The North of the Border<7>
ここに───
その身だけでなくその心もキャロルは捉われようとしていた。
そのたおやかな体を椅子の背に半ば仰け反って張り付くキャロルの耳に───
イズミルの低い声がさらに追い討ちをかける。
「私と共に生きよ」
衣擦れの音がして───
流れ落ちる銀灰の髪のままに───
イズミルの端正な面(おもて)がキャロルを間近に覗く。
キャロルの思考は追いついていなかった。
ただ無防備に色づく唇。
口付けを誘い───
だが───
わずかに唇は重ならなかった。
「───そ、それは!!やっぱり───待って!!」
肩先までの黄金色の髪を振って身を捩り、イズミルの厚い胸を押し返す。
薄茶の長い睫でその瞳は堅く閉じ、同じ色合いの優美な眉はくっきり寄せられる。
白い面は露わな拒絶とともに青褪めていた。
キャロルの脳裏には───
『このままではいけ(許され)ない』
───何かが点滅していた。
このまま───
王子とともに生きたら───
どうなる───?
古代(ここ)で生きることを決めたら───
この口付けを受けたら───?
───王子はわたしに選択を───!
選べと言っている!
『受け入れろ』───
『妻』になれと───
これは───
キャロルの思考はそこで飛躍した。
現代であればその時は思うもの。
人生を思い描き、設計する・・・・・・。
これは『プロポーズ』なのだから。
差し出されたその手を取れば───?
相手を愛していけるのか───?
子供を育んでいけるのか───?
「!!」
───そこまで考えて見えた。
警鐘に瞬いていたものを。
『子供』を未来人が生むとどうなるか───
そうだ───
子供が出来たらどうなるの───!?
この世に生まれるはずでない子供───
その子が成人して子孫が続いて・・・・・・
問題ははっきり見えた。
「・・・・・・それは駄目・・・・・・王子、駄目、無理よ・・・・・・出来ない・・・・・・しちゃいけない・・・・・・」
目の前のイズミルの温度は沸点程に高く───
青褪めるキャロルの思いはその前に凍りつきそうだった。
言葉は続かない。
なんと説明していいのか?
話は飛躍している。
この人に説明を始めていいのか?
理性のある話なのか?
だがキャロルが口にしかけた以上、目の前の人は待っていた。
慎重に言葉を選ぶ。
「例えばだけど、子供・・・・・・あの、子供は・・・・・・必要でしょ・・・・・・?一国の王子だものね!───あの、わたしが・・・・・・誰かと結婚してこの世界で子供を生むことには問題が・・・・・・」
「問題?」
キャロルの不可解な難色にイズミルが首を傾げる。
「・・・・・・言ったでしょう?人の生きるはずだったところを死なせてしまったり、死ぬ所を助けてしまったりすると未来が変わるって!!」
「で?」
「生まれるはずでなかった人を・・・・・・子供を、生むなんて───未来は変わってしまう」
「・・・・・・」
「あの・・・・・・だから、駄目なの・・・・・・結婚なんてできない」
キャロルが相手の様子を探る。
「分かって・・・・・・未来が変わるのよ」
「愛しているのにそなたを腕に抱くことができぬと?」
イズミルがその瞳を細めてキャロルに問う。
色を無くしたのはキャロル。
「あの、その・・・・・・!!例えばだけど!!まだ、その・・・・・・決めた訳じゃないけど!!」
王子の、『お妃』になるって決めた訳じゃないけど・・・・・・
「その話とは全然別に!───問題があるのよ?・・・・・・駄目だわ・・・・・・」
沈黙。
苦しい沈黙に息が詰まりそうだった。
だがキャロルにひとつの知識が蘇った。
ある事に思い当たり気付いた。
その身に子を宿さない方法に。
ある・・・・・・けれど説明・・・・なんてできない───・・・
もはや収拾し切れない状態で真っ白になった頭。
ひとつ深呼吸する。
冷静を取り戻そうと呟く。
───待って・・・・・・こんな説明は到底無理───
駄目、やめよう。
話が込み入り過ぎで眩暈がしてきていた。
また深呼吸をひとつ。
原点に戻り考える。
───まず問題は!
古代(ここ)に居ていいのかだわ。
わたしは古代(ここ)に居続けると決めたのか?
