないことは

悪いことです。だからホームレスの人たちはよくないです。

研究所長 「そうです、それが一般の人たちの考えです。
その言葉は共産党のレーニンが言った言葉です。労働は神
聖にして最高の美徳であるとね。にもかかわらず仏教やキ
リスト教においては、労働はそれほど重要視されていませ
ん。釈迦自身エリートのバラモン階級から「食べるために
働いたらどうだ」と非難されました。釈迦は「私もまた働
いている。信仰は種、行・智慧・禅定は鋤・縄・突き棒で
あって、身と言葉を守り、信によって草刈をしている」と
答えました。世間の労働だけが働くことではなく、ホーム
レスの生活だって労働なんだということになります。

働くことを至上命題にすると、働いていない人を軽蔑する
ことになります。それどころか自分と他人を比較して、自
分より働いていない人を侮蔑したり罵ったりします。
キリスト教では労働は贖罪、つまり罪人がする罪滅ぼしな
のです。停年でリタイアすることを罪から解放されて、コ
ングラチュレーションおめでとうといって祝うのです。
一方日本では、妻が停年の夫を役立たずの濡れ落ち葉とか、
粗大ゴミと罵ります。何が言いたいかというと、働けると
いう立場の人は、働いていない人に感謝の気持ちを持つべ
き、ということです。ホームレスの人たちを非難すべきで
はありません。現代人にとって仕事とは、それが楽しみで
あり苦役であれ、欲望のとりこか、成功への熱望か、転落
への恐怖かによって維持されているのです。しばしば仕事
を正当化するために使われる「妻子のため」や、ウソ臭い
「世のため人の為」や、思い込みに過ぎない「天職だから
」といった意味づけは、賢しこぶっているだけです。「儲
かるから、面白いから、惰性だから」などの動機のほうが
ホンネに近い」と思います。

「人はなぜ働くのか」食べるために働くという人がいます。
もし大金があったら、人は本当に働くのをやめるでしょう
か。
なぜ働かなければならないのかというと、人は「働く」と
いうことで、社会の中で自分の存在を認められたからです。
働くことを社会に出るといいます。働いている人のことを
社会人といいます。一人前になるというのはそういう意味
です。
「働く意味」、言い換えれば「仕事を通した生き方」は、
人それぞれによって異なります。理屈では割り切れない「
情熱」の部分もある。そして時間の経過とともに自分の中
で仕事をする意味も変わっていく。厳密な意味では正解は
なく、時間をかけて、自分で感じ、自分なりに発見するし
かない。

★就職について
大多数の人は仕事は生活の手段と割り切り、好きでもない
ことをやる。生きがいは余暇の時間に探す。功利的な考え
方をする。
調査によれば日本のサラリーマンは誰もが今の職場が
嫌いで会社への忠誠心が低く「もう一度やり直せるな
ら、この会社には絶対入りたくない」と答える。

悩みごと相談者「勉強はなぜ楽しくないのでしょう」

研究所長    「先生たちが教え方を知らないからです。
教え方とは何か。それは数学や歴史など教えるものを愛し
ているならば、そのとき生徒もその教科を愛するでしょう。
先生にとって、それらは生計のためにしなくてはならない
退屈なものだから楽しくないのです。先生は単に教員免許
と学校の中だけで生きている人たちです。自らのトラブル
さえなければ一生安泰だと思っている人たちです。
何か起こればいいのにと思っているのが子供の原理です。
原理原則が合いません。教師は世間一般の人たちとはかけ
離れ過ぎています。指導の手引きという教師用教科書を機
械的に実施していきます。この教科書がないと教えること
ができません。教師には自由な発想などはないから「自由
に感想を述べよう」と書いてあると困ってしまうのです。

