トップページへ

土山〜水口

坂下〜土山

距離 9.7キロ

平成18年2月11日

 

 

(広重画:坂ノ下)

 

(広重画:土山)

 

 

(坂下宿)

 

(土山宿:街道橋)

 坂下宿は、当初鈴鹿峠の近くの「片山神社」のそばにあったが、洪水で宿場が壊滅し、現在の場所に移った。この宿場は、難所の鈴鹿峠を控えた大きな宿場町として当時は大変賑わっていたそうだ。

 しかし明治以降は鉄道や自動車が主な交通手段となり、鉄道の線路は鈴鹿峠の急勾配を避けて坂下宿の西寄りの柘植を経由して敷設され、また国道のバイパスがここを避けて建設されたことによって、この宿場街は衰退していったとのことだ。また、宿場の旧街道は、道路の拡幅によって昔よりも道幅が広くなっている。「道路工事によって古い家並みの多くが無くなった」と先程の「鈴鹿馬子唄会館」の方が語っていたのを思い出す。

 このような歴史の流れの中で、坂下宿には宿場町として繁栄した当時の面影や建物が今ではほとんど残っておらず、本陣跡などを示す石碑が寂しく立っている。となりの関宿とは相当な違いである。坂下宿では地域を社会の変化に任せ、関宿とは全く異なって、今では静かな山間の集落となった。

 おばあさんが車の通らない広い道をゆっくりと斜めに横切っていく。

 いよいよ鈴鹿越えである。峠は峠に近い部分が厳しい坂道だった。

 「片山神社」の所で道を間違え(左の立派な道を行ってしまったが、そこから折り返すように上り坂になっている道を進まなければならない)、相当進んで間違いに気づいたため、国道に入りそのままトンネルを抜けて一旦滋賀県側に出た。そこで旧道を見つけ逆方向から峠越をし、間違えた分かれ道まで引き返した。途中で30才くらいの女性の一人歩きの人とすれ違い、挨拶を交わす。

 鈴鹿の由来を「鈴鹿馬子唄会館」の方が語っていたが、壬申の乱の時に、大海人皇子が峠で道を間違えた時に鹿が現れ、その鹿に二個の鈴をつけて峠を越えをしたことからこの地域の名前が鈴鹿と名付けられたのだと(首に鈴を付けた鹿が現れたという伝承もあるようだ)。私の場合も峠で道を間違えたが、鹿は現れなかった。

 鈴鹿峠には途中に芭蕉句碑や馬の水飲み場跡があり、峠の上には茶畑が広がり、巨大な常夜灯(万人講常夜灯)がそびえたっている。また峠からの景色は、眼下にループを描く国道1号線や遠くの山々まで一望できてとても素晴らしい。

 道を間違えたことで30分から40分程度時間をロスしてしまったので、それを取り戻すため下りはジョギングする。峠を越えた後の滋賀県側はゆるやかな坂道が続いていたのでジョギングにはもってこいだった。

 途中の集落で街道沿いの農家の人から「どこから歩いているんだい」と呼び止められ、しばらく立ち話をする「石部は車でも40分くらいかかる、歩くのは遠いな」とか、私がきゃしゃに見えたのか「そんな体で、よく歩けるな」といった話を相手はしていた。

 それから、道は次第に平地に下りて行く。第二名神の大きな橋をくぐり、 田村神社の新しくできた「街道橋」を渡ると土山宿に着く。午後二時過ぎに到着した。

 

 <坂下宿>

車はほとんど通らない。静かだ

<坂下宿:本陣跡>

<鈴鹿峠へ向かう>

峠が近づく

 <旧道の入口>

 

<片山神社の近く>

<片山神社>

ここで道を間違えた。右に折り返す道が正しい。

 <間違えたまま通り抜けた国道トンネル>

歩道は小さくトラックが横を通り抜ける時は怖かった 

 <鈴鹿峠:芭蕉句碑>

〜ほっしんの 初にこゆる  鈴鹿山〜

<鈴鹿峠:馬の水飲み場>

 <鈴鹿峠からの眺め>

三重県側の景色

 <鈴鹿峠:県境

 峠には雪が残っていた

<鈴鹿峠>

茶畑が拡がっている。滋賀県側はなだらか

<鈴鹿峠:万人講常夜灯>

大きい常夜灯である

<鈴鹿峠を過ぎた所>

峠からは、なだらかに下って行く

<第二名神の架橋(土山橋)>

景観は変わるが、東海道の新たな時代に向けた工事が進められている

トップページへ

土山〜水口