The North of the Border

<3>













目覚めたのはそれから二日後だった。



時々誰かが包帯を換え、薬湯を与えてくれたことはぼんやりとしか記憶に無い。



体をゆっくり起こす。






今、何時・・・?

どれくらい眠っていたのかしら・・・






泥のように眠っていたらしい。

水底から浮かび上がる感覚。

自分の体であって自分の体ではないよう───




頭が重い・・・



シャワーを浴びたい・・・




「お起きになられますか?キャロル様」


傍に控える二人の侍女。
失礼いたします、そう言うと窓を開け明るい日差しを取り入れる。

今は初夏。

その日差しは眩しい。


入り込む光に天井から引かれる紗(うすぎぬ)が真っ白に発色する。

それを見詰めているキャロルの傍ら・・・侍女達が部屋を出入りする。

動き出すキャロルの一日。

髪を念入りに梳かれ肩衣を掛けられる。

整った頃に用意されて運ばれて来た薬湯。

複雑なその香り。



どこか花の香りがする・・・



勧められるままに軽くひと飲みすると体に行き渡る。

甘いその味に体が息づく。


傍の侍女に思い切って声を掛けた。

「あの・・・お風呂はないのかしら・・・」

はい、ご用意できます、と今は四人に増えていた侍女の一人が答え、部屋を下がる。



鈍い思考に溜め息を吐いて思う。



・・・何日経ったのかしら・・・

・・・ママ、兄さん・・・会いたい・・・









「キャロル、目醒めたか」


イズミルが銀灰の長い髪を露わに侍女を伴って現れた。

瞬きを繰り返すキャロル。


こんなに長かったんだ・・・

こんな色で・・・


その歩みに靡く、緩く結われた髪。
肩を軽く越え・・長い。


「気分はどうだ」

衣擦れの音を厳かに立てながら寝台のキャロルに歩み寄った。
安堵を露わに声をかけるイズミルをキャロルは魂の抜けたように見ていた。


自分を気に掛けていてくれた・・・?


反応のないキャロルの様子にその琥珀色の瞳を細めた。

「どうした?」

やっとキャロルが答える。

「・・・いいえ、何も」

そう言って視線を床に落とした。

「そなた背はどうだ?まだ痛むか?」

「いいえ。随分ましです」

鞭打たれてできた散々な傷。

治療してくれたのはこのイズミルだが、鞭打ったのもまたこのイズミルだ。

包帯は緩く巻かれるのみで熱もなく今は落ち着いている。

さぞ治療が良く効いたのだろう、が・・・

顔を叛けたままにキュッと唇を噛む。




わたしの敵・・!