取り敢えず言葉を待っている王子に子供は作れないと説明・・・・・・しよう。
やっとキャロルが意を決し言葉にする。
「あの、子供は必要でしょ?わたしはこの時代の人間じゃないから・・・・・・無理だから・・・・・・」
「無理?」
「───ええ、古代(ここ)では───怖くてそんな事!」
歴史を狂わせるだろう。
恐ろしくて、選択の余地はない。
「わたしなんかだと苦労するわ!子供がいないなんて大変な事ではないの!?」
「それは問題だな。私には子を成す義務がある。───国の為に」
「そ、そうでしょ!だから止めましょ!!───諦めて。わたしには無理」
「───だがそれは側室に生ませれば良い」
簡単な一言だったがキャロルの表情を一瞬で固めた。
一瞬にして場が凍る。
「え、側室・・・・・・?」
雲行きは変わっていた。
驚きに見開かれた双眸(そうぼう)が驚きを深く物語っていた。
何に反応しているのか、イズミルには検討が尽かない。
「女の人がたくさんいるの・・・・・・?」
キャロルが驚きを滲ませ尋ねる。
「何か問題か?」
「・・・・・・あの───側室はたくさんいる?もしかして第一お妃とか第二お妃もいるのね?」
只ならぬ様子にイズミルが冷静に答える。
「居ると言ったら何か問題なのか?」
「・・・・・・そうなの・・・・・・?でもそれは───そう・・・よね・・・・・・でも!わたしの世界では、女性を尊重する意味から一夫一婦制、一人の人としか結婚しない!!」
「一人?」
「そうよ!何人も女の人を囲って子孫をたくさん作ろうなんて!女の人は子供を作る道具じゃないわ!!」
なんでこんな事をこの人に向かって説教しているんだろう、と思うキャロルだったが。
「『道具じゃない』か。───そなたの得意の台詞だな」
余裕の見える笑みをイズミルが浮かべる。
「私がそんな男かどうか、見極められぬか?」
「───居るの?居ないの?」
現代人のキャロルにとっては大事(おおごと)だ。
「わたしには未来の考えがあるわ!古代(ここ)の常識では生きていけない!!たくさんの妻を娶るなんて!!わたしには耐えられない!!」
とことん問題が見え、イズミルに突き詰める。
「それは心配せずとも良い。覚えておこう。───そなたの心配はそれだけか?」
イズミルが冷静に言い、乱れた黄金の髪に触れる指がキャロルを宥める。
キャロルの質問に意味深く答える。
「私にはそなただけ───」
琥珀色の瞳の熱さに見竦められ───
「共に生きるのはそなたのみ」
真っ直ぐに見詰められるキャロルは言い包(くる)められ───
今疑ってもしようがないと思うと気持ちは鎮まり、
ただ目を離せなくなった琥珀色の瞳に───
イズミルの意のまま───
腕の中に絡め取られそうになった。
だが。
「───ま、待って!!───違うわ!!子供は生めないのよ!?それで構わないの!?───今後権力者としてやっていけるの!?」
最初の問題を思い出し、迫って来るイズミルの胸を突っ撥ねて叫んだ。
「子が成せぬとも構わぬ」
「嘘!そんなこと言っていいの!?国が乱れる元よ!!」
「───そう思うなら生んだらどうだ?」
キャロルが色をなくす。
「嫌!!駄目よ!!駄目だって言ってるのに───」
怒りに震えて憤慨し、腕を捉えるイズミルから身を精一杯引く。
逃れようと椅子から仰け反った。
「放して!!やはり思い通りに───!!酷いわ・・・!!わたしの言う事、分かってないわ───!!」
「───こちらを向け」
「嫌!!放して!!」
「聞け。───困っておる。───私もな」
イズミルがキャロルの両腕を捉えて言った。
「───」
「そなたと私にはまだ時間が必要だ。───問題は山とあるが。だがそなたを愛したい」
「───え?」
「そなたは私に可能性をくれるのだろう?」
「!!───ここに生きるとはまだ決めていないわ!!」
「可能性だ。───只の娘になるまではその命、私に預けて居れ」
───時間を掛ければそなたの一人くらいどうとでもできる。
イズミルは思うのだった。
だが目の前の美しい少女の肢体を思い描いたところで───
思い当たる事をひとつ言っておかねばならなかった。
「聞きたいが───私に愛しいそなたを眺めているだけで居よと?」
「───」
「未来から来た娘は苦難を強いるな」
「!」
イズミルが可笑しそうに笑う。
「い、今は説明できないけど!───あの、説明したくない・・・・・・その・・・・・・・子供を期待しないで・・・・・・」
「───期待?」
キャロルが顔を真っ赤にして取り繕う。
「聞かないで!!説明できないわ!!子供を期待してるでしょうけど、絶対わたしは生まないわ!!生んじゃいけないのよ!!」
「それで私に苦難を強いるのか、と聞いておる」
「!!───それはその・・・・・・」
「この体を私は抱けないのか?」
キャロルを抱き寄せて言う。
「───や、やめて!!放して!!」
「いつでも私はそなたを抱ける。───教えてやろう、試してみるか?」
「な───!やめて!!───わたし、知ってるわ!!」
力を緩め笑うイズミルにキャロルはさらに朱に染まった。
「か、からかわないで!───どこまで本当なの!?───そんな事が古代にも!?」
真意を読み取ろうとキャロルがイズミルを見上げるが───
もう平静にキャロルを見ているイズミル。
在らぬ方に顔を背けて視線を外す。
「───でも話は早いわ。そういう事だから・・・」
安心してね───とは言えない。
「・・・・・・もうわたしに聞かないでよ。王子が自分で探したらいいんだわ、方法を」
ブツブツと悪態をつき、溜め息をひとつ吐く。
問題は多い。
古代(ここ)でわたしらしく生きるなんて───
到底無理───?
子供を生めない。
愛する人の子供を生めない───
人を愛することも憚られる。
そんな世界で生きるのは───
何のため───?
やはり───
ナイルへ───?
それが当然───よね・・・・・・
「わたしはナイルへ帰る方が───いいんだわ・・・・・・」
「───」
見上げるとイズミルは端正な面でただ見詰めていた。
ただ存在を訴えかけるその琥珀色の瞳が───
深淵を湛えてキャロルを射ていた。
それは怒りにも悲しみにも移ろいそうで
チクリとキャロルの胸を刺すものがあった。
溜まらず視線を落とし俯くキャロル。
イズミルが淡々と言う。
「一人で勝手に決めてくれるな。私が居るのを忘れてもらっては困る」
素直に、敢えて冷静に思ったままをキャロルが答える。
「・・・・・・こんなわたしでもいいってこと・・・・・・?」
やはり、そうなるの───?
面を上げて、キャロルが挑戦的にイズミルを見詰め返した。
「妥協してくれているのは分かったわ。───王子はそれでいいの?そんな妥協が王子として許されるの───?」
わたしを受け入れて苦難をわざわざ───?
己の心を推測しようとするキャロルの問いに健気を感じ、イズミルが笑む。
不敵な信念をそこに見、キャロルもつられるように少し微笑んだ。
「我が意を汲んだか?」
イズミルが杯を取り、キャロルの手にも一つ持たせる。
キャロルは素直にその言葉を聞いた。
見えて来たものがあった───
意味がある自分の未来───
人生───
真実思う通りに生きられるかもしれない───
自分でなければならない誰か───
必要な誰かのために生きるのは───
それは幸せと言えるものかも───
唇に残る交わされた思い───
深く純粋と思える思い───
王子の思い───
それは温かみとともにまだそこに感じられて───
心を揺さぶっていた。
『可能性』にわたしも掛けてみても───?
