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| 平成14年12月31日、午後4時半。 足立区梅田近くの高速道路の下で、捨て犬が目撃された。 それは捨て犬の多い足立区では、決して珍しくないことだ。 あと数時間で一年が終わろうとしているのに、飼い犬をゴミのように捨ててしまう …… それも珍しくないことだ。 そして「かわいそう」と思わないで、何のためらいもなく警察や保健所に通報してしまうことも、 日本では、決して珍しくない。 しかし12月31日 …… 保健所は休み。1月6日まで連絡がつかない。 だからウロウロしている犬を捕獲してほしいという連絡が梅田の交番に入った。 お巡りは犬を発見し、勤務先の交番まで連行してから西新井警察に報告した。 迷子犬やノラ犬を交番に預かることができないという決まりに基づき、 この犬も、保健所の仕事始めまでは、西新井警察におくことになった。 捕まった犬は骨と皮に痩せ細った柴犬の雑種だった。歩くことでさえ辛そうな痩せ状態。 なのに、お巡りはこの犬を自転車で無理やりに引っ張って西新井まで連れて行った。 誰が見ても気になる光景だ。 制服姿のお巡りが痩せっぽちの犬を自転車で引っ張って走っている。 しかし、年末の家路に急いでいる人たちの中、 振り向く通行人もいなかったし、妙だと思って立ち止まる人もいなかった。 さすが見て見ぬふりを基本にしている現代の日本の社会構造、 気になる人はひとりもいなかった。 正月の前、我が家のJJをシャンプーしてもらった帰り道の途中、偶然、この光景が目にとまった。 「何だあれ? 制服のままで犬の散歩?」 「まさか! 犬の嫌いな住民からの通報によって捕まった犬にちがいない!」 私は車を停め、お巡りに声をかけた。 「ね! お巡りさん! この犬はどうしたの?」 「この犬? ウロウロしている犬がいるという通報があって、先ほど捕獲した。」 「それで?」 「これから西新井警察に連れて行くところ。」 「そうだったのか、後で迎えに行くから、そう担当者に伝えって下さいね。」 と、ことの重大さを考えずに、口からこぼれた言葉。 家についたとき、頭の中は真っ白だった。 見て見ぬふりできない、この自分の性格に、一瞬、腹が立った。 何で発作的に「後で迎えに行く」と言っちゃったんだろう? 本当に損な性格だな …… 今日は大晦日なのに……のんびり酒でも飲んで、 日本のなさけない動物事情から解放されたいと思った矢先の出来事。 でも、良く考えると、このかわいそうな捨て犬にとって、大晦日もこっちの都合も関係ない。 本人は死ぬか生きるかの瀬戸際。 このコを見殺しにしながら、美味しい酒を飲めるはずがないし、 迎えに行ってやらないと一生後悔するだろう…… これも一つの運命だろう。助けてあげないとダメだと決心した。 それにしてもひどい話だ。 大晦日なのに、犬1匹がウロウロするぐらいで警察に通報をする。 ナサケナイ! 情にあふれる下町、思いやりが自慢の日本の良き時代 …… いったい、どこへ行ってしまったのだろう? 不信な人物がウロウロするときに知らぬ顔をしているくせに、 犬1匹を見かけると、すぐ、警察や保健所に電話をかける。 どっちが危険なのか、よく考えてもらいたいね。 話によると、6割以上の日本人は「動物が好き」と答えているそうだ。しかし現状はちがう。 飼い主のいない犬を見かけると、保健所や警察に通報する。 公園にノラ猫がいると、役所に苦情を入れる。 鳩がウンコをすると、町会に苦情を言う。 カラスがこぼれたゴミをねらって集まると、大騒ぎをする。 これで「動物が好き」と言える社会だろうか? 日本の良き時代の社会構造をすっかり忘れているのに、自分の勝手な都合で、 本音と建て前という時代遅れの仕組みに逃げ込んでいく。 今の日本に必要な構造改革は、社会構造の改革だ。郵政と道路公団の改革は後でいいんだ。 小泉さんよ、そう思わないか? 家に帰って、まずJJを車から下ろした。 