The North of the Border

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―――――――――

―――――――

人の気配がする・・・

辺りはもう薄っすら明るい・・・

夜明け前だ───

誰・・・?


キャロルが視線だけを走らせ辺りに目を凝らす。
様子を窺いに来ている侍女が一人居た。
じっとして遣り過ごしすのを待つ。
傍までそっと近寄った侍女はそのまま音も立てず、すぐに扉に消え・・・部屋は静寂そのものに戻った。
侍女は扉の外に控えているようだ。

何度も来ていたのかもしれない・・・

夜中じゅう・・・


ゆっくり上体を起こす。


もうすぐ夜明け・・・

そうすれば、また戦いの一日が始まる。

今日こそはこんな所脱出する───!


寝台に腰掛け先手必勝を得るべく思案する。


今様子を見に来たところで侍女は・・・当分来ないわね?

それなら・・・!


そう思いながら行動に出ていた。
そっと手を縄から抜き、忍び足で扉に向かう。
扉に耳を当て物音に耳を澄ます。


何も聞こえない・・・

誰もいない?

それはない、見張りはいるだろう。

一人か二人・・・

それなら突破できないことはない。


決定的ではないが今はチャンスに思えた。


ここを突破したら居室がある。

王子が居るかも知れないけど居ないかも知れない。

その次に繋ぎの間があり執務の間があると言っていた。


イズミルがどこに居ようが駆け抜けて、出口まで突っ切って行けそうな気がした。
今キャロルは拘束されて自由のないものと思われている。
チャンスだった。
固唾を飲む。


───行くわ・・・

───行くのよ!


同じ事の繰り返しだとしても、じっとなんかしていられない。
チャンスは何時なん時この事態を解決するか分からない。


まずこの扉はゆっくり開けて───

それでダッシュよ!

お願い、みんなわたしを守っていて・・・


天に祈って意を決する。
キャロルはいつでも行動あるのみなのだ。
すーと音もなく扉を開ける。
侍女がそこに二人灯火の下にいた。
目と目が合う。


走れ!

止まるな!


キャロルが衣の裾を翻して次の扉に飛びつく。
次の居室に飛び込む。
幸いそこには誰も居なかった。
侍女は案の定追って来る。

「───キャ、キャロル様!!キャロル様が!!」
声が上がる。
夜明け前の静寂の中に響き渡る気がした。


まだ───!

まだ待って───!!

誰も気付かないうちに駆け抜けさせて!


侍女は人を呼びながら追いかけて来る。
執務の間だと聞いた扉に飛びつきバタンと押し開け飛び込む。
そこには広めの繋ぎの間があった。


次はどこ───?

また扉があるが・・・

二つ───!

二つある───

どちらかが出口!?

どちらかが───出口ではない?


突然突き付けられた選択。
迷っている暇はない。
勘を頼りに一か八かで側面の扉に決めた。

が、時遅し───

勘は当たっていたかもしれないが───

もう一つの正面の扉が勢い良く開き明るい室内から姿を現したのは───


「───エファリ・・・」


「王子、娘がここまで逃げております」


振り返り部屋に居るだろう主君に報じる。


「───捕らえよ」


室内から聞こえた無慈悲なイズミルの声。
冷静に聞こえるその声。
血の気が退(ひ)き青褪めるキャロルをあっという間にエファリ、次に現れたプレビスが捕らえる。
身を捩って逃れようと抵抗し膝をつくキャロルだったが、両側から腕を掴み上げられて居並ぶ側近達の前に晒されていた。
現れた王子がキャロルの前に立つ。

「往生際の悪いことだ。・・・流石に厭きれるな」

自分を馬鹿にするイズミルにキャロルの悔しさが溢れた。
白い面(おもて)が精一杯睨みつける。

「諦めないわ!死んでも逃げてみせる!!」

イズミルはその言葉尻を取って言う。

「───と言う元気な娘が我らの最大の駒、エジプトの急所だ」

側近達に言い放つ。
繁々(しげしげ)と見入る男達。
その遠慮のなさにキャロルの怒りが滾(たぎ)る。

「違うわ王子!!わたしはエジプトの人間じゃない!この世界の人間じゃない!!解放して!!でないと死ぬわ!!死んでやるわ!!」

側近達には俄かには意味が掴めない。
それを察しイズミルが動く。
キャロルに合わせ片膝をつきその表情をよく見えるように掬い上げ、覗き込んで言う。

「未来から来たと、こう言うのだ。今後を予言できるそうだ」

側近達の目の色が変わる。
猶もイズミルが続ける。

「ヒッタイトも私の治世後間も無く滅びるのであろう?エジプトはどうなのだ?先ではないのか?」

馬鹿にしている───!!

頭に血が上ったキャロルは本領を発揮した。

「エジプトはずっと栄えるわ!!この後1千3百年!!ヒッタイトの鉄はあっと言う間で───!!」

あ───!!

よ、余計な事を!!

わたしは何を───!!