キャロルの杯にカチンとイズミルがその杯を合わせる。
「固めの杯(さかずき)としよう」
「え?───そ、それはちょっと待って!!」
早過ぎる決着にキャロルが慌てた。
杯を置き戻し慌てる。
イズミルが笑みを浮かべる。
「待とう。───暫らくは、な。───だが一人で帰ろうとするな───胸の内を全て話すが良い」
王子は猶も譲歩している───そう思うキャロルは小さく首を縦にした。
「少しは食欲も戻ったか?───すっきりとはまだせぬとも」
確かにたくさんの話をし───
胸の痞(つか)えは軽くなっていた。
卓にはそういえば朝の食事が用意されたままそこにあった。
イズミルが手をつけ一口食して見せる。
見ているキャロルに、そなたも、と促す。
手に渡された器にはスープ。
だが膝に置いて───
じっと眺めるだけで、放心してキャロルは一点を見詰めるばかりだった。
これからはどうする───
どうしたいのか───?
まだ食する程、悩みは絶える時がなかった。
キャロルの杯を再度その白い手に寄せ、イズミルがワインも勧めるが───
未成年のこと。
あと四年しないと飲めない、と断る。
「何故四年?」
イズミルが合わせる。
「二十歳にならないと───体に強すぎて毒だから」
「───私は13から飲んでいるが?───どうするのだ?」
「・・・・・・早く死ぬかも・・・・・・あ、でも寿命が短いこの世界ではあまり意味はない・・・・・・かな」
「面白そうな話だがまた聞こう。今は少しでも滋養のある物を摂るが良い」
そう言ってキャロルの頬に優しく触れる。
不意にイズミルが扉に向かって語気を改めた。
「ルカ、聞いていたか。キャロルと申す。───確(しか)と守れ」
「はい王子」
返事は通る声で返ってきた。
ずっと控えていたのだろう。
その冴えた返事をし呼ばれた少年ルカが前に進む。
「ルカは年若いが私の腹心。腕も立つ。───エジプト側の面前、傍にそなたを連れている訳にいかぬ。───その時はこのルカと居れ。今から従者として使うが良い」
「ルカ・・・?」
「キャロル様。初めてお目通りになります。ルカと申します」
「・・・よろしく・・・ね」
柔らかそうな髪を束ねているが、顔に掛かる髪をそのままに、内心を覗かせないような風貌。
どこか影に仕える風を思わせる少年をキャロルが見詰める。
自分と同い年くらいだろうか。
「侍女と同様使うが良い。今後その姿を目立たせる事を控えよ。───繰り返しておれば側付きの者を増やさねばならぬ。───そなたの自由は、そなた次第」
キャロルが逃げ出す事にイズミルが釘を刺す。
ルカは見た感じ所作も控えめ、女性のような容貌で抵抗は感じない。
そこはイズミルの厳正な人選に依るもの。
エジプトに着けば───ナイルへ───?
いちかばちか現代へ帰れるか───
ナイルへ逃げ飛び込むのが正しい───?
王子は『帰さない』と言っているのだから、見張りが多くてはその場合、困る。
そう、その場合の事も考えておかねば。
「エジプトに連れて行ってくれるのでしょ?───それなら大人しくしててもいいわ
!」
イズミルに対等を張って、倣岸に言い返す。
対するイズミルは既に慣れたもの。
その突っ張った物言いをも楽しんで目にしていた。
王子の御心のままに、命に代えましても───
近くでこの様子を目にしたルカは───
改めて任の重さを思うのだった。
「良いだろう。───無謀な試みは私に相談してからにせよ」
───馬鹿なこと!?
馬鹿にしてるわ!!
蒼い目を吊り上げたキャロルを一笑に伏し、律儀に控える部下に指図する。
「キャロルの食事が済んだら執務の間に連れて参れ」
「はい王子」
イズミルが座を立ち上がる。
何か言いた気に振り仰いだキャロル。
その白い頬にイズミルがすっと指を掛ける。
不意の事に青い瞳がキラリと発光して───
身動きしてこぼしかける膝のスープの器に注意が逸れて───
その隙を突くようにふわりと優雅に腰を屈(かが)め、イズミルが反対の頬に口付けを落とした。
「な───」
更なる不意の事に固まった。
器を抱き締め振り仰ぐ白い面を───
頭上から愛しく見詰め下ろした後、イズミルは床に届く長い衣をバサリと翻し卓を離れた。
イズミルの姿が扉に消えるまで目で追って、その後やっとキャロルは人心地つく。
自分の鼓動が途方もなく早い。
───い、嫌だ、何故こんなにドキドキして・・・・・・!
顔を真っ赤にして辺りを窺う。
ルカがどんな顔をして見て居るかと心配だった。
意外ににこやかなルカ。
その視線とぶつかった。
ルカにしてみれば素直なキャロルの様子は微笑ましかった。
初対面からキャロルに好意を抱いてしまっていた。
「あ、あの!!」
「はい、キャロル様。何でしょうか?」
ルカは猶、至ってにこやかだ。
この方を王子は・・・・・・と内心呟く。
「な、何でもないわ・・・」
ルカにイズミルへの不満をぶつけるつもりだったが我に返って溜め息を吐く。
王子の忠臣なのだ。
しかもこんなにこやかな部下だと毒気を抜かれて思い直していた。
ルカが優しく声を掛ける。
「お食事をお召し上がりください。王子がお待ちですから」
「いいえ、もういいわ!」
弱々しく首を振るキャロルに、ルカは先程のキャロルの言ったことを思い出していた。
『食べたくない』
『もう無理に生きていたくない』
キャロル様は今の状況を悲観されて───
儚くなりたい───か・・・・・・
「もう少し召し上がって頂かないと本当に病になりますよ?」
「それでもいいわ。いっそそうなってくれた方が・・・・・・」
もう何も苦しまなくて済む、と言外に含んで言う。
「エジプトに行くのですよ?体力が持ちません。このままでは王子はお許しになりませんよ?」
「だったらっ。一日も早くわたしを自由にすればいいのよ───そうしたら食べる物も食べて自力でなんとかするわ!」
なんと強情な───いや意志の強い方・・・・・・
少し自分が梃子摺(てこず)るさまにムッとするルカだったが、懐柔には自信がある彼だった。
「───では一日も早くエジプトにご出発いただけるように王子に進言してみましょう。その為にも体力をお付けください」
だがキャロルはうんと言わない。
「大体、エジプトまではお一人ではとても行き着けませんよ?」
「・・・・・・隊商(キャラバン)にでも同行をお願いするわ・・・・・・」
この方を見て隊商(キャラバン)が?
