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『Qべえの嵯峨野・嵐山散策スポット案内』


Qべえの嵯峨野・嵐山散策スポット案内の掲載に当たって


   Qべえの嵯峨野・嵐山散策スポット案内の掲載に当たって


この原稿は2007年6月3日の「嵯峨野・嵐山散策」の実施に向けて準備段階で、散策の参加者が視覚障害を有する方がほとんどであることから、事前に散策のコース、スポットの案内を情報提供する目的で、Qべえ氏に原稿を作成いただきました。

当初は視覚障害者パソコンサークル「リンクの会」の「メルシー リンクの会掲示板」とMLに投稿されました。
しかし、その原稿の内容に視覚障害者に役立つ情報が多く盛り込まれているということから、ホームページ上に掲載することにいたしました。
そして、Qべえ氏に了承を得ましたので、ここに原稿を掲載いたします。

今回ご紹介する「嵯峨野・嵐山」の見所を皆様にお知りいただき、実際に訪れていただける機会がございますと、きっとその魅力をお感じいただけるのではないでしょうか。

また、この紀行の情報についての問い合わせなどにはお答えしかねます。ご了承いただきますようお願いいたします。

なお、このホームページは、HP作成初心者の管理人が作成いたしております。
お気付きの箇所がございましたらご連絡ください。

それでは、『Qべえの嵯峨野・嵐山散策スポット案内』紀行をお楽しみくださいませ。


嵯峨野について


   嵯峨野について


嵯峨野を散策する前に、少し予備知識を得ておきたいと思います。
まず、嵯峨野について、いろいろな資料から調べながら案内させていただきます。

嵯峨野は、京都市右京区、大堰川の下流保津川が京都盆地に流れ出て、桂川となる地の 左岸一帯をいいます。
東は太秦から西は小倉山の山麓、北は丹波高地の一部をなす西山山地の山麓の地域です。
かつて桂川の氾濫原でありましたが、7世紀に秦氏一族が改修して、田野(でんや)が開けたといいます。
平安時代以降は天皇や貴族たちが、遊猟や遊楽にしばしば訪れ、また嵯峨天皇の 離宮嵯峨院(現大覚寺)、後嵯峨上皇の亀山殿(現天竜寺)、藤原定家の山荘など貴紳の邸宅や寺院が置かれました。

文学の舞台ともなり、歌枕の地でもあります。
『枕草子』には「野は嵯峨野」とあります。

江戸時代には蔬菜(そさい)栽培が盛んになり、竹林も増加しました。
昭和初年までは葛野郡嵯峨村でありましたが、1931年(昭和6)京都市へ編入されました。

付近一帯は天竜寺、大覚寺をはじめ、『源氏物語』の「賢木(さかき)」に記される野宮神社、『平家物語』の祇王寺、 俳人去来の住んだ落柿舎、定家ゆかりの厭離庵、法然上人(源空)の住んだ二尊院、 月の名所の広沢池や大沢池、嵯峨の釈迦堂とよばれる清凉寺、 無縁仏を集めた仇野念仏寺などの名所旧跡、嵯峨鳥居本の民家(重要伝統的建造物群保存地区に選定)などが 点在し、対岸の嵐山とともに洛西の観光地として、広く国内外に知られています。




野宮神社について


   野宮神社について


今回は野宮神社の案内をさせて貰います。
嵐電嵐山駅からメイン通り(長辻通り)を北へ、野宮神社のバス停から、鬱蒼と生い茂った竹林を少し行った清々しい竹林に囲まれた道沿いにあり、どんな願い事も受け入れて下さる神社とか…。

「源氏物語」で光源氏が六条御息所を訪れるくだりで野宮一帯の風景がたんねんに描かれているとのことで、境内の真ん中の野宮大神は健康、知恵授け、左の野宮大黒天は亀の形の石を撫でると願いが叶う縁結びの神というように、ほかにも安産、芸能、財運、病気平癒など、本当にいろいろな神様が願い事を叶えて下さるようです。
境内の狭い神社ですが、嵐電嵐山駅から徒歩約15分、メイン通りから直ぐの所とあって、観光客で賑わっています。