後悔は遅かった。
腕を捉えるエファリとプレビスの二人はもちろん、王子の側に控える側近達が口々に唱和する。

「エジプトは1千3百年!?」

「鉄はあっという間?我らの機密が・・・?」

キャロルは訂正できず慌てた。
猶も側近達が言う。

「まさか、───まさか鉄の機密が洩れエジプトに落ちると!?」

叫んだのはクレスタだった。

「え、それはっ───」

『違う』───

言外に明白だった。
口を噤(つぐ)んでも既に遅く・・・
イズミルが言う。

「『それは───』?『エジプトではないが』か。良かろう。上出来だ」

キャロルがうろたえるのをその瞳に捉えると立ち上がり配下の者に厳命した。

「皆聞いたな。機密を再考し防備せよ」

キャロルにはもう何の言葉もなかった。
訂正しようとすればする程馬鹿みたいに未来を教えてしまう。
言い訳しようとすると未来が口をつく。
悔しいがイズミルを恨みを込めて睨む事しかできなかった。


国の権謀を謀る今のイズミルは触れると切れるような鋭い冷徹さで───

その眼差しに温度はない───

温度ない瞳をキャロルに落とす。

「皆しばし待っておれ」

そう言うとキャロルの腕を引き取る。

「触らないで!!もう言うことは何もないわ!!」

キャロルの蒼い双眸(そうぼう)が大きく見開かれ己を映すのを見てイズミルが変わる。

琥珀色の瞳が温度を上げる。

並々ならぬ『執着』───

その予感にキャロルは堪らず在らぬ方に顔を叛けた。



「そうだな。私以外の者に予言する事は禁ずる」



な───!

横暴な!!

・・・・だが、とキャロルは思う。

これは・・・?

『王子の弱み』になる何かが掴めそうな気がした。


イズミルの腕を突っぱねて抵抗しながらも元の部屋へと連れ戻されてしまった。
力一杯暴れているが「未来語り(予言)」を自重したいキャロル。
言葉なく抵抗する。



「そなたどうやってこれを抜けた」


寝台の上の縄を拾い、切った訳なくあるのを見てイズミルが言う。


何も言うもんですか!!


在らぬ方に顔を叛けるキャロルに面白そうに微笑むのはイズミル。


一つ一つ信じ難く・・・娘に尋ねてばかりだな。


手応えの有り過ぎる娘がキャロルなのだ。
今も負けるものかと絶えて全く強気だった。


そんな事より王子の『弱点』を掴む手があるのよ───

考えなくては。

早く出て行って!


キャロルの心の声が聞こえたのかどうか。
一物有る風を感じ取るイズミル。

「どうした?いつもの罵りはせぬのか?」

いつもいつも平行線を辿るキャロルに慣れたイズミル。
だが悲しむことはなかった。
時間はイズミルに味方した。
『時間に依り得たもの』が。
キャロルの行動と考えは簡単に推測できた。
それは洞察力と時間があればいつか判ること。
時間を惜しまない王子に今は手に取るように───
腕を捉えたまま、頬に手を伸ばしキャロルを振り向けさせた。
厭うキャロルを琥珀色の涼やかな眼差しで射る。
それでも黙したまま。

何も言わないわ!

ただ厭い後退りすると軋む寝台があった。
まだ早朝の薄暗い部屋の中、一応侍女が二人・・・灯火を灯した後も隅に控えているが・・・
思考の片隅で点滅を始めた警告。
危機感がキャロルを呑み込んだ。
固唾を飲んで───
弱気を隠そうと途端に腕を突っ張った。
叫んでいた。

「放して!!わたしをもう利用しないで!!」

叫び続けた。

「卑怯者!!」

「───」

反応はなく流れる沈黙。

この言葉は効いたのか───?

沈黙の主を見上げる。
ただ射るような瞳があるばかり。
その威圧に身が竦む。

「言いたいのはそれだけか」

「───」

キャロルが表情を強張らせて言う。

「わ、わたしを利用するのは止めてって言ってるのよ!!わたしの世界の知識を使おうなんて!!」

勢いを得て畳み掛ける。

「それに!!エジプトに駒として使うなんて!卑怯よ!!」

必死だった。

「わたしを未来へ帰して!!わたしはこの世界の人間じゃない!!何度も言ったわ!!どうして分かってくれないの!!」

怒りに満ち満ちていた。

イズミルが諭すように言う。

「落ち着け。では聞くが・・・、そもそもどうやって来たのだ?それでどうやって帰る?」

それは聞かねばならない。

「それは!今はわたしにも分からないけれど・・・」

答えを探す。

「でもエジプトに戻れば帰れると思うのよ!帰る方法があるはずだわ!!」

「どうやって来たのかも分からぬのに?」

「それは!来たのは───わたしはナイル川に流されて気を失い・・・気が付いたら古代の、3千年昔のエジプトにいたんだわ!わたしには何故なのか分からない!!」

首を左右に振って必死に言葉を紡ぐ。

「でも、そうよ!きっとナイルがわたしを運んだのよ!!」

「ナイルが?」

辻褄(つじつま)は合っている、と双方思っていた。

「故に『ナイルの娘』なのだろう?」

「違う!事故なのよ!何故かは分からないわ!」

「不思議な事だな」

「・・・ええ」

「ナイルにて溺れ死なぬとは」

「そう、それに時間も越えてしまった」

「次もその奇跡は起こせるのか?溺れ死ぬだけではないのか?」

「・・・そんなの!どうしてなのかなんて分からない!!ここでそんな事言ってても埒が開かない!わたしは帰るわ!エジプトへ」

「ナイルの神憑りか───。やはり世が騒ぐように『ナイルの女神の娘』が正しいのではないのか?」

「───エジプトで否定してきた事よ・・・!ここでもそんな事を言うの?信じるの!?」

キャロルは真っ向から否定して憤りを見せた。
だがイズミルが言う。

「『ナイルの娘を得る者───エジプトを得ん』、そなたこの言い伝えを知らぬのか?」

「知らないわ、そんなの!!」

「・・・自分のことは見通せない?」

「───」

「そのような神の娘など聞いたことがないな」

イズミルが笑う。

「そうよ、信じないで!!わたしは只の人間よ!!」

「そうだな」

笑いを収めてイズミルが言う。

「───私は信じぬ」

「・・・」

「そなたが『神の娘』とは信じぬ。それでいいのであろう?」

イズミルがキャロルを今一度覗き込む。

何が言いたいの───?

