ジュンのハンガリー&東欧旅行記


 期間:9月8日(水)  〜 9月21日(火)
 場所:ハンガリー、チェコ、オーストリア


9月8日(水)
成田
KML862便
10:25発
-

アムステルダム
(スキポール空港)
15:15着      16:15発
-

ブダペスト
(フェリヘジ空港)
18:15着


ブダペスト到着

40分ほど遅れて出発したがブダペストには時間どおり到着、14時間のフライト
時差、7時間
通貨、フォリント(Forint、ft) 物価は日本と比べると0が1つ少ない感じ 100ft−55円位


花束を2つ抱えての小松氏のお出迎え(Oh? お花とは似つかわしくない彼が・・・やはり外国生活をしている とLadiesの迎え方もあちら風になるのかと感心)


彼の家まで車で40分。真赤と言うより濃いピンクに染まった夕焼けがとてもきれい。日本は此の頃どこへ行っても道が整備されているのに比べ、ガタガタ道でチョットびっくり。
第1日目の夕食は彼と奥様の手料理そしてハンガリーのワインを頂き再会を楽しむ。
ハンガリー名物のスープ、グャーシュ(牛肉と野菜をパプリカで煮込んだスープ、日本のビーフシチューの様だがパプリカが沢山入っている)
彼が作ってくださったとか。



9月9日(木)
スーパーマーケット、オーシャン

第1日目の朝、彼に連れられて両替と朝食の買い物――30,000ft 両替(日本円で15,000.−位)、
パンやハム類を買う。大きいカンパ−ニャが何と¥50.-位、肉類もお安い。

朝食は朝日のさんさんと降り注ぐテラスで、庭のりんご、アーモンド、ヘイゼルナッツ、ぶどう、ラズベリーの木々を眺めながら、何とのんびりと優雅な幸せ。
慶子夫人の手作りの色々なジャムも美味しい。

ヴァ−ツィ通り


小松氏はプラハの音楽学校へ入学なさるお嬢さん(Mさん)を空港まで迎えに行かなくてはならないので、奥様のご案内でペストの一番賑やかな銀座通りへ。
彼等の家はペスト側に位置し、車では5分、歩くと12,3分のバス停から20分ぐらいバスに乗り、地下鉄の駅へ。
M2線(赤)始発駅ウルシュ・ヴェゼール広場駅で乗車、デァーク広場駅下車、乗車時間15分
(この地下鉄はドナウ川の下を走っている)
駅はエスカレーターで上り下りするのだが、長く急で早いので怖い。

まず“I”に行ってMapや情報誌を入手。

奥様の‘コーンが自家製で美味しいアイスクリ−ムよ’というお勧めで食してみる。なるほど美味しい。210ft。
この通りにはかわいい物が沢山あるのでついつい買ってしまう。


中央市場


自由橋の袂にあるこの市場、とても大きく活気に満ちている。肉屋がたくさんあってカロチャの刺繍の店も多い。
この中のほうが外より安い。お腹も少しすいたので2Fのスタンドで軽食を頂く。

夕食はバス停の所にあるレストランでハンガリー名物‘冷たい果物のスープ’をトライ。(甘酸っぱいフレッシュフルーツのスープ) 
 

9月10日(金)
近所のマーケット

家から5分ぐらいのところにあるマーケットにえりちゃんと朝のパンとハムを買いに行く。
子供の時のように買い物篭を持っていくところが嬉しい。

王宮の丘

慶子夫人は日本の芸術家で紙縒りを使っての作品をペーチェまで見にいらっしゃると言う事で、途中のモスクワ広場まで送ってもらい2人での行動。M2モスクワ広場下車、郵便局の前から城をまわるバスに乗る。

マーチャーシュ教会

教会の近くで下車。マーチャーシュは王様の名前。
19世紀後半ハプスブルグ帝国のフランツ・ヨージェフ皇帝と王妃エルジェーベト(エリーザベト)がハンガリーの王、王妃となるためこの教会で戴冠式を行った。この時リストが「戴冠ミサ曲」を作曲、指揮した。中はステンドグラスが美しく、大きなパイプオルガンがあり、一度オルガンコンサートを聞いてみたい。