また、この辺一帯が四季を通じて鬱そうと生い茂った竹林であり、ここに来る人はみんなその雄大さと美しさに息を飲むほどです。
春は柔らかな木漏れ日が、その緑を一層際立たせ、初夏から真夏にかけては涼しさと爽やかさを感じさせてくれます。
秋はその緑と紅葉とのコラボレーションが何とも云えない風景を醸し出し、冬の木枯らしが吹き抜けるさらさらという音など、四季を通じて訪れる人の心を和ませ、楽しませてくれます。
時々撮影もされていますし、観光客も記念写真を撮るのに絶景の場所だと思います




常寂光寺


   常寂光寺


今回は常寂光寺の案内です。
野宮神社の横の小径を西へ、天龍寺の北門前を経て、竹林(ちくりん)のメイン通りとも言われる所からJRのトンネルの上を越え、トロッコ列車の嵐山駅前から少し北へ行った所の小倉山の山麓にあります。

資料によれば以下のような難しいことが書いてありましたので、少し引用させて貰いました。


(常寂光寺は、日蓮宗の寺院で、本尊は十界大曼茶羅。日蓮宗不受不施派本圀寺16世日禎は、豊臣秀吉の東山大仏の開眼千僧供養に出仕を拒否、この地に隠居し、そこを寺院に改め、土地が常寂光土の感があるとして寺名とした。)

とあります。

小倉山の斜面に位置する常寂光寺は、茅葺きの仁王門が印象的で、そこをくぐると、比較的広くて揃った、40段程の急な石段が山の斜面に沿って、本堂へと続いています。
本堂の背後に建つ、檜皮葺の多宝塔は、元和2年の建築と伝えられ、国の重要文化財に指定されており、均整のとれた美しい姿をしているとのことです。

本堂から、多宝塔や展望台に続く階段は不定形で、しかも狭い石段の上り口が幾つかあって、その石段を上まで上ると、市内が一望できる所もあります。
けっこう急な石段ですが、運動不足の解消には良いのかも知れません。
昨年春に訪れたときは狭い石段の両側の、笹やもみじの新緑がとても気持ちよく、それに爽やかな風に煽られた笹の音が、まるで小川のせせらぎのように聞こえていたのも印象的でした。
秋は紅葉のトンネルで、晩秋の山の斜面に散った紅葉も美しく、日曜日ともなれば入場のための列ができるほどです。

因みに入場料は、身障手帳を提示すれば介添人共無料です。
又、点字のパンフレットも用意されています。




落柿舎について


   落柿舎


今回は落柿舎を簡単に案内させて貰います。
常寂光寺から少し東へ行くと、田畑を隔てた向かい側に茅葺きの小さくて素朴な建物が見えてきます。

こちらは松尾芭蕉の門人だった向井去来の閑居跡で、落柿舎とよばれ、観光の名所として知られています。
ちなみにここの名前は、庭の柿の木を去来が商人に売る契約をした夜に、台風で実が全部落ちてしまったというエピソードから「落柿舎となったとのことであります。

敷地内には芭蕉や高浜虚子の句碑とともに、投句箱もあるので一句したためてみては如何なものでしょうか。
優秀な作品は季刊誌「落柿舎」に掲載されるそうですよ。

確か、落柿舎の住人、向井去来は旅の好きな俳人で、留守が多い人だったとかで、訪ねて来た人にすぐに判るように居る時は、入り口に蓑(ミノ)と傘を吊るしたとのことで、今でもそのまま吊してあります。

入場料は確か、200円だったと記憶していますが、障害者手帳を提示すれば本人のみ無料だったと思います。
京福電鉄嵐山から直接ですと、徒歩で15分程度です。




二尊院


二尊院


二尊院は、落柿舎から5分ほど行ったところにあります。
二尊院は、平安時代初期、承和年間(834〜847)に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖として建立したのが起こりといわれ、その後荒廃しましたが、法然上人らによって再興されたそうであります。

