〜 最近の出来事 〜

チェンライの山奥ワーウィーで暮らす筆者の最近の出来事。 

2006年 4月

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チェンライのやまなみ
チェンライに憧れて

 ■ 4月 16



3人の妹たちはメーサイに出かけて行った。家を出る際、上の二人の妹はチョークディーなと声を掛けてくれ、3人の一番上の妹は私にワイをして出かけて行った。でも私と一緒に暮らす下の妹は何も言わずすたすたと歩いて行ってしまった。妻は私に妹たちを教会まで送らせようとしたがいらないと言ったという。妹たちが出かけた後、妹たちからの手紙を受け取った。3人の妹がA4の紙に書いて妻に私に渡すようおいて行ったらしい。内容は妹たちがあまり私と話さないことを私が不満に思っているのではないですかとか、私たち妹たちは私の妻と生まれたときからずっと一緒で一心同体なのよとか、ピー○イ(私)が理解しているのは頭で考えていることだけでそれは間違いなのよとか書いてあった。そしてピー○イ(私)が帰ってくるのを待っています。いつも心配してます。一家の大黒柱として、ピー○イ(私)がいつも一緒に暮らしていけるよう思っています。とあった。私は涙が出そうになったが、これはこらえた。手紙をおいて私は、いい義兄でなくてごめんなさいと思った。

私の中には常に二つの感情が同居している。ひとつは妹たちの幸せをこころから望む感情。もうひとつは妹を溺愛し常に手の内に置いておきたいという感情。この二つの感情がある限り、妹たちとは一緒に暮らさないほうが良いのだ。


 ■ 4月 15




チェンライビーチに出かける。妹たちと一緒に水遊びをするためだ。私は酒を飲むだけだが...。チェンライビーチに着くまでに何回も水を掛けられびしょぬれになった。チェンライビーチに着いたが妹たちがどこに居るかわからずあちこち歩き回る。携帯も通じない30分後ようやく妹たちの席にたどり着いた。私はビールをちびりちびりとやりながら、妹たちの様子を眺めた1時間ほどいて家に戻った。飲み足りない気がして、○ッポンバーに行ったが着いたとたん気分がさめて部屋に戻った。

夜、バンコクグリルで食事、気持ち悪くなるくらいのボリューム。お腹一杯になって。いつもの店へ。店に着くと店のマスターが知人を乗せて店に着いたところだった。ビールを飲み。私はなぜか沈黙した。深夜雨が振り出してきた。店には午前2時頃まで居て、クエッティオを食べて部屋に戻った。





 ■ 4月 14



妻のすぐ下の妹のバーの前で水掛け遊びをする。というか私は水掛の模様やパレードの写真をとっていただけだが...。妹たちはまったく会話を私としなかった。ウイスキーのコーラ割を飲みながらひたすらパレードを眺め、写真を撮ったりした。とにかく長くて嫌になるくらいだ。飽きてハーイェーク交差点に向かう例年の水掛け激戦地帯だ。チェンライ病院方面から向かったが、大渋滞をしていた。水掛渋滞だ。写真をとりつつバイクを運転する。渋滞しているので空いているセンターライン上を走った。私は酔っていて上半身裸で運転していた。カメラを向けると皆、ポーズを取ってくれる。彼らも大概が酒を飲んで大騒ぎしている。サンバンガーホテルの手前あたりで大渋滞をしていた。近寄ってみると何百人の人が道路上に出て、素人バンドの生演奏で水掛をしたり踊ったりしている。ここを通りかかったバイクは一様に止められ頭から水掛の洗礼を浴びる。逃げるすべはない。というかバイクに乗っている人々も水を掛けられに来ているようなものだ。熱狂している。狂っていると言っても良いくらいだ。日ごろの不満をここで晴らしているかのようだ。私は彼らに入り混じり、彼らの様子を写真に収めた。そこを後にしハーイェーク交差点に向かう。交差点は渋滞し、車の流れは止まっていた。右手を見るとピックアップトラックに10数人の若者が盛り上がって居るのが見えた。バイクを止めてその車に近寄り若者達を写真に収めた。若者達は嬌声を上げて「日本人が写真を撮りに来たー。」と喜んでポーズを取ってくれた。バイクにまたがり、さらにチェンライビーチまで行ってみた。駐車場でバイクを止めて、川岸まで降りてみようと思ったが係員らしいおじさんが10バーツと言って聞かないので妙にさめた気分になって帰ることにした。バーに戻ると妻や妹達は帰ってしまった後で、私も急いで部屋に戻った。その夜はどこにも行かずひたすら眠った。






