地球が乗っ取られる日 その23 2004.5.20
外交官射殺事件レポートを出さざるを得なくなった外務省の誤算とあせり
事件発生から半年になろうとしているこの時期に、外務省がわざわざ以下のような「イラクにおける外交官射殺レポート」を発表しました。 その発表せざるを得なくなった意味とレポートの内容を考察します。わけのわからない項目については次回にまとめる予定です。
なお、オリジナルはこのページに イラクにおける外務省職員殺害事件(事件の状況・経緯等)の名前のPDFファイルで提供されています。 例にもれずなんでもかんでもPDFのやり方には癖々していまして、大変読みにくく、また Acrobat reader がインストされてないコンピュータではそもそも見ることさえできません。 それゆえ、ここでは誰でも閲覧できるHTML形式に変換して多くの人が読めるように処置してあります。あらかじめご了承ください。 当然のことながら内容の違いはありません。 |
【 事件の核心部分はいまだに闇の中 】
この事件についてはこれまでにさまざまなメディアで取り上げられているとおりに不可解なことだらけで、国会でもたびたびこの問題が取り上げれられてきました。
国会では、答弁する側は事実にもとづいたことを話せばいいだけのことで事前の準備もへったくれもなく、質問に淡々と答えればいいだけのことですが、現実の答弁は質問にちゃんと答えずいくらやってもまともな答えがでてこない、まことにもって奇怪なものでした。
それゆえ質問をした当の議員はもちろんのこと、中継を見た人、議事録を読んだ国民はストレスが溜まる一方で、それが増えることはあっても減ることはありませんでした。いまでもこの問題をメディアが取り上げているのがその証といえます。
ただむなしく時間だけが過ぎていき、いまだ事件の核心部分は何一つわかっていないという極めて特異な事件です。
【 外務大臣が出すべきだった 】
そもそもこのレポートは事件の重大性から外務大臣の名前で出すべきもので、責任の所在を明らかにせず無記名でだしてくる外務省の傲慢さにあきれています。
何回も読みましたが、責任ある立場のものが書いたものではなく、一介の担当者が書いたものと察せられます。
なぜなら、ここに至っても事件を解決しようとする強い意思が込められてはおらず、責任ある立場にあるものが事件を早期に解明したいのであるならばこんな中途半端なものにはならず、名を名乗って力強いものになるはずだからです。
けっして書きかたの技巧のことを言っているのではなく、事実を表明したければ箇条書きでもなんでもよく、ただ克明にありのままを書くだけで十分なのです。
確からしさというのは必然的に読み手に伝わるもので、そこには文章力は必要ありません。
【 核心部分は取り上げないか、またはあいまいにしている 】
なぜ中途半端というかといえば、このレポートでは事件の核心部分にかかる矛盾、疑問点、時刻などの重要事項はことごとく取り上げておらず、いわば外務省にとって都合のいいように事柄が選別されています。たとえ触れたとしても「特定できていない・・とか、思われる・・・、明らかではない、とされる・・・」として明確になることを避けているからです。
これではとても事件の全体像を述べることはできず、このような半端な文書で国民を納得させることができると踏んだとしたらその驕り高ぶった姿勢は看過できません。
皮肉にも、その他のどうでもいいことははっきり書かれています。
(外務省が強くいいたいであろう部分をピンク色にしてみました。)
しかし、それらのどうでもいいことは国会でも問題にすらなってないことでそれらを書いたところで国民の疑念を晴らすことにはならず、むしろ逆にこのレポート作文をしている匿名者の意図が透けて見えてしまい外務省にしてみればまずいものになってしまいました。
書く以上は何がしかの目的があったはずで、このレポートにそれがあるのか読んでみましたが、すでに周知のことばかりで決定的に事件の真相を明らかにするものはありませんでした。
【 外務省の誤算とあせり 】
外務省は国民を甘く見ていたようで、初期の国会答弁で察せられるように、早期に幕引きを企んでいたフシがありました。
しかしそれがかえって不信感を招く結果になり「外務省にとっての大きな誤算になってしまった」と見ています。
外務省葬儀、ニ階級特進、これだけでは片付かなかったということです。
すでにインターネット上では外務省が行動をおこすよりも前に事件について探求しているサイトが現れそれにあせりを感じたか?このレポートからは世論をなんとか引き戻そうとした意図はみられます。
本気にそう思うならば読み手のことを考えて可読しやすい通常のHTML形式で書くべきで、ちゃんと項目も時系列で整理して、図表など必要に応じて挿入してわかりやすいものをこころがけるべきです。