応仁の乱によって堂宇伽藍が全焼しましたが、本堂・唐門のみ約三十年後再建されたとのことであります。
本堂「二尊院」の勅額(後奈良天皇)、唐門「小倉山」の勅額(後柏原天皇)は、この時に下賜されたものだそうです。
本堂右に釈迦如来像、左に阿弥陀如来像の二本尊(ともに平安末期の作で重文)を安置しており、二尊院の名もここから名付けられたそうです。

正しくは、小倉山二尊教院華台寺というようです。
山腹の墓地には、三条実美・角倉了以・俳優の阪東妻三郎など有名人の墓も多数あり、 境内は紅葉の名所で、松の緑も清々しく落ち着いた雰囲気です。
二尊は国の重要文化財に指定されており、伏見城の薬医門を移築した、総門をくぐれば 石を敷き詰めた広く長い参道「紅葉の馬場」は、秋になると美しい紅葉が彩りを添えてくれます。
初夏の時期は紫陽花/秋の萩も有名とか。シーズン以外は、とても落ち着いた雰囲気のお寺です。

数日前に訪れた時は、大勢の小学生らしい生徒が、参道の両脇で写生をしていて、賑わっていましたし、高校生らしい女性が3人ほど、幸せの鐘を突いていましたので、私たちも突かせて貰ったのですが、なかなか雄大な音色に感動した次第です。
この鐘は一人で1度に3回突くことができます。 1.世界の幸せ、2.家族・友達の幸せ、そして3.自分の幸せのためと言う風に三つ突きます。

今頃の時期は新緑が1段と映えてとても落ち着いた気分にさせてくれますし、境内は比較的広くて、ゆったりとした雰囲気ですので、できれば皆さんと共に入場できれば良いのではと、考えています。
因みに、入場料は大人一人500円ですが時と場合によっては身障手帳を提示すれば二人とも無料、場合によっては本人のみ無料です。
また、嵐電嵐山駅からは、徒歩で20分ほどです。


清凉寺


   清凉寺


それでは今回は清凉寺の案内をさせて貰います。
二尊院の門前から小倉百人一首ゆらいの地、古い町並を東へ6・7分程歩くと、清凉寺の西門に差し掛かります。
この東西の通りは、嵐山から少し離れている関係もあり、観光客もまばらですが、歴史的には見逃すことのできない由緒ある町だと思います。

エキゾチックな姿のお釈迦様でも知られています、清凉寺は、「嵯峨の釈迦堂さん」の愛称で親しまれている寺であり、インド、中国から日本へ来た三国伝来の釈迦如来像が有名で、像は、37歳のお釈迦様の生き姿をそのまま写したものだとか。
さらに、昭和28年には像の胎内から絹製の五臓六腑などが発見されたというから 驚きです。

毎年4月には「嵯峨大念仏狂言」が演じられ、春と秋には釈迦像御開帳が見られます。
又、春は梅と桜、秋の紅葉も有名です。

あっそうそう、清凉寺といえば、門前にある、嵯峨豆腐で有名な[森嘉]本店がありますね。
豆腐の歴史につきましては、後日機会があれば書いてみようと思います。


大覚寺


   大覚寺


今回は大覚寺についてですが、但、私は未だに入館したことがありませんので、資料から抜粋したものを掲載させて貰うこととします。
真言宗大覚寺派大本山「大覚寺」、876年嵯峨天皇の離宮だった嵯峨院を皇女正子が寺院に改めたのが始まりであります。
文永5年後嵯峨天皇が出家して入御、次の亀山天皇、続いて御宇多上皇…と、ここに入って院政を行ったため「嵯峨御所」と呼ばれるようになりました。