漁夫の砦

白い石灰石で出来た建物は円錐形でかわいくドナウ川と対岸に広がるペスト地区が一望出来ビューポイント。


ワイン祭り

ワインを試飲したのは良かったもののそこに70ftのチケットが2枚付いている。
何に使うのかと英語で聞いても埒が空かず。
お腹がすいたのでピザでも食べようと店の前に行くとピザは70ft、3枚必要。
あのスタンドで足りない分を買うのだなーとやっと解った。

くさり橋

デアーク広場に戻るために16番のバスに乗りくさり橋を渡った。
この橋は西のブダと東のペストを結んだ最初の橋で、夜ともなるとイルミネーションされドナウ川を照らす。
ハンガリーの国民的英雄セーチェニ伯爵の提唱で10年かけて造られた。
正式には‘セーチェニのくさり橋’と言う。

国立オペラ劇場

夜はチョットお洒落をしてオペラ見物。
演目はハンガリーの作曲家コダーイ・ゾルターンの「紡ぎ歌」ハンガリーの童謡。音楽を通して子供を教育する‘コダーイ・メソッド’を編み出した音楽家。
私はハンガリアンダンスが見れて楽しかった。

慶子夫人を途中で拾って帰宅。明朝早いので、皆でおにぎり作り。

9月11日(土)
BUDAPESTからPRAHAへ

小松夫妻はMさんをプラハまで送るので車で。我々は鉄道でプラハへ。
朝6:15 西駅(Nyugati Pu)発
プラハ・ホレショヴイッツェ行き。610km、7時間の旅。
運賃は14,331ft。
ハンガリー、スロヴァキアを通ってチェコプラハへ
通貨はコルナ(Kc)1Kc―4円

途中おにぎりを食べる。水と卵それにぶどうまで入れてくださった慶子夫人の心遣いに感謝!
終点で降りすぐに両替。地下鉄を2回乗り換えホテルIbisへ。
地下鉄でうろちょろしたがまあスムースに。

プラハ城

夕方からタクシーでプラハの旧市街に散歩に出かける。カレル橋からヴルタヴァ川対岸のイルミネーションされたプラハ城は光っていた。

旧市庁舎

外壁にある時計は毎正時死神が鐘を叩き、砂時計を逆さまにする。すると1番上の窓から12使徒が顔を出す。
旧市街の細い道路の両側にはボヘミアングラス、ガーネット、琥珀の店が多くここも安くてかわいい物がいっぱい。

夕食は広場の一角のイタリアンレストランで。

9月12日(日)
プラハ城

Mさんがホテルにいらっしゃると言うので、小松夫妻とは別行動。
ホテルのフロントは英語が通じるので、どのトラムに乗るのか?チケットはどこで買うのか?など聞き迷わずお城へ。
小雨が降っていて寒かった。
黄金の小道を抜けてお城まで行ったが日曜日で人が多く、雨も降っていたので一回りして降りてきた。城壁よりヴルダヴァ川とプラハの町並みを見る。

カレル橋

カレル橋を渡る前にチョットしゃれたイタリアンレストランで小休止。 
プラハのシンボルのこの橋はカレル4世の時代に建設が始まった。
何回もの川の浸水で消耗が激しく1890年2つのアーチが再建され全長516m、幅10m、16基の橋脚に支えられたパノラマのように広い橋。
歩行者専用。橋には野外美術館ともいうべき彫像郡が30組も並んでいる。キリストの磔刑像もあった。


スメタナ博物館


彼の使った指揮棒や楽譜などが置いてある。
エリちゃんはユニークな譜面台に興味を持ちお金を払って写真をとっていた。


Mucha美術館

パリの舞台女優サラ・ベルナールを描いたポスターで有名になり、故郷チェコに戻り活躍した。「ヒヤシンス姫」などどこかで目にしている。
少し道に迷い6時の待ち合わせ時間に30分遅れてしまった。 
ゴメンナサイ。
夕食はチェコ料理が良いわと言ってすてきな格式の高いお店に入ったが、皆お腹がいっぱいで余り食べられなかった。