あんちょこにWordで作文をしてPDFファイルをこしらえてネットで掲載するのはやめたほうがいいでしょう。老婆心ながらそう思います。
この外務省レポートもWordで作成し、Acrobat PDFMaker5.05でPDFに変換したものです。「Title:秘、Author:外務省」になっていて責任の所在を明らかにしない匿名が当たり前の世界ということがこのPDFファイルからもわかります。
読みにくいと定評のPDFファイルなんて見てもらえません。余談ですがここにPDFのことを書いています。
とはいっても、それらは所詮初歩的なページ作成レベルのことでどうでもいいことかもしれません。
しかしこのレポートでは、肝心要の核心部分の省略(謎の空白6時間、時刻、パスポート、薬きょう、遺体の銃弾、車体の銃弾などいずれも事件の真相を解く鍵になるもの)、言い訳の羅列、外務省に都合のいいことだけを並べていて、事件の真相を期待して読み進んだ人にとってはストレスが増加してしまうものです。
このレポートの掲載は「いったい誰が許可したのか!?」知りたいものです。
【 アメリカ軍、米国の情報に偏向している危うさ 】
イラクでの関係者、目撃者は多くいたはずなのに、「米軍によれば・・・」に偏っていて、アメリカ軍、米国の一方的な言い分のみをそのまま取り入れていてあろうことか他の手段でその裏付けがとれていません。
また一方で、アメリカ軍が絡んでいて聞けばわかることもなぜか「明らかになっていない・・」として消極的で動こうとしないことも書かれており、外務省はどういうつもりで調査しているのかさっぱり理解できません。
アメリカ軍、CPA以外のそのほかの現地の人たちは信頼性がないと片付けていて、また当時の報道も切って捨てるこのような調査・捜査にどれほどの信憑性があるといえるでしょうか。
たとえは不適切かもしれませんが、暴力団の一派が起こした事件を山口組の組長に捜査を依頼してその結果を真に受けることと違いはありません。
【 外務省は真摯に取り組むべき 】
これまでのアメリカ軍の発表、行動や外務省・政府の姿勢に疑念をもつ国民が多くいることを外務省自信が意識していているからこそ今回の「レポートを出そう」ということになったはずで、すくなくともそれを払拭しようという思惑は文面から伺えます。
疑われていることをそこまで自覚しているならやることは簡単なことです。
「事実を洗いざらい公表する」だけ、只これだけです。なにもわざわざこのような作文を匿名で出す必要なんかありません。
誠実さをもって真実を明らかにする意思があったならば、これまでの6ヶ月間に国会でも、記者会見でもいくらでも機会があったはずです。
しかしやってこなかった・・・・。
(事件の状況・経緯等) 平成16年5月12日 外務省 T. はじめに 平成15年11月29日、奥在英国日本大使館参事官(当時、CPAとの連絡調整のためイラクに長期出張中であった。本件事件後、大使の名称を付与された。)及び井ノ上在イラク日本大使館三等書記官(当時。本件事件後、一等書記官の名称を付与された。)は、イラク北部での復興支援活動に関する「国際機関/NGO復興会議」への出席のため、国道一号線をバグダッドから会議の開催地であるティクリートに向けて館用車にて移動中、ティクリートの南約30kmの地点で何者かに銃撃され同行の現地運転手とともに殺害された。この事件については、現地において米軍及びイラクの警察によって捜査が行われてきたが、残念ながら、現在に至るまで犯人の特定、逮捕に至っていない。 同僚たる2人の外交官及び1人の現地職員を今回のような事件で失ったことは、全ての外務省員にとり痛恨の極みである。外務省としては、イラクで引き続き勤務する外務省員の今後の安全にも関わるとの認識に立って、警察当局と緊密に連絡を取りつつ事件の真相究明に全力を尽くしてきた。具体的には、現地米軍、CPA、現地イラク警察より関連情報を入手するとともに、我が国警察当局とも連携の上、在イラク日本大使館を通じて独自に調査を実施した。なお、これらの情報や調査結果は全て我が国の警察当局に提供してきた。 この事件の発生したティクリート地域は、フセイン元大統領の出生地として前政権の支持基盤であったところであり、テロ攻撃等が多発してきている。また、地元住民の中には占領に対する反感や部外者への排外感情も根強いと言われてきている。こうした中、調査を行うことには館員の安全確保の観点からも現実に多くの困難が伴った。また、外務省としては捜査権限に基づく捜査を実施することは出来ないとの制約があったが、所与の厳しい環境の中で最大限の努力を行った。このような調査に協力してくれたCPA、現地米軍、現地イラク人関係者に謝意を表するものである。 