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土山〜水口 |
距離:10.5キロ |
平成18年2月11日 |
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(広重画:土山)
(広重画:水口) (片山神社境内) (土山宿) |
土山宿に入る所に田村神社がある。新しくできた「街道橋」を渡り、境内のうっそうと木が茂った林の中を歩いていく。 土山宿は現在の甲賀市にあり、京へ向かう際は鈴鹿峠越えをした最初の宿場となる。坂下宿と同様に、鉄道が鈴鹿峠の急勾配を避けて西寄りのルートとなったため、明治以降、街が発展から取り残されてしまった。それ以前は峠を控えた宿場として繁盛していたようだ。 しかし土山宿は坂下宿とは異なり当時の町並みが今なお多く残っている。またこの宿場は、鈴鹿馬子歌「坂は照る照る鈴鹿は曇る。あいの土山雨が降る」の「あいの土山」として有名である。この唄は鈴鹿峠で大きく天候が変わることを唄っている。 田村神社の境内を抜けると道の駅がある。そこで昼食(肉そば)を食べる。道の駅に寄る人は多いが、食堂で食事をとる人は少ない。やや食事の料金が高いような気がする。 土山宿の町並みは昔の建物が整然と並んでいて、道端に江戸時代の跡地を表示する石柱が至る所に立っている。また建物ごとに屋号が掲げられている。 町並みの中程に「東海道伝馬館」があり、立ち寄った。この資料館は東海道や宿・伝馬制度をテーマに展示をしている。問屋場の復元展示、街道や宿についてリアルに展示し、特産品販売コーナー、体験工房などもある。伝馬館の近くには本陣跡の碑や高札場跡、問屋場跡などがある。 宿場を出て国道を横断して進むが、その先は野洲川で渡ることができないため、国道を渡り「歌声橋」という屋根つきの橋を渡ってしばらく進むと旧東海道に戻る。 この辺りを歩いていると、熊本にいる妻から突然メールがある「どこにいるの?」ぎくっとする。横浜の家に電話しても私がいないものだから、ひょっとして東海道?と思いメールしてきたのだろう。 今回妻には内緒で出てきたが、いずれ妻がHP見れば確実にばれる。正直に「滋賀県」と返信した。すると「気楽でいいよね、こっちは大変なことになってるのに」とまたメールがある、(引越の準備がはかどってないみたいだ)・・・超現実的な世界が非日常的な空間を歩いている自分に襲いかかる。気分が重くなる。そうすると何だか周りの景色まで重く感じてくる。 携帯電話は現在の時代を象徴する大変便利な道具だが、同時に好ましくない面も持ち合わせている。 しばらく歩くと、東海道反野畷碑(水害で大きな被害を受けた市場村が排水路を掘った跡)がある。そこからしばらく行ったあたりで、数人の托鉢しているお坊さんとすれ違った。地元のお寺のお坊さんたちのようであった。 水口宿に向かう途中で道路工事の交通整理している方から声をかけられ「さっき、同じ様な人が逆方向に歩いていったよ」、「石部まで行くには夜になるよ」と教えてくれた。 この日歩いていて多くの人に声をかけられた。「車には気をつけるんだよ」「がんばってね」・・・とみんな暖かい。これまでの旅でこれ程沿道の人と話をしたことは無かった。土地柄なのか、もしかすると自分の変化もあるのかもしれない。 水口宿に着く頃には日が傾き始めていた。午後四時半過ぎに到着した。 |
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<田村神社> |
<道の駅:あいの土山> 肉そばを食べた |
<土山宿の地図表示> |
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<土山宿> 整然として落ち着いた街並みである |
<土山宿:来見橋> |
<土山宿:伝馬館> 東海道や宿・伝馬制度をテーマに展示してある |
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<伝馬館>
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<伝馬館> よくできている
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<土山宿:本陣跡>
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<迂回の表示> 道が途切れている |
<歌声橋> 名前の由来が気になる |
<歌声橋からの景色> 下流方向 |
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<托鉢のお坊さん達> 托鉢のお坊さんを見るのは初めてだ |
<反野畷> |
<水口宿の大きな表示> 水口宿の近く・日が傾いてきた |