その後南北朝時代の対立終息時は大覚寺客殿において南北朝合一が成立、それ以来明治維新まで法親王が住持を継ぎ、長きに渡りその格式を保ってきました。
もともと嵯峨天皇の離宮だった大覚寺は、寝殿造りを思わせる御所風の佇まい。
それらの建造物は回廊で結ばれていて、いかにも当時を思わせる雅な空気が漂っているとのことであります。
南北朝の講和会議も行われた正寝殿は、客殿とも呼ばれ、11間を仕切る襖絵や杉戸絵に狩野元信や山楽、探幽などによる豪華な作品が並んでいるとのことであります。

さらに五大堂の観月台からは大沢池を一望することができ、寺院と言えどもなんとも風情のある雅な建物であります。
大正11年には、国指定名勝として、昭和13年には、大覚寺境内全域が大覚寺御所跡として国指定史跡に指定され現在に至っています。

また、嵯峨天皇が嵯峨離宮庭内で手折にされた菊を瓶に生けられた事に始まる『嵯峨御流(さがみりゅう)』の発祥の地でもあります。
館内にはお茶席もあるようです。
又、定期的に写経や生け花の会も開かれています。
入館料は確か500円だったと記憶しています。


大沢の池


   大沢の池


それでは今回は、大沢の池について、少し説明させていただきます。
大沢の池は、日本三沢の池の一つで、日本の三大名月鑑賞池として知られる周囲1キロ余りの池であります。
地質的には嵯峨野は大堰川の氾濫源で各所に沼沢池があったといわれ、 都の先住者秦氏がこの地に大堰をつくり溢水を食い止め、肥沃な田地をつくったのが嵯峨野であり、その沼のいくつかの沢池を灌漑用として残したその一つだとも 伝えられています。

又、この池は嵯峨天皇が離宮(いまの大覚寺)を設けた時に中国の洞庭湖を模して作ったものともいわれ、 池の中に「天神島」「菊ヶ島」の二つの島がつくられています。
「菊ヶ島」で天皇は野菊を採り水がめにこれを差し入れたときの形が「天・地・人」にかたどられたことから嵯峨華道がはじまったといわれています。
また、名月鑑賞の池として古来より仲秋の名月には観賞会が行われてきました。
現在も竜頭船や観賞船を浮かべ観月の夕べが行われています。

なおこの池の北方に「名古曽の滝」の跡があります。


藤原公任の「滝の音の絶えて久しくなりぬれど名こそ流れて」

の歌はこの滝を詠んだものであるとのこと。

その他にも、有名な歌人が唄った歌碑もいくつかあります。
春には梅・桜・椿など、秋の紅葉も有名で、四季折々の風景を楽しむことができます。
また、そのような風景を映し出す水面(みなも)は絶景であります。後は実際に訪れて見てのお楽しみです。

そのような池の端の芝生の上に敷物を敷き、どっかと腰をおろして食べれば、たとえコンビニのおにぎりでもほっか弁でも、これ又格別の味ではないでしょうか。
また首を捻れば一句でも出そうですね。

因みに、この池は時代劇の撮影場としても多く利用されています。
入場料は、「文化財保護協力金200円」と書いた投入箱が設置して あって、春の桜の頃と、秋の紅葉の時期は紅白の幔幕が張ってあり、入り口には係員がおられますがそれ以外は無人となっています。


広沢の池


   広沢の池


今回は広沢の池について案内させていただきます。
大沢の池から、田園地帯の中程の「千代の古道(ちよのふるみち)」を 通って、20分ほど東に行きますと、日本の三大名月鑑賞池としても有名な広沢池に到着します。
広沢池は地理的にいって、嵯峨野の東の外れに位置し、観光の人たちが訪れる嵯峨野・ 嵐山かいわいからはかなり離れています。
しかも、歴史的風土特別保存地区に指定されていることもあり、近くにはみやげ物屋さんも食べ物屋さんも民家さえもほとんどありません。
目に入るのは、池と背後の小高い山、そして西に広がる田園風景。
そんな静かな風景が広がる広沢池、王朝時代より多くの人に愛されたいわれ深い洛西の別天地であります。
大沢の池と同様、秦氏が沼のいくつかの沢池を灌漑用として残した周囲約1.3km、 面積14万平方メートルのこの池は、989年(平安時代中期)宇多天皇の孫、寛朝僧正が 広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものであります。

