|
ラトザール物語
第一話 受難(その三)
メルフィーヌは、一人、広い部屋に残された。彼女はベッドに横たわったまま部屋の豪華な調度品の数々を見回した。初めて目にする類の品も多かった。それらの贅沢品の存在は、話に聞き知っていた程度であり、十八才の少女には、名前も用途もわからない品も多かった。金銀細工の工芸品が、部屋の隅、棚の上等いたる所に据えられている。壁に掛けられたタペストリーは、彼女が村長の屋敷で見たことのあるものに較べ、ゆうに二倍はある。そして、見事なたてがみの白い馬の絵が刺繍されている。 シュンラから渡された真新しい下着の肌触りも初めて体験するものだった。これが、噂に聞く絹というものだろうか。その下着は、実用よりも装飾を重視したもののように彼女には思えた。あまりにも薄過ぎるのだ。 もう、体の痛みは消えていた。ルーイの言った通りだ。彼の使った治療呪文のMACUREやテレポートの呪文RULORは、熟練の術者のみが操ることのできる極めて強力な魔法だ。高度な集中力と技量が必要とされ、仕損じると命を落とすといわれている。メルフィーヌがそれらの術を目にするのは初めてだった。メルフィーヌは、左脇腹の傷のあったはずの部分を恐る恐る触ってみた。確かに傷は跡形もなく消えている。もと通りの滑らかな肌。驚くべき完全治癒だ。傷は内臓にまで達していたはずなのに。 今日、一日であまりにも急に、あまりにもたくさんの出来事がメルフィーヌの身を襲った。なんだか、全てが悪い夢か何かだったような気もする。 そう、冒険者になったこと自体、夢であり、目が覚めると彼女はやはり、平凡な家庭の一人娘であり、母親がミルクを沸かしているのだ。鶏の鳴き声、山羊が水入れの器をかきまわす音、遠くの方では荷馬車の轍がきしむ音。彼女にもそろそろ縁談の話が持ちかかっており、幼馴染みで働き者のピーター、お金持ちのマクベランさんちの三男坊、世話好きのエルーネおばさんが毎日のように家に来て噂話を披露する。やがて、メルフィーヌも平凡な結婚をし、幸せな家庭を築き、三人か、四人の子どもを産み育て、時折、悪い魔物の襲来、はやり病におびえながらも、さして大きな挫折もなく日々平穏な暮しを全うしてゆく。そして、子どもの頃は私もおてんばで、ちゃんばら遊びが好きで、冒険者の真似事なぞをして近所のわるがきどもところげまわったものだ、といった話を、半信半疑の孫たちに話して聞かせることだろう。 つい半日前まで一緒だった仲間たちがすでに死んでいるだなんて信じられない。ドワーフ族のエイモス、ホビット族のペデ、女魔法使いのシャリーン、酒飲みのベン、みんな相変わらず居酒屋でたむろし、愚痴をこぼしているに違いない。なるほどエイモスは少し乱暴なところがあるし、ペデはおっちょこちょいだ。シャリーンは疑い深く、派手好きだ。でもどのみち、殺されるほどの悪人じゃない。ベンは、・・・。三十台の前半だと自称していた、上背のある茶色の髪、茶色の髭の男で、子どもの様な目をし、いつも夢のようなことばかり喋っていた。彼女の初めての男だ。 つい、ゆうべのことだ。村の小さな宿屋にメルフィーヌたちは宿をとっていた。一階の居酒屋でいつものように飲んで、愚痴を言い合ったり、冗談を飛ばしたりしている最中に、ベンが、メルフィーヌに目配せを送った。それは、いつもの合図だった。まずベンが席を立つ。ちょっと間を置いてメルフィーヌも席を立つ。仲間たちは、そんな二人の仲を薄々感知していたのかもしれないが、誰も口に出して言う者はなかった。ベンは、二階のベランダで待っていた。歩くと木のきしむ音がする。春の宵、風が心地良い。 