遠藤寛子『算法少女』
『算法少女』は、200年ほど昔に町医者とその娘「あき」が書いた算法(数学)の本で、現存するという。著者は、江戸時代に数学好きの少女がいたと知り感銘を受けたのだろう。「あき」を主人公とする児童文学・歴史小説として、同名の本書を執筆した。
上方で算法を学んだ父から手ほどきを受けたあきはある日、若い旗本の算法の誤りを正確に指摘する。これを聞いた算法好きの殿様は、姫の算法指南役としてあきを迎えたいという。
母は「(踊りや三味線ならともかく)女が算法をやってなんになるんです」と苦々しく思っていたが、お屋敷に上がれると聞いて「算法もたいしたものだ」と考え直す。一方父は、算法は「たのしみの道」だと言い、立身の手段のように考えるのは反対だ。あきは「算法を勉強するのは、もっともっとべつの、なにかのためと思うわ」と心でつぶやく。
あきが屋敷に上がるとライバル登場。日本が世界に誇る数学者・関孝和に由来する関流算法派が、上方算法に負けじと威信をかけて同い年の少女を送り込んでいた…と話は進む。
さて、著者があきをして語らしめた、算法を勉強する理由である「べつの、なにか」は何だったのだろう。時代こそ違え、上方算法と関流算法、町人と武家、少女と少年など、本書の背景にある対立の構図は現代でも理解できよう。あきは学問たる算法を通して、対立の先にあるべき止揚を真摯に見つめている。問いへのヒントはそのあたりにありそうと思われるが、読者のために、評者はこれ以上語るべきではなかろう。
いま、「なぜ数学(算数)を勉強しなければならないの?」と疑問に思っている方は、あきのお父さんのように「楽しみのため」とか、お母さんのように「将来のため」と言われても、全然納得できないことだろう。納得できないからこそ、疑問が生じているのだから。本書は特に、そんな少女、少年のみなさんにお勧めしたい。