「傷はもう塞がっている。包帯ももう要らぬが念のため付けておけ」

まるで見たように言われ思い至る。

イズミルを見上げ、そしてすぐまた視線を落とした。


王子が来ていたんだ・・・

揺り起こされる度に居たのはこの人・・・


無言のままのキャロル。




扉に侍女の入室があった。


「湯浴みのご用意ができています」

イズミルに恭しく告げる。

「分かった」

そっぽを向くキャロルに威圧的に言う。

「湯殿は遠いがそなた行けるのか?キャロル」

「ええ、行けるわ!」

そう言ってギクシャクと内心無理気味に動き、寝台を降りるキャロル。

「いいだろう」

そう言うとイズミルはその場に居る五人の侍女をキャロルにつけ命じる。

「長湯はさせるな。すぐ戻るよう」

そして、何かあれば知らせよ、と言い付け部屋を後にした。



それを追うように侍女に固められたキャロルも回廊に出る。

キャロルの足取りは様子を診つつゆっくりだ。



高い天井を柱が支える石造りの回廊。

片手には常に地中海の風がそよぎ緑溢れ花が咲き乱れる中庭が配置されている。
日差しに揺れる木々の葉が優しく目に映る。


緑の匂い・・・

久し振りに感じた・・・


時には甘い花の香りがそよぐ。

小鳥の囀(さえず)りが耳に心地良い。

日差しは燦燦と降り注ぎ石畳を真っ白な色にする。


切り出された石・・・

どうやってここにあるのかしら・・・

等間隔の石の柱・・・

誰がどうやってこんな風に造ったのかしら・・・


その刻まれた文様を愛しげに目に映す。

現代には残らない古代の城に思いは耽る。

懐かしい感覚だった。



花々がそこここに溢れている。

両手に緑を見て歩く開放的な回廊や階段を過ぎ、侍女と共に入った扉で行き着いたのは広い一室。


湯気が溢れる中、白い紗(うすぎぬ)が幾重にも天井より垂れる。

水分を含んだ温かい空気に深呼吸する。

潤う素肌。

侍女達が五人掛かりでキャロルの世話をする。

その身を包んでいた肩衣、夜着が外される。

躊躇するキャロルに構わず。

まるで人形のように扱われ吐き気がするが怪我人。

そっと包帯が巻き取られる。

清潔な白いまま。

傷は化膿もしていない。



紗を掻き分ける侍女に手を引かれ、湯を目にする。

湯を張るのは白い大理石。

広くて泳げそうだ。

湯にゆっくりその身を腰まで浸す。

二人の侍女が着衣のまま恭しく湯に身を投じてキャロルの身を流す。

腕を動かせないキャロルは黙って我慢した。


極簡単にしてそこを出る。


肌触りの良い衣に包まれ、上質なベールを羽織り、そして部屋に向かう。




そうだ・・・

わたしは何をしてるの!

言われるままに・・・

忘れたの・・・!?

ここから出なくては!

元の世界に戻らなくては!


従順で弱々しい自分を叱咤する。

段々こうやって現代に帰りたいという思いが消えていくのかもしれない。


こういう時こそ指輪・・・

・・・あれ?

無い・・・

外されている!?

気付かなかった・・・!



でも・・・!

三つだけだったから覚えてるわ。


人指し指は、『縛られても抜け出せるように』

中指は、『土色の布で身を隠す』

薬指は、『後悔せずに日々を生きる』


そうよ、頑張らなくては。

今できることは・・・




キャロルは大芝居をうつ。

早いに越したことはない。


「痛い・・・」

急に立ち止まり俯くキャロルに侍女達が集まった。

「痛い、駄目・・・、誰か助けて・・・」

そう言って侍女達の手を借りふらついて見せる。

今にも倒れそうに。

「お待ちください、今王子をお呼びいたします」

侍女が二人離れた。


しめた・・・

後三人・・・


「あの・・さっきの薬湯がほしい・・・。お願い・・」

切実に訴える。

侍女がまた一人離れた。


「痛い・・・痛い・・・」

そう繰り返して間を取るとキャロルはその瞳を上げた。

駆け出し呆然とする侍女を後に残した。

逃走を図る。

遅れて追いかけて駆け出す侍女達。


彼女達を振り切らねば!

あの角をどちらへ行けばいい!?

右か左か、前の中庭を突っ切るか!?


海へ──海の方へ────!!


侍女達に取り縋られる前に慌てて選んだ右手に出る。
その繊細なベール、衣の裾が翻る。


海があるはず───

海は南───

その海はエジプトに繋がる───




だが。
体力のない体。
足取りはふらつき、傷もじくじく痛んできた。


無理を押しても駆けなければ───


一身に前に進んだ。





次の角で物陰に隠れ侍女を撒く。

探す侍女が右往左往する。

「王子にお知らせを」

侍女が遠ざかった隙に駆け出す。



自由になりたい──────







回廊は何度も分岐している。

ただ南へ向かった。

石造りの回廊、幾つもの扉。
一体全貌はどうなっているのか。


高い木々が鬱蒼と茂る広い庭に行き当たった。

海はこの先───

庭に踏み込む。


大きな立派な木は世界中の木々と繋がっている、交信できるという。
大きく枝を振り見るからに樹齢を重ね、ここの主のような木を見つけてキャロルは身体を寄せ思いを念じた。


『私を助けて』

『現代に帰りたい』

『どうすればいいの・・・』


進まなきゃ・・・


南を目指した。

下草を踏み分けその庭を抜けると城壁に行き当たった。

石を積み上げた城を守る・・・高い壁。


壁伝いに歩く。

厩舎に行き当たるなど・・・人目が増えだす。

人の往来に身を潜め遣り過ごし、慎重に・・・近付いているはずの出口を目指した。



今頃は王子も探している───



そんな実感がざわっとよぎり気持ちが弱る。


捕まえに来ないで───

もう誰もわたしの前に立ちはだからないで───!!