現在、本件事件は依然捜査継続中であり、基本的に関連する情報の開示には限界があるが、本件事件に対する国民の関心は高く、事件の経緯等については、これまでに国会等の場においても累次説明を行ってきた。捜査等に支障のない形で出来る限り対外的に説明するとの観点から、これまでに判明した事柄を整理したところは、以下のとおりである。 U. 事件の経緯 (日時は現地時間:当時のイラクの冬期時間の日本時間との時差 −6時間) A.事件発生前の状況 1.出発時の状況 (1)11月29日(土)午前10時過ぎ、奥参事官及び井ノ上書記官は、ティクリート1で開催予定の米軍民生部門主催「国際機関/NGO復興会議」2への出席のため、大使館のイラク人現地職員のジョルジース・スライマン・ズーラ(Jerjees Sulaiman Zura)運転手(1983年より断続的に20年以上、日本大使館に勤務)の運転する館用車により、陸路ティクリートに向け、バグダッドの日本大使館を出発した。奥参事官及び井ノ上書記官の両名は、我が国の対イラク復興支援の実施等に携わっており、その業務の一環として会議主催者の招きに応じて本件会議に出席することとしたものである。なお、ジョルジース運転手は現地の交通事情に通じ、その豊富な運転経験(米軍車列を追い抜くような無理をしない運転)で信頼が厚かった。 (2)移動に使用された車両は、大使館館用車で四輪駆動車のトヨタ・ランドクルーザー(99年製 黒色 レバノン外交団登録ナンバー(D―242―10))であった。 ただし、現下のイラクでは安全対策上ナンバーが外されている車輌も多く、現地大使館としても大使館館用車であることを隠した方が安全性が高いとの判断からナンバープレートは前後とも外し、車内の座席の下に保管していた(このナンバープレートは事件後、車輌が大使館に返還された際も車内に置かれていた)。大使館において、外出に際してどの館用車を用いるかについては、個々の運行状況、運行区間等に応じて、適切な車輌を選択することとしていた。当該車輌は一定レベルの防弾仕様(一定の拳銃弾に抗しうる程度)が施されていた。大使館にはより防弾レベルの高いメルセデス・ベンツもあったが、被害車輌はこれに比して人目を引きにくく、かつ悪路での走行時も含めた機動性の面で、より優れていることから当該車輌が選択された。 --------------------------------1バグダッド・ティクリート間は、約180Km。車では通常2時間前後の行程。 2 「国際機関/NGO復興会議」について 主催者:米軍民生部門(3)一行には警護車両及び武装警護員は同行しておらず、防弾チョッキ、ヘルメットは携行していなかった。イラクの現下の治安情勢の下では、安全確保のための黄金律は存在しない。すなわち、警護車両及び武装警護員を同行させたり、防弾チョッキやヘルメットを着用することで安全確保や抑止力が期待できる一方、これらにより要人が移動していることを示唆することで却って狙われる恐れもあり、目立たないよう、1台で高速で走り抜ける方が安全な場合があるとの判断もあり、今回もこうした考えに基づいた措置が執られた。 2.移動中の状況 (2)なお、イラクの通信事情は劣悪な状況にあった。すなわち、事件発生当時、地上電話回線は機能しておらず、基本的には一般携帯電話はバグダッド市外では使用できなかった。現地駐在外交団や報道関係者が使用する衛星携帯電話についても、衛星にアンテナの向きを合わせておくなど、技術的に一定の条件を満たさないと通話が可能とならない。一行が大使館との連絡のために利用していた衛星携帯電話についても同様であり、一行の使用していた館用車には携帯電話用車載アンテナが搭載されていたが、受信状況が常時良いとは言えないことから、大使館では通常は外出した館員からの連絡を待ち受ける形となることが多かった。 (3)また、事件に遭遇した館用車には無線機が搭載されていたが、通信距離は約10km程度であり、専らバグダッド市内での連絡に用いられるものであった。また、この無線機には通信を記録する機能はない。 (4)奥参事官所有のデジタルカメラには午前11時過ぎの時点でのバグダッド郊外の風景の写真、及び午後0時16分〜21分の時点での、レストラン、果物店に立ち寄った際の写真が残されていた。レストラン・果物店の場所について調査せしめたところ、当該場所はバラド中心部に位置していることが判明している。この場所は事件発生現場まで約65kmの距離にある。ただし、当該場所を出発した時間を特定出来ていない。 B.事件発生と直後の状況3 1.事件発生 (1)外務省が入手した事件現場付近での複数の目撃者と称する地元イラク人の話(後述)によれば、奥参事官、井ノ上書記官の車輌が国道一号線のティクリートの南約30q、サーマッラーの北約15qの地点付近を走行中に銃撃を受け、進行方向右方向に道路をはずれ、畑の中に突っ込む形で停車した。 (2)現地のディジュラ警察によれば、午後1時30分頃に濃い色のBMWに乗った通りがかりの男性(氏名不詳)が、ディジュラ警察署(事件現場から北方4kmに位置する。)に立ち寄り、「バグダッド方面数キロ先のところで車が襲われる事件があった。」との一報があった。 2.ディジュラ警察の現場への出動と病院への搬送 (1)ディジュラ警察によれば、この通報を受け、同警察署の警察官複数が現場に出動した。その際、警察官の招集などに暫く時間がかかったとしているが、現場到着については正確な時間は特定されていない。ディジュラ警察によると、運転席のアラブ人、助手席から外に出たところで倒れていた小柄な「日本人」(井ノ上書記官と考えられる)は既に絶命していたが、後部座席で仰向けに倒れていた大柄な「日本人」(奥参事官と考えられる。)は意識は無かったが、微かな息はあったとされる4。ディジュラ警察によれば、3名の被害者を、現地警官らが乗ってきた警察の旧式のピックアップに乗せ、現地警官が運転し、ティクリート総合病院に搬送したが、同警察によれば、被害者3名のティクリート総合病院への搬送のため現場を出発したのは、事件発生後1時間以上の時間がたっていたと思われるとされている。 (2)事件現場から、ティクリート総合病院までは、ティクリート市を跨いで南から北に縦断して約35kmある。被害者を搬送したとされる旧式ピックアップでは、30分から1時間程度はかかった可能性があるが、3名の被害者がティクリート総合病院に運び込まれた時間は現時点で必ずしも特定できていない。 ----------------------------------------3情報源の人名等については、犯罪の予防、鎮圧又は今後の捜査に支障を及ぼすおそれがあることから、特定し、公にすることは避け、事実関係を記述するに止める。 4これについては、後日、大使館による現地調査の際、現地ディジュラ警察より聴取したもの。 (3)ティクリート総合病院の医師によれば、被害者が病院へ搬送された正確な時刻についての記録は無く、正確に記憶していないとしつつ、「勤務時間(午後1時まで)が終わってから夕方までの時間」に被害者が病院に搬送されてきたが、既に「アラブ人」(ジョルジース運転手と考えられる。)と「小柄な日本人」(井ノ上書記官と考えられる。)は死亡していた、「大柄な日本人」(奥参事官と考えられる。)は、頭部等へのかなりの銃創、その他の傷があるにもかかわらず、微かに息があり、すぐに緊急処置室に収容されたものの、まもなく死亡したとされる。また、同医師によれば、本件3名についても、カルテその他の記録は作成されていないとされる。なお、通常、処置により延命した場合には記録をつけ、カルテを作るが、収容後すぐに息を引き取った場合にはカルテも記録も残さないとの説明がなされている。他方、ジョルジース運転手については、翌30日遺体を引き取りに来た同職員の家族が拒否したことから司法解剖は行われなかったが、家族の者がティクリート総合病院の医師に要請し、同医師が発行した死亡証明書によれば死因は銃創によるものとされている。 (4)被害車輌については、ディジュラ警察によれば、正確な時間は特定できていないが、別の現地警官がエンジンをかけて自走させ、ディジュラ警察署に搬送したとされる。 C.米軍関係者の動き及び我が方への連絡等 1.現地米軍(第4歩兵師団第299工兵大隊)によれば、午後3時45分頃、地区長(ディジュラ警察署のある建物内に執務室がある)が米軍第4歩兵師団管轄オマハ駐屯地に出頭し、「日本人らしき外国人」が襲撃されたとの事件の第一報を口頭で行い、3名の被害者のティクリート総合病院への搬送を報告した。 2.現地米軍によれば、同軍は右報告を受け、午後4時頃、イラク市民防衛隊(ICDC)5のチームを現場に派遣した。 ----------------------------------------5 イラク民間防衛隊(ICDC:Iraqi Civil Defense Corps) 今般の米英等による対イラク武力行使終了後、治安維持の一端を担うため組織されたイラク人部隊。 3.現地米軍によれば、午後5時半頃、イラク市民防衛隊(ICDC)が、オマハ駐屯地(現場より約25km程離れている。)に帰還し、現地米軍に対し、ディジュラ警察署より回収した被害車輌と一部遺留品(車内にあったイラクディナール、車輌登録書)を、地区長メモ(一部遺留品が現地警察からイラク市民防衛隊に移管されたこと、及び2名の日本人は外交官であることを記載。)とともに提出した。加えて、イラク市民防衛隊は、地区長のもとに依然として日本の身分証明書、衣服の入ったバッグ、米ドルが残っている旨を報告した。6 4.上村臨代がCPAより確認したところでは、午後6時30分頃、現地米軍から本件事件につきバグダッドCPAに第一報がはいったとされる。 