
人に歴史あり、土地に歴史あり・・・、なぁんてかたい話ではなく、管理人の手元にあった清里関係の古い(?)資料(??)を紹介するコーナーです。
画像はその出版物をスキャンしたり、写真にしたものなので、著作権や版権などは管理人の手にはございません。
また、「清里日報は」個人のHPではありますが、関係者の方がご覧になってもし、写真や画像を使うこと、内容に問題があればトップページのアドレスまでご連絡ください。
| 1. | 清里新聞「清里観光振興会 編」 | 5. | ブルーバックス「八ヶ岳」 |
| 2. | 清泉寮 | 6. | 清里新聞「清里観光振興会 編」 |
| 3. | 絵葉書 | 7. | 小海線の旅 |
| 4. | 年下のあンちくしょう | 8. | お店のマッチ |
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清里ブームの全盛の頃に、清里観光振興会が発行していた「清里新聞」です。左のが1982年の秋発行のもの。右のが1983年の春発行のものです。左には書いていないのですが、右の方には¥50と書かれています。 |
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1982年秋発行の物の表紙の上部と、裏表紙です。 裏表紙は清里の簡単な地図になっていて、自分が歩いたところや、動物と出会ったところ、気に入ったお店などを書き込むようになっています。 画像にはないのですが、この地図の下には清里駅(当時は国鉄)と、韮崎と八ヶ岳高原ロッジを結ぶ八ヶ岳交通バスの時刻表、そして、スタンプを押せるスペースがあります。 |
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内容はハイキングガイド、清里に関する歴史や文学などの話、振興会の活動について、清里の鳥や動物などの自然について、現在の清里の情報、DIY講座(手作り看板や鳥の餌台など)です。 ちなみに右の写真は振興会の活動として、今も使われているシンボルマークが決まったことの報告です。1983年の春に決まったんですねぇ。 |
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これは、今でもホテルや旅館によくある宿のパンフレットですね。いつ頃のものなんだろう?電話の市外局番が0551になっているので・・・と、言っても、わからないですな(^◇^;) 下に紹介しているブルーバックスは昭和48年発行で、市外局番が055148なのでそれよりは後ですね(笑) 下の写真を見ていただけると分かるのですが、暖炉の前に集っている皆さんや、ハイカーのファッション、スキーヤーのファッション、お姉さんの感じからすると昭和50年代ですね。 これも下で紹介している『年下のあンちくしょう』の頃ではないか思いました。 |
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内容はやはりパンフレットなので、清泉寮の内外の紹介や、KEEPの精神についてなどが書かれています。下の写真はその紹介文と共に載っていたものです。 左の地図は清泉寮までのアクセスマップですね。内容はすべて日本語で書かれているのですが、ここだけは右下に英語での表記がされています。さすがは清泉寮ってかんじですかね? ちなみに、宿泊料は下記の『ブルーバック』よりはブームのせいか、時代の流れか値上がりしていて、一番安い和室が食事別で\2,500(1人)です。ついでに書くと、暖炉や応接室、台所、浴室の付いたスイートルームは御二人様で\20,000です。 当時はこれでも高かったんだろうなぁ・・・。 |
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清里は観光地です。最近は駅前のお土産物屋さんでもほとんど見かけることがなくなりましたが、昭和50年代くらいまでは何処に行っても絵葉書を売ってましたね。清里の場合、山や花、景色の写真や版画と並らんで必ずあったのがこのSLです。 この絵葉書には『山中、ドラフトの音が響きわたるC・56』と書かれています。 |
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1972年秋まで清里駅のある小海線にはC56という小さめのSLが走っていました。山間の高原を走るその姿は鉄道ファンでなくとも心に残るほど美しかったとか。小さめの外観からも「高原のポニー」の愛称で親しまれました。
この絵葉書には『南アルプス連峰を背後に。(清里付近)』と書かれています。 |
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C56は小海線では、人々や高原野菜を運んでいました。そして一方では、第二次世界大戦中は日本軍がタイと当時のビルマを結ぶ泰緬鉄道を連合軍捕虜や現地の人を使って作らせました。映画『戦場にかける橋』で出てくる鉄道です。ここに持ってこられ走っていたのもC56でした。
この絵葉書には『南アルプス、甲斐駒ケ岳をバックに。(小淵沢付近より)』と書かれています。 |