だいたい学校というところは、いつから読み書きを教える
教師が、気高い精神的徳性能力もないのに、人格を評価し
たり、指導したり、矯正する人になったのでしょうか。そ
ういうのが好きな人が教師になりたがるのです。生徒指導
の責任者になった教師が、収容所長みたいにイキイキと気
合を入れて取り締まっている風景をよく見かけます。生徒
は囚人になります。見つかると捕まって制裁を受けます。
先生はよく「先生はね、君の将来が心配なんだ」などとウ
ソを言います。先生は生徒のことを心配しているわけでは
ありません。自分のクラスの運営上、君のような生徒がい
ると困る、と思っているだけです。

学校で教える教科は現実の世界では通用しないものが殆ど
です。十年以上もかかって絵空事を次世代に伝え続けてい
ます。教育を知識の暗記だと錯覚し、詰め込み主義の画一
的教育をしてロボットを作っているだけです。
勉強は、物事をより系統的に捉えるための訓練である。

対応には、一に素直に吸収する、二に拒否して無資格のま
ま世間に出て行く、三に世間ではこういう申し合わせにな
っていると面従腹背を決め込むという三タイプに分かれる。
一は一番の教育被害者で既得権益社会に対応できず苦しむ、
二は社会の既得権益を享受できないが、自由に生き、まれ
に独創的な業績をあげる者が出てくる。三は利口な生き方
といわれるが、軽薄で空虚な人間となります。
------------------------------------------------------- 

悩みごと相談者「不登校です」「なぜ勉強するのですか」
学生

某研究員 「フーコーは「学校は装置だ」と言っています。
そもそも学校って商売、もうとっくにツブレているんじゃ
ないかな。だって客の子供が喜んでないもの。この「学校
化社会」は人間には向いていないということに、皆が気づ
き始めたのが21世紀なのです。あまり役に立たない学校
装置も「昔はあんなものもあったね」となつかしむ時代が
すぐそこに来ています」

「限られた知識の詰め込みによって、子供たちを選別し差
別する。そして、いい大学に入り、いい職業に就き、少し
でも上のステイタスを得る。それが、人生最大の関心事な
のです。近代文明はエゴイズムの酷薄な社会です。ですか
ら不登校児激増は歴史的必然です。決められたレールの上
に子供たちを乗せようと、親が押さえつけるので、追い詰
められた子供たちが反発するのが不登校です。

君は学校というのものが子どもを社会の型にはめこむ牢獄
だと気づいてますか。不登校の親の悲しみや悩みは子ども
の将来に対する期待が裏切られた失望感です。それは親の
エゴです。子どもは学校という加害者から苦痛を受けてい
る被害者です。強制する親は子どもの敵になってしまい、
家庭内暴力が発生します。子どもは不登校によって何も悪
いことをしてはいません。君たちの親や先生は君たちを社
会の型にはめこませてロボットにしたいのです。なぜなら
親の自分たちが奴隷ロボットだからです。ロボットだから
有能なのですが、愛の炎がありません。

結局のところ、学校の成績は、既存の権威である既得権益
者への服従度を計る物差しにすぎません。世間の言う優秀
という定義は、単に要領がいい、暗記がいいというだけで
す。そこには、自分の頭で考え、自分なりの考えを持つと
いう要素は入り込む余地が無い。模範解答の単なる暗記力
をテストしているだけであって、生きる意味のひとつであ
る創造力を問うているのではない。

親も教師も政府も、特に既得権益をもつ者は不登校を恐れ
ています。「学校」という監獄から、君たちが飛び出して
いくことを。なぜなら現代社会は既得権益を持つ者たちが
自分たちに都合の良いように作られているからだ。産業革
命以来、彼らにとっては規格化され専門化され同時化され
集中化され管理されたロボットが必要なのです。特に十代
の人間は監禁しなければならない。学校という枠を作って
君たちが服従するかどうか踏み絵をします。競争による金
銭欲と優越感を吹き込み、未来にあるものは「幸福」だと
植え込む。人はありもしない未来の幸福を得るため、現在
の幸福を捨て去る。

産業社会は柵に入った大勢の羊を必要としている。自由な
羊は困る。監禁された子どもは素直な羊になるように知識
のみ与え、智慧を持てないようにする。一部の子羊たちは
その重圧に耐え切れずに、自由を求めて監獄から脱走をは
じめた。
これが不登校です。現在10万の不登校児が50万になっ
てゆき、やがて義務教育は溶解します。