5.午後6時35分から40分頃にかけて、現地米軍よりCPAを経由して大使館の上村臨代等に対し事件につき、ティクリート南方で何者かに襲撃され、邦人らしき者2名及びレバノン人1名が殺害された旨電話連絡があった。これを受け、大使館では、レバノン人については心当たりはないものの、2名についてはティクリート方面に出張していた奥参事官、井ノ上書記官が事件に巻き込まれた可能性がありうることを念頭において、両名に幾度か電話連絡を試みたが、応答は得られなかった。午後7時頃(日本時間30日午前1時頃)、上村臨代より堂道中東アフリカ局長にCPAからの連絡内容及び奥参事官と井ノ上書記官はティクリートに向かっていたこと、また両人への連絡を試みたが連絡が取れないことから、この両名が被害者である可能性が高い、身元確認、車輌ナンバーにつき確認中である旨の電話連絡が行われた。 6.午後7時45分、上村臨代がCPAを往訪し午後10時30分頃まで更なる情報の入手に努めるとともに、その間に随時本省と電話連絡を行った。この間、「2名の日本人NGOが襲撃され殺害された、レバノン人通訳1名が怪我、これら3名はティクリート総合病院に搬送された」、「被害者を特定するものが現場から持ち去られており身元確認できていない」、「被害車輌は99年製トヨタランドクルーザー、防弾車輌、レバノン登録である」、「現地米軍は地域の族長に現場より持ち去られたものを返却するよう説得している」旨の情報が得られた。さらに、「ムカイシファの4km南でトヨタのランドクルーザーが小火器による銃撃を受けた、同車輌には2人の日本人、1名のレバノン人通訳が乗っていた。日本人2名については殺害され、レバノン人については負傷、3人ともティクリート総合病院に搬送された。負傷したレバノン人の状態は不明。車輌は99年型防弾仕様のトヨタランドクルーザーで、飲食物を買うため道路脇に停車、その際、小火器による攻撃に遭い、車輌に跳び戻った。車輌には35発の弾痕。殺害された者、負傷した者の名前は不明。」である旨の情報も得られた(ただし、この情報の一部については後日誤りであったことが確認された7。)。 7 本件事件の被害者は「飲食物を購入するために道路脇の売店で車両を降りているときに襲撃された」との情報については、外務省として危険地域での行動様式として不審に思い、また、被害車輌側面に弾痕が集中している事実との関係においても不自然であることから、このような情報が如何にもたらされたのかを米側に確認したところ、後日、米側より、これは事件直後のある目撃者と称する地元民によるものであったが、さらにその後の他の情報とも併せ確認した結果、誤りであったことが確認されたとの報告を受けた。同趣旨の情報は、第4歩兵師団マクドナルド米軍報道官により、公表されている(AFP電11月30日GMT 7:36)が、現地米軍に確認した結果、29日午後2時からの定例ブリーフィングでは、本件事件に同報道官は言及しておらず、同日、夜以降のものであるとの回答が得られている。 7.現地米軍によれば、午後9時30分頃、現地米軍は改めて米兵部隊をオマハ駐屯地から地区長の下に派遣した。同部隊は地区長が保管していたとされる遺留品を回収し、午後10時30分頃には回収した遺留品の確認作業を開始し、午後11時過ぎに、回収された旅券による最終的な身元確認が行われた。その後、30日午前1時30分頃(日本時間同日午前7時30分頃)、CPAより大使館に対し、回収された旅券をもとに、右犠牲者が奥参事官及び井ノ上書記官であることが確認された旨連絡があった。 8.上村臨代によるティクリート行きの検討と遺体の搬送 (1)29日夜のCPAにおける協議の際、上村臨代より、CPA関係者に対し、被害者の身元の特定のため29日にもティクリートに赴く考えであるとして、米軍の支援を要請したが、夜の移動は危険性が高く、日が昇るまで待つことを勧める、現地へはヘリコプターを準備したいが、翌日は(ティグリス川沿道に濃霧が発生する等)天候が悪いとの予報があるので、ヘリコプターの運航が出来ない可能性が高い、翌朝再度相談したい、ただし、ヘリコプターについても必ずしも安全というわけでもないとの回答がなされた。これに対し、上村臨代よりヘリコプターが飛ばない場合の陸路移動の可能性についても打診した。 (2)米側により30日朝の時点でもバグダッド及びティクリートは霧が濃く、雲底が低すぎるため、ヘリコプターが運航できない状況にあった。また、陸路移動については、安全面についての大使館と現地米軍の協議の結果が本省に報告され、本省としては同種事件の再発の可能性があるので陸路は断念するとともに、遺体を速やかにバグダッドに移送することに専念すべきである旨指示を行った。 (3)30日午後1時、米軍高官から上村臨代に対し、霧は晴れたが依然として雲底が低く、安全規定に達しないため、ヘリコプター搬送の見込みが立たないので陸路移送を検討している旨連絡があった。同日午後3時、奥参事官、井ノ上書記官の遺体を移送する米軍車両がティクリート総合病院を出発したが、テロを警戒し慎重な走行をせざるを得なかったこと、さらには移送先であったバグダッド国際空港がロケット砲により攻撃され空港が一時閉鎖となったこともあって時間を要し、午後9時15分頃、バグダッド国際空港内に到着した。午後9時40分過ぎ、同空港の遺体安置所にて、上村臨代をはじめとする大使館関係者が遺体を確認した。その後、12月1日午前2時過ぎ、館員付き添いの上、遺体を乗せた米軍機がバグダッド国際空港を出発し、午前3時30分にクウェートに到着し、遺体が米軍基地(キャンプ・ウルフ)内の遺体安置所へ移送された。遺体は、クウェートに赴いていた御遺族及び田中外務大臣政務官とともに、4日本邦に到着した。 (4)ジョルジース運転手の遺体引き取りについては、30日、子息が強く希望して同人自身が現地に赴き、午前10時頃ティクリート総合病院を出発、陸路にてバグダッドに搬送、午後3時にバグダッドに到着した。 D.その後の大使館の対応措置 1.被害車輌回収・保管・日本への輸送 (1)被害車輌は、既述のとおり、ティクリート近郊の第4歩兵師団管轄オマハ駐屯地に回収された後、我が方の要請を受け同駐屯地に一時保管され、その後12月6日、大使館が手配した陸送業者によりバグダッドに移送、大使館敷地内に収容された。車輌については本省における警察当局との協議に基づいて証拠物件としての保全のための措置が直ちにとられた。 (2)その後、米側による車輌の捜査方針に関する照会と並行して、外務省と本邦警察当局との間で、我が国に車輌を搬送しての検証のみならず、バグダッド又は周辺諸国への警察当局者の出張による車輌調査の可能性や、その場合の車輌の扱いにつき、12月中に慎重に協議した。こうして米側が車輌に関してはそれ以上の捜査を予定していないことを確認の上、1月になり、警察当局より正式に本邦搬送の上検証することとしたいのでコンテナに入れる等十分な保全措置をとった上で搬送してほしいとの要請を受けたことから、大使館にて輸送準備を開始した。 (3)これを受け、大使館は搬送の手配に取りかかったが、当時、当該事件とは別に、大使館及び館員を巡る治安動向に対処するため種々の安全対策に優先的に取り組まざるを得ない状況が幾度か生じたことがあったため、本件準備作業は何度か中断せざるを得ないこととなった。また、搬送の手配に当たっては、本件車輌が重要な証拠物件であり輸送途中で襲撃や事故等により損傷しないよう保全を確保した形で輸送するため、本省の指示の下で、搬送経路の選定、コンテナ調達可能性の検討、コンテナの収容できる航空機手配、レバノン登録抹消手続き等について種々検討と事務諸手続を進めたが、バグダッドにおいて信頼できる輸送業者が見つからない等の事情があり、作業は難航した。最終的には、在クウェートの運送業者を用いることとし、そのトラックを在イラク日本大使館に向かわせ、被害車輌を梱包、積載の後、2月27日午後にバグダッドを出発、29日午後7時過ぎ(現地時間)に、クウェートに到着した。 (4)3月2日、被害車輌は貨物航空便にてクウェートを出発、日本時間4日夜に成田空港に到着、空港より直接、警察当局の施設に移送された。 2.現地での捜査及び調査 (1)本事件については、現地イラク警察においてはディジュラ警察署が捜査を担当しており、また、米軍においては、主に第4歩兵師団(3月中旬以降、第1歩兵師団に引き継ぎ。)の現地治安担当部隊や米軍憲兵隊が捜査を担当している。なお、CPA施政下においては連合軍又は連合国要員に対する殺害・襲撃事件については、イラク警察、米軍等の捜査当局のいずれも捜査を実施できるというのが現状であり、双方の間に正式な分担はなく、案件によって一方がリードする、あるいは合同捜査となることもあるとされる。 我が国としては、事件発生直後から現地米軍とは緊密に連絡を取り合っており、様々な手段で随時、情報の提供を受けている。 (2)事件発生当初より、政府としても事件発生の状況を可能な限り詳細に把握するため、事件直後にイラク人専門家を現地に派遣し、地元民、現場イラク警察からの情報収集を行わせしめた。さらに調査すべきことを指示した上で、その数日後、イラク人専門家を再度現場に派遣し、さらに調査を行った。 この事件直後のイラク人専門家による報告では、現地における外部の人間に対する排外感情は極めて厳しく大使館員を派遣し現地調査を行う場合の安全確保は困難との指摘があった。本件事件の真相究明の観点からできるだけ早く館員を現地に派遣すべしとの考えがあった一方で、同種事件の再発の危険性もあり、本省と大使館の間で慎重に検討を行った。