東 海 道 の 歴 史

トップページ(旧東海道・西へ)

 


[東海道の歴史(あらまし)]

 

 

 東海道は古代から交通の中心として整備されていますが、明治に入り鉄道や国道、昭和には新幹線や高速道路が整備され、平成の現在も第二東名・名神高速道路の整備が進められるなど、我が国の最も重要な交通路として整備され続けています。

 

●江戸時代前の東海道

 701年の「大宝律令」により、「五畿七道(※)」という、日本を大きく区分した地域が定められました。東海道は、そのうちの都から関東までの太平洋に面する一つの地域を示していましたが、その後都から関東への道そのものを示すようになっていきました。(※「五畿七道」とは、大和、山背、摂津、河内、和泉の五ヶ国の「畿内」と、東の東海道・東山道・北陸道、西の山陰道、山陽道、南海道、西海道の「七道」の地域です。畿内は天皇がいる当時の日本の中心地域として重視されていました。)

 この東海道が注目を浴びるのは、鎌倉幕府によって、都(京)から鎌倉までを結ぶ幹線道路として整備が進められた鎌倉時代からです。

 

●江戸時代の東海道

 江戸時代に入り、徳川幕府は「宿駅・伝馬制度」を定め、江戸の日本橋を起点に東海道や中山道などの「五街道」を整備しました(1601年)。東海道は、幕府のある江戸と天皇のいる京都を結ぶ重要な街道として整備されました。

 東海道には五十三の「宿場」が設けられ、大名やその一行が宿泊する「本陣」や「脇本陣」、一般の旅人が泊まる「旅籠」などの宿泊施設、人や馬の中継を行う「問屋場」が設けられました。また宿場間には、休憩用として、「間の宿」、「茶屋本陣」などが設けられ、街道沿いには松などの並木や一里(約3.9キロ)ごとの「一里塚」が設置されました。

 徳川幕府は、東海道を整備する一方で、江戸の防衛の観点から、東海道には譜代大名を配し、また大井川などの主な河川に橋を架けることを認めませんでした。さらに、箱根などの要所に「関所」を設け往来を規制しました。

 

●江戸時代後の東海道

 明治時代に入ると、「伝馬制」などが廃止され、また鉄道の開通(国鉄東海道本線)や国道(1号線)の開通などによって、東海道やその宿場には大きな変化がもたらされました。

 さらに、昭和になると、高速輸送時代のニーズに応じて、東海道には、新幹線、高速道路の整備がなされてきました。

 今後とも東海道は社会のニーズに応じて、日本の大動脈として発展、変貌していくものと思われます。

 


[東海道歴史年表<江戸期以降>]

 

<江戸時代>

 1600   関ヶ原合戦

 1601   東海道に伝馬制を定める

 1604  日本橋を五街道の起点とする、戸塚宿設置

  1616     公用飛脚、継飛脚開始

 1616   石薬師宿、袋井宿が設置

 1618   箱根宿設置

 1619  箱根に関所が設置

 1623    川崎宿設置

 1624   庄野宿設置(東海道五十三次となる)

 1635  参勤交代が制度化

 1648  三島で大火

 1650  お蔭参りが広がる

 1658   浅井了意『東海道名所記』

 1659  道中奉行設置

 1661  この頃伊勢参りが盛ん

 1680   箱根石畳完成

 1682  吉原宿が中吉原から新吉原へ移転、東海道の付替

 1690   菱川師宣『東海道分間絵図』

 1696  大井川に川越制度が制定

 1705  お陰参り大流行

 1771  お陰参りが大流行

 1790   旅行案内書『東海道名所図絵』

 1802   十辺舎一九『東海道中膝栗毛』

 1804   掛川大火

 1830   お蔭参りが広がる

 1833   歌川広重『宝永堂版 東海道五十三次』

 1834   日坂宿大火

 1809  舞坂宿大火

 1853   米国ペリー提督浦賀に来航

 1854   安政大地震 日米和親条約締結

 1862  生麦事件が起きる

<江戸時代後>

 1868   明治天皇東幸

 1872   伝馬所と助郷廃止  日本初の鉄道開通(横浜・現在の桜木町〜新橋)

 1880   新国道(1号線)開通

 1889   国鉄東海道本線、新橋・神戸間開通

 1919   道路法公布

  1964    東海道新幹線開通

  1969   東名高速道路が全線開通

 2001  旧東海道沿道各地で「東海道400年祭」のイベント


 ※年表を資料として使用する場合は公的な歴史資料で年代等をご確認ください

 

トップページ(旧東海道・西へ)