アッシジの聖フランシスコ教会

カレル橋のふもとにある教会。今日昼間に覗いたら今夜のパイプオルガンの予約チケットを売っていたので購入。席まで選ばせてくれるのが嬉しい。さて9時から始まる。急がなくてはならないのに皆で逆方向に歩いていた、それに気がつき20分の道のりを早足で。教会についた時は汗、汗、汗。
演奏はバッハ、ヘンデル、モーツアルト、ビバルディでオルガンにフルートとメゾソプラノが加わり堪能した。

夜のタクシー

タクシーは観光客ねらいの雲助が多いから気をつけるよう、交渉してから乗るように小松氏から注意されていたので慎重に。
1台目は500Kcと言ったのでお断り。(第1日目ホテルから旧市街まで280Kcと聞いていたし、その帰りは160Kcと聞いていたので)
さて2台目200と交渉したのだが、250と言うのに夜も遅いので妥協して乗ってホテルに帰る。

9月13日(月)
 
PRAHAからCESKY・KRUMLOV

今日は1日ハンドルを握っていただくので大変 ― 命預けます。
高速より国道に入るのに何回かトラぶったが、順調にチェスキイ・クルムロフへ

TABOR

プラハより80kmの所にある戦いのために設計された町。
片目の英雄ジェシカの像があるジェシカ広場のレストラン‘ベセダ’でチェコ料理を食べた。美味しく安かった。皆で500Kc。


チェスキー・クルムロフ


その後一途世界遺産にもなっている目的地へ。城と川を中心としていてホテルと言うよりペンションだらけ。
余りの多さにどこだか解らない。やっとたどり着いたら建築途中でオーナーがいない。隣のペンションを見せてもらったら4人では大きく、しかも4人で2000Kc。
有無をいわずここに決めた。

さて、夕暮れの街に出る。ヴルタヴァ川の湾曲部に位置し赤茶色の屋根、白壁の家々クルムロフ城へ続く石畳、中世の面影を残す。小さい町なので直ぐ見てまわれる。
次回はここにしようというペンションも見つけた。
丘の上にたつベランダもきれいで、オーナーも感じの良い夫人だった。

PENSION BARBAKAN
1/2‐3/31 4/1‐1/31 1/1‐12/23 12/24‐1/1
Double 1150Kc 1600Kc 1250Kc


さて夕食、チョット下の写真を見て!
明日は完全に体重2キロアップは間違いなし。


9月14日(火)
お城一周

お城の中に入る時間はなかったので、周りを散策。ミュジアムショップで私はガーネットの十字架、えりちゃんは木綿チャンにピアスを買う。

Egon Schiele Art Center

今回の目的の1つだったエゴン・シーレ(1890――1918)の28年の生涯。生と死を唱えた天才の画家としてクリムトに認められる。彼のスタジオの大きなミラー、これに自らの姿を映し画いていたのかと思うと感無量。
同時にシャガールの展示もありモーセの出エジプト記の一連を興味深く見た。
エゴン・シーレの母がここの出身で彼もここに戻りペンション住まいをして絵を画いていたとか。酒場で働く女性をモデルにしていた様。

CHESKY KRUMLOV‐PASSAU‐WIEN
PASSAU


午後はウイーンに向けて出発。途中世界一大きいパイプオルガンがあると言う教会に寄って下さると言う。
嬉しい事。パッサウはドイツの南東オーストリアとチェコの国境の町、トナウ川とイン川それにイルツ川
3つの川が合流している所。途中ガソリンスタンドによってソーセージを食べる。ガソリンスタンドは日本と雰囲気が違い、牧草地の中にあり、花で飾ったきれいなこじんまりしたレストランも兼ねている。