どうなるだろうか・・・・・・
恐らく───
手放す段にでもなれば惜しくなる。
商魂逞しいキャラバンに限らず・・・・・・
「信頼できるキャラバンを見分けられるのですか?要らぬ罠に落ちるとは思いませんか?」
「罠?」
「キャロル様のような方が無事でいられるとは思えませんが?」
「・・・・・・」
自分の腕にキャロルが視線を落とす。
白く細く───人目を引く。
要らぬ犯罪を招くと言いたいのだろう。
手首には縄の跡が赤く残っていた。
そうしたのは王子だ。
「───王子も一緒じゃない!」
「・・・・・・そう思われますか?」
「そう思うわ!───だってそうでしょう!?わたし何か間違ってる!?」
だがルカは怯むことなく真っ直ぐにキャロルを見ていた。
気まずい思いをするのはキャロル。
向きになって言い散らす自分も自分だと思った。
沈黙の中、キャロルの様子を見守ってからルカが言う。
「王子のお手を煩わせない為に私は呼ばれたのですが・・・、王子以外にキャロル様のお相手をできる方はいませんね。王子をお呼びいたします」
「ま、待って!それは・・・・・・」
立ち上がり背を向けたルカにキャロルが声を荒げた。
振り向いたルカに視線を逸らし切々と言うキャロル。
「王子はやめて───」
王子に思い通りにされていく『不安』───
そうなる予感が───
キャロルに今、色濃くイズミルを拒絶させた。
「何故ですか?」
「───何故って・・・会いたくないわ!!───わたしを誘拐したのよ!こんな横暴許せない!」
「横暴ですか?」
「───横暴よ!!わたしを痛めつけて好きなように利用して!!」
「本当に?本当にそう思いますか?」
「───な、何を聞きたいの?王子の擁護をするつもり?───ルカはわたしを説得しようというの?」
「はい。そのつもりでここに居ります」
悪びれる事無くルカが返答する。
言葉に詰まってしまうキャロルを見て続ける。
「───ですが私はキャロル様の召し使い。キャロル様の御為にここに居ります」
律儀に畏まってみせる。
「ご希望通りエジプトに行けるのですよ?何を拘(こだわ)っておいでなのです?」
「───わたしは甘んじないわ・・・・・・それだけよ!」
そう言って在らぬ方を向く。
「そうですか・・・・・・やはり私にはお心を解きほぐすことはできないようですね。ですが一つだけお聞かせください。」
キャロルがゆっくり向き直るのを待ってルカが言う。
「王子がキャロル様をエジプトにお連れになると本当に思っておいでですか?」
「───どういう意味!?」
「王子の御心おひとつです。───どういうお気持ちで仰ったかお分かりですか?」
どういうつもりって───
「エジプトから攫って来たわたしを帰しに行ってくれるって言うんでしょ!?───この古代にしては見上げた心懸けだわ。───でもわたしにとってはそれは当然!!」
「───『世界』が違う・・・・・・ですか?」
「!!───その話を!?」
───知ってるの?
ルカを穴が開くほど凝視する。
「報告で読みましたが・・・・・・私には摩訶不思議で───」
「え・・・・・・?報告で『読んだ』・・・・・・?粘土板に書き留められている・・・・・・の?駄目よ!王子に言って!!破棄してって言って!!」
「え?」
意味が分からずルカが眉根を寄せる。
「駄目よ!駄目!!わたしが古代(ここ)に居た痕跡を残しちゃ駄目───!!わたしは古代(ここ)の人間じゃないのよ!!」
「?───キャロル様?落ち着いてください。───よく分かりませんが、王子がそうしてくださるかどうか・・・・・・王子にお話ください」
私にはよく分かりません、そう言うルカにキャロルが衝撃を受けていた。
『分からない』
よく言われた言葉───
何度話しても説明しても───!
誰も分かってくれずわたしは自由を奪われてきた。
「やっぱりルカにも分からないの・・・・・・?・・・・・・じゃあどうして・・・・・・王子は理解したのかしら?───王子は変わった人なの・・・・・・?」
「いいえ、王子はいろんな事をご存知ですから・・・・・・キャロル様がそう聞いてみられると良いですよ」
「そうなの?───ええ、でもさっき聞いたわ、王子は───」
そこまで言って、急に言葉に詰まったキャロルは───
思い出したことにうろたえていた。
それもそうでしょう───
ルカは主の御為、確信犯であった。
そう、王子は言われましたね。
『愛した女を信じられぬと?』
じわじわとキャロルを追い詰めようとするルカ。
「───そうしたら王子はなんと仰いましたか?」
冷静にルカが尋ねる。
あからさまにうろたえキャロルが言う。
「───ル、ルカは聞いていたんでしょ!?───わたしに言わせたいのね!?答える必要はないわ!!」
「そうですか、別に構いませんが・・・・・・。それにしてもキャロル様を思われている王子の事もお考えください」
ルカの忠臣振りは敬服に値する。
「王子でなければ今頃どうなっていたでしょう?」
「───今頃?───王子でなければ・・・・・・?」
「そうです。エジプトからこの地まで何がありましたか?」
「───そんな事!王子は私を拷問したわ!!鞭打ったのよ!今でも痛む傷よ!ほらここに!!」
そう言って背中を肌蹴ようとする。
「いいえ、キャロル様!それは───」
「遠慮することはないわ!ルカなら恥ずかしくない」
「そ、それは光栄です。───ですがキャロル様・・・・・・」
「王子には言わないわ」
「いいえ。王子に尽くす身、何を仰いますか」
「───王子ってああ見えて、暴君───ていうか自分勝手で人使い荒くて困ってるんじゃないの?」
「とんでもない、そう思われるのですか?」
「え───いいえ、意外にそうかと思って・・・・・・」
「恐らくキャロル様が思う通りの方ですよ」
「わたしが思う通り?───どうしてそんな事・・・・・・!?」
キャロルの反応は素直だった。
思い当たる所もおありなのだろう。
「キャロル様、王子は見た通りの方です。キャロル様に対して。───絶対です」
「───」
優し気な態度の事を言っているのだろう。
イズミルの姿が脳裏に浮かぶ。
絶対的な存在で、冷酷で、複雑で。
だが、その手───
触れるその手は?