キャロルは歩を進めた。




そして。

ハタとその足が止まる。


格子の扉の間口。


城壁を抜けるトンネルだった。


出口にも同じように格子の扉が設けられている。



ここを通れば城の外・・・!?



格子を開けようとするが当然錠が掛かっていた。



・・・・そうだ、青銅の格子なら!



キャロルお得意の技だ。
木の棒と、布はこれを使って、とベールをその身から外し有り合わせの物で青銅折りに取り掛かるキャロル。


苦闘のうちに二本折り、希望に溢れていたが・・・



「キャロル様、お見付けしましたよ!?」

別の声も張り上がる。

「王子をお呼びして!」

見咎められてしまった。

侍女達や側近らしい男達も集まっていた。

逃れようと道具を投げ打って駆け出したが・・・すぐに男達に腕を捉えられた。

否応なくその場に跪かされ、その人を待つかたちになっていた。




周りの輪が崩れ、侍女達の頭を垂れる先に、その人物が現われた。


「こんな所に居たか」

引き立てられたキャロルの身柄をイズミルが取る。


「王子、あちらにあんな物が」
側近の一人が進言する。
見た事もない状況だった。
折れた青銅の格子と。
その次の格子に掛かるキャロルのベールが謎めいていた。


「何だこれは」

「は、娘がやったものですが」

腕に捉えるキャロルを乱暴に引き寄せる。

「そなたがやったのか?何のつもりだ」

「離して!何でもいいでしょう!」

抵抗するキャロルを見据えてイズミルが言い渡す。

「キャロル、そなたは私の捕虜だ───。聞かせてもらおうか」

「嫌よ!」

「聞きたい事はこれだけではない」

「───」

「知っている事全てをだ」



抵抗するがキャロルは容易(たやす)く担ぎ上げられ・・・

イズミルに宮殿深くに連れ去られた。







がっちり押さえ込まれ・・・傷の痛みも堪(こた)え、身動きとれずにいたキャロルが解放されたのはどこなのか。


見知らぬ別室だった。


「暴れるな。傷に障る」

そんなこと言ったって───!

「王子!!わたしを外に解放して!」

「くどいぞ。もう諦めよ」

「わたしを帰して!」

「・・・エジプトへか」

「そうよ、帰りたいのよ!」

現代へ───

そう言おうとした。

だがイズミルが核心に触れる。


「メンフィス王の元へか」

え・・・

まだ誤解してる・・・?



「メンフィスが良いか?」


固まるキャロルに追い討ちをかける。


「メンフィスは良かったか?」


息が止まる。


「そなたの体に聞いてみよう」


「何を言うの!わたしはメンフィスの寵姫じゃない!」


イズミルが高笑いする。


「良い駒を手に入れたものだ」


からかってるの!?


キャロルは顔を真っ赤にして怒りで震えた。


冗談じゃない!!

まだ誤解を!!


キャロルの様子は純情そのもの。

繰り返される言動はいつも同じ。

色香は漂ってこない。

特有の反応だと思われた。



本物かもしれない。



す、とイズミルの手が伸びる。

キャロルの片手を掴むと背中に捩り、同時にキャロルの細腰をぐいと掴んで引き寄せる。

決まってキャロルは仰け反り逃げようと身を反らせるが、たおやかな肢体が舞うようで、見るものを誘惑して止まない。

何度見ても面白い。



だが・・・

閨事を知っているとは思えぬこの反応・・・



イズミルが鎌をかけて言う。

「そなたの身体が言っておる。もっと、とな」

「───え?」



「男を知らぬ身体ではないのであろう?」


イズミルは疑問を口にした。


な・・・なんですって・・・!!


またも顔を真っ赤にして、純朴に言葉を失っている。



  本物だな・・・



「な、何を言うの!誤解よ!何故そんな事を言うの!!」

否定する必死さが物語っていた。

「───そうだな。・・・不思議でならぬ。・・・そなた生娘だとは」

「!!」


何を言うのこの人は・・・!!