老後には生活保護の身になっても不名誉ではないと居直れ
ば、貯蓄に精出す必要もありません。それどころか世間体
にこだわるのは古臭いと反撃しておけば、ホームレスにな
って生きることも可能です。
今の時代は「衣食足りて礼節を知る」ではなく、「衣食余
りて礼節を忘るる」時代です。なぜこうなったかというと、
豊かさを最高の価値だとしてきたので、その豊かさを実現
してしまったら、もはや目的がなくなってしまったからで
す。さらにもっともっとと豊かさを追求したら、単なる守
銭奴になり果ててしまったのです。資本主義は拝金主義と
いわれる所以です。

世界的にみてもこの拝金主義の古い型は崩壊しつつありま
す。学校へ行くのも行かないのも自由です。義務教育とい
う常識を捨てればよいのです。守銭奴になるのが幸福だと
錯覚しています。

幸福な人生の生き方の答えはひとつではありません。他人
ではなく自分自身が選ぶのです。親がことあるごとに口に
する、「とりあえず学校は出ておけ。学歴社会だから、出
ておけば、あとはなんとかなる」と。ところが現代のつら
さ、なんともならない状況が確実に見えている。そのうえ
「とりあえず」という消極さが、子供の生命感覚になじま
ない。学校がつまらないから行かないというのは「このラ
ーメンはマズイから食べない」というのと同じです。問題
はマズイのに食べている子です。自分は今何を食べている
のかすら、わからなくなっている。子供のとって重要なの
は過去でも将来でもなく、今が全てなのです。

学校に行きたくないのにあえて「将来のために」と言って
行かそうとする親は、わが子を元手にした賭博師です。親
のすべきことは、他者である「みんな」という言葉を使わ
ずに黙ってわが子を見守り、本人自体を愛することです。
自分の居場所はあるんだ。体験からスクールソーシャルワ
ーカーになるのも手だ。人の役に立つことって、おもしろ
くて楽しさが芽生える。学校だけがすべてじゅないんだ。
世界は広いんだ。

君は何も悪くない。無理して学校に行かなくてもいい。人
間関係を切らないで、お父さんやお母さんと外の自然に出
かけよう。山や海、花など美しい自然をながめよう。過疎
の小中校は人を大切にするから転校するのも手だ。

「人は生きてきたように死ぬ」のです。つまり、その人の
人生経験において、一生を通じて蓄積されてきたものが、
その人の生き方死に方を左右する。その人がどんな風に幸
福に思うかということは、人生の生き方そのものにかかわ
ってくるのです。今の学校制度は早晩崩壊するでしょう。

新しい文明をもたらすのは監獄から飛び出していく(無垢)
という自信をもった人だけなのだ。真理の探求は監獄の中
ではなく、その監獄を理解し、その壁を打ち破り、真の自
由へ向かうこの動きこそが、世界を創造するのです。
例えば、世界的建築家の安藤忠雄さんは大学に入って勉強
しようと思って大学の授業をのぞいてみた。ところが全く
の期待はずれ。早速、大学四年間の教科書を買って、一日
10時間勉強して半年間で全部読破した。高校卒でハーバ
ード大学教授、コロンビア大学教授、東大教授になった。
建築界のノーベル賞プリツカー賞を受賞。
また高野雅夫さんは夜間中学卒ですが2009年に立教大学の
特任教授になった。アメリカではエリックホッファは小学
校へも行ってないけれど、図書館の書物だけでカリフォル
ニア大学の教授になっている。 

研究所長 「私たちを規定する生物学的制約から自由にな
るために学ぶのです。人の思考が見出した関係の多くは妄
想です。脳は対数的に増えていくものや変化しながら動く
ものを捕らえることが苦手です。しかし進化は同時に自由
への扉を開いてくれる。脳はほんのわずかしか使っていな
いといわれるが、それは世界のありようを直感的にしか見
ていないからです。世界は私たちの気が付かないところで
驚きと美しさに満ちています。直感に頼るだけで生きるな
ということです。直感が導く誤びょうを見直すために勉強
を続けるのです。それが私たちを自由にするのです。
福岡伸一氏」