キャロルは混乱してその腕から逃れようと慌てた。

「放して!王子あなた、何が分かったって言うのよ!?からかうのはやめて!放してよ!」

「私は譲歩して言っているのだが?」

「譲歩!?どこが!?何のこと!?」

「落ち着け。私は解してきたのだぞ」

キャロルが大きく息を吐くのを待って言う。

「そなたの言う通りなのだろう。戯言(たわごと)とは思わぬ」

「そうよ。嘘は話していない。真実よ!」

「それでそなたの話は全てか?」

「───今のところは・・・」

有りのまま訴えてきた。

「でも!これからも訴えるわ。話終える事なんてない───。どこまでも異質な事だもの。この古代に未来人のわたしが存在(いる)なんて!」

だが、とキャロルは思い、口にする。

「王子はよく受け合ってくれている、と思うわ。誰も分かってくれなかった・・・」

「それが私の譲歩」

「・・・譲歩!?」

「掛け替えないからだ」

「え?」

「そなたはもはや掛け替えない」

言葉の真意を計りかねてキャロルが怯む。

「やめて!!勝手な事言わないで!?」

「勝手か?」

イズミルに圧倒されそうになってキャロルが固唾を呑んで一呼吸おく。

イズミルが理性を失うことを警戒したキャロルはトーンを落として反論する。

「そうよ。王子は勝手です。わたしは物じゃないわ。だからもう解放して」

「そなたを物とは思っていないが?」

「同じです。もういいの」

「勝手なのはそなたもであろう。勝手に私の前に現われたも同然。運命だと認めたらどうだ?」

「運命?・・・何の事?わたしは古代(ここ)に来たくて来たんじゃないわ。浚われたくて浚われたんじゃないわ。あなたが勝手に浚ったのに」

一呼吸置いてイズミルが言う。

「では私はどうすれば良かったと?聞きたいものだな」

イズミルは半ば先が見えて達観した。


このままではこの娘を壊してしまうな───


イズミルが諭して言う。


「もはや後戻りはできぬのだ」


何故こうなってしまったのか。

呪われて古代に落ち───

帰ることができず───

古代人に関わって───

人殺しが起き───

未来の人間だから───

どうすることもできない───

それがキャロルの立場だった。

「・・・分かったから・・・少し考えさせて・・・」

「いいだろう」

イズミルがその青い眼差しに問う。

「そなたの瞳に何が見えているのか、私は知りたいのだ」

「見えるんじゃないわ。過去を知る未来人だからよ!本で読んだものしか知らないわ」

「なるほど。で、青銅を折ったのもそうなのか?・・・この縄を外すのも?」

「そ、それは・・・」

「見せてもらおうか」

縄で再度キャロルを縛る。
だがそんなことをわざわざ見せるキャロルではない。

「放して、やめて!」

「未来には我らの知らぬ叡智があるのであろう」

「もうやめて!何度も言ったわ!ここでこの古代で明らかにすればそれだけで未来が変わる!わたしの知る世界が消えるわ!!」

「なるほど、消えるから困るという事か」

「・・・困るわ!でも、わたしの帰る所がなくなるのも困るけれど!帰れないとしても、変わる事は大変な事なのよ!?」

「?・・どう大変なのだ?」

「だから!!人間の積み重ね築いた歴史は奇跡の連続なのよ!わたしの知る限り人間の世界は綱渡りよ!分からないだろうけど奇跡の上に続いていくのよ。この後3千年間はずっと!でも明日にも、一つの国も一人の人も残らない事柄は、至る所にあるから!そんな事になってほしくないから!」

天災・流行する病気に、世界大戦に!

そんなことここで説明しても分からないだろうけど───

「帰れなくてもいいと?」

「いいえ。帰る努力はするわ!諦めない」

この信念強さは感心するな・・・

イズミルは内心呟いていた。
その生気に溢れた魂に───

話が効果を得ているのを良い事に畳み掛けるキャロル。

「人の命はとても大切なのよ。それなのにわたし、一人残さず消してしまうかもしれない」

言葉を紡ぎ続けるキャロル。

「例えその反対に良い世の中になるのかもしれないとしても、そんな賭けみたいなことするつもりはないわ!」

冷静に話を遮るイズミル。

「何度聞いても不思議な話。悪いが、この続きはまただ」

寝台の端に押し遣られまたも金具に手首を強く括りつけられるキャロル。

「やめて!放して!」

「逃げる事を諦めればな」

「それは無理よ!」

「今度はどうやって縄を外すのか見張っておれ」

部屋に控える侍女にそう指図するとキャロルを再度見詰め、そして部屋を後にした。
琥珀色の瞳にキャロルを焼き付けるように───
そこに只ならぬ執着をキャロルは感じた。



嵐は去った。

何度繰り返してきただろう・・・

でも芸がなくても言い続けてしまう。

絶対抵抗はやめないわ!