意味するものは、琥珀色の瞳と同じく───
理由明白で、心に絡まる。
だが認めたくない───
そう感じているとは。
眩暈がしてキャロルは嫌悪感を露にする。
「キャロル様、疑わないでください。どうして見たままに納得できないのですか?」
「ちょっと待って!どうしてわたしがそう良いように思ってると思うの!?───王子なんて!極悪非道よ!!」
「・・・・・・それだけですか、キャロル様?」
「それだけよ!───ルカは部下だから分からない!分かろうとしないのよ!!」
「落ち着いてください、私は確かに部下ですが、キャロル様は?捕虜でもないのですよ?」
「───そう、よ!───でも何が言いたいの!?わたしは見たままに判断しているわ!王子の優し気な態度だってやり手な王子の事、裏があるに決まっているわ!?」
「───悪いようにしか思っていないのですね」
「悪いようにって───良いか悪いかなんて分からない!例え良い人だったとしても関係ないわ!!わたしにどうしろって言うの!?」
「───どうしたいですか?・・・・・・私は女ではありませんから分かりませんが」
「ど、どういう意味!?!!からかわないで!!!───もう出て行って!!」
激怒して立ち上がり、この場にはもう居られないとばかりにキャロルが自室に向かう。
不意にふと振り返る。
「───王子を呼ぶんじゃないでしょうね」
「王子には敵いませんか?」
「違うわ!!───!いえそうよ!!───嫌いなのよ!大っ嫌い!!もう顔も見たくないって言って!!」
「本当に?もう会えなくていいのですか?」
「───」
ルカの思わせぶりな言葉に返す言葉がない。
ルカは確信する。
こちらもどうやら本物だな───と。
ルカの役所は決まった。
苛め抜いてみせなければ。
「───分かりました、王子にお伝えします。───『大嫌い』だから『もう会いたくない』」
そう言ってキャロルに背を向けた。
「王子はさぞ悲しまれることでしょう・・・・・・」
ぽつりと言ってみせる。
「嘘!!怒って飛んでくるわ!!だからやめて!」
「悲しくて怒るんです───私ならですが。───王子は大体乱暴な方ではないです。どこかのファラオとは対照的かと思いますよ」
「───メンフィスのこと?・・・・・・メンフィスを知っているの?」
ルカはもちろんその台詞だけを報告する訳ではない。
王子が激されないように諸事の心配事が理由で『まだ食事ができない』とするつもりだった。
「はい、ファラオを何度か拝見した事もございます。大変激情も露わな方で猛々しい王ですね」
「───そう、メンフィスは雷鳴のよう───。その声でわたしを探して呼び───強い力で・・・・・・」
キャロルが懐かしそうに語る。
「メンフィス王ですか。───また戻りたいですか?」
「───いいえ!───もうあんな息苦しい毎日は───」
『いやだ』───とははっきり言えない。
ここで王子の下に居る事の方がましだと聞こえてしまう。
「そのような毎日だったのですね。───ここでは?如何です?」
だが敢えてルカは訊く。
ほら来た、とキャロルは即答する。
「そんな事比べられないわ!!どういうつもり!?」
「少しは考えてください、という事です」
「何を!!」
「言いたい事はただひとつです。───王子を苦しめて楽しいですか?」
「───え?」
「王子は苦しんでいらっしゃいます」
「───何のこと?」
その身に冷たい汗が伝う。
「意味が分かりませんか?・・・・・・ご自分の胸に聞いてみてください」
「どうして!?───どうしてわたしが責められなくちゃいけないの───!?」
身を震わせて訴える。
「落ち着いてください。───私にも何故王子がこれ程苦しまれていらっしゃるのか分かりません。いえ、どうして解決なさらないのか?───方法はあるのに、です」
「・・・・・・方法・・・・・・?」
キャロルがルカを食い入るように見詰める。
「───どうしてここにキャロル様は居らっしゃるのですか?」
「───わたし?・・・・・・何故・・・・・・かしら・・・・・・」
微かに震える声で自分に問う。
「いろいろな・・・・・・事件とか偶然とか目に見えない何か・・・・・・に依ってかしら・・・・・・」
「そうですね、そうやってお会いになったのですね。王子はキャロル様と出会われた」
「───そうね・・・・・・」
『出会い』はそうだった。
散々な出会いだった。
「出会ってから何があったと言っていましたか?───それは当然の事ではないのですか?」
「───当然って・・・・・・!?何を言うの!?───信じられない!!」
誘拐が?
拷問が?
当然───!?!
信じられない!
