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石部〜草津

水口〜石部

距離:13.7キロ

平成18年2月11日・12日

 

  

(広重画:水口)

 

(広重画:石部)

(水口宿)

(水口宿:江戸方向の写真)

(横田の渡し)

  水口宿を出る時には完全に日が沈んでいた。これは覚悟していたが、写真が思うように撮れなくなるのは大変困る。

 水口宿は、かつて岡山城や水口城の城下町として栄えた街である。宿内の街道は途中3つのルートに分かれている。また街の中はやや複雑になっていて、直角に道を数回曲がらなければならないが、道を一カ所間違えてしまい、時間が迫っている中あわてて500mぐらい引き返した。

 街の中心部で近江鉄道の踏切を渡った。鉄道を見るとほっとする。

 水口宿を出ると“横田の渡し”まで水田地帯が拡がる北脇畷”とかつて呼ばれた平地を進んで行く。おそらくこの辺りは昔も今も有力な米所なのではないだろうか。夕闇の中遠くに見える町明かりがとても美しい。

 石部宿の途中にある“横田の渡し”には、午後6時20分頃到着した。ここの光景は、宮の“七里の渡し”と同じように夜の闇に常夜灯が浮かぶ光景となった。それにしてもここの常夜灯はとても大きい。

 ここからは橋がないため川を渡れず、下流の国道1号線、横田橋に迂回する。橋を渡るとJR三雲駅がすぐ近い。

 JR三雲駅に着く直前に再び妻から電話で連絡がある「どこにいるの?」、「まだ滋賀県、これが最後だから、今しかないんだから、あんたのためにこれから全力を尽くすから・・・」と必死に説得するが「引っ越ししてこれからお金かかるのに余裕あるのね」・・・納得は得られないまま電話は切られてしまった。とぼとぼと闇の中を歩き続ける。

 午後6時半頃三雲駅に着いて「これからどうしようか」と悩んだ。三つの方向性があった。一つ目は「このまま闇の中を石部まで歩き、明日歩く距離を短くする」、二つ目は「妻の機嫌をこれ以上損なわないようにこのまま横浜に戻る」、そして三つ目は「予約した草津のホテルに向かう」。

 20分おきぐらいに草津方面に出てる電車が何の気遣いも無く駅を発車した。タバコを吸いながら駅の軒先で悩み続ける。

 しばらくして雨が降ってきた。そのお陰で「このまま石部まで歩く」という一つ目の選択肢は無くなった。

 そして、次の電車が来る直前に決意した。「ようし、この旅が終わったら全力で妻に恩返ししよう」また「きっと許してくれるだろう」と一気に楽観的な気分になり、三つ目の選択肢を選ぶことにした。きっと悩んでも悩まなくても結果は同じだったかもしれないが、たぶん悩むことに意義があると思う。

 その夜は草津まで電車で行きインターネットで予約したビジネスホテルで宿泊した。ホテルは駅からやや遠かった。途中、中山道を偶然に横切った。いつか中山道も歩くかもしれないと思った。

 夕食はホテルに向かう途中にあった大変安い中華料理屋(ラーメン、餃子、半チャーハンで600円ぐらい)ですませた。味は普通だった。

 ホテルには午後8時半頃着いた。すぐに風呂に入り、買ってきたビールなどを飲んで、翌日に備えて早めに就寝した。

 翌朝は朝5時に起床し、5時15分にホテルを出て、草津駅から始発電車に乗り、三雲駅には6時頃到着した。駅に着いた頃は、まだ真っ暗だった。最初はゆっくりと街道を歩き始める。途中、次第に東の空が明るくなってきた。この日は時々粉雪が舞う天気で寒かった。

 石部の途中で、二カ所、天井川を横切るトンネルを通る。初めて見たので大変興味深い。天井川に上れるところがあり、上ってみた。水は流れていなかったが景色が良かった。

 石部宿には午前7時過ぎに着いた。

 これまで東海道の旅で今回始めて宿泊をし、また宿場間を二日かけて歩いた。

 

 <居酒屋「仕事人」>

水口宿の近く:名前が気合入ってていい

<今在家一里塚>

<水口宿:見附跡>

<水口宿>

 

<水口宿>

高札場跡

 <水口宿>

 

アーケードの東海道

<水口:近江鉄道>

<水口のコミュニティセンター>

 大変立派な建物です

<横田の渡しに向かう途中の“北脇畷”

 整備された水田が拡がっている

県営ほ場整備事業?(農水省補助事業?)

 <柏木公民館の鐘楼>

暗闇の中突如現れた。写真がうまく撮れてよかった

<松並木

 闇の中。時たま車が通る

 <泉の一里塚>

横田の渡しのすぐ近くにある

<横田の渡し:常夜灯>

<三雲駅>

ここで、しばらくどうしようかと悩んだ

<ビジネスホテル>

東海道の旅で最初にして最後の宿泊

<天井川のトンネル>

<天井川の上部>

水は流れていない

<天井川の上部から眺めた景色>

江戸方向の写真:次第に空が明るくなってきた

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