 ■ 4月 13




今日から始まるソンクラン祭りの為にチェンライに向かう。妻と妹、弟と義姉の二人の子供たちは先に山を降りて行った。昼過ぎ、私は中学生の妹と二人でバイクに乗ってチェンライに向かった。チェンライへの道中可愛い妹は水掛けの集中攻撃を受けた。道路脇で水を掛けるだけならまだいい、道路の真中で強制的にバイクを止めさせ、頭からバケツで何回も水を掛けられていた。




 ■ 4月 9






この2日間風邪をひいて寝込んでいる。風邪をひくのは久しぶり、記憶では1年ぶりだ。薬を飲んでいるのと発熱で頭がボーっとした状態が続いている。夢の中に居るようだ。私の人生のように...。


ここでの私の存在なんて希薄なものだ。友達も居ないし、何の役目も果たしていない。それでいいとも思う。もし仮に私がここに戻らなくなったとしたら、昔ここに変な日本人が住んでいてね、と言うくらいにここの村人に語られるくらいで十分だ。良い人間になりたいがそうではない。良い人で居るのは辛すぎる。

ある話を妻から聞いた。私が思う以上に妹は断固たる人間らしい。しかし日本人の私が仮にここに居なかったとしたら同じように答えられただろうか...。


 ■ 4月 6





朝8時前、妹が友達と一緒に家に帰って来た。ずいぶん早く帰ってきたなと思ったら帰ってきたのはカメラとお金を取りにやってきたのだった。チェンライにムーガタを食べに行くと言う。その表情は楽しそうだった。私はデジカメとお金を渡した。青春か..。私がこの子にしてあげられることは、もうそう多くないなと感じた。

2年ほど前、私がチェンライの街に住んでいた頃、ラオリーのこの家に遊びに来た時、この子が私に教科書を買うからお金を頂戴と言ってきた。私がお金を渡すと彼女は「お金がないから、何も買いたくない。」とつぶやくように言ったのだった。その時私はこの子の義理の兄は日本人なのにこんなことをこの小さな女の子に言わせるなんて私は何なのだろう、とショックを受けた。それから私はこの子に事あるごとに少しずつだがお金を渡すようにしていた。

また、私が大学に入る少し前、この子が学校の夏休みの間、チェンライに遊びに来た。偶然友達に出会い、そこで友達と一緒に、ある商店で住みこみのアルバイトをすることになった。私は住んでいたゲストハウスからこの子をその店に送って行くとき働きたくないなら働かなくてもいいんだよ。と言った。その時この子は働くのが少し楽しみ。と答えたので私はそのまま送って行った。そして8日後に妻に妹がバスタオルがないから買って持って行ってあげて。と言われたので店に持って行ってあげた。店に着き、妹を呼んだ。すると妹は店を辞めると言い、働いた分のお金をもらって私と一緒に帰ってきた。妹はバイクの後ろに乗ると泣き出した。私は店の仕事が辛かったのだろうと思い、泣くな辛かったんだろう。と言って慰めたつもりだった。ゲストハウスに戻って妹が妻に話したところによると、店の主人にセクハラまがいのことをされたらしい。私はその時胸に誓った。もう絶対夏休みにアルバイトはさせない。僅か1日50バーツのために辛い思いをさせるなんて...。誰かが妹を働かせるなら私がお金を払って絶対に阻止する。

