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御油〜赤坂

吉田〜御油

距離:10.2キロ

平成17年11月20日

 

(御油宿に近い国府辺り)

 吉田宿(豊橋市)を出たのが、10時すぎだった。カメラの乾電池がきれたため、コンビニを探すが街道沿いには中々見つけられず、ようやく豊川の手前でコンビニを見つけ、乾電池とパンなどを購入した。

 水量豊富な豊川を渡り、渡ったところで左に曲がり、しばらくは、川の土手沿いに進む。土手に小さな公園のようなものがあり、そこに、この土手は江戸時代に造成したものと記してある。当時は大変な土木工事だっただろう。

 道は川から離れ、西に進む。この辺りには古い家並みが見られるようになる。ただ、道路に歩道がなく交通量が多い道が続く。車が通るたびに恐怖を感じる。道沿いに豊橋魚市場があった。

 御油宿の途中に、「子だが橋」という石碑が道路脇にあり、その横に説明版にはおよそ一千年前菟足神社には、人身御供があり、春の大祭の初日にこの街道を最初に通る若い女性を生け贄にする慣習があったと伝えられている。ある年のこと、贄狩りに奉仕する平井村の人の前を、若い女性が故郷の祭礼と父母に逢う楽しさを胸に秘めて暁の街道を足早に通りかかり橋の上まで来た。見ればわが子である。「ああ、いかにすべきか」と苦しんだが、神の威光の尊さに「子だが止むを得ん」と、遂に生贄にして神に奉った。それからこの橋を、子だが橋と呼ぶようになったということである。・・・」

 生贄の話は、時折聞くが、この話は本当だろうかと思った。そんな恐ろしいしきたりを地元出身の娘が知らないはずはなく、祭の早朝に通るはずはない。人が生贄になる祭を娘が楽しみにするかな?などと説明版を見ながら考えるが、所詮は伝説なのだと思う。そこから少し離れた街道沿いに菟足神社があった。そんな恐ろしい伝説とは無縁な感じの普通の神社だった。

 しばらく歩いていると、携帯のディスプレイに通常見たことがない数字の羅列とともに、電話がかかってきた。タイに住む叔父さんからの国際電話だった。共同相続となっている土地の一部に携帯電話会社が中継基地を設置するため土地を借りたがっているから、貸すつもりだから、了解してくれという内容だった。了解した。

 街道は国道に遮られ、街道らしき道がしばし無くなる。街道があったと思われる場所の近くの田舎道を通る。秋が深まる田園の風景が美しい。

 国道に戻り、やがて御油の宿場に着く。 

 

 <豊橋>

<豊川>

水量が多い

<豊川の土手>江戸時代のもの?

 

<街道の風情ある家並み>

 

 

<魚市場>

海や港が見えない所にあるので多少違和感があった

 

<子だが橋の石碑>

 

 

菟足神社

 生贄を捧げたと伝えられている

生贄は何故若い娘なのだろうか

 

<飯田線の踏切>

 

<印象的な形をした松>

 <伊奈一里塚跡>

 

<田園風景

 

<御油宿>

 

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