何!?何のつもり・・・!?


キャロルのうろたえた様子でイズミルは事実を確信していた。



ではそれは何故?

妃に望んでいるが未だ手付かず。

その意味は?



キャロルの顎に指を掛け覗き込むようにして言う。

「そなたはメンフィスに愛されているのであろう?女王アイシスを退ける程に」

「!」


これは尋問だった・・

何を私はぺらぺら・・・


「あなたに話すことは何もないわ」

そう言って黙すキャロル。

身を捩るがイズミルの力に抗することができず、ただ精一杯睨み返した。

深淵を見せる青い瞳が精一杯イズミルを睨み返していた。



それは美しく・・・しばし琥珀色の瞳を楽しませたが。



だがイズミルは冷静に次の策を講じる。

「エファリを呼べ」

扉の外に向かって呼ばうと二つ返事。
すぐにそのエファリと思われる有能そうな親衛が姿を現した。
厚い敷き物の上に腰を下ろしキャロルを後ろ手に束ねて捉えるイズミルの御前にエファリは畏まって片膝を付いていた。


「何か分かったか」

「はい。簡単に折れる事が分かりました。方法は」


そう言ってエファリは実演してみせた。
キャロルの18番青銅折りを。
キャロルは居たたまれなかった。





「・・・そなたこれをどこで?」

「あなたに話すことなんかなにもないわ」

「──────」

イズミルがキャロルを威圧する。
その冷たく刺す視線に青い瞳は逸らされた。


イズミルに手はまだある。


「・・・エジプトの情報をこの娘に聞かせよ」

エファリに言い渡すと、ファラオ・メンフィスが大捜索隊を繰り出しキャロルの手懸りを求め国内は戦々恐々、外国人は片っ端から捕えられひっくり返った様な騒ぎであることが述べられた。

「他国の者が浚った事は見当がついているとみえる」

メンフィスが探している・・・

「そうだ、メンフィス、確かにここに居る」

イズミルがキャロルに冷たく言い放つ。


この人攫い───!!


怒りを込めてイズミルをきつく見返す。
青と琥珀色の瞳が一歩も引かず交錯する。


す、とキャロルの項(うなじ)にその手を掛け、掴んで上向かせた白い面を威圧して言う。

イズミルを厭(いと)い抵抗するキャロルだが次の事を聞かされる。


「で、エフェリ。エジプトの民は?」

「はい。『ナイルの娘』はエジプトの守り神との声高く、王宮内もメンフィス王が奪還するを支持する意向が大勢。兵を整えているとのこと」

「え、嘘・・・」

イズミルの胸を押し返しながらエファリに視線を送る。

キャロルの青い瞳はメンフィスがどんなになって指図を飛ばしているかを思い空を彷徨った。


「さもあろう。得難い神の娘だ」

なるほど、神の娘は侵し難かったか、メンフィス王よ・・・


自分を無遠慮に値踏みし、首を掴む回されたイズミルの腕を取り払おうと藻掻きながら・・・キャロルはエジプトを思った。
キャロルが呟く。

「どうして・・・勘違いするの───?」



耳聡く聞き取ってイズミルが言う。

「・・・勘違い?」

「・・・だってそうでしょ!?わたしはただの娘よ!普通の人間よ!」

「なるほど確かに。そなたは怪我もすれば非力で・・・赤子同然に我が手中だ」

う、うるさいわね。


「だが何故に皆勘違いするのだ?」

「・・・それは」

言い淀むキャロル。

「それは・・・わたしが未来の人間だから・・・?」

「未来?」

「────」






誰に説明しても分かってはくれなかった・・・

メンフィスは聞いてもくれなかった。






「未来の人間とは何なのだ?」

キャロルは琥珀色の瞳の人物を思案するように見た。


話すだけ話してみても───?