その他にも胸に誓ったことはいくつかある。そのいくつかは拒否されたりして実行できなかった。寂しいが、自由を求める若い力には私の思いでは太刀打ちできない。

知人に言わせると、私が妻や妹にいろいろとしてあげるのは私が「優しい」からだという。「優しい」というのは半分馬鹿だと言う風にも聞こえる。でも、それでもいい。私はもう欲しいもの、買いたいものはない。すべて手に入れたわけではない。手に入れるまでが楽しいこともある。そして車や家が欲しいのは妻や妹が欲しいと言っているからだ。後はただ生きていけるだけのものがあれば良い。そう思う。


 ■ 4月 2



山に戻ってきた。昨晩のアルコールが残ったままバイクを運転して帰ってきた。途中のメースアイの市場で一杯10バーツのナムニュウを平らげると平常心が戻ってきた。

家に着くと妹がコンピューターでゲームをやっていた。私は妹がコンピューターを使っているときは遠慮して部屋に居ないことにしているので疲れて寝たかったが部屋の外をうろうろしていた。妹はやがて今日から始まる教会のサマーキャンプに弟と私のバイクで出かけていった。村の若者がすべて教会のキャンプに出かけてしまったので、その夜は小さな子供と大人だけが家にテレビを見にきた。なんとなく寂しい気がした。




 ■ 4月 1




メーサーイ経由でチェンライへ。チェンライにやってきているバンコク在住の友人を訪ねるためだ。メーサーイへは買い物を兼ねて。国境は大変込み合っていてタイ再入国時1時間ほど待たされた。所持金検査はなかった。チェンライ到着は3時過ぎ、メーファールアン大学前にオープンした88CAFFEはやはり閉まっていた。

市内に着いて早速ゲストハウスにチェックインし、メールチェック他をしにネット屋へ行った。用事が済まないうちに携帯に友人から連絡が入る。チェンライ病院裏手の日本食レストランに居るとの事だった。私もそこに合流することにした。このレストランは場所的に判りづらくいつ行っても行きすぎてしまう。今回は見当をつけながらゆっくりと走り、行きすぎることなくなんとか無事到着した。店に入ると知った顔が並んでいた。皆、食事をしていたが私は空腹でなかったし疲れを感じていたのでビールを注文した。暑く、のどが乾いていたのか2本3本と飲んだ。小ビンだったが何故か気分的に酔ってしまった。知人のあるバーのマスターから飲まないほうがいいんだと言われた、私もそう思うが飲まないとやりきれないときもある...。

その後ナイトバザールでさらにビールを飲んだ。気が付くと私は一人になっていた。一人チェンライの夜をうろついた。バービアはやっていない。翌日は選挙の投票日だからだ。本当はアルコールを売っては行けない日なのに、ナイトバザール脇のコンビには私にビールを売ってくれた。ナイトバザールの飲み物売り場の親父はビールを売ったら捕まるよと売ってくれなかった。その夜、ネットをしたが30分で追い出され、クエッティオを2杯食べたり、マッサージを受けたりした、でも腰を落ち着ける場所はなかった。

私が調子に乗ったとき、私に付き合ってくれる人は私の周りに一人も居ない。私の理想は昔、○納典明という有名なカメラマンがNAVIという雑誌に写真紀行文風に書いていた中で、北海道の釧路かどこかの町に行き、酒を飲んでなじみのすし屋を10軒ほどはしごした。という奴だ。3年ほど前、私もウィスキーを1本片手に2軒のバービアと5軒ほどのチェンライのディスコをはしごしたことがある。仙台から所用でチェンライに来ていたある人と葛飾から所用で来ていた人と3人で。あれは楽しかった。ああいうことができる人が周りに居ない。寂しい限りだ。

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