悩みごと相談者「子供に目標や夢をもって、がんばれ・
努力しろと言ってるのですが」

研究所長 「過去は未来に投影され、現在がその投影に介
入するときに発揮されるのが(努力)です。理想と平和と
は相反するものです。理想とは求めることであり、平和と
は捨てることです。理想へ近づこうとする行動を(努力)
といいます。努力とは現在あるがままのものを受け入れな
いことです。(努力)するとき、欲望が生じます。この欲望
が自己中心エゴを生み出します。そして努力は闘争という
形になります。悲惨と混乱のはじまりです。理想へ向かっ
ての努力こそ闘争の根源的なパワーだったのです。未来の
何かに期待するとき、興奮し生きがいを感じて活発になり
ます。しかし、そこには、静寂や安らぎはありません。
吉田松陰は「志ココロザシ定まれば意気盛んなり」と言い
ました。それはその通りなのですが、一方で生命を破壊に
導くのです。
現在あるがままのものに共感し、心が完全に一つになった
とき、喜びと幸福が生じます。幸福が生じているので努力
は必要がないわけです。理想が捨てられたとき平和が訪れ
ます。なぜなら平和とは、静寂だからです。

----------------------------------------------------
教育には教える自由と教わる自由がある。学校は運転免許
資格のように資格認定にするのがよい。義務教育は小学校
までとする。中学は私塾も認定、体育塾や料理塾、パソコ
ン教室、英語塾、絵画塾、音楽塾、介護塾、野菜作り塾な
ど数百のカリキュラムを作り、関心のある者だけが行けば
よい。

ガリレオは言った。「何であれ、人に教えることはできな
い。私たちにできるのは人が自分の中に、何かを見つける
のを手助けするだけだ」。「EDUCATION」の持つ意味はも
ともと「引き出す」という意味である。「子どもの体内に
眠っている無限なる可能性を引き出し、子ども自身が心豊
かに生きられるように奉仕すること」が元来の意味である。
----------------------------------------------------
勉強は簡単な「生の全体性」さえ知っていれば大きな問題
はない。例えば、文明は進歩しているのに、なぜ人は殺し
あい戦争をするのか、なぜ苦しみがあるのか、嫉妬・憎悪
などの克服法、文明とは、人間とは、宗教とは何か、幸福
とは、存在の意味、思考の意味。社会の仕組み。「生きる
アート」美の喜び、愛、笑い、生への畏敬。「芸術と創造
性」(絵画、音楽、工芸、陶器など創造的なもの)「死の
アート」(内面の科学:瞑想)が必修です。そのほか@言
語(国語と国際語)を含む。歴史、地理など。コンピュー
タ支援で教えられる記憶関連分野。A自然科学(外界の科
学:算数など)です。

そこで何よりも重要なのは子供を「評価」しないというこ
とです。将来の学校には「テスト」はなく、教師の役割は
ほんの「ガイド」の役となる。スウェーデンでは中学卒業
まで成績表はない
外国へ行ったとき、フランス人から日本文化について尋ね
られました。例えば「仏教」や「禅」や「日本人の精神」
について答えられますか。英語をベラベラ話す日本人が日
本の基本的なことについて知らないから話せないのです。

悩みごと相談者「学校でいじめにあっています。
どうすればよいのでしょうか」

研究所長「いじめるという陰険な排他感覚から出た言葉は
農業を本とする日本独特の秩序文化に根ざした言葉です。

昔の日本の社会は脱出不可能の農耕社会ムラ社会だった。
コミュニティ共同体として水利などで一致団結して「みん
な一緒」に生きていましたから、共同体は維持できました。
共同体のやり方に逆らって自分を主張すると共同体は成り
立たなくなるので、異質な存在として嫌われ、村八分とい
いじめで処罰しました。
現代の共同体つまりムラ社会は学校と会社だけです。外面
的にも内面的にも、みんなと同じ様式で同じことをしなけ
れば、排除され、いじめられます。