黙って言いなりにはならないわ。

それに、いいわ!見てなさい!

王子の弱点が掴めればいいのよ!

そうよ!

諦めないんだから!


さっき気付いたのは、と思い返す。
なんの策もない闇だったキャロルの前に小さく捉えかけた光。
エジプトに帰る日が思い描けたようだったのは。


王子の弱点。


そう、王子は言ったわ。

わたしの未来の話を他の者に聞かせるな、と。

そう、その気になればまずくできなくはないわよ。

良いことも悪いことも知ってるんだから。

そう、人々を唆(そそのか)す手段は史実や現代犯罪に。

戦争は近代戦争の真似をすればこの古代世界の国のひとつくらい滅ぼすことも出来るような気がした。


だがそんな事・・・


キャロルは首を振って溜め息をつく。


本末転倒───

歴史を変えてどうするの。

未来の知識を使って・・・!

話すことさえ不安なのに・・・

わたしに話されては困る、と恐れる王子の心理をつくのよ。

王子の言った『他の者』って・・・誰だろう?

クレスタやあの場にいた人達にわたしが・・?

わたしが加担するのを恐れているのだろうか?

裏切りを恐れて・・・?

そんな人達なのかしら・・・これは考えてみなければ。

他に、対象は・・・?

他に・・・兄弟とか?

王位を狙っているような親戚が?

王子を出し抜いてわたしを利用しようとするのだろうか・・・

だとしたら?

王子を追い落とそうとしてるの?

権力争い・・・・・・?

そんな・・・・・・醜い争いが───?

暗躍する暗殺は絶え間ないだろう・・・・・・

わたし・・・・・・どんな事態でもそんな争いには───


そうならないうちに───


どんなに無謀に思えても、どんなに苦しくとも・・・

「・・・・・・諦めないわ・・・・・・」

「なんですか、キャロル様」

思わず決意が口をついて、耳にした侍女が言う。

「え、何でもないわ・・・」

次いで窓を窺ったキャロルに言い募る侍女。

「まだ朝も明けたばかり、今一時お休みください」

もう一人の侍女も言う。

「それとも、もう窓を開けましょうか?」

「・・・そうね。・・気分も悪いし窓を開けてほしいわ。外が見たいけれど」

「それはできません。縄を解かなければ」

届きません、と侍女は頭を垂れる。
開け放たれた窓。
風が戦(そよ)ぎ、天井からの紗(うすぎぬ)が揺れる。
深呼吸をして目を閉じる。
鳥のさえずりが遠くに聞こえ悲しい。
次第に明るくなっていく空の色。
遠い空。
───郷愁に駆られる。
だが。
嘆いてても始まらない。
悲しみに陥りそうな頭を強いて現状に戻す。
打開に向ける。

わたしは今、何ができる・・・?

未来の知識を使ってはいけないけれど・・・

王子の前でこれ以上何も見せてはならないけれど!

一つ目は側近達に助けを求められないか、かしら?

二つ目は王族に助けを?

それぞれのその先はあるのだろうか・・・

今と同じではないのか・・・?

王子の弱点を見つけたと思ったが今はこれ以上発展しそうにない・・・

打つ手はない・・・

白んできた空の色に目を閉じる。
メンフィスの元から逃げるのに必死だった自分をぼんやり思い出す。

エジプト───

明るい日差し───

眩しく照り返す水面(みなも)───

熱い微風が渡る───

テーベの王宮。


そこから出たいばかりに意識したこともなかった周りの様子が懐かしく今は脳裏に浮かぶ。


メンフィスは嵐───

嵐はいつも突然───

わたしを召していると連れて行かれ、日に何度もメンフィスがわたしを捉える。

自由は当然なかった───

『愛している』

そう言って───

わたしをいつも手の中に置こうとした。

一方的に押し付けるのは愛じゃない・・・

エジプト王の傍若無人さを呪う日々。

わたしは物だった。

孤独だった。

そして事態は思わぬ方向へ走り出す。

「ナイルの娘」と周りが崇め始めて───

良かれと思った事がとんでもない事態へ───

ますます扱いが窮屈になり───

街に出てもウナスが付いていて───

最後は少しでも安らげるかと───

ギザに行こうと思った・・・

───あの時にでもナイルに行き、飛び込めば帰れたのだろうか・・・

確かではないけれど───

来れたのなら帰れるはず───

ナイルは何故わたしをこの世界に───?

どういう事象で?

キャロルがここにいるのはアイシスの呪い。
呪いに因って現代に現れたアイシスにキャロルは古代に送り込まれた。
だが二度目はただナイルに落ちただけであること───
古代でのアイシスは、聞いても帰すための呪術などない、現代の事は知らない・・・と言う───
現代に現れたアイシスに全ては起因しているとしか思えない。
ここでは何も分からない。

『神憑り』───

そう言い残したイズミルの言葉がキャロルに甦る。


そんな無責任な事を───?

そんな神様がいるの?

何を望んで?

