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ラトザール物語
第二話 王都カトマール(その三)
ガランカの家−それは屋敷と呼ばれる類のしろものだった−は大きかった。王宮を囲む城下町の一角にあり、たくさんの使用人が働いていた。これが、個人の住宅。メルフィーヌは、国王直属の親衛隊組頭の生活を覗き見る思いだった。彼女は、その中の一室に案内された。それは、二日間暮らした宿屋の部屋をひとまわり小さくしたような寝室だ。しかし、内装はずっと豪華だった。大理石作りの洗面台の蛇口は純金細工らしい。部屋には沢山の女性物の衣装が用意してあった。上等な生地を惜しげなく使った美しい服ばかり。いつの間に揃えたのだろう。どれも皆、メルフィーヌの体のサイズに合わせてあるのだ。もっとも、中には思わず赤面してしまうような大胆なデザインの服もある。特にひどい一枚はほとんど服としての機能を持っていない。透け透けで穴だらけだ。もしかしたら、これが、ネグリジェと呼ばれる種類の服なのかも知れない。名前だけは聞いたことがある。城の女性たちが好んで着用するらしい。でも、どういう用途があるのかわからない。どうせ、ろくでもない事に使うに違いない。メルフィーヌは、その薄布をもとの場所へしまい込んだ。 キラキラ光る石が、ドアの取っ手やベッドの支柱などに埋め込まれている。噂に聞く宝石という物かも知れない。多くの冒険者たちが、夢物語に探し求める宝物だ。ルビー、サファイア、ダイアモンド、名前だけならメルフィーヌも幾つか知っている。でも、どれがどれだかわからない。 部屋の中心には大きなベッド。それは、宿屋の物よりさらに大きく、絹の天幕が張られ、中が見えない。壁には大きなタペストリー。白い馬に乗った騎士の模様が刺繍されている。 メルフィーヌは、ガランカと夕食を共にした。テーブルの端と端に別れて二人で座り、給仕がついでくれる物を食べた。食器はほとんど全て銀製。蝋燭立ては金と銀。テーブルクロスは絹製だろうか。 「そんなに珍しいかい?」 ガランカは、物珍しそうにあたりを見わたしてばかりいるメルフィーヌに声をかけた。にこやかな自信溢れる笑顔。 メルフィーヌは、むっとした。 「ちょっとね。」 少し唇を尖らせて、なるべく気取った風を装った。 「ははははは、こいつはいい。」 ガランカの高笑いが広い室内に響いた。
夜半、メルフィーヌの寝室のドアをノックする者がいる。メルフィーヌはすでに夜衣として最もふさわしそうな一枚を選んで着込んでいた。 「どうぞ。」 ガランカは、上半身を屈めて窮屈そうにドアを抜ける。メルフィーヌは、鏡台の前の椅子に腰掛けたまま、彼を迎えた。 「少しは落ち着いたようだな。」 ガランカは、太い首を巡らせ部屋の中を見わたした。 「あなた、最初から、わたしをこの屋敷に引き込むつもりだったのね。」 メルフィーヌは、きつい口調でそう尋ねた。 「どうして?」 「この服はいつ用意したのよ!」 「美しいきみのため、あっちこっち手を回したんだ。苦労したぜ。」 「答えになってないわ!」 「どういう答えを要求してんだい?」 ガランカは、メルフィーヌの頬に手をのばし、その薄紅色の肌を撫でた。 「指一本触れないって、約束だったんじゃない?」 メルフィーヌは、この一言をいう機会を待っていたのだ。微かに唇が震えている。さあ、この男はどういう反応を示すのだろう? メルフィーヌは、息を止め、後ろ手に隠し持ったナイフの柄を握りしめた。 しかし、大男の反応は意外なものであった。 「そうだったな。失礼した。」 手を退き、後ろを向くと大股に部屋から出て行った。ドアを抜ける時、半分振り返り、言った。 「何か足りない物があったら。遠慮無く言ってくれ。」 ドアが閉められた。メルフィーヌは、そのドアに向かって、近くにあったクッションを思い切り投げつけた。そして、ベッドに泣き崩れた。無性に悔しくてたまらなかった。
次の日も、夜半、ガランカはメルフィーヌの寝室を訪れた。メルフィーヌは、鏡台に向かって髪をとかしている最中だった。鏡の中でガランカの姿を迎えた。鏡越しに二言、三言世間話を交わすと、ガランカは、メルフィーヌの耳に触れた。大切な宝物を慈しむ様に、しばらく、彼女の耳を愛撫していたが、彼女が再びあの約束を持ち出すと止めた。昨日と同じだ。 「何か欲しい物があったら。遠慮無く言ってくれ。」 ガランカは、部屋を出る時にそう言った。ドアが閉められてから初めて、メルフィーヌは髪をとかす手を休めた。