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清里がかつて大ブームだった時がありました。そのブームが良かったか悪かったかの賛否はここでは置いておきます。 で、そのブームの火付けのひとつとなったのがこの『年下のあンちくしょう』です。 単行本は昭和51年、52年にそれぞれ発行されました。時代的には、フォークからニューミュージックが生まれたこの時代、男女の恋愛もプラトニックが当たり前。今からは想像もつかないほどの(今が変なのかもしれないけど)そんな時代でした。 |
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この中で清里が出てくるのは「続〜」の方になってからです。 連載当初、高校3年生だった彩と高校1年生だった仁のカップルも、社会人1年生と大学1年生。この二人が二人きりで旅行するのが清里です。 荒井由美の「中央フリーウェイ」の曲と共に清里に赴き、かわいいと評判の喫茶店ミルクに立ち寄り、清泉寮に泊まるという10ページの旅行の風景です。 清里ブームは第一次、第二次と経てバブルと共にはじけましたが、そのMILKはお店のオリジナルTシャツが一日に何百枚と売れたなんていう伝説も残しています。 MILKは今は閉店してしまいましたが、同じ場所で同じ建物で素敵なレストランに生まれ変わりました。 |
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この手元にあるブルーガイドの発行は昭和48年です。ちなみにお値段は¥290。 僕は所謂山歩きをしないので(する機会に恵まれなかった)のでわかりませんが、きっと、今山歩き、山登りをしている人が読めば、山小屋やルートなどに今とは違ったものを発見できるんでしょうね。残念です。 内容は、当然ですが山登りのためのガイドブックです。そんな中で面白いと思ったのは・・・ ・この時には八ヶ岳横断道路がまだ完成していないこと。 ・電話番号が今とは違っていること(下記) ・宿の宿泊料(下記) ・車社会になっていないく、歩くのが当たり前であること。 僕が清里に行き始めたころはひたすら歩いてました(笑) 本の中でも「ドライブ登山」という項目があるが、後ろの方 に少しだけである。 などですかね?紹介されている山にまつわる伝説も面白いのですが、今度「ひとりごと」ででも書きますね。 |
| 〜 宿の値段 〜(48年当時・ブルーガイド記載) 清泉寮 室 料 ¥1000 + 食事代 清里館 (2食付) ¥2000〜¥3000 明月館 (2食付) ¥1200〜¥2000 町営たかね荘 (2食付) ¥1500 |
〜 電話番号 〜 まぁ、これは知っている人には当たり前のことなんですが、 今の清里の電話番号が 0551(48)○×△☐ なのに対して、この頃は、055148−○×△☐なんですね。 おまけに、驚くのは、後ろの部分は4桁とは限らず、2桁だったり、3桁だったり色々だということですかね? しかし、この本の中の記述では”ヤッケ””キャラバンシューズ”などの呼称が出てきますが、今でも使ってるのかな?僕はとても懐かしく思いながら見てたんですけど・・・。 |
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| 6.清里新聞「清里観光振興会 編」 その2 | |
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このコーナーの一番最初に、ご紹介した「清里新聞」の他の物が出てきたので載せてみました。3つとも夏号なのですが、左から83年(6号)、84年(8号)、85年(10号)です。 |
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ちょっと、自慢というか、まぁ、記憶の問題なのですが・・・ |
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| 7.小海線の旅 | |
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これは奥付を見ると、小海線沿線観光連絡協議会さんが発行している『小海線の旅 第2号』です。この事務局は、住所を見ると大泉の村役場内にあったらしいですが、今はあるのかどうかはわかりません。 |
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清里高原(大泉村・高根町) 南八ヶ岳の力強い山塊を背にして緑鮮やかに、のびやかに、清里高原が広がる。ハート型の小さな葉が風にそよいでいるシラカバ林。輝く緑のカラマツ林。そしてゆるい傾斜地にびっしりと生えた牧草。白い牧柵。ポッカリあいた南の空。そこから、まぶしい陽がこの高原にふりそそぐ。 この後、この文は美し森から清泉寮の紹介へと続いていきます。 |
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| 8.お店のマッチ | |
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ここでは、昔手にした清里のお店のマッチを紹介します。 |
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