だが───

理由など知ったことではない・・・

これは納得できるものではない───

頭(かぶり)を振り消し去る。

───ナイルに行こう。

現代に帰れるかも知れない───

飛び込めば帰れたかもしれなかった───!


今エジプトは───?

捜索隊が編成され騒ぎの様子を報告するエファリの言葉を思い出す。
探してくれている人がいた。
少し嬉しかった。

でも何にもならないのよ?

もう止めて。

気が付いて!

わたしは願うわ。

エジプト国民に多大な影響を及ぼしている。

その人生が変わっていく。

町を見て歩いた時の市井の人々が思い出される。

キャロルと知ると目を輝かせ集まり出し人垣が出来上がる。

口々に言うことは『ナイルの娘』。

人々は捜索に賛同しているのだろうか、エファリの報告通りに・・・


『ナイルの娘』・・・


『ナイルの女神ハピの娘』・・・・・


人々はそう呼ぶ。

詐欺ね・・・

盲信する人々にわたしは救われる思いを感じている・・・

時間の歪みに落ちて過去に来たことが『神憑り』だとしても───

わたしは神じゃない───

本当に神がいるのならわたしこそ是非お会いしたい!

わたしこそ助けて───

歴史を変える罪をこんなに重ねるわたしを何故見過ごしに?

わたしに気付いてすぐに真の神罰を!

わたしをこのままにしないで!


居るのか居ないのか、キャロルは見えない神に激しく懇願を繰り返す。
涙が零れ、肩が震える。


侍女達はそんなキャロルを痛々しく思いながら見守るしかなく顔を見合わせる。

溢れる涙を括りつけられた不自由な腕で拭うとその結わえ付けられた金具の施された寝台の宮にもたれ掛かる。
涙が零れない様に顔を上げて気持ちを強める。


泣いてても始まらないわ。

考えなくては。

何ができるのか!

エジプトの事は今はどうにもならない!

どうか、願うしか出来ないけれど───

人々がわたしを神にするのを止めて───

気が付きますように───

わたしが忘れ去られますように───


一滴涙が流れた。


忘れてくれますように───

時間が経ち風化するように───

「でも一刻も早く・・!」

固く目を閉じ祈りを込めて小さく呟く。

エジプトのテーベの王宮で攫われてから何日経っただろう。

ここヒッタイトに来るまで四日。

昏睡して二日。

もう一週間になろうとしている。

エジプトでの日々は遠のき───

経過した時間が解決していくのだろう・・・

メンフィス、もう探さないで。

忘れてくれればいい───

祈り続ける。

囁かれ一人歩きしだした神話───

自分の罪がこの上もなく重い───

最悪だ───

『神』だなんて───

項(うな)垂れて溜め息を吐く。

ただキャロルは祈り、時間が解決を見る事を願った。

エジプトにあれ以上居ては許され(いけ)なかった。

これを機会に忘れて消えていきますように・・・


現状を肯定的に捉えようとするキャロル。


ヒッタイトでは・・・

蒼い双眸を見開くキャロル。

ヒッタイトでは王子から逃げられればいい!

わたしを利用しようとする王子から。

ここでは自分は只の娘。

侍女達による処遇は厚いけれども・・・

自力でただの娘としてここを脱出する。

そう思うと正々堂々としていられる。

心が強くなる。

そう、事態はまだ小さい。

後ろ暗い事はまだ何もない───

だから恐れることはない。

勇気が漲(みなぎ)ってくる。

現状打開には───

王子の弱点を───!

わたしが話す未来、予言の矛先が自分に向くのを恐れるのか?

未来の利用を独占したいのか?

王をも置いて?

そういえば王は・・・?

それは大権をすでに持つイズミルには問題ではない。
イズミルが恐れるのは、この娘が他の者の為になす全て───
その身の独占だった───

キャロルがその思いを巡らせる。

───大事な駒とも言ったわね。

そんなにわたしの知識が手放せない───?

どれ程のものか知らないけど───

それを逆手に取れば・・・?

そう・・・

わたしは自分の命を掛けて───

あなたに臨むわ───

わたしも学習しなくちゃね・・・

刃を使ってでもあなたに要求するわ―――

死なれては困るというのでしょう───?


強い光を湛えた青い瞳が思いの深さを物語る。
そんなキャロルの様子に侍女達は不安の面を注ぎ、溜め息を吐く。
どんなお咎めを王子に受ける事だろうかと思うと・・・溜まらない。
そんな侍女達の溜め息に気付いたのか、瞳をあげてにっこり微笑むキャロル。

「心配しないで。貴女達に迷惑を掛けるような事はしないから。わたしはわたしの思った通りにしか生きられないけれど」

「何をお考えなのですか?王子に余さずご報告しなければなりません」

「それは言えないわ」

生気に溢れてものを言うキャロル。
気迫は只者ではない。
先程は涙していたというのに───
不思議な方・・・
自分達の尺度では測り切れないものをお持ちだ。
ここに居ながら遠くに感じる。
侍女達が呑まれているのを見たのかキャロルが優しげに言う。