私とは誰なのか
一人一人は孤独だから、群居本能によって友達がほしくな
ります。そのとき生贄スケープゴートをつくり、いじめて
いる側が仲間を得るという喜びをもちます。実は、いじめ
ている側には自身の自己存在を肯定する場がないのです。
いじめている側の孤独は深い。それは親子関係からくる場
合もあるし、自身もいじめられた側にいたのかもしれない。
つまり、この社会は人に対して極めて過酷なのです。親は
子にとって味方ではなく、もちろん企業は損得のため若い
人たちに対して過酷冷酷です。年配の労働者もいじめで多
数自殺しています。

学校は一つのムラ社会です。この共同体では仲間(友達)か
ら排除されることは死を意味する。いじめが常に死を強要
し、「死ね」はいじめの常套語です、いじめられっ子がし
ばしば死を選ぶのは人類史的な圧力のすさまじさを示して
いる。友情は決してきれいごとではない。その一方で「友
情のない世界」がバラ色の未来ではない。そこでは自己責
任の下、誰もが孤独に生きていかなくてはならない。血縁
の愛情空間は単位をますます最小化し、単身赴任など「一
人一世帯」の孤独社会となった。孤独死は常態化し、現代
は「無縁社会」となった。連帯社会の基盤となる仏教も希
薄の今、友情空間も血縁愛情空間もなくしてしまえば、貨
幣空間だけが残る。お金まで失ってしまえば公園の配食サ
ービスに並ぶしかない。この孤独潮流は誰にも止められな
い。

もともと学校などというところは行きたくなければ行かな
くてもよいところです。勉強がわからない、対人緊張が強
い、人間性を失う、ロボットになる、いじめられ疎外され
る、心身症が出るようなら、コストとメリットを天秤にか
け、あっさりやめればよい。学校が人生のすべてではない。
ほかに何か楽しいことがあるかもしれない。つまり、置か
れた状況を相対化して考える必要がある。追い詰められた
子を救うには、転校などの措置でいじめっ子と引き離すし
かない。

教育が大衆化したのは二百年にすぎず、一生を左右するよ
うにいわれたのは50年ほどである。人類は400万年の
歴史をもっている。学校は国家が社会や企業のために生徒
の選別や鋳型にはめるところです。親たちも世間体や虚栄
や将来のためという子を元手にした賭博師です。
学校へ行くのはそれなりの利益メリットつまり学歴による
高収入という甘い汁を期待するから、わざわざ時間的経済
的心理的なコストを覚悟で行くのです。本人がその犠牲を
払ってでも行きたがるかどうかだけです。」

いじめの撃退法
その環境下でどう生きるかというと、自分の力で簡単にで
きます。「いじめられる役」に回ればいいのです。言葉の
いじめを受けても、無視されたりバカにされたとしても、
どうってことはない。教科書や鞄や靴を片一方を隠された
りしても、気にしなければよい。堂々と靴の片方だけ履い
て帰ればよいのです。やった側は「堂々としていて、まず
いなあ」となります。暴力を振るわれた場合は、何も怖い
ことはないという態度で「法的手段」に立ち上がればいい
のです。学校の教諭の名前も訴状に入れる。自分が断固と
した態度を示せば暴力はすぐ止みます。
警察が取り合ってくれないなら、警察署の前で座り込めば
いいのです。子供だからご飯ぐらいくれます。その勇気が
必要なのです。精神的に強い人間になることです。自力で
対処できないならば、転校するか、学校をやめて好きなこ
とを仕事にして社会に出るかです。