事件直後、12月20日過ぎ及び1月下旬の3度に亘って上村臨代の現場への派遣を検討したが、大使館を巡る現地治安情勢の動きもあり、大使館及び館員の安全対策に専念せざるを得ない状況が幾度か生じたことから、これに優先して取り組まざるを得ない状況が続いた。結局、所要の防護措置を十分とった上で、2月29日、上村臨代が現地に赴き、現地イラク警察、ティクリート総合病院医師、現地米軍等より聞き取り調査等を実施した。 3.遺留品 (1)遺留品は現地米軍が、事件直後から12月中旬にかけて逐次現地地区長から回収した。これらの遺留品は現地米軍よりCPAを経由して大使館に返却され、昨年12月15日、及び本年1月13日に外務省員が携行する形で本省に持ち帰った。回収された遺留品は、パソコン、デジタルカメラ、携帯電子端末、フロッピー等の記憶媒体等の電子機器をはじめ、現金及びクレジットカード、外交旅券や運転免許証等の各種身分証明書類、写真、メモ等の書類、文房具、食料品、衣類や洗面道具をはじめとする身の回り品であった。 (2)これら遺留品は外務省より全て警察当局に提示し、警察当局が捜査上必要と判断したものについて、御遺族の同意を得た上で、昨年12月27日、及び1月22日に外務省が取りまとめて全て警察当局に任意提出した。その後、遺留品は警察当局において捜査対象物件としての必要な措置がとられた上で、2月2日までに、全て外務省に返還された。外務省は、御遺族と相談しつつ、遺留品を逐次返還してきている。 V.事件の状況と評価 A.事件の状況 奥参事官、井ノ上書記官が、いつ誰にどのように襲撃されたかについて、事実関係は確認できていないが、事件の状況等についてこれまでの調査に基づけば、次のとおりである。 1.事件発生時刻 様々な関連情報があるが、事件は午後1時頃から午後1時30分頃の間に発生した可能性が高い。既述の事件当日の午後0時21分を最後とする奥参事官のデジタルカメラで撮影されているバラド中心部のレストラン・果物店は事件発生現場まで約65kmの距離にあり、仮に平均時速約100kmから140kmで走行したと仮定すれば、事件現場まで約30〜40分の行程であると言える。他方、同場所からの出発時刻を特定することはできないことは既に述べたとおりである。また、現地ディジュラ警察によれば、同警察への事件の第一報は午後1時30分頃としている。 2.襲撃の態様 (1)被害車輌の被弾の状況については、本邦警察当局により実施された検証の結果が、2004年4月5日に公表されている。それによれば、車輌の前部及び左側面に、36箇所の弾痕が確認され(前部4箇所、左側前部ドア部14箇所、左側後部ドア部18箇所)、うち22箇所が貫通し車内に到達していた(左側前部ドア部9箇所、左側後部ドア部13箇所)。また、36箇所の弾痕のうち、10箇所について射入角の測定が可能であり、被害車輌は概ね1mの高さから銃撃されたと推定され、左前方から射入しているボンネットの弾痕を除く9箇所については、ほぼ真横乃至左斜め前方から射入している。 (2)現地米軍が事件の後、事件現場付近の複数の居住者からの聞き取りを行ったところ、奥参事官の乗っていた館用車への襲撃は4台のSUV(sport utility vehicle)により行われ、うち2台が攻撃を行った、襲撃者はRPK8を用い、民間人の洋服でケブラータイプのヘルメットを着用していたとの情報が得られている。 ----------------------------------------87.62mm軽機関銃RPK。カラシニコフ製AKM突撃銃に、二脚架及び別形の銃床を付けるとともに銃身を長くしたもの。なお、外観が同形で、口径が5.45mmの「5.45mm軽機関銃RPK-74」もある。 (3)大使館が行った累次の調査では、事件発生当時の現場付近にいたとしている者(複数)が次のような話をしていることが報告されている。なお、これらは法的手続を経た供述として確認されたものではなく、あくまで聞き込み情報であることに留意する必要がある。また、目撃したと称する者が現地で置かれている状況等を踏まえ、慎重に評価する必要がある性格のものである。 「そのとき、自分はティクリート方向を向いていたので何も見ていないが、車が店裏の畑で最終的に停車した時、地元民が略奪を働かないように棒で追い回して車を守った。」(A) 「車(複数)だった、外で放牧していた別の者が目撃していた。」(B(子供)) 「自分は見た。コンボイが来たと思った。車(複数)だった。白っぽい3台の車に囲まれた黒い車(注:本件事件の被害車輌の館用車と見られる)が、やがて道を逸れて畑に突っ込み、やがて止まったのを見た。」(C(子供))(この後、その事情聴取を監視している風であったある地元の大人がCを睨みつけて、(背中に回した手で背中をつねっているような様子で)「誰がやったか」と改めてCに質したところ、Cは突然うつむいて小さく「米軍」と答えた。) 