いつもの抱擁、いつものキス、ベンの大きな手はメルフィーヌの髪を優しく撫で、髭がくすぐったかった。 この村に身を落ち着け、小さな店でも出して、平穏に暮らしたい。ひとしきり愛撫が済むと、ベンがそう言った。いつも夢物語ばかりしている男がそんなことを言い出すなんてメルフィーヌには信じられなかった。そして、彼は言った、一緒についてきてくれないかと。 もし、あの時承諾していたら、彼女たちのグループは、無謀な冒険に出発することもなかったのではないか。エイモスもペデもシャリーンも、驚き、ひやかしながらも二人の決心を祝福してくれたことだろう。また、新しいメンバーを捜さなければ・・・、エイモスはそんな愚痴をこぼしながらも、自分たちが夢を追うにはすでに歳を取り過ぎた事実に気付くことだろう。 ルーイや、エドガー、シュンラたちなんて、雲を掴むような話だ。あんな若いロードなんているはずがない。全て夢なのだ。そう、今この目を開けるとそこには・・・。 ドアが開いた。大きな男が、身を屈めてドアをくぐった。緑色がかった肌。トロール族だ。 これも夢の続きなのだろうか。メルフィーヌはそう考えていた。体が動かない。悲鳴をあげることさえ出来ない。 「あの小うるさいシュンラはいないようだな。」 ガランカは、部屋の中を見渡した。この大男がいると部屋が狭く感じられる。 「おっと、恐がらないでくれよ。おれは、見ての通り紳士なんだ。ちょっとあんたと話がしたくてね。あのエルフの小娘がいるとじゃまだろう。」 メルフィーヌは、ベッドの上で毛布にくるまったまま後ずさりした。 「おれは、カトマール国王直属の親衛隊組頭、名前は、ガランカ=サミエ。サミエ家は、代々、国王に仕える親衛隊を務める冒険者の由緒正しい家柄だ。もちろん、戦士だ。きみは?」 こう改まって冒険者としての名乗りをされると、それに返答せざるを得ない。 「わたしは、メルフィーヌ=ダルネ。プリーストの修行を積んだ冒険者です。師は、カトマールのエリック=ジャルバ。」 「メルフィーヌか、いい名前だ。としは、いくつだ?」 「冒険者どうしで、そういう質問は無用のはずよ。」 「冒険者ね。」 ガランカは、笑っている。明らかに彼女のような新米冒険者を見下している様子だ。彼の、王室親衛隊筆頭組頭という地位からすると無理もない。彼女の師、ジャルバもガランカから見たら名も無い冒険者の端くれにしか過ぎないだろう。 「さて、その冒険者殿に尋ねたいことがある。なぜ、エルドールのロード、シュンラ=リスレンと一緒に城に来た? あんなのが友達ってわけはないだろう。エドガー=ハートンのさしがねか?」 また、エドガーだ。メルフィーヌは、うんざりしてきた。ガランカの彼女を見下した態度も気に障る。冒険者は自由平等をモットーとし、独立独歩の精神が旺盛なのだ。地位と知名度の差はあっても、それを振りかざされるのは気に入らない。不愉快だ。そもそも、今日彼女を襲った出来事をこんなぶしつけな大男に説明する気になんてなれない。ほっといて欲しい。しかも、今ここは、彼女の部屋だ。白昼堂々と案内も請わず初対面の女の部屋に押し入ってくるなんて、非常識極まりない侮辱だ。シュンラが言う通り、ろくでもない男に違いない。何が紳士だ。容赦なく仲間を焼き殺した化け物、彼女の脇腹をえぐったワーベアの鋭い爪。みんな同じだ。何故こうも、理不尽な出来事ばかり起こるのか。子供のころからの夢だった冒険者としての道を歩み始めた彼女は、力と自信に満ち溢れているはずだった。それが何故、こんな仕打ちを耐え忍ばなければならないのか。何故、こうまでして生きているのだろう。彼女は、そんなことを考えていた。“なぜ、わたしは、ここにいるのだろう?”