なぜ生まれてきたのか。
ぼくたちはもともと、命が輝くように、人と共感し、
他人から大切に扱われることに喜びを感じるように
つくられている

悩み事相談者 「人類は人殺しや戦争をやめようと
しません。人類が進歩しない理由は何でしょうか」

研究所長「あらゆる動物には、他の個体よりも優位に立ち
たいという本能があり、他の個体を排除しようとしてしま
います。人間は知能が発達してしまった分、殺してまでも
排除しようとしてしまうのです。だから、戦争の原動力の
正体は思考です。考え方や価値観の違いです。人間一人ひ
とりは心優しく思いやりがあるが、集団や組織つまり民族
や国家・宗教は縄張り争い・領土・利権、憎悪、欲望そし
て自己防衛・自己保存本能が働きます。人類は第1次、第
2次の世界大戦において8千方人の生命を抹殺してきた。
20世紀が虐殺の世紀と云われる所以です。人類の殺しあ
いに終焉はないのです。人類は己の愚行をやめることの出
来ない生き物なのです。

人類が進歩しないのは貴重な経験や教訓が伝わっても、そ
れを避けるとは限らないからです。何度痛い目にあっても
ギャンブルをやめられないようなものです。
親が勧めるものは面白くないし、禁止するものは面白い。
親のいう「悔いのない人生を送れ」とは、ちゃんと勉強し
ろ、結婚しろ、ちゃんとした仕事につけ、健康的な生活を
しろということだ。これに対して若者は今遊んでおかない
と後悔する、今タバコをすっておかないと後悔する、今独
身を楽しんでおかないと後悔する、今我慢するのをやめて、
金を使いたいだけ使い貯金を即刻やめるなど、親の正反対
に考えるのです」
----------------------------------------------------
悩みごと相談者
「やさしいって、どういうことですか」小学生

研究所長  「これは凄い質問ですねぇ。お母さんに聞い
たら、心が温かく思いやりのあることだって言われたんだ。
それって答えになってないね。心が温かいってどういうこ
とかな。思いやりといっても、普通は相手の心の中までわ
からないもの。やさしいか、やさしくないかは「相手が私
の好む態度をとったかどうか」で決まるのです。もっぱら、
自分の我、エゴ、わがまま、自己中心的な強い自意識で決
めているのです。
一人ひとりの我、エゴはほとんどが合わないので「世の中
は冷たい人ばかりだなあ」となります。基本的に人間は「
やさしくしてほしい」だけの片側通行だけです。他人のた
めに骨を折るのは避けたいし無視したいのです。

高級ブランドバッグが好きな女性と付き合いたい男性は、
それを買ってあげねばなりません。自分のエゴを満たして
もらった女性は「この人はやさしい」と思うわけです。ボ
ランティアの人は「やさしくしてあげたい」という気持ち
があるのですが、「人助けという有意義なことをした」と
いう精神的な見返りを期待しています。ですから見返りで
ある感謝がないと、あっさり活動中止になってしまいます。
ボランティアの人に文句を言ってみたらわかります。残酷
な殺人者でも、やさしくしてほしいのです。「あなたが人
を殺したのはしかたがないことですねえ」と言って欲しい
のです。「なぜそんなことをした」と責められると、責め
た人の首を絞めたくなるのです。
結局、世間の言う「やさしさは我というエゴなのです」。
自分に都合がよければ「やさしい」、都合が悪ければ「や
さしくない」、つまり、やさしさは「他人を自分のために
使用する」ことなのです。

本当のやさしさについて答えを出しているのは釈迦です。
私たちには「生命からの心地よい刺激」つまり命を支え
るために、他の生命からの本当のやさしさが必要なので
す。

そのためには「私が」という我エゴを捨てて、より普遍
的で客観的な「生命が」と考えればいかがでしょうか? 
「生命が」と考えれば、これもあれもすべて生命です。
そこに自と他の区別はなく、対立は生じません。だから、
心安らかに生きたいのであれば、「私」という単語を使
わずに一個の生命の立場で考えればよいのです。

そこで突然、自分の周りに無数の生命が出現するのです。
そのすべてが自分に協力してくれて、成り立たせてくれ
る生命です。生命のネットワークが出来上がってしまう
のです。
「無数の生命の中で、自分という一つの生命が、他の生
命からやさしくされたいと思っている」のです。「生か
されている」のではなくて、「成り立っている」のです。
生かされているというのは、神の奴隷のようですが、一
切の生命は対等なのです。