「当然とは思えませんか・・・・・・それなら仕方ありません。───不思議ですか?キャロル様こそ不思議ですが───」
ルカの悟ったような意見だった。
「あのね!未来ではそんな事当然と受け止めちゃいけないの!!人権問題よ!!」
ルカが居を正して慎重に告げる。
「───聞くだけ聞いてください。───キャロル様はミタムン王女の購(あがない)いになさるべきなのです」
「!」
キャロルが硬直するのが傍目にも分かった。
『───という方針でした』と心の中だけで告げるルカだった。
悪役に徹して。
「購(あがな)いって───」
「───ミタムン王女と同じ目に合わせるということです。キャロル様を」
分かってはいた。
でも───
今更人の口から聞くと身が凍る。
「そうすれば諸事は労する事無く終結を見るのです」
「───」
言葉も無かった。
冷酷で───
「たくさんの事がキャロル様にかかっているのです。───お分かりですか?」
「わ、分かっているわ・・・・・・!!」
何とか声を搾り出す。
分かっている───
私の立場───
それに『知識』の価値と脅威───
諸刃の剣のその『叡智』
この古代世界で認識されればどうなるだろうか。
───封じるに越したことはない。
───『疑わしきは殺せ』か?
それを言うなら『神の娘』かどうか疑わしきは殺せが先にあるのかも知らない。
───『魔女狩』
キャロルの脳裏、史実が思考をよぎる。
青褪めるキャロルの手前、誰を労わるのか少し苦悩を見せてルカが続ける。
「───キャロル様を弑(しい)すればその全てが解決するというのに───」
キャロルは言葉を失って佇むのみ。
「何故王子はそうなさらないのか?───何故王子は苦しんでまでキャロル様を生かそうとなさるのか?」
目の前が真っ暗になった。
ルカが言うのは尤もな意見だ。
本当なら自分は王子に殺されていただろう───
恨みを込めてさぞ───・・・
その先は考えられなかった。
考えても意味が無い───
いろんな意味で『意味』はなかった。
死ぬことは苦しいのだろうか、とは。
殺されなくて良かった、とは。
キャロルは先の決心で死を覚悟し───
死んでも良かったのだから。
だが───
衝撃が別の所にあった。
その場にふらふらと後退りする。
「───『王子が苦しんでまで』?」
キャロルを動揺させたものだった。
ルカに問う。
「・・・・・・ルカは・・・・・・そう思うのね・・・・・・?」
「はい・・・・・・」
「わたしが居るから・・・・・・?」
呟くように言う。
「王子『も』苦しんでいらっしゃいます」
「わたしが苦しんでいるように、と言いたいの・・・・・・?」
「はい、お二人とも同じように。───それは深く難題です。ですから簡単に自害されたり、逃亡して御身に大事あれば王子は只では置きませんよ」
だから逃げることは諦めください、と言外に含んでいた。
「───」
キャロルは一言も発せない。
ルカが続ける。
「それは───王子が仰っていたように、もう王子はキャロル様に歴史を変えられた、ということなのでしょう。違いますか?」
「!!」
ルカの言葉に胸を貫かれたような錯覚を起こす。
「───嘘・・・・何故?───あなたもそう思うの・・・・・・!?そうなるの!?」
震える声。
ルカはただ見守る。
「・・・・・・そうね・・・・・・でも、そうなの・・・・・・?ごめんなさい・・・・・・?でもどうしてそうなるの・・・・・・?お願い・・・・・・!もう止めて・・・・・・!!」
発狂しそうなキャロルの自問自答。
ただ思い遣りの微笑みをルカは湛えていた。
言いたい事は言った。
伝わった。
満足だった。
「・・・・・・ごめんなさい・・・・・・わざとではないのよ?・・・・・・早く未来に帰りたかったのよ?こんな所まで来る前に・・・・・・!!」
キャロル様を責めているのではありません、と言うように首を横に振るルカ。
「わたしは逃げるんじゃないわ・・・・・・守るために帰る・・・・・・はずだった・・・・・・けれど、守れなかった・・・・・・?本当に・・・!?もう何かが───狂ってる・・・・・・!?」
頭を抱えるキャロルにルカが優しく諭す。
「───それは私には分かりません。───王子ならご理解されていると存じます・・・・・・王子にお話を」
「───もう手遅れ・・・・・?───どうしたらいいの・・・・・・?」
目の前は真っ暗な未来。
歪む現代の光景。
もう無いかもしれない───
・・・・・・そんな・・・・・・!
その場にふらふらしだしたキャロルをルカが手を携え励ます。
「キャロル様!?お気を確かに」
侍女達も隅に控えていられず駆け寄る。
「キャロル様!どうなさいました!?」
「大丈夫ですか!?」
侍女達にも手を借りる有り様。
「大丈夫ですか?───こちらへ」
ルカが厚い敷き物の上を指してキャロルを落ち着けようと言う。
侍女達の手を借り座に落ち着くがキャロルは蒼白のまま。
「リメラ、王子を」
手短に侍女の一人にルカが指示する。
返事二つ、リメラがそこを後にする。
キャロルは心ここにあらず。
体を精一杯抱きしめている。
ルカが戸口まで向かい、程なく待ち人は現れた。
「どうした、ルカ」
「はい王子」
侍女達に囲まれ怯えきったようなキャロルがその目に入る。
歩むイズミルにルカが従いつつ口上を述べる。
「申し訳ありません、王子。キャロル様のお嘆きが止まらず・・・・・・。不安な事にご気分がすぐれないご様子です・・・・・・」
「不安?」
「はい、お話ししたのですが、これまでの事、これからの事。お辛いようです・・・・・・」
キャロルの傍らで歩を止めたイズミルにルカが恐縮して述べた。
「良い、皆下がれ」
二つ返事するルカ。
侍女達も下がり、キャロルだけがそこに残された。
敷き物の上に力無く座り込み、床の一点だけを見詰めている。
イズミルが膝を折って、白い手に掛かる衣を払い大きな掌にそれを取る。
「如何した」
色のないその面を覗き込み労わりの声を響かせた。
ルカの言っていた事を思い、キャロルはイズミルを見上げられずにいた。
イズミルのもう片手がキャロルの肩を抱く。