「貴女達は王子にどれ程の忠誠を誓っているのか・・・少し思い遣られるけどね」

顔を見合わせる侍女達。

「はい。それはもう」

侍女達は口を揃える。

「そうです、王子は私達の偉大なる王となられる方。ヒッタイトを富める国に導いてくださいます。お仕えするのは当然です」

「・・・」

富める国か・・・

領土、穀物、物資。

あらゆる富。

この時代は隣国の富を狙って侵略する王が優れた王だものね。

それが幸福・・・

幸福だと信じて・・・

欲しいものを手にする努力に明け暮れた黎明の時。

安定を見るのはまだずっと先───

まだ時間が必要だ───

協調を見るのはずっと先・・・

わたしの世界でも今一歩───

そんな未来が果てにあるのかどうか───

あると信じて───

近付いていると信じて───

そんな世界を見てみたい・・・

現状に想いを戻す。
先程浮かんだ疑問を侍女に尋ねてみる。

「王様はどんな人・・・?」

だが侍女は思慮深くなっていた。

「キャロル様、本当に、あの、普通の方ではないのですね」

「王子が先程もお申し付けでしたが・・・」

「・・・」

キャロルは思い出していた。
王子は当て付けのように侍女に言って出て行った。
『この娘の外見に惑わされるな』
『油断はならぬ』と・・・

「王の事を急にお聞きになるなんて・・・・・・国の事をお見抜きになろうと?私達喋り過ぎますね」

侍女達は顔を見合わせどうすべきかと困惑気味だった。
要らぬ詮索を呼んだかとキャロルが機嫌を取るように言う。

「貴女達の有能さは分かったわ。何でもないのよ。もういいわ。」

少し悲しげな様子に侍女達は言う。

「ではそろそろ朝餉をご用意します。お待ちください」

そう言って一人部屋を後にした。

そう言えば何時間絶食しているだろう・・

少し食べたほうが今後の為かもしれない。

エジプトまで遠い。

でも───

敵に歓待を受けるようで抵抗がある。

ハンストの方が性に合う。

侍女がわらわらと入ってきた。
先程の侍女2人が言う。

「交代の者が来ておりましたので、私達は下がらせていただきます。朝餉はもうしばらくお待ちを」

夜を徹しての見張りについていたのだろう、昨夜からの事を4人に申し伝えをする。
キャロルは冷静なその内容の言い様に少し自分を反省するのだった。

夜はよく眠っていたが夜明け前に起き脱走を図ったこと、
縄を自分で解けること、
第一の扉の前にエファリによって取り押さえられたこと、
現在縄で拘束されていること、
王子の言い付けで自分の傍らに全員つき、余さず監視し報告すること、
縄を自由に解くところを見逃さないこと、
「第一侍女」全員で自分に付くこと、
最後に朝餉をお願いすると、2人は畏まって退出して行った。

この成り行きで耳にした事について考える。

『第一の扉』?

第一って・・

第二があるのかしら?

出口ではなかったのか?

脱出を図って辿り付いた扉。
出口かと思い開けようとした扉。
エファリとプレビスに捉えられ手が届かなかった扉は、キャロルにとっては出口ではない。
それは確かに回廊に出る第一の扉だったが、外から閂(かんぬき)が掛かり侍女は衛兵によって通される。
自由に行き来できる扉は執務の間の先に確かにあるのだった。
キャロルには回廊は遠く行き着くことはできないものだった。


『第一侍女』とは?

この城で上級の?

王族付きの侍女ということ?

それが全員で私を見張るの・・?

帰った2人と今いる4人。

総勢6人というところ?

昨日団欒を囲んだのは5人だったわ。

1人は昨夜は王子に付いていた?

それが今は全員で、しかも昼夜交代で?

4人と2人で交代なのね・・・

総勢の数がだいたい分かった。

問題はここに居る人数をどうやって減らすか・・・

王子に呼ばれることもあるだろう・・・

その時がチャンスかもしれない・・・

考えを巡らせる。

昼の監視となる侍女は4人。

この人数を減らすには・・・?

ひとつ溜め息を吐く。
それを見て侍女が声を掛ける。

「空腹でいらっしゃいますでしょう」

「すぐにご用意を運ばせますので」

「いいのよ、食べる気分じゃないもの」

「少しお窶(やつ)れになっていらっしゃいます」

「御髪(おぐし)をお通しいたしましょう」

そう言って寝台に腰掛けるようキャロルを促す。
両手は寝台の端に拘束されたままで、たおやかな身体が優美な曲線を見せる。
横手から二人が髪を梳(す)く。
若く艶のある黄金の髪は極上の細糸。
侍女達が見惚れる。
櫛の通し甲斐は言うまでもない。

「お身拭いもいたしましょう」

仕え甲斐のあるキャロルだった。

「え、いいわ!」

拒否するキャロルに構わず一人が用意に部屋を出る。
手の余った一人が窓を閉め始める。
されるがままに櫛を通されているうちに、湯桶と布を持った侍女が帰ってくる。

存外侍女の給仕室は近いのか?

やはりあの扉は回廊に出られるのだろう。

頭の片隅が探る。
キャロルの思慮を抱える様子を意に介せず、4人がキャロルに手を掛ける。
拘束されている身では───
一溜りも無くキャロルは腰まで肌を露にされ湯に絞られた温かい布を身に受けた。
侍女が背中を腕を清める。
慣れぬ事に這う這う(ほうほう)の体(てい)。

「あ、あの今!王子が来たらどうするの!?もう、もういいわ!」

自分の言ったことに一番怯えたのはキャロルだった。

「大丈夫ですよ。今王子は仮眠をお取りでいらっしゃいます」

仮眠?