誰かに聞いてもらえる事ってそう言えば──────





一呼吸おくとキャロルが切り出した。







「わたしは未来の世界から来た人間なの」






青い瞳が一層大きく見開きこちらを窺う。

その中に吸い込まれそうだ。




「未来?」

キャロルが慎重に頷く。

「そう・・・」

「未来の世界?」

「そう───今から三千年後の世界。あなたの孫の孫の孫の孫のずっと孫の生まれる時代にわたしも生まれたの」

イズミルは作り事とも思えぬキャロルの様子を黙って見詰めていた。


「その未来ではわたしや兄弟や・・・友達や人々はみんな、このあなた達の居る時代を『古代』と呼んで・・・歴史を学んで知っているわ」


キャロルの瞳が現代を懐かしんで潤んだ。


「例えば・・・ヒッタイトは鉄の使用が他国より逸早く、そのお陰で繁栄したってね」

「・・・そういえば、そなたエジプトで鉄の製法を知っており作ってみせたというではないか」

イズミルが迫る。

「え・・・」


し、しまった。

鉄の製法はヒッタイトの国家機密!

まさかその国に行くなんて思わなかったから・・・!!


「ご、ごめんなさい!でも大したものは作れなかったのよ!時間をかけなかったから・・・!!」


鉄は・・・炉の中に砂鉄と石灰を足し継ぎながら数日間、鞴(ふいご)を踏み続けて・・・煽がれた猛火の中で結晶する。


キャロルは取り成す。

「メンフィスはその重要性をまだ知らないわ!」

原料を求めて鉄を生産しよう・・・と言うことはそれ以来ない。

「誠か?エジプトはまだその程度か?」


・・・あ

わたし・・・なに内情ばらしているの!?

これじゃ全く王子の思う壷じゃない!


「何を・・・聞き出すの!!わたしはどちらかに味方なんかしてないし、味方しちゃいけないと苦しんで・・・苦しくて」


キャロルの青いガラス玉の瞳が悲しげに訴えてくる。


「何も知っていることを言わないことにしたんだわ!」

「エジプトでもか」

「当たり前でしょ!だからあなたに会って逃げ出す手立てを聞こうとしたわたしなのよ!」

「私に会って?」

「そうよ!商人に身をやつして!まさかあなたがこんな事をする人だとは思わなかった!」

「それは済まなかった。だがそなた、てっきり軽い女かと思っておったぞ」

「え?」

「エジプト王の寵姫でありながら、私を見る目がな」

「───え」


そんなこと・・・ないわ!!!

でもそれは・・・


「それは一目であなたが・・・あの・・・茶色の瞳で、明るい髪の色だったから・・・!」


本人の前でこの発言は何か照れる。


「その・・・エジプト人ではない人に会えたのが嬉しくて・・・」

誤解されそう・・・

全て見抜いているようなイズミルの前で赤面するキャロルだった。

「あの・・・嬉しいことに外国人の、商人の人だと思ったから」




「私に会えて嬉しかったと聞こえるが」



「だ、だから───!」

イズミルが面白そうに笑うが、キャロルは必死だ。

「意地が悪いわね!」

そっぽを向きイズミルの手を振り払おうとするキャロルだった。

「放してよ!もうあなたに話すことは何もありません!!」

「事実は事実だ。私もそなたに出会えて嬉しいぞ」

「もういいって言ってるでしょう!?」

「私は本気だ」

「─────」

イズミルがキャロルの顎に指を掛けて・・・唇が触れ合いそうな距離になる。

「や、やめて・・・」

「認めるのだな」

囁くように低く言う。

「いいえ、な、何を認めろと言うのよ!あなたなんて大っ嫌い」

身を捩って抵抗し、悪態をつくキャロルだが、それはイズミルを楽しませるばかり。

笑むイズミルが言う。

「そうか。ではメンフィスはどうなのだ」


メンフィス?
何故メンフィス?
何が言いたいの?


「メンフィス王はこのように迫ったのではないのか」

「そ、それは─────」

そうだけど・・・
どういうつもり・・・

エジプトでの日々がフラッシュバックする。
言い澱むキャロルに、悟ったイズミルが言う。

「なるほど。メンフィス王はかなりの執心か。で?」

で?何?

「そなたは甘んじて受けていた訳か」

「そ、そんな訳ないじゃないっ!!嫌に決まってるじゃない!無理やりなのにっ!」

「なるほど。メンフィスも嫌われた者か」

「─────」


な、何よ・・・



「では私が救ってやって喜ぶべきだな」

「な・・・!!」

可笑しそうに笑うイズミルだった。

「そ、そんな訳ないでしょ!!!」


なんて言い草───!!