嵯峨富士と云われる端麗な遍照寺山を映す広沢池には 金色の観世音菩薩を祀る観音島があり、池畔に多宝塔、釣殿等、数々の壮大な伽藍を有する寺院だったそうです。

しかし寛朝僧正没後次第に衰微し、鎌倉時代、後宇多天皇により復興されましたが後、 応仁の乱で廃墟と化したとのことです。
現在、池の西のほとりに橋が架けられた小さな島があり、この島は、寺があったころの観音堂の名残といわれ、今でも残されている、奇跡的に難を逃れた、赤不動明王像と十一面観音像は、いずれも創建当時の作で定朝の父、康尚の作と云われ、現在は国の重要文化財に指定されています。
 赤不動明王は「広沢の赤不動さん」と地元の人に親しまれ、交通安全や厄除けの御祈祷に訪れる人が多いそうです。


寺の創建当時から、ここは月の名所として知られ、多くの歌人が歌に詠んでいます。


いにしへの 人は汀に影たへて 月のみ澄める 広沢の池
(新千載集  源三位頼政)
あれにける 宿とて月は 変わねど 昔の影は なほぞこひしき
(風雅集  薩摩守平忠度)

この二つの歌は、平安末期、源氏、平氏それぞれを代表する二人の武将が、この地を 訪れた時に詠んだものと言われています。
現在、遍照寺はそれより南へ300メートルほどの所にあります。


   愛宕念仏寺


   愛宕念仏寺


最後になりましたが、愛宕念仏寺の案内をさせて貰います。
二尊院から400年の歴史を誇る、奥嵯峨から鳥居本の町並みを徒歩で25分ほど行った 所で、境内は清滝のトンネルの西側の斜面に位置し、3段ほどの石段を登って仁王門を 潜ると、木々の生い茂った薄暗い境内は急な階段とスロープに別れていて、それを登って行くと1200躰の石造の羅漢さんが表情豊かに並び、訪れる人々の心を和ませてくれます。

本尊は「厄除千手観音」。平安時代より厄除けの寺として厚く信仰されてきました。

また、霊験あらたかな火之要慎のお札で知られる、あたご本地仏「火除地蔵菩薩 」がまつられています。
あたご本地仏火除地蔵尊は、平安時代から、京の都を火災から守ってきた お地蔵様です。
また古くから延命地蔵さんとしても親しまれており、「延命会」のお参りの日として、毎月24日のご縁日には法要が営まれているとのこと。

斜面の途中には珍しい三つの鐘が釣るしてあります。
この鐘は三宝の鐘といわれ、仏・法・僧 の文字がそれぞれの鐘に刻まれており、その妙なる音律によって仏の心が世界に伝えられて行くとのことであります。
低い所に釣るしてあるので、手で触れることもできますし又、自由につくことも できます。

ふれ愛観音堂「絵馬堂(えまどう)」の説明



(この観音様は手で触れられることを喜んで下さる仏様です。
仏像は約2000年前から造られてきましたが、それを造った人たちは皆、目の見える人が造り、目で拝んできました。
この像は歴史的に初めて、目の不自由な人たちに、 仏との縁を結んでもらうために生まれた観音様です。
目の見える人も 目の不自由な人も 自由に触れて下さい。
心の目と手で触れることで、私達の心身の痛みを癒して下さいます。
恋愛成就の願掛けにもお参り下さい。)と、点字でも書かれています。


その他、知恵授けでも知られる「虚空蔵菩薩 」さんもまつられています。
斜面はかなり急ですが境内はそれほど広くありませんのでぼちぼち登れば大丈夫だと思います。
又、春は新緑、秋の紅葉は絶景であります。
入場料は、本人介護者共に無料ですが、パンフレットを購入すれば300円です。




2007-06-01更新
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