本当のやさしさは、我エゴのない「生命」という次元な
ので、必要以上を求めません。「欲しい」というところ
まではいかないのです。一つの生命の立場で、他の一つ
の生命との関係を見ると、相手から何を要求されている
か見えてきます。お互いの生命を大切にすること。これ
が本当のやさしさです。
本当のやさしさは自然のネットワークの中で、我エゴが
ない状態でいて、すべての生命とつながりの関係を持っ
ていて、生命を成り立たせてくれているそのつながりが
とても大切でありがたい存在です。」
 

          

悩みごと相談者「わたしは怒りっぽいのです。
怒りには死ぬほどの毒があると言います。」

研究所長    「腹を立てる、怒る、憎むそれらの原因
は「不安」を与えられるからです。だからだれもが不安に
なるのを避けるため、たくさんのお金や権力を持とうとし
ます。傷つきたくないから、屈辱感を持ちたくないからで
す。相手が大きくて叩き返せない場合は他の人をいじめて
防壁を築こうとします。お金や権力やいじめに逃避すると
本当の生き方の探求ができなくなり、大らかなのびやかさ
が失われます。そのまま不安の中にいて何故不安なのかを
観察し発見し理解することです」

----------------------------------------------------
そのとおり、怒りは猛毒です。怒りとは自分の中から生ま
れるものですから、解決方法は「毒そのもの」を抜くしか
ありません。怒りを抑える、我慢するというのは間違いで
す。なぜなら内面の怒りは消えないでそのままですから。

釈迦は「怒っている今の自分に気づくこと」と言いました。
それが一番科学的な、怒りの毒を抜く方法です。ですから、
怒りが生まれたら「あっ、怒りだ。これは怒りの感情だ。
今わたしは怒っている」と、すぐに自分の内面を観て、怒
りそのものをよく観察してください。

「人が何か言うと、すぐに怒ってしまう」というところま
では仕方がありません。でも、それからも延々と人の言葉
に振り回されるのではなく、外に向いている自分の目を内
に向けてください。生まれた怒りはその瞬間に消えてしま
います。怒りが消えると、すごく気持ちがよくなります。
そしたら「われながら自己コントロールがうまいものだ」
と自分を褒めましょう。そうなれば、いつでも怒りの感情
に悩まされることなく、穏やかに人の話を聞いていられる
のです。

一番大事なことは、「自分を観る」、ただそれだけです。
怒っている今の自分に気づかない人を「愚か者」といいま
す。怒るたびに何度も何度も自分を破壊しています。怒っ
てしまったらその瞬間に、あなたの幸福は危機に瀕してい
ます。一刻も早く怒りの炎を消さなければなりません。

怒る人というのは全員、「自分の中身に自信を持っていな
い」からです。自分の中身のなさを知られたくなくて、負
け犬の遠吠えをしているだけなのです。つまり、怒る人ほ
ど頭が悪いということです。「私は怒りました」と言うの
は「私はバカです」と触れ回るようなものです。
怒る人は人格や品性のない空っぽな最低の人間です。本当
のリーダーや人格者は怒りません。まずは、何をされても
怒らないということを自分に課してみましょう。
呪文をひとつ教えます。「怒ったら私は負け犬だ」。

相手が怒ったということは、毒入りの料理を出してきたと
いうことです。それを食べてはいけません。自分は腹が立
ったと観察した後、何も言い返したりしないで、その場を
立ち去るのがよいでしょう。
怒らないことと甘やかすこととは違います。本当の愛情が
あり自信があれば話は通りますから甘やかしてはいけませ
ん。
-----------------------------------------------------

なぜ怒るのか。余計なプライドや我エゴがあるからです。
「私には能力がある」とか「他人に負けたくない」という
のも我エゴです。「ののしられたから怒る」「いじめられ
たから怒る」「負かされたら怒る」「盗まれたら怒る」「
私は正しい」も同じです。

