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石部〜草津 |
距離:11.7キロ |
平成18年2月12日 |
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(広重画:石部)
(広重画:草津)
(近江富士)
(草津宿の追分:右東海道、トンネル方向中山道) |
石部宿は京から9里の道のりであり、かつて江戸へ向かう旅人の多くが最初に宿泊した宿場で「京立ち石部泊まり」と言われた。また伊勢参宮街道との分岐点でもあり、多くの旅人で賑わった。 この宿には、古い家や町並みや道を鍵の手に折り曲げた「枡形(ますがた)」も残っており、昔の宿場町の面影を偲ばせる。また宿場内に「石部宿駅」や「田楽茶屋」などの無料休憩所や広場が整備されている。「田楽茶屋」の入口でしばし休憩(一服)した。早朝のため施設の中には入れなかった。 また、ここには石部歴史民俗資料館があるが、早朝で資料館は開いていないため立ち寄ることができず、次回の宿題となった。この資料館には、石部宿の模型、小島本陣の関札、小島本陣の再現模型などが展示されている。 枡形、一里塚跡を過ぎると、左手に小公園がある。この辺りは京側の宿の入口に当たり、「西縄手」と呼ばれかつては松並木があったそうだ。 石部を出ると、かつて「石部金山」とよばれた「灰山」があり、その辺りで東海道が分岐している。野洲川やJRに沿った道を選ぶが、この道は車がびゅんびゅん通り抜ける。抜け道になっているようだ。 この辺りでは近江富士(三上山)が近く、よく見えた。山の上の方は、かすかに白く雪か霧氷をかぶっていて美しい。東海道も時折粉雪が舞って寒さが厳しい。 名神高速道路のトンネルをくぐり、途中、六地蔵に国指定重要文化財となっている「旧和中散本舗跡」がある。「和中散」とは生薬を粉にした昔の胃腸薬で、徳川家康が腹痛を起こした時にこの薬を飲んだらたちまち腹痛が治り、家康がこの薬を「和中散」と名付けたといわれている。現在も店舗、製薬場などが保存されている。大きな建物である。 歩きながら早く京へ着きたいという気持ちと残りの道のりが次第に少なくなることへの寂しさとが入り交じる。いずれにしても一歩一歩確実にゴール・三条大橋に向かっており、今回の旅は今日で終わりとなる。 途中に足利義尚公鈎の陣所跡があり、そこに結構大きな溜め池があった。上ってみると、視界が開け遠くまで見通せて結構景色が良かった。 草津の市街地に入る頃に新幹線の高架をくぐる。夕方には、この上を新幹線で一気に横浜に帰ることとなる。この場所は過去と現在とが交錯する。 草津宿に入ると中山道との追分けがある。中山道側は、追分けからすぐに天井川のトンネルとなっている。これまで様々な追分けを通ってきたが、中山道と東海道の追分けは別格である。しばらく「ここから中山道へ向かう時が来るのだろうか」と思いながら、トンネルの先の中山道を眺めていた。 草津の宿には9時過ぎに到着した。順調である。 |
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<石部宿> 早朝で石部宿には人気がない |
<石部宿:休憩広場> |
<石部宿:石部宿駅> |
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<石部宿:本陣跡>
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<石部宿:田楽茶屋> しばらくここで休憩。 |
<石部宿:田楽茶屋> かごが展示されている |
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<石部宿:一里塚跡> 手作り風の一里塚表示版 |
<石部宿:西縄手の公園> 石部は広場や休憩施設が整備されている |
<東海道の分岐点> まっすぐ進む |
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<途中の民家> 昔の荷車のようなものが置いてある |
<旧和中散本舗跡> 旅人が列をなして薬を買い求めたそうだ |
<旧和中散本舗跡> 二日酔いには効いたのだろうか? |
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<手原駅付近にいたゴジラ> 東海道でゴジラに合えるとは思わなかった |
<足利義尚公鈎の陣所跡> |
<陣所跡にある池>
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<東海道新幹線> この写真を撮影しておよそ8時間後に、この上を新幹線で通過した。酔っ払っていたが、その時にこの場所を確認できた。 |
<草津宿に入った所> |
<草津宿:東海道・中山道の追分> 右が東海道で左が中山道である。将来ここから中山道に行くことがあるだろうか。その時はここで酒を飲もう。 |