イズミルは側近と夜を徹して討議していたのだった。
キャロルを再度連れ戻した後、策を詰め終え、しばらく身を休めていた。

じゃ、今はチャンス・・!

王子の居ぬ間に!

彼女達が数を減らしてくれたら・・・!

油断したら!

何度も失敗しているが。

もう機会はないかもしれない。

思い出してみる。

側近達は自分を逃がしてはくれないか。

王族は逃がしてくれないか。

王子の前で死ぬ気を見せて!


死ぬ気・・・・?


心が決めかねている。
心の準備はまだだった。
決めておく必要がある。
迷いを見せる訳にはいかない。


いざとなったら自分は潔く死ねる───?


『死ぬ気で逃げる』はずではなかったのか?
『死ぬ気があれば何でもできる』はずでは。
そう思っていた。


兄さん、ママ・・・

私、咄嗟にどうなるか分からないけれど───

いざとなったら命を掛けて戦わなければならない。

無駄に死ぬ訳じゃない。

『未来を守るために』

許して───

わたしはわたしの思う通りに生きている───

後悔はしないわ―――

これが正しいのかと言われたら───

そうじゃないとは分かっている。

でも誇って言える、

今はこれがわたしの最善───

簡単な考えではないわ───

弱くて死ぬんじゃない。

『守りたい』から───

兄さん、ママ、みんなを愛しているから───



わたしに力を与えていて・・・



侍女達が手を止めて告げる。

「おみ足をお拭いいたします」

反応のないキャロルの袖を元に直し上衣を着付けると、侍女達は屈(かが)んで裾を払う。
白い足が腿まで露になる。
新たに湯で絞られた布が温かく肌を撫でる。
気持ちよさより恥ずかしさが勝り、居心地悪く、途端に思考は霧散する。

「も、もういいわ!」

「キャロル様、ご辛抱ください」

4人掛かりの力が必要だった。
長く感じられたが侍女達の手が離れやっと安堵する。

「ではお召し替えを」

キャロルの否応無くその衣を外す4人。
だが拘束されている手は通せない。
衣を取る事ができなかった。
仕方ないので、と一部を裂くことになる。
裂かれる度に頭痛を感じ・・・目眩もする。
包帯を上体に当てて巻き、替わって目の前に広げられたのはこれまた上質な衣。
手際良い侍女達によって着付けは終わる。
一人片付けを買って出、部屋を出て行くのをキャロルはしっかり捉えていた。

まず一人・・・

「良くお似合いですよ、キャロル様」

磨かれ輝きを増した白磁の肌は、二の腕、胸元を露にした衣裳に映えた。
蒼い瞳が潤み、匂い立つ様な魅力に辺りの空気が変わる。
皆魅了されていた。
侍女達が溜め息を吐くが厭うキャロルが言う。

「あの、何か羽織らせてもらえないかしら・・・」

そうだ、この手!

この手でもう一人部屋を出させよう!

「その・・肩衣みたいなものを。簡単に留めて着られるものを・・・。何かないかしら?」

「ございますよ、暫らくお待ちください」

また一人部屋を後にした。
今残るのは2人だけ。
空かさず言い募る。

「少し縄が痛いわ・・・見てほしいけど、お願い・・・」

「どの辺りですか?」

確かに手首は赤く擦れ痛みがありそうに見えた。
手を差し出しながら思慮深くキャロルが言う。

「きつくて・・・。少し縛る位置を上げてくれないかしら・・・」

「それはできません、王子に仰ってくだされば何とかしていただけると思いますが・・・」

私達は縄を解くことは出来ません、と侍女達。

「とても痛いのだけれど、お願い・・」

「でも・・・」

そうこうするうちに出ていた侍女達が帰ってきて、交代に一人が退出した。
何の用意でかは分からないが、今は3人が寝台に腰掛けるキャロルを囲む。
キャロルに肩衣を着付けながら、キャロル様、落ち着かれませ、すぐ王子が対処してくださいます、と諭す侍女達。

それが・・・難しいから頼んでるのよ。

心の中で悪態をつく。
そのうちに侍女が戻ってきたようで扉が開く。
侍女の後に見慣れる若者が続いて入って来た。

「キャロル様、薬に詳しいヴィスタ様です」

「ヴィスタ・・・?」

薬?手首の傷?
薬だけじゃなくて・・・医師まで来てしまったのね・・・

人数が増えたじゃない!

簡単には事は運びそうにも無く言葉がなかった。

「キャロル、縄で手首が痛むそうですね、診ましょう」

侍女達の間を割って入り、キャロルの前に膝を折るヴィスタ。
すらりとして体躯良く有能そうな青年。
王子よりは少し年上か。
束ねた髪は明るい。
威圧的な衣を纏い、それは医師ではなくエファリ同様の側近であるのが分かった。
『執務の間』の前の騒動の時に居た様な気もする。

「ええ、ヴィスタ・・・お願いします」

緩めてもらえれば・・・

それにこれはチャンスだった。
側近が居るのだ。
話ができる!
思わぬチャンスに意気が上がる。
どうアプローチしようかと思案を巡る。
思い詰めたようにヴィスタを見詰めるキャロル。
ふと目を上げヴィスタがその視線をキャロルに向ける。