メルフィーヌは、屋敷内の家事を手伝い始めた。何もしないで世話になるのは、引け目を感じるようでいやだった。女の子らしい服を着て、掃除や台所仕事、洗濯などにいそしむのは随分久しぶりだ。今までも、仲間たちの洗濯などを引き受けることも、ごくたまにあるにはあった。しかし、彼らのような名も無い冒険者たちには定住する家もなく、各人がそれぞれ各人の生活全般の責任を持つというのが原則だった。冒険者に男と女の区別は無い。あるのは、各々の職能に課された各々の役割のみだ。日常生活において、他人の身の回りの世話をしたり、されたりすることは有り得なかった。 屋敷の使用人たちは、メルフィーヌのことを奥様と呼んだ。呼び間違いを指摘しようとすると彼らは困惑の表情を浮かべるので訂正することが出来なかった。彼らにとっては、旦那様の大切なお客人とでもいった意味なのだろう。メルフィーヌはその呼び名を容認する以外なかった。 あの宿屋に残してきた赤毛の少女はどうしてるのだろう。連絡も無いメルフィーヌのことを心配しているかもしれない。でも、今ごろはもう別の客に付けられて同じことを繰り返しているに違いない。 メルフィーヌは、母親のことを思った。しかし、それは考えても仕方のないこと。彼女には母親の生活の心配をするだけの力は無かった。メルフィーヌが、生まれてすぐに死んだという父親はどんな人間だったのだろう。国王に拝謁を許された偉大なる冒険者、それが彼について聞かされてきた知識の全てだった。なんで死んだのかも教えてはもらえなかった。やはり、冒険の途中で魔物との戦いに敗れ殺されたのだろうか。十八年前というと、魔王アーサーの勢力の最も盛んだった時期にあたる。魔王と戦って死んだのかもしれない。そう考えると、決って、メルフィーヌの冒険者としての血が騒ぐのを感じるのだ。その魔王アーサーが復活しようとしているという。本当の話だろうか。彼女には、復活という言葉は馴染みの無いものだ。一度死んだ人間が生き返るなんてこと、現実に有り得るのだろうか。 いつも通りの夕食の後、寝室に戻ると、絨毯の敷き詰められた床の上に、黒い木の箱が置いてあった。蓋を開けると、中には奇妙な形に仕立て上げられた布が沢山入っている。何れもハンカチ程の大きさのもので、中には、二枚の布をつなぎ合わせ両側に紐を付けたものがある。馬の目隠しかしら。それにしては上等すぎる生地だ。 いつも通りの時刻にノックの音がする。メルフィーヌは、床に座り込んでいた。ガランカは、メルフィーヌの隣に腰掛けた。 「これは、一体何なの?」 メルフィーヌは、一枚の布を華奢な指先で摘み上げた。 「今日、エルドールから取り寄せた外国の下着だ。最近、後宮の女たちの間で流行っているものらしい。」 ガランカは、メルフィーヌの長い髪を捉えながら言った。 「これが下着、冗談はよしてよ!」 メルフィーヌは、頭から被るタイプの下着しか知らない。そういうものだと思っていた。第一、こんな布切れでどうやって体を包むというのだ。たくさんつなぎ合わせて体に巻き付けるのだろうか。 「海の向こうから渡って来たしろものだ。どう使うかは知らん。」 ガランカの指が、髪から首筋に移った。今日も、あの言葉は有効なのかしら。メルフィーヌは頭の片隅で考えていた。 ”指一本触れない約束だったんじゃないの?” 愛撫が、首筋から胸元に下りたところで、メルフィーヌは、その約束の言葉を口にした。やはり、同じ反応。大男は素直に退散した。まるで魔法の言葉のようだ。 それから毎夜、ガランカは、なにかしら珍しい品物を持って。メルフィーヌの寝室を訪問した。そして、あの魔法の言葉で退散するのだ。ある夜、彼は白い小さな玉を連ねた首飾りを持ってきた。海に住む貝から採れる真珠という宝石だと言った。メルフィーヌも、真珠という名は聞いたことがある。とてつもなく高価な物だと聞いている。海というものがあるらしいことも知っている。ただ、見たことがない。生き物である貝から宝石が採れるというのも変な話だと思った。 夜毎の話は、尽きない。ガランカは、メルフィーヌの知らない知識をいっぱい持っている。特に海について。彼は、何度かエルドールに行ったことがあるのだ。風の力で動く巨大な外洋船。わずか一日のうちに周期的に海の水が増えたり減ったりするという潮の満ち引き。白い砂で出来た台地に波が押し寄せ、その水は塩辛いそうだ。もっと、いろいろな話を聞きたかったが、ガランカの指が胸に触れたので、追い返した。
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