止めて───
これ以上わたしに関わらないで───
その思いで弱々しいながらも───
王子の胸に手を当てると突っ張って身を離していた。
「・・・・・・待って、大丈夫だから・・・・・・!」
意外にしっかりとした口調で訴えた。
「どうしたのだ」
「・・・・・・ルカ・・・・・・」
それだけ言って唇を噛むと打ち消す。
「・・・・・・なんでもないわ・・・・・・なんでも・・・・・・!」
「ルカが?」
「ルカが言った事はいいの───!聞きたいことがあって・・・・・・」
「なんだ?申してみよ」
唇を噛み締め、イズミルに問う。
「わたしをナイルに帰らせてくれないのは何故?」
「───そんな事が聞きたいのか?───何度言えば分かる」
イズミルの琥珀色の瞳が熱を帯びる。
「そなたを───」
キャロルは思った、聞くんじゃなかったと。
「───愛しているからだ」
この上なく愛しみを乗せた眼差し。
「待って!!そんな事言ってていいの!?───わたしの事分かってるの!?・・・・・・普通じゃないのよ・・・・・・!!」
「分かっておる。───少なくともそなたが思うよりはな」
「!───わたし、───わたしを・・・・殺さないのは何故・・・・・・?いっそ殺して!───そうよ殺して!!もう優しくしないで!!何も言わないで殺して!!」
キャロルは既に余りにも常軌を逸していた。
「そのような事できぬ」
だがイズミルは穏やかに返した。
「何故!?ミタムン王女のために殺せばいいじゃない!!そうよ!そうすればいいのよ!」
「───もう無理だ。私は気付いてしまった。そなたを殺せば誰が一番苦しむかをな」
「・・・・・・どういう意味・・・・よ・・・・・・・?もうやめて!簡単に殺してよ!!」
「───そうだな、そうすればそなたは私を憎んで安らかに死んでいられるか?」
「・・・・・・そうよ・・・・・・王子には悪いけれど・・・・・・きっとそれが一番なのよ───」
青い瞳を上げ言い募る。
「もう心配せずにいられるわ!!王子はミタムン王女の捜索にだけ集中するはずだったのだから!!」
乱暴な訴えを続ける。
「『ナイルの娘』なんて言われるわたしを過大評価し過ぎなのよ!そしてわたしも!!『ナイルの娘』なんて言われながらうやむやのうちに未来に帰れずに居た!!───わたしは罰を受けなければならないのだわ!!」
「そうでもなかろう」
イズミルが静かに言う。
「───手に入れたそなたは私の求めていたものだった。───それで納得はできぬのか?『ナイルの娘』ではないと申しておるのだから、もはやそこに戻っても同情はせぬぞ」
「───」
頭が一瞬冷やされてキャロルが呟く。
「本当に特別な扱い、しないのね・・・・・・?誰一人分かってくれない、駄目だと思っていた・・・・・・もう諦めて・・・・・・そのうちに、そう思われるのも仕方ないのかと慣れて───」
不意に激情を露わにし訴える。
「だから!ナイルに帰るか、死ぬしかなかった!!」
「今日までは───だな?」
イズミルが言う。
青い瞳が大きく見開かれるがすぐに力無く俯く。
「・・・・・・分からない・・・・・・ごめんなさい・・・・・・よく分からない・・・・・・複雑過ぎて何がどう影響するのか───分からない・・・・・・。お願い、少し考えさせて・・・・・・」
「すべてをまだそなたは話せぬのか?一人で抱えてくれるな・・・・・・ナイルに帰るか、死ぬか、となるのであろう?」
「・・・・・・そう、いつも究極はそうなる・・・・・・行き着く答えはいつもそう・・・・・・これ以上この世界に居てとんでもない事になる前に。最小限でまだおさまるなら!・・・・・・まだ私は誰も殺していないし、誰の命も助けていな───」
不自然にキャロルが言葉を切ると、その表情はみるみる驚愕のものとなる。
「・・・・・・ち・・・・・・がう・・・・・・!メンフィス・・・・・・!!───わたし!?」
忘れていた。
メンフィスを蛇毒の死の床から助けたことを───
わたしが居なければ死んでいた───?
死んでいたに違いない───!
これは───
どうなる───?
───メンフィスは若くして・・・・・・死ぬはずだ。
一国の王が事実とは違って永らえたら・・・・・・?
───分からない!
どう変わってしまうのか分からない!!
考え出したら限(きり)が無い!!!
俯き力無く首を左右に振る様子にイズミルが窺い知る。
「メンフィス王か。───命を?」
「・・・・・・え・・・・・・」
イズミルに知られても拙(まず)い。
「命を助けた?そんな事もあったか?───コブラの話なら聞いている」
図星だった。
「コブラの毒で───そうか死にそうだったか。誠にメンフィス王が?」
確信してしまった!?
拙(まず)い───
「でも!!───私はただ看病しただけ・・・・・・!側仕えだったから・・・・・・!」
できるだけ平静を装って誤魔化そうとする。
古代(ここ)には無い現代の薬を投じた事が知るに及ばなければ良い。
一番知られてならないのは───
『メンフィスが若くして死ぬ』
その事実。
「───死にそうだったの・・・・・・可哀想でつきっきりで・・・・・・なんとか持ち直してくれたわ・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙が苦しい。
イズミルが事実を突きつける。
「聞いている報告とは違うな?───『ナイルの娘』の成せる技、神秘な力で治したと聞くが?」
「!!───ええ!───毒が回らないようにすぐ吸い出して、足もいろんな所を縛って絶対毒を通さないようにして!!───安静にして・・・・・・!!」
「それは普通だが?」
澱みなく返答される。
キャロルは言葉に詰まって言い澱んだ。
「どうした?何を隠している?」
「・・・・・・」
こういう時はもう何も言うまい、と困惑の中、見出すキャロル。
「何を隠しておるのだ?」
横を向き返答すること無しにだんまりを決め込む。
黙秘を続けるキャロルに、これはこれはと笑むのはイズミル。
「申して分からぬのであれば仕方がない」
少し反応するキャロル。
どうする?
どうなる?