「キャロル、どうかしましたか?」

途端にヴィスタの目が釘付けとなる。
その稀有な容姿に目が離せなくなった。
ここより北方の民より透き通る面。
その瞳の青に吸い込まれそうだった。
ヴィスタはキャロルの見た目に判断を誤りかけた。

「縄が痛くて・・」

実際キャロルは弱々しく、腰掛ける姿が儚げで、思い詰めた眼差しに思わず庇護を与えたくなる。

いや、この娘は───

ヴィスタは息を呑んで思い返す。
討議の場でのキャロルについての総括。
キャロルは計り知れない叡智を持って我々の守り神となろう事───
エジプト戦の最大にしての最終の一手である事───
両者の価値ゆえ・・・天の与えし、舞い降りた『女神イシュタル』と思え、と。
側近達の判断だった。

「それはまるで・・・神、女神のようですね」

未来を見通し予言する、とエファリが説明した時に感嘆と共に出た言葉。

「エジプトに現れたナイルの女神『ハピ』の娘と崇められておりますが」

「我々の国の事も見通し・・鉄の事、製錬方法を披露したのです、エジプトで」

確かに、と以前の報告を思い浮かべ賛同する一同。
エジプトにて所持していた鉄剣でキャロルの前に捕虜となっていたヒッタイト人はここにいる側近の部下か。

「エジプト王メンフィスは大変な執心で、捜索は猶も国を上げての騒動、納まる処なしです」

「王子、エジプト王の寵姫の価値は計り知れないとお見受けいたします」

一同が主君を仰ぐ。
イズミルが肯定し言い放つ。

「皆も見れば分かるが娘は人知を越えている。メンフィス王はよくよく遅れを取ったもの。目に付くところに置くなど」

「価値を知らないのでは?それ程には娘がエジプトでは価値を認めるに至らなかったということでは?」

エジプトにはその叡智をさほど授けていない、とプレビスが推測する。
我らにこそ恩恵がある、と一同。

「で、エジプトの捜索はどこまで及んでいる?」

イズミルが問い質(ただ)す。

「はい、エジプト国内を隈なく捜索する一方、我が国内、他国に多数の間者を放っております」

「報告ではハットゥシャに間者多数」

「アッシリア、バビロニア首都でもエジプトの手の者と思われる間者、多数の模様です」

「何れの国か定かではない様子です。ですが事が知れるのは時間の問題かと」

確かに。
キャロルは人目を引く。
船を下船した時の状況では───
白く際立ち光を放つ面。
肩に担がれ更に光を放っていた黄金色の髪。
その時はまだここに居る事を知らしめる考えがイズミルにはあった。
ミタムンの身柄・捜索の要求のうえ、場合によっては見せしめに殺すつもりだったのだから。

「引き続き娘は極秘だ。他国で陽動・撹乱操作せよ。娘は駒と言え、時が来るまで秘せ」

そこにイズミルの独占欲がなかったか。
だが確かに秘する方が利がある。
価値は計り知れない。

「御意」

一同が承った。

ミタムン王女のエジプトの捜査に議題は移る。
女王アイシスが王女に手を下した事はキャロルによってこの場では断定されている。
だがエジプトでの捜索自体は決め手に欠きうやむやの内に時間が経っている。
一同を焦らせる。
今後メンフィス王に認めさせるに至るかどうかが問題だ。
一人が言う。

「娘を引き出し証言させれば」

判断は否。
娘の登場は最後の手段。
証拠を固める。
揺るがぬ事実はまだ探せばあるはずだ。
「ミタムン王女の責」という名目で取れるところまで取る。
勿論賠償の点で。
『娘は極秘』
───できれば懐深く、厳重で神聖な神殿に・・・神像のように奉(まつ)るべき娘なのだ。
エジプトの今の様子では一も二も無く返還を要求するだろう。
それでは交渉が躓(つまづ)く。
奥の手は最後に出すに限る。
揺るがぬ物証があるはずだ。
エジプト王宮内での捜索・検証はヒッタイト側も許可され加わり、まだ始められたばかり。
すでに証言が出ているという。
地下牢やアイシスの宮になされていた不審な人払いに侍女の解雇、処分の数々───
アイシスが孤立すれば仕える者達から証言は増えるだろう。
その線を強化する。
エジプトに非があることを認めさせた後は要求する賠償。
討議が進む。
アイシスの処罰、領土、物品、毎年のように課せる年貢───
もはやエジプトの国力を削ぎ近い数年で『エジプト攻略』を視野に、と声が上った。
近い数年と言わず、この機会に雌雄を争うことも討議される。
メンフィス王の出方によってはすぐにでも現実性のある事だった。
エジプトと全面的に決裂し、総力を持って争う事になれば・・・

「その時はかの娘を出すまで」

イズミルの言葉に広げられている地図の上で数万の兵に匹敵する駒が敵陣に王手を掛けるようだった。

「エジプトの神の、ですね。・・・それはエジプトには堪(たま)らないでしょう」
「エジプトは諸手をあげましょう」
「戦いの勝利は見えてますな」
「娘が勝利を与えるとは・・・まるで」
「そう、私も女神だと、イシュタルかと思いますな」



ヴィスタは思い返すのだった。


今目にしているキャロルの姿の稀有さは───

眼差しの青さは───

神秘的で───

思い描く女神もかく在らむ───


接する者は実感し囚われ始めているのだった。












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