冗談でしょ───!?


「わたしは!わたしは未来に帰りたいのよ!!ここに居ては帰れないわ!!」

笑いを収めたイズミルが言う。

「何故帰る?」

「だから!!ここに居てはわたしは未来人で!!!皆が知らない事を知っていて!!わたしが何かすると歴史が変わるからよ!!!」

怒り心頭の様子でキャロルが言う。

「よく意味が分からぬが」

肩で息をするキャロルは一呼吸置いて言う。

「だから、わたしの知っている事はあなたの孫の孫の孫のずっと孫がやっと考え付いたり発見したりした物で!!それをわたしが先にこの世界でやってしまうと順番が狂って・・・」

一呼吸吐くキャロル。

「それだけじゃないわ。わたしが人を助けたり人を殺したりすると、例えば、あなたの孫が本当は王になるはずだったのになれなかったりするのよ!」

「『本当は』とはどういう意味だ」

「歴史上はなるはずだった、という意味よ。なれなくなった王はまた違う人生を送って・・・極端に言えば、違う国を起こすかもしれない・・・。そしたらその違う国にヒッタイトは早く滅ぼされるかもしれないわ。」

「『早く』?」

「───あ・・」

未来を・・・教えてしまった!?

王子が知ってしまった?

ヒッタイトが滅びることを?

わたし、なんてことを・・・!!



「滅びるのかヒッタイトは・・・」

う・・・怒るかしら!?

次代の王になる人だもの・・・

ショックよね・・・?


・・・誤魔化さなくては!!!


「あ、あの・・・王子が生きているうちは大丈夫!もっとずっと先だから!」

あ、こんな言い方したら・・・

「いつ滅びることになっているのだ?」

!ほら来た・・・

「え、それは・・・えと」



・・・100年間だ。

鉄の製法が国家機密でなくなってすぐに「海の民」によって・・・

詳細は未解明だけれど・・・



キャロルは目を瞑って申し訳無さ気に精一杯言うのだった。

「・・・言えません・・・」

「・・・・・・」

王子が刺すような視線をしているのが分かる・・・



・・・言えないわ。

教えられないわ!!


「聞きたいでしょうけど・・・聞いたらその時に防ぐように・・・何かするでしょう?」

「──────」

「ごめんなさい・・・。わたしはここに居るべきじゃない。分かったでしょう?」

「・・・・・・」

「・・・わたしがあなたのような権力者に言う事ひとつで世界が変わる。わたしにもう話させないで」

強い光を宿した瞳をイズミルに向けて今一度願いをする。


「わたしを解放して」


・・・・・・




イズミルが思案しているのが分かる。

キャロルは対等に渡り合っていた。



溜め息を吐いたイズミルが言う。

「それは困ったな・・・」

その銀の髪を掻き上げ、その髪をさらさらと落とす。

「それは困る、キャロルよ」


キャロルの青く潤んだ瞳を見遣り・・琥珀色の瞳を細める。



「そなたは私のものだ。何故自ら手放さねばならぬ?」

「!」

だから─────!

呆れたような口調でキャロルが口を開くが。

「そなたの話はそれで全部か?この続きはまた明日聞いてやる」

そう言って立ち上がりキャロルを後にするイズミル。

「─────」

唖然とするキャロル。

納得が行かない。

が見渡せばいつの間にか日も暮れ薄闇が辺りを包んでいた。



「エファリ、そなたご苦労だった。この娘の言ったことを纏められるか」

「はい。やってみます」

ずっと控えて一部始終を冷静に見ていただろうエファリが答える。
いかにも有能そうだ。

「キャロル、この部屋からは私の許しなくば出られぬ。逃げようなどとはするな」

「――――?」

どういうこと?





不安の色を示すキャロルを残し・・・イズミルがエフェリと共に部屋を去った。



残されたキャロルにわらわらと侍女達が事務的に集まる。


キャロルの衣をあらためる着替えが始まる。


宮殿を、庭を、駆け回って酷く汚れていた。












BACK←  HOME  → <4>




背景