どんな仕打ちか。
はたまたこの場で───
青褪めた横顔に、す、と伸ばされた手がその黄金の髪を掻き上げる。
少し身を捩ったキャロルの顎に指が掛かり白い面を掬い上げる。
だが青い瞳は合わさない。
その視線を床に落としたまま。
絶対言えない!
『エジプト王がもうすぐ死ぬ』なんて───
『敵国』の王子に───
一言も発さないキャロルに窺い知る。
「気が強いことだ。それだけ重要ということか・・・・・・」
キャロルの鼓動が早鐘を打っていることが分かる。
「心ここにあらずだな。どうすればその心を私に向ける?」
唇を噛んで頑なにその姿勢を崩さない。
「今のうちに考え直せ」
返答はない。
イズミルがキャロルの頑なな横顔、その首筋に口付けを落とす。
───震える身体ながら堅く目を閉じキャロルは猶姿勢を崩さない。
「愛しいそなたなのだから」
調子に乗るかのように口付けが降りて行く。
───キャロルの思考は何を守って何を犠牲にするのか、その判断にショートしそうだった。
抵抗も敵わずイズミルの腕に抱き寄せられて、
圧倒される体が後ろに倒される寸前もはや限界だった。
戦慄とともに脆くも思考は停止し、取り合わずには居られなかった。
「───いや!!放して!!王子!!」
やっとその青い瞳がイズミルに向き合っていた。
真上から視線を合わせたまま低い声で呟くように言う。
「やっとか。申したであろう?───逃げるなと」
「逃げてなんかいない───!!わたしには守るものがあるのよ───!!こんな乱暴、止めて!!放して!!!」
「忘れたか?言えぬならそう申せ。それさえも出来ぬか?」
「!」
───
そうだ───
わたしには言えない事がある───
幾つもある───
だけど逃げなくていいと・・・・・・そう思った。
確かにそう思えた───
でもやっぱり条件反射のように───逃げようと思ってしまう。
思ってしまっていた。
古代(ここ)では話し合えない、と───
抱き竦められたままながらひとつ息を吐く。
「・・・・・・ごめんなさい、言えない・・・・・・わたしには言えない。絶対言えない!」
イズミルの腕が緩んだのをみてキャロルがゆっくり身を引いて距離を取る。
「───こんなわたしなのに・・・・・・秘密にされていて平気なの・・・・・・?」
「私の心配か?そうだな───私もそなたを案じておる───目を離せば消えてなくなりそうだ」
白磁の頬に、乱れた黄金の髪に長い指が触れる。
「・・・・・・わたしは・・・・・・そうなるかもしれない・・・・・・」
「───」
「王子、聞いて───わたしはこの未来に起きる事を知っている・・・・・・それを変える事もできる。『ナイルの娘』と言われる限りは信じる人にどうとでも影響を及ぼせる!───その事実に王子も振り回してしまう!!この先願う通りで居られるかどうか分からない!!人々の思いに呑み込まれるわ!!」
「只の娘となれる。私の傍で」
「いいえ!それは───こればっかりは歴史で繰り返されて来た。民衆ほど恐ろしいものはないのよ?───やはりわたしの事は消えてなくなったと思って。・・・・・・王子も───時間が解決してくれるわ、きっと。───わたしに拘(こだわ)らないで・・・・・・きっと良い王になれるわ」
「それは予言か?」
イズミルが薄く笑む。
「───王子の前ではずっと只の娘よ・・・・・・只の娘にならせて」
キャロルも少し微笑んだ。
「そうだな。未来を語らなくても良いのだ。そなたに居てほしい」
「もうわたしに拘らないで。お願い・・・・・・」
「───無理だ」
「お願い、もう忘れて・・・・・・」
「そなたを知ってしまったのだ。私には無理だ」
───わたしの存在がやはりもう歴史を変えている───?
「忘れられるわ。時間が解決してくれるわ。お願い」
「───駄目だ。そなたには受けたものが大きい。このままでは私は立ち行かない」
───わたしの存在がこの人を変えてしまった───?
「いいえ・・・・・・大丈夫・・・・・・きっと何も無かったようにやって行けるわ・・・・・・」
「何も無かったように?」
長い沈黙。
キャロルは自分の周りだけには現代の大気が取り巻き、イズミルや古代の世界の空気と色が違うように見えた。
だが王子はこんなにも傍に居る。
話し合っている。
自分は傍観者───?
王子の瞳に自分が映っている。
その手に触れられている。
影響がない、のだろうか───
同じ色の大気ではないのか───?
「わたしがどんなふうに見える?王子」
「どんなふう?」
「わたしはやっぱり神の域の・・・・・・使いの者なのかしら?」
寂しげに呟くように言う。
「古代(ここ)では只の人間なのかと思って」
「───怪我もし、非力なそなただ。───神だとすれば腹いせに災いを与えるか?」
微笑んで───細い首をゆっくり横に振る。
「・・・・・・そうね、あのね王子・・・・・・」
居を正してあらたまる。
「わたし、もう王子の人生を変えてしまったかもしれない・・・・・・」
反応を正面から受けると意を挫かれそうで瞳を伏せながら続ける。
「大きく変えてしまったかもしれない・・・・・・あの・・・・・・それは認めます・・・・・・ごめんなさい」
律儀に頭を下げてみせる。
「きっと王子はヒッタイトを率い戦をし国土を繁栄させ、妻もたくさん娶る人生のはず───」
「また予言か?だがそれは違うな。───それは私ではないな」
思いがけない返答に青い双眸(そうぼう)が向き合う。
「見つかったと思っておる。───そなたはもはや失えない」
───やはりもう───?
だがゆっくりとキャロルは俯き繰り返す。
「───いいえ、ごめんなさい・・・・・・許して」
「そなたに私の求めるものがある」
「いいえ、許して・・・・・・」
繰り返される静かな対立。
応酬は平行線を辿る。
静かながら───
歩み寄れない隔たり───
お互い静かに思い巡った───
逡巡する───
溝は猶、深いと───
BACK← HOME →<8>
背景
|