エゴは外からの攻撃を受けると怒りに変わります。ですか
ら、我の強い人の周りは敵ばかりとなります。他人や世の
中を敵に回す原因は、自分自身が作っている我エゴなので
す。

「私は金持ちだ」「私は社長だ」「私は上司だ」「私は男
性だ」などと、「私」に対していろいろな概念を持ってい
るとき、他人からその概念を壊された場合に怒りが生まれ
ます。我から生まれる無知のために、完全に頭が狂ってし
まうのです。その結果、怒りが幸福を壊してしまうのです。

人間の本能として喜怒哀楽がありますが、喜怒哀楽はよく
ありません。理性のない感情だけで放逸に生きると社会が
壊れてしまいます。

性格を変えることは難しいですが、モノの見方を変えるよ
うに持っていくことは簡単です。工夫して、芸術的に美的
に、面白そうに、バカらしく、持っていくのです。
-------------------------------------------------------
「怒らないこと」というのは、実は人が生涯をかけるに
ふさわしい、人生の目標とするに値するテーマなのです。

それにはとても勇気がいります。普通の人には到底無理な
ことです。心を完成させるということなのです。その道の
りを一歩一歩、階段を上るように実践していくなら、人生
はバラ色のハッピーとなります。
一般の人は「怒りは悪そのものである」とキチンと認識し
ていません。本音では「怒るのはよくないとわかっている
けれど、いざとなったら怒るのもしょうがない。それで解
決することもある」と思っています。しかし、怒りは猛毒
です。「どんな怒りであろうと、怒りによる行為の結果は、
必ず不幸となる」これは心の真理です。

親切さと心とは別のものです。親切さというのは独立し
た表層的な機能です。それはただの習慣であって心とは
違う。心というのはもっと深くもっと強いものです。た
とえば意地悪な人でも犯罪者でも親切なことをします。

<むすび>
私が言いたいことは「覚醒しないならば世界は幻想で
ある」と理解することだけです。だからもしあなたが
酒を好む人なら私は言うでしょう。「おおいに飲みな
さい。肝臓と相談しながら」金を儲けたかったら「お
おいに儲けなさい。人から好意をもたれるように配慮
しながら」異性を好むなら「おおいに発展しなさい。
相手を嘆かせたり人の道を踏み外さない限り」と。き
れいな心ならどんな幻想を追い求めてよろしい。積極
的に陽気にイキイキと求めなさい。

大切なことは幻想に酔っている自分と、どこかで醒め
て見ている真実在の自分がいるということです。自分
の赤裸々な心にひそむエゴに気づいていることです。
そしてその自己を他に委ねてしまわないことです。自
己とはわが人生の舵をとる人のことです。唯一の指導
者です。

幻想を追わずに我慢して聖人のように生きることはお
すすめしません。なぜなら私達を悩ます欲や煩悩は願
望や目標や夢をもったときから発生するエゴを源とし
ているからです。つまり五感からもたらされるものを
まとめ意味あるものにしているのが自我なのです。エ
ゴは生命の中にあらかじめ内臓された「自己保存本能
・自己実現機能・自己重要性機能・自己存在証明」の
別名です。だから人が生きているかぎりエゴはなくな
らないのです。聖人でない限りせいぜいエゴを少なく
するぐらいが関の山でしょう。

だから浮かれて踊り狂いなさい。感謝と愛と慈しみと
共感で喜びに満ちて明るく楽しく暮らしましょう。害
がわが身におよばないかぎり、やりたいことはやりま
しょう。大切な人を失わないかぎり、やりたくないこ
とはやりたくないと言いましょう。自分がしてほしい
ことは人にしましょう。してほしくないことはしない
でおきましょう。人に喜びを与え苦しみを助けて、積
極的に肯定的に前向きにイキイキと生きましょう。
その時、あなたは天真爛漫な気分の中で喜びに満ちた
盛大な人生を生きているのです。2014/10/1