WIEN

明るいうちに着きたいと言っていた彼に反し暗くなってしまった。
ウイーンは1通の道が多くペンション  Annaに着くには容易な事でなかった。
根気よく尋ねながらやっと到着。お腹もすいているのでペンションお勧めのレストランへ。生の牛肉が美味しかった。
通貨はユーロ(昨年イタリアに行った時両替したユーロを使ったので1ユーロ=124円)

9月15日(水)
ウイーン美術史博物館

ハプスブルグ家代々の美術収集家の名画コレクションは世界的にも屈指で重要な博物館の1つ。
マリア・テレジア広場をはさんで向き合う自然史博物館とは一対の宮殿。
階段を昇って左手の部屋はイタリア・ルネッサンス時代のテイツィアーノ、テイントレット、ヴェロネーゼ、カラバッジョなどイタリアで見てきているので、右手の部屋にあるルーベンスやブリューゲルのお好きな小松夫妻とは別れ、時間をかけて鑑賞。
ラファエロの‘草原の聖母子’に出会えたのも喜び。私はラファエロの聖母のお顔が一番好きだから。
中央の部屋ではゴブラン織りのタぺストリーに聖書の物語が、家に帰って聖書を読んでこの物語を捜そうーあった、あったトビト書。
慈善家の目の見えない父トビトと孝行息子トビアの物語。父はやがて開眼する。

レオポルト ミュージアム

クオーター・ウイーン複合美術館の中にある。チェスキー・クルムロフに次ぎ、エゴン・シーレにまた会えた。ここはエゴン・シーレの作品は世界1の所蔵だとか。勿論シーレやココシュカの才能を見出したウイーン分離派のグスタフ・クリムトの作品も多い。

GRINZING


ウイーン市内より市電38番で終点のGrinzingのホイリゲに夕食に。ホイリゲとはフランスでいうヌーボーワインの事。1年以内の自家製のワインが飲める居酒屋風の店。店頭に松の葉でできたボールがぶら下がっていると新酒があるという意味。市電の終点で降り10分程歩き奥のAltes Prebhausへ。
ワインはデカンタで、お料理はカウンターに並んでいるものを選ぶ。


9月16日(木)
ベルヴェデーレ美術館

クリムト、シーレ、ココシュカ、ゲルストル
(分離派ではないがクリムトの影響を受けている。25歳で自殺)
昼食はシーフード(ハンガリーでは余りシーフードが食べられないと小松夫妻曰く)


食後ゲルストナー通りをぶらつき最後の買い物。エリ−ザベト王妃のお気に入りだったというスミレの花の砂糖漬けも買って見た。(帰ってから味見したがそれほど美味しいという物ではない) アフタヌーン・ティでウイーン定番のザッハー・トルテとメランジェ・コーヒーを頂いたがさすに美味しい。

その後楽友会館に行ったがその日は中を見る事が出来なかった。
国立オペラ座のショップでモーツアルト・グッズをお土産に。
写真はウイーンの通り。
2時半ぐらいにブダペストに向かって出発。



PANNONHALMA

ブダペストに向かう高速道路はまっすぐに伸び、広いので走り易そう。高速道路は130km 国道は90km 市内50kmとのこと。
スピードを出すのが好きな夫に走らせてあげたら喜ぶだろう。
右手の小高い丘の頂上には世界遺産の修道院がある。ハンガリー・キリスト教の出発点になった所。5時を過ぎていたので中は見られなかった。残念!

CITADELLA

ブダペストのパノラマのポイント、ケッレールト丘のツィタデッラに登り夕暮れのドナウ川、ブダペストが一望。
時間が早くイルミネーションはされてなかった。
ここは引ったくりが多く小松家の友人もハンドバッグを取られてしまい、トランクは開けられないし、パスポートはないし、どこへも行けず小松家止まりだったそうな‐怖い、怖い
夕食は小松夫妻行きつけの‘森のレストラン’ギャーーという感じ。