「答えられないのなら、答えられるようにしてやるぜ。」 ガランカは、メルフィーヌの被っていた毛布を無理やりはぎ取った。メルフィーヌはガランカとの距離を測っていた。体は動かせる。彼女は、近づいてきたガランカの急所に蹴りを入れた。ガランカは、彼女の反撃を予期していなかったのか、体勢を崩してよろめいた。その隙にメルフィーヌは、太い腕をすり抜けて、床に立った。出口のドアに向けて飛ぶように走りだす。しかし、彼女の体力はまだ回復していなかった。メルフィーヌは、目まいを感じた。床が異様に柔らかい。まるで、大きな焼き立てのパンの上を走っているようだ。彼女は、そう思った。目の前が真っ白になり、床に倒れ込んでしまった。 「おたのしみのところ、もうしわけないけど、そこまでよ。ガランカ。エドガーから預かったお客さんを傷物にされちゃかなわないもの。」 いつの間に部屋の中に入っていたのだろうか。窓枠にエルフの少女が座っているのだ。長い足を組み上げ、頬杖をついている。頬にかかる金髪がカーテン越しの光に透き通るようだ。 「へっ! 帰ってきてたのか。エルドールの鬼神め。」 ガランカは、間が悪そうに言って、すでに逃げ腰になっている。 「続きはまた今度楽しませてもらうぜ、メルフィーヌ。」 そう言い残して、大男は、部屋を出て行った。
メルフィーヌは、床に倒れたまま泣いていた。冒険者として、女として、自分の無力さが無性に悔しくて、涙が止まらない。今日一日、こらえていたものが堰を切ったように、涙が後から後から溢れ出した。初めての冒険で戦闘の支援を任されていながら、傷ついた仲間を手当することなく、なすすべもなく逃げ出した。なぜ逃げたのか。なぜ仲間たちと一緒に死ななかったのか。メルフィーヌは生き残った我が身を呪う思いだった。しかし、この時彼女は、その細い肩にかせられることになる過酷な運命の重荷をまだ知らなかった。 エルフの少女は、窓枠から跳び降り、メルフィーヌに近づいてきた。 「不思議だわ。あなた、魔物に襲われて殺されそうになった時にさえ泣かなかったでしょう。人間って弱い生き物だから、ああいうときは死にたくないって泣きわめくものよ。それなのにどうして、男に乱暴されそうになったくらいでそんなに泣くの? あのトロール、そんなに恐かった?」 「どうして・・・」 メルフィーヌの唇が小刻みに震える。 「あなた、ルーイが好きになったんでしょう? だから、泣くんだわ。でも、安心して。わたし、告げ口なんかしないから。あなたとガランカがいい仲だって。もっとも、たとえ告げ口なんかしなくても、ルーイがあなたなんか好きになるはずないけどね。」 “何を言ってるんだろう、この子。”メルフィーヌには、最初、シュンラの言っている意味がわからなかった。第一、シュンラは、いつからこの部屋に戻っていたのだろう。 「あ、あなたが仕組んだのね!」 「何を?」 「あなたが、あのトロールを引き入れたんだわ!」 「冗談はよしてよ! エドガーから預かったお客にそんなことするわけないじゃない。殺されちゃうわ。言っといたはずよ。あのトロールはああいう奴だって。それに、あなた、まんざらでもなさそうだったわよ。わたし、邪魔しちゃ悪いかなと思って見てただけよ。あんがい、あなたから誘い込んだんじゃないの?」 シュンラは、メルフィーヌの目の前まで迫っていた。しかし、メルフィーヌの振り上げた平手は、ごく簡単にシュンラに制止されてしまった。 「生意気な口をきくんじゃないわ! このガキ!」 シュンラに右手をねじり上げられながら、メルフィーヌはそう叫んだ。 「ガキって、誰のこと?」 「あなたよ! 決ってるじゃない! わたし、少なくともあなたよりは年上のはずよ。あなた、いくつになるのよ!?」 「もうすぐ百九十二才になるわね。」 「からかってるの・・・」 「エルフって、人間よりは幾分長生きするのよ。わたしは、まだまだ子どものほうね。でも、あなたなんかに、ガキ呼ばわりされる覚えはないわよ。そりゃ、胸はまだあなたのほど大きくないけど。」 シュンラは、メルフィーヌの体を床から抱え上げた。華奢な少女の体からは想像できないような力だ。まるで床に落ちた毛布でも拾い上げるように軽々とメルフィーヌの体をベッドまで運んだ。 「いや! 触らないで! 化物・・・」 「人間の悪い癖ね。自分たちの種族以外のものはなんでも化物にしちゃう。でも、今は、少しだけおとなしくしといてね。まだ体力が回復していないんだから、薬を飲んでちゃんと寝てなきゃだめよ。」
第一話 完
|