「3台の車に挟まれた車(館用車)が銃撃され始めたことを見た。」(D) 「俺は何も知らない。Aが知っている。」(E) 「4台程度の車に併走しながら襲撃された。」(F) 「何も見ていない。」(G) 「黒い車(館用車)が併走する白の日産ピックアップ(ダブル・キャビン状の車)から小銃で撃たれた、黒い車の前か後ろには白いセダン(おそらくはトヨタ・クラウンのスーパーサルーン)、そのほかにも型は不明なるも白い車を見た。」(H) なお、これらとは別に事件を目撃した者から話を聴取したとするイラク人関係者からは、車輌の車種については明確ではないが、3台は白っぽい車で、少なくとも1台はピックアップ車の模様で、その荷台から銃撃がなされたとする見方や、銃撃者は2名で、1名は立って、他は跪いて射撃したとの見方も示された。 3.使用武器 (1)日本での警察当局による遺体から発見された金属片の鑑定結果(2004年4月5日公表)によれば、両名の遺体及び車輌の中から発見された金属片計132点中、銃弾の一部と推定できるものは49点で、うち10点は、右回り4条のライフリングを有する口径7.62mm程度の銃から発射されたものと推定され、そのうち5点と3点はそれぞれ同一の銃から発射されたと推定される。 (2)現地イラク警察、現地米軍、及び被害者が搬送された病院の医師らは、目撃や客観的鑑定にもとづくものではなく、その根拠は明らかではないものの、使用された武器はAK−47であるとの認識を述べている。また、現場付近の地元民の話としてRPKを用いていたとの情報もある。 B.犯人像 1.現在のイラクにおいては幹線道路沿いでの銃器を使った強盗事件の発生も報告されているが、本件事件については、現金やクレジットカード複数枚が現場に残されていたこと等から単なる物盗りではないと考えられ、また襲撃の態様についても依然として確定していないものの、既に述べたとおり、「被害車輌は、車3〜4台に囲まれ、走行中銃撃された」という複数の目撃者と称する地元民による話が寄せられていること、及び、銃撃の状況が特に車輌左側面に集中的に30発以上打ち込まれていることから、走行中に併走する車輌から銃撃されたもので、当初から殺害を目的とした者による犯行で、テロである可能性が高いと見られる。 2.なお、イラクにおける治安情勢の収集・分析活動の中で、イラクにおける日本大使館に対する脅威に関する情報は随時入手に努めてきており、事件当時も関係方面との間でもこうした情報を共有してきていたが、今回の事件を予想させる日本をターゲットとした個別具体的なテロ情報を得ていたということはなかった。 3. 米軍誤射説については、現地米軍によれば、「事件の起こった11月下旬頃は、299工兵大隊の(国道)一号線パトロールは午前8時から午後4時までの間、3回程度行うこととしていた。事件発生時刻に米軍パトロール或いは付近の連合軍が通りかかったという事実はない。」としている。また、米軍が本件被害車輌を誤射したことを裏付ける証言や具体的な証拠はない。襲撃された館用車は米軍の車列の近くを走行していたとの報道等9もあるが、これは、現地がフセイン元大統領の出生地に近く、前政権の支持基盤であったということも勘案して評価しなければならないものである。なお、前記VA2.(2)の情報に関連して、現地米軍よりは、「現場付近の住民によれば、襲撃者が民間人の洋服、ケブラータイプのヘルメットを着用していたことから米軍による誤射との噂もあったが、ICDCより、米軍はRPKを携行しない、したがって襲撃はしていないことを説明したことで、噂は否定されている。」旨の報告もなされている。さらに、大使館が行った現地調査によれば「仮に自分が犯人はイラク人だ、と言えば自分の家族は皆殺しにされるだろうから、それは勘弁して欲しい。」と話す現地イラク人もいた。 ----------------------------------------9 報道(昨年12月1日共同)によれば、道路脇の食料品スタンド店主ハッサン・フセイン氏の「バグダッド方向から走ってきた車がスタンドの手前で右に大きくカーブを切り、路肩を外れて60mほど畑に鼻先をつっこむようにして止まった。すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった。」との話が報じられている。 奥参事官、井ノ上書記官及びジョルジース運転手ほか大使館員は、米軍コンボイの近くを併走したり追い越す危険については熟知していた。 いずれにせよ、米軍誤射説については、米国自身もこれを完全に否定してきており、政府としても、それを示唆する内容のものには一切接してきておらず、こうした見方に与するものでは全くない。 以 上 |