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大津〜三条大橋

草津〜大津

距離:14.3キロ

平成18年2月12日

 

 

(広重画:草津)

 

 (広重画:大津)

 

(草津宿街道交流館)

 

(大津宿)

 草津宿は、東海道と中山道の分岐点であり、交通の要衝として繁栄していた。

 今回は草津宿本陣と草津宿街道交流館を見学した。

 草津宿本陣は、国の指定史跡で、当時のままの外観を備え、内部も当時のまま再現されている。また「関札」や「大福帳」などの歴史的な資料が展示されている。宿帳の「大福帳」には、シーボルト、新撰組の土方歳三、吉良上野介、浅野内匠頭など歴史的に著名な人物の名が記されている。

 本陣内はひんやりとしていて、朝早かったせいもあって見学者は自分の他は3人だけだった。

 草津宿街道交流館では、当時の衣装、カツラ、道具を身に着けることができるコーナーがある。一人で変装するのは何だか気が引けてやらなかった。また、ここには、当時の旅籠で出された食事などの展示物や問屋場を紹介したマジックビジョンもそこにはあり、結構面白かった。

 アーケードの商店街を進み、「草津政所跡」、「立木神社」を過ぎ、新草津川を渡る。

 草津から大津への旧東海道は琵琶湖の南端を回るようにして進む。

 東海道は国道1号線と交差し、その先東海道が分断された所に公園があり、そこに「野路一里塚跡」の碑が建っていた。さらに地下道の付いた交差点をくぐるとすぐに「野路の玉川」があり、そこは水が湧き出ている。そして「月輪池」という大きな池の近くや「一里塚跡」などを通過し、直角に左折や右折をするが、この辺りで道を間違えてしまった。地図を持っていてもわかりづらい。

 広い通りに出て、「瀬田の唐橋」に向かう。この辺りには古い佇まいの建物もある。

 「瀬田の唐橋」は、琵琶湖から流れる瀬田川にかかる橋で、橋の入り口に常夜灯がある。この橋は奈良時代からあったといわれ、鎌倉時代に付け替えられた時に唐の様式を取り入れたことから、「唐橋」と呼ばれるようになったとのことだ。

 びわこ毎日マラソンで毎年この橋をテレビの実況中継で見ているが、実際にこの橋を渡るのは初めてのことで嬉しくなる。このマラソン大会は毎年3月に開かれる大会で、かつて瀬古選手や宗兄弟らが走った大会である。

 大津市の市街地を通る旧東海道は、多くの曲がり角があり曲がりくねりながら進む。また踏切を数回渡る。道から時々琵琶湖がかいま見える。

 腹が減ってきて昼食をとりたかったが、街道沿いには適当な店がなかなか見つからず、そのまま京へ向かうこととした。

 大津宿は、京を目前にした宿場で、交通の要衝として繁栄した宿場であり、東海道随一の人口と旅籠数があった。京までの道のりで、最後、53番目の宿場である。

 途中、左手に滋賀県庁の建物が見え、JR大津駅に通ずる広い通りと交差し、「大津事件」の碑がある。大津事件は、明治24年(1891年)5月、ロシア皇太子ニコライが津田三蔵巡査に切り付けられ皇太子が負傷した事件である。とんでもないことをする警察官だ。(※)

 逢坂に向かう広い道の交差点は「札の辻」で、ここで道を確認していると、車に乗っている人から「どちらに行かれるのですか」と声をかけられ、「京都です」と答えた。「この道を上っていくと着きます。」と道を教えてもらった。確認することができた。

 いよいよ逢坂にさしかかる。

 

 <草津宿>

<草津宿本陣>

<草津宿本陣>

<草津宿本陣>

 

<草津宿本陣>

<草津宿本陣>

大名専用のトイレ

 <草津宿本陣>

御膳所・台所

 <草津宿:本陣跡>

 

草津宿街道交流館

立体映像

 草津宿街道交流館

変装できるコーナー

<草津宿街道交流館

旅籠での上等の夕食(左)と朝食(右)

本物ではないが、おいしそう。

<立木神社>

<やぐらはし>

<野路一里塚>

<立場跡>

<瀬田の唐橋近く>

石屋さん

<瀬田の唐橋>

<瀬田の唐橋>

琵琶湖方面を望む

<大津市内の巨大なホテル>

<滋賀県庁>

<大津事件の碑>

皇太子は命に別状なかった

※大津事件の裁判は、外交上の立場から当時の刑法の量刑を超えて犯人に死刑を求める国と、法治国家の立場からそれに反対する裁判所との間でもめた。

結局、裁判所が司法独立を堅持し、犯人は死刑にはならなかった。

 

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