イタリアの古都を訪ねて4,000キロ


期間:1998年10月11日  〜  10月26日


このグループの方々とイタリアを旅行する事になったのは1998年が最初です。そして今年(2005年)は4回目となります。 大体2年に1回行く事になってます。 発声法をお習いしていた先生のご主人が紹介してくださった仲間の方々です。ご主人はイタリアからワインを輸入していらしてイタリア通。勿論イタリア語もペラペラ。
チケットの手配と添乗はJTB、イタリア国中の観光は地元の旅行社IL GIROSCOPIOが面倒を見てくれます。 通訳も毎回決まっていてマリアさん、そして又ドライバーもご指名でロベルトさん。
ずいぶん色々な所に行き、忘れてしまいそうなので場所だけでもまとめる事にしました。
帰国後にはそれぞれ感想文を持ち寄り文集が出来ます。

行     程
11 10:00 成田空港集合 16:45成田発 0:00ミラノ着 1:30ブレシア着 
12 ブレシア →サッビオネータ(昼食) →マントバ
13 マントバ →ヴェネチア(昼食) →パドヴァ
14 パドヴァ →キオッジァ(昼食) →ポンポーザ修道院 →ラヴェンナ
15 ラヴェンナ →サン・マリーノ(昼食) →フィレンツェ
16 フリーディ        夜はリストランテ「チェンターニ」
17 フィレンツェ →コルトーナ →モンテファルコ(昼食) →スポレート
18 スポレート →ノルチャ(昼食) →アスコリピチェーノ
19 アスコリピチェーノ →高速サーヴィスエリアで昼食 →アルベロベッロ 
20 アルベロベッロ →レッチェ →オトゥラント(昼食)  →アルベロベッロ
21 アルベロベッロ →マテ―ラ →パエストウム →ポジターノ
22 ポジターノ →カプリ島(昼食) →ナポリ
23 ナポリ →ポンペイ(昼食)  →チヴォリ →ローマ
24 ボルゲーゼ美術館 午後はフリー
25 11:45 ローマ発 ミラノ経由
26 8:55 成田着


神からのプレゼント

はじめに
 この紙面をお借りして皆様に御礼申し上げたく思います。今回はじめての参加で、さぞ皆様の足手まといになったことと思いますが、皆様に色々ご親切にしていただき、楽しい、楽しい旅行となりました。また皆様より写真を送っていただき有難うございました。この旅行をご紹介くださったエトリバンの佐々木様にも感謝、感謝です。

1回目のイタリア
 イタリア料理が好きということがきっかけで、イタリア語を学ぶようになり1年ぐらい勉強したときにクラスメイトと「兎に角1度行ってみよう」と言うことになり1番安易な旅行を選び、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマと3日ずつーーー 幸いなことにその友達は美術に詳しく、毎日美術館めぐりでした。私の仕事は朝6時に起きて、今日はどのような道順で、よりたくさんの美術館を回るか、又どこで昼食を取るか、夜のレストランへの予約はどうしようか等でした。

2回目のイタリア
 イタリア語もほぼ全コース終わったので1人で冒険がしたくなり、余り危険でないシエナを選び、ホームスティをして昼間は語学学校へ、夜は料理教室へ、そして週末には回りの小都市へバス旅行の2週間。後の1週間はナポリとローマで過ごしました。  そして今回。ガイドブックにも出ていないようなイタリアの田舎町へ行ってみたいと思っていたので、願ったり叶ったりでした。仕事の方も今年できりをつけましたので、やっと時間が取れたと言うわけです。

3回目のイタリア
 小さな田舎町は日本人が初めてというところもあり、興味津々でじろじろ見られてしまいましたネ。どんなに小さな町でも人々が集まれる広場があり、真中にはその街の守護神の像があり、必ず教会がありました。教会はいくつ見たか数えてはいませんが、正面の入り口は小さく、古めかしくひっそりしてましたが、1歩中に踏み入ると「ワァー」と声が出てしまうほど大きく、荘厳で、美しく、芸術品の宝庫なのです。訪れた教会には壁のフレスコ画、受胎告知、聖母子、聖母と天使、ピエタ像、十字架上のキリスト像(1箇所だけでしたが、珍しく木製の十字架を見ました。私の教会を思い出しました。)

パドヴァのスクロヴェー二礼拝堂
 私が1番感動した礼拝堂。14世紀のはじめ資産家エンリコ・スクロヴェ二にちなんで礼拝堂の名になったようです。彼はダンテの「神曲」地獄偏で高利貸しと言われたレジナルドの息子で、エンリコは父の暴利の償いのため1303年に礼拝堂を建設し慈悲の聖母にささげたそうです。この礼拝堂を建てるにあたってフレスコ画の第一人者ジョットに作らせたもので、礼拝堂は余り大きくはないのですが天上から壁がすべてフレスコ画で埋め尽くされています。聖母とキリストの生涯の物語が38面にわたって描かれ、保存状態も良くそれは見事なものでした。この時期はジョットの円熟期でアッシジにおける若書きの生硬で激しい表現を生み出していた挑発的な性急さが和らいでいたと解説されているので次回はもっとしっかり見比べてきたいと思います。私は常常、聖書の勉強をしてこのような作品を見ればもっともっと興味を覚えるであろうと思いつつなかなか実現していません。月に1,2度オルガン奉仕もするのですが、次の曲の用意とか、どのくらいの速さで弾こう等、頭の中は弾くことばかりで真面目に礼拝をしているとは考えられません。

受苦日
 1年に1回イースター3日前の聖なる金曜日、12時から3時まで聖歌、聖書朗読、説教、黙想と繰りかえしなのですが、オルガンを弾いていても自分と向き合え十字架上の7語を噛み締め我々の罪を背負って死んだキリストを悲しみこの死を無駄にしないように祈るのです。ですから作品の中でもこの部分に感銘を受けるのです。最後の晩餐、ユダの裏切り、ユダの接吻、嘲笑されるキリスト、ゴルゴダの丘への道、キリストの処刑、キリストへの哀悼―――

ラヴェンナのモザイク
 8角形になった独特なクーポラのあるサンビターレ教会、ここのビザンチン芸術もすばらしかったけれど、修復中ということで余り見られませんでした。それよりクラッセという港町にあるサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会の方が印象的でした。外観はレンガ作りで静かで質素でしたが、中は階段を上がって祭壇があり、その上には天国が広がっていました。まさに宝石の十字架、そこにいるキリストと周りには12匹の白い羊これは12使徒を意味していると説明がありましたが、それに最初の司教であるサンタポリナーレ、虹色をした雲、見たこともない花々、そこは現実とはかけ離れた光に満ちた天国がありました。ギリシャ大理石の柱と周りには12の石棺がありそれぞれに繊細な彫刻が施されていました。
 ダンテが非常に気に入っていたと言われているガッラ・プラチディオ霊廟もドアーを閉めてほんの小さな窓から入る光で独特な輝きを呈している宝石箱のようで、天井は一杯の星で飾られた宇宙でした。余りの美しさに声も出なかったように記憶してます。

最後に
 今回はすばらしいものをこの目で見、体で感じ、財産をいっぱい身につけて帰りました。これは第2の人生に入る前の神から頂いた最大なるプレゼントのようでした。  皆様お仲間に入れていただけたこと、本当に嬉しく思います。どうやら夫もイタリア病にかかった様子、私としては密かに「にんまり」致しております。

 次回も又ご一緒させてくださいませ。