9月17日(金)
久し振りの小松家

今日はゆっくりして洗濯、掃除デー、晩ご飯は私がカマンベールのおすしを作る日。
3時頃小松氏にそろそろお土産を買っておいた方が良いのではと言われ市場にーー。

彼は用事があるので、アストリア通りで車から降ろされたのだが、まだ、ブダペストの地図が頭に入ってなかったので、市場を探すのに苦労した。

さてフォアグラの缶詰めを買いたいのだが色々あって解らない。
聞いても言葉が通じない。ラッキーなことに日本語が聞こえる。
日本人を案内しているロシア人かハンガリア人の通訳、彼の意見も聞いて買うことが出来た。
この時くらい言葉の壁を感じ、ストレスがたまった。

最初の日に来た大きなスーパーマーケットに寄ってトカイワインを買った。
やはり他より安かった。

夕飯のおかずに鳥の丸焼きを買った。何と日本の300円ぐらい。羨ましい。

9月18日(土)
セーチェニ温泉

慶子夫人のご案内で今日は温泉。ブダペストは100を越す源泉と50近く浴場がある。古代ローマ人の浴場の跡をイタリアで見ているが、ブダペスト征服の際作ったらしい。慶子夫人がビーチサンダル、ガウンなど温泉グッズをそろえてくださる。イタリアで昨年入った温泉は屋外できれいな景色に包まれていた。ここは屋外にもあるが屋内に何十部屋という温度の違う温泉がある。
最初入浴料金を払い時間により清算してくれる。面白いシステムーー屋外温泉では風呂チェスを楽しむ人、愛を確かめあう若いカップル、かなり熟年でもラブラブカップル多し。温度が低く寒く感じる。風邪をひいている私は悪くならなければ良いとそのことばかりが気がかり。
その後市民公園の中を通り、冬はスケート場になると言う池を見て、英雄広場へ、14人の英雄像がある。

ドナウ川クルーズ

所要時間 1時間  2,400ft
両岸のイルミネーションされた建物、くさり橋の美しさにうっとり。
やはりこれに乗らなくてはブダペストの美しさは語れないのかもしれない。

夕食は中華料理

9月19日(日)
SZENTENDRE

明日は1時間ぐらいのドライブで行ける洞窟の中にあるワインセラーに行く予定であったが、朝起きづらく声が出なくなっているので、近間に連れて行っていただく事にした。

地下鉄M2 Batthyany広場から、郊外電車HEVに乗り約45分、ドナウ川沿いのオスマントルコから逃れてきたセルビア人が定住しセルビアの文化が色濃いセンテンドレに。
セルビア教会と美術館を見学、普通のキリスト教会とはチョット違った雰囲気で一見の価値あり。

昼食はグヤーシュとホルトバージパラチンタ(クレープで挽肉を包んだもの)、マッシュルームのコロッケ。

国立オペラ座

演目は‘スペードの女王’チャイコフスキー、始まる時間を間違えて第1幕は見れず残念。


夕食は小松氏がおそばを茹でて鴨汁をつけていただいた。慶子夫人の大根と人参のおなます、ちょうど風邪で胃も少々やられていた私にはやさしいやさしい夕食。

明日は帰国私の一番嫌いなパッキングの時がとうとうやってきた。

9月20日(月)
ブダペスト - アムステルダム - 成田
上記のように帰れるはずだったのだが、ブダペスト発の飛行機が遅れた為、成田直行のKLMに乗れず。
帰りはKorea行きのKLMにのり、ソウルでロスアンジェルス行きの大韓航空に乗り換え帰る事に。
朝8:45に着くはずが午後2:30になり、おまけに荷物がでてこない。

こんな経験初めてだったので勉強に。
こんなトラブルだったがアムステルダムからソウルまで何とビジネスクラスに乗れたのでラッキー。

最後に
こんなに楽しく、お安く、何か国にも行けたのは一重に小松様ご夫妻がハンガリーにご在住していらしたからです。
感謝感謝です。色々ご配慮賜り本当に有難うございました。とてもよい思い出になります。
今回は言葉の壁もあり、何時もの旅行とは違いましたけど、もう1か国語、ドイツ語でも勉強しようかしらと今思っているところです。

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