そして我が家のコたちにご飯を食べさせてから、西新井警察へ向かった。 除夜の鐘がなる2時間ほど前。 警察署の裏の駐車場に案内された。捕獲されていた3匹の犬がいた。 鑑札のついているブランド犬2匹とボロ雑巾のような柴の雑種 ー それがヒデキだった。 正月明け、この2匹の若いブランド犬は、まちがいなく、鑑札のお陰で飼い主との再会ができるだろう。 しかしヨレヨレのヒデキには鑑札もなく、 哀れな姿から見ても「捨て犬ッ!」という看板を首からぶら下げているような感じだった。 このコの結末は明白だった。 6日になると、このボロ雑巾のような柴犬は保健所へ移動させられることになる。 保健所と言ったら、地獄の1丁目 ー 2丁目のないところだ。 そして待ち受けるのは窒息死による殺処分。 正月休みの期間にたまってきた犬たちと一緒に、ヒデキは、死の臭いをするガス室に入れられる。 消されようとされる命にとって、不安いっぱいの瞬間。 逃げ出せる出口もなければ、助けてくれそうな人間もいない。 目にうつるのは、恐怖でふれている犬たちと覗き窓の向こう側に見えている職員の顔だけだ。 次は、今まで聞いたことのない怖いな音。 「息ができない!苦しい!」 と思っている瞬間、ヒデキはもがきながら口から泡を吹き出す。 足の支えが徐々になくなってしまう。お腹の筋肉が激しく波をうちながら、犬たちはパタパタ倒れていく。 この地獄の苦しみから解放してくれるのは、やがて訪れる死。 ヒデキの一週間後の運命を分かっていて、あなたは、ほっておくことができる? 私はできなかった。 捕獲された犬たちのところへ案内してくれたお巡りさんはいい人だった。 近くのコンビニで犬たちの餌を買ってきて、寒さをしのげるために毛布まで用意してくれたらしい。 ヒデキの方へ指をさしながら、「この犬は捨てられたような感じですね。」 「はい、私もそう思いましたので、迎えにきました。」 「念のために、正月明けに保健所に問い合わせてみますが、おそらく、捜している人はいないでしょう。」 「本当に許せない行為ですが、現在のようなあいまいな法律では、私たち警察もどうしようもないです。」 「こういう無責任飼い主をなんとかしたいものですね。」 本当に珍しいお巡りがいるものだね、と思いました。 だってそうでしょう、日本の動物愛護法の存在も知らない警官ばかりなのに、 この法律は役に立たない笊法だと知っているお巡りはめったにいない。 ヒデキをシャンプーしながら、体の状態をくわしく調べた。 まさしく骨と皮だった。立つこともやっとだった。 長く放浪している場合、痩せてしまうのはごく自然な現象だが、 足の裏から判断してみると、ここまで痩せるほどの放浪したという形跡を見あたらなかった。 なぜかというと、足の裏の皮膚は柔らかくて、あまり歩いたことのないような状態だったから。 日本では珍しくない虐待に等しい飼い方をされた後、ゴミのように捨てられたと考えれば、説明がつく。 つまり、このボロ雑巾のような柴犬は、 動物虐待と言わざるを得ないほどの栄養失調と散歩されずのつなぎっぱなしの毎日を過ごしていただろう。 多くの日本の犬たちが、このような飼い方をされているのに、動物虐待として訴えることは不可能。 理由はふたつ: ひとつは、保健所が「犬をつないで飼いましょう」と間違った指導しているからだ。 もうひとつの理由は、日本の動物愛護法がでたらめの笊法に出来上がっているからだ。 つまり、日本の動物愛護法に書かれている虐待の定義が明白でないから、 ヒデキのような哀れな犬たちが減ることがない。 ヨーロッパのほとんどの国の動物愛護法と比べると、情けないほど粗末な内容になっている。 が、その粗末な内容でさえ守られていない日本では、犠牲者の数は計り知れないほど多い。 彼らの悲鳴は、見て見ぬふりを原則にしている現代の日本社会の耳には届かない。 皆さん、良く目を開けて見て下さい。皆さんの周辺にもヒデキのような犬がいるはず! |
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